2015年06月12日

かさねの色目


“かさねの色目”


久しぶりに衣冠束帯や十二単を代表とする装束について
語ろうと思います。
このところなかなかに忙しく、
ブログを更新する余裕が・・
でもこういう時こそ
新鮮な世界に入り込んで行かないと、
次なる創作の原動力は生まれない。
創作は、まずは気迫  ・・が肝心ですから・・・
意欲的に学び、新たなる創作に繋がれば・・・と、
どうぞお付き合いください・・

★★★★★

“かさねの色目”と、言うのは何か?と申しますと
元々は
一枚の袷(あわせ)仕立ての衣(きぬ)の裏表
・・・のあわせ色のこと。

色の配合の妙を楽しみ、透けて見える裏地の色と表地の色とを重ね合わせて季節感やTPOを追究したので・・
それを『重ね』・・・と言い、
後には、
その衣(きぬ)を幾重にも着装して表される衣色の配合も

“かさねの色目” と呼ぶ様になりました。
コチラは、『襲』の色目(かさねのいろめ)・・・と言う。

いわゆる十二単の十二枚が一枚づつ裏表の衣になっていて
さらにその十二枚の色合い、並べ方にあらゆる工夫が凝らされている事を云うのです。
ホントは十二枚も重ねる事はありませんで、5枚だったり7枚だったり、
季節によっても、場によっても、時によっても、違えることを楽しんだ訳です。ね。


現代人のコーディネートと似たような感覚でしょうか・・・・?!。

が、現代のコーディネートと違うのは
決まり事が明確にあった、と言うところで
代表的なかさねの色目はおよそ120種類
それに準じて個人の好みやら、先輩の指導等で
さらなるヴァリエーションが・・・


何枚もかさねるのではさぞ重たかったでしょう・・?!
と言われる向きもあろうかと思いますが、いえいえ、
シルク!!、
ホンモノの絹は、雲の様に?
軽い・・・ので全然快適!
湿気が多い時でも適宜に吸い取ってくれるし
寒くても温かくいられるし
暑くても涼しい顔をしてられるのが正絹さま・・・・

かく言う私も衣冠束帯を着けてもらった経験がありまして
本格的なモノとは言えないまでも正絹だったので・・・
それはそれは超快適でありました。


もともと偉そうな風貌なので余計に偉そうに見えましたが・・・



          
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重ねの色目・襲の色目(かさねのいろめ)

平安時代の服飾文化は有史このかた最高峰であるというのは定説。
成人式の振り袖も霞む・・し、
どんな立派な民族衣装にも絶対負けないスバラシサ
圧倒的存在感!!


社会的上層階級の文化の様に思われがちですがですが
下層庶民がその資を提供しなければ成り立たなかった、
のですから、総体としての日本文化そのもの、やはり、
日本人は偉い!凄い!


高貴(あて)・雅(みやび)に相応しい生地の質、色彩が施され
袷仕立ての衣では、表地と裏からチラリと覗く裏地との色彩の調和に気を配り
衣色の配色、かさね方に心を砕き・・・腐心する・・・
重ねの色目・襲の色目双方共に確固たるセンスと鑑識眼が必要であり
さらには
お手紙用の草木染め和紙の色目取り扱いまで
それはそれは、ヤカマシク要求されたのです。


宮廷での
晴(ハレ)=公。

褻(ケ)=平常。

に合わせ
総合的複合的明確なる基礎知識は必須であって
殊に女房社会では和歌の素養と共に
この素養のないものは仲間入りさせてもらえなかった・・・





続く・・・




posted by 絵師天山 at 13:29| Comment(0) | 装束 

2015年06月07日

魅惑の百人一首 74   源俊頼朝臣 (みなもとのとしよりあそん)


【源俊頼朝臣】(みなもとのとしよりあそん)

憂かりける人をはつせの山おろし烈しかれとは祈らぬものを

   うかりけるひとをはつせのやまおろしはげしかれとはいのらぬものを





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             天山書画





「憂かりける人」 は、私に対して辛く当った人。
つまり、自分になびいてはくれなかった女性、
片想いがまるで実らなかったのですね。


「はつせ」 は、初瀬 で、長谷寺の事。
大和国初瀬(現在の奈良県櫻井市)
京都の清水寺(きよみずでら)などと並び称される霊験あらたかな名刹
現代でも、長谷観音として十一面観音様と牡丹とで良く知られておりますが、
当時とて同じ、願掛けのメッカであり、指折りの衆生済度スポットでありました。


祈れども・・・山おろしの・・
烈風の様に撥ねつけられ・・・
あはざる恋・・と、相成り・・・。
振られ方も半端じゃあなかったのです。


恋の御利益祈願は完全に裏目・・・・

当時都から初瀬までは遠路、
古刹として有名であり誰でも一度は詣でてみたい処だったのでしょう。
山間部に有りますから「山おろし」も良く知られていて、初冬ともなれば、それは淋しく侘しい山里。
冬に向って耐える感じが余計に破れた恋を連想させるのです。


恋の成就には失敗したけれど、歌としては御見事!
と、お慰めしましょう・・・・か、・・・

「憂かりける」と意外な言葉で始まって
「はつせ」 「山おろし」 「烈しかれ」・・と、
緊迫感があふれ・・強く、実に高い調べ・・・
繰り返し口ずさめば・・・ホント・・に、
良い詠歌デス。


才気が光る!・・
のも・・・当然? 
この歌は「千載集」の詞書によると、
藤原定家の祖父、藤原俊忠(としただ)の屋敷で、
「祈れども逢わざる恋」という題で詠んだ題詠の一首。
つまり、空想の恋を名作に代えた!!

凄いですねーー、
才能というのはこういう事を言う。
当然和歌の道を極め、人に教える立場にあったし
歌論書『俊頼髄脳』は現代でさえ超一級品と言われ、
ちょこっと覗いてみただけでも求道の深さが感じられ、
昔の人の方が、・・・
考え方が何倍も深い・・ことに驚かされるのです。

現代人は、何事も“コンビニ生活”
便利この上ない?・・かも知れない日常だが
実は、その手近かさ、簡便さそのものが
物事を深く考えない因になっていて、詰まる所
創作力が育たない様、飼いならされている?
のではないかと・・・・思うのです。


飛躍しすぎかも知れませんが・・・
心の底から感動させる創作が生まれない時代になってしまった・・
考え方が深ければ深いほど魅力が溢れて来る
解釈の深さ、と言うか・・・
思わず魅せられ・・立ち尽くす・・・そして、
いつまでも心に残る・・
この歌の様な・・
ホンモノのクリエーションに心底憧れます。


≪もみもみと人はえ詠みおほせぬ様なる姿≫・・・・

と、この源俊頼を絶賛したのは、後鳥羽院。

反日北条氏(=鎌倉幕府)によって犯罪者と認定され
隠岐の島へ流され、・・・・・て、19年。
還御することなく薨去された悲劇の天皇は、
ご自身が希代の名歌人であられ、
さらに当代の名歌人達を指導されつつ
勅撰和歌集編纂に尽くされました。
島生活のご日常であっても
頂点に立つ戴冠詩人ならでは、・・・
和歌の道を御自ら深めておられたのです。


遺された【後鳥羽院口伝】を読んでみると
実に公平な、ごもっともな、
名歌人達への個人評が書かれており
“もみもみと”と、いう形容詞は院独特の表現であり、
いかにも宜しい・・・・
といった意味の、それは、最大級の賛辞であります。









posted by 絵師天山 at 16:11| Comment(5) | 百人一首

2015年06月03日

魅惑の百人一首 73   権中納言匡房(ごんちゅうなごんまさふさ)


【権中納言匡房】(ごんちゅうなごんまさふさ)

高砂のをのへの桜咲きにけり外山のかすみ立たずもあらなむ

   たかさごのおのえのさくらさきにけりとやまのかすみたたずもあらなん






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             天山書画






高砂、は枕詞。
尾上、は をのえ で峯。
外山、は 深山 に対して人里近い山。
立たずもあらなむ、は 立たないで欲しいナァ・・・


内のおほいまうち君の家にて
人々酒たうべて歌詠み侍りけるに
遥かに山の桜を望む、といふ心を詠める
大江 匡房(おおえ の まさふさ)
と、後拾遺集に。

内のおほいまうち君、とは内大臣藤原師通、
内大臣のお邸で酒宴が催された折の題詠歌。


いわゆるお題があって、
それを基に競い合って楽しんだのです。
今でいえば、大喜利??みたいな・・・


大人気番組笑点・・の、ノリ。

先の行尊による桜の歌は深山幽谷に修行として分け入り、
思いもかけず見た山桜、だが
コチラは、華やかな都の真ん中、しかも酒宴で桜を想定しての詠。と、言うわけで、好対照とされて長く親しまれて来たのでしょう。

