2015年03月26日

理想美術館 7   小堀鞆音作 【武者】

小堀鞆音(ともと)作 【武者】(もののふ)





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              明治30年 







永遠の大傑作です!
これぞ大和絵!!
芸術に新旧などあるはずもなく
日本画こそ世界最高の芸術たることを
この作品は実証しています・・・
いくら絶賛しても足りないくらいの名作!!!

スバラシイ!!!!

現在は東京芸大付属美術館所蔵で
めったに開陳されることもなく
保存されてきました・・・
が、
栃木県佐野市のお生まれなので
佐野市では先般、没後80年展を開催
その威容を垣間見ることが出来たのです。


実は私もいつか武者絵を描いてみたくて
研究をささやかに続けており
以前、芸大の古田先生にお願いして
大学の保管室で拝見させていただいたことがあり
授業の一環として武者絵を採り上げていることを
その時に知り、
さらに鞆音の画稿も同時に拝見いたしました。
そのあたりから嫡孫である
小堀桂一郎先生とのお近づきを頂いて
大和絵の神髄について
直接学ぶことが叶った訳です。


佐野市吉澤記念美術館では
没後80年を記念して
鞆音の作品群が陳列され
初見の作品も・・・
中には行方が不明となっていた屏風もあり、
それはもうウットリ・・・
しかも小堀桂一郎先生の記念講演さえあって
忘れ難い一日を過ごしたのでした。






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             同 部分図







小堀鞆音(ともと)画伯ご自身の言葉に触れてみましょう。


【歴史畫は故實に拠るべし】


歴史畫(れきしが)を畫(えが)くには、能く当時の風俗習慣を調査し、成るべく其時代の風俗に当嵌るものを畫かなければならぬ、然るに此事たるや、至って困難な事柄であるから、割合に材料の豊かなるに係わらず、畫家は動(やや)もすれば、此方面から遠ざからんとする傾向がある、試に事實に就いて見れば、年々の文展若しくは展覧会と称すべきものに、古實(こじつ)を畫いたものの少ないに見ても分かる、勿論古實の少ないのは、当時現代の嗜好若しくは、其他の事情にも依るであらうか、他に一つの原因は、畫家殊に新進の畫家が煩を厭ふて此方面を研究するのを避けんとするに依るものであらう。


歴史畫を畫くには、困難が伴ふ、彼の熱いとか寒いとき云ふような、山の色や野の景は、天然の大景に触れて、其儘(そのまま)有りのままに畫くことは出来るから、割合に困難でないけれども、歴史上の古實を畫くには、種々其時代の遺物を調べねばならぬので、天然物を手本として、写生するよりは余程煩難(はんなん)ではあるけれども、古實物には云ふに云はれぬ、曲雅(きょくが)な趣がある、殊に我が国は幸いにして、徴すべき文献に乏しくないのは、此方面を研究する人にとっては殆ど天幸と云ふてもよい程である、絵巻物に就いて云ふても、今日残存して居るのは悉く名畫、大物ばかりと云ふことは出来ぬけれども、当時の風俗を有りの儘に畫たものは少なくない、殊に足利時代のものには此傾向がある、加ふるに是等の中で名のあるものは、風俗を其通り畫いた上に、高尚で気品のあるものは多い、其後御所には、高倉家、山科家などがあって、装束のことを司って居ったが、是等の人々は段々没して了って、その流儀も廃れ、今日となっては唯僅に葵祭に依って、其命脈を保つに過ぎぬのである、斯様な訳で歴史畫は中々面倒で、古實を調べ上ぐるにも、困難であるから、徳川時代にしても、公卿が束帯(そくたい)をつけるにしても、大名が太刀を佩(は)くにも、其れぞれ作法があり、儀式があったもので、我流を許さなかったものである、又太刀と云ふても、束帯の時のものと、武装の時とは違って居る、弓に就いて云ふても、源平時代のよりは、徳川時代に至るまでは、その変遷は著しくあるから、唯漫然と古實を調べず筆を取るときは歴史畫は全然失敗に終わるものである。

歴史畫は斯様に面倒であるから、却て調査に困難であるけれども、青年畫家にして努力を惜しまずんば、幸いにして参考品には乏しくない、勿論強いて歴史畫を作らねばならなぬ必要もないけれども、国家を建てて居る間は、前代の前賢古哲、忠臣孝子の事實を描写して、後世に伝ふると云ふことは、時代の民を教化するに、非常に力あるものと思ふ、然るに今日に至るも、此方面に進歩を見ないのは、全く青年畫家の努力の足らないのと云はざるを得ぬ、兎に角議論は暫く措(さしお)き、歴史物は野山の實景を其の儘に描くよりは、余程困難であると思ふ。(大正三年四月)








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                大礼服の小堀鞆音画伯





【弦廼舎畫談】(つるのやがだん)
弦廼舎とは、鞆音画伯の蔵書群をまとめた文庫のことです





私は今回文展へ渡辺橋に於ける正行(まさつら)を描いて出しました、この図はあまり是迄外で見たことはありませんが、先年上田萬年博士が萬国会議に際して、この美談を担ぎ出し、一等国民の見本としたとのことであります、私はその前25年の美術協会に、佐野常民氏が会長で赤十字に関係を有たれる処から、この図を試みましたが、それは縦物で、今回のは五尺二寸に三尺七寸の横物で、参考としては太平記ばかりであります、實は先年清浦子爵から吉野皇居へ参内の正行(まさつら)を描いてくれとの事でありましたが、矢ッ帳り渡辺橋の方に気が向いて、今回急に仕上げて文展に出し、来年はこれを桑港博覧会に出品し、その上図が気に入ったならこれを清浦子爵にさし上げたいと思ふております。


文展も一科二科が合併され、鑑別も今年は楽でありました、今は何々流派と云ふように劃然(かくぜん)と区別が立たず、数百年来研究した事をいささか打ち破って居るやうであるが、速成の畫はなかなか昔のような考へを以って居ては行かぬと見えます、が結局其の筆趣が元へ戻って来るやうに思はれます、昔の人は半生涯を模写で送ったものでありますが、今は何でも写生一点張りで、もとより写生が絵の結局でありますが、いきなり写生となりますと、写實には到達しても絵畫と云ふものにはなりません、それ故私どもでは臨写(りんしゃ)、模写の習練を積ませて、それから写生に取り掛からせるのであります。


それから色彩のことでありますが、近頃は滅茶苦茶で、線をきちんと引く絵を描くのは骨が折れるから、色彩で胡麻化す傾きがありますが、その色彩が甚だしいのは護謨(ゴム)で固めたものを用ひて居る、裏打ちする間が保たれぬ程のを平気で用ひて居る、先年セントルイスの博覧会に出品した日本画の返ったのを見ると、絵の具は剥落する、変色する、見られたものではなかった、農商務省の役人たちは非常に心配して、こんなものは出品者に返す訳には行かぬ、どうしたら宜しかろうかと云ふことになって、その相談が博物館にありました、すると博物館には美術学校第一期の卒業で溝口禎次郎と云ふ気の利いた人が居まして、それは少しも御心配に及ばぬ、こんな米国へ一航海したばかりで、剥落したり、変色したりする不体裁な絵を出品したのは怪しからぬといって、一々呼び出して、叱ってお返しなさって差し支えないと云はれた、それで農商務省の方でも胸撫で下ろしたといふ話であります、實に呆れ返ったことであります。


併しながら決して今日でもこれが改まった訳ではなく、否
盛んに行はれて、真に五十年なり百年なり其の色彩を保つほどのものを用ひるのは少ない、随ってその描く所のものも、ただ一時の人気に投ずるやうなものさへ描けばよいと思うて居るらしい人が多いのは、まことに嘆かはしいことであります。
(大正三年四月)






いずれ、この大傑作は御物となるべきハイクラスの玉品ですが、
陛下のお手元に届く前にコソッと・・・
ケシカランことですが・・・
理想美術館で展示させていただきたいものと・・・・・




御参考までに嫡孫小堀桂一郎先生による評伝
【小堀鞆音】が,昨年ミネルヴァ書房から発刊されております、

「やまとごころ」の造形に生涯をかけた画家、・・・・という著者の言葉をお借りすれば・・・

『・・・・鞆音が復古大和絵と呼ぶのが妥当である画法を生涯頑なに守り、画題の点でも歴史画といふ枠の中に立ち籠ってそこから一歩も踏み出そうとしなかったのには確乎たる信條に基く意図があった。彼が目指したのは、日本の古典文学の厖大な遺産が蔵している実に豊かで深い精神の美の世界を、人の想像力に訴へるのに適した画像の魅力を以て伝え、記憶に留めてもらふといふ事業だった。・・・』

とあり、自らのおじい様を語ったこの評伝は実に一読に値するものであります。



         

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         ミネルヴァ日本評伝選
        ー歴史畫は故實に拠るべしー小堀鞆音









posted by 絵師天山 at 05:00| Comment(4) | 理想美術館

2015年03月25日

春の院展初入選!

あとりえ天山で日本画を学んでいるF氏が初入選しました!
広島県在住のF氏、
お仕事の傍ら
日本画の美しさに魅かれ・・・
始めは通信技法講座を受講、
さらにお仕事のついでにアトリエまで来られるようになり
御熱心故・・・どんどん上達され
以来数年・・・・になりますが
此の度めでたく春の院展に初入選されました。


瀬戸内の港の夜景を描いたお作品、なかなかのお作品。
堂々たる初入選です!


