2015年07月15日

【歴史の真実】 34  ギブミーチョコレート

70年前
占領下の日本人は
食糧からなにからあらゆるものが不足し
GHQ=占領軍のご機嫌を伺いつつ
貰えるものはなんでもありがたく頂いた・・・
Give me Chocolate! 
Give me Chocolate!
Give me Chocolate!
子供達が米兵に向って連呼したこのフレーズ、
占領された側と
占領統治しようとする側の
関係が鮮やかに浮かぶこの言葉の
【卑しさ】を 誰もが等しく
受け止めなければなりませんでした。


【卑しさ】を当然のこととして平然と受け入れた人
【卑しさ】を忌み嫌って自決までに追いまれた人

文字通り千差万別の反応が・・・
しかし
背に腹は代えられない現実、・・・

GHQはそこにさえ付け込んで
あらゆる手段方法を呵責なく用いて
日本人を洗脳
反日日本人製造作戦は
益々徹底され
続けられ・・・・
70年経てさえその呪縛は解けてはいないのです。


再び、藤誠志氏の言葉を借りれば














・・・・大手新聞社が傘下にテレビやラジオを持つ日本のメディアは、世界のメディアを牛耳るアングロサクソン&ユダヤの通信社の、「報じても良い」フィルターを通った情報しか流れず、プレスコードに縛られる新聞社によって、全体が情報統制を受けている状態だ。だから欧米寄りの報道が流れる一方、イスラム諸国などからの見方が報じられることはほとんどない。この旧来の情報の偏りを打破するのが、IT技術の浸透だ、インターネットを使えば、イスラム世界からの主張など、アングロサクソンやユダヤのバイアスが掛かっていない世界中の情報を集める事が出来る。
個々人がマスメディアや偏った教科書などの縛りのない情報を自らの頭で理解することが重要だ。
その結果、考えを同じくする人が集まって政党を作り、議会で多数派となった政党が政権を獲得するというのが、民主主義の基本だ。しかし今はマスメディアが世論を誘導するという、歪んだ民主主義になっている。アメリカの精神的占領支配から逃れて、真の民主主義を目指すため、ITを活用して一人ひとりの国民が真実を追及して行くべき時代になったのだ。

第一回「真の近現代史観」懸賞論文で最優秀賞を獲得した田母神俊雄氏の論文は、このように結ばれている。

「人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見てゆくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私達は輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。」

正にこの通りだ。

(ITの積極的な活用で真の民主主義を目指せ、より抜粋)




・・・・無抵抗な民間人を原爆で虐殺した以上、アメリカが民主主義を日本に与えた正義の国である為には、投下された日本が悪の国でなければならない。そのために国府軍が主張する虚偽の南京三十万人大虐殺を東京裁判に持ち出し、松井石根大将をB級戦犯として処刑した。また日本軍が朝鮮女性を二十万人強制連行して性奴隷にしたなどと主張する韓国を支持しているのだ。
日本を悪い国にするために、戦後検閲による日本人の洗脳も行われた。終戦から一か月後の1945年9月18日、鳩山一郎の「原爆使用は国際法違反」という談話を掲載した朝日新聞に対して、GHQは二日間の発行停止を下し、その翌日に三十項目からなるプレスコードを出す。
早稲田大学の山本武利名誉教授が明らかにした名簿に寄れば、破格の高給で四千人(延べ人数一万四千人)もの日本人検閲官がこれに従い、新聞、ラジオから出版物、個人の手紙二億通もチェックし、徹底的に思想を統制した。アメリカにとって都合の悪い本の「焚書」も行った。
戦時中の検閲とは異なり、検閲に引っ掛かったものは墨塗りなどでは許さず再印刷となり経費がかる為、出版社や新聞社は自主規制をする傾向が強くなっていった。言論統制が行われたことは秘密とされたが、冷戦が終結してソ連が崩壊し、機密情報が流出したり、アメリカが情報を開示したりすることによって、だんだん真実が明らかになってきている。にもかかわらず、日本のメディアは未だに検閲官の名簿を報ずることもなくプレスコードを自主規制として守っており、東京裁判史観に沿う報道しか行わない
日本には実は言論の自由がないのだ。これにメスを入れ、国会でプレスコードについて質問を行ったのが、次世代の党の衆議院議員杉田水脈氏だ。

検閲官は敗戦利得者となり、その後を継いだのが、偏差値教育の申し子である東大法学部出身の「ステルス複合体」と呼ばれる人々だ。彼等の一員である官僚がアメリカの年次要望書に基づき法案にし、メディアが持ち上げ煽り、代議士が賛成して国会で可決するという、阿吽の呼吸でアメリカの要望を日本は飲まされて来た。


裁判員制度や建築物の民間検査制度といった日本に合わない制度も、これで押し付けられてきたのだ。しかしこの流れも、ネットの普及で変わりつつある。

(プレスコードが残る日本に「言論の自由」はない、より抜粋)








posted by 絵師天山 at 11:01| Comment(0) | 歴史の真実

戦後70年

靖国神社みたま祭

露天の出店禁止で
静かな賑わいを見せるみたま祭です


           

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 靖国神社 遊就館(ゆうしゅうかん)で開催中

大東亜戦争七十年展最終章ー今を生きるすべての人へー

  平成27年3月21日〜12月8日

これは必見・・・
明日の日本を背負う子供たちに
見せてあげたい 
  






       
posted by 絵師天山 at 00:02| Comment(0) | 歴史の真実

2015年07月06日

【歴史の真実】 33  世界一の反日国家


天皇陛下は毎朝宮中三殿に於いて
世界の繁栄と安寧とをお祈りされています。

実はこれが天皇陛下の一番大切なるお仕事。
少なくとも分かっているだけで二千五百年以上
歴代の天皇はこれをお続けになられました。

日本は太古の昔から
天皇陛下を父ともご先祖とも親分とも神とも慕い、
家族の様に思い個人であっても
陛下の臣民の一人として生かされているのだ
という自覚を極、自然に持ち、
共に栄えてゆこうと努力しつつ暮らしてきたのです。


どこの世に
世界の繁栄と安寧とをこれほど長い間、
真摯に考えている者が居るでしょうか。

悠久の権威の中の権威
キングオブキングス・・
とも言うべき天皇の御存在が
日本文化そのものであり、
さらには
世界の源であるにも関わらず
天皇のご存在を疎ましく邪魔のものとして排斥する輩が後を絶たないのも事実であり
天皇のご存在を自分の為に利用しようとタクラム輩もまた後を絶ちません。
しかし、
天皇制に反旗を翻す人もまた天皇の御子なのだから・・
ナンとも・・・



何気ない程度、・・・
自分では意識もしていない
反天皇意識とわざわざ言う程でもない
反日感覚が、親に対する反発心のように
誰の心にもあるのでしょうか?







藤誠志氏を再び引用させていただきます。

※中国・韓国を越えて日本は世界最大の反日国家だ

昨年12月にミャンマー、ブラジル、アルゼンチンを訪問し、さらに恒例となったラスベガスのホテル「ベラージオ」での年越しパーティーに参加した。これまで私は世界81カ国を訪問し、国王や大統領経験者など各国の要人達と真摯な議論を行ってきたが、どの国の人々も、過去と現在いずれも日本を高く評価してくれていた。世界で反日を掲げる国は三つしかない

まずは中国だ。

習近平国家主席は、先の大戦時に南京で三十万人が虐殺されたという虚構や、全く歴史的根拠のない尖閣諸島の領有の主張を繰り返す。しかし共産党政権が誕生出来たのは日本軍が国民党軍と戦ったおかげであり、「南京大虐殺」は国民党蒋介石の情報謀略戦の一環であることを十分に知った上で、強い日本の復活を抑え、自らの政権基盤強化た必要という理由からの主張である。尖閣諸島の領有を主張し始めた狙いは、海底資源が発見されたため、その資源の横取りと、太平洋への出口を確保して太平洋をアメリカと分割支配することにある。

中国同様反日を掲げるのは韓国だ。

是までの韓国大統領は、退任後に汚職疑惑で逮捕されたり自殺したりした。李明博前大統領は実兄が収賄容疑で逮捕されていて、退任すれば間違いなく逮捕されると目されていたが、退任直前に大統領としては初めて不法占拠している日本領土の竹島に上陸し、天皇陛下を貶める発言(天皇が『痛惜の念』などという良く分からない単語を持ってくるだけなら、来る必要はない。韓国に来たいのであれば、独立運動家を回ってひざまづいて謝るべきだ)をすることにより、愛国者を装って逮捕を逃れた。これを教訓に、朴槿惠大統領も自分では全く信じていない荒唐無稽な二十万人の朝鮮人女性が日本軍の強制連行によって性奴隷になったという主張を繰り返している。彼女の父親である朴正煕元大統領は、日本の陸軍士官学校に留学した満州国軍の軍人であり、対日参戦したソ連とも戦った根っからの親日派だ。これがあるために、朴槿惠は極力親日と思われないよう、わざと極端な反日を装って愛国者と思わせている

そして三か国目の反日国は、
誠に残念ながら日本だ。
その反日度合いは三つの国の中で最も強い

日本内部に反日勢力が多い原因は、占領下の日本のメディアにアメリカが課したプレスコード(新聞編集綱領)を、メディアが今でも自主規制として守っている事と、戦後敗戦利得者から東大法学部出身者のエリートネットワークであるステルス複合体に、「アメリカの間接支配の為の先兵」としての役割が引き継がれてきたためだ。本当の事を報道すれば、皆が保守になるのだが、プレスコードに縛られたメディアは本当の事が分かっているのに言えない。また日本の歴史学界もおかしい。コミンテルンのアメリカ潜入工作員(スパイ)の暗号通信を解読したべノナファイルなどで、新しい真実が次々と発見されているのに、一度確定した「定説」を決して変えようとしない

習近平、朴槿惠、などと同様、世界の指導者(リーダー)は、真実や自らの信条とは別に、イデオロギーや宗教、国家、国益の為には『嘘もつくし 人も殺し 大量虐殺もする』というのが国際社会の常識である。その最たるものが原爆投下だ。アメリカは、ドイツが原爆開発しているとの情報に恐れを抱き、議会機密費で亡命ドイツ人科学者などを使って原爆開発を開始した。アメリカは「敵の敵は味方」と、対ドイツ戦争に勝利するために膨大な軍事援助をアメリカの軍需産業などの求めるままにソ連に与え、モンスター(軍事大国)を作り出してしまった。そしてドイツとの戦いに勝利する目途が見え始めた時から戦後のヨーロッパ支配を巡りソ連との対立が深まり、対日戦争に勝利すればその後は世界赤化のための第三次世界戦争へとなだれ込み、一千万人以上の戦死傷者が出るかもしれないことを恐れて、日本に対して天皇制の存続を曖昧にして、原爆投下するまで一斉の終戦工作を無視し続けて、ウラニウム型とプルトニウム型の二つの原爆を広島と長崎に投下。実戦で使用して、その絶大な破壊力を見せつけ、第三次世界大戦を冷戦としたのだ。

