2014年11月09日

魅惑の百人一首 34


【藤原興風】 (ふじわらのおきかぜ)

 誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに

   たれをかもしるひとにせんたかさごのまつもむかしのともならなくに





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恋歌は若者の独壇場と言えるでしょうけれど・・・
コチラは亀の甲より年の功。
年長者の詠嘆が主題であります。


周囲の友人知己が次々と亡くなり淋しくなった老境も、
昔から少しも変わらぬ松の古木が慰めてくれる・・・
と言った「感じ」なのですね。


この文を綴る私は、還暦、若くはないが老人とも言い切れないポジションにあってこの歌を詠むと、
若い頃には思いもしなかった感傷が確かに湧いてまいります。

確かな老境に達した時にはこの思いはより深いものとなるのでしょうか?


播磨国、高砂の地にある老松を訪ねた折の感慨である、
と、される見方も有りますようで、
わざわざ観に来たけれど昔ながらの友ではなかった、と・・
改めて孤独感を噛みしめているのかも知れません。
老いの述懐を31文字に託したのですね。

興風(おきかぜ)は、卑官に止まったものの歌人として著名であり三十六歌仙のひとり。
管絃にも秀でていた才人であり当時のシンガーソングライター的マルチタレント。

言い方が古くさい(還暦)か・・・今風だと、
ハイパーメディアクリエーター・・かな???

ともかく、抽象的観念を歌にしてしまう力量は素晴らしい!

口語訳してしまえば大した内容でもないのに
和歌として31文字に託されてみれば
老いという普遍なるものをさりげなく詠い込む。
多くを語りもしないのに人生の深さをも感じさせてくれる・・
・・・作者の手腕であり、和歌の効能であるとも言えましょう。







posted by 絵師天山 at 15:00| Comment(5) | 百人一首

2014年11月08日

魅惑の百人一首 33


【紀友則】(きのとものり)

 久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ

  ひさかたのひかりのどけきはるのひにしずこころなくはなのちるらん





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“しづ心なく”・・・が良いですね。
静温で、落ち着いた心地など少しもしない。
ざわつく感じ・・・ですか?

心穏やかでないのは、花が散ってしまうから・・
春日の深い味わいが去ってしまうから、
のどけき光さえも、消えてしまいそうだから。


今、この瞬間を惜しむ心故でありましょう。

耽溺する心、何時の時代にも通じる
人を動かす普遍性を備えた名歌中の名歌であります。


源氏物語、竹河の巻をご存じでしょうか?

美貌の頂点とも言われる玉鬘(たまかずら)の二人の姫君が
幼いころからそれぞれに自分の木だ、
と思ってきた庭の桜木の所有権を囲碁の勝負で決める、
というくだりがあります。

誰の桜木か!?
ということなど大した問題になるような事でもなさそうですが、
その美しさを自分の所有にしてしまいたい衝動は、
誰の心にもありまして、人のモノになってしまうのは
とても心穏やかならざる観念なのですね。

どうして心静かに眺めていられないのでしょう!?
・・・この詠嘆こそ普遍性であろうと思います。

私も桜をテーマにした作品を数多描いて参りましたが
拙作を希望される方の思いはまさにここにありまして、
現実の桜は持って帰れないけれど、
気に入った作品は我がモノとすることが出来、
連れて帰れるからですね。

この和歌の前書きにも
「さくらのはなのちるをよめる」・・・・とあり
躬恒(みつね)作品の「置き惑わせる・・白菊」、
の表現と好対照としての・・・
「しづ心なく」・・・であり、
実に上手く花の散る姿を捕らえ得た・・・
と、言わねばなりません。


紀友則は紀貫之の一族で古今集の撰者。
若くして才を惜しまれて没したらしい・・
花の散るのはあまりに早く・・・

桜を詠った最高傑作のひとつである事はまちがいありません。







posted by 絵師天山 at 23:31| Comment(0) | 百人一首

2014年11月02日

魅惑の菱田春草 K 究極の癒し 【雀に鴉】


【雀に鴉】

明治43年作
六曲一双屏風
第10回巽画会絵画展覧会出品 
2等銀賞第1席、宮内庁買い上げ





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  左隻


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     右隻
  



明治天皇様が春草をお好きであられた事は有名で、
巷の人々はまだ春草の真価が分からず、
朦朧派のお兄さん・・
くらいにしか意識もしていない折、
既に、明治天皇は各所で開かれる展覧会に於いて
春草の真価を明確に享受されておられ、
御気に入られて度々お買い上げになられました。


春草は明治44年9月、満37歳の誕生日を前にして他界、
明治天皇は翌明治45年7月に崩御されましたので
晩年を同時に過ごしていたことになります。


が、明治大帝は

先立った春草の才能を惜しみ、
遺族に弔意を表し、さらに数点の遺作をお買い上げになって
後、その為に春草作品の値が暴騰したのですが、
春草本人はそのような栄誉にあずかったことも知らず
ホントに苦しみの中で他界してしまうのです。


目が見えなくなって
命まで危ぶまれてから・・それこそ必死の制作に
体調と相談しながら明け暮れてきた訳ですから、

誰でもそうであるように、人の痛みを
痛切に体感しながらの制作であったことでしょう。


それゆえに・・・・・晩年の傑作には、
抜き差しならないぎりぎりのバランスを保ちながら・・
も、・・・しみじみとした哀惜
深々とした思いやり・・・といったものが
強く感じられます。

この【雀に鴉】はその典型。

御在位45年の間殆ど未曽有の歴史の波に翻弄され
日本が国としてのぎりぎりの瀬戸際まで押しやられ
国家存亡という文字通りの苦難を御体験され
堂々とそれを乗り越えられた明治大帝の
晩年の御心には・・・・
平安、安らぎ、安寧・・・を
御求めになるお気持ちが強かった事でありましょう


“四方の海みなはらからと思う世になど波風の立ち騒ぐらむ”

この御製の大御心のまま、
しかし、
御日常にはせめて、平穏な日々を求めておられた、
に違いないのです。


この【雀に鴉】の屏風を座右に飾って居られたことに
そのような御心のあり様も拝察されて参ります。

写真では明確には出ていませんが
背景には仄明るい茜色が施されており

実際に肉眼で見なければ分らない程度の
控え目な茜彩色が、ごくありふれた日常の景を彩っています。

カラスにスズメ・・・
ボタンや富士山ではなく、六曲の屏風として
相当な大作に、枯れ木・・すずめ・・からす・・
いわばマイナーなるモチーフを持って来て
その背景にアカネをほんの僅かに添える非凡さ・・・


絶句してしまうほどの名作が
明治大帝のお手元に寄せられていたのでした。








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posted by 絵師天山 at 11:51| Comment(4) | 菱田春草

2014年10月13日

【歴史の真実】 S 直毘霊(なおびのみたま)


本居宣長が古事記を注釈する大著古事記伝を著わすにあたって、所信表明をした文章【直毘霊】が遺されておりその一部をご紹介したいと思います、若干言語表現が分かりづらいこともありましょうが、原文でお楽しみいただきましょう。日本は日本なのであって、外国の影響こそが要らざるものと・・・大切な本質論が説かれております。


               ★

  本居宣長著 古事記伝

 一之巻 
         直毘霊(なほびのみたま)より


          


・・・・古への大御世には、
道といふ言挙(ことあ)げもさらになかりき、

故れ古語(ふること)に、
あしはらの水穂の国は、
言挙げせぬ国
といへり、

其はただ物にゆく道こそ有りけれ、
美知(みち)とは、此の記に味御路(うましみち)と書る如く
山路、野路、などの路に、御(み)てふ言を添えたるにて、
ただ物にゆく路ぞ、これをおきては、
上代に、道といふものはなかりしぞかし、

物のことわりあるべきすべ、萬(よろず)の教へごとをしも、
何の道 何くれの道といふことは、
異国(あだしくに)のさだなり、


異国(あだしくに)は、
天照大御神の御国にあらざるが故に、
定まれる主(きみ)なくして、狭蠅(さばえ)なす神 
ところを得て、あらぶるによりて、
人心あしく、ならはし みだりがはしくして、
国をし取りつれば、
賤しき奴(やっこ)も、たちまち君ともなれば、
上とある人は、下なる人に奪はれじ とかまへ、
下なるは、上のひまをうかがひて、うばはむとはかりて、
かたみに仇(あた)みつつ、
古より国治まりがたくなも有りける、


其が中に、威力(いきほい)あり智(さと)り深くて、
人をなつけ、人の国を奪い取りて、
又人にうばはるまじき事量(ことばかり)をよくして、
しばし国をよく治めて、後の法(のり)ともなしたる人を、
もろこしには聖人とぞ云うなる、

たとへば、乱れたる世には、戦ひにならふゆゑに、
おのずから名将おほくいでくるが如く、
国の風俗あしくして、治まりがたきを、
あながちに治めむとするから、
世々にそのすべをさまざま思ひめぐらし、
為(し)ならひたるゆゑに、しか
かしこき人どももいできつるなりけり、

然るをこの聖人といふものは、神のごとよにすぐれて、
おのづからに奇(くす)しき徳(いきほい)あるものと思ふは、ひがごとなり、

さて其の聖人どもの作りかまへて、定めおきつることをなも、道とはいふなる、

かかれば、からくににして道といふ物も、
其の旨(むね)をいはむれば、ただ人の国をうばはむがためと、
人に奪はるまじきかまへとの、二つにはすぎずなもある、


そもそも人の国を奪ひ取らむとはかるには、
よろづに心をくだき、身をくるしめつつ、
善きことのかぎりをして、諸人をなつけたる故に、
聖人はまことに善人めきて聞こえ、
又そのつくりおきつる道のさまも、
うるはしくよろづにたらひて、
めでたくは見ゆめれども、
まづ己(おのれ)からその道に背きて、君をほろぼし、
国をうばへるものにしあれば、
みないつはりにて、まことはよき人にあらず、
いともいとも悪しき人なりけり


