2015年09月06日

院展100年


今年再興100年を迎えた院展
会場はなかなかの活気です。が・・
記念図録冒頭には東京芸大美術館准教授
古田亮先生による【再興第100回院展によせて】
が採録されており、ここに引用させていただきます。


           




・・・・明治31年に岡倉天心が創設した日本美術院は、当初は全国規模で活発な展覧会活動をおこなっていた。しかし明治36年以降は展覧会を開催して居らず、岡倉が没する大正2年には事実上休止状態にあった。
横山大観は岡倉の葬儀に際して日本美術院の再興を期し、下村観山は「親のないときは兄弟です」と言って文展審査員を辞し大観に従った。実はその時すでに、大観は洋画家の未醒と意気投合し「絵画自由研究所」設立の計画が進んでいた。二人の計画が、そのまま日本美術院の再興というかたちに方向転換したのである。
 岡倉の一周忌にあたる大正3年9月2日、大観たちは谷中に再建した研究所で開院式を行った。再興時の経営同人(画家)は、大観、観山のほか、木村武山、安田靫彦、今村紫紅、そして未醒のわずか6名だった。
この時大観は日本美術院の三則を発表した。この三則が、現在の日本美術院網領となる。


一、日本美術院ハ新日本ノ藝術樹立二益スル所
  アランガ為二、再ビソノ研究所ヲ起コス

一、日本美術院ハ藝術ノ自由研究ヲ主トス、
  故二教師ナシ先輩アリ、教習ナシ研究アリ

一、日本美術院ハ邦画ト洋画トヲ従来ノ区別ノ如ク
  分割セズ、日本彫刻ト西洋塑像トモ亦然リ



このうち最も重要なのが、
日本美術院ハ藝術ノ自由研究ヲ主トス、  
故二教師ナシ先輩アリ、教習ナシ研究アリ 
という二番目の項である。

自由研究という言葉は、大正時代に特有の時代思潮である自由主義に由来しており、当時は自由劇場、自由教育、自由恋愛、といった言葉が盛んに使われていた。一方、日本美術院が研究機関であり、より専門的で高度な研究をするインスティチュートでなければならないという、岡倉が明治三一年に日本美術院を創設した時の研究重視の理念に基づいている。

自由と研究、どちらも芸術の創造にはなくてはならないものだ、また、どちらも作家一人ひとりの創意と努力にゆえあねられるものであって、誰かから規範や型を与えられるものではない。夏休みの課題と本質的には変わらないのだ。

しかし、何を研究すべきかを自分で見つけ出すことほど、難しいことはない

同時に、再興院展100回という節目の時期にあたって今日の出品作家各自に求められていることは、院にとって、そして未来の院展にとって、初志である自由研究とは何かを考えてゆくことではないだろうか。自分達はこれからどこに向かっていくのか、新しい時代をどう生きていくのかという課題は、今、眼の前にある課題といってよい。その答えを見出すための手がかりを探ってみることにしよう。・・・・・・

 

              



・・・・・
と、書き起こし、再興第一回展の大観作品、下村観山作品、今村紫紅作品・・等々を取り出し、伝統と革新との相克が院展の歴史の骨子となって来た事に触れ、さらに、巨匠たる画人の続出がその支えとなって来たことを述べた上、はたして現在は? と思いを致す時、大観、観山、・・等々、数多の巨匠は不在であり・・異端者さえ不在で、みな様及ばぬ力量であるが故に革新よりも伝統が優先されている、・・・・・ので、しかも、その伝統なるものは・・・・甚だ頼りのない浮薄な・・・・内容でしかない、と断じています。


さらに・・・・


                ★




・・・・・では、その伝統とは何かと考えてみると、自らが生み出した院展様式、それもここ4,50年のうちに浸透した表現形式のひとつにすぎないのではないだろうか。克明な写実描写による風景、人物、動物、絵画的な強さは失われ、映像的なイメージが拡散する世界。そうした<型>は、一世代あるいは二世代前の先達たちによって創り出された新しい伝統であって、紫紅に言わせればまっさきに壊すべき伝統という事になるだろう。・・・・・・

・・・・現在、院展には巨匠も異端もいなくなった。作家、作品は平均化し、すべてが、≪院展の日本画≫で括られるようになってすでに久しい。・・・・・


・・・・グローバル化というより強大な「外」が立ちはだかるのが、今日私達が置かれている状況であろう。そのなかでアジア、日本、日本画を捉えなければならないとすれば、より強固な「道」を見出してゆくことが必要となってくることは明らかである。困難なことと言わざるを得ないが、日本美術院の画家たちが個々に「独創的な役割を演ずる」ことでしか、前途の光を見出す事はできないであろう。



              




と、結ばれており、・・・穿ち得て余暈ナシ!
誠にその通り! 
つまるところ、院展スタイルから一歩も抜け出せなくなって久しい・・・・という現状を憂いて居られるのであります。
内部でしか通用しない価値観を翳したところで・・・
社会全般に良く見られる飽和しきったつまらない組織に過ぎず・・・
しかもそのスタイルさえ
極限られたクダラン流行が元になっているだけ。

100年続いたということは、
それだけでも素晴らしいことではありますが、しかし、
その実態に気付かない者がいくら集まっても・・・
本当の価値はありません。

警鐘を鳴らして下さる先生が記念図録の冒頭を飾って
意義を正して下さったことだけは・・・・唯一の
救いであろうと思った訳です。



岡倉天心著「東洋の理想」には、こう書かれています。

・・・この派(日本美術院派)の信条によれば、
自由こそ芸術家の最大の特権である。
ただし、たえず進化し自己発展を続けて止まないと言う意味での自由である。
藝術は理想でもなければ、現実そのものでもない。
一体に模倣は、相手が自然であれ昔の巨匠であれ、
いや何よりも自分自身の模倣は、
個性の実現にとって自殺行為である。
個性とはつねに生命と人間と自然との壮大なドラマの中で、
悲劇と喜劇とを問わず、独創的な役割を演ずることをこそ喜びとするのだ。
・・・・・・・・










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2015年09月04日

理想美術館 10  土佐光吉作 源氏物語屏風


土佐光吉画 【源氏物語屏風】

先々回のこの項では狩野探幽の源氏屏風を採り上げましたが
それに優るとも劣らない素晴らしい源氏屏風がこれ。


二人は江戸時代の絵師ですが、
土佐 光吉(とさ みつよし、1539年(天文11年) - 1613年6月22日(慶長18年5月5日))
狩野 探幽(かのう たんゆう、慶長7年1月14日(1602年3月7日) - 延宝2年10月7日(1674年11月4日))

生没年の差がおよそ半世紀、あり、
土佐派、と狩野派、
という元々の流派の違いもあり、
表現者として
解釈の違い、価値観の違い・・・
源氏物語、という同一テーマなのに
かなりの表現の差が表れています。

どちらが良い悪いではなくて、
どちらも相当楽しめるのに・・・
個性の違い、流派の違い、さらに
50年という時の推移ということにも関わって
その差が産まれているのでありましょう。


時、あたかも関ヶ原の合戦前後・・・
大きく世の中が動いていた時期に
二人の巨匠は活躍していました。
光吉は関ヶ原合戦以前に・・・
探幽は合戦後・・・の生まれ。


歴史は光陰の如く足早に流れ去るとしても
源氏物語を象徴とする【もののあはれ】
普遍なる心の内、人としての心情の不易なる面は
少しも変わらないけれど・・・
産まれ出た絵画としての表現方法は
ずいぶんちがう・・・


関ヶ原の合戦以後・・・・
落ち着きを取り戻してゆく世情に合わせるかのごとく
上品で完璧にオメカシし、
取り澄ました様な気品あふれる探幽作品に対して
光吉屏風は、【もののあはれ】の核心を衝いた
飾らない、素裸な美しさ・・
を醸し出しているように感じるのです。


完全メークの美女VSスッピン美女
・・・・!!!????



光吉源氏物語屏風、いずれも部分図です。





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    桐壺




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     空蝉




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      夕顔




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      紅葉賀




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      花宴




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       葵




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       須磨




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         蓬生




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           関屋




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           絵合




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            朝顔




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             玉鬘




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           胡蝶




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            篝火




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         野分




                 




                 




 
                 








パーフェクト美女も
勿論、宜しいが・・・

お飾りだけじゃないスッピン美女の方が・・・・























  


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2015年09月03日

理想美術館  9     後三年合戦絵詞(ごさんねんかっせんえことば)


藝術の秋。理想の美術館を追い求めてみたくなる季節です、久しぶりに理想美術館を語りましょう。
今回で9点目、戦記絵巻、【後三年合戦絵詞】の登場です。


   

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本当は【八幡太郎絵詞】(はちまんたろうえことば)
と言う名前で流布していた時代の方が長く、現在は東京国立博物館の所蔵となり、めったにはお目にかかれません。まあ、南北朝、あるいは鎌倉時代の作品ではないかとされていますので、絵の具の剥落やヤツレ、汚点なども多く、美術品としての健全な美しさはもう、失いかけて・・・、気安く公開出来ないのかも・・・・。






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その画品からいって、第一等級の傑作でありますが、
なかなか簡単に味わう事は、物理的にも難しい。
何しろ上中下三巻、別に序文も付いている絵巻物ですから
その全貌を一同に味わうにはかなりの仕掛けが必要。
さらに、制作当初は六巻本として描かれたものらしいので、
本当の全貌はもう既に見る事は・・・・。






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八幡太郎義家は、
鎌倉幕府の基礎をなしたとされる河内源氏の棟梁=大先祖様、であり
七歳の春に、京都郊外の石清水八幡宮で元服したことから八幡太郎と称し
家督を継いだのが14歳という年少にかかわらず、
胆力知力に優れ・・・その
智某と才格は抜群であった・・・そうで
鎌倉御家人にとってのスーパーヒーロー
元祖英雄!
モノノフそのもの、伝説の武将なんであります。





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         馬上の八幡太郎義家さま・・・彼こそレジェンド!