春の花見は外山から奥山へ
秋の紅葉狩りは奥山から外山へ
と言うのが現代にも続く自然な約束事。


洛北や洛東に桜が咲く頃には既に外山は咲き終わり、
霞がちな日和が続く・・・
と言う観念を踏まえて詠まれた処に妙味があるのです。


題詠は、与えられた題に従って読むので
当然、モチベーションは受動的。
だから、初心者には難しいが、ベテラン同士の詠いっこ?
となれば、超 面白くなってくる。

当意即妙、経験値もめいっぱい繰り出して
次から次へと溢れだすように詠み合ったのでありましょう。
その中の名作が、長く遺されることも・・・

題詠による歌合せでなければ出来ない作品が生まれるのですね。


女房達が女主人に代わって詠む代詠にも通じています。
宮仕えのインテリ女房・・・
紫式部 清少納言 和泉式部 赤染衛門 菅原孝標(たかすえ)の娘・・・等々
女主人の代わりとなって
儀礼的な挨拶を詠んだり
お礼を述べたり、
遠まわしに断りを伝えたり、詫びたり・・・
主人の魅力を総合的に演出するのがお役目。


作者 大江 匡房=権中納言匡房 は
博学多才で知られた学者様。
詩文家としての名声も高かったし
軍学や有職故実をも極めた碩学でありました。
代詠の名手でもある赤染衛門の曾孫に当たるのも
ナルホド・・・・・と頷けますね。


血はあらそえない
・・・・

後冷泉、後三条、白河、堀川、
四代の天皇にお仕えして大活躍
重用され正弐位権中納言大宰府権師(だざいふごんのそち)までになり
それ故 江の師(ごうのそち)とも呼ばれております。











posted by 絵師天山 at 10:54| Comment(4) | 百人一首

2015年06月01日

魅惑の百人一首 72   祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい)


【祐子内親王家紀伊】(ゆうしないしんのうけのきい)

音にきく高師の浜のあだ浪はかけじや袖の濡れもこそすれ

   おとにきくたかしのはまのあだなみはかけじやそでのぬれもこそすれ





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「浮気ごころで有名なあなたからの言葉は心に掛けますまい!うっかり乗ってしまえば、後にはつれなくされて袖を涙で濡らすハメになりかねませんから・・・・ね」

と、いう意味を

この和歌から読み取ることは

もはや現代人にはムリ 
と言うものでありましょうか?


字儀通りの意味さえピンと来ないし、
何の事をいっているのか良く分からない位ですから、
まして、言外の意味をくみ取れる筈もありません。

けれども、この様に簡単に意訳してもらえれば、
ハハーン、なーるほど!
ちょっと粋だねぇ、・・・・・と感じることは
無理なく現代人にも頷けるはず!


男の口説き心を軽々と跳ね返すような恋愛ごっこは
むしろいつの時代にも共感されるモノ!


この歌が生まれたのは康和4年(1102年)閏五月。
堀河天皇御主催の艶書合(えんしょあわせ)での事。
男が女へ求愛の和歌を贈り
女の返歌を番えた歌合=ケツブミアハセ・・とも言いますが
つまり遊び。ゲーム!

            ・・・・なんでケツ??


始め後朱雀天皇中宮に仕え次に
その第一皇女である祐子内親王殿下にお仕えして、
一宮紀伊
と呼ばれた作者は、紀伊守平重経の妹。

このかへし歌の元になった贈歌は・・・

人しれぬ思ひありその浦風に浪のよるこそいはまほしけれ

   ひとしれぬおもいありそのうらかぜになみのよるこそいはまほしけれ

浦風と共に浪が寄せるように、
あなたへの思いを満たしてください・・・・ーー。

に対する返歌がこの作品です。

だから高師の浜を持って来てあだ浪と言い、
ぬれもこそすれ・・・と答えた。



当意即妙なる冴え!
艶っぽさも極上じゃあないですか!








posted by 絵師天山 at 08:00| Comment(4) | 百人一首

2015年05月31日

魅惑の百人一首 71   大納言経信 (だいなごんつねのぶ)


【大納言経信】(だいなごんつねのぶ)

夕されば門田の稲葉おとづれて蘆のまろやに秋風ぞ吹く

   ゆうさればかどたのいなばおとずれてあしのまろやにあきかぜぞふく






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               天山書画






「おとづれて」は、「訪れて」ではなく
音を立てて来て・・・・の意味。
門前の田んぼの稲が風で擦れ合って音を立て・・ 
 

「蘆のまろや」は芦で葺いた屋根の仮小屋、のこと。
実りの秋の夕方をテーマに詠んだのでしょうか・・

作者経信は、宇多源氏の流れ、
藤原道方の息子、
和歌だけでなく琵琶に長じ有職故実にも詳しく
藤原頼通の摂関時代に重用され、
正二位大納言に至る大活躍。
俊頼の父、後出俊恵法師の祖父でもあります。

夕されば=夕方が来ると・・・
この、夕されば の出だしが効いていますネ
「稲」と「蘆」と
「門田」と「まろや」と、
何か良い、・・・床しい響き・・・
秋風が身に沁み入る…気配


技巧を凝らしたわけでもなく
スッキリと詠んで
口説くでもなく、社交でもない、
和歌の為の和歌・・・・と言うか
純粋芸術の香りが仄かに・・・

用を伴わない美と言うのは
絵画の世界においても珍重される事。

素直なる感傷の表出こそ
深い感動をさりげなくもたらすものでありましょう。


しかし、実は「まろや」は梅津という地の山荘で相当立派な別荘であったらしく、その前に広がる田も肥沃で広大なる田圃であり、つまり、実景を詠ったのではなく「田家秋風」という題詠であったことが分かっています。
写実絵画からはファンタジーが生まれにくいように、心象としての大人の和歌、と言うべきではないでしょうか。





posted by 絵師天山 at 08:00| Comment(2) | 百人一首

2015年05月30日

魅惑の百人一首  70    良暹法師(りょうせんほうし)  

めでたく・・
後半、折り返し地点に届きました。
魅惑の百人一首、今回で70首目!

御家柄からか?
幾分クサみを感じるほどの芸術家肌であったらしい
藤原の定家様、・・老後、小倉山山荘に隠居して
百人の和歌を一首づつ選定し、色紙形に書いて
障子に押し楽しんだ・・・・
これを一般に百人一首と言い
あるいは、小倉山荘色紙和歌とも・・・言う。


もっとも
定家生存中に広く知られた訳ではないらしく
風雅として、“和歌をしるし障子に貼る”、
という当時の流行があって
子の為家が父の選定ナリとして世に広め、
いつのころからか定着し始めたものが
現在に続きました。

入るべきものも入っていないのもあり
入っているものにも
作者が特別重んじていたとは思えぬたぐいのものもあり、
定家の選定基準こそ正しいなどとは言えないでしょうが
この百人一首が
日本を支えてきた歴史を考えれば
定家卿の地位存在は欠かすことは出来ません。


なにしろ御子左家・・・京都に今でも御子孫が繁栄し
正真正銘現在までに続く冷泉家の名士・・・
定家卿、その父俊成、子為家、は日本文化のコアを形成したのです・・・

日本文化のエッセンスを
ダイジェスト版でおさらいしてくれる百人一首ですから
日本人として必須アイテムと言うべきであり
千年という時さえ超越し
家庭に常備されて親しまれて来たと言う事は
すなわち日本人の文化性の高さそのもの!
・・・・と言えましょう。

定家の選定基準が絶対ではないにしても
ここまでに人口に膾炙したのには
立派な理由があり、
くみ立ての巧妙さ・・・・

日本の国柄の歴史と文明の歴史を良く百首の歌と百人の人物によって示している

という定家卿の天才的巧妙さ故に
字数にすれば3100字あまりの詩集である
この百人一首によって
日本人は古典文化の
実に親しみ易い
家庭版
を持つことが出来た、・・・
のですね。
まことに有り難いことです。
スバラシイ事であります!