もとよりしか穢悪(きたな)き心もて作りて、人をあざむく道なるけにや、

後の人も、うはべこそ
たふとみしたがひがほにもてなすめれど、
まことは一人も守りつとむる人なければ、
国のたすけとなることもなく、其の名のみひろごりて、
つひに世に行はるることもなくて、
聖人の道は、ただいたづらに、
人をそしる世々の儒者(ずさ)どもの、
さへづりぐさとぞなれりける、

  
然るに儒者(ずさ)の、ただ六経などいふ書をのみとらへて、
彼国(かのくに)をしも、道正しき国ぞ、
といひののしるは、いたくたがへることなり、
かく道といふことを作りて正すは、
もと道の正しかぬが故のわざなるを、
かへりてたけきことに思ひいふこそをこなれ

そも後の人此の道のままに行なはばこそあらめ、
さる人は、よよに一人だに有りがたきことは、
かの国の世々の史(ふみ)どもを見てもしるき物をや、

さてその道といふ物のさまは、いかなるぞといへば、
仁義礼譲孝悌忠信などいふ、
こちたき名どもを、くさぐさ作り設けて、
人をきびしく教へおもむけむとぞすなる、
さるは後の世の法律を、先王の道にそむけりとて、
儒者(ずさ)はそしれども、
先王の道も、古の法律なるものをや、
また易(やく)などいふ物をさへ作りて、
いともこころ深げにいひなして、
天地の理をきはめつくしたりと思ふよ、
これは世人をなつけ治めむための、たばかり事

そもそも天地のことわりはしも、
すべて神の御所為(みしわざ)にして、
いともいとも妙(たへ)に奇(くす)しく、
霊(あや)しき物にしあれば、
さらに人のかぎりある智(さと)りもては、
測りがたきわざなるを、
いかでかよくきはめつくして知ることのあらむ、


然るに聖人のいへる言をば、何ごともただ理の至極(きはみ)と、
信(うけ)たふとみるをこそ愚かなれ

かくてその聖人どものしわざにならひて、
後々の人どもも、よろづのことを、
己がさとりもておしはかりごとするぞ、彼国のくせなる、
大御国の物学びせむ人、是をよく心得をりて、
ゆめから人の説になまどはされそ


すべて彼の国は、事毎にあまりこまかに心を着(つけ)て、
かにかくに論(あげつら)ひさだむる故に、
なべて人の心さかしだち悪くなりて、
中々に事をししこらかしつつ、
いよよ国は治まりがたくのみゆくめり、

されば聖人の道は、国を治めむために作りて、
かへりて国を乱すたねともなる物ぞ、すべて何わざも、
大らかにして事足りぬることは、さてあるこそよけれ
 
故(か)れ皇国の古へは、
さる言痛(こちた)き教へも何もなかりしかど、
下が下までみだるることなく、
天下(あめがした)は穏やかに治まりて、
天津日嗣(あまつひつぎ)
いや遠長(とうなが)に伝はり来坐(きま)せり、

 

さればかの異国の名にならひていはば、
是れぞ上もなき優れたる大き道にして、
実は道あるが故に道てふ言なく、
道てふことなけれど、道ありしなりけり、

 
そをことごとしくいひあぐると、
然らぬとのけぢめを思へ、


言挙げせずとは、あだし国のごと、
こちたく言ひたつることなき
を云ふなり、
譬(たとへ)ば才も何も、優れたる人は、
漢国(からくに)などは、道ともしきゆゑに、
かへりて道々しきことをのみ云ひあへるなり
儒者(ずさ)はここをえしらで
皇国をしも、道なしとかろしむるよ、
儒者(ずさ)のえしらぬは、萬(よろず)に漢(から)を尊き物に思へる心は、
なほさも有りなむを、此方の物知り人さへに、是れをえさとらずて、かの道てふことある漢国をうらやみて、強ひてここにも道ありと、
あらぬことどもをいひつつ争ふは、
たとへば、
猿どもの人を見て、毛なきぞとわらふを、
人の恥じて、おのれも毛はある物をといひて、
こまかなるをしひて求出(もとめいで)て見せて、
あらそふが如し


毛は無きが貴きをえしらぬ、

痴れ者のしわざにあらずや
・・・・・




           





posted by 絵師天山 at 16:00| Comment(0) | 歴史の真実

2014年10月12日

魅惑の菱田春草 J 王昭君(おうしょうくん)


  
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【王昭君】 明治35年作  168×370p  
重要文化財



シナ・前漢の元帝王のころ、
当時蛮族とされていた匈奴の王へ、
貢物として後宮から女性を差し出すに当たり
肖像画によって選ぶことになりました。

殆どの後宮の女性たちは絵師に賄賂を握らせ、
選ばれぬよう、自分を醜く描いてもらったのに・・
心清らかなる王昭君は・・・
絵師にワイロを出さなかった
結果・・・美しい王昭君が選ばれる。

元帝は驚いて策を講じたが後の祭り・・
王昭君は敵国に嫁すこととなります。

美しいばかりでなく心優しい王昭君を送り出す、
その愁嘆場がこの名品。



ディテールをご覧ください




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線を使わないで表現してみよう、というのがこの作品を描いた当時の春草の考えでありました。
結局、線を使わず
日本画の良さも失わずに
立派な絵が描けることを立証したのですが、
その実験的作品の代表がこの名作です。


菱田春草若干27歳。
第7回日本美術院連合絵画共進会に出品、
銀杯第一席を受けました。

共進会というのは、今で言う展覧会みたいな表現。
デパートや画廊などはまだありませんし、
美術館らしいものも・・・まだ・・
やっとこさ大きな会場を借りて、
美術展覧会=共進会、が流行り始めた頃の事です。
個人では大きな展覧会は開けないが、共に歩みましょう、
という意味から、当時は・・・
「共同展覧会」というスタイルだったのです。

銀杯一席・・・というのは、
金じゃないけれど、堂々のグランプリ!
金杯というのは事実上“あり得ない”ので、
・・・つまり最高賞!!!。


旧態依然たる絵画の世界に大きな一石を投じたことは間違いありません。

絵画の世界だけが旧態依然としていたのではなく、
嘉永6年ペリー来航以来、
白人世界からの侵略がアカラサマになり、
・・・旧態依然たる日本も大切な日本の真実の姿でありましたが、
否応ない洋化は、
日本を根幹から変えようとしていたのです。


そのような時代背景の中で、
色彩を以って無線での作画を見事成立させたこの名作には
皆が、度肝を抜かれた・・・

高い評価を与えられたのでした。


美しいと言う事に限界はないんだな、と・・・
無線だから、とか
色彩の特殊なる解釈だから、とか
この絵の美しさの拠ってくる理由までは分らない人が大半であった事と思いますが、・・・
とにかく美しい!
美しさには絶対ということもないけれど
誰もが、ホントに・・・・掛け値なく
素直に美しい!と感じたに違いないのです。


その評価は今なお高まっています。




ちょうど、この年、長男春夫が生まれました。
縁側で春夫を抱く春草のポートレイトが遺されています。
大名人春草も家庭においては父、微笑ましいスナップです。



          

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王昭君のクローズアップを観てみましょう、
線は全くありません。
その代りに明暗が施されていて
僅かな立体感が生まれて、
線での説明の代わりに、明暗での説明が成されている。

つまり、絵画は説明・・・
何が描かれているか、は重要で、

写実がある程度必要。

だが、写実=物の説明、が過ぎると
夢は、消えて・・なくなってゆく、・・・
ファンタジーを保つには、説明を抑えて、曖昧にし、
観る者に補わせる・・・という手法が欠かせない。

それこそが日本画の魅力だからです。

従来の日本画は、その手法の大切な部分を担っていたのが『線』だった・・
それを、
春草は無くしてみた・・・・訳です。

それでいて、ミケランジェロみたいな下卑た写実的説明の為の明暗画方式は採らずに、
仄かなヴァルールの変化だけで『線』の代わりをさせしめた、のでありました。

いわば、従来の日本画をベースにしているが、
従来の価値観をグンと、段違いに越え、しかも、
洋画などのクダラン影響にはけっして左右されてはいないのです。


ルネッサンスこそ文化の発祥であり、
ミケランジェロが世界的大天才であるという教育をたたき込まれた人ほど
あのギリギリと歯噛み(はがみ)するような立体感に圧倒されてしまい、
それが、美しい?か、どうか?
の判断が出来ない様にされていますが・・・


システィナ礼拝堂天井画は、
誰もがびっくりするけれど・・・
決して美しくはありません。美と驚きとは別物・・・・
いい加減それに気付かないと・・・ネ

だが、・・・・


この王昭君を見れば誰でも美しいと感じる。

明暗の差をなくすことで、
厭味なまでの『立体感』という説明を最小限に抑えたことで
ホンモノの『美観』を生み出しているのです。

立体感=美観、・・・であろう筈がありません。



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さらに・・・

愁嘆場の悲哀、が画面全体から感じられるのは、
単に、顔つきが悲しそうであるから、だけではなく
実は大きな仕掛けが施されているからです。

それは色彩にある。

背景は大まかに言って黄色の対比で構成されています。
地面が黒系、で空間が黄色系、・・・
御存じのように、踏切のバー、の様に
視覚的に危険を知らせるには
黄色とを五分五分に表示するのが
最も効果的、
これは洋の東西を問わず、老若男女を問わず、
世界中全ての人間に通用する色彩の組み合わせ!