第70回春の院展は本日から


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日本橋三越本店7階特設会場で
6階では同人小品展も同時開催です





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           倣光吉若紫之図  6号





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           同 部分





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            部分



御高覧いただければ幸いです・・・・




posted by 絵師天山 at 05:00| Comment(6) | アトリエ天山からのお知らせ

2015年03月24日

理想美術館 6   松岡映丘作 【春光春衣】


松岡映丘作 【春光春衣】





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                大正5年 160×70p






作者35歳の作品ですから早熟の天才画家と言ってよろしい。
日本画は含蓄の芸術とも言われ、
どこまでも奥が深いので、
ある程度の年齢を経ないとその人らしさが稔らない。
漸くその人らしい表現力が頭角を顕すのはだいたい中年にさしかかる頃・・・
天才肌の絵師でも30代40代に入らないと本格的な創作性が出てこないのが通例で、

勿論菱田春草のような桁外れの早熟なる大天才、という例外もあり、
奥村土牛の様に80歳になって代表作が生まれる大器晩成型もありますが・・・


松岡映丘(まつおかえいきゅう)は
明治14年、
兵庫県の医者の家系に八男として生まれ、
兄に民俗学で有名な柳田國男が居ます。
昭和13年56歳で没したので
画家としては長命を得ませんでしたが・・・・



生涯をかけて≪日本画らしさ≫を追求、
大和絵の復興こそ彼の最大の関心事でありました。
現代の自称日本画達が本当に学ぶべきは
こういう絵師の画業。
道半ばにして亡くなられたとは言え、
この作品の様に朗らかで明快なる作風であり、
少しのケレン味もなく
ただただ美しく芳しく心地よく・・・・
香気ただよう様・・・・
春風に吹かれる如し・・・・


春の一日
マイ美術館にこの絵を陳列し
極上の日本酒で一杯!!
肴は焼き蛤!
・・・・・って感じでしょ?


35歳という若さでこんな境地に達した事は素晴らしい!


大東亜戦争勃発直前
時あたかも皇紀2600年記念の年
国威宣揚の渦中にあり
時代の流れに抗うことが出来た最後の時期に亡くなられたので、
くだらない欧米風の影響がそれほど観られないことも
この絵師の業績を輝かせています。


ちょうどこの春に奈良県立万葉文化館で大々的な回顧展が開催されていますのでご紹介しましょう。


松岡映丘ー古典美の再興ー
柳田國男 井上通泰、松岡映丘ら松岡家の人びと
平成27年3月21日〜5月10日


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東京美術学校の教授職を勤め
数多の弟子たちを育て、
それぞれが相当な活躍をしていますので
現代日本画壇の基礎を打ち立てた人といっても宜しい。

ホンモノの大和絵を学生に教える事が出来た
最後の芸大教授?であるかもしれません。


つい二三年前には東京でも回顧展が開催されました。

日本画らしい日本画がなくなりつつある現代
再び脚光を浴びるのも当然、というべきでありましょう。








posted by 絵師天山 at 05:00| Comment(3) | 理想美術館

2015年03月23日

魅惑の百人一首 59  赤染衛門(あかぞめえもん)

【赤染衛門】(あかぞめえもん)

やすらはで寝なましものをさ夜更けて傾ぶくまでの月を見しかな

   やすらはでななましものをさよふけてかたぶくまでのつきをみしかな





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            天山書画





ためらわずに寝てしまえば良かったのに
あなたがお越しになるかも知れないので
待ちわびて月が西の山に傾くまで見てしまいました・・・
と、言うわけですね。


“やすらはで”は、ためらう、躊躇する、こと。
小夜ふけての“さ”が良い。
夜が更けてでは可愛らしくないし
さよ=小夜、が効いています。


“なかの関白 少将に侍りける時、
はらからなる人に物いひわたり侍りけり、
たのめてこざりける
つとめて女にかはりて詠める”


『なかの関白』は、
中関白道隆(妻は前出儀同三司の母)
藤原道長の兄でしたね。

『なかの関白』家、と言えば始めはときめいて、
後、お気の毒な運命を辿る
頂点を極めた道長の陰に甘んじてしまった家系。


道隆がまだ蔵人少将であった頃に
作者赤染衛門(あかぞめえもん)の姉妹と情を交わしあっていたけれど、
心当てにさせながらも結局来なかった翌朝、
姉妹に替わって代作してあげた恨み歌なのであります。


さすが名人
代作とは思えない程に親身なる心情に溢れており、
作者自身にも思い当たる経験があったものか、
男の不実な約束やぶりを恨みながらも、
男のことなんか忘れようとして?
山の端に沈みかける月に向って精一杯感情移入している切ない女心・・・・


なぜ赤染衛門(あかぞめえもん)などと、呼ばれているのか?
それは、右衛門尉(うえもんのじょう)赤染時用の娘だったから・・・


母は、始め平兼盛の妻だった、
が、妊娠したまま離縁して時用に嫁ぎ彼女を産んだので、
実父は平兼盛なのかも・・・・。


道長の妻倫子(りんし)に仕え中宮彰子(ちゅうぐうしょうし)にも仕出した後、大江匡衡(おおえのまさひら)に嫁し、長寿を得てお幸せに暮らしたとか・・・・

ケレン味のない穏やかな作風ながら
溢れだす真情、
ほとばしるような情熱さえも
賢い理性でコントロールできてしまうお人柄・・

一見あっさりしてるけれど
実は非常にバランスの取れた才媛・・・・。
代作の名人でもあり、
誰もが好感を抱く作品が多いのです。







posted by 絵師天山 at 05:00| Comment(4) | 百人一首

2015年03月22日

魅惑の百人一首 58  大位弐三(だいにのさんみ)

【大弐三位】(だいにのさんみ)

有馬山猪なの篠原かぜ吹けばいでそよ人を忘れやはする

   ありまやまゐなのしのはらかぜふけばいでそよひとをわすれやわする
  




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             天山書画





『猪名の笹原』
という歌枕が共通項=前提、になっています。
猪名はゐな。つまり否。
有馬山は神戸六甲山あたり、有馬温泉方面のこと。
ずいぶん昔から手頃で身近なリゾート地であり
『猪名の笹原』はその中でも少々ウラ淋しい処として
人の心に『寂しさ』を想起させる印象的な地なのです。

歌枕の効用で、
『猪名の笹原』といえば誰もが『寂しさ』を感じる仕掛け。


前書きには
“離れ離れなる男のおぼつかなくなどいひたりけるに詠める”
とあり、最近トンとご無沙汰になっているくせに、
“おぼつかな”・・・・などと、
何を思い出したのか図々しくも女性の心を疑ってみせた・・
そのトンチンカンなる男に向けて言い返した歌なのであります。

女性の方には男の不実さがとっくに知れている・・・


“そよ”と言えば、そよ風、ですが
それを“そよ人”と言ったのは
そよ風みたいに頼りない男、というイメージが込められ
“おぼつかな”と言って寄こしたことを捉えて、
いでそよ人・・・・さあ、そこですよ
どうして私が忘れたりしましょうか!
お忘れになったのは頼りないあなたの方でしょう!!!
と、ヤンワリ言いかえしている訳ですね。


角を立てずに、相手の不実を正してやり返す。
鮮やか、かつ微妙?な心境の佳作であります。


紫式部を母に持ち中宮様にお仕えし後冷泉天皇の乳母ともなられたお人ですが、
母に劣らぬ才媛であったのでしょう。
大位弐三(だいにのさんみ)と言う呼称は、
正三位と言う位で大宰府大弐(だざいふのだいに)と言う役職に就いた
高階成章の妻となった故の呼名。
藤三位(とうのさんみ)とも呼ばれたので、
何しろ天皇陛下の乳母ですから、偉い!!



posted by 絵師天山 at 05:00| Comment(3) | 百人一首

2015年03月21日

第70回春の院展開催

終戦直後から始まった春の院展
今年は第70回展を迎えます
同人作品はじめ入選作品約300点が勢ぞろい・・・
どうぞ御高覧よろしくお願い致します。





        
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           図録表紙絵は【羽衣】天山筆



天山出品作品は
【遊魂・和泉式部】50号   


           


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             部分




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             同 部分





“近くて遠きもの、鞍馬のつづら折”・・と、枕草子の語る洛北鞍馬寺。さらに山道を辿り深い杉の森を歩めば薄暗い木立の間から貴船川の細流が望まれ、貴船神社は涼を求める夏の景勝地。平安王朝の貴女たちがしばしば参籠した清らかな神域です。
古今著聞集に曰く『和泉式部、をとこの離れ離れに成りけるころ、貴布禰に詣でたるに、蛍の飛ぶを見て、
・・・もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出ずる魂かとぞみる
・・・・と、詠めりければ、御社の内に忍びたる御声にて、
・・・・奥山にたぎりて落つる滝つ瀬の玉ちるばかりものな思ひそ・・・、その徴ありけりとぞ。』
神様さえ感銘なされた和泉式部の名歌を画因としました。







同時開催6階画廊同人小品展作品は
【倣光吉若紫之図】6号




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いずれ、平成の源氏物語屏風を描く予定なのですが、研究を深めてゆくにつれ土佐光吉の存在が大きくなって参ります。昨年は和泉市にある久保惣記念美術館収蔵となっている光吉作品が新たに重要文化財指定となりました。珍しい例です。正統派大和絵の巨匠に再び光が当てられた事になります。源氏物語文化を継いで、いつまでもすたれぬ倭絵を描き綴りたいと思います。








  
posted by 絵師天山 at 05:00| Comment(2) | 院展

2015年03月20日

日本画らしい日本画   続きの続き

日本画の筆にはさまざまあって、


最近薦められたモノに20連筆・・・というのがあり、


連筆(れんぴつ)とは丸筆を横に並べてくっ付けたもので・・・
つまり、20本の丸筆を横並びにしてくっ付け合わせ、
真ん中の二本の軸を残してあとの軸は切り取った・・・・
シロモノ!