さて今回は・・・





【良暹法師】(りょうせんほうし)

寂しさに宿を立ち出でてながむればいづくも同じ秋の夕暮れ

   さびしさにやどをたちいでてながむればいずくもおなじあきのゆうぐれ







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              天山書画






先回の能因法師による絢爛華麗なる秋の歌に比してこの地味さ・・
なんともこの地味さ加減はどうでしょう・・・・

解り易く一読すれば意味はわかる平明な作品ですが
少々ウラブレた感じが・・・
スネてる?のか?とも見受けられ・・・


秋の夕暮れを詠んだ歌は三夕の歌として良く知られた三首があり・・・・・

心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ
西行

さびしさはその色としもなかりけり真木たつ山の秋の夕暮れ
寂蓮

見わたせば花も紅葉もなかりかり浦の苫屋の秋の夕暮れ
定家


こちら良暹法師(りょうせんほうし)の詠は
この超有名!・・・なる
何れ劣らぬ・・・名作中の名作
三夕の歌の母体となった、と言われており
単なる・・・、ウラブレもの!というだけの評価ではないのです。


殊に契沖の評はなかなかに深く
・・・これは秋の夕ことの淋しさ独り宿に有りて堪えがたきままに立ち出でてかからぬ方もありやとて所をかへて見れども、さびしさ我が宿にかはらぬ夕なれば、いづくに行きても此のさびしさはなれぬことわりを知る心なり、さびしさとは常にはつれづれとあるをのみいへり。
              契沖 百人一首改観抄より   


契沖は百人一首の見事な解釈及び評によってしられた阿闍梨(あじゃり)ですが、この歌に対してははこう、見事に、説いているのであります。
実感を作為せずにすらりと詠み上げるという、当時としてはザン新極まるニュースタイルの作風だったのですね。

作者良暹法師はりょうぜんとも呼ばれ、
詳しい伝記は分かりませんが母は藤原実方の女童白菊、
元比叡山の僧で晩年には雲林院に住んだらしい、
宮中歌合にも召された歌僧。
後朱雀、後冷泉朝期に活躍した事が分かっています。








posted by 絵師天山 at 08:00| Comment(2) | 百人一首

2015年05月29日

第70回春の院展京都展


第70回春の院展京都展が開催されます。
6月3日〜15日 京都高島屋7階グランドホール


シツコイくらい、羽衣が使われております、
どうぞ御高覧下さい。
同人小品展(五浦会)も同時開催!





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    【遊魂 和泉式部】


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“近くて遠きもの、鞍馬のつづら折”・・と、枕草子の語る洛北鞍馬寺。さらに山道を辿り深い杉の森を歩めば薄暗い木立の間から貴船川の細流が望まれ、貴船神社は涼を求める夏の景勝地。平安王朝の貴女たちがしばしば参籠した清らかな神域です。
古今著聞集に曰く『和泉式部、をとこの離れ離れに成りけるころ、貴布禰に詣でたるに、蛍の飛ぶを見て、・・・もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出ずる魂かとぞみる・・・・と、詠めりければ、御社の内に忍びたる御声にて、・・・・奥山にたぎりて落つる滝つ瀬の玉ちるばかりものな思ひそ・・・、その徴ありけりとぞ。』
神様さえ感銘なされた和泉式部の名歌を画因としました。第70回春の院展出品作品の部分図です。













posted by 絵師天山 at 08:00| Comment(0) | アトリエ天山からのお知らせ

2015年05月28日

理想美術館 8   狩野探幽 【源氏物語屏風】


狩野探幽作 【源氏物語屏風】

狩野探幽(かのうたんにゅう) 
という名人は、江戸時代の御方であり、狩野派の最大にして最高のピークを形成したその張本人であり、生きているうちの名声は勿論、亡くなった後の世にさえその名声は轟いており、悔しいくらいメジャーであり続けている・・・まぎれも無き大名人・・・・

私などの野人からすれば、もう嫉妬してしまうくらいの存在なんでありまして、
その行くトコロ可ならざる無き作風は脱帽させられるばかり・・・・
その扱われ方に於いては、羨ましいくらい・・・・。

このお作品【源氏物語屏風】は、天皇陛下のご所有。
いわゆる御物。








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国宝は巷の宝物ですが、御物は御皇室の所蔵であり、別格。
しかも狩野探幽作の【源氏物語屏風】は御物中の御物、!

とされ、なかなか、そう簡単には拝見することさえママならない・・・




        tangennji.jpg




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そもそもここで申し上げている『理想美術館』というのは、
私にとって都合の良い、
自分が満足するための美術館構想でありまして、
・・・・・
自分の作品が、自分の好みにとって、
一番都合のよい手段方法で永遠に保存されてゆくこと
を企図した、大変、手前勝手なる美術館であり、
それ以上でも以下でもない。



が、

自分の誠心誠意、ぎりぎりに精魂込めた作品群がすべて御物に、!!
もし、なるならば、!!
万が一
皇室のご所有に帰するならば
この私の満足の為の美術館構想など
どっちでも宜しい・・・



御物以上の公はありません、

・・・・・・・・
・・・・・・・




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         源氏物語屏風 狩野探幽作六曲一双 部分





ともあれ、
狩野探幽は慶長7年生まれ、
関ヶ原の合戦直後のことですから、
ざっと、その活躍期は、今から400年前。

つまり死後400年間もの長い間
その名作品は時を超え・・
人々に“美しさ”を語り続けて来た訳でありまして
非常に良いとされる作品は

長い間
数多の人の目に触れることによって、
さらにさらに・・・・
・・・益々その真価は浸透し、
誰知らぬものも居なくなる。

いわゆる【人口に膾炙する】
・・・というのはこういうこと
ちょうど400年位・・・・
美術品としては最も周知されやすいピークであるとも言える。

どういうことかと申しますと、
500年以上経た作品は経年劣化が激しくなりますので、
いくら名作品であってもその劣化は止めようがないから、
やつれ方は時が経てば経つほど尋常でなくなるのは当然、
・・・・押しとどめる事は不可能。

データとして遺すことは出来るが
ホンモノが醸し出す魅力には遠く及ばない
オリジナルこそ真実だから


美術はオリジナル以外の価値はナイ
と言いきれる、のであります。


従って、人口に膾炙したころから
決して止められない
モノとしての劣化が始まるのであり

500年以前の大天才による名品が
例え探幽を遥かに勝る!
としても
物としての美しさは遥かに劣る・・・から
ちょうど400年くらい経た名品あたりがまだ
モノとしての美しさを十分留めており、
しかも人口に膾炙され、周知されたので、
その光彩をさらに際立たせている事になるが故に
羨ましい程に高い評価を受けるのであります。

出来たてのほやほやの名品は
ホントに名品であっても
まだ多くの人に知られてはいない・・・
モノとしての新しさは格段だが、
まだまだ認知され方が僅かでしかない訳ですね。

その点で、円山応挙とか尾形光琳とか
狩野探幽あたり、
江戸時代初期の名人達は随分と得をしているのです。

そこへ行くと
巨勢金岡などは、
1000年近い昔の大名人だから
もうモノとしての名作品は一枚も遺されておらず
残念、伝説の巨匠でしかない。

平安時代の貴族の日記にしばしばその名前が登場し、当時のもてはやされ方は半端ない巨匠であるにかかわらずそのオリジナルを楽しむことはもう全く出来ないからであります。

美術品は結局モノ・・だから
いつかは滅ぶ
が、
日本に限って美術品は
モノとして亡び続けたけれど
名人が続出するお国柄故に、
必ずいつの時代にも
もてはやされるべき名品が存在し
名人続出による名品、
モノとしての、オリジナルの美しさ
は、途切れることが無かった。
これからも、
きっと・・・
モノは有限だが、
日本人の美意識には限りが、
無く・・・


それにしても、この屏風はスバラシイ!

平成の源氏物語屏風をこの手でぜひ・・・・










posted by 絵師天山 at 08:00| Comment(5) | 理想美術館

2015年05月27日

花のいろ 風のおと 〜特選日本画収蔵作品展〜ギャラリートーク

栃木県は
さくら市ミュージアム−荒井寛方記念館−
で、
花のいろ 風のおと 〜特選日本画収蔵作品展〜
が開催されます。

会期は平成27年5月23日から6月28日まで
5月31日 日曜日には、ギャラリートーク開催

天山も参加致します。


今回は、さくら市にちなんで、桜作品を出品致しました。


【春の音】


  

           harunone.jpg







人物画を究めたいと思い始めたころの院展出品作品です。
この美術館では今年から
院展も巡回する予定になっています。



           ★


さくら市ミュージアムは歴史・民俗・自然・美術と幅広いジャンルをテーマに展示と収蔵を行っておりますが、このたびの展覧会は収蔵美術作品の中から、選りすぐりの日本画をご紹介いたします。
 現代日本画界をリードする現代作家の代表作を展覧し、日本画の繊細な色彩やダイナミックな構図、美しさをご覧いただきと思います。院展、日展と日本を代表する展覧会で活躍を続ける作家の現在を紹介することで、現代の日本画が示すものもみえてくるでしょう。そして何よりも、作品のモチーフは花や景色、人物などで、親しみを感じるものばかりです。
 光あふれる美しい季節に美しい作品を鑑賞することで、絵画芸術を身近に感じていただき、当館に気軽に何度でも足を運んでいただきたいと願っております。装いも新たなミュージアムで魅力ある絵画の世界をゆっくりご鑑賞ください。

                ★




会期:平成27年5月23日(土曜日)
   〜6月28日(日曜日)