つまりこれほどびっくりする色の組み合わせは他にない。

王昭君の愁嘆場の舞台設定はこの組み合わせの応用が用いられている。

さらに、
王昭君始め、後宮の美女達は、寒色と暖色との拮抗で描かれている事にご注目下さい。
寒色にせよ、暖色にせよ、
どちらかが多いか少ないかで、様々な感情を伝え易くなるもので、
暖色が多ければ、優しいとか柔らかいとか・・思うし
寒色が多ければ、厳しいとか堅いとか・・感じるものなのです。

つまり、寒色と暖色とがほぼ五分五分で組み合わされていると
観る者は、混乱した感情が湧く。

大天才菱田春草はこれを利用している。

観る者がどちらともつかない、
不安な感じを抱く・・・様に・・・
寒色と暖色とを戦わせる・・・・
愁嘆場を伝えるにこれほど合致した手法は他にない



こういうのは、
日本画のみに存在する価値観なんですね。




ジジイ化してゆく己を毎年・・
飽くこともなく描き続けたレンブラントも

エイリアンが人間精神を支配するが如き
レオナルドの蠱惑的(こわくてき)写実も・・

明暗のコントラストだけしか眼中になかった
ミケランジェロの立体オタクも

実は・・・・・

残念・・・

春草に比べたら【お絵かき】にも値しません。




         ★




    菱田春草展

会期  2014年9月23日(火・祝)〜11月3日(月・祝)

会場  東京国立近代美術館
    (〒102-8322 東京都千代田区北の丸公園3-1)
     http://www.momat.go.jp/

開館時間  午前10時〜午後5時(毎週金曜日は午後8時まで)
       *入場は閉館の30分前まで

休館日  毎週月曜日(ただし10/13、11/3は開館)、10/14(火)

主催  東京国立近代美術館、日本経済新聞社、NHK、NHKプロモーション

協賛  損保ジャパン日本興亜、大伸社

協力  旭硝子

助成  公益財団法人ポーラ美術振興財団

お問合せ  03-5777-8600(ハローダイヤル)





posted by 絵師天山 at 15:00| Comment(3) | 菱田春草

2014年10月11日

魅惑の春草 I 月を描く


大名人春草は月を描かせても勿論超一流!

世に、
“雪月花”(せつげっか)とか
“月雪花”(つきゆきはな)・・・とかいって
この三つの内一つでもモノに出来れば、
一流の画家、とされる。

雪が描けるか?・・・とは
雪の降る音が描けるかと言うことであり、

月が描けると言うのは、
月光を顕せるか?であり

花が描けると言うのは、
その香りを描ける・・・こと・・・

ハハーン、絶対無理!
と思っているアナタ、
春草はそのどれも容易に達成しています。
しかも、さしたる苦労はしていない。
様に見える・・・
苦労が覗く作画では、決して快味は得られないから・・・

観て心地よいのが絵画の魅力であり、
理屈とか、努力とか・・
まして苦労なんか出てはならないのです。
先入観など何もなしで、思わず魅せられる!
のが、ホンモノ!!



コチラは・・・【美人観菊】明治34年作 134×54p


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元禄時代くらいの女性をテーマに、秋の爽やかな空気を描いて、あたかも月の光を浴びているよう・・・
必ずしも月光があるとは言い切れないけれど、日中の日差しとはとても思えない風情・・
月を描かずして月光を感じさせている・・・・


コチラは、【仏御前】 明治39年作 117×48p





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画面左上に半月が、かそけくも・・・描かれており
弱い光芒を感じさせて、
やはりこれも黄昏・・とか・・・月が出てきた夕刻の気配
平清盛に寵愛され、
同じように寵愛を受けた妓王と妓女姉妹の白拍子は
誠に儚く没落してしまった事を知り
諸行無常を悟って姉妹の侘びた庵へ向かうのが、
このシーン。・・・・仏御前。
彼女もやはり都で騒がれ持て囃された人気白拍子でした。 
 





次いでコチラは、【月の出】明治41年作 107×41p





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月がテーマなのに月はナシ!
これから出てくる月を描いた・・・
紫がかった樹木に覆われた山嶺・・
小滝の姿だけが僅かに浮かび上がります。
クリックして拡大してください、
図録からの映像ですから、臨場感は大いに不足していますが
鎮けさ・・・荘厳さ、
かそけき光が、光芒に移るその間際・・・
素晴らしい創意と見事な技
≪思わず魅せられる≫、とは正にこの事であります・・・

いったい・・・・・
これから出てくる月・・なんか描けます??
             




さらにコチラは、【月夜清波】 明治40年作 117×49p






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海上に浮かぶ、雲隠れのお月さま・・・
雲の向こうの光芒を冴え冴えと表わすために
美しい灰色がごくごく微細な変化を留めて彩色されています。
その為に海の緑と月の白とがまるで宝石の様に輝いている・・・
雲と波とが連動する動きの中に溶け込んで、
いつまでも観ていたい・・・・



海上の月は他にも何点かあり、
コチラは、【月下波】 明治40年作 116×50p






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岩礁と千鳥を配して、
月の光も幾分温かい感じ
月光を楽しむが如く、
あたりの景物が登場しております。




雁が登場すると
コチラは、【月下雁】 明治40年 104×41p





         IMG_3580.JPG 







         IMG_3581.JPG

   【月下の雁】 明治40年作 104×40p




描いているのは、雁だろうけれど、
テーマは月の光・・・・・
月明かりが描ければ、あとはもう何でも描ける。

春草に与えられた天才は、実に実に・・・
広くて深いのです・・・
この御方に一歩でも近づくことが
現代の絵師の目標!
・・・・でなくてはなりません。

クダランものに囚われて・・
真を捉える事・・・
一番大切な事を忘れてはならないのです。
どこぞの亜流に流されている場合じゃあないんです!!

日本画を目指している人は
どんな事があっても、
この春草展だけは観なくては!

それ以上に大切なことは、今、何もない・・・・・のです・・・・


          





菱田春草展

会期  2014年9月23日(火・祝)〜11月3日(月・祝)

会場  東京国立近代美術館
    (〒102-8322 東京都千代田区北の丸公園3-1)
     http://www.momat.go.jp/

開館時間  午前10時〜午後5時(毎週金曜日は午後8時まで)
       *入場は閉館の30分前まで

休館日  毎週月曜日(ただし10/13、11/3は開館)、10/14(火)

主催  東京国立近代美術館、日本経済新聞社、NHK、NHKプロモーション

協賛  損保ジャパン日本興亜、大伸社

協力  旭硝子

助成  公益財団法人ポーラ美術振興財団

お問合せ  03-5777-8600(ハローダイヤル)





posted by 絵師天山 at 16:00| Comment(0) | 菱田春草

2014年10月10日

魅惑の百人一首 32


【春道列樹】 (はるみちのつらき)

山川に風のかけたる柵は流れも敢へぬ紅葉なりけり

  やまがわにかぜのかけたるしがらみはながれもあえぬもみじなりけり




           turaki.jpg





「はるみちのつらき」という名前は
一度聞けば心に残る響きを持っています。
そもそも、・・・姓が春道なんて素敵!
天皇家を守護する物部一族の末流らしい。
物部氏はモノノフ=武者の語源ですから、
春道姓は床しい武人の雅な子孫、
ということになりましょうか。

さらに
「つらき」
で何か背筋の伸びた感を抱き、
その潔い響きが印象深い。
雅楽も名人だったようで・・・


この方の作品で私の好きな歌に、

きのふといひけふとくらしてあすか川
流れて早き月日なりけり

  
  きのうといいきょうとくらしてあすかがわながれてはやきつきひなりけり


があります。

昨日、今日、暮らし、川、月日、・・・・
何でもない日常を重ね来た生活感・・というか、
人間の営みの本質を感じさせ、・・・
飛鳥を明日香に掛けて、
飛鳥という日本文化発祥の代表地だからこそ
悠久の歴史観みたいなもの・・・と、
日常のルーティーン・・を、合わせて想起させる

ナルホド!の 秀歌。




上記、百人一首の秀歌も、
山中の渓谷に秋盛る美しさ迫る・・気配。

これまでに全国各地を繰り返し取材して歩いた私は
日本美は渓谷に集約されている、・・・と実感し
その代表が秋!!