天皇家をないがしろにし、あわよくば・・・
日本の王様になろうとタクランだ鎌倉幕府。
そのアイデンティティーを担うのがこの御方・・・
ステイタスヒーロー・・・
とも言えるのですが、
九郎判官義経みたいにねつ造され・・・?
あからさまに造られたヒーローとは大いに違って、
質実剛健。
モノノフとしての非常に素朴な一面が
強くのこされているが故に
時代を超え、人々の共感を呼ぶのであります。




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そもそも 武士=モノノフ、という言葉は
物部氏から来ていて・・・
モノノベ・・・が、モノノフ・・・に、
その物部氏のご先祖は古事記にはっきりと記されており・・・
天照大御神の命を受け、
葦原の中つ国を治めるために
高天原から日向国の高千穂峰へ天降(あまくだ)った・・・・
天孫邇邇藝命降臨(てんそんこうりん)の際、
警護役として先導した武神が
天忍日命(あめのおしひのみこと)と
天津久米命(あめのくめのみこと)
天忍日命は大伴連(おほとものむらじ)らの、
天津久米命は久米直(くめのあたひ)らの、
それぞれ祖神となり、
さらにその子孫は物部氏であること相違なく、
大和盆地の東に現存する、
石上神社(いそのかみじんじゃ)は、
物部氏の本拠地であったことが分かっています。

後の大伴家持が万葉集で詠った【海ゆかば】
の精神もつまりはモノノフの心・・

海行かば 水漬く屍
山行かば 草生す屍
大君の 辺にこそ死なめ
かへりみはせじ


義家も物部氏も大伴氏も、軍神の鑑・・・・・
武士の中の武士、なんですね


  

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この絵巻物の作者は、【飛騨守惟久】(ひだのかみこれひさ)

巨勢惟久(こせのこれひさ)と、同一絵師ではなかろうか?
・・・・はっきりとはしません。
これほどの名画なのに、作者像が良くわからない・・・
平安、鎌倉から南北朝にかけて数多の名人画工が居たはずですが
作品すら残らずに、貴族の日記にのみその名が登場する画人もいますので、
解らないことが多い。
現代のアーティストのようにこれ見よがしにサインすることもない場合がありますので
作者が誰かすら伝承となっている場合もあるのですね。





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とにかく、大傑作。
全貌は飾れない・・・にしても・・・・・
私の理想美術館には、自ら労作した
復元模写を出陳したいものであります。







                

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かの西行が北面の武士であったことはよく知られており、
北面の武士、つまり宮中警護の近衛兵(このえへい)軍団・・
西行はその頭目でしたから、
ナント頭目様が出家して漂泊の旅を続けた!!
当時としては大変な話題です!

現在で言えば皇宮警察署長!・・かな?

八幡太郎義家様も元々は同じお立場。
天忍日命 天津久米命と同じお役目だったのですね。

イザとなれば真っ先に命を張る・・・
天皇家をお守りすることは
日本文化を守る事に他ならない!

故に・・・命の、平和の、平凡な日常の・・・
何よりも大切なことを、・・
誰よりも良く・・・・知っていたのです。







         
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           天忍日命 日本神代絵巻部分 天山画





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           天津久米命  日本神代絵巻部分 天山画










posted by 絵師天山 at 08:00| Comment(0) | 理想美術館

2015年09月02日

魅惑の百人一首 81    後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん)


【後徳大寺左大臣】(ごとくだいじのさだいじん)

時鳥鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる

   ほととぎすなきつるかたをながむればただありあけのつきぞのこれる





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           天山書画





ホトトギスの鳴き声を聞いたことがありますか?
テッペンカケタカ・・・・とか言うのですけど、
春過ぎて夏を迎える頃、それは心に沁みる声なのです・・・

あちらの方角から聞こえたなあ・・・と
その方角を眺めてみると、
おや、・・そこには、
黙したままの有明の月をみつけましたョ
・・・という体なのでありましょう。


ホトトギスの鳴き声がイメージとしてはっきり浮かび上がる人は勿論この気分も良く分かる・・のですが、はっきりとホトトギスの声を定める事が出来ない方でも、この和歌の余韻によって、気分は想定できるのではないかと思うのです。


初夏の青葉の香りを想起させてくれるのですね。

野鳥の声、さえずり、はそれはそれは美しいものだから・・・

山間の宿に泊まり翌朝早くに鳥の鳴き声で目が覚める・・
なんて、超ゼイタク!!


どんな鳥か、何という名前か、どんな風に鳴いたのか!
そんなクダラン詮索はドチラデモヨロシイ!


とにかく沁み入るような緑の中に浸る空気感を野鳥が代表してくれている訳ですから、ホトトギスであろうと何だろうとカマワナイ!・・が、しかし、誰しも心地よい行楽の季節である初夏、を代表してくれるのは・・・やはり、ホトトギスなんでしょうね!

この作者は藤原実定。
後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん)
は、追号であり徳大寺実能の孫。右大臣公能の子、
母は権中納言俊忠の娘・・
つまり俊成には甥であり
定家とは従兄弟に当たるのです。

平清盛の福原遷都後に荒廃した平安京を見て
“旧き都を来て見れば浅茅が原とぞ荒れにける
月の光はくまなくて秋風のみぞ身にはしむ”・・と
詠じたのがこのお方。
平家物語にも登場しております。


詩歌管弦に優れ、世才にも長け、
大変な蔵書家であったことも伝えられており
並みいる歌人たちの良き理解者であられた様です。





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2015年09月01日

魅惑の百人一首 80    待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ)


【待賢門院堀河】(たいけんもんいんのほりかわ)

長からむ心も知らず黒髪の乱れてけさはものをこそ思へ

   ながからむこころもしらずくろかみのみだれてけさはものをこそおもへ





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           天山書画





十二単と称される女房装束は、衣を重ね着する処に最大の妙がありまして、季節により時に応じた組み合わせの決まり事さえあって、それは絢爛華麗! 正に世界に冠たる衣装美と言って良いモノ・・・ですが、その豪華な色彩の乱舞をまとめ上げるのはそれを着る女性の黒髪なのです。

長い長い髪の黒色によって全ての色彩をまとめてしまうので、あらゆる色が引き締まり、美しい!

その黒髪が乱れると言うのは・・
これ又趣向の違う美しさを奏でる訳ですが、
男も女自身もそれを知っているからこそ、
このような名歌が生まれたのでありましょう。


思い人の心が変わらないかどうか分からないので、黒髪が乱れるみたいに心も乱れております・・・と言う女性の心理を詠ったのですね。

堀河は文字通り待賢門院に仕える女房でありまして、
待賢門院さま、とは閑院宮公実の娘
 藤原璋子(ふじわらのしょうし)
鳥羽天皇の御后様であられまして、崇徳天皇、後白河天皇の御母君ともなられました御方。

この御方にお仕え申しあげていた 女房の堀河・・・
元は前斎院令子内親王
(さきのさいいんれいしないしんのう)
にお仕えしていて、その頃は六条と呼ばれておりました。

崇徳院の悲運にこの和歌をからめ、
物語的精彩を深読みする解釈もあります様で、

つまり、後朝(きぬぎぬ)の歌は、
男がまず読みかけて女が返す。
・・・・・・
この歌も女=堀河、の返し、ですが、
お相手は崇徳院様ではないか??!!
・・・と解釈する説ですね。

と、すれば・・・
必ずしも恋の歌ではないのかも知れず
悲劇の崇徳院との哀しい悲しいお別れ・・・
を詠ったモノ
であるのかも知れません。







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2015年08月31日

魅惑の百人一首 79   左京大夫顕輔 (さきょうのだいふあきすけ)


【左京大夫顕輔 】(さきょうのだいふあきすけ)

秋風にたなびく雲の絶え間よりもれいづる月のかげのさやけさ

   あきかぜにたなびくくものたえまよりもれいづるかげのさやけさ





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             天山書画





月の影、と言うと、月の光の事。
さやけさ、とは、清い澄み切った様・・・

秋と言えば、何といっても、月!

名月の季節。

晴れ渡った夜空を行く雲が開け、
間から清くすがすがしい月光が・・・

たなびく雲も月の光に照らされてこそ
その存在が浮かび上がる訳ですね。


実に実に スッキリとした気品あふれる名歌です。
説明の必要がありません。


左京大夫は前にも道雅(みちまさ)の処で出てきましたが、
左京職、左京の庶政を行う役所の長官。
職の長官を大夫(だいふ)と読むのです。


三男坊の藤原顕輔は、二人の兄に家督をお任せして
御自分は和歌の道に専念できたラッキーボーイ!