開館時間:午前9時〜午後5時
(入館は午後4時30分まで)
休館日:月曜日、第3火曜日、祝日の翌日

スペシャルギャラリートーク

日時:5月31日 日曜日 午後2時〜3時
講師:森賢司(元遠き道展実行委員会代表)/
   荒井孝(院展特待)/加藤普(日展会員)/北田克己    (院展同人)/
   高橋天山(院展同人)/福井爽人(院展同人)
場所:さくら市ミュージアム 展示会場
※予約不要、観覧料でお聴きいただけます。
【ギャラリートークにご参加の先着50名様に出展作品のポストカードプレゼント】



どうぞ、ご参加ください。








posted by 絵師天山 at 16:27| Comment(4) | アトリエ天山からのお知らせ

2015年05月14日

魅惑の百人一首 69 能因法師(のういんほうし)


能因法師(のういんほうし)


嵐吹く三室の山の紅葉ばは龍田の川の錦なりけり

   あらしふくみむろのやまのもみじばはたつたのかわのにしきなりけり





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           天山書画






世捨て人として歌を詠みつつ
山野に暮らす・・・・
後の西行法師のような、
ある種理想追求型・・・
隠者歌人の魁、先駆者? が、この
能因法師(のういんほうし)  らしい。


名族 橘氏の出であるほか
詳しい事はわからない様ですが、
「都をば霞と共に立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」
という歌を都で作り、
みちのくを旅行したふりをして家に籠り
顔を日焼けさせて後、旅から帰ったとふれ回った、
そんなお茶目ぶりも伝わっております。


当時の都人からすると陸奥=みちのく
は文字通り 道の奥、であり、
憧れの地でもあり、一度は行ってみたいところ、
見栄張ってハワイに行きました!風な
演出も シャレのうち・・・
こんな逸話が残るほど歌好きであり、
歌名人でありました。


平凡なる日常をいかに非凡に暮らすか!?
芸術はその為にあるので、
当時の歌人たちには
芸術!ナドというクダラン自意識は、
全く無かった事でしょうが
身の周りを楽しませる心は
強いものがあったのであろうと思うのです。

紅葉が風に散らされて川面さえ彩られてしまう、・・・

という平明端的な歌であって
ヒネリも何もなく、
一直線に読み下してみせた
如何にも内裏歌合せの看板となりそうな作であり、

飾られる事を考えつくした絵画の様でもあります。

竜田川は言わずと知れた紅葉の歌枕
龍田姫と言えば紅葉を司る女神様のこと


秋の紅葉の代表者であります

ちなみに春を司る女神を佐保姫と申し上げ
いづれも奈良の都の時代に言いはやされてより
今日なお続いているのでありましょう。


名歌人最晩年、
宮中の歌合せに召され
重い腰を上げ、軽々と
持てる全力を傾けた代表作
である、と言えましょう。









posted by 絵師天山 at 10:56| Comment(2) | 百人一首

2015年05月13日

魅惑の百人一首 68 三条院 (さんじょうのいん)


【三条院】(さんじょうのいん)

心にもあらで憂き世に永らへば恋しかるべき夜半の月かな

   こころにもあらでうきよにながらえばこいしかるべきよわのつきかな






             sannjyouin.jpg              
              天山書画





例ならずおはしまして
位なぐさむと覚しめしける頃
月のあかかりけるを御覧じて
三条院御製・・・・・・


ありますのは、後拾遺集。


そもそも天皇に大権がおわしますこそ本来でありまして、
院=上皇、が天皇を差し置いて頂点におわす、と
言う事そのものが常態ではありません。
院政というのは、相当イビツなる政体・・・


例ならず、は
御病気で、
院という御位も降りてしまおう
とお考えになっておられる時に

月を拝して詠まれたのがこの御製です。


御製とはいえ、
少々うらぶれた感に満ち満ちており
それもそのはず、
第六十七代天皇となられましたが
御病弱。
特に御目が悪く、・・さらに、
御在位中二度までも皇居が炎上!
左大臣であった頃の道長が
自身の孫でもある後一条天皇を早く即位させようと画策
この三条天皇にあの手この手の圧迫を加え
・・・・やむなく御退位。
翌年にはナント
崩御されてしまわれたのですから、
全く・・・悲運の陛下と言わざるを得ません。 


肉体的精神的政治的苦悩・・・
三重苦にさらされた失意は
美しい夜半の月に向けられたのであります。

その月さえも失明の危機に曇りがち・・・・でしたが


御在位僅か五年、
道長に強いられて退いた天皇の
哀れ深い、
しかし、
これ以上ないほどに
澄み切った御製であります。


道長は娘彰子を一条天皇に入内させ
その中宮彰子に皇子誕生するや
この孫を天皇とする為
三条天皇を一刻も早く退位させたかったのです。


中関白家の栄華を中宮定子の後宮が代表し、道長の栄華を中宮彰子の後宮が代表し、両者の相克、活躍がかの紫文を頂点とする王朝女房文学を生みだしたのですが、その陰にはこのような理不尽が山積みされていたこともまた事実であったのかもしれません。




posted by 絵師天山 at 09:00| Comment(5) | 百人一首

2015年05月12日

魅惑の百人一首 67 周防内侍 (すおうのないし)


【周防内侍】 (すおうのないし)

春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ

   はるのよのゆめばかりなるたまくらにかいなくたたんなこそおしけれ







             suounonaisi.jpg
               天山書画






二月ばかり月のあかき夜
二条院にて
人々あまたゐあかして物語などし侍りけるに
周防内侍よりふして枕をかなと
忍びやかにいふを聞きて
大納言忠家
是を枕に   とて、
かひなを御簾の下より
さし入れて侍りければ
詠み侍りける


なんとも艶めいた、春の夜の夢の様な詠であります。

『甲斐なく』、と『かひな(腕)く』とが掛けられております。

枕の代わりに自分の腕を差し出す男

女の方は、悪い気はしないまでも、
そんな、安っぽい事言っちゃって、
浮き名が立ってしまうじゃあないの!

戯れ事の夜物語ですかね、


しかし、とっさに出た歌にしては上等
『春の夜の夢ばかりなる手枕に・・・』
こういう上の句はなかなか思いもよりません。
見事!一本!
いかにも優艶 耽美。

作者周防内侍の才気はなかなかのものであります。

忠家の返しは

契りありて春の夜ふかき手枕をいかがかひなき夢になすべき

(大意:前世からの深い縁があってこの春の深夜に差し出した手枕なのに。それをどうして甲斐のない夢になさるのですか。)

コチラは、若干軽く、ソコソコのお返事でした。



この場合の二条院は道長の五男関白教通のお邸。

但し周防内侍が仕えていた
後冷泉天皇の中宮章子内親王は
「二条院」の院号を宣下されているので、
その御所であるとも考えられる様です。
いずれにせよ、
大納言忠家も周防内侍の才気には
脱帽  、というところでしょうか。




 『栄花物語』続編において、
姫君の中の姫君として章子内親王は登場します。
父は道長の孫天皇、母は道長の娘で、
幼い頃すでに最高位である一品に叙せられ、
後冷泉天皇の中宮、
御子がなく国母にはおなりにならなかったものの
女院の称号を戴くなど、(これは異例の事・・・
当時最も高貴な女性の一人でありました。
周防内侍はこの方に仕え活躍したのですね。








posted by 絵師天山 at 09:00| Comment(4) | 百人一首

2015年05月11日

魅惑の百人一首 66 前大僧正行尊 (さきのだいそうじょうぎょうそん)


【前大僧正行尊】 (さきのだいそうじょうぎょうそん)

もろともにあはれと思へ山さくら花よりほかに知る人もなし

   もろともにあわれとおもえやまざくらはなよりほかにしるひともなし





            gyouson.jpg
              天山書画





大峯にて
おもひもかけず
さくらの花のさきたりけるを見て
詠める・・・・・・
と詞書にあり、

大峯は吉野の奥、十津川の源流域。
修験者の天然道場としてメチャクチャ険しいあたり・・・

『千日回峰行』など、
修験道の修行は厳しく
深山幽谷で孤独に耐えつつ
心身をギリギリまで追い詰める。


行者として大峯山中に分け入った 
この歌の作者行尊が
自分と桜とを同位に捉え
自分の心情と掛け合わせ
詠じたものでありましょう。

禅問答みたいな感じもありますね。


露に濡れぬは露ばかり・・・・
などと、
訳わからんことをわざわざ語ろうとするのは
宗教家にありがち・・・  


もっとも、
道を求めているのは宗教家ばかりではありませんから
誰にでも若干の共感は湧くとは思いますが
・・・・・・・。

「あはれ」は憐憫の「哀れ」、ではなくて
・・・・お気の毒、とは別物。
「もののあはれ」などと使う「あはれ」。

親しみを感じるとか、懐かしく思うとか、
好ましく感じている様であり、
語の源は「あっ!あれ!!」・・・・

「あー、あれ!観てご覧!」・・・的な
かなりお気に入りな驚きをつづめて言葉にしたもの。デス

単独行の登山家はこんな気持ちなんでしょうか?
人知れず奥山に咲く美しさを孤独に耐えながら愛でる・・・

真理を求める
求道の心は【真摯】(しんし)に
生きようとする人ほど強い。

なぜ人は生きるのであろう?
自分という存在はいったい何だろう?