正にこの和歌そのもの、ですね。

数え切れない紅葉が風に吹かれて吹きだまり、
美しい早瀬を覆い隠してしまいそうなくらい
贅沢な紅葉狩り・・・・・

“志賀の山越えにて詠める”と、
前置きがありますけれど
紅葉前線が南下して行くそのスピードと同じ歩みで
全国津々浦々の山川を探勝してみれば、
ウンザリするほどゴージャスな秋爽を紅葉が彩ってくれるはず・・・

柵(しがらみ)は、堰(せき)の様なもの、
流れも敢へぬ、は流れようとしても流れ得ぬ・・・の意味。
谷間は、
めくるめく落葉で満たされてしまったぁー・・・・・
という感じですね。

自動車のない当時は都から離れる為の小道すらワンダーランド。
絶好の紅葉の盛りに往来し得た幸運を詠い込んだのであります。

正真正銘の紅葉のピークは前後たった二三日ですから・・・・




posted by 絵師天山 at 15:00| Comment(4) | 百人一首

2014年10月09日

魅惑の百人一首 31


【坂上是則】(さかのうえのこれのり)

朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪

   あさぼらけありあけのつきとみるまでによしののさとにふれるしらゆき




            sakanoue.jpg





実に美しい詠唱ですね・・・

古今集、冬の部に
「やまとの国にまかりける時に、
雪の降りけるを見て詠める」
として、この歌が見えます。

有明の月の光と見まがうまでに降り敷いた雪は
おそらく・・・・薄雪あるいは淡雪・・・
でありましょう。

なぜならば・・・


古今集の配列ではこの歌の
前に、
貫之の・・・・

冬ごもり思いかけぬを木の間より
花と見るまで雪ぞふりける


後に、よみ人知らずの・・・

消えぬがうへに又もふりしけ春がすみ
立ちなばみゆきまれにこそ見め


がある、・・・・ので、

両者の間に置かれた位置関係から、
もう春も近づく気配が感じられる雪、
つまり薄雪、淡雪・・・・

と言う事になるからです。


吉野は桜の名所。
数え切れない程沢山歌に詠まれた名所であります。
満開の様子を霞に例えたり雪に例えたりする場合も多く、
古来、吉野という地名を耳にしただけで心が揺さぶられる、
・・・・のは、私ばかりではありません。

有明の月に照らされて?
花びらが舞い散るような気配で、
春遠からずの淡雪が降りしきる・・・・

のですから、凄絶なまでの美しさ・・・

絵になるなー!!!
私の大好きな絶唱であります。



坂上是則(さかのうえのこれのり)は、坂上田村麿の後裔で宇多天皇、醍醐天皇時代の歌人であり蹴鞠の名人として知られており、三十六歌仙のひとり。

御先祖、坂上田村麿(たむらまろ) は武官。
大伴家と共に代々天皇家にお仕えした軍人の代表格。
征夷大将軍となり、蝦夷征伐で勲功を立て、
優れた武人として尊崇され伝説とまでなりました。
菅原道真が文人の、
坂上田村麿が武人のシンボル!・・・・である、
とまで称揚されたのであります。

その子孫坂上是則は・・・・
延喜5年(905年)3月2日、
宮中の仁寿殿において醍醐天皇の御前で蹴鞠が行われ、
そのとき206回まで蹴り続けて
一度も落とさなかったので、
天皇はことのほか称賛して褒美を与えた

・・・・文武両道とはこの人の事ですね!

こういう人とお友達になると絶対楽しい!
人生が豊かに・・・・・・



           
posted by 絵師天山 at 15:00| Comment(0) | 百人一首

2014年10月08日

魅惑の百人一首 30

百人一首は文字通り・・・わずか百首の和歌集。
だが、このわずか百首・・・・・!
という小窓を通して広大な世界を展望することができます。

この百首の向こうには、
古今集以下あらゆる勅撰和歌集の世界が広がって・・・
つまりそれは、平安時代の文化史そのものでありまして、
和歌と作者とで綴る平安朝の歴史絵巻と言っても良いでしょう。

日本文化を凝縮したテキスト。

百人一首に触れ、親しみ覚える内に
各歌に内包している古典文化に接し、
自然の景物季節感に触れ、変わらぬ人情に共感し
知らず知らずの内に日本人としての美意識が醸成されてしまう。

それは正に和歌の徳であり、和歌の力、とも言えましょう。

さて、今回で30回目
あとまだ70首もありますから、
ずいぶん先まで楽しめますね・・・・・
画像は勿論、天山書画作品です。

今回は、壬生忠岑(みぶのただみね)





★★★★★★★★★★★★★★★★★★



【壬生忠岑】(みぶのただみね)

有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし

   ありあけのつれなくみえしわかれよりあかつきばかりうきものはなし




          tadamine.jpg  





有明の月は、夜が明けてもまだ残っている月。
陰暦では下旬の月です。

月がツレナイ?のか、相手の女性がツレナイのか・・・
この夜以来朝が来るのが恨めしい!!

と言うわけでしょうか。


いづれにせよあまりハッピーではなさそうな・・・

もっとも恋は成就してしまえば歌には成らず
実らぬ恋であればこそ恋歌が生まれるのかも知れません。

この後、どうなったのか?
どちらでも良い様だが・・・ちょっと気になります。

なぜか藤原定家はこの歌を称賛!
「これ程の歌ひとつ詠み出でたらむ、この世の思い出に侍るべし」
とまで言って、殆どの秀歌撰にこの和歌を選出。
定家は案外・・・野暮でモテなかったから??か??


“つれなし”は、連れなし。
連れがいない、という意味で、独りぽつんとしている様。
そこから転じて気が強く情薄く、何事にも平気で素知らぬ顔をしている様を言うのです。

現代はクダラン欧米化、国際化の御蔭で
カレンダーも太陽暦。
グリニッジ標準時・・・・・・。
世界のルールは白人が我先に決めつけた下品で不公平?
な時代ですが、昔の日本は、陰暦。
月の満ち欠けに合わせたトキの移ろいを楽しむのが当たり前だった。



月の有り様に添って日常を過ごす・・・
これは、風情を楽しむには大変良い規範でした。


潮の満ち引きも人の心の移ろいも
月の満ち欠けに深く起因している事は確かで
出産は満月に集中しているし
交通事故などが起こり易いのは新月か満月、
統計がはっきり示している。


人間生活の実情に合うのは断然陰暦なんであります!・・・

何でも定規にはめて合理合理とノタマウ契約社会は
実に窮屈。
しかも退屈!

作者壬生忠岑は、微官の為かどのような人であったか良く分かっていません。
古今集の撰者の一人であったのは間違いないのですが、
現世にトキメイテ居ない人は実力者であっても、とかく押しやられがち。

しかし、有明の月を“つれなし”とした処を見れば、
人生の機微に通じた風流人であったのは間違いなく、
案外野暮天?だった定家が称賛するのももっともな話・・・
出自など解らずとも作品がすべてを物語っているのですね。







posted by 絵師天山 at 18:00| Comment(0) | 百人一首

2014年09月25日

神宮への奉納


昨年開催された第62回伊勢神宮式年遷宮記念展は、奉納絵巻をメインにし、
和歌を題材にした新しいスタイルの作品で構成しました。

歴史画といわれる絵画が流行した時代もありましたが、今日では稀な中・・・
私は人物画を追究する一つの方法として、和歌を媒体にして歴史画を描く事に夢中になっているところです。


昨日の記事で紹介しました“平野啓子さんによる語り”の、背景として用いられるのはその内の5点。
トルコやドイツでも講演会がひらかれるそうで、フリーアナウンサー=語り部・・・
として平野さんは日本文化を国内外に紹介する活動を続けておられます。

平野さんばかりでなく、日本文化の真髄を求めている方々から、この一年、様々に真摯な反響をいただきました。

ギャラリートークでも、歴史の真実とか、和歌について、古事記絵巻制作のお話とともにさせていただき、そのことが、自身の心情を深めてゆくステップにもなったので、
精魂込めて制作した奉納絵巻は、文字通り私にとってのライフワークになり、又、なりつつあります。




          
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神宮への奉納も無事済ませ、さらなる取り組みを本格化させねば・・と望んでおります・・・





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【日本神代絵巻】奉納 
神宮司庁文化部長 河合真如氏から
大宮司鷹司尚武さまよりの感謝状を戴きました



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始めの部分を広げて文化部長河合氏に解説




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神宮司庁への奉納前に
陰陽師舊事希軍(くじまれとき)師による
浄祓いの儀を執り行いました。





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          神宮徴古館前で河合文化部長と




古事記の神話の時代から続けられてきた日本文化の神髄に
ほんの少しでも近づけたら幸いです。










posted by 絵師天山 at 05:00| Comment(0) | 伊勢神宮奉納記念展

2014年09月24日

文化庁文化交流使記念公演 平野啓子語りの世界

明日、9月25日18時、新国立劇場小劇場にて

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平野啓子語りの世界
会場景として拙作映像が使用されます。
いずれも昨年の個展出品作品。

歴史を彩る五作品です。




【なよ竹のかぐや姫】


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【羽衣】


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【うたたねの】  式子内親王
うたたねの明けの袖にかはるなりならす扇の秋の初風



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【衣通姫】  (そとおりひめ)
花ぐわし桜の愛でこと愛でば早くは愛でず我が愛づる子ら



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【うつそみの】  大津皇子の屍を二上山に移し葬る時に大来皇女の哀傷みて作らす歌  
うつそみの人なる吾や明日よりは二上山を兄弟と我が見む



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posted by 絵師天山 at 13:00| Comment(0) | 天山作品紹介

2014年09月23日

【歴史の真実】R 猫好きにされた春草

本日、国立近代美術館における菱田春草展初日、
好天に恵まれ、朝から出かけました。
長蛇の列が形成されているか?と思いきや・・・
別に並ばせられることもなく、すんなり切符を買い、
即入場。
御挨拶のパネルが多少込み合っていたものの、
ゆっくりと、気がねなく、味わいつつ、僅かにお互いが邪魔しないように気配る感じの贅沢な会場。

さすが、春草好き。初日午前から来ているような人は、良識溢れた日本人らしい日本人??

春草フアンは、マナーも宜しいし、なかなか絵の前から去ってくれないことを除けば理想的フアンだらけ。

ちょっと自分が絵の前に立って邪魔になってるかも?
と気付くまでが少々長いのは、うっとり悦に入っているから・・・・



入口のパンフレットをいただいて、・・・・・コチラ


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死後100年以上経ているので著作権は消滅していますけれど・・・
こんな加工、お上がやっていいことでしょうか???ねー!!!!




            
IMG_1900.JPG




オリジナルは、コチラ・・・・


いかに入場者アップの為とはいえ、重要文化財指定の・・・超がつくクラスの名作を
国立美術館が勝手にアレンジ、オリジナルを損ねる加工を施して人集めにしてしまうのは・・・・
猫好きの入場者をアテニしている?? 
猫好きをアテにしなくちゃノルマが果たせない??
いやだねーーーー・・・・・
姑息そのものじゃあないでしょうか。



宣伝文は・・・見つめあえたらきっと運命。・・・
とあり、


ごきげんよう。
突然目が合ってしまいましたね。
さてはあなた、猫好きですね?