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何に使うかと言えば
明治以前にはなかった新岩絵の具を
分厚く塗りこめるときに便利。
天然岩絵の具でも粒子の荒い絵の具を
広い面積にムラなく重ね塗りする用・・・・


額縁絵画の申し子みたいなものであります。

宮内不朽堂という筆店の新作であり、
このブランドは専門家は皆が知っている老舗・・・
この店の新商品はなかなかに人気があり、
若い人などはこれに憧れる・・・


だが、私に言わせればこんなものは
べつに、要らん・・・
不用?・・・どころか全く、ケシカラン存在で、
(別に不朽堂に恨みがあるわけじゃあないのですが・・)
額縁絵画奨励品としての広告塔みたいなものなので
日本画らしい日本画にはちょっと・・・

実に驚くやら呆れるやら・・・・

西洋風に魅せられ
本来の日本画=大和絵をないがしろにし
欧米に学び、いかに先取りするか・・・
が、最優先課題で、・・・大流行だった時代、
後に名をなした大家巨匠達もまだ若かったころ・・・

薄塗りで勝負しなければ認められなかった掛け軸から解放されて
いくら厚塗りをしても叱られない額縁絵画を見出し
新しい挑戦状をたたきつけ、
どんだけ厚塗り出来るかを試しているときに
この連筆は産まれたのです。


それが進化して20連・・・・・!!

目新しい技法を模索していると
自然の欲求で新しい道具も産まれる・・

で・・・・画面を立てかけて
この連筆にたっぷりと粒子の荒い岩絵の具を含ませ
画面に当てれば、引力によって連筆から絵の具が画面に下りて行き
流れ出す絵の具を上手くコントロールすれば
あら不思議・・・・いわゆる流し塗り!の出来上がり。

引力を使って面白いマチエールを生みながら平均に厚塗り出来る絶好のアイテム!!

皆こぞって連筆に注目し・・・不朽堂も大いに潤った。

が、この流し塗り、・・・・・
一定に出来るムラ、をコントロールし引力で流れ落ちる作用を利用して気持ち良く荒い岩絵の具の重ね塗りが出来るのは良いけれど、致命的な弱点があって、上手く出来るようになると誰でも同じマチエールが出来てしまう・・・・つまり、筆技によって生まれる個性は全否定されてしまう。


上手くなると皆同じ絵肌になるので、始めは面白がって得意になる人が続出したけれど、ある程度こなせるようになると誰でも飽きる。
誰がやっても同じ結果・・・だから・・・描いている本人が飽きる・・・ので、見せられる方は・・・もっと飽きる。
その人でなければできない表現に魅せられて、絵画の魅力を追いかけるものなのに、・・・金太郎あめみたいな絵肌では・・・・・・見慣れてしまえばその魅力は急激にしぼむんです。

それでも、初歩の段階で古典的な掛け軸技法、【薄塗りで深みを出す】訓練をした後に連筆に出会った一時代前の巨匠達は、基本の技法が出来ているから連筆で金太郎あめ表現になってしまっても、他ににじみ出てくる風合いがあり、ゆるぎのない深い味わいがあった・・・
が、基本が何もない人が連筆の威力に魅せられてしまうと、その偶然性に頼る癖がついてホントのその人でなければ表せない表現を求める姿勢は去勢されてしまう・・・・誰が描いたのかわからない・・・・皆同じだから区別がつかない・・・つまるところ見事に、没個性なる劣化現象が顕れる・・わけであります。


喜ぶのは厚塗りによって沢山絵の具が売れる絵の具屋と、連筆で儲かる筆屋。だが、見る人が飽きれば描く人も使わなくなるので、結局嬉しさも一時的でしかない・・・・


 



≪胡粉は使わない≫≪墨は久しく擦ったことがない≫

とウソブク、自称日本画家も激増しています!!!


絵具店に並べられた絢爛豪華な岩絵の具を連筆・・などを駆使し
写実的にべたべた塗りまくるのが現代風の日本画!
・・・と勘違いしている人が溢れてしまった・・・
日本画らしくも何ともないのに日本画をやってますと言い放つ。


墨を擦って線描をし、そこへ胡粉に混ぜた絵の具を薄く塗り重ねてゆく・・・
掛け軸時代にはそれ以外になかった・・・のに・・・


典型的大和絵技法は完全に捨て去って、
そんな技法の存在することすら知らずに、・・・

胡粉と墨は無用の長物である。
とする・・・・
自称日本画家達は
日本画を描いているはずの自分でさえ
日本画の独自性が何なのか解らないのに
それでも日本画だと言い・・・

日本画だと思いたい・・・・

実に馬鹿馬鹿しいほど欧米の呪縛に囚われ
しかもそれを決して放そうとしないから
不思議なくらい縛られている事に気付かず
何でもかんでも欧米のフィルターを通さないと気が済まない
し、そこから抜け出そう・・とも思えなくなっている。


それどころか、我先に目先の新しさ(=未経験な自分にとっての新しいこと)には飛びつき
真の芸術に新旧など有り得ない、という鉄則は完全に忘れる。

現代アートという造語は環境ホルモンと同じようなもので
現代的錬金術のスローガンでしかないのに
ツラレル・・・・・水玉婆のように・・・?
アートに現代を付けた時点で既にオモイキリ怪しい・・のであります。


始めは誰にも描けない、夢の様な独自の絵画を創作したいという真摯な心だったのに
そこへ向かうルートからはるか遠くへと、自分から離れてしまうことがままあるので・・・。

もう少しマシな日本画らしい日本画を目指したいもの・・・・



かく言う私も人の事は言えません・・・けれど・・・

日本画とは大和絵のことであります。

ごく当たり前な・・この事に
・・・早く気付かないと・・・・・。






posted by 絵師天山 at 00:30| Comment(2) | 日本画の真髄

2015年03月12日

日本画らしい日本画   続き

日本食の素晴らしさに出汁(だし)がある。
うま味を引き出す魔法の様な・・・魅惑のお出汁・・・


漆椀に盛られた透明なお吸い物などがその典型、
見て良し食べて良し、
たった一椀で、あらゆる人を唸らせることさえ出来る。

その繊細華麗なお吸い物に限らず、
お出汁文化である日本食は世界を席巻するくらいの
ダントツの存在感を誇る・・・

本来の日本画もそれと同じ。
いや、同じでなければならない・・・・はず。


錬金術とか、市場性、・・権威の象徴・・
威圧のための武器、自由を奪うための道具
支配するためのアイテム・・・等々

美術と称した醜術だらけの世界にあって
日本画だけはホントに美しいものなのであります。
いや、
ホントに美しいものでなければ日本画ではありません。


日本食の中核がお出汁であるように、
日本画の核は筆技。

前回にも語りましたが・・・・

つい百年くらい前までは、現代人が全員携帯を持っているように幼児以外すべての日本人は筆を持って暮らし、識字率は常にダントツ、勤勉なる国民性ですから、当然皆が日常茶飯事、筆で字を書いた。

絵を描かないまでも筆で字を書くのはごくごくありふれた日常だった。
筆しかないから・・・・

で、字の上手下手が当然の関心事であって、
下手な人はいつも上手くなりたくて、
字で人に後れを取るのは恥だった。


誰もが矢立(ヤタテ)という、
墨壺と筆がセットになっている便利な携帯筆記具を持って外出し、
どこの家にも硯と墨と筆、
文房具の三点セットが二つ三つ当たり前にあり、
小さな子でも墨をする事は当然のお手伝い・・・
すべての人が繊細な筆に慣れ親しんでいた・・・


現代人は、
小学校で書道をかじるから簡単な書道セットを揃えるが、
書き初めの宿題でも出なければ、家で墨を擦ることもなく
めったに筆を使うこともありません。
学校の授業で水彩絵の具は使うが、
字を書く筆とは違って塗沫・・・
ぺたぺた塗る為の筆であり大雑把な構造でしかなく
字を書く筆のように筆技が上達する様な性質の筆ではない。


さらに、
学校の授業では殆ど日本画を教えることはないので
学校教育からは、全く筆技を学べない。
物ごころついて美術に興味があっても
おおよそはアニメーションとか油絵とか・・・
筆技を伴うモノは身近にはない


昔は、器用な人もそうでない人も
筆を日常的に使うことで手技が自然に磨かれ・・・
人の巧拙も理屈抜きに理解できた・・・のに
今は、イケメン書道家がもてはやされ、
ときめいているばかりで
イケメンかどうかは分かるが
字の良し悪しは分からない・・・・、
とにかくカッコさえ良ければ
筆を操っているだけで凄い人扱いになる。