「正しいことを主張していれば報われる」というのは誤りで、世の中は基本的に邪悪なのだ。


ナイーブすぎる日本人には、これに対抗する自覚が必要だろう。










反日勢力も
反日感情も
反日感覚も・・・・


天皇制の真実、
悠久の日本歴史・・・・

つまるところ
【歴史の真実】
知らないだけなんです。

ナイーブと言えば聞こえがいいけれど

単なる無知に過ぎません。















posted by 絵師天山 at 07:00| Comment(0) | 歴史の真実

2015年07月05日

靖国神社みたままつり


今年もまた
靖国神社みたままつりが近づいてまいりました。




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年年、益々の参拝者でにぎわうので
今年は、なんと露店は廃止に・・・
神域での酒宴も禁止され・・・





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大勢の参拝者の中には不届き者もいるらしく
英霊の皆様をお慰めし、
お楽しみいただきたいという心を
踏みにじる輩が横行するためです


ホントに、
情けなく、恥ずかしく、忌まわしいこと、
であります。


文字通り
命を賭して日本を守ったのに・・・
軍国主義者の口車に乗せられて犬死した犯罪人
・・・扱い、とは。ヒドスギル!

ご自分のレベルが低くなったことにも気づかない
無自覚反日日本人が溢れかえっています。




しかし、心ある日本人も大勢いるので、
今年で69回を迎えることができました。


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雪洞展ほか、催しものが盛りだくさん・・・



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ボンボリ、天山作品はコチラ 【羽衣】






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また・・・!   ・・・カ?!
夜、点灯されたときの美しさを狙ってみました。





みたままつりぼんぼり揮毫選集第五十一輯には
昨年の作品【遷御の儀】が選ばれました。




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どうか英霊の皆さまへの礼節をもってご参拝下さい。



posted by 絵師天山 at 11:21| Comment(0) | アトリエ天山からのお知らせ

2015年07月03日

【歴史の真実】 32   9.11テロ


ハリウッド映画あるいはハリウッド系映像をみると
9,11テロの犠牲者をグランドゼロで弔うシーンとか、
CIA工作員がアラブ世界で活躍する所とか・・
エトセトラ・・・随処に
テロに対する非難声明が描かれています。

アメリカこそ被害者であり
負けないぞアメリカンピープル!
みんな、頑張って生き抜いてゆこうぜ!
的な・・・
被害者ずらを正々堂々と繰り広げて
正義は常にアメリカにあり!!
を繰り返す。
シナや韓国と同じくアメリカも
真実よりも国益を追求しているだけ、・・とはいえ、

茶番にはほとほとアイソガツキル・・・・

かく言う私も以前、
“LOST”という連続ドラマに夢中になった事がありますので、(あまり偉そうなことは言えませんけれど)、・・・
ハリウッドは歴史を自分に都合よく書き換えるために存在し
大衆を意のままに操る道具として生き残っているのでしょう。

善玉と悪玉しか出てこない幼稚さで
不思議にもあれほど繁栄してきたのは、
つまりは、石油や軍需産業等等
巨大資本を牛耳って
世界の支配者を自負する輩の犬だからですね

もっとも近頃はジャパンアニメ旋風を無視できずに
皮肉にも日本文化にぶら下がろうとしている様ですが・・・
ドラゴンボールの実写版はしかし、ひど過ぎましたね・・
ゴジラはまだしも・・・・はは、


話が横道になりましたけれど・・・

LOST ・・ろすと・・・
は、ご覧になった方はお分かりですが
オーシャニック815便という
シドニー発の国際便が太平洋上で墜落遭難
名もない不可解なる島に生き残りの人々が
必死のサバイバルを繰り広げる
といった趣・・・・
不思議なタイムトラベルやら
瞬間移動やら、荒唐無稽の要素も加わって
悲劇が続きに続いて、飽きさせないように
・・・・それは見事に作られている。
今でも、はまる人がいるらしい・・・
ハリウッド版連続ドラマのレジェンドとなっているそうです。

ここで、気づいていただきたいのは
815便の墜落がすべての始まりであり
舞台は太平洋のどこかで・・・しかも悲劇・・・

つまり
8月15日終戦記念日の数字が
刷り込まれている訳であります。

日本人はWGIPによって戦後教育されたために
70年経ってもその呪縛がほどけない程に
イワユル自虐史観を刷り込まれたので
真珠湾攻撃を“卑怯なこと”と
信じさせられている人が大勢いますが、
アメリカの軍人やその家族、
かつての軍人の子孫達、
そしてこれから兵役に向かう若者・・その関係者・・
つまり殆どのアメリカ人もまた
ハリウッド映画によって
国家を守る事に誇りを持てと教育されて来たのです。
犬死は嫌だし、・・・・
正義の戦いだからこそ命を賭けるのだし、
・・・正しいことなんだし、、
これからもずーっと正しいし・・・
リメンバーパールハーバー!!
で、
あらゆる場面で815という数字が使われる。
何と言ったって、9・11とは違って
正義の戦いで勝利を得た日だから!!

“LOST”の興行的成功は既にこの時点で保障された訳です。


しかし9.11テロは
ニューヨーク貿易センターツインビルそのものに
誘導装置が設置されなければ、
あれほど見事に旅客機を激突させることは物理的に不可能であり
大量破壊兵器の存在とテロとの戦いを口実にしてアメリカンピープルを
イラク戦争に駆り立てる為の某組織による穏密作戦であり
対イスラム戦争の開始の大号礼でしかなかった事が間もなく暴露されました。

全くの作為であり、とんでもない理不尽の捏造。

もっとも当局はそんなこと認めておりませんが・・・


パールハーバーもまた同じ謀略であったことも既にバレており
非常に分かりやすいので、以下再び藤誠志氏に登場戴きます。







ヨーロッパでの戦争への不参戦を公約に大統領に当選(再々選)したルーズベルトは、ヨーロッパを席巻したナチス・ドイツによって侵攻される寸前のイギリス首相チャーチルから再三に亘って参戦要請を受けていた。チャーチルの必死の依頼に応えるため、ルーズベルトは日独伊三国軍事同盟の締結を利用し、日本を締め上げることで日本を暴発させ、日米開戦を口実にヨーロッパ戦線へ参戦しようとした。
1941年、米英中蘭によるABCD包囲網(経済封鎖)で経済的に追い詰められた日本は、植民地化されていたアジア諸国を独立させて大東亜共栄圏を創って自活すべく、ドイツ占領下のフランス・ヴィシー政権との合意により、合法的に仏領インドシナに進駐した。
日本は対米戦争を回避しようと粘り強く交渉を続けていたが、既にアメリカは暗号解読により日本の手の内をわかっており、アメリカは軍備が整うまでの間、日米交渉を引き延ばし、最後に「ハル・ノート」を突きつけて日本を暴発させた。なお「ハル・ノート」の原案を作成したハリー・D・ホワイトはコミンテルンのスパイであり、その後、身元が明らかになると自殺している。当時のコミンテルンによるアメリカでの諜報活動は、1995年にその一部が公開されたヴェノナファイルの解読によって明らかになっている。

アメリカが日本の外交暗号の全てと海軍の暗号のかなりの部分を解読することができていたことは、ロバート・スティネットの著作「真珠湾の真実(ルーズベルト欺瞞の日々)」で、もはや広く知られている歴史上の事実だ。
1941年12月8日の日本からの宣戦布告書が日本大使館の職員の不手際で解読・清書が遅れ、ハル国務長官に手渡されたのが真珠湾攻撃開始後だったことから、日本に対しての当時から「ダマシウチだ」という批判があった。しかし実際には、暗号解読によって、日本が対米戦争に踏み切る事を、ルーズベルトは先に知っていたし、日本軍が奇襲を行う先が真珠湾であることも把握し、空母と新鋭艦は演習と称して湾から離脱させていた。そして日曜日にも拘わらず、戦艦アリゾナに定員を大幅に超える多数の将兵を動員したところに日本機が来襲、真珠湾での犠牲者2400人の約半数の1200人がアリゾナ一艦で戦死している。
アリゾナ爆沈の理由は、弾薬庫の誘爆と言われているが、通常弾薬庫は船底にあり、爆撃程度で誘爆はしないし、爆撃の6分後に引火で爆発することはない。

米西戦争の際も、アメリカは戦艦メイン号を自ら爆沈させてスペインのせいにし、「リメンバー・ザ・メイン」の合言葉で、国民の戦意を煽ってスペインと戦争を始めてグアムやフィリピンを奪った。

これと同じことを先の大戦でも行い、「リメンバー・パール・ハーバー」をスローガンにしたと考えられる。事前に日本軍の攻撃を知らされていなかった米太平洋艦隊司令長官のキンメル提督は、真珠湾の責任を問われ更迭された。遺族の要望で1999年に上院で、2000年には下院で名誉回復決議が採択されたが、当時のクリントン大統領も次のブッシュ大統領もこの決議に署名をしていない。
認めれば、「リメンバー・パール・ハーバー」の陰謀を認めることになるからだ。

開戦直前軍令部総長の永野修身大将は
『戦わざれば亡国、戦うもまた亡国であれば、戦わずしての亡国は身も心も民族永遠の亡国である、戦って死中に活を見出し護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも護国に徹した日本精神さえ残せば我々の子孫は必ずや再起三起するであろう』 とその苦悩を言葉にしている。日本はアメリカとの戦争を望んでいたわけではなく、ABCD包囲網などの締め付けによってやむなく開戦を決断したのだ。


また、真珠湾攻撃の五か月前である1941年7月23日に、大阪や東京などを爆撃する対日爆撃計画(JB355計画)にルーズべルトは承認のサインをしていた。

この計画では中国軍に供与する500機の航空機で計画を実行することになっていたが、中国軍の航空隊の中枢には、アメリカの軍籍から離脱した、偽装したアメリカ空軍の「偽義勇軍」のパイロット集団「フライングタイガース」が居たことが知られている。しかしその後のヨーロッパ戦線の拡大により、航空機を優先的にヨーロッパに供与したために、この作戦は実行されなかったが、1941年10月20日、義勇兵に偽装したアメリカ軍飛行士「フライングタイガース」が、アメリカの供与した戦闘機約100機で、いきなり昆明の日本軍に爆撃を加えた。宣戦布告なしにアメリカが真珠湾攻撃の前に中国で日本軍に空爆を加えていたのだ。