宇宙の真理をそこに見たり・・・

ただの自意識過剰!? と云うなかれ
こういう【真摯】(しんし)に生きようとする人は
案外器が大きい場合もあるので、・・・・

事実この作者 行尊は
天台座主、大僧正に登り詰めるのです。

花が美しいと感じる心は、
人間の側、人間の都合であって
花の方は別に“私は美しい”、と
思っている訳ではないでしょう。

同じく
地球の自然美と言うものは
人間の美意識によって
成り立っている。・・・・

と言う哲学的な問い?が
人恋しい情の中に同居しているのかも知れません。




posted by 絵師天山 at 09:00| Comment(2) | 百人一首

2015年05月10日

靖国神社 【みたままつり】 ぼんぼり揮毫選集


靖国神社 【みたままつり】 
ぼんぼり揮毫画選集 第五十一輯
昨年度初ノミネートされた天山作品が採用されました。





          IMG_1632.JPG
            『遷御之儀』 第六十二回伊勢神宮式年遷宮






靖国神社のみたままつりは、昭和二十二年に始まり
毎年奉納される名士の方々の揮毫された
『かけぼんぼり』は、
既に一万数千点に達しましたそうです、
例年、奉納作品から十点が選ばれ、
揮毫画選集として頒布されてきました。






           bonbori1.jpg





           bonbori2.jpg

              






この度
第五十一輯に選抜されました
のはありがたき極みです。


さらに・・・
今年は終戦後七十年の節目
心して尊き御英霊様に誠をこめ
制作、揮毫させていただきます。





          bonbori3.jpg 





 


posted by 絵師天山 at 12:14| Comment(3) | アトリエ天山からのお知らせ

2015年05月08日

魅惑の百人一首 65    相模(さがみ)


【相模】(さがみ)

恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそをしけれ

   うらみわびほさぬそでだにあるものをこいにくちなんなこそおしけれ






            sagami.jpg
             天山書画






涙で濡れた袖を乾かす気にもなれないし
口さがない人の噂にのぼったまま
朽ち果てるのでしょうか?!
あーーー嘆かわしい!・・・・チクショウ
・・・・・と言った意味でしょうか、



内裏歌合(だいりうたあわせ)に詠まれ
厳しく激しい悔しさをアッパレに出した?
ので“勝”と認定されました。

永承六年のこと・・・
だいたい西暦1000年くらいです。

対戦相手は右近少将源経俊朝臣

“下燃ゆるなげきをだにも知らせばや焚く火の神のしるしばかりに”

と、番いにされての“勝”でした。


作者相模は、ちょうど西暦千年に生まれ
11世紀中ごろに活躍した女流歌人。


武勇で名をはせた源頼光(みなもとらいこう)の養女であり
相模守大江公資の妻となり故に 『相模』、と呼ばれておりましたそうで、祐子内親王の女房となり後に公資と別れ、中納言定頼らと恋を重ねています。

この歌を詠んだのはもう50歳を過ぎてから、
熟女のボヤキとも受け取れますが
長年女房として
数多の事例や、自らの体験を重ねた作者が
平安女性の恋の有り様を流麗に示した
オトナの表現、といったところで
哀れを催すと言うより
むしろ妖艶ささえ漂うような気配
・・・が感じられます。


現実の恋云々・・・ではなくて、
歌合に出されてこそ光を放つ作品・・・
さすが、プロフェッショナル!
と申せましょう。


チクショウ・・・?
などと申し上げましたが・・・
品格はしっかりと保たれています。


此の時の歌合の様子は
栄華物語に詳しく
端午の節句に開催
永承六年(1051)五月五日に京極院内裏で披講された歌合出詠歌。
主催は後冷泉天皇、判者は藤原頼宗。掲出歌は題「恋」五番左。

菖蒲、郭公、早苗、祝、そして恋・・・
五番のお題それぞれに対となる名歌が詠われております。









posted by 絵師天山 at 09:00| Comment(4) | 百人一首

2015年05月07日

魅惑の百人一首 64 権中納言定頼(ごんちゅうなごんさだより)


【権中納言定頼】(ごんちゅうなごんさだより)

朝ぼらけ宇治の川霧絶え絶えにあらはれわたる瀬々の網代木

   あさぼらけうじのかわぎりたえだえにあらわれわたるせぜのあじろぎ





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            天山書画





権中納言定頼(ごんちゅうなごんさだより)は
まだ幼さのこる和泉式部の娘、
小式部内侍(こしきぶのないし)
をからかって大江山の名歌を詠わせた御方。


前出の悲恋貴公子、
左京大夫道雅(さきょうのだいぶみちまさ)と
ほぼ同時代を過ごした
大納言公任(だいなごんきんとう)の息子様です。


小倉百人一首の撰者定家の念頭には当然の事ながら・・・
常に源氏物語があり、特に宇治十帖の悲恋物語が・・・
根底に流れている


「宇治にまかりて侍りけるときよめる」
と、前書きの上にこの和歌があり、これは、宇治の里の風情を淡々と詠んだだけの叙景歌と思われますが、その内側には当時の都人の宇治への憧憬が見え隠れしている。


大納言公任の歌も・・・・・・

“瀧の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こへけれ”

タナボタ和歌とはいえ、自然の情景をおおらかに詠んだものでしたね。

父の血を受けて和歌に巧みなこの権中納言定頼の作品もすばらしい叙景歌なんですが、宇治十帖の悲恋を背景に思えば、また一段と深い味わいがあろうと言うもの・・・・。
つまり、源氏宇治十帖の主役たち、薫と大君、そして大君に生き写しの浮舟との悲恋物語を念頭に置いて前作 左京大夫道雅の

“今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてなれでいふよしもがな”

前斎宮当子(さきのさいぐうとうし)と
名門貴族道雅との悲恋歌を詠ませ、その後にこの定頼の宇治の歌を持ってきた、・・・
と云う訳で、

恋の哀歌に叙景歌を続けることで
背後にある物語を連想させられ・・
深い余韻を与えられてしまう・・
そんな、仕掛けになっているのであります。



宇治は今でも有名観光地・・・・
平等院があることで知られていますが
平安の当時は良き遠足の地。

宇治川の清流を眺めに
朝霧の宇治に遠出・・・
なんて、
めちゃくちゃお洒落なデートスポットでありました。














posted by 絵師天山 at 17:37| Comment(5) | 百人一首

2015年05月01日

【歴史の真実】 29   戴冠詩人



日本武尊(やまとたけるのみこと)

享年30歳。

その辞世

嬢女の床の辺に吾置きし つるぎの太刀 その太刀はや

   をとめのとこのべにわがおきしつるぎのたいそのたちはや




この和歌に対する絶賛は、かの、
保田 與重郎(やすだよじゅうろう)によって成されています。
戴冠詩人の御一人者より


“・・・・日本武尊の能煩野(のぼの)に至って病急になったときの御歌である。
『歌いおへて即ち崩(かむあが)りましぬ』と記の作者はつたへてゐる、
私は武人としてその名顕な日本武尊の辞世にむしろ耐へがたい至情を味ふのである。
かういふ美しい相聞歌を何人の英勇が歌ってその名に値したか、
わが神典期の最後の第一人者、
この薄命の武人、光栄の詩人に於いては、
完全に神典の自然な神人同一意識と、古典の血統意識とが混沌してゐた。
紀によれば尊その時齢三十歳とある。
武人の最後に、別れてきた少女を思ひ、
少女の枕辺に留めてきた太刀を思ひ、
その太刀はや と歌う、
武人でなくて可能であっても、詩人でなくては不可能である。
日本の自然と人間の心を示した最も優れた典型の詩である。
をとめの、とこのべに、わがおきし、つるぎの太刀、その太刀はや、といふこのことばの響きも調べも、まして詩情するものも、優にやさしく繊細の極である。
しかもそれは最後の歌であった。・・・・・”






数多の戴冠詩人のうち
私は明治大帝の御製が好きで
明治神宮へ参拝すれば必ずおみくじをひきます・・

明治神宮のおみくじは普通の吉や凶ではなくて
和歌が書かれており、それはすべて明治帝の御製、
女性に対してのそれは、すべて昭憲皇太后さまの御製、

どのような心境の折であっても
自己のその時の心境に合致して
なぜか不思議にも、より高次元の自己実現を
懇切に温かく示唆して下さるかの様な和歌であり
どうして解るんだろう?
と怪しむほど適切な和歌が必ず選ばれて
・・提示され・・・・・暫し打たれて、
心改まる思いを幾度味わったかしれません。