書道や日本画に使われるいわゆる丸筆は、
いのち毛を中心に複雑巧緻な構造を持ち、
熟練の筆師でなければ生み出せない繊細なる道具。

概ね書道は筆の持ち方があって
紙に向かってどのような角度で筆を用いるかなど
決まり事があるが
日本画に於いての筆は
手に持つ位置とか画面に対する角度とか、
千差万別のTPOがあって、
場合によって柔軟な対応が必須となり、
熟練は相当に難しい。

日本食はお出汁を生み出すことが決め手であるように
日本画の妙味は筆技にある。


が、なかなかにこのポイントが解らない。
筆らしい筆を持ったこともなく使う事もないから
日本画を志す人でさえ
その重要性に気がつかない時代になってしまった。


筆の重要性をいくら説明しても
経験に乏しく、実感がなさすぎて・・・
理解には遠く及ばないし、もちろん使えない。
美術大学でさえ筆技は教えない
教えられる先生も殆ど居ないし
結果全国の美術大学日本画科は
日本画を描いているつもりの人であふれ
筆技の伴った本来の日本画を描ける人が
マジホントに・・・居なくなった。


これは大変なことなんで、
退行現象以外の何物でもありません。
今や絶滅危惧種・・・・

自然の恵みを最大限に活かした素材から
研ぎ澄まされた熟練の技でお出汁を取る
そんな日本食のベテランは
まだまだ巷に溢れているけれど
他方、人体に害になるような似非素材から
まやかしの旨味を売りつける
ブラック企業も氾濫し・・・・
それは、
まるで
日本画を描いてるつもりの似非日本画みたい

数は沢山あるけれど・・・

ちっとも美しくありません






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       【浄闇】第99回院展出品作品





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        同、部分






posted by 絵師天山 at 01:36| Comment(0) | 日本画の真髄

2015年03月11日

日本画らしい日本画

その昔、額装された絵はありませんでした。
日本の絵画は大体、掛け軸だったから・・・

多くは床の間に飾られた掛け軸、
季節の移ろいに合わせて掛けかえられ
楽しんだ後は、巻き取ってしまうもの、
また来年同じころに出してきて楽しむ。


壁に飾られっぱなしの額縁絵画とは一線を画し・・・

巻く物だから、絵の具が厚塗りされていると
出したりしまったりする毎に絵の具がひび割れたり
剥落したりするので、薄塗りで仕上げるのが普通。


絵師達は、
薄塗りで深い味わいを出すことを目標にしていました。


額縁絵画は、パネルなり、カンバスなり、
たとえ絵の具が盛り上がっていても
巻き取る必要はないので薄塗りでの勝負はしなくても良い。

むしろマチエール(絵肌)の風合が加わって
ぐいぐい厚塗りしてある方がザン新に見える場合さえ・・


明治時代頃から西洋的な文物が洪水のように押し寄せ
絵画もご多分にもれず、額縁絵画がもてはやされる様になって、

旧来の掛け軸絵画がどうも地味に見えてしかたない
・・・と言う時代が長く続いた。


掛け軸を飾る床の間も随分なくなったので
家具としての絵画の殆どは額装となり、
日本画と西洋風絵画との差がわからなくなった。

描いている画家自身その区別をつけられない、ほどに・・・

つまり日本画らしい日本画は消滅?・・・と言う現実。



それは、絵の世界だけでなく日本らしいものが外国のものとごちゃまぜにされて消えてゆく・・
のは当然の様で、むしろそれは奨励されてきた感すらあり、

それをグローバルとか国際的とかなんとか・・・
御題目は立派だがその実、平均的劣化奨励現象が長く続いたのです。



しかしこの頃は日本を見直す気風著しく・・・

例えば
日本食が世界に冠たる食であることに
日本人自身も気づいた・・・


国産という事が素晴らしく大切な事とされ
日本の良さを外国人も認めざるを得ない・・・


が、

絵画の世界では殆どの人が西洋風の作柄を取り入れて
掛け軸などは放り出し、
長い間、目新しさだけを目指し
西洋風を取り入れることのみに地道を挙げてきたので、
たとえ日本画=大和絵(倭絵)の良さを再認識できても
現実問題として大和絵を創作する力は、
もう既に失われ・・・・

つまり、ごく単純な意味で絵らしい絵が描けない。

薄塗りで深みを出すと言う事は非常に難しいので
たゆまぬ訓練による相当な熟練が必須・・・・

厚塗りでぺたぺた塗り重ねるのはさしたる技は要らず
誰にでも目先の結果は与えられるので、熟練もなく、
独りよがりで充分、
技術らしい技術はとっくの昔に忘れ果てたし、
勿論取り立てて練習することもなく・・・
結果・・・
絵らしい絵が、・・・・・無くなった。


絵らしい絵が描けるように育つための環境さえ絶滅に近く
まるで魅入られたかのように西洋風に憧れた結果
日本画らしい日本画を創れないし
創れなくなった理由さえわからない。
気づこうともしない。
そんな・・・・恐ろしく劣悪な時代になってしまった。


食は毎日のことだから
いくら洋食が好きな人でも
時折ご飯に味噌汁が欲しくなるから
日本食の根底が崩れさることはないけれど・・・

美術はそうは行かない。

生きてゆくだけだったら、美術は不要だから、優先順位にも入れてもらえず、常に、二の次三の次にされる・・・つまり・・・

長い間大和絵から遠ざかる事にのみ目標を置いたので
いまさら戻れないし、
戻ろうとしても戻れない、
その素養もなく、育てる環境さえままならない・・・



本格的日本画家が育つ様な土壌が皆無になりつつある。

鉛筆で写生することを優先させ、
明暗による写実訓練をさせられる・・・
筆は後回し。

額縁絵画に筆の訓練はトクベツ要らないから・・・

だが、絵画と筆とは切っても切れない関係にあって
こんなことを改めて言う必要がないくらい
絵画にとっての必須アイテムは筆なんで・・
筆技こそなくてはならないもの・・・
だから出来るだけ初歩の内に肝心要の筆技をたたき込まなければならないのです、


が、現実には額縁絵画奨励教育が
堂々と全国の美術大学で行われており・・
全員にそれをさせるから全員が骨抜き状態に陥る・・・
それにならって巷の各種美術講座も筆技をないがしろにする。筆技こそ絵画の骨格なのに・・・

現代人は筆を使わなくなって久しい、・・・どころか
鉛筆も使わないしボールペンも持たず
キーボードすらなくタッチパネル・・・

せっかく美術に憧れて美術に生涯をかけようとする若者に筆に親しむ教育をしさえすればいつか見事にその素養を開花させることが出来るのですが・・・
岡倉天心先生が東京美術学校第一期生の横山大観らに課した課題は筆技でした。
一メートル以上の長さで同じ太さの直線を紙が真っ黒になるまで描かせた・・・
真っ直ぐな線・・・
これには辟易した・・・と大観は後に述懐しています・・・
が、そのおかげで彼等は素晴らしい絵画を生み出し、
いまでもその恩恵を享受させてもらえるのです・・・



単に美術教育だけにとどまらない
欧米のフィルターを通して物事を見る
ことに慣らされて何ら疑念なく、
本来の可能性を自ら封じているのが
非常に残念な日本人の現実・・・・

東京大空襲によって10万人以上を焼き殺し、それで・・
まだ足りず、二発の原爆による無差別殺戮を行った挙句
こともあろうに
戦争犯罪国家という汚名すら付与してくれた連中に
今なお良いように小突きまわされている・・・・





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        【倣光吉若紫之図】第70回春の院展同人小品展出品作






posted by 絵師天山 at 05:45| Comment(0) | 日本画の真髄

2015年03月01日

続いている式年遷宮


引き続き斎行されている・・

月読宮、月読荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈彌宮、
・・・等々
十二所別宮の遷宮祭が執り行われました。

どこまでも奥が深いのが伊勢神宮・・・

   


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    御戸祭(みとさい)  伊佐奈岐宮




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     御白石持行事  お祓いを受ける奉献団員




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     御船代奉納式 月読宮




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    御白石持行事 神域に運びこむ




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    洗清  瀧原竝宮(たきはらのならびのみや)




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    杵築祭(こつきさい) 伊佐奈彌宮




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     祭員列立  伊佐奈岐宮




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     参進  月読宮




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     忌物奉埋(いみものほうまい) 新殿床下に忌物を奉埋する





  






posted by 絵師天山 at 01:16| Comment(0) | 伊勢神宮奉納記念展

2015年02月19日

続いている式年遷宮

伊勢神宮式年遷宮のハイライトは
平成25年10月2日夜に執り行われた
内宮での、遷御の儀

次いで10月5日には、外宮で

     


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大変ありがたいことに、奉拝を許されて
生涯の思い出にさせていただきました。





その後も第62回伊勢神宮式年遷宮は
引き続き斎行されており、
平成26年度には、
月読宮、月読荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈彌宮、
・・・等々
十二所別宮の遷宮祭が執り行われているのです。




       

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        瀧原宮、遷御の儀





20年に一度の御遷宮でありますが、
全125社すべての遷御が済むのには、
まだ、これから・・・

内宮、外宮両社の遷御を中心にして、
前後、長い期間に渡って斎行されてゆきます。






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            月読宮 遷御
            祭員列立 遷御を前に大宮司以下祭員、斎館前庭に列立