日本の宣戦布告が遅れたことを理由に、真珠湾攻撃が「騙まし討ち」だとのレッテルが貼られているが実質的な最後通牒である「ハル・ノート」を日本に提示した時点で開戦は決定的であったこと、アメリカは暗号解読によって事前に日本の真珠湾攻撃を知っていたことから、宣戦布告の遅延そのものに重大な意味はないと言える。

また、宣戦布告は1907年にハーグで署名された開戦に関する条約に定められていたが、第二次エチオピア戦争やポーランド侵攻、独ソ戦争などでは宣戦布告はなされておらず、シナ事変のようにあえて宣戦布告を行わず、「国際法上の戦争」とはしなかった例もある。日本人は戦後教育によって自虐史観を刷り込まれ、真珠湾攻撃を「卑怯なこと」と信じ込んでいるが、真珠湾攻撃に至った経緯を理解し、アメリカが日本に対していかに理不尽なことをしてきたかを知るべきである。

また、アメリカの謀略の背後には、チャーチルがイギリスを危機から救うための遠大な戦略があったとも言える。チャーチルのその強い意志とリーダーシップは日本でも高く評価されているが、フランスがドイツに降伏し、ドイツの空爆を受けて劣勢にあったイギリスは、ルーズベルトに対してアメリカの参戦を強く望み、その為に日本を利用したと言える。

すなわちチャーチルはルーズベルトと共に、1940年に締結された日独伊三国軍事同盟を利用し、日本を経済的に追い詰めて日本に第一撃を打たせ、アメリカが日本に反撃すると同時にヨーロッパ戦線へも参戦するというシナリオを描いたのだ。第二次世界大戦への参戦によってアメリカは戦後の世界の覇権を握る事になった。







世界の警察とウソブクとんでもない茶番国家と
TPP交渉などする必要もない訳ですが、
日本を取り戻すはずの阿倍政権はいったい何をやっとるのか・・・・









posted by 絵師天山 at 18:21| Comment(0) | 歴史の真実

2015年07月01日

【歴史の真実】 31  戦後70年  WGIP


WGIP・・・・!?
WGIPって何?

ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム
つまり、GHQが日本占領政策の一環として
日本人に戦争についての罪悪感を植え付ける為の
宣伝計画のこと。
宣伝計画というと柔らかいが、
つまるところ洗脳
もっと突き詰めてゆけば
火力に依らない徹底破壊工作戦争。



これによって現在もまだまだ
日本は大変な不幸を背負わされているのですが、
大方の国民は今だに、このWGIPの存在すら知らない。


再び、藤誠志氏の文章を抜粋させていただきます。



連合軍最高司令部(GHQ)は、日本占領管理政策の一環として、日本人に戦争についての罪悪感を植え付けるための宣伝計画である「ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)を実行した。このWGIPを主導したのが民間情報教育局(CIE)だ。非道な原爆を無警告投下しながらも、アメリカが良い国であり続け、日本が再軍備をしてアメリカに対して原爆投下の復讐をする事がないよう、GHQは占領期間を通じて、原爆投下の調査、原爆被災研究、記録映画、報道などの禁止、資料の没収並びに発行停止の指示を出すとともに、先の大戦を「軍国主義者」と「国民」との戦いにすり替え、全ての責任は非道な侵略戦争を行った「軍国主義者」にあり、アメリカは日本国民を軍国主義から解放した正義の味方であるという図式を日本人に刷り込んだ。

占領直後の9月18日には、「原爆は国際法違反の戦争犯罪である」と原爆投下を批判した鳩山一郎談話を掲載した朝日新聞に対し、GHQは二日間の発行停止処分を下すと共に、翌9月19日に「プレスコード(新聞編集要綱)」を発令し、その一年三か月後の1946年11月25日には、三十項目からなる、検閲指針(一番目にSCAP連合国軍最高司令官もしくは最高司令部に対する批判。二番目に極東国際軍事裁判批判、三番目にGHQが日本国憲法を起草したことに対する批判、四番目に検閲制度への言及、・・と大事なものから順に三十項目)を出して、日本の歴史上類を見ない言論弾圧を行い始めた。日本の税金を使って雇われた5〜6千人もの日本人検閲官と三百数十人ものGHQの検閲スタッフによって、全ての出版物並びに放送の事前検閲や影響力のある人の私信を九百万通も開封し、電話盗聴まで行った。


GHQは戦争を計画、推進したとして、要職に就いていた日本の有力者二十万人を公職から追放し、日教組を創ってアメリカの都合のよい教科書を作らせ、これまでの日本の強みを奪う教育を実施し、農地解放・財閥解体などで日本の国柄を変え、東京裁判開始一周年記念日に合わせて急ごしらえの憲法を施行した。そして言論の自由を謳い、検閲を禁止する条項を設けた憲法の下でも秘密裏に検閲は続いたのだ。

そしてこのWGIPを補完するものが東京裁判であった。

東京裁判では、アメリカによる東京大空襲や原爆投下を正当化するために、日本は軍国主義者によって残虐な侵略戦争を行った「悪い国」だというストーリーが捏造され、全く根拠のない南京大虐殺説までが取り上げられた。

CIEの文書によれば、WGIPの目的として次のように記されている。
(関野通夫著、日本人を狂わせた洗脳工作ーいまなお続く占領軍の心理作戦、より参照)

1、広島と長崎への原爆投下が残虐行為であると理解する考えに対する対策を講じること

2、東條首相が果たした役割と、日本の侵略政策を正当化しようとする感情が拡大しつつあるが、その感情の背後にある誤った考え方を正しく説明すること

3、占領の終結時に、占領中に為された民主的な進歩を帳消しにするかもしれない、超国家主義的考え方の発生の可能性を未然に防ぐこと。


世代が替わり、WGIPが浸透したことで、日本人の考え方はどんどん偏ったものになっていった。またGHQに協力した検閲官は、占領統治終了後、官界や法曹界、メディア界へと流れ、偏差値教育による日本のトップエリート、東大法学部卒業者を中心にWGIPが引き継がれて行き、彼等はアメリカ留学などの恩恵を得、戦後敗戦利得者として、アメリカに阿吽の呼吸で連携し、互いに優遇し合う日本の支配層(ステルス複合体)として君臨し続け、今もプレスコードによる言論統制の流れは、自主規制として続けられ日本社会の中に脈々と受け継がれている。


日本はアメリカの情報謀略戦によって真実を知らされず、「南京大虐殺」や「従軍慰安婦強制連行」等、中国や韓国からも事実でないことで責められ続けているが、これ等の国々は真実よりも自国の国益を追求しているだけであり、世界の常識から見れば、相手の弱味をつくという当然の行為だ。

しかし問題なのは、中国や韓国の国益のための主張に迎合して日本の国益を損なおうとする多くの反日日本人の存在だ。

サンフランシスコ講和条約第十一条の
“Japan accepts the judgment” の訳は、本来なら「日本は諸判決を受諾する」 となるべきだが、外務省による訳は、「・・裁判を受諾する」 となっており、判決の内容のみならず、東京裁判に関して事実認定を含む全てを受け入れることを意味しているかのような印象を与えている。このように意図的に誤訳するのも、自虐史観を日本人に植え付けようとした反日日本人による謀略ではないかと考えられる。






終戦当時はまだ
朝日新聞も鳩山家も反日ではなかったことがわかります。
厄病神のような終戦利得者なるものが増殖し続け
どれだけ日本の不幸を生み出したか図り知れないのです。


これだけめちゃくちゃにされても
まだ欧米をありがたがってる日本人が
呆れるほど大勢いる・・・ことは
まったく世界の七不思議としか言いようがありません。

絵画の世界における洋画崇拝も根は全く同じなのです。











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2015年06月29日

【歴史の真実】 30  戦後70年 在庫一掃セール


日本では軍人は戦争を好むもの、・・・
とされていて、自衛隊すら違憲と詠う者さえあり
これは実におかしなことですけれど
どこの国でも最も戦争を回避しようとするのは
イザという時に最前線に立つ軍人であり、
ついで一般人、という順序。
それは、
人間としての普遍的性質だと思います。
つまりそれが当たり前・・・
たとえ正当防衛でも
相手を殺すのは嫌だし
自分が殺されるのは
もっと、嫌!!



東條首相以下軍部の権力者たちが不幸にも
好戦軍人の極致であったが為に
日本国民は、嫌も応もなく
太平洋戦争へと刈り出されていったのだ、
故に戦争犯罪者は厳重に取り締まらねばならない!
と、事実は隠蔽しておきたいアメリカ、及び連合国は
“東京裁判”という特別演出によって、
東條首相以下を絞首刑に・・・し
このシナリオを正当化し
好戦国民、及び侵略者の汚名すら日本人になすり付けました。

事実は正反対なんですが、
公平な言論は封鎖したままですから
ずっと、70年もの間
ただただ、そのシナリオを習慣的に継続し
嘘に嘘を重ね続けてきたので
汚名を着せられたまま
汚名とも思わず
それどころか
日本人自身が反日化していったのです。


ホントの事が見えていない状態のまま、
自分達が間違っていた、と、
反省してしまう笑えない事実、
恐ろしい常識が今なお根強くはびこっています。


おかしいのは、とっくに、
外国人の方はそれに気付いていて・・・・
ほくそ笑みながら・・さらに付け込んでいる・・・
にもかかわらず、
大方の日本人はそれをアリガタイと
感じている・・・・滑稽さ

自覚のない反日は個人にとどまりません。

駅前の階段を
エレベーター付きエスカレーターにする運動・・・とか、
学校帰りの児童を地域で守ろう運動・・・・とか、
身近な民生運動を血眼にやり続けつつ、
一方で世界平和、戦争反対、原発廃止・・・・
グローバル・・聞こえの良い理想をぶち上げる
日本共産党、公明党、民主党・・・・など、など、
幼稚なポピュリズムをふりかざして人気を博した
あらゆる反日家集団が
どんなに理想を振りかざそうとも
どんなに身近なる善政を行おうとも
その実、天皇制を完全否定している限り
それは、
日本人とは言えず、紛れもない反日そのもの。

根底で日本文化=天皇制を否定しているのだから

同じ事柄を詠ったとしても結果は真逆になる訳で
冷徹なる誤りのない判断を踏まえて対処して行かなければ・・
判断を先送りにしアイマイに放置しておけば置くほど
いずれは亡国に繋がる


祖国を捨てて逃げ出すために
日本の土地を買いあさる韓国人やシナ人、
はじめ、日本の旨味に群がる外国人による
やりたい放題に晒される未来さえ見え始めています。

しかし、そういうユスリ、タカリ連中よりも
日本人自身の『反日という自覚』のない反日化
の方が深刻なのだから、
実にやっかいな、恐ろしく大変な時代です。


軍需産業が戦争を望むから戦争は絶えない。
という、非人間的利益優先主義も
残酷の度合いを増すばかり。

人の皮をかぶった得体の知れない魑魅魍魎によって
世界は支配されているのでしょうか?