しばらくは大切に財布に入れ
そのまま何か月も入れっぱなしだったことも

明治大帝は、皇后さまとともに和歌がお好き。
生涯に詠まれた御製は、なんと!
10万首を優に超える・・・
昭憲皇太后さまだって3万以上


名歌秀歌は枚挙にいとまがないほど・・
それは素晴らしい名作ぞろいの10万首超。


あの乃木大将も和歌がお好きで
詠んでは陛下に添削していただいた・・・とか。

近代を代表するとされる歌人、斎藤茂吉
この名人が生涯に詠んだのは2万首にも満たない・・・

数は問題にはなり得ない、?
かもしれないが、
そうそう10万以上もの和歌を詠めるものではありません。
近代日本の指導者と仰がれた明治大帝は
還暦を待たずに崩御されましたので
単純に計算しても
ずいぶんお若いうちから年間2000首以上詠まれておられたことになる

毎日5首・・・・?以上・・・
御心労打ち続く日露戦争の最中ですら
スラスラと詠まれた・・・

文字通り、苦もなく
言霊を慈しむかのように・・・
やはり、
比類なき武人であり詩人であられた。



戴冠詩人が嗣出する比類なき国

・・・本来それも世界文化遺産では?!
と先回申しましたが、

万葉集を見ればそれは明らか。


万葉集に集録された
皇室の歌人を数えれば

天皇御十方。
太子御五方
皇后御三方
皇子御十五方
皇女御十一方
さらに
諸王と申すべき御方は四十八人
女王二十三人・・・・・・・・



天智天皇、聖武天皇、高市皇子、倭姫皇后、磐姫皇后、志貴皇子、長皇子、大津皇子、弓削皇子、舎人皇子、有間皇子、・・・・
・・・・・・驚くべきことですね。

額田王(ぬかだのおおきみ)の様に、
現在まで大いに喧伝されている御方もおられますが
御名前からすれば神宮の御神鏡をお守りする大役を担われた?
笠縫女王(かさぬいじょうおう)においては
僅か一首のお歌が遺されたのみ、




あしひきの山下響め鳴く鹿の言ともしかもわが心夫

   あしひきのやましたとよめなくしかのことともしかもわがこころつま
                       (万葉集・巻八 1611番)
   「言ともし」、とは言葉が慕わしい・・・




だが、この一首だけで
誰にも心懐かしい思い出を与える、
まことに慕わしい御製

それこそ、数ではありません。

勿論、万葉集に限られたことではなく
現在でもなお宮中歌会始が正月に催されるように、

戴冠詩人が嗣出する比類なき国




森鴎外晩年の名歌を思い出します






夢の国燃ゆべきものの燃えぬ国木の校倉のとはに立つ国

   ゆめのくにもゆべきもののもえぬくにきのあぜくらのとわにたつくに






大名君にお仕えした大名臣なればこその日本賛歌であります。










posted by 絵師天山 at 00:51| Comment(0) | 歴史の真実

2015年04月30日

【歴史の真実】 28 戴冠詩人の御一人者



戴冠詩人の御一人者


戴冠詩人の御一人者?

これ、何の事かわかりますでしょうか?


たいかんしじんのごいちにんしゃ・・・・と読みます。

冠ムリを戴いている・・・・
エ下レスではエリザベス女王のこと・・・

日本では、・・・そう、天皇陛下

御一人者とは、だれのことを指すのか?

詩人のナンバーワンだから・・・
天皇陛下もしくは皇族の内、第一人者としての詩人!

と、言えば


そう。勿論・・・この御方

日本武尊(やまとたけるのみこと)様のことであります。



★★★★★






もう、現代人の殆どが
【戴冠詩人の御一人者】・・・と言われても
誰のことか見当もつかず
まして、・・・・何の事かもわからず
何と読むのかすら
解らなくなりました・・・・

戦後70年の現実が
・・・・。


反日中国礼賛番組としての
犬HKによる【シルクロード】放映あたりから
着々と坦々と・・・・


NHKを代表として
BBC、ハリウッド、韓流・・・・
朝日新聞が総力を挙げて生み出した反日番組
【相棒】・・・・まで・・・

あらゆるメディアがこぞって
外圧を黒幕として、
虎視淡々・・・・
日本の弱体化を目論んできた・・・

その結果が

【戴冠詩人の御一人者】って、誰?
それ以前に
そもそも、何の事????


真の日本文化については
深く考えさせないよう・・・・全てを
仕向けてゆく・・・・


いきなり最終目標(=天皇抹殺=日本文化消滅)を示せば大いに怪しまれるが、
目標は隠しておいて、身近な嘘を細かく計画的に練り上げ

くだらない
枝葉の、末節だけをクローズアップして
捻じ曲げた立ち位置から
そこが・・・オカシイ
とチクチク・・・・批判し
外国はもっと進んでる
日本だけが・・・・オカシくて・・・
グローバルスタンダードを理解しないし
根本的にズレている
と、
あの手この手で日本の真実から
日本国民を遠ざける


一般人はそんなに暇じゃあないから
深いことばかり考えてるわけには行かないので
つい、上辺の情報だけを採り入れて
そこから物事を始める・・・
それだって・・・それすら、
日常の忙しさに取りまぐれない様に努力しなければ
出来ない・・・ので

たいていの善良なる日本国民は、
クダラナイ民放のお笑い番組や
出演者だけがお互いに面白がってるだけの番組なんかに
付き合ってる場合じゃあなく
NHKにチャンネルを変える、という現実が生まれ・・・・


そこでは・・・・練りに練られた
反日システムでこねくり回された番組が
念の入った仕掛けによって、次々繰り出されており
・・・・、面倒くさいながらも暇つぶし
それなりに楽しんで
眠くなって
寝る・・・
【反日というほどじゃあないけれど、グローバルって必要なのかも?!】
・・・・そんな意識に囚われた
いわゆるリベラル人間が溢れる・・・



そんな、当たり前?
の日々を70年
夢の如くに過ごすうち・・・・・
日本人は
【戴冠詩人の御一人者】・・・が
解らなくなった。



解らなくさせられた・・・



単一民族を滅ぼすのはそう難しいことではなく
その言語や歴史を奪って
30年くらいかけて
過去を消してしまえば良い。



大量秘密兵器を温存していたとの濡れ衣で滅ぼされたイラクと同じ。

30年もしない内に
メソポタミア文明はイラクから完全消滅しました。




今やジャパンアニメの代表!にのし上がった
【進撃の巨人】が
あれほどの人気を博しているのは
過去の記憶を抹殺された人類が
理不尽そのものの敵と
意味不明の争いを
命がけで来る日も来る日も展開させられて
訳わからんけど
ナンで? だ?


という、
抱えきれないほどの悩みを強いられている
・・・その設定が

現在の日本の状況にピッタリ
当てはまっているからなのであります。

若モノ達は、朝日新聞NHK以下
既存メディアは見ないけれど
現在の日本社会の閉塞感が
得たいの知れない悪だくみの所産であることを
それがオトナ達の都合で
放置されていることを
どこかしらで・・・・いや、明らかに
感知している
・・・からこそ
【進撃の巨人】人気が爆発している、
母親が目の前で巨人に食い殺されるという体験をさせられた主人公が未知に挑むけれども
全力の自己犠牲すらあざ笑うかのような過酷な現実が・・・・次々と襲う

このアニメ、世界的超人気にさえなるかもしれませんヨ。
日本以上に
抱えきれないほどの悩みを強いられているのが
世界だから・・・

おぢさんおばさんも老人でも・・・
【進撃の巨人】を読んでみれば
ナントナク・・・・共感があるはず・・・

普通に面白いですよ・・・

いや、無理?・・・
柔軟な心を無くして久しい方は・・・もう
・・・・理解不能?

生まれ変わるしかありません、か??


【進撃の巨人】では
主人公達が本来の自分を取り戻そうと・・・
【人間のあるべき普通】を探す
あがいて・・・あがいて・・・・
消された過去、消された記憶、に向かって
ヤミクモに突進!正面突破!!
そしてしっぺ返し・・・・

そこに共鳴させられる・・・・だから、面白い。


人間って・・・・
ホントは・・・本来は、
こういうモノじゃあなかったっけ???
人間を取り戻す戦い!!


マンガをばかにする人は
絶滅しつつあるけれど・・・しかし、
マンガなのに、
人間が人類としてのアイデンティティーを取り戻そうとするアガキ・・・
を、主題としている・・・・
なんとスバラシイ創意ではありませんか。





日本人って・・・
ホントは
【戴冠詩人の御一人者】と言えば、
ヤマトタケル様のことでしょ・・・・
って、
ごく当たり前に・・・
誰もが、解った。

桃太郎やかぐや姫はわかるけれど
ヤマトタケルは知らない・・・
なんて人は日本には一人も居なかった
ついこの50年で
外圧によって
全部取り上げられたんですョ
日本人としての記憶を奪われたんだ
故意に
悪意によって

本来の意味での
世界文化遺産に登録すべき
第一項目は何か

それは、

【古事記】


じゃあないのか???