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           月読宮 遷御
           神儀が新しい神宝と共に新宮へと渡御される





     
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           月読宮 遷御
           御神体が新宮に入御された後、御扉は閉ざされる





・・・・・
すべての遷御が終われば、
今度は、次なる、
第63回式年遷宮に向けての準備が始まるのです。





悠久の歴史を刻む・・






          




posted by 絵師天山 at 13:00| Comment(4) | 伊勢神宮奉納記念展

2015年02月18日

靖国神社 【みたままつり】雪洞揮毫

昨年初めてノミネートされた
靖国神社 【みたままつり】雪洞(ぼんぼり)への揮毫


今年も又ご依頼を頂戴致しました。
まことに有難いことで、
心して取り組ませていただきます。

殊に本年度は終戦70年の節目であります。

もう、根も葉もない捏造された歴史観に翻弄され続けている場合ではありません。
日本の素晴らしさを本当の意味で享受できる様になりたいものです。
深き感謝を英霊の御霊様たちに・・・・

 

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posted by 絵師天山 at 14:00| Comment(1) | アトリエ天山からのお知らせ

2015年02月17日

第70回春の院展 入場券

第70回春の院展 
入場券も天山作品【羽衣】です。




【羽衣】    
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posted by 絵師天山 at 13:00| Comment(0) | 院展

2015年02月16日

理想美術館 5  今野忠一作 【富士】


今野忠一作 【富士】




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天地の 分かれし時ゆ

神さびて 高く貴き

駿河なる 布士の高嶺を

天のはら 振り放け見れば

渡る日の 影も隠らひ

照る月の 光も見えず

白雲も い行きはばかり

時じくぞ 雪は降りける

語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ

不尽の 高嶺は


田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ不尽の高嶺に雪は降りける

               山部赤人 万葉集巻三


歌聖、と称され、和歌の神様として祭られている 
柿本人麻呂、の柿。そして・・
こちらも歌聖と呼ばれた・・
山部赤人、の山。
山と柿とで山柿の門、と言うと・・・、
和歌の世界のこと・・


何れ劣らぬ万葉を代表する名歌人でありますが、
紀貫之などは、赤人の気宇壮大なる歌は
名人、人麻呂にも優る、と言っております。

富士山を詠った和歌は沢山ありそうで・・・すが・・・
なかなかこの歌以上に印象に残る和歌はなく、
探しても見つからないところを見れば、
不二を詠うことの難しさに到り

当然絵にすることの難しさも・・・感じさせられてしまう。

本当に富士山を描くことは難しく、
どんな名品とされる絵でも、
ホンモノの富士山から誰もが感じる、深さ、高さ、広さ・・
その他・・あらゆる好印象を凌ぐ様な絵画は、
めったに・・・・
御目にかかれません。


幼児でも富士山は描けるし
だれでも富士山を描こうと思えば一応は・・描ける?が
誰もが称賛、賛嘆するほどのモノは、まず、・・
難しい・・・


この作品は、奈良県知事が正真正銘、
人麻呂の末裔である柿本知事であった当時に
奈良県立万葉文化館建設構想が持ち上がり、
万葉集の秀歌を絵画化して展示保存する企画が実行に移され
当時現役の巨匠から有力新人まで
百数十人が一人一歌を担当して力作を寄せたことがあり、
この赤人の名歌に相応しいとして
私の師、今野忠一は特別にこの名歌を指名され、
それに師匠が応えた結果がこの作品に結実したのでした。


万葉集を代表する様な名歌は先生の様な巨匠が担当したのです。

ちなみに、私は、自分で選んだ大津皇子と石川郎女との恋歌を担いました・・・



これこそ言語を絶する名作であります。

実にスバラシイ!

説明は要りませんね。


是非にも私の理想美術館に展示したいものでありますが・・・
現在は奈良県の所有ですから、
議会の採決で認めてくれなければ個人の所有に移るはずもなく、
今のところ到底不可能でありましょう・・・・
処置なし・・・かな?!


作者、師、今野忠一先生が
自作についてコメントを遺されております。






『きわだって美しく崇高な不二の山というものへの美意識は、万葉時代の人々にも現代の私たちにも同じように受けつがれているものと考えられますが、
さて実際に描くとなると、万葉の歌の中に詠まれていると推察される場所からの不二を説明的に表現するか、あるいは、自分のもっとも感動を覚えたと思う不二を描こうか迷いました。
しかし、不二の崇高で神秘的なものが、そして自分の感動が少しでも表現できたら、それはそのまま万葉の人々の心につながるものであろう、と思いました。
あらためて静岡県、神奈川県、そして山梨方面と、場所や季節、時間を考慮し、
写生を致しました。結果、自分のもっとも感動を得た、と思う不二を描くことに致しました。』












posted by 絵師天山 at 16:22| Comment(4) | 理想美術館

2015年02月15日

魅惑の百人一首 57 【紫式部】

【紫式部】

めぐり逢ひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月かげ

   めぐりあいてみしやそれともわかぬまにくもがくれにしよわのつきかげ






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             天山書画





源氏物語作者紫式部
実は名歌人でもあった事は隠されがち。

源氏物語そのものが数多の和歌で綴られており、文章そのものもまるで和歌を連らなりの様に美しく麗しいことを知らない人が多いので・・・・

訳文ばかり重宝される似非文化迎合時代である事が非常に残念なのであります。

原文あるいは原文に近い形で源氏物語を楽しむという様なユトリ、余裕があまりにも無さすぎるから致し方ありません。

非常にバランスの取れた、
極端には走らない・・・
けれども、心の抑揚感だけは見逃さない、
そんな秀歌を産み出す大名人であることは間違いありません。

従ってこの人の代表作を絞り込むことは至難・・・
藤原定家はさすが、良くこの歌を選んだな!
と、感心させられるばかり・・・


見しやそれともわかぬまに・・・
この曖昧さ、中途半端さ・・・
決めかねている感じが、何とも落ち着きが悪くて、
だからそれが却って良いのですね・・・

夜半の月光が雲に隠れたり出たり・・・
夜中の時間経過が、しみじみ、伝わってきます。


めぐりあいの忘れ難さ・・・
心に残る、
月はイコール彼氏?なのでしょうか・・・

それとも・・・・?

前書は
「はやくよりわらはともだち侍りける人の、年頃へてゆきあひたる、ほのかにて七月十日ころの月にきほひてかへり侍りければ」
・・・とあり、
幼馴染が男であったのか女であったのか?


夜半には沈んで居なくなってしまう頃の月と
幼友達とを掛け合わせて、
さらに、七夕の余情をも描き込んでいる。
なかなかプロフェッショナルな歌なんですね。
中愁にはまだ間があって
上弦の月の物足りなさを仄めかせ・・・・
さらなる名月を想起しているのであります。


申すまでもなく、名歌中の名歌、と言えましょう。

上東門院=中宮彰子に仕え、
道長にも一目置かれていたと言う才女、
さて本当の処はどんな女性だったのか?
藤原宣孝と結婚し大弐三位(だいにのさんみ)を産んだとされていますが、
その実像は??

和泉式部程のダイレクトさはないけれど、
用意周到、水も漏らさぬ配慮はどこで培ったものか・・・

世にも不思議なる陰陽師
阿倍清明にゾッコン入れ揚げていた事、が・・・
どういう人物を作ったのか?
実に、興味は尽きないところであります。





posted by 絵師天山 at 06:00| Comment(0) | 百人一首

2015年02月14日

魅惑の百人一首 56  【和泉式部】(いずみしきぶ)

【和泉式部】(いずみしきぶ)

あらざらむこの世のほかの思ひ出に今一度の逢ふ事もがな

   あらざらんこのよのほかのおもいでにいまひとたびのあうこともがな





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            天山書画





お待たせしました。
ここからは女流歌人が続きます、
或る意味、真打?の登場ですね。
勿論この御方以外にトップはおりません!
御存じ、【和泉式部】(いずみしきぶ)サマ・・・


もうご存じの向きには要らざる解説になりますが、
この和泉式部様は・・・
かの、清少納言も紫式部も昔ながらの小野小町も・・・
みーーーんな蹴散らしてしまう程の、ぶっ飛んだ女!

ナンでありまして、情の豊かさに於いて、この御方の右に出る程の女はそうは居ない・・
筆者などは是非一度この人にはお目に掛かってみたいと熱望しております。


あらざらむ=いなくなってしまうであろう・・・死んだ後?

この世のほか=あの世・・・死後?


この世もあの世も両方を貫いてもさらに思い出として、もう一度逢いたいのよーーー!!!
って、言う意味。


物凄い深さですね。
ホントあり得ないくらいのシツコサ!
粘着系女子!!!!


作者、和泉式部は、はじめ和泉守橘道貞(いずみのかみたちばなのみちさだ)と結婚。
一子、小式部内侍(こしきぶのないし)を産みます。

後、冷泉天皇皇子の為尊親王(ためたかしんのう)、弟敦道親王(あつみちしんのう)との恋を重ね、さらに中宮彰子(ちゅうぐうしょうし)に仕えた上、藤原保昌(やすまさ)と結婚。

その時代に書いた和泉式部日記が今なお、遺されています。

当時百花繚乱と言える数多の女流歌人がそえぞれに個性を発揮し開花していた中、
・・・ダントツブッチギリに情熱的華麗なる人生及び歌風!