例えば、ベトナム戦争は、アメリカには先の大戦や朝鮮戦争時に作った武器弾薬など軍事物資が在庫として沢山残っており、アメリカの軍需産業はフランス撤退後のベトナムで戦争を拡大させることで軍需物資の在庫一掃と、新型兵器の開発、実験と軍需物資の販売のチャンスにしたいと考えていた事が背景にあり、軍需産業は、ベトナムへの深入りを躊躇していたケネディ大統領を暗殺、自分達の意向に沿う副大統領のジョンソンを自動的に選挙もなく大統領に昇格させ、ベトナムへの軍事介入を広げて行ったのです。

その後も
まるで公共事業の様に次々と戦争を続けてきた事実。
湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争・・・・
軍事産業の論理は敵国のみならず自国民に被害が出ようが出まいが、
利益さえ生めば、それで良い・・訳ですね。

さらに、日本への原爆投下にはこのような真実が隠されていたことも知られるようになりました。

・・・・・利益追求最優先により肥大化してゆく軍需産業を背景として、ナチスドイツを倒すためにアメリカはソ連に多大なる軍事援助を行っていたが、そのためにソ連は軍事的なモンスターになってしまった。第二次世界大戦後には、陸続きのヨーロッパのみならず、中国、朝鮮、日本、インド、中近東、アフリカまでをも赤化(=共産主義化)される可能性が高まり、第三次世界戦争ともなれば、一千万人を越える人々が犠牲になることが予想されたことから、アメリカはこれを防ぐために、議会機密費で開発を進めていた原爆を完成させ使用し、ソ連を牽制するしかなかった。
ルーズベルトはチャーチルと1944年9月ハイドパーク協定で、完成した原爆はドイツではなく日本へ投下することで合意。すでにソ連や国府軍(=中華民国)、バチカンなどを通じて終戦工作を行っていた日本の、天皇制維持の要求に曖昧な対応で時間を稼ぎながら、アメリカはウラニウム型とプルトニウム型の二種類の原爆を完成させ、広島にはウラニウム型、長崎にはプルトニウム型と、敢えて二種類の原爆を使用しました。

原爆投下を実際に推進したのは、当時国務長官であったジェームス、F,バーンズですが、バーンズは1943年夏ごろにルーズベルトから原爆開発を知らされた南部出身の人種差別主義者で、トルーマンよりも政治経験の豊富なバーンズは無警告の原爆投下に反対する陸軍長官スティムソン、海軍長官ジェームス、フォレスタルら、全ての最高幹部の反対を押し切って、ルーズベルトが急逝し、大統領権限の移譲を受けるまで原爆開発を知らなかったトルーマンに対し、この世界赤化を押し留めるのは原爆投下しかないと強く働きかけ、実行したのです。このバーンズの冷徹な決断は、結果として第三次世界大戦を冷戦に代えたのでした。

原爆投下にあたって、アメリカは非常に周到な準備をしています。
原爆だけが悲惨な兵器ではないことをアピールしその非人道性を軽減するために、通常の焼夷弾でも十万人の犠牲者を出すことが出来る事を証明すべく、陸軍記念日の昭和20年3月10日に東京大空襲を実施、ひと晩で十万人以上の無辜の人々を殺戮しました。風向きまで緻密に計算した上で文字通り焼き殺したのです。又、天皇を処刑するというのであれば一億玉砕まで戦うと叫ぶメディアに煽られた日本国民と本土上陸作戦を行えば、百万人ものアメリカ軍将兵が戦死傷することが見込まれるとの試算を行って、本土決戦を避けるためには原爆投下は不可欠であるとアメリカ国内に向けて示す必要があり、その為に制空権も制海権もなく戦略的価値も少ない硫黄島をサイパンから日本本土空襲するときの通路にあり、日本に通報されて迎撃態勢を取られる、とか、帰路に被弾し不時着する航空機の乗員を救助するため、攻略することをが必要であると説き、占領する必要もないのに、日本軍が地下に潜って背水の陣を敷く硫黄島に無理やり海兵隊を上陸させ、日本の戦死者二万人を上回る二万八千人ものアメリカ軍人死傷者を出してみせた・・・・・・・・・
藤誠志著 誇れる祖国日本復活への提言より抜粋



これが、人間の仕業でしょうか?






続く














posted by 絵師天山 at 16:45| Comment(0) | 歴史の真実

2015年06月27日

続々 “かさねの色目”


かぐや姫様は、
実は・・・・・・・
奈良時代に実在されていた御方。で・・・
つまり十二単を
身に付けられたことはなかった・・・のです。
十二単が生まれたのは平安時代だから
・・・有り得ない・・

従って、十二単を着たかぐや姫を描くと
嘘!・・・・になる。
史実に反した創作は歴史画とは言えない・・
ならば、残念ながら拙作などは
真実の創作とは言えないのかも知れません。


しかし
奈良時代はどんな服飾であったのか、は
実はハッキリしていません。

古墳の壁画などに描かれている衣装がそれで・・・
と学問的にはなっていて、高松塚こそ!と
言い張る学者様も居られるけれど
・・・・誰にも確証はなく、あれは、
おそらくは外来人、渡来人の衣装を描いたものに違いなく
それを奈良時代の衣装と決めつけているだけでありましょう。

奈良時代の遺物そのものが僅かにしか残っておらず
平安時代の厖大な資料からすれば不思議なくらいに
奈良時代の資料は少ない。
時代が時代だから、かもしれないけれど
もっと他に重大な原因があるに違いありません。

特に文字による資料がなさすぎる

これが、日本には古来文字がなかったとされる定説の原因になっているのですが、
中国様から頂いた漢字をもって日本の文化がようやく花開いた、と決めつけている
現代の皮相なる歴史観はあまりにも幼稚・・・


と深読みすると、奈良時代特有の衣装美だってあった?
のかも知れませんが、
残念、遺された視覚的資料は高松塚しかないので学者方がそう言うのも仕方がありません。

私が高松塚の壁画が渡来人のものと断定するのには
明確な理由があります。
つまり後の十二単が生まれる素地を成していないから・・・

今日でも尚、世界に冠たる十二単

その要素の一つも感じられない、・・・
十二単へと発展的変容するような要素は全くない!・・・
のが高松塚古墳壁画にあるところの衣装だから・・・デス





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これが元になって後に十二単が生まれた・・・
なんて逆立ちしても思えない。
有り得ない・・・・でしょ、素人にも分かります

こんな事は少しの想像力と「人としての普遍性」から類推すれば直ちに誰でも解るはずだが、現実に残っている遺物に囚われ切ってしまっているので、想像の余地がなくなる・・・
つまり西洋式学問だから・・・

日本人はこの点でも大損しているのですが、
話が横道に入り過ぎるので・・・・




★★★★★★★★★★★★★★★★★★



十二単という装束は
肌に近い方から
・・単(ひとえ)
・・五ツ衣(いつつぎぬ)
・・打衣(うちぎぬ)
・・表着(うわぎ)
・・唐衣(からぎぬ)
と、重ね着する。





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下半身には
・・・袴(はかま)、を着け、腰に
・・・裳(も)、を付けて
長い髪の毛が床に直に触れないようにする・・・





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で、≪かさねの色目≫、というのは主に五ツ衣の色をどう重ねるかにある訳です。

五ツ衣はつまり五枚重ね、のことですが、
藤原時代全盛期には五枚が十五枚、二十枚にも膨れ上がった!
けれど、結局は五枚を標準とする様に定まりました。
つまり、十二単は十二枚重ねではなく、
正確には?
九枚・・・くらい

≪かさねの色目≫

同じ色の濃淡で下から上へ順次濃くかさねてゆくものを、
匂(におい)

匂(におい)式の一種で下部二枚を白とするものを、
薄様(うすよう)

以下
・・・同じ色を五枚かさねるもの、
・・・二種類の色を濃淡でかさねるもの、
・・・全部ばらばらの色
等々幾通りか大別され、
平安時代に定まったものが多いけれど
呼び名やかさね方は厳密には統一されていない場合も・・・、
典型的な松重(まつがさね)などは、
四季を通じて着ても良いことになっているけれど、
類型もあって、
決定版はないんだが、
大きく外れている事もなく、
統一されてはいないけれど共通項は必ずある。
まして季節にあった装いとしてのかさねの色目という
厳密な決まりの上にヴァリエーションを楽しむ、
というスタイルだったのです。


一番上に着る唐衣、オミゴロモ、とも言いますが、
これが一番露出面積が広く、
次いで表着と一番肌に近い単、
その下の袴が広く
かさねの色目としての五ツ衣が一番狭い


露出面積は一番狭いけれども
“全体の感じ”にとっては
五ツ衣こそ
最も強い影響力がある訳で、
こんな奥ゆかしい美意識に基づいた
衣装美はまずあり得ない。
つまるところ
自他共に認める

世界最高峰の十二単

その衣装美の核心は

≪かさねの色目≫
そのものである、

と言えるのであります。








posted by 絵師天山 at 22:34| Comment(0) | 装束 

2015年06月17日

続“かさねの色目”


現代の和服だってそれは立派な
世界に冠たる衣装美。


振袖も紋付き袴も、人目を引く
圧倒的存在感があるし、


燕尾服で固めても・・・・実は、
和服の正装の方が似合うのは
日本人として当然のことでありましょう。

和服文化も残念、
日常から切り離してしまって
ネクタイに背広・・・
似合いもしないのに、
ミリタリールックに惚れるのは
洋の東西を問わない・・とばかり、
スーツ姿が和服を凌駕してしまったのですが、
日本人としては実に惜しい、
コチラの欧米化も根が深く、日本人は
ずいぶんと損している訳ですね。


和服の原点である装束に至っては
神社の神官、雅楽、相撲などにその一部が使われ
そして本格的には御皇室にのみ遺され
日常どころか、殆ど着用した一般人はいない?
くらいに、滅んでしまいそう・・・・だけれど、
その存在感は和服をはるかに凌駕するものであり
この衣装に驚愕しない人は
世界中探しても一人もいない!!・・・くらいの
それはそれは高いレベルの衣装美なのであります。