私の名前は、黒き猫。
明治時代を代表する日本画家、菱田春草の筆から生まれ、
こう見えて肩書は重要文化財です。

百年前にモデルをつとめたときは、
まさかこんなに有名になるとは思っていませんでした。

ここで出会えたのも、何かのご縁。
さあ、私と一緒に、麗しき日本画の秋を楽しみましょう。




とあり、・・・ますが・・・・



独立行政法人となった国立美術館、博物館などは、独立採算でゆけ!
という法律の下に、展覧会開催に
結果・・・・入場者および売上、というノルマ・・
を果たさなくては立ち行かない事になりました。
そうなってもうずいぶん経つんですが、知らない人はそんな事に関心がないでしょうが、

実は、展覧会企画はその全てをを丸投げ、外注しているのが実態です。

つまり、NHKプロモーションとか、電通とか、メディア関連の請負業者にすべてを企画してもらって数字を確保するのが独立行政法人の仕事になったのです・・・経営が優先されるから・・・・


つまり、
金の為に・・・・

その一環で、
明治を代表する異才、
菱田春草をも・・・・・単なる【猫好き】に貶める。



うるさいおぢさんが・・・・また文句言ってる・・・?と勘違いしないでください

この国立の美術館が数字の為、
企画は外注するのが当然・・・であるのは、
非常に大きな危険性を孕んでいます。
外注ですから、文字通り、外国資本の企業がスポンサーでも構わない・・・
と言うこと。・・・金集めさえ成功させてくれれば中身は問わない・・・
となれば・・・最悪・・・・国益に反することもOK!
ということ・・・ですね。

つまり、

日本国民のマインドをコントロールする手段がまた増えた・・・事になる。

春草が活躍していた明治時代後半は、日露戦争で日本国は存亡の危機にさらされていました。
文字通りの危機であって、生半可な心持ではだれもが生きて居られなかった。

明かに理不尽なロシアの侵略行為に対して、国を挙げ文字通り必死に抵抗しようと頑張っていたのです。


時代が下って・・・・先の大戦に於いて、
実はアメリカ他、連合国による理不尽な侵略はロシア以上の野蛮なる侵略そのものであったにもかかわらず、歴史のねつ造、嘘のプロパガンダ、大衆へのマインドコントロール、等々によって、日露戦争時代のような単純な図式で国民が一致団結出来たようには行かせない!・・・日本国民を嘘で固めて、団結させない!という外圧が思いきり懸った。

日本こそ戦争犯罪人であり侵略者であるという真逆なる大ウソ!!!に日本人自身が洗脳されてしまった。

そして、今では更なる嘘で固めて、日本を食い物にする外国がヒシメイテいるにもかかわらず・・・
日本の為と称して、中国様の利益の為だったり、韓国の為だったり、アメリカの、ロシアの、
オーストラリア、ニュージーランド・・・・・・・・

国益を唱える阿倍総理大臣さえも国益を損なう河野談話を撤回しない。

シナの言うがままだった民主党よりはマシだが、結局アメリカの利益代表になり下がった。
今なお、連合国側に屈しているんです。

東京都民も、現都知事が韓国の利益を誘導する請負人であることに気付かないのは、
深くて巧妙なマインドコントロールに取り込まれているからですね。

自国が疲弊して、日本の存在に頼らなくては生きてゆけない内実を抱えた韓国は必至なんです、
将来の為には嘘でも何でも言う、し、・・する、・・・・のであります。

アメリカだって金がない。あっても、大軍備で世界中をどやし続けなければ国が持たないことを良くしっていますから、いくらあっても足りないのです・・・・侵略国の宿命です。


そのアメリカを支えているのが石油資本、

つまり原発反対運動はここから来ている。

優秀な日本人技術者の手に原発を委ねないように、巧妙に日本国民を誘導し、広告塔を各所に配置し反対する。

池上彰だってそのひとり・・・・氷山の一角ですが・・・陰に陽に・・・

今、即時原発を稼働させればあっという間に景気は良くなる!!
分かっているんです、安倍総理始め政権担当者たるもの・・
しかし、外圧にはいとも簡単に屈する。

独立行政法人法なんかなくとも、国立美術館は全部国民の為の文化催事を掛け値なく、訳なく出来る世になるのです。

国益に反するかどうか・・・・それすらも判断できなくなった国民が溢れてしまった。
枝葉をイジクルホドニ大局を見失う・・・外圧は巧妙に日本人の弱点を突いてくる。


菱田春草の作品には外圧がこれっぽっちもない。

外国の影響で薄められ歪められた芸術しかなくなった?・・・
・・・かに見える現代に素晴らしい燈明をかざしているのであります。

掛け値のない日本文化そのものです!












posted by 絵師天山 at 18:00| Comment(0) | 歴史の真実

【絵画について】 菱田春草 横山大観 連名 明治38年


菱田春草、横山大観 連名による

【絵画について】   (現代語訳)



私ども先頃来、
インド米欧巡遊の折には長くご無沙汰致しましたこと、お詫び申し上げます。
帰朝しまして早々、日露戦争大勝利に連れて今後美術界も又、いよいよ数多の希望が満たされる時代となるかと存じております。そのような折、皆様具賢の方々より私共の将来の展望についてお尋ね下さり、感謝いたしている次第ですが、この際、意のあるところをいささか改めて述べさせていただき、もってお導きをお願いするものであります。

私共の外遊がどのようであったかというご質問を多く頂いておりますが、基本的にはすべて以前より考えていた事と大差はなくむしろ、色々見聞するにつれ、従来の覚悟をさらに徹底追及してゆこう、という決意を改めて固めたに過ぎません。

およそ芸術というものは作者の人格による表現でありますから、技術は単なる表現の手段であろうかと思います。従って、内面的修養充実を心掛けておれば、表現の手段方法はそれぞれに任せられるべき事でありましょう。

私共の様な至らぬ者でも、この道を歩むと決めた以上は自分なりの理想を自分なりの方法によって表現することでそこに自ずから流れ出たものが認められるようになりたいものと存じております。

このように考えると、東西の画風、流派、様式などが人文思潮の流れに応じて変転進化しつつ極まることなき永続性こそ芸術そのものであると言わねばなりません。

が筆を取って画面に向かえば大和民族固有の趣味が期せずして自然に流れ出して来るという、それこそがいわゆる日本画でありまして材料や、技術の動向によって東西を区分けする事に意味はありません。

従って、私共は“真正の絵画探究”をするにあたって、自己の中から湧きだして来るもののみを描き出す以外に方法のないことを改めて思うのであります。

よくよく国内近頃の傾向を見ると、ただ写実を奨励してそれによって旧来の型にはまった画流の欠点を補おうとするのは、一応の応急処置ではあるけれども、だからと言って、写実派などというものの存在が必要だとは思われません。

もし写実が芸術の究極であるとすると、そもそも自然そのものが大芸術でありますから人間の行うちっぽけな芸術は無用である、とさえ言えるでありましょう。

考えて見れば自然そのままでない処を目指すことが芸術でありますから、“自然以上”を求めなくて芸術に何の意味がありましょうか。

そもそも絵画は、推量し想像させるようにもってゆくことに意味があるのでありますから、“しんしんと降る雪の音”を表現するに露骨な写実をしたところで遠く及ばないことは明らかでありまして、単なる写実で表現出来るものには自ずから限度があるのです。

しかし東洋では古くから写実も行われて参りました。ただし、それは眼に依るも、心象を活かす、という写実方法でありまして、浅薄な洋画家流の者が上辺の形だけ捉えようと苦心するのは、つまらぬ囚われでしかありません。

近頃流行りの写生なるものは教える側も習う側も、モデルに向かう好奇心に浮かれているだけであって不完全な設備、方法もさることながらそのいい加減な描写の態度は、本来の洋画家に対して失礼の極みと申せましょう。

一方で写実派があるならば、対する理想派が必要かと言うとそういうものでもなく、絵画の入口は写実ではあるけれども、目標は理想の実現であるのですから、写実派と理想派に分けるべきではありません。故に写実派に対しての観念派ないし理想派といった区分けは、主題上のものについてであって、制作上の表現についてではないのです。
あえて写実派に対するものを求めるとすれば、それは却って形式化を招くこととなり類型化に陥るのでありまして、写実のみに囚われる愚、と全く同じ誤りと言えましょう。

よくよく国内作家の風潮を見ると、日々に追われて、形式に堕し、新しき創意なく、ただ左右の者達としのぎを削り合い、ドングリの背比べをする事のみに終始しているのは誠に情けない有様であります。

近年欧米で典型派と情熱派とが相互にしのぎを削っているその側面には、描法に於ける印象派、色彩派などの新技術と主題に於ける比喩派、表象派、他の新思想とが双方現れて来たことが影響しているのでありまして、詰まる所描法と主題との一軽一重により生まれる変化のあらわれ、に過ぎないのでありましょう。

考えて見れば主題というものは、ほぼ、どのような種類の芸術にも共有されるものですが、手法はそれぞれの特異なものであって当然、絵画には絵画たる手法があるのでありますから、画道の研究の中で、ある特殊なる描法を主張することもこれ又当然有り得べきことでありましょう。