ゴシップに事欠かないと言うのはこの御方のこと・・・で、
現代ならもうこの人一人の御蔭で数多のメディアも楽に飯が食える!
ベリースペシャルスキャンダラスガール!・・と言うわけ。


しかし、人に何と云われようと、後ろ指さされようと・・・
心の表出は止められない。


この歌も、病の床で思いついたモノ。
これでも、この御方の作品では地味ーーな方で、
代表作とは言えぬくらい、おとなしい歌。
もっとずっと奔放なのは枚挙に暇がありません。

例えば・・・

黒髪の乱れも知らず打ち伏せば先ずかきやりし人ぞ恋しき

とか・・・

物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出ずる魂かとぞ見る

とか・・・
ちょっと、ここには出しずらいくらいのエロス爆発で・・

いやはやホント一度お目にかかりたい・・・


いったいどんな美人だったんだろー!!


痛切なる慕情には素直に従う・・・、
命なんかいらないワ!
慕情は生き死にを超えるノヨ!


道長の権勢頂点に達し、
藤原氏の専横に人々が目を背けるような時代・・
良くも悪くも平安文化円熟期に当たり、
昭和のバブルみたいに功罪相交錯しているとは言え、
ともかくも国風文化醸成に和泉式部も一翼を担っていたのは間違いないのであって、
式部の奔放さと時代の要請とがマッチしてこの様な世界が生まれたのでした。

和泉式部の時代は遠い過去の様だけれど、
実はとても身近で、・・・
いつも変わらぬ普遍の人情を
・・・素裸で表出し得た、
そんな歌名人であったのだと思うのです。


絵師天山としては・・
この御方のお姿はぜひ描いてみたい、・・・と思います。
尽きぬ魅力が溢れる和泉式部像を!現代に蘇らす!!・・・












posted by 絵師天山 at 06:00| Comment(4) | 百人一首

2015年02月13日

第70回春の院展

第70回春の院展
恒例の春の院展が近づきました。今年は節目の70回展


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       2月11日読売新聞




図録表紙絵はコチラ
【羽衣】


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posted by 絵師天山 at 15:58| Comment(0) | 院展

2015年02月10日

【歴史の真実】26 建国記念の日に寄せて

平成23年二月に書かれた小堀桂一郎先生の文章をご覧いただきます。
   竹駒神社社務所発行の【すいとく】に掲載されたものです。



建国記念の日に寄せて    小堀桂一郎


大晦日の午夜に旧年を送り、明けて正月の元旦を迎へる事を、新しい春を迎へる、と把握する感覚は古くから、又広く及んでゐるけれども、実際には一月の下旬こそが一年で最も寒い、大寒の最中である。

暦の上といふのではなく現実の推移の感覚で言へば、二月こそが新しい春を含んでやってくる月といふことになる。

二十四節気の第一番目である立春が新暦の二月四日に当たることはまづ動かないと見てよいし、その前夜の節分に、人々は夜に追儺(ついな)の豆撒きをして、寒が明けるとの安心を実感する。

本年はこの節分が旧暦の正月元旦で、その翌日二日が節気の立春に当たり、旧正月と共に現実に春がやってくるといふ、何となくめぐり合わせのよい年になってゐる。


暦日の正月元旦と立春 とのずれといふ現象に思ひを致す時、多くの人が『古今集』巻一の冒頭に置かれてゐる在原元方の「年内立春」を詠じた歌 (年の内に春はきにけりひととせをこぞとやいはんことしとやいはん)を想起することであらう。

これは正岡子規によって、(呆れ返った無趣味の歌に有之候)と酷評罵倒されたことで却って有名になった、面白い運命の作品なのだが、筆者などは、暦日と季節の歩みの不一致への違和感を巧みに表現した、或る意味で記念的な佳作であるとの評価を昔から抱いてゐる。捨てたものではない。


立春から一週間後に、国民の祝日としての「建国記念の日」がやってくる。元来明治5年に三大節として「紀元節」の名の下に国家的祝日に制定された古い由緒を有つ旗日だったのに、戦後の米軍による占領中、昭和23年の後半に米軍当局かた祝日全般の改廃を勧告され、紀元節を祝日とすることは事実上禁止されてしまった、さうした苦い記憶のつきまとふ日である。

幸ひ紀元節復活運動は国民的な盛り上がりを見せ、昭和41年6月の祝日法の改正によって翌年に20年ぶりの祝典挙行が可能になったのだが、此の時現行通りの「建国記念の日」と呼名が改められた。


この命名は厳しく言へば正しくない。

二十世紀の後半に入って次々と政治的独立を達成した新興の小民族国家群とは違って、日本の様な古い歴史を有する国は建国の事情を記録した文献が遺ってゐるわけではない。

紀元節と言ふのはキリスト暦での紀元前660年、辛酉の年の正月元旦に、この佳き日を卜して神日本磐余彦尊(かむやまといはれひこのみこと)が大和の橿原宮(かしはらみや)で日本国第一代の天皇としての即位式を挙げられたと歴史上「考へられてきた」日である。


つまり神武天皇即位記念日であり、この日を以って日本国の紀元元年一月一日(もちろん旧暦)とする、といふ歴史観に基づいて制定されたのだとみてよい。

此の日を明治6年以降の現行の新暦に換算すると二月十一日になる、この計算の正確な事は学術上折紙つきである。


かうしてみると、現に二月十一日が立春の一週間後なのだから、今から二千六百七十一年前の辛酉の年も、『古今集』巻頭の歌が詠じてゐる様な「年内立春」の年だったのだといふこのに気が付く。

なるほど、さう言へばこの祝日には、気節の上での本当の新春到来と呼びたい様な明るさと華やぎがある。

その喜びを広く共有する形で、国民一同が挙ってこの日をお祝ひしたひものである。







posted by 絵師天山 at 12:11| Comment(0) | 歴史の真実

2015年02月04日

第70回春の院展 図録表紙絵

第70回春の院展
恒例の春の院展が始まります・・・

今回の図録表紙絵は天山が担当します。

【羽衣】

色校正の案が出ました・・・

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A案に決めます・・・・


巡回展ではチラシやポスターなどにも利用される予定です。




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もう、春もすぐそこまで・・・









posted by 絵師天山 at 14:14| Comment(0) | アトリエ天山からのお知らせ

2015年02月02日

理想美術館 4  鏑木清方作 【築地明石町】


鏑木清方作 【築地明石町】


神宮外苑の聖徳記念絵画館に初めて伺った折、その立派なたたずまいに驚かされ・・・さらに、
清方描くところの昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)の大作の前に立って、心底感心させられたものでした。
昭憲皇太后さまが女官を従え、遠く明治天皇が行幸されている地の方角に飛び去ってゆく雁の群れをご覧あそばして、ご安否を気遣う・・・・という作柄、
空を見上げつつ遠方の地に思いを馳せるその御心が実に美しく冴え冴えと描きだされており、お袴の緋色が萩の葉群れと対照を成して、それは見事・・・頭の下る思いでした。



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聖徳記念絵画館造営が決まった時、数十人の絵師に明治天皇の御事績を絵画化させてその徳を称える、・・・事となり、抜擢されたのは当代の名人達。
紆余曲折がありまして、当時の名画人とされていた人でも選に漏れた人や、事情があって参加し得なかった絵師などが居た中で、鏑木清方はむしろピンチヒッターくらいの位置であり、まだ若かった・・・けれどその実力ゆえに選ばれた。


今になって見れば、この作品があるのとないのとでは随分印象が違う。あの壮麗なる聖徳絵画館の価値さえ左右しかねない名画と言っても宜しい。・・・後の名声はむしろ当然。

清方ならでは届かない境地を披露してあますところがありません。

上村松園の陰に隠れがちだが、ホントの美人画を描けるのはこの方をおいて余人なし。
何と云われようと、女の描く美人画より男性が描く方が良いに決まってます。

以前から鏑木清方描くところの美人は大好きでしたが、
清方作品で私が一番欲しいのはコチラ、



           


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      鏑木清方作 築地明石町





       

        

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         同 部分





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          同 部分





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           同 部分







御本人の著書【こしかたの記】より抜粋いたします。



・・・・筑波の見える画室で、はじめての帝展作は第8回にだした 【築地明石町】であった。
外国人居留地であった明石町の風光は、私がうしろ紐の頃から、目にも心にも滲み透っている云はば理想郷のやうなものであった。
水色ペンキ塗りの木柵にからむ朝顔も決して作為のものではない。東京湾の波しぶきが直にひたひたと寄せる岸部には波除の堤が長く続いてそこには昼顔や野菊の花が穂を描いた薄尾花の根を綴る。

林立したマストは近海通ひの商船でたまたまこれが夕しほの満ちてくるころともなれば、吹き鳴らす汽笛のひびき、磯の香りが漂ふ巷に流れて、淡い哀愁に包まれる。

明治40年頃の読売誌に出た露伴先生の「空うつ波」の中に出てくるおトウといふ才色のすぐれた女性の、その名も珍しいが、日常よい物好きを凝らして、居間にあれば是真が蒔絵をした桐胴の手あぶりに手を翳すといふ描写に従ってその口絵に書いたこともある。