コチラがいわゆる【梅襲】(うめがさね)


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実に美しいものです・・・・



       
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『襲』の色目(かさねのいろめ)の典型ですね
一枚一枚の衣も美しいがそれを着重ねして
その配色を思いきり楽しむ。

楽しむ為には
配色を考え、整え、創意工夫を凝らしに凝らす・・・



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如何ですか?
時間をかけて普遍性を求めた素晴らしい配色

『襲』の色目(かさねのいろめ)そのものが
最高の芸術品なんです。





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       高円宮憲仁親王殿下




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       高円宮妃





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      秋篠宮文仁親王殿下




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      秋篠宮妃






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             今上陛下、皇后陛下











紅の薄様
くれないのうすよう・・・

紫の薄様
むらさきのうすよう・・・・

紅梅の匂
こうばいのにおい・・・・



なんと雅なことでしょう、
日本の風土、季節を楽しむのに
これ以上の方法がありましょうか・・・








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              かぐや姫











 
posted by 絵師天山 at 12:50| Comment(0) | 装束 

2015年06月12日

かさねの色目


“かさねの色目”


久しぶりに衣冠束帯や十二単を代表とする装束について
語ろうと思います。
このところなかなかに忙しく、
ブログを更新する余裕が・・
でもこういう時こそ
新鮮な世界に入り込んで行かないと、
次なる創作の原動力は生まれない。
創作は、まずは気迫  ・・が肝心ですから・・・
意欲的に学び、新たなる創作に繋がれば・・・と、
どうぞお付き合いください・・

★★★★★

“かさねの色目”と、言うのは何か?と申しますと
元々は
一枚の袷(あわせ)仕立ての衣(きぬ)の裏表
・・・のあわせ色のこと。

色の配合の妙を楽しみ、透けて見える裏地の色と表地の色とを重ね合わせて季節感やTPOを追究したので・・
それを『重ね』・・・と言い、
後には、
その衣(きぬ)を幾重にも着装して表される衣色の配合も

“かさねの色目” と呼ぶ様になりました。
コチラは、『襲』の色目(かさねのいろめ)・・・と言う。

いわゆる十二単の十二枚が一枚づつ裏表の衣になっていて
さらにその十二枚の色合い、並べ方にあらゆる工夫が凝らされている事を云うのです。
ホントは十二枚も重ねる事はありませんで、5枚だったり7枚だったり、
季節によっても、場によっても、時によっても、違えることを楽しんだ訳です。ね。


現代人のコーディネートと似たような感覚でしょうか・・・・?!。

が、現代のコーディネートと違うのは
決まり事が明確にあった、と言うところで
代表的なかさねの色目はおよそ120種類
それに準じて個人の好みやら、先輩の指導等で
さらなるヴァリエーションが・・・


何枚もかさねるのではさぞ重たかったでしょう・・?!
と言われる向きもあろうかと思いますが、いえいえ、
シルク!!、
ホンモノの絹は、雲の様に?
軽い・・・ので全然快適!
湿気が多い時でも適宜に吸い取ってくれるし
寒くても温かくいられるし
暑くても涼しい顔をしてられるのが正絹さま・・・・

かく言う私も衣冠束帯を着けてもらった経験がありまして
本格的なモノとは言えないまでも正絹だったので・・・
それはそれは超快適でありました。


もともと偉そうな風貌なので余計に偉そうに見えましたが・・・



          
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重ねの色目・襲の色目(かさねのいろめ)

平安時代の服飾文化は有史このかた最高峰であるというのは定説。
成人式の振り袖も霞む・・し、
どんな立派な民族衣装にも絶対負けないスバラシサ
圧倒的存在感!!


社会的上層階級の文化の様に思われがちですがですが
下層庶民がその資を提供しなければ成り立たなかった、
のですから、総体としての日本文化そのもの、やはり、
日本人は偉い!凄い!


高貴(あて)・雅(みやび)に相応しい生地の質、色彩が施され
袷仕立ての衣では、表地と裏からチラリと覗く裏地との色彩の調和に気を配り
衣色の配色、かさね方に心を砕き・・・腐心する・・・
重ねの色目・襲の色目双方共に確固たるセンスと鑑識眼が必要であり
さらには
お手紙用の草木染め和紙の色目取り扱いまで
それはそれは、ヤカマシク要求されたのです。


宮廷での
晴(ハレ)=公。

褻(ケ)=平常。

に合わせ
総合的複合的明確なる基礎知識は必須であって
殊に女房社会では和歌の素養と共に
この素養のないものは仲間入りさせてもらえなかった・・・





続く・・・




posted by 絵師天山 at 13:29| Comment(0) | 装束 

2015年06月07日

魅惑の百人一首 74   源俊頼朝臣 (みなもとのとしよりあそん)


【源俊頼朝臣】(みなもとのとしよりあそん)

憂かりける人をはつせの山おろし烈しかれとは祈らぬものを

   うかりけるひとをはつせのやまおろしはげしかれとはいのらぬものを





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             天山書画





「憂かりける人」 は、私に対して辛く当った人。
つまり、自分になびいてはくれなかった女性、
片想いがまるで実らなかったのですね。


「はつせ」 は、初瀬 で、長谷寺の事。
大和国初瀬(現在の奈良県櫻井市)
京都の清水寺(きよみずでら)などと並び称される霊験あらたかな名刹
現代でも、長谷観音として十一面観音様と牡丹とで良く知られておりますが、
当時とて同じ、願掛けのメッカであり、指折りの衆生済度スポットでありました。


祈れども・・・山おろしの・・
烈風の様に撥ねつけられ・・・
あはざる恋・・と、相成り・・・。
振られ方も半端じゃあなかったのです。


恋の御利益祈願は完全に裏目・・・・

当時都から初瀬までは遠路、
古刹として有名であり誰でも一度は詣でてみたい処だったのでしょう。
山間部に有りますから「山おろし」も良く知られていて、初冬ともなれば、それは淋しく侘しい山里。
冬に向って耐える感じが余計に破れた恋を連想させるのです。


恋の成就には失敗したけれど、歌としては御見事!
と、お慰めしましょう・・・・か、・・・

「憂かりける」と意外な言葉で始まって
「はつせ」 「山おろし」 「烈しかれ」・・と、
緊迫感があふれ・・強く、実に高い調べ・・・
繰り返し口ずさめば・・・ホント・・に、
良い詠歌デス。


才気が光る!・・
のも・・・当然? 
この歌は「千載集」の詞書によると、
藤原定家の祖父、藤原俊忠(としただ)の屋敷で、
「祈れども逢わざる恋」という題で詠んだ題詠の一首。
つまり、空想の恋を名作に代えた!!

凄いですねーー、
才能というのはこういう事を言う。
当然和歌の道を極め、人に教える立場にあったし
歌論書『俊頼髄脳』は現代でさえ超一級品と言われ、
ちょこっと覗いてみただけでも求道の深さが感じられ、
昔の人の方が、・・・
考え方が何倍も深い・・ことに驚かされるのです。

現代人は、何事も“コンビニ生活”
便利この上ない?・・かも知れない日常だが
実は、その手近かさ、簡便さそのものが
物事を深く考えない因になっていて、詰まる所
創作力が育たない様、飼いならされている?
のではないかと・・・・思うのです。


飛躍しすぎかも知れませんが・・・
心の底から感動させる創作が生まれない時代になってしまった・・
考え方が深ければ深いほど魅力が溢れて来る
解釈の深さ、と言うか・・・
思わず魅せられ・・立ち尽くす・・・そして、
いつまでも心に残る・・
この歌の様な・・
ホンモノのクリエーションに心底憧れます。


≪もみもみと人はえ詠みおほせぬ様なる姿≫・・・・

と、この源俊頼を絶賛したのは、後鳥羽院。

反日北条氏(=鎌倉幕府)によって犯罪者と認定され
隠岐の島へ流され、・・・・・て、19年。
還御することなく薨去された悲劇の天皇は、
ご自身が希代の名歌人であられ、
さらに当代の名歌人達を指導されつつ
勅撰和歌集編纂に尽くされました。
島生活のご日常であっても
頂点に立つ戴冠詩人ならでは、・・・
和歌の道を御自ら深めておられたのです。


遺された【後鳥羽院口伝】を読んでみると
実に公平な、ごもっともな、
名歌人達への個人評が書かれており
“もみもみと”と、いう形容詞は院独特の表現であり、
いかにも宜しい・・・・
といった意味の、それは、最大級の賛辞であります。









posted by 絵師天山 at 16:11| Comment(0) | 百人一首

2015年06月03日

魅惑の百人一首 73   権中納言匡房(ごんちゅうなごんまさふさ)


【権中納言匡房】(ごんちゅうなごんまさふさ)

高砂のをのへの桜咲きにけり外山のかすみ立たずもあらなむ

   たかさごのおのえのさくらさきにけりとやまのかすみたたずもあらなん






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             天山書画






高砂、は枕詞。
尾上、は をのえ で峯。
外山、は 深山 に対して人里近い山。
立たずもあらなむ、は 立たないで欲しいナァ・・・


内のおほいまうち君の家にて
人々酒たうべて歌詠み侍りけるに
遥かに山の桜を望む、といふ心を詠める
大江 匡房(おおえ の まさふさ)
と、後拾遺集に。

内のおほいまうち君、とは内大臣藤原師通、
内大臣のお邸で酒宴が催された折の題詠歌。


いわゆるお題があって、
それを基に競い合って楽しんだのです。
今でいえば、大喜利??みたいな・・・


大人気番組笑点・・の、ノリ。

先の行尊による桜の歌は深山幽谷に修行として分け入り、
思いもかけず見た山桜、だが
コチラは、華やかな都の真ん中、しかも酒宴で桜を想定しての詠。と、言うわけで、好対照とされて長く親しまれて来たのでしょう。

春の花見は外山から奥山へ
秋の紅葉狩りは奥山から外山へ
と言うのが現代にも続く自然な約束事。


洛北や洛東に桜が咲く頃には既に外山は咲き終わり、
霞がちな日和が続く・・・
と言う観念を踏まえて詠まれた処に妙味があるのです。


題詠は、与えられた題に従って読むので
当然、モチベーションは受動的。
だから、初心者には難しいが、ベテラン同士の詠いっこ?
となれば、超 面白くなってくる。

当意即妙、経験値もめいっぱい繰り出して
次から次へと溢れだすように詠み合ったのでありましょう。
その中の名作が、長く遺されることも・・・

題詠による歌合せでなければ出来ない作品が生まれるのですね。


女房達が女主人に代わって詠む代詠にも通じています。
宮仕えのインテリ女房・・・
紫式部 清少納言 和泉式部 赤染衛門 菅原孝標(たかすえ)の娘・・・等々
女主人の代わりとなって
儀礼的な挨拶を詠んだり
お礼を述べたり、
遠まわしに断りを伝えたり、詫びたり・・・
主人の魅力を総合的に演出するのがお役目。