六条藤家と呼ばれる歌流の基を築いたのでした。

崇徳院(すとくいん)の院宣により詞花集を撰進、
この歌も新古今集秋の部に
「崇徳院に百歌たてまつりけるに・・・」
としてあり、六条歌学は崇徳院の余慶によって成立したのであります。
さやけき月の光とは、悲劇の崇徳院サマのことであるのかも知れません。



六条歌学は俊成定家の御子左家と拮抗・対峙・・、
当時の歌道家が果たした役割は誠に大きいものが・・・





posted by 絵師天山 at 04:00| Comment(0) | 百人一首

2015年08月30日

魅惑の百人一首 78   源兼昌(みなもとのかねまさ)


【源兼昌】(みなもとのかねまさ)

淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守

  あわじしまかようちどりのなくこえにいくよねざめぬすまのせきもり





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     天山書画





「幾夜寝覚めぬ」 幾夜目を覚ましたであろうか・・・
須磨と言えば明石、
須磨、明石と言えば、・・・・・源氏物語。
不遇時代の光源氏を想い起こしますネ。


源氏物語の須磨の巻に・・・

まどろまれぬあかつきの空に千鳥いとあはれに鳴く・・・

「友千鳥もろごゑになくあかつきは一人寝覚めの床も頼もし」

とあり、

もろごゑ、は諸声。
群鳴く暁は、床で目が覚めて孤独に泣いてしまっても
お仲間が居て頼もしいなあ・・・、


弘徽殿女御(こきでんのにょうご)一派から恨まれ、左遷の憂き目に遭っている光の君の心情が千鳥と共に詠われており、これを本歌としたものと思われます。
源氏物語は思った以上に和歌が多く含まれ、この物語に心酔した人は数知れないのですから、当然本歌取りも良く行われていたのです。
もっとも古く万葉集にも須磨は歌枕として登場しますので、さかのぼればどれ位以前から人々は須磨への想いを描いて来たのか、解らない位でありましょう。
もともと海辺であり、海女や藻塩と結んで題詠の材となっており、勿論関守も同様、旅心を詠うにかっこうの題材でありました。


源氏物語がまとまった草紙になって約百年が過ぎ、歌枕としての面目も新たにした須磨の情景を思い浮かべれば、更なる余情を感じさせられる…という仕掛けになっている、・・・この歌はいつか、一服の名画に託さねばなりませんね。

“行平の中納言も 関吹きこゆる と言ひけむ浦波、夜々は げに いと近う聞えて またなく あはれなるものは、かかるところの秋なりけり”(源氏物語 須磨より)

在原行平が謫居(たっきょ)した地でもあり、
須磨という画題で、いずれ絵画化してみたいと思います・・・

時を超えて楽しみを共有してきたのが日本人の文化史ですから
歌枕もその為。・・・須磨はその代表格という訳で・・・・。

実際、瀬戸内の情景が目に浮かぶ・・・


このところ例年だと残暑でギラギラしているのに
早くも秋の長雨状態・・・虫の声も聞こえ、秋の夜長・・
秋こそ芸術です。



posted by 絵師天山 at 23:04| Comment(0) | 百人一首

2015年08月23日

遂に100回展!!


再興第100回院展が開催されます
9月1日から16日まで
上野 東京都美術館



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遂に記念すべき100回展が巡ってまいりました。
昨年99回の時にはそれほど感じなかったのですが、
いよいよ100回!を間近に控えて見ると
ホント、凄いことだなあ・・・と、

始まりがあれば終わりもあるのでしょうが、
100年も続いたと言う事は
もうそれだけで、結構な・・・
先輩方の様々な思いが込められているのです。


昨今はどうも、
日本画らしからぬ傾向を新時代の価値観として
奨励、容認し、
不易と流行のバランスどころか優先順位さえ忘れ、
単なる思い付き、・・・
しかも、外国の真似というクダラン流行による
日本画の堕落が深刻で・・・


私としても、それを、押し留める力量が足らず忸怩たる思い。

しかし、ともかく、
100年もの期間、下手でも上手でも、それなりに
精魂込めた作品を発表出来る機会に恵まれ続けたのですから
その点は大変アリガタイこと・・・
創業者 岡倉天心先生はじめ大観、春草、鞆音・・・・
諸先輩の御蔭に違いありません。


油絵具を日本画絵の具に置き換えただけで
陰影を取った写実性を骨子とし、
目先の変化のみを後生大事に、
アニメやCG、3D・・・
ただただ耳目を驚かす上面の映像刺激に従属、
・・・いや、服従しているだけなのに・・
これこそ新時代の日本画ナンであります!
・・・とは情けない


洋画風に人物画、風景画、静物画、・・・などと分別するのではなく、
花鳥画、山水画、歴史画、風俗画、と言うように大別される大和絵。
その本来の素晴らしさを一言で代表してしまうのが【雪月花】というテーマでありましょう。


今回の出品作品はこの、【雪月花】
長年描いてみたかったテーマです。




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            雪月花1.jpg
               いずれも三部作の部分です



どうぞ会場へお運びください、
御高覧、御高評お願い致します。

100回記念展です!!
お見逃しありませんよう








posted by 絵師天山 at 00:24| Comment(0) | 院展

2015年08月05日

【歴史の真実】37  戦後70年に思う  小堀桂一郎


8月3日産経新聞 正論 で小堀桂一郎先生が「終戦の詔書」について語っておられます。

★★★



戦後70年に思う 「終戦の詔書」に残る深い傷痕 
東京大学名誉教授・小堀桂一郎


先帝陛下の「終戦の詔書」を奉戴してより満70年の記念日が近づいて来る。
この詔書を斯かる題で呼ぶのは
〈吾等は…日本国に対し今次の戦争を終結するの機会を与ふることに意見一致せり〉
とのポツダム宣言の冒頭句を受けた形で陛下が戦争を終結する手続に着手せよ、
との勅命を政府に下し給うたと見る故に名づけた事である。

≪国民の耳に達した玉音放送≫

元来詔勅とは〈詔(みことのり)を承けては必ず謹しめ〉と上宮太子の仰せられた上古の昔から文字通りに唯奉戴服膺(ふくよう)すべきものであつて、その内容を批判的に論(あげつら)つたり字句の由来を穿鑿(せんさく)したりすべきものではなかつた。然(しか)し近代になると、五箇条の御誓文、軍人勅諭、教育勅語等を日本精神史上の重要文献と見て、その成立の由来や制定・発布の経過等に文献学的分析を施し、聖旨が歴史の展開に齎(もたら)した意味を考究し評価を下すといふ作業が、謹直な意図に発する史料研究の一種として承認される様になつた。畏れ多い話ではあるがこれも時代の要請の必然といふ事であらう。

さういふわけで、例へば昭和16年12月8日の米英両国に対する宣戦の詔書にも当時の指導的言論人であつた徳富蘇峰により『宣戦の大詔』と題する「謹解」の一書が直ちに著述・刊行されもした。

昭和20年8月14日付で戦争終結を御下命になつた詔書についても同様の「謹解」の役割を果すべき識者による解説への要望は夙(つと)に存したであらう。殊にこの場合、詔書の本文は8月15日正午の所謂(いはゆる)玉音放送を通じて一応全国民の耳に達してはゐたが、録音や再生装置の不備もあつて、陛下のお聲(こえ)だけは確かに拝聴したが、内容はどうもよく理解できなかつたといふ人々が多かつたからである。

「終戦の詔書」の解題役として逸速(いちはや)く名乗を挙げたのは鈴木貫太郎内閣で内閣書記官長を務めた迫水久常氏である。迫水氏は詔勅の起草には慥(たし)かに一役を買つた人であるが、自負心の強い秀才官僚の型に属してゐた。本来ならば軽々しく口にすべきではない、重大な詔勅の成立過程に関して、自分の知り得た裏話を公けの場で語る事についての抑制のたしなみを全く持ち合せてゐなかつた。

 ≪最大の眼目は何だったか≫

詔勅の起草時に実はその第一稿を執筆した漢学者の川田瑞穂氏、詔勅の文体上の彫琢・完成に重大な役割を果した安岡正篤氏の様に迫水氏の誇らしげな内情の打ち明け話を不謹慎と感じ自らは固く沈黙を守つた人々も周囲には居た。然しともかくも迫水氏の積極的姿勢のおかげで、天皇御親(おんみづか)らのお聲を以て全国に放送された詔勅といへども、その本文は何人かの臣下の者が知恵を寄せ集めて作成した一篇の合作文書であるといふ内実を国民は知らされたわけである。

「終戦の詔書」の文章上の完成度について最も重要な寄与をなしたのは、当時大東亜省の顧問として首相官邸に出入してゐた安岡氏である。安岡氏は詔書の成立に自分が関与した度合については、既に世間に種々取沙汰される様になつてからも長く沈黙を守つてゐたが、昭和37年になつて初めて公開の席上で語る事をした。

安岡氏によれば、この詔書全文中の最大の山場はその第3段落に当る部分で、天皇はそこで、大東亜戦争の名分に共鳴し東亜の解放のために共に戦つてくれたアジアの諸盟邦に対し、業半ばにしての帝国の挫折につき深い遺憾の意を表され、次いでこの戦争で非命に斃(たふ)れた多数の殃死(あうし)者とその遺族に向けての深甚の哀悼の言葉を贈られ、又戦禍により家業を失つた者の厚生について懇ろな御軫念(しんねん)の程を披瀝(ひれき)される。次いで戦後復興の事業の前途多難を慮(おもんばか)つて激励の辞を述べられた後、この詔書の最大の眼目をなすべきお言葉が来る。

 ≪「義命」知らぬ戦後政治≫

安岡氏の胸裡(きょうり)に生じた文案は〈爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ義命ノ存スル所堪ヘ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ万世ノ為ニ太平ヲ開カント欲ス〉といふ至高の格調を具へた一節だつた。

ところがこの詔勅文案が8月14日午後、詔書正文を決定する最後の閣議にかけられた段階で〈義命〉といふのは辞書に載つてゐない難しい語だとの苦情が出て削除され、代つて現行本文の如く〈朕ハ時運ノ趨(おもむ)ク所…〉といふ表現に替へられ、〈万世の為に太平を開く〉といふ究極の字眼はその大前提を失つて宙に浮いてしまつた。

事情を知つた安岡氏は〈学問のない人にはかなひません〉と長大息したが後の祭だつた。以上の経緯は最近安岡氏の門弟筋の関西師友協会が編纂した『安岡正篤と終戦の詔勅』(PHP研究所刊)に詳しい記述があるので正確な理解を期したい向は参照されたい。いづれにせよ、この字句の改変によつて先哲の苦心の修辞は台無しになつてしまひ、戦後の政治は〈義命ノ存スル所〉には関心を向けること無く専ら〈時運ノ趨ク所〉に追随して流されるがままになつてしまつた。安岡氏の嗟嘆(さたん)は筆者も心中深く共有するところである。(こぼり けいいちろう)