遠く回想する明石町の立ち込めた朝霧の中に、ふとこの俤が浮かぶと共に、知人江木ませ子さんの、睫の濃い濡色の瞳が見えて、さうしてそこに姿を成した。
この人は妻の同窓で、夫君定男さんも知己なり、泉君に頼まれて絵の指南もした間柄なので画室に招いて親しく面影を写しとどめた。
画面の袖を掻き合わせて顧みる立ち姿は娘の清子を写したが、後にこの絵がパリで展観されたとき、ませ子さんの令嬢妙子さんが嫁いでその地に居合わせ、学友の清子に思ひがけなく異郷で母の俤にめぐり合った喜びを伝へてきた。
夜会結び、また夜会巻と云った束髪は夜会の名にすぐ鹿鳴館時代を連想させるが、やはりその後に山の手の中産階級以上に久しく行はれた。
いかにも明治を思はせ、知性を偲ぶかたちである。

私のこの作品は、作者にも予想されないほど観衆への反響が大きく、博多人形になって遠隔の地まで分布されたときく。
この以前文展末期には歳の市の羽子板にその秋の文展出品で人気を呼んだものの押し絵を競って列べた。
かういうことを芸術家の誇りとも思はないが、別に冒涜だなどとも考へない。
文部省が官展をこしらへた最初に先づ美術の振興と、奨励を志したのは当然だが、凡ての芸術は見るか、読むか、聴くかの相手があって機能が動く。
古人は、百年河清を俟つなどと云ってゐるが、凡人には自分の筆に成ったものが、直接に人の心を動かし、和めたり、清めたりした時には、こちらも亦慰められたり、救はれたりする。
そんな時にはその職分に尽す医師や看護婦の気持ちもわかるやうな気がする。

私のつけた画題のことに及ぶが、手許にある地図を見ると、どれも、明石町は築地の名をせてはゐない。
築地川以東の南小田原町、南飯田町は通称向築地と呼んでゐた。
それと境を接する明石町ではあるが、正しくは京橋区明石町であらう。

私は語呂と実感から敢えてさう名づけたがその後電車の方向標に築地明石町ゆきとあったのを覚えてゐる方もあらう。

・・・・・・・昭和二年八回の帝展では、【築地明石町】が帝国美術院賞に選定された。・・






何とも・・美しい・・・

コチラも是非、理想美術館に加えたい一点であります。









posted by 絵師天山 at 08:00| Comment(1) | 理想美術館

2015年02月01日

【歴史の真実】25  ふざけるな!!!白鳳翔


これまでにも再三申し上げてまいりましたが、
実に、不思議な事に・・・・・現在の日本国には、
日本の国益と称し、
実は朝鮮の為に必死に活動し
これこそ国益ナンである!
・・と標榜している組織体、が、
堂々と存在していて
S学会と称し、
政教分離という法律があるにもかかわらず、
政権与党にまでへばり付いて、
日本国の利益は全く度外視して
自国の利益の正当性のみを力説し、
合法化させ、
のさばり続けている事・・・
は、
みな様良くご存じであろうかと思われます。

・・・彼らがしきりにグローバルを標榜するのも、
ホントは、
日本に住みながら、
日本人としての利益はチャッカリ享受しながら
日本人としての義務には一切関わらず
日本人ではないことがばれない様にするための手段・・・

その為には、
あらゆる努力を惜しまない。

心ある日本国民は、皆、こぞってオカシイ!
と、思っているにかかわらず日本人の奥床しさ、

黙って静観するだけの人ばかり・・・・

良くも悪くもお人よし・・・
日本人は
私自身も含めて、馬鹿みたいに・・・人が良いから・・・
日本人の共有性・・・・それを良い事に・・・

現在問題化されているイスラム国の人質事件にしても、
当の日本人人質、・・・・
実は韓国人が通名を名乗っているだけの
えせ日本人?であって、
個人情報保護法によって
確かな事は分らないとされてますが、
帰化している・・・
と強弁しているものの・・・・
確かな事は、・・・言えない
・・・・秘密の事情だらけ・・・・

というのが実態。

まことしやかに通名を名乗った
嘘の日本人が、
無数に存在して、
犯罪率だけ見ても大変な高率なのに
そんな事実は、隠蔽されたまま
個人情報保護法案とか、
ストーカー防止法案などは
この、通名を名乗っている朝鮮人を
保護するために公明党主導で立法化されたもの

というマギレもない事実は殆ど、

・・・・闇の中。

帰化するつもりもない朝鮮人が、
日本人名を名乗ってエゴを押し通す・・・・
・大嘘がまかり通る

キムタクこと・・・ジャニーズ事務所の大御所は
芸能界を席巻する韓国禍を代表する存在であること
・・・・さえ、公には知らされない。

芸能界のドンとされる和田あきこは、その実
朝鮮人であることはあまり知られていない

だって
朝鮮人世界の繁栄のために
日本国で頑張っているキムタクの立場を擁護する
・・・・のがメディアの仕事。
だから・・・・

勿論、和田あきこだって・・・・

しかし

さすがにもう、キムタクや和田あきこだけでは
儲けにならなくなり始めたので・・・
表向きは言わないが第二第三のキムタク和田あきこを育てる
ひそかに・・・・・

しだいに・・おおっぴらに・・・・

まずい情報をリークする奴は、
叩く!
社会的に抹殺!

手段は問わない。

さて、

国技たる大相撲に於いても、
横綱として、かの大横綱、
我らが大鵬様の記録を破ったとされる
モンゴル人、白鵬翔。

上辺の勝ち負けだけを最優先する外国人力士たち
・・・の代表格。
として君臨している人。

日本相撲協会の存立さえ危ぶまれた時代に
間に合わせ、
数字合わせの為に連れてこられた外国人力士候補たち・・・

自分の国すらろくに知らない若い時分に
バブル後の日本に連れてこられたからでもあろうが・・・
(しかし、
別に強制されて連れてこられたわけではなく、
欲にかられて・・・目標を持って
自分から来日した若者たち・・・だけど)

日本文化の神髄など到底解るはずもない外国人子供達が、
ただただ・・・・
欲に釣られて、『勝負の世界』になだれ込んだ
しかし、大相撲は『単なる勝負の世界』じゃあない・・・

先輩力士に対しても張り手をかます
立会いの変化だって当たり前
勝ちさえすれば!
手段は選ばず!

とにかく現金にありつける!!
・・・までは頑張る!

で、相撲は国技であってスポーツではない、
という教育を受けたにもかかわらず、
上辺の理解に止まって・・・

“言上げせず”・・・を良いことに・・・
腹の中では、勝ったモン勝ち!

弱肉強食を絵に描いてきた、
・・・モンゴル人、白鵬翔。
単なる
白鵬翔と通名を名乗っている似非日本人、
・・なだけで。
なのに・・・・

神事たる相撲の審判を批判する!!

一体何様!!!

ふざけるな白鵬翔!

いやモンゴル人!!!

帰化してから言え!
親方になって立派な横綱を育ててから言え!
ホントに大横綱なら、日本文化を背負ってから言え! 
バカもの!!!


処分すべきですよ、日本相撲協会!!
北の湖理事長、大変ですが・・・・
御英断を!!

悠久の日本文化にひれ伏せ、白鵬翔!

お前の財布に入ってきた金は
日本文化の余徳なんだよ、
日本人の優しさです。

血へどを吐いて学んだのは何だ?
オモイアガリか??

ヨーーーーッく考えよ!!!
ワカゾウ!!



中身は日本人より日本人らしい・・・・
という外国人力士も大勢いて、
日本人はその若者たちには心底
応援しています!




posted by 絵師天山 at 05:00| Comment(0) | 歴史の真実

2015年01月31日

魅惑の百人一首 55


【大納言公任】 (だいなごんきんとう)

瀧の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞えけれ

   たきのおとはたえてひさしくなりぬれどなこそながれてなおきこえけれ





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           (天山書画)




こちらは、たなぼたの和歌。
えっ?何の事?
棚から牡丹餅・・・・


瀧の『た』、絶えての『た』、なりぬれの『な』、名こその『な』、流れての『な』、なほの『な』、
『た』、から『な』、へ繰り返して変容してゆくゴロの良さだから
・・・・『た』『な』ボタ・・・


大納言公任(だいなごんきんとう)はかの道長全盛期に正二位大納言まで登り詰めた俊英。

大納言は大臣に次ぐ官だから、今で言えば次官?か?な?
・・・・とにかく高官。
歌人、歌学者として抜きん出て、詩歌管弦の才あふれ、
その活躍ぶりは道長とその取り巻きを大いに喜ばせました。

この歌は道長のお伴で大覚寺へ行った時のもの。

その昔嵯峨上皇が造ったと聞こえる瀧が今はもうないけれど、
その名は尚有名なままですねぇ・・・


『た』『た』『な』『な』『な』・・・・とやって、大いに盛り上がり、
道長の覚えもメデタカッタ!
・・で、いよいよ重用される様になりました。
つまり、人の拵えたものを拝借して、
ちょこっと歌にし・・・・
昇進しちゃった・・・
これはホントの棚から牡丹餅・・・

しかし、歌としての出来栄えは相当なものですから
・・・『た』『な』ボタだし、
下の句の『な』音の後に『ら行』を重ね、
歌の調べを補強するカタチになっている、とか・・・
遠足気分で参集した道長一行は
実際この歌に喝采を惜しまなかった事でありましょう。
・・・・芸の冴え!
と言って宜しい。