私共は既にこの研究を通して今後はいよいよ色彩研究を深めて参ろうとするものですが、それはあくまでも私共独自の色彩研究でありまして、かつての光琳やドラクロワの亜流でないことは勿論で前人の用いて来た輪郭を省略し無線に成しもっぱら色彩によって形成してゆくやり方をご覧になって、これを東洋画ではないとし、もっとひどいのになると、朦朧体と誹謗する人さえあるのですが・・。
さりながら、造形美術の起源よりすれば絵画と彫刻が区別されたのはそう古いことではなく、双方とも輪郭線によって成り立ってきたものであります。そしてそれらが美術と呼称されるようになると、絵画は明暗、濃淡よりも色彩的に志向し彫刻はレリーフから立体へと志向して行きます。

即ち色と形、双方に大きな志向の差が産まれてくるのは必然で絵に於いては書画一致の範囲から離れて
色彩によって絵として自立してゆくことになるのは、音楽がその音調によって音楽らしくなってゆくのと同じことと言えましょう。

加えて彫刻は塑像が現れるようになって以後、写実性を深めてきた今日であり、なお絵画だけが線描に留まって、彫刻の形式から出ないと言う事は実に心細い限りであります。

そもそも【線】なるものは“説明して理解してもらう為のもの”であって線による絵画のまどろっこしさは、文字ではないか、と言いたくなる程で、それに反し色彩はもっぱら直覚に訴うるものでありますから、彩画こそ、われを忘れる様な快味を与える為の近道と言えるでありましょう。文学ではなく音楽でもなく彫刻建築でもない絵画の絵画たる所以は色にあると言わねばなりません。

歴史的に見ても我が国にの残されている上代古典作品には、色線による描法の発達がありました。
古画の剥落した痕を調べて見れば下描きの線と言うのは色彩の境界を示すだけで、その上から重ね塗りして描出した後、更に色彩線によって輪郭を描き起こすという工程が加わるのです。これはその当時さえも、色彩が主であって、描線が従であった事の証であります。

我が国は古来より既に色彩を主とした域に達していたのであります。

これを考えてみれば、色彩を主用した絵画が邦画の特性を失う、と言う非難は当たらない、誤りであることは勿論、むしろある意味でつまらぬ縛り、となるものであり、この故に昔人は色線を用いて後の世の無線描法の為のステップを既に踏んでいてくれたものと思うのです。

又、他方、没骨描法と言うものが現れ、あらゆる表現手段の一部となって来ましたので、これを色彩をもって表す【色的没骨】に敷衍すればさらなる新段階が生ずるものと思われます。

シナの昔人が既に言っている様に“墨に五彩あり”とは、筆墨中に色彩を望もうとする意味で、単に文人画に止まらず雪舟の写し取る大自然の世界に於いてもこの考え方が含まれていることを知らねばなりません。

色彩を塗るのではなく描くのである。
という言葉の中に既に色彩的没骨法が胚胎しているのであります。輪郭と色彩とは不可分と言う意味でもありましょう。

今日の日本画家は今なお、輪郭線を主用し色は補用している有様ですから、言ってみれば有限をもって無限を表そうとし塗り合わせた色と色とを繋ぐ為に線を利用しているに過ぎないのであって、こんなものは明らかに自己満足の類に他なりません。

この様な処へ色彩の没骨による色彩的主用を志向するのは当然であって、あらゆる見地からしても必須の事と思われます。しかし世人は良く“東洋画の精華は筆墨にある”、と言い、“筆墨なき絵画は日本画ではない”、と言い、私共の主張と相容れない方も多いのですが、これは美術史ということを考えずただ骨董家の視点にとどまっているだけなのです。

我が国古代、上代、に於いて既に色線による絵画が一つの理想画として遺されているのに、中世、宋代禅画の輸入により一時筆力墨色の発達を見たのは、むしろ鎌倉武士の素朴さと、東山茶人の侘び寂びに同調した一種の変調と言えるものであって、日本固有の特色とは言えません。

加えて、描線と言うものが雪舟以降既に、狩野派の極めたものである以上、有限である線をもって無限を表すのは無理というもの、であり、行き詰まるのが当然であります。

日本文化の特色と言うのは、外国からの影響を廃して独自の文化が養成された時代の所産であって、藤原時代の雄麗さ、元禄時代の婉麗さ、この両時期のみに見られるものであります。 
もっとも藤原時代末期に鳥羽僧正の様な筆力軽妙の逸材も現れてはいますが、この時代の特色はあの源氏物語の様な着色豊富の制作群にあるのです。
その後、足利時代に抑えつけられた国風文化は桃山の豪華さを生み、次に、狩野、土佐、が現れたほか、文人派、写生派現れ、梅花桃李一時に渙発するように反動発達します。

中でも光琳による色彩印象派は空前絶後なる光彩を放っているのであります。ともすれば光琳を日本の南画であると言った評や、豪奢な装飾性のみに光琳らしさを求めるなどの評もありますが本当は主線画の中から古代の色線描法をを取り入れて千年の後に色的没骨を蘇らせた処に光琳の真価があるのであります。

不幸にしてそれを繋ぐものは出ませんでした。抱一独りがそれを継承せんとしましたが、写実派の影響が色濃く残り真価を受け継ぐまでには至らず、ましてその後は語るべき程の者が現れませんでした。
しかし例え光琳がいかなる大天才であろうとも今日20世紀よりすればなお、更なる進歩があるべきはずである、と私共は確信しているのであります。

我が国の絵画が諸外国に優先して遥かに高い印象派色彩派を有してきた事実を忘れ、軽々しくも、ラスキン一派の唱導に驚いたりターナーやドラクロアを称賛し、曳いては、ウィスラーにも劣るかの様な意識しか持たない者が居るばかりではなく、宗達、光琳による色彩的印象派すら洋画の模倣なりと成すような手あいが居ることは全く笑うべき愚かさであり、東西美術史の対比すら学んでいないわけであります。

私共の意図はただただ、絵画の大成にあるのでありまして、日本画の特徴のみを云々して満足することではなく、大和民族として生をいただいている以上は、風土による感化は自明のことであり、到らざる身ではありますが、画家として世に立つ以上は自分なりに独自の道を歩もうと存じ、外国の真似をするなどは深く恥ずる処であります。

全く今日、誰が真剣に絵画というものを研究しているでしょうか。いったい何人が胸奥に情熱をほとばしらせて独自の手法を志しているでしょうか。殆どの者は表面の図様を写すだけ、でしかありますまい。
元明時代の衣装に現代の色彩を塗りこめ、狩野派風の富士山を描いた横に円山派の雁の群を描き入れ、これこれの図・・などと、自称しているのも実に厚かましいばかりであります。
又、団体を組んで、何々研究などと自称している者も多くおりますが、ただ権力権勢を得んがために徒党を組んでいるだけのこと、でありましょう。昔から天才は各分野にわたってその才を示すもので、同一人が絵画彫刻建築、ないし、音楽文学に通じ、更には、科学工業政治等々にさえ渉れる者がおりますが、この研究は大天才にして初めて大成功を納めうるものですから、私共不肖の者があえて行おうとするも、無謀でありますが、如何せん時勢と境遇とに駆り立てられ、止むなく邁進する決意をいたしておるところでございます。

それ故、私共の生涯すべて修養中であり、自ら後を危うくすることは出来ない故に、門弟を養うことも叶いません。
然るに、何ということか、少し研究考察を深めた作品は、鑑賞者の目には止まらず偶々良し、とされる作品は殆ど全て、模擬踏襲のものばかり。否、むしろ従来作そのままを複製した様な作品でなければ良く認められない故に、今日いわゆる大家たる者も、それを肯定し、認められにくい追及をする愚を犯さず、ただ古人従来の模倣を平然とし、少々気鋭と自認し東西を参酌したと自称する者もその目的は観者への迎合である場合が殆どであります。

たとえ処世の為とは言え、軽薄姑息であることは免れず、とても百年の計、とは申せません。この様な時、私共が微力を尽くさんと、自ら危地へ志向するのは、止み難き覚悟の故であります。
この企図の成否は世の鑑賞者の何如に依っており、それ故に私共制作者の企図を今一度深くお考えくださいますよう。何となれば、僅かなる識者をのぞけば大多数の鑑賞者は所有作品の値上りを待つのみ、でありまして、その作品に対する一片の愛着すら持たない場合が殆どであるからです。

しかし、これはただ鑑賞者の罪ではなく、作家の側もその殆どが趣意もなければ自信もなく、金を儲けて豪邸に美人を住まわせることが終生の目標と言うような浅ましい境涯を出でないからでありまして、このようにして活ける芸術は死んだ調度品となり下がり、絵画を装飾と決めつけ、建築の部品と成す、という習慣に浸りきってしまうのであります。

芸術の自由は全くなくなり、悪戯に床の間の形に左右され、香炉花瓶の実用品と同じものとされ、茶道具扱いされて素晴らしい世界観、宇宙観をも見事に打ち消されてしまう訳で、こうなると、何をかいわんや、研究も進歩も今更全く無用の長物と言えましょう。

識者が言っている通り、探幽出でて狩野派衰え、光起ありて土佐派亡ぶる、が如き流弊の極みは、バルビゾン派の反動となり、ラファエル前派の勃興もこれまた自然の理と言えましょう。
このような一大危機に際し、専心研究し、ただ前途の開拓をもって自己の慰安とする私共の覚悟の程、上記の通りです。

幸いにも大方のご高察をいただくことが叶うならば、私共の素志も、ほぼ貫徹出来るチャンスもあろうかと思いますが、もし、不幸にして今生にてどなたにも御賛同頂けぬ時は、百年の後を期する他ありません。

私共は、徒に空論を述べようとするのではありません、作家としての手腕は実技にあり、その経験を重ねることが必須でありますから、ただただ多くの作品を制作して沢山のご批判の機会に恵まれれば、私共の趣意は自ずから明らかにされてゆくでありましょう。