★★★


誠に・・・その通りであります。







posted by 絵師天山 at 00:43| Comment(0) | 歴史の真実

2015年07月30日

【魅惑の百人一首】 77  崇徳院


 【崇徳院】(すとくいん)

瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ

   せをはやみいわにせかるるたきがわのわれてもすえにあわんとぞおもう






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             天山書画






非常に有名な詠唱であり、
百人一首中一番好きな歌!と感じる人も多いようです。


普通は恋歌とされていて、激情表出にウットリする女性も多いので、
「瀬を早み・・・」と、初句がでれば必ず「あはむとぞ思ふ」が、思い浮かぶ。


が、しかし、本来は「瀬を早み」ではなくて、「ゆきなやみ」としてこの歌は生まれました。

崇徳帝が新院となられて、直ぐに藤原公能以下13名の歌人に百首歌の詠進を命じ、御自らも百首を試みられた久安百首の中の一首であります。

その時は「ゆきなやみ」とされたのが、その後「瀬を早み」と初句を詠み替え、さらに「谷川」を「滝川」に改められました。

院政と藤原氏の権勢争いの犠牲となられた新院の嘆きや不満を慮れば、讃岐配流に至る心の動き、鬱屈した激情は故ないことではなく、この絶唱は、恋に託した心境歌、と見るべきであると思われるのです。


無理強いで血流が裂かれたとしても未来にはまたあるべき姿となりたいものだ!
と言う様な御意志の表れでもありましょう。

「岩にせかるる」は、岩に堰かるる・・・で
岩石によって堰き止められている・・・
この場合、岩は藤原氏と言うことになり
「滝川」は滝壺にたたき落とされた天皇家本流・・・という処でしょうか?

以前、謙徳公(けんとくこう)の項でも申し上げましたが、
諡号(しごう=貴人や高徳の人に、死後おくる名前。おくりな。)
で「徳」の字を付けられた御方は総て生前理不尽なるひどい目にあわされていて、せめても、として諡号には「徳」の字を付けて差し上げ、祟らないように配慮するのが当然の処置だった。


怨霊となってる・・から!? 祟らないように・・・!
その祟(たた)るという字はの字に良く似ていますね。
祟と崇・・・・・偶然かもしれませんが・・・
どれくらい理不尽な目に遭わされたのか、
これだけでも十二分に想像が付く様な気がするのですが。


結局、崇徳院は讃岐において悶々の内に崩御なされるのですから、これ以上の理不尽はなく、しかもその後長い間顧みられることさえなかったので、珍しいくらい重ねがさねの理不尽さ・・・を味わう事に・・・

鳥羽天皇第一皇子として御誕辰、第七十五代天皇として御即位されましたが、院政の中・・・実権なく、父鳥羽天皇の庇護もなく(実子ではなく叔父であるとされ)、閑居の内に過ごされた末の配流でありました。








posted by 絵師天山 at 04:00| Comment(0) | 百人一首

2015年07月29日

魅惑の百人一首 76 法性寺入道前関白太政大臣 


 【法性寺入道前関白太政大臣】
(ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだじょうだいじん)


わたの原漕ぎ出でて見れば久方の雲ゐにまがふ沖つ白波

   わたのはらこぎいでてみればひさかたのくもいにまごうおきつしらなみ






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              天山書画




子を思う基俊に愚痴こぼしの歌を贈られたのは
此の人。法性寺入道前関白太政大臣、
関白忠通様の詠であります。


忠通は、保元の乱に崇徳院(すとくいん)を讃岐に流し
弟頼長の野心を砕いて頂点を極めた藤原氏の長者。
従一位摂政関白太政大臣という最高位まで登り詰め
法性寺殿に隠退して悠々自適しました。

さすがおおらかなる詠いぶり。

「新院(崇徳)位におはしましし時、海上遠望といふことをよませ給ひけるによめる」と、前書。

崇徳院御在位は、
保安四年(1123)〜永治元年(1141)まで、
この一首は、内裏歌合せで詠まれたもので
コセコセした処がなく、壮大なイメージが広がり
作者の心境を表明したものであろうとされています。


この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば

と詠った道長の心境表出と通うものがありますね。

後にメジャーとなる法性寺流という書道の流れは、この忠通を祖としており、
俊頼や基俊などの近臣を集めては、書に歌に日々を楽しみ過ごしたのでしょう。

「雲ゐにまがふ」・・と言うのは、
雲が居る所と茫漠たる海面との見分けがつかない、
という様な意味で、
続く「沖つ白波」・・が効いております。
青々しく、どこまでも広がる海と空
そして、白波・・・・雄大そのもの・・・

「海上遠望」というお題、は
当時としては新しいものであったとか・・・
道長のやりたい放題の権勢は
既に過去のものとなったものの
新たなる時代を迎えて今度は私が天下を握った!
という気分を
ややオブラートに包んで表現したのではないかと思われるのです。

後に崇徳院を流刑にしてしまう訳ですから、
ケシカラン臣下の代表とも言えますが・・・







posted by 絵師天山 at 04:00| Comment(0) | 百人一首

2015年07月28日

魅惑の百人一首 75  藤原基俊


 【藤原基俊】(ふじわらのもととし)

契りおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋も往ぬめり

   ちぎりおきしさせもがつゆをいのちにてあわれことしのあきもいぬめり






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               天山書画





「させもが露」・・・? って、何・・

千載集に・・・
「僧都光覚 維摩経の講師の請を申しけるを、
たびたび漏れにければ、
法性寺入道前太政大臣に恨み申しけるを
しめじが原と侍りけれど、
又その年も漏れにければ遣わしける」と、前書。


僧都光覚(そうずこうかく)は、基俊の息子。
例年十月興福寺で行われる維摩経講法会の講師に
この息子を抜擢してもらえるように、父 基俊が
時の関白忠通に運動していた。
が、忠通は、・・・「しめじが原」と言って
請け合ったにも拘わらず、又も採用されなかった・・・

何が何でも子供の立身出世を願う・・・
親心の歌なのですね。


「しめじが原」は、・・清水観音様のありがたい御歌

なほ頼めしめじが原のさせも草われ世にあらむ限りは

なおたのめしめじがはらのさせもぐさわれよにあらんかぎりは

私を頼みとしなさい、どれほど辛くとも私がこの世にあって衆生を救おうとする限りは!

と、観音様自らおおせられた詠で、
良く知られたこの歌の様に請け合うよ!
・・・、と忠通は約束してくれたのに
又また、ダメでした!・・・との恨み節。



「させもが露を命にて」・・・とは、
清水観音のお歌を頼みとせよ、と言って下さった
あれほどの甘露を命綱として・・・
という意味を表として、その裏には
頼み甲斐のないような草の露をも
頼みとして居りましたのに・・
という、二重の意味を持たせた“トホホ・・・”な歌なのであり・・
トホホ・・ではあるけれど、なかなどうしてテクニカルなんですね!


「あはれ」また今年の秋も「往ぬ」めり・・
過ぎてしまいましたぞーー!って、
この歌を贈られた忠通はさぞかし嫌だったことでありましょう。

頂点に立つ人は
部下全員の希望を叶えてやるわけにも往きませんから、
テキトーに?慰めたんでしょうが、
それを逆手に取った処に子を思う親の気持ちが表れていて
それで共感を呼ぶのかも知れません。

伝統派歌人 基俊は右大臣家の名門生まれ、
微官に終わりましたが定家の父俊成の師として
活躍していました。






posted by 絵師天山 at 04:00| Comment(0) | 百人一首

2015年07月25日

大東亜戦争七十年展 最終章


 この夏必見です!




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平成二十七年 遊就館特別展
 大東亜戦争七十年展 最終章
    −今を生きるすべての人へー






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posted by 絵師天山 at 11:28| Comment(0) | 歴史の真実

靖国神社みたま祭 雪洞絵


先の靖国神社みたま祭 雪洞絵の御礼が届きました



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誠に有り難いことです






posted by 絵師天山 at 11:09| Comment(0) | アトリエ天山からのお知らせ

2015年07月24日

【歴史の真実】36 終戦の詔勅

終戦の詔勅

コチラが、いわゆる玉音放送の全文です

戦後70年、
日本人としてけじめをつける為にも是非熟読を




朕深ク 世界ノ大勢ト 帝國ノ現状トニ鑑ミ 

非常ノ措置ヲ以テ 時局ヲ収拾セムト欲シ 茲ニ 忠良ナル爾臣民ニ告ク
 
朕ハ 帝國政府ヲシテ 米英支蘇 四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨 通告セシメタリ
 
抑々 帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ 萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ 皇祖皇宗ノ遣範ニシテ