そうですね・・・・

世界文化遺産
と、言うからには・・


日本人がそれを忘れてどうする!



・・・・







戴冠詩人の御一人者?
そんな回りくどい言い方しなくたって
普通に、日本武尊と言えば良いのに・・・

ってなもんで・・・


ヤマトタケル・・・さま、は、
全員が知ってるごく当たり前の
英勇の中の英勇にして
天下無双の詩人・・・・
だったのであります。





倭は国のまほろばたたなづく青垣山隠れる倭し美し

   やまとはくにのまほろばたたなずくあおがきやまごもれるやまとしうるわし






              17 一つ松.jpg
               天山書画 【一つ松】




日本に於いてのみ戴冠の詩人が嗣出する。
外国の文学史にはその類を見ない、
ありえない空前絶後のこの事実!


この事も世界文化遺産ですよね、当然。











 


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2015年04月22日

魅惑の百人一首 63   左京大夫道雅(さきょうのだいぶみちまさ)

【左京大夫道雅】(さきょうのだいぶみちまさ)

今はただ思い絶えなむとばかりを人づてならで言ふよしもがな

   いまはただおもいたえなんとばかりをひとづてならでいうよしもがな






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             天山書画






みっともないくらい未練たらたら・・・
・・・のこの歌、

こうなってしまった今
せめて自分の口から
君をあきらめる とだけでも、
言えたらよいのに・・・


作者藤原道雅は左京大夫。
左京区の区長さん?・・・左京職長官様、であられます。

内大臣伊周(これちか)の子、
伊周は道隆と儀同三司の子。

道隆は道長の兄であり・・・
あの、中関白(なかのかんぱく)家当主でしたね。




「伊勢の斎宮わたりより まかり上りて侍りける人に忍ひて通ひける事を おほやけもきこしめして まもりめなどつけさせ給ひて 忍びにも通はずなりにければ 詠み侍りでる・・・」
とあり、
つまり、伊勢の斎宮様が御上洛の折に秘かに通って、お上の御怒りを受けた時の歌。

伊勢の斎宮は内親王殿下ですから・・・
御身御心すべてを神宮に捧げられた大役
その御方に心を寄せてフラチにも手を出すとは・・・・

トンデモナイことで・・・・けしからん!!!!
と云うわけですね・・・
めちゃめちゃ 道ならぬ恋



三条院の第一皇女 
当子内親王様は伊勢の斎宮の任を終えて帰京。



栄華物語にはこの前斎宮と三位中将、後の左京大夫道雅との悲恋物語が描かれています。



かくて前斎宮 いと若き御心地に、この事(道雅が通ってくるうわさ) いと 聞きにくくおぼさるれば いかにせんと人しれずおぼし嘆かれて 御覧ぜし伊勢の千尋の底の空せ貝 恋しくのみおぼされて しほたれわたらせ給ふに、げにわりなき御濡衣も心苦しさに三位中将は跡絶えて、わりなくのみ思ひ乱れて、風につけたるにや かく参らせたりける

榊葉の木綿四手(ゆふしで)かげのそのかみに押し返しても似たるころかな

人しれぬ事も多かめれど世に聞こえねばまねびがたし また高欄に結びつけ給へる

みちのくの緒絶えの橋やこれならむ踏みみ踏まずみこころ惑わす

宮、ふるの社の(皆人の背き果てにし世の中にふるの社の身をいかにせむ)など おぼされて、あはれなる夕暮に御手ずから
尼にならせ給ひぬ・・・




あーーーーあはれ・・あはれ、
御自ら落飾に・・・・・
道ならぬ恋の果て・・・髪をおろしてしまわれた・・・

そして三位道雅は断念の言葉をせめて自分の口から伝えたいと、絶唱された・・のでありました。

はじめに、
みっともないくらい未練たらたら・・・
と申しましたが、
数ある王朝悲恋物語の中でも慟哭の離別と云えるレベルの、切なる哀歌です。

道雅24歳。
中関白家の栄光は既に消え、政治的にも社会的にも不遇となった貴公子が、
その鬱屈した情念を恋に求めてさらに叶わなかった・・・・誠、残念無念!
断腸の思い・・・・
お気の毒・・・としか・・・・






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2015年04月20日

【歴史の真実】 27 天変地異は為政者の責任


今年も
ほんの、数えるほどの春らしい日和・・・
心地よい春の息吹きを感ずる間もなく・・・

ぶりかえす厳しい寒さ、
・・・そして初夏を思わせるむし暑さ
・・・・

なぜこうなんでしょう?

ここ何年も春と秋の麗しさは殆ど長続きせず
暑いか寒いか風か雨、
はては暴風雪、ゲリラ豪雨、超特大台風、・・・・
・・・・

天変地異と為政者による政治とのリンクは、
昔の方が周知の事実でありましたようで、
富士山爆発とか、大地震とか・・・
歴史的天変地異があると為政者の責任!
という、暗黙の了解が成されておりまして、
しかし当の権力者はそれに気付かず
いや、わかっていても降りるのは嫌なので
ダンマリを決め込む
で、
時の天皇陛下が元号を変える、
という「禊祓」ミソギハライ・・をおこなって
人心刷新を御はかりになる・・・

それが日本歴史の通例だった。

何につけても天皇がおられることこそが
外国とは違うお国柄そのもの・・・・・。

現総理大臣安倍氏も
民主党の反日政治から脱却するには大変良かったけれど
どうやら、日本を取り戻すと称して
結局はアメリカの言いなり、
欧米の僕になり下がってしまいました
あきらかに国益を損じていることに
もう本人は分らなくなった・・・。

これでTPPから抜け出せず
日本の米作りを根本的には守らない、となれば、
日本国の崩壊に直結してしまう・・・
恐ろしい事実が待ち構えている

それ故の天候不順に違いない。

第二次安倍内閣発足時には、4月28日の主権回復記念日を
天皇皇后両陛下のご臨席の下、政府主催で行われたことで
主権回復記念日を祝日にと云う機運が盛り上がったと思っていた処・・・・
翌年(昨年)は結局、政府主催にはならず
今年は主権回復記念日のその日に
何と安倍首相はオバマ大統領と日米首脳会談を行うと云う事に。


一体、これは・・・・・!


まがりなりにも日本の主権が回復したという記念のその日に
わざわざ日米首脳会談の為、
アメリカに赴く日本の総理大臣。

これは、「我が国は永遠にアメリカの属国也」と
アメリカ大統領に跪く為に計画された事なのでしょうか。



日本を取り戻す!
公約は?


安倍さんはご自分の権威と健康を取り戻しただけ・・・・
じゃあないの・・・・・




主権回復の日 ・・・






posted by 絵師天山 at 11:45| Comment(0) | 歴史の真実

2015年04月15日

魅惑の百人一首 62 清少納言

【清少納言】(せいしょうなごん)

夜をこめて鳥のそらねはかはるともよに逢坂の関はゆるさじ

   よをこめてとりのそらねはかはるともよにおうさかのせきはゆるさじ





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             天山書画





さて、大江山の小式部内侍(こしきぶのないし)
八重桜の伊勢大輔(いせのたいふ)
年若き才媛が続きましたが、
こちらは云わずとしれた有名人、清少納言様。

小憎らしいまでの才気が光ります。

とかくクールビューティーとされる清少納言ですが
案外茶目っ気もありまして、枕草子人気が廃れないのもそのウィットに時を超えた普遍性が備わっているからでありましょう。
誰もが、それもそうだ・・、ごもっとも・・、と共感してしまう・・・


この歌は藤原行成とのやりとりの末に出たモノ。

書に於いては三蹟とされ、多芸多才で聞こえた藤原行成と
枕草子作者との応酬として知られております。


“大納言行成、物語などし侍りけるに内(内裏)の御物忌にこもれば、とて 急ぎ帰りて つとめて 鳥のこゑは函谷関のことやといひつかはしたりけるを、立ちかへり これは逢坂の関に侍るとあれば 詠みはべりける”と、詞書。


史記にある孟嘗君(もうしょうくん)の故事を踏まえています。
孟嘗君に騙されて深夜の開門をしてしまった函谷関の番人ならいざ知らず、あなたと私との逢坂の関は下手な鶏の鳴きマネくらいでは越えられませんよーーー! とやったのですね。

シナ戦国時代の斉の孟嘗君が秦に使いし、殺されそうになって、深夜に函谷関まで帰ってきたが、この門は鶏が鳴かぬ内は開けない掟であったので部下の鶏の鳴きマネの上手い者にやらせた処 門が開いて逃げおおせることが出来た、と言う故事です。

男性からすれば、口実を設けて女の局へ 昨夜は鶏に追い立てられて、などと下手な言い訳を贈りつつ 言い寄った・・・
女性からすれば、こういう煮え切らない態度は心外・・・鳥の空音と男の不実とが重なる・・・