ところが、“ごますりのヨイショ野郎!”
と蔑む向きも有りましたようで、
評価だだ下がりのこともあったとか・・・
高官といえど、宮づかいはツライ・・・


恋の歌が続いて、少々重たくなった頃合いに、こんな軽妙な和歌を配列したのは百人一首撰者藤原定家の明と言えましょうか。






posted by 絵師天山 at 10:00| Comment(0) | 百人一首

2015年01月30日

魅惑の百人一首 54


 【儀同三司母】 (ぎどうさんしのはは)

忘れじの行く末までは難ければ今日を限りの命ともがな

   わすれじのゆくすえまではかたければきょうをかぎりのいのちともがな




          IMG_0974.JPG
            (天山書画)







永遠に忘れない!
と言う誓いも・・・変わらないとは限らない・・・・
けれど、・・・・
そう誓って下さる今日を限りの命であってほしい・・・・・

何という清い心根でありましょう。

この作者【儀同三司母】は、本名高階貴子。
やんごとない、尊い御身分の女性です。
名族高階家の息女であり、円融院にお仕えし、
高内侍(こうのないし)と呼ばれました。


内侍(ないし)とは、女中のこと、
女中といっても勿論宮中のことですから、
天子の御側にてヨロズ御用をお勤めする役。
その頭目を尚侍(ないしのかみ)と言い、
その次を典侍(ないしのすけ)と言い、
その次を掌侍(ないしのじょう)と言います。
そして、この掌侍は四人あり、
四人の内第一の掌侍を勾当の内侍(こうとうのないし)と言い、
勾当内侍の居る役所を長橋局と言う。
残る三人の掌侍は、上に氏を付けて、源内侍、藤内侍、などと言う。

つまり高階家出身の掌侍さま、だから高内侍。

中関白道隆の妻となり、伊周(これちか)、隆家、一条天皇后定子、を産んだことで知られております。
字儀通り、めちゃくちゃ高貴なお方!


儀同三司と言う、解りにくい熟語の意味は、儀は儀礼の儀。
同三司は、三公、大臣に同じ、という意味で、
つまり准大臣。
大臣扱いの人・・・のこと。

この場合は息子伊周が儀同三司であったので、その御母様、ということになります。

本名で呼べばよいのに、と思われるかも知れませんが、この呼称の方がよりこの御方らしさがにじみ出ているのでありまして、高階貴子・・と言ってしまっては野暮、&失礼・・・。



この和歌は新古今集恋三の巻頭にあり、
『中関白かよひそめ侍りけるころ』との前書き。


中関白(なかのかんぱく)は、藤原兼家の長子藤原道隆。
あの道長の実の兄・・・
つまりコチラも位人臣を極めた名門中の名門、の御曹司!

いわばハイソサエティー同士の交際が始まったところ・・・
逢い初めて燃え上がったまま、死んでしまいたいのよー!とオッシャッたのでした。

結局結ばれ、名族の子孫を産んでゆくので、
一時は人も羨むお立場に・・・
そんなにも恵まれた出自なのに、
今ここで死んでしまいたい! 
と、あっさり詠嘆してしまうのが・・・さらに純!?
当時は、藤原氏の極盛期を控え、
父子兄弟謀り合う権勢争いに明け暮れていた時期。

中関白道隆も、弟道長に謀られ、伊周、隆家兄弟は流嫡の憂き目に合い、母貴子の晩年は不遇。

マサカ騙し騙される修羅場を迎えるとは・・・思いもよらない純な心でした。








posted by 絵師天山 at 10:00| Comment(0) | 百人一首

2015年01月29日

魅惑の百人一首 53


【右大将道綱母】 (うだいしょうみちつなのはは)

嘆きつつ独り寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかはしる

   なげきつつひとりねるよのあくるまはいかにひさしきものとかはしる



 
         mitituna.jpg
          天山書画





こちらの朝はなかなか来ないようですが・・・・

逢瀬の充実と時間の推移とは正比例するもの・・・ですが、
思いが届かない場合は反比例。
同じ24時間でも時により場合によってずいぶんと差がつくものなのでありましょう。

蜻蛉日記の作者【右大将道綱母】は本当は何と言う名前だったのでしょうか?

藤原兼家の側室となって、道綱を産んだ女性。藤原家の繁栄を支えたおひとり・・・

藤原兼家は、道長のお父さん。
道綱は道長の腹違いの兄弟。


この和歌からすると藤原兼家との仲は今一つ、
兼家が他所へ泊って、自分の処に明け方戻り門をたたいたが、開けなかった・・・ら・・・又他所へ泊りにいってしまった・・・その翌日の歌。

イヤミですかね? しかも、この歌は兼家からの言い訳的贈歌に対する返歌で、ことさら色褪せた菊の花を添えた!
・・・そうで、いやー、兼家の当惑ぶりが思われます。

蜻蛉日記にはそのあたりの事実関係があらわに記されていて、この歌の兼家の返歌は

げにやげに冬の夜ならぬ真木の戸もおそくあくるはわびしかりけり

もう、バンザイ・・・勘弁して下さーーい!
ですかね。


しかし、嫉妬される内は愛情がある証拠。
あながち薄幸の女性と決めてしまうことも出来ません。
事実、息子藤原道綱は正妻腹道長ほどではないにしても・・大納言まで登り詰める訳ですから、母としての幸福感も人一倍感じたことでありましょう。その上、今だに蜻蛉日記は人々を楽しませているのですから、社会人として大成功者である、とも言えましょう。


気丈な女の恨み事・・・?と言うよりも、いわゆる可愛い女の歌と言えるのかな・・・
このとき兼家27歳、作者19歳。道綱が産まれて二か月ほど経った頃でした。


 

posted by 絵師天山 at 10:00| Comment(3) | 百人一首

2015年01月28日

魅惑の百人一首 52


【藤原道信朝臣】 (ふじわらみちのぶのあそん)

明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな

   あけぬればくるるものとはしりながらなおうらめしきあさぼらけかな




          mitinobu.jpg
           (天山書画)






当たり前のことですよね・・・朝が来ない日はありません、あっても困るし・・
陽はまた昇り日はまた沈む、これ地球上での永遠の鉄理であります。

当然の事とは言いながら別れの時間が来るのは恨めしい!

さて、そのお相手は??

【俊頼髄脳】という説話集にはこんな雅なお話が遺されています。

“道信の中将の山吹の花を持ちて上の御局といへる所を過ぎけるに、女房たち数多こぼれて、さるめでたき物を持ちてただに過ぐるやうやある、といひかけたりければ、固よりやまうけたりけむ、
『くちなしにちしほやちしほ染めてけり・・・』と言いて差し入れたりければ、若き人々え取らざりければ、奥に伊勢大輔(いせのたいふ)がさぶらいけるを、あれ取れ、と宮の仰せられければ、受け給ひて一間がほどをゐざりていでけるに、思ひよりて、
『・・・・こはえもいはぬ花の色かは』とこそ付けたりけれ。是を上聞し召して、大輔(たいふ)なからましかば恥かましける事かな、とぞ仰せられける。”


この和歌の作者【藤原道信朝臣】は、『いみじき和歌の上手』と称された夭折の天才貴公子!
宮殿(上の御局)を山吹の花をかかえて通り過ぎる処を、その艶やかさに女房達がザワついて、ただ通り過ぎるだけですか?と問いかけると、すかさず道信様、かかえていた山吹を御簾の内に差し入れて、『くちなしに・・・』、と、上の句を投げかけた・・・・

クチナシはガーデニアとも呼ばれる白くて芳香の秀でたオハナ。その実は朱色で羽子板の羽根みたいな形をしていて、煮出すとそれは美しい黄色の染料となります。料理にも使われますね、お節料理の栗きんとんの黄色はこれ。
日本画材としても昔は良く使われました、なんと、金箔を貼る前の地塗りとして!
透明感のある爽やかな黄金色が得られるからです。


その美しい黄色と山吹の花の黄色と連想して、『ちしほやちしほ・・・』と、当意即妙なる上の句を投げかけた。何しろ和歌名人の貴公子、このくらいは朝飯前!・・・が、若女房達はこれに即答できかねて・・・処へ、宮様(=勿論中宮彰子様の事です)、が、そこに控えていた伊勢大輔にお声をかけて、その山吹の花を受けて下の句を奉れ!と、命じられた。

ちょっと間は空いたけれど、想いをこらしてつけたのが、『こはえもいはぬ花の色かな』。
これはまたエモイワレヌ美しき色じゃあありませんか!!!
と、見事に返された。
この話を伝え聞いた御門=一条天皇は、
「大輔でなければ恥をかいただけだったろうにねぇー」とおっしゃったとか・・・

紫式部や和泉式部、名だたる才媛と共に上東門院にお仕えした宮廷歌人、さすがの伊勢大輔! と、言いたいところですが、本当にさすがなのはこの【藤原道信朝臣】ですね。何とも素晴らしい!



女のもとより雪ふり侍りける日かへりてつかはしける

帰るさの道やは変るかはらねど解くるに惑ふ今朝の淡雪

帰り道の様子は変わらないけれど淡雪は融けて解こうとしても解けず思い惑う心を持て余して・・・・と
後朝の歌、・・・その第二首にこの歌を詠んだので、・・・

明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな

・・・・・このお相手ならずとも
しばし、うっとりしてしまいますねぇ・・・・








posted by 絵師天山 at 10:00| Comment(2) | 百人一首