朕ノ拳々措カサル所 曩ニ米英二國ニ宣戦セル所以モ亦 

實ニ帝國ノ自存ト 東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ 

他國ノ主權ヲ排シ 領土ヲ侵カス如キハ 固ヨリ朕カ志ニアラス
 
然ルニ 交戰巳ニ四歳ヲ閲シ

朕カ陸海将兵ノ勇戰 朕カ百僚有司ノ勵精 朕カ一億衆庶ノ奉公 

各々最善ヲ盡セルニ拘ラス 戰局必スシモ好轉セス 

世界ノ大勢亦我ニ利アラス
 
加之 敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ 

頻ニ無辜ヲ殺傷シ

惨害ノ及フ所 眞ニ測ルヘカラサルニ至ル
  
而モ 尚 交戰ヲ繼續セムカ 

終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス 

延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
 
斯ノ如クムハ 朕何ヲ以テカ 億兆ノ赤子ヲ保シ 皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ
 
是レ 朕カ帝國政府ヲシテ 共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
  
朕ハ 帝國ト共ニ 終始東亜ノ開放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ

遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス
 
帝國臣民ニシテ 戰陣ニ死シ 職域ニ殉シ 非命ニ斃レタル者 

及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ 五内為ニ裂ク且

戰傷ヲ負ヒ 災禍ヲ蒙リ 家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ

朕ノ深ク軫念スル所ナリ
  

惟フニ 今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ 固ヨリ尋常ニアラス

爾臣民ノ衷情モ 朕善ク之ヲ知ル

然レトモ朕ハ 時運ノ趨ク所

堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 

以テ萬世ノ為ニ 大平ヲ開カムト欲ス
  
朕ハ茲ニ 國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ 

常ニ爾臣民ト共ニ在リ

若シ夫レ 情ノ激スル所 濫ニ事端ヲ滋クシ 

或ハ同胞排儕 互ニ時局ヲ亂リ 

為ニ大道ヲ誤リ 信義ヲ世界ニ失フカ如キハ 朕最モ之ヲ戒ム
 

宣シク 擧國一家子孫相傳ヘ 

確ク神州ノ不滅ヲ信シ 

任重クシテ道遠キヲ念ヒ 

總力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 

道義ヲ篤クシ 志操ヲ鞏クシ 

誓テ國體ノ精華ヲ発揚シ 

世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ

爾臣民 其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
  


posted by 絵師天山 at 12:52| Comment(0) | 歴史の真実

2015年07月18日

【歴史の真実】35  ノーベル賞


戦後70年、
欧米化の最たるもの、
その象徴が、ノーベル賞や
世界遺産、ミシュランガイド・・・


絵画の世界も同様、
子供じみたお絵かきレベルが
何十億単位の金銭的価値を持つ一方
大和絵のそれは実にお寂しい限り・・・

世界に正当な評価というものは存在せず
陰に陽にゲンコツを振り上げ
手前みそなる権威を創り上げ
嘘でも何でも利益にしてしまう力を持ちさえすれば
それが・・・・・・正義


別にタイヤの会社が暇にまかせて
ウソブイた感想に左右されなくとも
近所の美味しい食堂はゴマンと存在しているし

世界遺産指定されなくとも
富士山は世界に冠たる御山であり

爆弾オタクのダブついた賞金を
仰々しく貰わなくとも
小さな町工場さえ
世界に一つしかないレベルを産み出すのは
別に取り立てて言うほど珍しいことではない


・・・のが、日本という御国なのであります。



こう言ってはなんだが
外国はすべて野蛮未開であって
日本だけが文明らしきものがある、
・・・のが歴史的真実なんだが、
自分からそう言ってしまうのを
日本人は美徳として嫌がる・・・


そのナイーブさが
良くも悪くも
今日の弱肉強食を
甘受してしまう現実を生み出しているのですね。

結果として大損させられているのです。


夜寝るまで靴を履いていて
町中の汚れがまとわりついたきったない靴を
室内にまで持ち込み
果てはそのままベットで寝る連中と
我々とどちらが・・・・・

ですよね・・・・サルでもわかる・・・・

花の都の【おパリ】様ですら
ついこの間まで糞尿を道端に捨てていた
ヴェルサイユ宮殿にはトイレが造られていない!

アホらしくもばかばかしい欧米賛仰は
ユダヤアングロサクソンによって
創り出された虚構なのです。
ハリウッドと同じ



本当は
【ノーベル賞が世界最高の権威】・・・・
という世界の方が間違っている

4兆円も毎年余計に電気代がかさんでるのは
世界の石油産業の御都合によって巧妙に
原発反対運動をリードされているから

外交と称して大金を献上する・・だけ、なのも
本当の平和維持は国民の独立心に依るのだ、
と言うことを忘れているから

アメリカにとって都合の良いTPPを
のまされようとしているのも
日本の指導者がぬぐいきれない
【ノーベル賞が世界最高の権威】などという
誤った価値観に縛りつけられているから

・・・であり
大半の日本人の価値観が

ねつ造された権威を崇拝させられている


・・・為ですね



賞なんか貰わなくとも
真実、幸せに暮らしてゆければ
・・・その方が

ノーベル賞という権威がなければ成り立たない世界
・・・・・の方がよほど幼稚です。




靖国神社みたま祭が今年は露天がなく
静かな賑わいで
英霊に対する鎮魂の意味がより深まったのに

例年の5分の一の参拝者に終わった


と報道されるのは
実に実に不思議

本来の英霊に対するお祭りとなり静かな賑わいを見せています、まだご参拝されていない方はどうぞお早めに


と報道するのが本当でしょう・・・

まるで参拝しちゃいけないみたいに・・・
今日の繁栄があるのは事実、英霊の御蔭・・・
一年に一度くらいはご挨拶したくなるのが自然じゃあないか!・・・

その、真実を語れない理由は何か、


マスゴミとまで揶揄されているのに
言ってはならないことと思い込んで
既得権にしがみついている
その理由は何か・・・・・



【ノーベル賞こそ世界最高のアリガタさ!】だから・・・・・










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posted by 絵師天山 at 03:08| Comment(0) | 歴史の真実

2015年07月15日

【歴史の真実】 34  ギブミーチョコレート

70年前
占領下の日本人は
食糧からなにからあらゆるものが不足し
GHQ=占領軍のご機嫌を伺いつつ
貰えるものはなんでもありがたく頂いた・・・
Give me Chocolate! 
Give me Chocolate!
Give me Chocolate!
子供達が米兵に向って連呼したこのフレーズ、
占領された側と
占領統治しようとする側の
関係が鮮やかに浮かぶこの言葉の
【卑しさ】を 誰もが等しく
受け止めなければなりませんでした。


【卑しさ】を当然のこととして平然と受け入れた人
【卑しさ】を忌み嫌って自決までに追いまれた人

文字通り千差万別の反応が・・・
しかし
背に腹は代えられない現実、・・・

GHQはそこにさえ付け込んで
あらゆる手段方法を呵責なく用いて
日本人を洗脳
反日日本人製造作戦は
益々徹底され
続けられ・・・・
70年経てさえその呪縛は解けてはいないのです。


再び、藤誠志氏の言葉を借りれば














・・・・大手新聞社が傘下にテレビやラジオを持つ日本のメディアは、世界のメディアを牛耳るアングロサクソン&ユダヤの通信社の、「報じても良い」フィルターを通った情報しか流れず、プレスコードに縛られる新聞社によって、全体が情報統制を受けている状態だ。だから欧米寄りの報道が流れる一方、イスラム諸国などからの見方が報じられることはほとんどない。この旧来の情報の偏りを打破するのが、IT技術の浸透だ、インターネットを使えば、イスラム世界からの主張など、アングロサクソンやユダヤのバイアスが掛かっていない世界中の情報を集める事が出来る。
個々人がマスメディアや偏った教科書などの縛りのない情報を自らの頭で理解することが重要だ。
その結果、考えを同じくする人が集まって政党を作り、議会で多数派となった政党が政権を獲得するというのが、民主主義の基本だ。しかし今はマスメディアが世論を誘導するという、歪んだ民主主義になっている。アメリカの精神的占領支配から逃れて、真の民主主義を目指すため、ITを活用して一人ひとりの国民が真実を追及して行くべき時代になったのだ。

第一回「真の近現代史観」懸賞論文で最優秀賞を獲得した田母神俊雄氏の論文は、このように結ばれている。

「人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見てゆくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私達は輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。」

正にこの通りだ。

(ITの積極的な活用で真の民主主義を目指せ、より抜粋)




・・・・無抵抗な民間人を原爆で虐殺した以上、アメリカが民主主義を日本に与えた正義の国である為には、投下された日本が悪の国でなければならない。そのために国府軍が主張する虚偽の南京三十万人大虐殺を東京裁判に持ち出し、松井石根大将をB級戦犯として処刑した。また日本軍が朝鮮女性を二十万人強制連行して性奴隷にしたなどと主張する韓国を支持しているのだ。
日本を悪い国にするために、戦後検閲による日本人の洗脳も行われた。終戦から一か月後の1945年9月18日、鳩山一郎の「原爆使用は国際法違反」という談話を掲載した朝日新聞に対して、GHQは二日間の発行停止を下し、その翌日に三十項目からなるプレスコードを出す。
早稲田大学の山本武利名誉教授が明らかにした名簿に寄れば、破格の高給で四千人(延べ人数一万四千人)もの日本人検閲官がこれに従い、新聞、ラジオから出版物、個人の手紙二億通もチェックし、徹底的に思想を統制した。アメリカにとって都合の悪い本の「焚書」も行った。
戦時中の検閲とは異なり、検閲に引っ掛かったものは墨塗りなどでは許さず再印刷となり経費がかる為、出版社や新聞社は自主規制をする傾向が強くなっていった。言論統制が行われたことは秘密とされたが、冷戦が終結してソ連が崩壊し、機密情報が流出したり、アメリカが情報を開示したりすることによって、だんだん真実が明らかになってきている。にもかかわらず、日本のメディアは未だに検閲官の名簿を報ずることもなくプレスコードを自主規制として守っており、東京裁判史観に沿う報道しか行わない
日本には実は言論の自由がないのだ。これにメスを入れ、国会でプレスコードについて質問を行ったのが、次世代の党の衆議院議員杉田水脈氏だ。

検閲官は敗戦利得者となり、その後を継いだのが、偏差値教育の申し子である東大法学部出身の「ステルス複合体」と呼ばれる人々だ。彼等の一員である官僚がアメリカの年次要望書に基づき法案にし、メディアが持ち上げ煽り、代議士が賛成して国会で可決するという、阿吽の呼吸でアメリカの要望を日本は飲まされて来た。


裁判員制度や建築物の民間検査制度といった日本に合わない制度も、これで押し付けられてきたのだ。しかしこの流れも、ネットの普及で変わりつつある。

(プレスコードが残る日本に「言論の自由」はない、より抜粋)








posted by 絵師天山 at 11:01| Comment(0) | 歴史の真実

戦後70年

靖国神社みたま祭

露天の出店禁止で
静かな賑わいを見せるみたま祭です


           