で、それって函谷関のことかしら? と、皮肉ってやると
いや、逢坂の関に侍り居ります・・・などと
云い訳の上塗り・・・失態を重ねた挙句
意気地があるなら本音で越えて御覧なさい!
と・・・・憫笑されるハメに・・・。


哀れ憫然・・・・この勝負 行成の完敗。
ま、しかし、オトナの男女のやりとり、
王朝の雅なる局風俗を活写しているのでありましょう。


“逢坂は人越えやすき関なれば鳥鳴かぬにもあけて待つとか”

藤原行成の返しも少々蛇足気味。
ヤケッパチの感が・・・

清少納言の魅力にはとてもとても・・・・






posted by 絵師天山 at 05:00| Comment(4) | 百人一首

2015年04月14日

魅惑の百人一首 61 伊勢大輔(いせのたいふ)

【伊勢大輔】(いせのたいふ)

いにしえの奈良の都の八重桜今日九重に匂ひぬるかな

   いにしえのならのみやこのやえざくらきょうここのえににおいぬるかな






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           天山書画






作者伊勢大輔(いせのたいふ)は、
前出、大中臣能宣朝臣(おおなかとみよしのぶあそん)
の孫。

累代の神官。
父輔親(すけちか)も、伊勢神宮の祭主様でありました。
この大中臣家(おおなかとみけ)=伊勢神宮神主の家系は
名歌人を続出させております。

伊勢大輔(いせのたいふ)もまた和泉式部、紫式部、
等、と共に、上東門院=中宮彰子(=道長の娘)、にお仕えしていたのです。


前出 藤原道信朝臣の処で語りました逸話にも登場していましたね、
覚えておられましょうか? 山吹の花のお話・・・

『いみじき和歌の上手』とされた、この貴公子に
上の句を投げ掛けられて、中宮様のお命じに従って即答、
御門(一条院)の覚えもめでたかった・・・・と。

古来宮中に出仕している歌人は超能力者だらけ!

歌聖、柿本人麻呂だってそうでした。ね

別次元の、超がつくエンターテイナーでありました。

この和歌にしても、
前書きに・・・
“一条院の御時奈良の八重桜を人の奉りけるを、そのをり御前に侍りければ、その花を題にて歌よめ、と、おほせごとありければ”・・・としてあり、

しかも、先輩紫式部が今年の新人が今、承ります・・・と
推薦し、道長もそれに合わせて
「今年のニューフェイスはただ者ではありませんぞ!」
と、輪をかけてお上に紹介申し上げた、

その直後・・・万座の期待を背負って
この新人アーテイストは

“今日九重に・・・・・”
とやりおおせた!

『万人感嘆、宮中鼓動す・・・』
形容されたのも当然!
スバラシイ! のひとこと。


新参者としては途方もない大役ですが、
予想をはるかに上回っての鮮烈デヴュー!


中宮様の御返し

“九重に匂ふをみればさくらがり重ねて来る春かとぞ思ふ”


お慶びの御心を伝えておられます。

ヤンヤの喝采をあびて、伊勢大輔(いせのたいふ)、
面目を施し御先祖様にもメデタク御報告が出来たことでありましょう。


平安宮廷の光輝を高く朗らかに詠いあげたこの才気、機智、流麗なる調べ、新参女房の晴れ姿が目に浮かぶ様じゃあありませんか!












posted by 絵師天山 at 14:12| Comment(4) | 百人一首

2015年04月10日

魅惑の百人一首 60 小式部内侍

【小式部内侍】(こしきぶのないし)

大江山いくのの道の遠ければまだふみも見ず天橋立

    おおえやまいくののみちのとおければまだふみもみずあまのはしだて





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              天山書画





小式部内侍(こしきぶのないし)の母はかの和泉式部。
年若くして中宮彰子にお仕えし
歌名の誉れ高き母譲り・・・・
抜きん出た才気と美貌とで
宮中のアイドルとなっておりました。


が、この賢き一人娘?は母を残して早世してしまうのです。
数多の恋愛遍歴を辿った母和泉式部がはじめて産んだ子供であり、
我が子に先立たれた母の思いは如何ばかり・・・・


この≪魅惑の百人一首≫で和泉式部を採り上げた時には
まだ発想の段階であり出来てはいませんでしたが、
この春の院展にあわせて【遊魂・和泉式部】が完成。

皆さま、御高覧いただきましてありがとうございました

 




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娘 小式部内侍も是非
いつの日にか描いてみたい存在です。


大江山は山城と丹波の国境、老坂。
いくの、は生野で丹波国天田郡にある野、で
今の福知山あたり。

『和泉式部保昌に俱して丹後国に侍りけるころ、都に歌合のありけるに、小式部内侍よみにとられて侍りけるを、中納言定頼つぼねのかたにまうできて、歌はいかがせさせ給ふ、丹後へ人は遣はしけむや、使はまうでこずや、いかに心もとなくおぼすらむ、などたはぶれて立ちけるを、ひきとどめて詠める』
と、詞書にあり・・・・

生野を行く野に掛けて、上の句は丹後の国府までの道のりの遠さ、を語り・・・・
ふみ は、踏むのふみと文のふみとを見事に掛けてあり、
母和泉式部の居る景勝地など行ったこともないし母からの便りなど来ていませんよ
と・・・間髪を入れず 
・・・・言いかえした。


これには中納言定頼ならずともさぞかし驚かされた事でありましょう。

ただただ美しく可愛らしい
まだあどけなさの残る
はちきれんばかりの若さ故にもてはやされている・・・
小娘と思いきや


母上が居ないのに独りで歌合に出れる?
母上に手紙を書いて頼んだかい?
その御返事は来たの?
御母さんが居なくて心細いだろ?
と、からかうと・・・・

その小娘は
中納言定頼の袖を取り、引き止めて
即座にこの和歌を返した!!

宮中はこの話で騒然!
しばらくこの話題でモチキリだったとか。

小式部内侍の聡明さにやんやの喝采が・・・


小式部内侍 15歳くらいのこと
これぞ、既知即妙・・・
天橋立を持ち出して
母親の七光は必要ありません
手紙も来てないし

と言いながらも
母の処にも行ってみたいわ
と、可愛らしさもにじませ
旅情までかきたてる

御見事!あっぱれ!!!!!

直衣の袖を押さえられた定頼のあわてぶりが手に取る様に伝わりますね

が、
美人薄命?
天は才を与えて寿を与え損ねてしまったのか??






posted by 絵師天山 at 05:00| Comment(4) | 百人一首

2015年04月09日

第70回春の院展 巡回展

第70回春の院展 
三越日本橋本店会場につづいて11日からは、
松坂屋にて名古屋展が開催されます



  

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■会期:4月11日(土)〜4月19日(日) 9日間
■会場:名古屋松坂屋美術館
■主催:松坂屋美術館、 中日新聞社、東海テレビ放送、 日本美術院
■入場料:一般700円(500円)、大学・高校生500円(300円)、中学生以下無料 ( )内は前売り・団体割引き料金 *団体は10名様以上
■出席同人:小山 硬、松村公嗣、川瀬麿士



続いて秋田展は
■会期:4月22日(水)〜5月6日(水・休) 15日間
■会場:秋田県総合生活文化会館(アトリオン)

以下、仙台、福井、京都・・・・・など

十数カ所で秋まで続けられます。


院展の地方巡回展は春の試作展も秋の本展も
それぞれ10カ所以上ありまして、
もちろん開催地によって会場の都合で全作品は並ばず
同人=審査員、作品受賞作品、地元入選作品、
は必ず展示されますが、
其の他は、選抜されての展示。


ちなみに先日ご紹介しました
あとりえ天山で学び、めでたく初入選された 
F氏=藤井一氏作品は
京都、倉敷、広島、神戸、の四会場での展示、
初入選にして二カ所以上も巡回というのは珍しい方、
まだ入選回数の浅い人は、普通東京の展示と
故郷、地元関係地での展示という二カ所だけ・・・
巡回展示に選抜されるのは
多くの審査員に認められた証拠です。

しかも、ナント東京展で売約決定!
これには、本人以上に三越の担当者が驚いていましたが
初入選!初売約!・・・で有頂天・・・・
スバラシイ、スタートダッシュ!!
今後の活躍が楽しみですね・・・


このお作品です、
尾道大橋の夜景図ですね、
温厚だが確かな造形力です。



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              灯(あかり)













posted by 絵師天山 at 15:28| Comment(0) | アトリエ天山からのお知らせ

2015年03月28日

羽衣満開!

第70回春の院展、図録表紙絵の【羽衣】が
宣伝媒体になって日本橋室町に溢れてます!


店内にも大通りに面した壁面に地下鉄に・・・


          


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春の一日お花見がてら・・どうぞ御高覧下さい











posted by 絵師天山 at 19:15| Comment(1) | アトリエ天山からのお知らせ