作者 大江 匡房=権中納言匡房 は
博学多才で知られた学者様。
詩文家としての名声も高かったし
軍学や有職故実をも極めた碩学でありました。
代詠の名手でもある赤染衛門の曾孫に当たるのも
ナルホド・・・・・と頷けますね。


血はあらそえない
・・・・

後冷泉、後三条、白河、堀川、
四代の天皇にお仕えして大活躍
重用され正弐位権中納言大宰府権師(だざいふごんのそち)までになり
それ故 江の師(ごうのそち)とも呼ばれております。











posted by 絵師天山 at 10:54| Comment(0) | 百人一首

2015年06月01日

魅惑の百人一首 72   祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい)


【祐子内親王家紀伊】(ゆうしないしんのうけのきい)

音にきく高師の浜のあだ浪はかけじや袖の濡れもこそすれ

   おとにきくたかしのはまのあだなみはかけじやそでのぬれもこそすれ





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「浮気ごころで有名なあなたからの言葉は心に掛けますまい!うっかり乗ってしまえば、後にはつれなくされて袖を涙で濡らすハメになりかねませんから・・・・ね」

と、いう意味を

この和歌から読み取ることは

もはや現代人にはムリ 
と言うものでありましょうか?


字儀通りの意味さえピンと来ないし、
何の事をいっているのか良く分からない位ですから、
まして、言外の意味をくみ取れる筈もありません。

けれども、この様に簡単に意訳してもらえれば、
ハハーン、なーるほど!
ちょっと粋だねぇ、・・・・・と感じることは
無理なく現代人にも頷けるはず!


男の口説き心を軽々と跳ね返すような恋愛ごっこは
むしろいつの時代にも共感されるモノ!


この歌が生まれたのは康和4年(1102年)閏五月。
堀河天皇御主催の艶書合(えんしょあわせ)での事。
男が女へ求愛の和歌を贈り
女の返歌を番えた歌合=ケツブミアハセ・・とも言いますが
つまり遊び。ゲーム!

            ・・・・なんでケツ??


始め後朱雀天皇中宮に仕え次に
その第一皇女である祐子内親王殿下にお仕えして、
一宮紀伊
と呼ばれた作者は、紀伊守平重経の妹。

このかへし歌の元になった贈歌は・・・

人しれぬ思ひありその浦風に浪のよるこそいはまほしけれ

   ひとしれぬおもいありそのうらかぜになみのよるこそいはまほしけれ

浦風と共に浪が寄せるように、
あなたへの思いを満たしてください・・・・ーー。

に対する返歌がこの作品です。

だから高師の浜を持って来てあだ浪と言い、
ぬれもこそすれ・・・と答えた。



当意即妙なる冴え!
艶っぽさも極上じゃあないですか!








posted by 絵師天山 at 08:00| Comment(0) | 百人一首

2015年05月31日

魅惑の百人一首 71   大納言経信 (だいなごんつねのぶ)


【大納言経信】(だいなごんつねのぶ)

夕されば門田の稲葉おとづれて蘆のまろやに秋風ぞ吹く

   ゆうさればかどたのいなばおとずれてあしのまろやにあきかぜぞふく






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               天山書画






「おとづれて」は、「訪れて」ではなく
音を立てて来て・・・・の意味。
門前の田んぼの稲が風で擦れ合って音を立て・・ 
 

「蘆のまろや」は芦で葺いた屋根の仮小屋、のこと。
実りの秋の夕方をテーマに詠んだのでしょうか・・

作者経信は、宇多源氏の流れ、
藤原道方の息子、
和歌だけでなく琵琶に長じ有職故実にも詳しく
藤原頼通の摂関時代に重用され、
正二位大納言に至る大活躍。
俊頼の父、後出俊恵法師の祖父でもあります。

夕されば=夕方が来ると・・・
この、夕されば の出だしが効いていますネ
「稲」と「蘆」と
「門田」と「まろや」と、
何か良い、・・・床しい響き・・・
秋風が身に沁み入る…気配


技巧を凝らしたわけでもなく
スッキリと詠んで
口説くでもなく、社交でもない、
和歌の為の和歌・・・・と言うか
純粋芸術の香りが仄かに・・・

用を伴わない美と言うのは
絵画の世界においても珍重される事。

素直なる感傷の表出こそ
深い感動をさりげなくもたらすものでありましょう。


しかし、実は「まろや」は梅津という地の山荘で相当立派な別荘であったらしく、その前に広がる田も肥沃で広大なる田圃であり、つまり、実景を詠ったのではなく「田家秋風」という題詠であったことが分かっています。
写実絵画からはファンタジーが生まれにくいように、心象としての大人の和歌、と言うべきではないでしょうか。





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2015年05月30日

魅惑の百人一首  70    良暹法師(りょうせんほうし)  

めでたく・・
後半、折り返し地点に届きました。
魅惑の百人一首、今回で70首目!

御家柄からか?
幾分クサみを感じるほどの芸術家肌であったらしい
藤原の定家様、・・老後、小倉山山荘に隠居して
百人の和歌を一首づつ選定し、色紙形に書いて
障子に押し楽しんだ・・・・
これを一般に百人一首と言い
あるいは、小倉山荘色紙和歌とも・・・言う。


もっとも
定家生存中に広く知られた訳ではないらしく
風雅として、“和歌をしるし障子に貼る”、
という当時の流行があって
子の為家が父の選定ナリとして世に広め、
いつのころからか定着し始めたものが
現在に続きました。

入るべきものも入っていないのもあり
入っているものにも
作者が特別重んじていたとは思えぬたぐいのものもあり、
定家の選定基準こそ正しいなどとは言えないでしょうが
この百人一首が
日本を支えてきた歴史を考えれば
定家卿の地位存在は欠かすことは出来ません。


なにしろ御子左家・・・京都に今でも御子孫が繁栄し
正真正銘現在までに続く冷泉家の名士・・・
定家卿、その父俊成、子為家、は日本文化のコアを形成したのです・・・

日本文化のエッセンスを
ダイジェスト版でおさらいしてくれる百人一首ですから
日本人として必須アイテムと言うべきであり
千年という時さえ超越し
家庭に常備されて親しまれて来たと言う事は
すなわち日本人の文化性の高さそのもの!
・・・・と言えましょう。

定家の選定基準が絶対ではないにしても
ここまでに人口に膾炙したのには
立派な理由があり、
くみ立ての巧妙さ・・・・

日本の国柄の歴史と文明の歴史を良く百首の歌と百人の人物によって示している

という定家卿の天才的巧妙さ故に
字数にすれば3100字あまりの詩集である
この百人一首によって
日本人は古典文化の
実に親しみ易い
家庭版
を持つことが出来た、・・・
のですね。
まことに有り難いことです。
スバラシイ事であります!

さて今回は・・・





【良暹法師】(りょうせんほうし)

寂しさに宿を立ち出でてながむればいづくも同じ秋の夕暮れ

   さびしさにやどをたちいでてながむればいずくもおなじあきのゆうぐれ







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              天山書画






先回の能因法師による絢爛華麗なる秋の歌に比してこの地味さ・・
なんともこの地味さ加減はどうでしょう・・・・

解り易く一読すれば意味はわかる平明な作品ですが
少々ウラブレた感じが・・・
スネてる?のか?とも見受けられ・・・


秋の夕暮れを詠んだ歌は三夕の歌として良く知られた三首があり・・・・・

心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ
西行

さびしさはその色としもなかりけり真木たつ山の秋の夕暮れ
寂蓮

見わたせば花も紅葉もなかりかり浦の苫屋の秋の夕暮れ
定家


こちら良暹法師(りょうせんほうし)の詠は
この超有名!・・・なる
何れ劣らぬ・・・名作中の名作
三夕の歌の母体となった、と言われており
単なる・・・、ウラブレもの!というだけの評価ではないのです。


殊に契沖の評はなかなかに深く
・・・これは秋の夕ことの淋しさ独り宿に有りて堪えがたきままに立ち出でてかからぬ方もありやとて所をかへて見れども、さびしさ我が宿にかはらぬ夕なれば、いづくに行きても此のさびしさはなれぬことわりを知る心なり、さびしさとは常にはつれづれとあるをのみいへり。
              契沖 百人一首改観抄より   


契沖は百人一首の見事な解釈及び評によってしられた阿闍梨(あじゃり)ですが、この歌に対してははこう、見事に、説いているのであります。
実感を作為せずにすらりと詠み上げるという、当時としてはザン新極まるニュースタイルの作風だったのですね。

作者良暹法師はりょうぜんとも呼ばれ、
詳しい伝記は分かりませんが母は藤原実方の女童白菊、
元比叡山の僧で晩年には雲林院に住んだらしい、
宮中歌合にも召された歌僧。
後朱雀、後冷泉朝期に活躍した事が分かっています。








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2015年05月29日

第70回春の院展京都展


第70回春の院展京都展が開催されます。
6月3日〜15日 京都高島屋7階グランドホール


シツコイくらい、羽衣が使われております、
どうぞ御高覧下さい。
同人小品展(五浦会)も同時開催!





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    【遊魂 和泉式部】


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“近くて遠きもの、鞍馬のつづら折”・・と、枕草子の語る洛北鞍馬寺。さらに山道を辿り深い杉の森を歩めば薄暗い木立の間から貴船川の細流が望まれ、貴船神社は涼を求める夏の景勝地。平安王朝の貴女たちがしばしば参籠した清らかな神域です。
古今著聞集に曰く『和泉式部、をとこの離れ離れに成りけるころ、貴布禰に詣でたるに、蛍の飛ぶを見て、・・・もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出ずる魂かとぞみる・・・・と、詠めりければ、御社の内に忍びたる御声にて、・・・・奥山にたぎりて落つる滝つ瀬の玉ちるばかりものな思ひそ・・・、その徴ありけりとぞ。』
神様さえ感銘なされた和泉式部の名歌を画因としました。第70回春の院展出品作品の部分図です。













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2015年05月28日

理想美術館 8   狩野探幽 【源氏物語屏風】


狩野探幽作 【源氏物語屏風】

狩野探幽(かのうたんにゅう) 
という名人は、江戸時代の御方であり、狩野派の最大にして最高のピークを形成したその張本人であり、生きているうちの名声は勿論、亡くなった後の世にさえその名声は轟いており、悔しいくらいメジャーであり続けている・・・まぎれも無き大名人・・・・

私などの野人からすれば、もう嫉妬してしまうくらいの存在なんでありまして、
その行くトコロ可ならざる無き作風は脱帽させられるばかり・・・・
その扱われ方に於いては、羨ましいくらい・・・・。

このお作品【源氏物語屏風】は、天皇陛下のご所有。
いわゆる御物。








        tanyuenji2.jpg










国宝は巷の宝物ですが、御物は御皇室の所蔵であり、別格。
しかも狩野探幽作の【源氏物語屏風】は御物中の御物、!