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 靖国神社 遊就館(ゆうしゅうかん)で開催中

大東亜戦争七十年展最終章ー今を生きるすべての人へー

  平成27年3月21日〜12月8日

これは必見・・・
明日の日本を背負う子供たちに
見せてあげたい 
  






       
posted by 絵師天山 at 00:02| Comment(0) | 歴史の真実

2015年07月06日

【歴史の真実】 33  世界一の反日国家


天皇陛下は毎朝宮中三殿に於いて
世界の繁栄と安寧とをお祈りされています。

実はこれが天皇陛下の一番大切なるお仕事。
少なくとも分かっているだけで二千五百年以上
歴代の天皇はこれをお続けになられました。

日本は太古の昔から
天皇陛下を父ともご先祖とも親分とも神とも慕い、
家族の様に思い個人であっても
陛下の臣民の一人として生かされているのだ
という自覚を極、自然に持ち、
共に栄えてゆこうと努力しつつ暮らしてきたのです。


どこの世に
世界の繁栄と安寧とをこれほど長い間、
真摯に考えている者が居るでしょうか。

悠久の権威の中の権威
キングオブキングス・・
とも言うべき天皇の御存在が
日本文化そのものであり、
さらには
世界の源であるにも関わらず
天皇のご存在を疎ましく邪魔のものとして排斥する輩が後を絶たないのも事実であり
天皇のご存在を自分の為に利用しようとタクラム輩もまた後を絶ちません。
しかし、
天皇制に反旗を翻す人もまた天皇の御子なのだから・・
ナンとも・・・



何気ない程度、・・・
自分では意識もしていない
反天皇意識とわざわざ言う程でもない
反日感覚が、親に対する反発心のように
誰の心にもあるのでしょうか?







藤誠志氏を再び引用させていただきます。

※中国・韓国を越えて日本は世界最大の反日国家だ

昨年12月にミャンマー、ブラジル、アルゼンチンを訪問し、さらに恒例となったラスベガスのホテル「ベラージオ」での年越しパーティーに参加した。これまで私は世界81カ国を訪問し、国王や大統領経験者など各国の要人達と真摯な議論を行ってきたが、どの国の人々も、過去と現在いずれも日本を高く評価してくれていた。世界で反日を掲げる国は三つしかない

まずは中国だ。

習近平国家主席は、先の大戦時に南京で三十万人が虐殺されたという虚構や、全く歴史的根拠のない尖閣諸島の領有の主張を繰り返す。しかし共産党政権が誕生出来たのは日本軍が国民党軍と戦ったおかげであり、「南京大虐殺」は国民党蒋介石の情報謀略戦の一環であることを十分に知った上で、強い日本の復活を抑え、自らの政権基盤強化た必要という理由からの主張である。尖閣諸島の領有を主張し始めた狙いは、海底資源が発見されたため、その資源の横取りと、太平洋への出口を確保して太平洋をアメリカと分割支配することにある。

中国同様反日を掲げるのは韓国だ。

是までの韓国大統領は、退任後に汚職疑惑で逮捕されたり自殺したりした。李明博前大統領は実兄が収賄容疑で逮捕されていて、退任すれば間違いなく逮捕されると目されていたが、退任直前に大統領としては初めて不法占拠している日本領土の竹島に上陸し、天皇陛下を貶める発言(天皇が『痛惜の念』などという良く分からない単語を持ってくるだけなら、来る必要はない。韓国に来たいのであれば、独立運動家を回ってひざまづいて謝るべきだ)をすることにより、愛国者を装って逮捕を逃れた。これを教訓に、朴槿惠大統領も自分では全く信じていない荒唐無稽な二十万人の朝鮮人女性が日本軍の強制連行によって性奴隷になったという主張を繰り返している。彼女の父親である朴正煕元大統領は、日本の陸軍士官学校に留学した満州国軍の軍人であり、対日参戦したソ連とも戦った根っからの親日派だ。これがあるために、朴槿惠は極力親日と思われないよう、わざと極端な反日を装って愛国者と思わせている

そして三か国目の反日国は、
誠に残念ながら日本だ。
その反日度合いは三つの国の中で最も強い

日本内部に反日勢力が多い原因は、占領下の日本のメディアにアメリカが課したプレスコード(新聞編集綱領)を、メディアが今でも自主規制として守っている事と、戦後敗戦利得者から東大法学部出身者のエリートネットワークであるステルス複合体に、「アメリカの間接支配の為の先兵」としての役割が引き継がれてきたためだ。本当の事を報道すれば、皆が保守になるのだが、プレスコードに縛られたメディアは本当の事が分かっているのに言えない。また日本の歴史学界もおかしい。コミンテルンのアメリカ潜入工作員(スパイ)の暗号通信を解読したべノナファイルなどで、新しい真実が次々と発見されているのに、一度確定した「定説」を決して変えようとしない

習近平、朴槿惠、などと同様、世界の指導者(リーダー)は、真実や自らの信条とは別に、イデオロギーや宗教、国家、国益の為には『嘘もつくし 人も殺し 大量虐殺もする』というのが国際社会の常識である。その最たるものが原爆投下だ。アメリカは、ドイツが原爆開発しているとの情報に恐れを抱き、議会機密費で亡命ドイツ人科学者などを使って原爆開発を開始した。アメリカは「敵の敵は味方」と、対ドイツ戦争に勝利するために膨大な軍事援助をアメリカの軍需産業などの求めるままにソ連に与え、モンスター(軍事大国)を作り出してしまった。そしてドイツとの戦いに勝利する目途が見え始めた時から戦後のヨーロッパ支配を巡りソ連との対立が深まり、対日戦争に勝利すればその後は世界赤化のための第三次世界戦争へとなだれ込み、一千万人以上の戦死傷者が出るかもしれないことを恐れて、日本に対して天皇制の存続を曖昧にして、原爆投下するまで一斉の終戦工作を無視し続けて、ウラニウム型とプルトニウム型の二つの原爆を広島と長崎に投下。実戦で使用して、その絶大な破壊力を見せつけ、第三次世界大戦を冷戦としたのだ。

「正しいことを主張していれば報われる」というのは誤りで、世の中は基本的に邪悪なのだ。


ナイーブすぎる日本人には、これに対抗する自覚が必要だろう。










反日勢力も
反日感情も
反日感覚も・・・・


天皇制の真実、
悠久の日本歴史・・・・

つまるところ
【歴史の真実】
知らないだけなんです。

ナイーブと言えば聞こえがいいけれど

単なる無知に過ぎません。















posted by 絵師天山 at 07:00| Comment(0) | 歴史の真実

2015年07月05日

靖国神社みたままつり


今年もまた
靖国神社みたままつりが近づいてまいりました。




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年年、益々の参拝者でにぎわうので
今年は、なんと露店は廃止に・・・
神域での酒宴も禁止され・・・





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大勢の参拝者の中には不届き者もいるらしく
英霊の皆様をお慰めし、
お楽しみいただきたいという心を
踏みにじる輩が横行するためです


ホントに、
情けなく、恥ずかしく、忌まわしいこと、
であります。


文字通り
命を賭して日本を守ったのに・・・
軍国主義者の口車に乗せられて犬死した犯罪人
・・・扱い、とは。ヒドスギル!

ご自分のレベルが低くなったことにも気づかない
無自覚反日日本人が溢れかえっています。




しかし、心ある日本人も大勢いるので、
今年で69回を迎えることができました。


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雪洞展ほか、催しものが盛りだくさん・・・



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ボンボリ、天山作品はコチラ 【羽衣】






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また・・・!   ・・・カ?!
夜、点灯されたときの美しさを狙ってみました。





みたままつりぼんぼり揮毫選集第五十一輯には
昨年の作品【遷御の儀】が選ばれました。




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どうか英霊の皆さまへの礼節をもってご参拝下さい。



posted by 絵師天山 at 11:21| Comment(0) | アトリエ天山からのお知らせ

2015年07月03日

【歴史の真実】 32   9.11テロ


ハリウッド映画あるいはハリウッド系映像をみると
9,11テロの犠牲者をグランドゼロで弔うシーンとか、
CIA工作員がアラブ世界で活躍する所とか・・
エトセトラ・・・随処に
テロに対する非難声明が描かれています。

アメリカこそ被害者であり
負けないぞアメリカンピープル!
みんな、頑張って生き抜いてゆこうぜ!
的な・・・
被害者ずらを正々堂々と繰り広げて
正義は常にアメリカにあり!!
を繰り返す。
シナや韓国と同じくアメリカも
真実よりも国益を追求しているだけ、・・とはいえ、

茶番にはほとほとアイソガツキル・・・・

かく言う私も以前、
“LOST”という連続ドラマに夢中になった事がありますので、(あまり偉そうなことは言えませんけれど)、・・・
ハリウッドは歴史を自分に都合よく書き換えるために存在し
大衆を意のままに操る道具として生き残っているのでしょう。

善玉と悪玉しか出てこない幼稚さで
不思議にもあれほど繁栄してきたのは、
つまりは、石油や軍需産業等等
巨大資本を牛耳って
世界の支配者を自負する輩の犬だからですね

もっとも近頃はジャパンアニメ旋風を無視できずに
皮肉にも日本文化にぶら下がろうとしている様ですが・・・
ドラゴンボールの実写版はしかし、ひど過ぎましたね・・
ゴジラはまだしも・・・・はは、


話が横道になりましたけれど・・・

LOST ・・ろすと・・・
は、ご覧になった方はお分かりですが
オーシャニック815便という
シドニー発の国際便が太平洋上で墜落遭難
名もない不可解なる島に生き残りの人々が
必死のサバイバルを繰り広げる
といった趣・・・・
不思議なタイムトラベルやら
瞬間移動やら、荒唐無稽の要素も加わって
悲劇が続きに続いて、飽きさせないように
・・・・それは見事に作られている。
今でも、はまる人がいるらしい・・・
ハリウッド版連続ドラマのレジェンドとなっているそうです。

ここで、気づいていただきたいのは
815便の墜落がすべての始まりであり
舞台は太平洋のどこかで・・・しかも悲劇・・・

つまり
8月15日終戦記念日の数字が
刷り込まれている訳であります。

日本人はWGIPによって戦後教育されたために
70年経ってもその呪縛がほどけない程に
イワユル自虐史観を刷り込まれたので
真珠湾攻撃を“卑怯なこと”と
信じさせられている人が大勢いますが、
アメリカの軍人やその家族、
かつての軍人の子孫達、
そしてこれから兵役に向かう若者・・その関係者・・
つまり殆どのアメリカ人もまた
ハリウッド映画によって
国家を守る事に誇りを持てと教育されて来たのです。
犬死は嫌だし、・・・・
正義の戦いだからこそ命を賭けるのだし、
・・・正しいことなんだし、、
これからもずーっと正しいし・・・
リメンバーパールハーバー!!
で、
あらゆる場面で815という数字が使われる。
何と言ったって、9・11とは違って
正義の戦いで勝利を得た日だから!!