不慣れにも言葉を弄したところでその意を十分には言い尽くせませんが大要は御理解いただけるのではないかと存じます。
乱筆乱文、ご容赦いただきますよう。 

 明治三十八年一二月 日本美術院 

     菱田春草 横山大観

                            






:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::



原文は明治時代の気宇壮大さ、覇気 、全文に漲っており、激越。

例えば、最後の一文は


然れども是れ独り鑑賞家の罪にあらず、

今日作家の多くは趣味なく自信なく、

ただ阿賭物を射て金屋阿嬌を蓄ふるを以て

終生の理想とする浅ましき境遇に有之候。

斯くの如くにして活ける芸術は死せる調度となり、

絵画の独立を奪ひて掛軸屏風の装飾と為し建築の手足となし、

習慣の奴隷となして了らんとする悲運に候。

茲に於いて芸術の自由は全く剥奪され、

徒に床間の形状に縛せられ、香炉花瓶の位置に動かされ、

一片の茶味を以て五彩絢爛の天地を蔽ひ去られんとす。

斯くては研究も進歩も今更無用の長物に類せずやと存候。・・・・・・・・・

云々・・・・・。




・・・・・ 「 しかし、これはただ鑑賞者の罪ではなく、作家の側もその殆どが趣意もなければ自信もなく、金を儲けて豪邸に美人を住まわせることが終生の目標と言うような浅ましい境涯を出でないからでありまして、このようにして活ける芸術は死んだ調度品となり下がり、絵画を装飾と決めつけ、建築の部品と成す、という習慣に浸りきってしまうのであります。

そして芸術の自由は全くなくなり、悪戯に床の間の形に左右され、香炉花瓶の実用品と同じものとされ、茶道具扱いされて素晴らしい世界観、宇宙観をも見事に打ち消されてしまう訳で、こうなると、何をかいわんや、研究も進歩も今更全く無用の長物と言えましょう。」





文章が立派なのは無論、本当に立派なのは、これを実証して見せた、こと!







posted by 絵師天山 at 10:00| Comment(7) | 日本画の真髄

2014年09月22日

魅惑の春草 H 秋野美人 

いよいよ春草展が始まります!

今年最高の文化催事はこれ!!!

日本文化ここに極まる展示・・・・
私は、初日、朝から行ってきます。


コチラは・・・・


【秋の夜美人】   明治39年作  横山大観記念館所蔵




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ちょうど、今頃の気配でしょうか・・・秋の夜長を過ごす和服美女・・・

左上のお月さまは、満月を通り過ごした、立待月・・・・

足元、周囲は萱、薄、女郎花・・・
僅かに月の光に照らされていますが、
佇む美女を引き立てるかのように・・・地味。

この作品は若干36歳で早世した春草のかけがえのない思い出として
盟友横山大観が、終生手放さなかった名品。

現在も大観記念館を飾る収蔵品の一つであります。

肩から背中への直線が、反対側の胸元から腕、裾への曲線と良く対比しており、
胸元、袖口、に覗く紅白の市松模様が鮮烈。

帯は藍色にさくら模様、浅黄色の呂か紗か・・・内着の模様が透けて
御彼岸頃の澄み切った夜長を心地よく演出しています。


虫の声が聞こえてきますか?

贅沢な余白があることで余韻が深く、気配さえ感じてしまう・・・

昨今ありがちな露悪趣味満載の描写しまくり似非絵画など
はるか彼方へ蹴散らしてくれるのであります!!!


暖色と寒色、曲線と直線、明と暗・・・・
反対の性質の昇華された結合によって、
要らざる説明を排除し、
面白いものだけをクローズアップ、
観者に快味だけ伝える力量。

院展現在の悪趣味的写実主義をあざ笑うがごとき・・・
当然こうで有るべき絵画・・・
なのであります。

日本的造形は和食と同じ。
うま味をいかに抽出して、いかに絶好のタイミングで提供し得るか!

そこに尽きる。

その典型が、菱田春草の作品群なんです。


後に春草よりも有名になった巨匠、大観も脱帽していた大天才です。




菱田春草展

会期  2014年9月23日(火・祝)〜11月3日(月・祝)

会場  東京国立近代美術館
    (〒102-8322 東京都千代田区北の丸公園3-1)
     http://www.momat.go.jp/

開館時間  午前10時〜午後5時(毎週金曜日は午後8時まで)
       *入場は閉館の30分前まで

休館日  毎週月曜日(ただし10/13、11/3は開館)、10/14(火)

主催  東京国立近代美術館、日本経済新聞社、NHK、NHKプロモーション

協賛  損保ジャパン日本興亜、大伸社

協力  旭硝子

助成  公益財団法人ポーラ美術振興財団

お問合せ  03-5777-8600(ハローダイヤル)




posted by 絵師天山 at 05:31| Comment(5) | 菱田春草

2014年09月16日

魅惑の百人一首 29


【凡河内 躬恒(おおしこうちのみつね)】

 心あてに折らばや折らむ初霜の置き惑わせる白菊の花

 こころあてにおらばやおらんはつしものおきまどわせるしらぎくのはな





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 “置き惑わせる”・・・・

何といっても、この詞が素敵!!

霜が降るような晩秋に楚々と咲く白菊は、清潔感そのもの。

霜だか菊だかはっきりしないくらい?
万物鎮まる頃・・・


“心あてに”・・・が次に来る強い印象。

あて推量に・・・あてずっぽうに・・・・といった意味でしょうか、

貫之と並び称せられた名歌人凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の歌は
本当にどれもこれも素晴らしい!!



日本画の世界に余白の美あり、
面白いところは誇張し、つまらないところは省略してしまう・・・という造形法がありますが、

この歌は正に一幅の名画。

白菊以外は何も描かないのに、晩秋の気、初冬の兆し、を感じ
霜が降りた様に感じさせてしまう描出力が冴え冴えとしている!

霜だか白菊だかどちらか解らないくらい?気韻に溢れているのでありましょう。

この様な名歌は、口語訳しようとどんなに苦心しても、つまらない説明に終わる。

つまり、和歌でなければ伝えられない真実をがっちり掴み取っている証である、と思われるのです。


定家は百人秀歌で、この歌を紀友則の歌

ひさかたのひかりのどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ

と対にしていますが、春と秋、しづ心なく、と置き惑わせる、とに
共通の普遍なる心を誰しも感づるが故でありましょう。

早朝に置かれた初霜の白さと競い合うように咲く白菊、
その見事なまでの清新さ、見まがうはずもない霜と菊との対比を誇張し、
適当に折り摘んでみよう、などど、実際にはしない行動まで提示してみせて・・・

実に見事な創意に驚かされるのです。

後の世に、この歌を駄歌!とこき下ろした正岡子規・・・・
その、子供じみた稚技こそ一笑されるべきでありましょう。

古今集の撰者となり、三十六歌仙のひとりである躬恒は、確かに大天才!!

躬恒集を読めば、心躍る得難い体験が確実に味わえます。
正岡子規の何倍も深いから・・・・








posted by 絵師天山 at 04:00| Comment(0) | 百人一首

2014年09月15日

魅惑の百人一首 28


【源宗于朝臣(みなもとのむねゆきあそん)】

山里は冬ぞさびしさまさりける人めも草もかれぬと思へば

やまさとは ふゆぞさびしさ まさりける ひとめもくさも かれぬとおもへば






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「冬の歌としてよめる」、と前書があり、
「かれぬ」は、枯れぬ・・・と、離れぬ・・・
「人目」は、離れ、「草」も枯れる・・・と言うわけ・・・


ひとめもくさもかれぬとおもへば・・・・と、
繰り返し口ずさんでみると、
枯れ離れ・・なのか、離れ枯れ・・・なのか
“かれぬ”というキーワードを通して
「人目」も「草」も、 寂寥感【せきりょうかん】 の中に同化してしまいます。

小倉百人一首は華やかな歌が多く、この歌の様に侘しい歌は珍しい。

けれども、冬の山里のしみじみした哀愁というものが、
平明な表現の中に良く詠い込まれています。

後に西行が、

さびしさにたへたる人のまたもあれな庵ならべむ冬の山里

と詠ったのが新古今集にあり、この源宗于朝臣の作品を本歌とした?
とまでは言えずとも、相似た心持ちであった事はまぎれもありません。


作者源宗于朝臣は、光孝天皇のお孫さまに当たりますが、
賜姓源氏として正四位下右京大夫に止まり、
大和物語には不遇を囲っていた宗于(むねゆき)が、冠位の上がらない事を和歌に託してそれとなく申し立てはしたものの、御門は『何事ぞ心えぬ』と、さっぱり御理解なく、宗于としては甲斐もなく終わった・・・と、あります。


地味だけれど味わいの深いこの歌の様に、少しのケレン味もない宗于の個性が御門には伝わりにくかったのでありましょう。

少々インパクトに欠けるのですね。

絵の世界でも、冬景色というものは、上手く描き切ってもあまり世間は認めてはくれないもので、
やはり、少々あざといくらい華美なる表現の方が目立つ。・・・・難しいところです。

華やかなる作品の引き立て役としては名脇役、なのかも知れません。








posted by 絵師天山 at 04:00| Comment(0) | 百人一首

2014年09月14日

秋のブログギャラリー


  今年は季節の移ろいが少し早め・・・
  秋も一足早く、仲秋の名月と共にやってきました。

  “もののあはれ”は秋こそ・・・



      
      

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秋の陽はつるべ落とし・・・・夜長の季節です。











posted by 絵師天山 at 04:00| Comment(0) | 天山作品紹介

2014年09月13日

感謝状


 総理官邸への作品展示・・・・・安倍総理から御礼をいただきました。


    

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ありがたいことです。





posted by 絵師天山 at 04:00| Comment(0) | アトリエ天山からのお知らせ

2014年09月11日

〜中秋の名月とともに〜 小品展開催

本日より開催されます


        
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コチラは新作!
出来上がったばかりです



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       仲秋千歳山




       

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       あこや姫  




 山形市内、全山赤松の千歳山、それは美しい山。その昔、千歳山の麓に住んでいた琴の名人あこや姫様が、千歳山の松の生霊に恋して・・・・麗しい恋物語が伝承されています。
近年、観世流宗家が【阿古屋】を復曲したのは有名で、山形の千歳山に伝来する悲恋物語をテーマに世阿弥自筆本にあった曲を復活させたのです!