とされ、なかなか、そう簡単には拝見することさえママならない・・・




        tangennji.jpg




        tanyugennji1.jpg





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そもそもここで申し上げている『理想美術館』というのは、
私にとって都合の良い、
自分が満足するための美術館構想でありまして、
・・・・・
自分の作品が、自分の好みにとって、
一番都合のよい手段方法で永遠に保存されてゆくこと
を企図した、大変、手前勝手なる美術館であり、
それ以上でも以下でもない。



が、

自分の誠心誠意、ぎりぎりに精魂込めた作品群がすべて御物に、!!
もし、なるならば、!!
万が一
皇室のご所有に帰するならば
この私の満足の為の美術館構想など
どっちでも宜しい・・・



御物以上の公はありません、

・・・・・・・・
・・・・・・・




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         源氏物語屏風 狩野探幽作六曲一双 部分





ともあれ、
狩野探幽は慶長7年生まれ、
関ヶ原の合戦直後のことですから、
ざっと、その活躍期は、今から400年前。

つまり死後400年間もの長い間
その名作品は時を超え・・
人々に“美しさ”を語り続けて来た訳でありまして
非常に良いとされる作品は

長い間
数多の人の目に触れることによって、
さらにさらに・・・・
・・・益々その真価は浸透し、
誰知らぬものも居なくなる。

いわゆる【人口に膾炙する】
・・・というのはこういうこと
ちょうど400年位・・・・
美術品としては最も周知されやすいピークであるとも言える。

どういうことかと申しますと、
500年以上経た作品は経年劣化が激しくなりますので、
いくら名作品であってもその劣化は止めようがないから、
やつれ方は時が経てば経つほど尋常でなくなるのは当然、
・・・・押しとどめる事は不可能。

データとして遺すことは出来るが
ホンモノが醸し出す魅力には遠く及ばない
オリジナルこそ真実だから


美術はオリジナル以外の価値はナイ
と言いきれる、のであります。


従って、人口に膾炙したころから
決して止められない
モノとしての劣化が始まるのであり

500年以前の大天才による名品が
例え探幽を遥かに勝る!
としても
物としての美しさは遥かに劣る・・・から
ちょうど400年くらい経た名品あたりがまだ
モノとしての美しさを十分留めており、
しかも人口に膾炙され、周知されたので、
その光彩をさらに際立たせている事になるが故に
羨ましい程に高い評価を受けるのであります。

出来たてのほやほやの名品は
ホントに名品であっても
まだ多くの人に知られてはいない・・・
モノとしての新しさは格段だが、
まだまだ認知され方が僅かでしかない訳ですね。

その点で、円山応挙とか尾形光琳とか
狩野探幽あたり、
江戸時代初期の名人達は随分と得をしているのです。

そこへ行くと
巨勢金岡などは、
1000年近い昔の大名人だから
もうモノとしての名作品は一枚も遺されておらず
残念、伝説の巨匠でしかない。

平安時代の貴族の日記にしばしばその名前が登場し、当時のもてはやされ方は半端ない巨匠であるにかかわらずそのオリジナルを楽しむことはもう全く出来ないからであります。

美術品は結局モノ・・だから
いつかは滅ぶ
が、
日本に限って美術品は
モノとして亡び続けたけれど
名人が続出するお国柄故に、
必ずいつの時代にも
もてはやされるべき名品が存在し
名人続出による名品、
モノとしての、オリジナルの美しさ
は、途切れることが無かった。
これからも、
きっと・・・
モノは有限だが、
日本人の美意識には限りが、
無く・・・


それにしても、この屏風はスバラシイ!

平成の源氏物語屏風をこの手でぜひ・・・・










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2015年05月27日

花のいろ 風のおと 〜特選日本画収蔵作品展〜ギャラリートーク

栃木県は
さくら市ミュージアム−荒井寛方記念館−
で、
花のいろ 風のおと 〜特選日本画収蔵作品展〜
が開催されます。

会期は平成27年5月23日から6月28日まで
5月31日 日曜日には、ギャラリートーク開催

天山も参加致します。


今回は、さくら市にちなんで、桜作品を出品致しました。


【春の音】


  

           harunone.jpg







人物画を究めたいと思い始めたころの院展出品作品です。
この美術館では今年から
院展も巡回する予定になっています。



           ★


さくら市ミュージアムは歴史・民俗・自然・美術と幅広いジャンルをテーマに展示と収蔵を行っておりますが、このたびの展覧会は収蔵美術作品の中から、選りすぐりの日本画をご紹介いたします。
 現代日本画界をリードする現代作家の代表作を展覧し、日本画の繊細な色彩やダイナミックな構図、美しさをご覧いただきと思います。院展、日展と日本を代表する展覧会で活躍を続ける作家の現在を紹介することで、現代の日本画が示すものもみえてくるでしょう。そして何よりも、作品のモチーフは花や景色、人物などで、親しみを感じるものばかりです。
 光あふれる美しい季節に美しい作品を鑑賞することで、絵画芸術を身近に感じていただき、当館に気軽に何度でも足を運んでいただきたいと願っております。装いも新たなミュージアムで魅力ある絵画の世界をゆっくりご鑑賞ください。

                ★




会期:平成27年5月23日(土曜日)
   〜6月28日(日曜日)

開館時間:午前9時〜午後5時
(入館は午後4時30分まで)
休館日:月曜日、第3火曜日、祝日の翌日

スペシャルギャラリートーク

日時:5月31日 日曜日 午後2時〜3時
講師:森賢司(元遠き道展実行委員会代表)/
   荒井孝(院展特待)/加藤普(日展会員)/北田克己    (院展同人)/
   高橋天山(院展同人)/福井爽人(院展同人)
場所:さくら市ミュージアム 展示会場
※予約不要、観覧料でお聴きいただけます。
【ギャラリートークにご参加の先着50名様に出展作品のポストカードプレゼント】



どうぞ、ご参加ください。








posted by 絵師天山 at 16:27| Comment(0) | アトリエ天山からのお知らせ

2015年05月14日

魅惑の百人一首 69 能因法師(のういんほうし)


能因法師(のういんほうし)


嵐吹く三室の山の紅葉ばは龍田の川の錦なりけり

   あらしふくみむろのやまのもみじばはたつたのかわのにしきなりけり





          nouin.jpg
           天山書画






世捨て人として歌を詠みつつ
山野に暮らす・・・・
後の西行法師のような、
ある種理想追求型・・・
隠者歌人の魁、先駆者? が、この
能因法師(のういんほうし)  らしい。


名族 橘氏の出であるほか
詳しい事はわからない様ですが、
「都をば霞と共に立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」
という歌を都で作り、
みちのくを旅行したふりをして家に籠り
顔を日焼けさせて後、旅から帰ったとふれ回った、
そんなお茶目ぶりも伝わっております。


当時の都人からすると陸奥=みちのく
は文字通り 道の奥、であり、
憧れの地でもあり、一度は行ってみたいところ、
見栄張ってハワイに行きました!風な
演出も シャレのうち・・・
こんな逸話が残るほど歌好きであり、
歌名人でありました。


平凡なる日常をいかに非凡に暮らすか!?
芸術はその為にあるので、
当時の歌人たちには
芸術!ナドというクダラン自意識は、
全く無かった事でしょうが
身の周りを楽しませる心は
強いものがあったのであろうと思うのです。

紅葉が風に散らされて川面さえ彩られてしまう、・・・

という平明端的な歌であって
ヒネリも何もなく、
一直線に読み下してみせた
如何にも内裏歌合せの看板となりそうな作であり、

飾られる事を考えつくした絵画の様でもあります。

竜田川は言わずと知れた紅葉の歌枕
龍田姫と言えば紅葉を司る女神様のこと


秋の紅葉の代表者であります

ちなみに春を司る女神を佐保姫と申し上げ
いづれも奈良の都の時代に言いはやされてより
今日なお続いているのでありましょう。


名歌人最晩年、
宮中の歌合せに召され
重い腰を上げ、軽々と
持てる全力を傾けた代表作
である、と言えましょう。









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2015年05月13日

魅惑の百人一首 68 三条院 (さんじょうのいん)


【三条院】(さんじょうのいん)

心にもあらで憂き世に永らへば恋しかるべき夜半の月かな

   こころにもあらでうきよにながらえばこいしかるべきよわのつきかな






             sannjyouin.jpg              
              天山書画





例ならずおはしまして
位なぐさむと覚しめしける頃
月のあかかりけるを御覧じて
三条院御製・・・・・・


ありますのは、後拾遺集。


そもそも天皇に大権がおわしますこそ本来でありまして、
院=上皇、が天皇を差し置いて頂点におわす、と
言う事そのものが常態ではありません。
院政というのは、相当イビツなる政体・・・


例ならず、は
御病気で、
院という御位も降りてしまおう
とお考えになっておられる時に

月を拝して詠まれたのがこの御製です。


御製とはいえ、
少々うらぶれた感に満ち満ちており
それもそのはず、
第六十七代天皇となられましたが
御病弱。
特に御目が悪く、・・さらに、
御在位中二度までも皇居が炎上!
左大臣であった頃の道長が
自身の孫でもある後一条天皇を早く即位させようと画策
この三条天皇にあの手この手の圧迫を加え
・・・・やむなく御退位。
翌年にはナント
崩御されてしまわれたのですから、
全く・・・悲運の陛下と言わざるを得ません。 


肉体的精神的政治的苦悩・・・
三重苦にさらされた失意は
美しい夜半の月に向けられたのであります。

その月さえも失明の危機に曇りがち・・・・でしたが


御在位僅か五年、
道長に強いられて退いた天皇の
哀れ深い、
しかし、
これ以上ないほどに
澄み切った御製であります。


道長は娘彰子を一条天皇に入内させ
その中宮彰子に皇子誕生するや
この孫を天皇とする為
三条天皇を一刻も早く退位させたかったのです。


中関白家の栄華を中宮定子の後宮が代表し、道長の栄華を中宮彰子の後宮が代表し、両者の相克、活躍がかの紫文を頂点とする王朝女房文学を生みだしたのですが、その陰にはこのような理不尽が山積みされていたこともまた事実であったのかもしれません。




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2015年05月12日

魅惑の百人一首 67 周防内侍 (すおうのないし)


【周防内侍】 (すおうのないし)

春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ

   はるのよのゆめばかりなるたまくらにかいなくたたんなこそおしけれ







             suounonaisi.jpg
               天山書画






二月ばかり月のあかき夜
二条院にて
人々あまたゐあかして物語などし侍りけるに
周防内侍よりふして枕をかなと
忍びやかにいふを聞きて
大納言忠家
是を枕に   とて、
かひなを御簾の下より
さし入れて侍りければ
詠み侍りける


なんとも艶めいた、春の夜の夢の様な詠であります。

『甲斐なく』、と『かひな(腕)く』とが掛けられております。

枕の代わりに自分の腕を差し出す男

女の方は、悪い気はしないまでも、
そんな、安っぽい事言っちゃって、
浮き名が立ってしまうじゃあないの!