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 どうぞ御高覧下さい






     
posted by 絵師天山 at 01:00| Comment(0) | 天山作品紹介

2014年09月10日

第99回院展に思う



今年の9月1日は、月曜日に当たり、

例年必ず9月1日から開催されてきた院展が9月2日からのスタートとなりました。

大正12年の関東大震災が9月1日。今日では、防災の日とされています。

院展では創立者岡倉天心先生のご命日に当たるので、9月1日の院展初日を無事終えて、
明くる2日には、天心霊社の前で額ずき院展開催を天心先生の御霊に御報告するのがしきたりであります。

今年は、午前10時から天心例祭が執り行われ、つまりは、開催当日にまず御報告、感謝申し上げたので、本来この方が、順序に適っているのかも知れません。

東京都美術館の月曜休館という原則によって、2日からの開催となりましたが、まず、開催の御報告を霊前に申し上げてから、展覧会が始めるのが筋・・・でありましょう。

99回も続いてきた事は、手前ミソでも何でもなく実に稀有なことでありまして、世界的に見ても文化の継続をこのような形で重ねてきたのは勿論日本ならでは。院展なればこそ。

来年は100回となるので、御承知の様にこの春、大々的に記念展を開催したのです。

ひとえに天心先生の御蔭と申して良いでしょう。
創立同人の要であった横山大観先生も常日頃から院展事務所の敷地内にある天心霊社への参拝は欠かさなかったと聞き及んでおります。

    

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         天心霊社に詣でる横山大観先生


近世では、乃木神社とか大山神社。など・・・
古代には人麻呂神社や、楠木正成神社など・・・
生前に桁違いの偉業をなした偉人を顕彰して神社を建立。
以後、神様として祭ることは日本においてはごくごく当たり前の事でありました。

院展存続の核心はこの天心霊社にある、のかも知れません。




ありがたいことにその末端に列座させていただき、毎年精進のチャンスを得ている事に改めて脱帽しております。

今年の拙作は【浄闇】第62回伊勢神宮式年遷宮遷御之儀




     
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       同、部分図




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       同、部分図



東京展は15日まで、京都から全国に巡回展示されます。
どうぞ御高覧下さい。







posted by 絵師天山 at 12:42| Comment(0) | 院展

2014年08月26日

魅惑の春草 G 六歌仙


六歌仙(ろっかせん)とは・・・・
『古今和歌集』の序文のひとつ「仮名序」において、
紀貫之が「近き世にその名きこえたる人」として挙げた6人の歌人の総称です。


僧正遍昭(そうじょうへんじょう)
在原業平(ありわらのなりひら)
文屋康秀(ぶんやのやすひで)
喜撰法師(きせんほうし)
小野小町(おののこまち)
大友黒主(おおとものくろぬし)


既に超一流、当代随一!と、定評のあった紀貫之さま・・・
・・・・が選んだ・・・・ビッグ6、の歌人。



そして、

若干24歳の菱田春草が描いたのはコチラ





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       【六歌仙】 二曲一双   明治32年作

             日本美術院横浜絵画共進会出品







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小野小町は紅一点だから間違えようがなく、

在原業平も高位高官だから、装束ではっきりしており、

大友黒主、文屋康秀、もわかりましょう・・・が、

僧正遍昭と喜撰法師の区別が分かりにくい???


部分図を良くご覧になると、

線描は残っているが、線を無くしてしまいたい意図が感じられます。

無線への願望がよく表れている作品で
後に・・・


終いには、ホントに無線になってゆく・・・・
そして又、線に回帰してゆく・・・・




それにしても、凄い・・・

春草若干24歳



posted by 絵師天山 at 05:00| Comment(4) | 菱田春草

2014年08月25日

秋の装い・・・・

厳しい残暑、雨による被害・・・・
オカシナ天候が日々の暮らしを直撃しています、

が、
着実に秋の気配も・・・・。

藝術の秋!!

あとりえ天山製作の工藝画をご紹介しましょう。
珠玉の様な小品をどうぞお楽しみください



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   お問い合わせはコチラ   

    http://nihongaka.jp/








posted by 絵師天山 at 17:33| Comment(0) | アトリエ天山からのお知らせ

2014年08月21日

魅惑の百人一首 27


【中納言兼輔】(ちゅうなごんかねすけ=堤中納言)

甕の原わきてながるるいづみ川いつ見きとてか恋しかるらむ

   みかのはらわきてながるるいずみがわいつみきとてかこいしかるらん






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“みか(甕)の原”、は、山城の国相楽郡にある地。

“いづみ川”、は、今の木津川で、みか(甕)の原を貫流しています。
“いつ見”、に掛かっている・・・・


中納言兼輔は、鴨川の堤に屋敷を構えたので、堤中納言とも呼ばれ・・・

三条右大臣、藤原定方、と共に醍醐天皇の延喜歌壇を形成。

古今集成立にも貢献した、と言われています。



甕は、カメで、水や酒を入れるカメのこと・・・
甕を埋めたところから水が湧いた!
という、伝説が古くから言い伝えられていて、
湧いて流れ出したいづみ川の清流がせせらぎとなり
奔流と変わる様に
恋も膨らんでゆく・・・・

貴方様を“いつ見”た?・・・
と言うので、こんなにも恋しいのでありましょう・・・

いつ、どんな風に、見染めた?
とも・・・定かな記憶もないままに、
いつしか恋ひ余る心を、
持て、扱いかねております・・・

なかなか複雑ですが、言われた女性の方からすれば、
かなり心地よく響く歌でありましょう。

止まりはしない水流の様に、
恋心が軽やかに押し寄せてくる、のですから
こんなにも深い思い入れを表白されたら・・・

もう・・・・なびいてしまい・・・・。






posted by 絵師天山 at 05:00| Comment(0) | 百人一首

2014年08月20日

魅惑の百人一首 26


【貞信公】(ていしんこう=藤原忠平)

小倉山峯のもみぢ葉心あらば今ひとたびのみゆき待たなむ

   おぐらやまみねのもみぢばこころあらばいまひとたびのみゆきまたなん





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醍醐天皇の御代に関白太政大臣となり、藤原摂関家の栄の基となるのが、
この作者、【貞信公】(ていしんこう=藤原忠平)であります。

宇多上皇が晩秋の嵯峨野に遊び、その皇子、醍醐天皇にもこの紅葉を見せたいものだ、とおっしゃられたとき、それにお応えして関白太政大臣 忠平 が詠進しました。

今一度行幸を得たいものでございます・・・・と。


【貞信公】とおくり名された忠平の父はあの陽成天皇を狂人扱いして排帝し、まだ年若き光孝天皇践祚(せんそ)をゴリ押しした藤原基経。

兄は、藤原一族の繁栄を曇らせた菅原道真を大宰府へ追いやった藤原時平。


小倉山の紅葉は、この行幸をきっかけに以後、紅葉の名所とされる様になりました。

小倉百人一首としては小倉山を称える歌は、是非加えたかった処・・・・

選定した定家の願いに、この和歌は実にピッタリだったのですね。


【貞信公】はおおらかな人柄の様にも見えますが、小倉山の紅葉が勅題で、数多の和歌が詠まれた筈なのに、この歌だけが輝いている・・という事は、あるいは、他の知られざる沢山の詠歌は、【貞信公】の権勢によって蹴散らされたのかも???

選定した定家も藤原氏ですから・・・


政治の実権は摂関家にありましたが、醍醐天皇は寒夜には、自らの御衣をお脱ぎ給わって、貧しい庶民の労苦を思い遣られた・・・と「大鏡」に記されています。

バランスの取れた大名君であられました。

お仕えした【貞信公】も、その余徳で輝いたのであって・・・


後の後醍醐天皇は、この醍醐天皇の御徳を慕われ、範とされ、自ら後醍醐天皇と名乗られた、と聞き及びます。















posted by 絵師天山 at 05:00| Comment(0) | 百人一首

2014年08月19日

菱田春草展近づく!


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 僕の名は黒き猫。

 近代日本画史上、最も有名な黒猫らしい・・・

 僕は明治時代の日本画家・菱田春草の筆から生まれた。

 この天才は、ぼくをわずか数日で描き上げたのだそうだ。

 しかし、彼はその一年後、数々の名作をのこしつつも

 36歳の若さで早世しているから、人生はわからないな。

 そんなドラマチックな生涯を送った、わが主人の回顧展が

 間もなく開催されるらしい。勿論僕も出演する。

 偶然目があったあなたにこそ、ぜひ、遊びにきてほしい。

 今年の秋、東京国立近代美術館の

 「菱田春草展」で、会おう。

 

  2014、9月23日〜11月3日

    東京国立近代美術館
   



  今年の展覧会のハイライトが近づきました!!!!




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これを見逃す手はありません!!!!






posted by 絵師天山 at 05:00| Comment(1) | 菱田春草