戯れ事の夜物語ですかね、


しかし、とっさに出た歌にしては上等
『春の夜の夢ばかりなる手枕に・・・』
こういう上の句はなかなか思いもよりません。
見事!一本!
いかにも優艶 耽美。

作者周防内侍の才気はなかなかのものであります。

忠家の返しは

契りありて春の夜ふかき手枕をいかがかひなき夢になすべき

(大意:前世からの深い縁があってこの春の深夜に差し出した手枕なのに。それをどうして甲斐のない夢になさるのですか。)

コチラは、若干軽く、ソコソコのお返事でした。



この場合の二条院は道長の五男関白教通のお邸。

但し周防内侍が仕えていた
後冷泉天皇の中宮章子内親王は
「二条院」の院号を宣下されているので、
その御所であるとも考えられる様です。
いずれにせよ、
大納言忠家も周防内侍の才気には
脱帽  、というところでしょうか。




 『栄花物語』続編において、
姫君の中の姫君として章子内親王は登場します。
父は道長の孫天皇、母は道長の娘で、
幼い頃すでに最高位である一品に叙せられ、
後冷泉天皇の中宮、
御子がなく国母にはおなりにならなかったものの
女院の称号を戴くなど、(これは異例の事・・・
当時最も高貴な女性の一人でありました。
周防内侍はこの方に仕え活躍したのですね。








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2015年05月11日

魅惑の百人一首 66 前大僧正行尊 (さきのだいそうじょうぎょうそん)


【前大僧正行尊】 (さきのだいそうじょうぎょうそん)

もろともにあはれと思へ山さくら花よりほかに知る人もなし

   もろともにあわれとおもえやまざくらはなよりほかにしるひともなし





            gyouson.jpg
              天山書画





大峯にて
おもひもかけず
さくらの花のさきたりけるを見て
詠める・・・・・・
と詞書にあり、

大峯は吉野の奥、十津川の源流域。
修験者の天然道場としてメチャクチャ険しいあたり・・・

『千日回峰行』など、
修験道の修行は厳しく
深山幽谷で孤独に耐えつつ
心身をギリギリまで追い詰める。


行者として大峯山中に分け入った 
この歌の作者行尊が
自分と桜とを同位に捉え
自分の心情と掛け合わせ
詠じたものでありましょう。

禅問答みたいな感じもありますね。


露に濡れぬは露ばかり・・・・
などと、
訳わからんことをわざわざ語ろうとするのは
宗教家にありがち・・・  


もっとも、
道を求めているのは宗教家ばかりではありませんから
誰にでも若干の共感は湧くとは思いますが
・・・・・・・。

「あはれ」は憐憫の「哀れ」、ではなくて
・・・・お気の毒、とは別物。
「もののあはれ」などと使う「あはれ」。

親しみを感じるとか、懐かしく思うとか、
好ましく感じている様であり、
語の源は「あっ!あれ!!」・・・・

「あー、あれ!観てご覧!」・・・的な
かなりお気に入りな驚きをつづめて言葉にしたもの。デス

単独行の登山家はこんな気持ちなんでしょうか?
人知れず奥山に咲く美しさを孤独に耐えながら愛でる・・・

真理を求める
求道の心は【真摯】(しんし)に
生きようとする人ほど強い。

なぜ人は生きるのであろう?
自分という存在はいったい何だろう?


宇宙の真理をそこに見たり・・・

ただの自意識過剰!? と云うなかれ
こういう【真摯】(しんし)に生きようとする人は
案外器が大きい場合もあるので、・・・・

事実この作者 行尊は
天台座主、大僧正に登り詰めるのです。

花が美しいと感じる心は、
人間の側、人間の都合であって
花の方は別に“私は美しい”、と
思っている訳ではないでしょう。

同じく
地球の自然美と言うものは
人間の美意識によって
成り立っている。・・・・

と言う哲学的な問い?が
人恋しい情の中に同居しているのかも知れません。




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2015年05月10日

靖国神社 【みたままつり】 ぼんぼり揮毫選集


靖国神社 【みたままつり】 
ぼんぼり揮毫画選集 第五十一輯
昨年度初ノミネートされた天山作品が採用されました。





          IMG_1632.JPG
            『遷御之儀』 第六十二回伊勢神宮式年遷宮






靖国神社のみたままつりは、昭和二十二年に始まり
毎年奉納される名士の方々の揮毫された
『かけぼんぼり』は、
既に一万数千点に達しましたそうです、
例年、奉納作品から十点が選ばれ、
揮毫画選集として頒布されてきました。






           bonbori1.jpg





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この度
第五十一輯に選抜されました
のはありがたき極みです。


さらに・・・
今年は終戦後七十年の節目
心して尊き御英霊様に誠をこめ
制作、揮毫させていただきます。





          bonbori3.jpg 





 


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2015年05月08日

魅惑の百人一首 65    相模(さがみ)


【相模】(さがみ)

恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそをしけれ

   うらみわびほさぬそでだにあるものをこいにくちなんなこそおしけれ






            sagami.jpg
             天山書画






涙で濡れた袖を乾かす気にもなれないし
口さがない人の噂にのぼったまま
朽ち果てるのでしょうか?!
あーーー嘆かわしい!・・・・チクショウ
・・・・・と言った意味でしょうか、



内裏歌合(だいりうたあわせ)に詠まれ
厳しく激しい悔しさをアッパレに出した?
ので“勝”と認定されました。

永承六年のこと・・・
だいたい西暦1000年くらいです。

対戦相手は右近少将源経俊朝臣

“下燃ゆるなげきをだにも知らせばや焚く火の神のしるしばかりに”

と、番いにされての“勝”でした。


作者相模は、ちょうど西暦千年に生まれ
11世紀中ごろに活躍した女流歌人。


武勇で名をはせた源頼光(みなもとらいこう)の養女であり
相模守大江公資の妻となり故に 『相模』、と呼ばれておりましたそうで、祐子内親王の女房となり後に公資と別れ、中納言定頼らと恋を重ねています。

この歌を詠んだのはもう50歳を過ぎてから、
熟女のボヤキとも受け取れますが
長年女房として
数多の事例や、自らの体験を重ねた作者が
平安女性の恋の有り様を流麗に示した
オトナの表現、といったところで
哀れを催すと言うより
むしろ妖艶ささえ漂うような気配
・・・が感じられます。


現実の恋云々・・・ではなくて、
歌合に出されてこそ光を放つ作品・・・
さすが、プロフェッショナル!
と申せましょう。


チクショウ・・・?
などと申し上げましたが・・・
品格はしっかりと保たれています。


此の時の歌合の様子は
栄華物語に詳しく
端午の節句に開催
永承六年(1051)五月五日に京極院内裏で披講された歌合出詠歌。
主催は後冷泉天皇、判者は藤原頼宗。掲出歌は題「恋」五番左。

菖蒲、郭公、早苗、祝、そして恋・・・
五番のお題それぞれに対となる名歌が詠われております。









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2015年05月07日

魅惑の百人一首 64 権中納言定頼(ごんちゅうなごんさだより)


【権中納言定頼】(ごんちゅうなごんさだより)

朝ぼらけ宇治の川霧絶え絶えにあらはれわたる瀬々の網代木

   あさぼらけうじのかわぎりたえだえにあらわれわたるせぜのあじろぎ





          sadayori.jpg
            天山書画





権中納言定頼(ごんちゅうなごんさだより)は
まだ幼さのこる和泉式部の娘、
小式部内侍(こしきぶのないし)
をからかって大江山の名歌を詠わせた御方。


前出の悲恋貴公子、
左京大夫道雅(さきょうのだいぶみちまさ)と
ほぼ同時代を過ごした
大納言公任(だいなごんきんとう)の息子様です。


小倉百人一首の撰者定家の念頭には当然の事ながら・・・
常に源氏物語があり、特に宇治十帖の悲恋物語が・・・
根底に流れている


「宇治にまかりて侍りけるときよめる」
と、前書きの上にこの和歌があり、これは、宇治の里の風情を淡々と詠んだだけの叙景歌と思われますが、その内側には当時の都人の宇治への憧憬が見え隠れしている。


大納言公任の歌も・・・・・・

“瀧の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こへけれ”

タナボタ和歌とはいえ、自然の情景をおおらかに詠んだものでしたね。

父の血を受けて和歌に巧みなこの権中納言定頼の作品もすばらしい叙景歌なんですが、宇治十帖の悲恋を背景に思えば、また一段と深い味わいがあろうと言うもの・・・・。
つまり、源氏宇治十帖の主役たち、薫と大君、そして大君に生き写しの浮舟との悲恋物語を念頭に置いて前作 左京大夫道雅の

“今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてなれでいふよしもがな”

前斎宮当子(さきのさいぐうとうし)と
名門貴族道雅との悲恋歌を詠ませ、その後にこの定頼の宇治の歌を持ってきた、・・・
と云う訳で、

恋の哀歌に叙景歌を続けることで
背後にある物語を連想させられ・・
深い余韻を与えられてしまう・・
そんな、仕掛けになっているのであります。



宇治は今でも有名観光地・・・・
平等院があることで知られていますが
平安の当時は良き遠足の地。

宇治川の清流を眺めに
朝霧の宇治に遠出・・・
なんて、
めちゃくちゃお洒落なデートスポットでありました。














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