“LOST”の興行的成功は既にこの時点で保障された訳です。


しかし9.11テロは
ニューヨーク貿易センターツインビルそのものに
誘導装置が設置されなければ、
あれほど見事に旅客機を激突させることは物理的に不可能であり
大量破壊兵器の存在とテロとの戦いを口実にしてアメリカンピープルを
イラク戦争に駆り立てる為の某組織による穏密作戦であり
対イスラム戦争の開始の大号礼でしかなかった事が間もなく暴露されました。

全くの作為であり、とんでもない理不尽の捏造。

もっとも当局はそんなこと認めておりませんが・・・


パールハーバーもまた同じ謀略であったことも既にバレており
非常に分かりやすいので、以下再び藤誠志氏に登場戴きます。







ヨーロッパでの戦争への不参戦を公約に大統領に当選(再々選)したルーズベルトは、ヨーロッパを席巻したナチス・ドイツによって侵攻される寸前のイギリス首相チャーチルから再三に亘って参戦要請を受けていた。チャーチルの必死の依頼に応えるため、ルーズベルトは日独伊三国軍事同盟の締結を利用し、日本を締め上げることで日本を暴発させ、日米開戦を口実にヨーロッパ戦線へ参戦しようとした。
1941年、米英中蘭によるABCD包囲網(経済封鎖)で経済的に追い詰められた日本は、植民地化されていたアジア諸国を独立させて大東亜共栄圏を創って自活すべく、ドイツ占領下のフランス・ヴィシー政権との合意により、合法的に仏領インドシナに進駐した。
日本は対米戦争を回避しようと粘り強く交渉を続けていたが、既にアメリカは暗号解読により日本の手の内をわかっており、アメリカは軍備が整うまでの間、日米交渉を引き延ばし、最後に「ハル・ノート」を突きつけて日本を暴発させた。なお「ハル・ノート」の原案を作成したハリー・D・ホワイトはコミンテルンのスパイであり、その後、身元が明らかになると自殺している。当時のコミンテルンによるアメリカでの諜報活動は、1995年にその一部が公開されたヴェノナファイルの解読によって明らかになっている。

アメリカが日本の外交暗号の全てと海軍の暗号のかなりの部分を解読することができていたことは、ロバート・スティネットの著作「真珠湾の真実(ルーズベルト欺瞞の日々)」で、もはや広く知られている歴史上の事実だ。
1941年12月8日の日本からの宣戦布告書が日本大使館の職員の不手際で解読・清書が遅れ、ハル国務長官に手渡されたのが真珠湾攻撃開始後だったことから、日本に対しての当時から「ダマシウチだ」という批判があった。しかし実際には、暗号解読によって、日本が対米戦争に踏み切る事を、ルーズベルトは先に知っていたし、日本軍が奇襲を行う先が真珠湾であることも把握し、空母と新鋭艦は演習と称して湾から離脱させていた。そして日曜日にも拘わらず、戦艦アリゾナに定員を大幅に超える多数の将兵を動員したところに日本機が来襲、真珠湾での犠牲者2400人の約半数の1200人がアリゾナ一艦で戦死している。
アリゾナ爆沈の理由は、弾薬庫の誘爆と言われているが、通常弾薬庫は船底にあり、爆撃程度で誘爆はしないし、爆撃の6分後に引火で爆発することはない。

米西戦争の際も、アメリカは戦艦メイン号を自ら爆沈させてスペインのせいにし、「リメンバー・ザ・メイン」の合言葉で、国民の戦意を煽ってスペインと戦争を始めてグアムやフィリピンを奪った。

これと同じことを先の大戦でも行い、「リメンバー・パール・ハーバー」をスローガンにしたと考えられる。事前に日本軍の攻撃を知らされていなかった米太平洋艦隊司令長官のキンメル提督は、真珠湾の責任を問われ更迭された。遺族の要望で1999年に上院で、2000年には下院で名誉回復決議が採択されたが、当時のクリントン大統領も次のブッシュ大統領もこの決議に署名をしていない。
認めれば、「リメンバー・パール・ハーバー」の陰謀を認めることになるからだ。

開戦直前軍令部総長の永野修身大将は
『戦わざれば亡国、戦うもまた亡国であれば、戦わずしての亡国は身も心も民族永遠の亡国である、戦って死中に活を見出し護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも護国に徹した日本精神さえ残せば我々の子孫は必ずや再起三起するであろう』 とその苦悩を言葉にしている。日本はアメリカとの戦争を望んでいたわけではなく、ABCD包囲網などの締め付けによってやむなく開戦を決断したのだ。


また、真珠湾攻撃の五か月前である1941年7月23日に、大阪や東京などを爆撃する対日爆撃計画(JB355計画)にルーズべルトは承認のサインをしていた。

この計画では中国軍に供与する500機の航空機で計画を実行することになっていたが、中国軍の航空隊の中枢には、アメリカの軍籍から離脱した、偽装したアメリカ空軍の「偽義勇軍」のパイロット集団「フライングタイガース」が居たことが知られている。しかしその後のヨーロッパ戦線の拡大により、航空機を優先的にヨーロッパに供与したために、この作戦は実行されなかったが、1941年10月20日、義勇兵に偽装したアメリカ軍飛行士「フライングタイガース」が、アメリカの供与した戦闘機約100機で、いきなり昆明の日本軍に爆撃を加えた。宣戦布告なしにアメリカが真珠湾攻撃の前に中国で日本軍に空爆を加えていたのだ。

日本の宣戦布告が遅れたことを理由に、真珠湾攻撃が「騙まし討ち」だとのレッテルが貼られているが実質的な最後通牒である「ハル・ノート」を日本に提示した時点で開戦は決定的であったこと、アメリカは暗号解読によって事前に日本の真珠湾攻撃を知っていたことから、宣戦布告の遅延そのものに重大な意味はないと言える。

また、宣戦布告は1907年にハーグで署名された開戦に関する条約に定められていたが、第二次エチオピア戦争やポーランド侵攻、独ソ戦争などでは宣戦布告はなされておらず、シナ事変のようにあえて宣戦布告を行わず、「国際法上の戦争」とはしなかった例もある。日本人は戦後教育によって自虐史観を刷り込まれ、真珠湾攻撃を「卑怯なこと」と信じ込んでいるが、真珠湾攻撃に至った経緯を理解し、アメリカが日本に対していかに理不尽なことをしてきたかを知るべきである。

また、アメリカの謀略の背後には、チャーチルがイギリスを危機から救うための遠大な戦略があったとも言える。チャーチルのその強い意志とリーダーシップは日本でも高く評価されているが、フランスがドイツに降伏し、ドイツの空爆を受けて劣勢にあったイギリスは、ルーズベルトに対してアメリカの参戦を強く望み、その為に日本を利用したと言える。

すなわちチャーチルはルーズベルトと共に、1940年に締結された日独伊三国軍事同盟を利用し、日本を経済的に追い詰めて日本に第一撃を打たせ、アメリカが日本に反撃すると同時にヨーロッパ戦線へも参戦するというシナリオを描いたのだ。第二次世界大戦への参戦によってアメリカは戦後の世界の覇権を握る事になった。







世界の警察とウソブクとんでもない茶番国家と
TPP交渉などする必要もない訳ですが、
日本を取り戻すはずの阿倍政権はいったい何をやっとるのか・・・・









posted by 絵師天山 at 18:21| Comment(0) | 歴史の真実

2015年07月01日

【歴史の真実】 31  戦後70年  WGIP


WGIP・・・・!?
WGIPって何?

ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム
つまり、GHQが日本占領政策の一環として
日本人に戦争についての罪悪感を植え付ける為の
宣伝計画のこと。
宣伝計画というと柔らかいが、
つまるところ洗脳
もっと突き詰めてゆけば
火力に依らない徹底破壊工作戦争。



これによって現在もまだまだ
日本は大変な不幸を背負わされているのですが、
大方の国民は今だに、このWGIPの存在すら知らない。


再び、藤誠志氏の文章を抜粋させていただきます。



連合軍最高司令部(GHQ)は、日本占領管理政策の一環として、日本人に戦争についての罪悪感を植え付けるための宣伝計画である「ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)を実行した。このWGIPを主導したのが民間情報教育局(CIE)だ。非道な原爆を無警告投下しながらも、アメリカが良い国であり続け、日本が再軍備をしてアメリカに対して原爆投下の復讐をする事がないよう、GHQは占領期間を通じて、原爆投下の調査、原爆被災研究、記録映画、報道などの禁止、資料の没収並びに発行停止の指示を出すとともに、先の大戦を「軍国主義者」と「国民」との戦いにすり替え、全ての責任は非道な侵略戦争を行った「軍国主義者」にあり、アメリカは日本国民を軍国主義から解放した正義の味方であるという図式を日本人に刷り込んだ。

占領直後の9月18日には、「原爆は国際法違反の戦争犯罪である」と原爆投下を批判した鳩山一郎談話を掲載した朝日新聞に対し、GHQは二日間の発行停止処分を下すと共に、翌9月19日に「プレスコード(新聞編集要綱)」を発令し、その一年三か月後の1946年11月25日には、三十項目からなる、検閲指針(一番目にSCAP連合国軍最高司令官もしくは最高司令部に対する批判。二番目に極東国際軍事裁判批判、三番目にGHQが日本国憲法を起草したことに対する批判、四番目に検閲制度への言及、・・と大事なものから順に三十項目)を出して、日本の歴史上類を見ない言論弾圧を行い始めた。日本の税金を使って雇われた5〜6千人もの日本人検閲官と三百数十人ものGHQの検閲スタッフによって、全ての出版物並びに放送の事前検閲や影響力のある人の私信を九百万通も開封し、電話盗聴まで行った。


GHQは戦争を計画、推進したとして、要職に就いていた日本の有力者二十万人を公職から追放し、日教組を創ってアメリカの都合のよい教科書を作らせ、これまでの日本の強みを奪う教育を実施し、農地解放・財閥解体などで日本の国柄を変え、東京裁判開始一周年記念日に合わせて急ごしらえの憲法を施行した。そして言論の自由を謳い、検閲を禁止する条項を設けた憲法の下でも秘密裏に検閲は続いたのだ。

そしてこのWGIPを補完するものが東京裁判であった。

東京裁判では、アメリカによる東京大空襲や原爆投下を正当化するために、日本は軍国主義者によって残虐な侵略戦争を行った「悪い国」だというストーリーが捏造され、全く根拠のない南京大虐殺説までが取り上げられた。

CIEの文書によれば、WGIPの目的として次のように記されている。
(関野通夫著、日本人を狂わせた洗脳工作ーいまなお続く占領軍の心理作戦、より参照)

1、広島と長崎への原爆投下が残虐行為であると理解する考えに対する対策を講じること

2、東條首相が果たした役割と、日本の侵略政策を正当化しようとする感情が拡大しつつあるが、その感情の背後にある誤った考え方を正しく説明すること

3、占領の終結時に、占領中に為された民主的な進歩を帳消しにするかもしれない、超国家主義的考え方の発生の可能性を未然に防ぐこと。


世代が替わり、WGIPが浸透したことで、日本人の考え方はどんどん偏ったものになっていった。またGHQに協力した検閲官は、占領統治終了後、官界や法曹界、メディア界へと流れ、偏差値教育による日本のトップエリート、東大法学部卒業者を中心にWGIPが引き継がれて行き、彼等はアメリカ留学などの恩恵を得、戦後敗戦利得者として、アメリカに阿吽の呼吸で連携し、互いに優遇し合う日本の支配層(ステルス複合体)として君臨し続け、今もプレスコードによる言論統制の流れは、自主規制として続けられ日本社会の中に脈々と受け継がれている。


日本はアメリカの情報謀略戦によって真実を知らされず、「南京大虐殺」や「従軍慰安婦強制連行」等、中国や韓国からも事実でないことで責められ続けているが、これ等の国々は真実よりも自国の国益を追求しているだけであり、世界の常識から見れば、相手の弱味をつくという当然の行為だ。

しかし問題なのは、中国や韓国の国益のための主張に迎合して日本の国益を損なおうとする多くの反日日本人の存在だ。

サンフランシスコ講和条約第十一条の
“Japan accepts the judgment” の訳は、本来なら「日本は諸判決を受諾する」 となるべきだが、外務省による訳は、「・・裁判を受諾する」 となっており、判決の内容のみならず、東京裁判に関して事実認定を含む全てを受け入れることを意味しているかのような印象を与えている。このように意図的に誤訳するのも、自虐史観を日本人に植え付けようとした反日日本人による謀略ではないかと考えられる。






終戦当時はまだ
朝日新聞も鳩山家も反日ではなかったことがわかります。
厄病神のような終戦利得者なるものが増殖し続け
どれだけ日本の不幸を生み出したか図り知れないのです。


これだけめちゃくちゃにされても
まだ欧米をありがたがってる日本人が
呆れるほど大勢いる・・・ことは
まったく世界の七不思議としか言いようがありません。

絵画の世界における洋画崇拝も根は全く同じなのです。











posted by 絵師天山 at 12:10| Comment(0) | 歴史の真実

2015年06月29日

【歴史の真実】 30  戦後70年 在庫一掃セール


日本では軍人は戦争を好むもの、・・・
とされていて、自衛隊すら違憲と詠う者さえあり
これは実におかしなことですけれど
どこの国でも最も戦争を回避しようとするのは
イザという時に最前線に立つ軍人であり、
ついで一般人、という順序。
それは、
人間としての普遍的性質だと思います。
つまりそれが当たり前・・・
たとえ正当防衛でも
相手を殺すのは嫌だし
自分が殺されるのは
もっと、嫌!!



東條首相以下軍部の権力者たちが不幸にも
好戦軍人の極致であったが為に
日本国民は、嫌も応もなく
太平洋戦争へと刈り出されていったのだ、
故に戦争犯罪者は厳重に取り締まらねばならない!
と、事実は隠蔽しておきたいアメリカ、及び連合国は
“東京裁判”という特別演出によって、
東條首相以下を絞首刑に・・・し
このシナリオを正当化し
好戦国民、及び侵略者の汚名すら日本人になすり付けました。

事実は正反対なんですが、
公平な言論は封鎖したままですから
ずっと、70年もの間
ただただ、そのシナリオを習慣的に継続し
嘘に嘘を重ね続けてきたので
汚名を着せられたまま
汚名とも思わず
それどころか
日本人自身が反日化していったのです。


ホントの事が見えていない状態のまま、
自分達が間違っていた、と、
反省してしまう笑えない事実、
恐ろしい常識が今なお根強くはびこっています。


おかしいのは、とっくに、
外国人の方はそれに気付いていて・・・・
ほくそ笑みながら・・さらに付け込んでいる・・・
にもかかわらず、
大方の日本人はそれをアリガタイと
感じている・・・・滑稽さ

自覚のない反日は個人にとどまりません。

駅前の階段を
エレベーター付きエスカレーターにする運動・・・とか、
学校帰りの児童を地域で守ろう運動・・・・とか、
身近な民生運動を血眼にやり続けつつ、
一方で世界平和、戦争反対、原発廃止・・・・
グローバル・・聞こえの良い理想をぶち上げる
日本共産党、公明党、民主党・・・・など、など、
幼稚なポピュリズムをふりかざして人気を博した
あらゆる反日家集団が
どんなに理想を振りかざそうとも
どんなに身近なる善政を行おうとも
その実、天皇制を完全否定している限り
それは、
日本人とは言えず、紛れもない反日そのもの。

根底で日本文化=天皇制を否定しているのだから

同じ事柄を詠ったとしても結果は真逆になる訳で
冷徹なる誤りのない判断を踏まえて対処して行かなければ・・
判断を先送りにしアイマイに放置しておけば置くほど
いずれは亡国に繋がる


祖国を捨てて逃げ出すために
日本の土地を買いあさる韓国人やシナ人、
はじめ、日本の旨味に群がる外国人による
やりたい放題に晒される未来さえ見え始めています。

しかし、そういうユスリ、タカリ連中よりも
日本人自身の『反日という自覚』のない反日化
の方が深刻なのだから、
実にやっかいな、恐ろしく大変な時代です。


軍需産業が戦争を望むから戦争は絶えない。
という、非人間的利益優先主義も
残酷の度合いを増すばかり。

人の皮をかぶった得体の知れない魑魅魍魎によって
世界は支配されているのでしょうか?

例えば、ベトナム戦争は、アメリカには先の大戦や朝鮮戦争時に作った武器弾薬など軍事物資が在庫として沢山残っており、アメリカの軍需産業はフランス撤退後のベトナムで戦争を拡大させることで軍需物資の在庫一掃と、新型兵器の開発、実験と軍需物資の販売のチャンスにしたいと考えていた事が背景にあり、軍需産業は、ベトナムへの深入りを躊躇していたケネディ大統領を暗殺、自分達の意向に沿う副大統領のジョンソンを自動的に選挙もなく大統領に昇格させ、ベトナムへの軍事介入を広げて行ったのです。

その後も
まるで公共事業の様に次々と戦争を続けてきた事実。
湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争・・・・
軍事産業の論理は敵国のみならず自国民に被害が出ようが出まいが、
利益さえ生めば、それで良い・・訳ですね。

さらに、日本への原爆投下にはこのような真実が隠されていたことも知られるようになりました。

・・・・・利益追求最優先により肥大化してゆく軍需産業を背景として、ナチスドイツを倒すためにアメリカはソ連に多大なる軍事援助を行っていたが、そのためにソ連は軍事的なモンスターになってしまった。第二次世界大戦後には、陸続きのヨーロッパのみならず、中国、朝鮮、日本、インド、中近東、アフリカまでをも赤化(=共産主義化)される可能性が高まり、第三次世界戦争ともなれば、一千万人を越える人々が犠牲になることが予想されたことから、アメリカはこれを防ぐために、議会機密費で開発を進めていた原爆を完成させ使用し、ソ連を牽制するしかなかった。
ルーズベルトはチャーチルと1944年9月ハイドパーク協定で、完成した原爆はドイツではなく日本へ投下することで合意。すでにソ連や国府軍(=中華民国)、バチカンなどを通じて終戦工作を行っていた日本の、天皇制維持の要求に曖昧な対応で時間を稼ぎながら、アメリカはウラニウム型とプルトニウム型の二種類の原爆を完成させ、広島にはウラニウム型、長崎にはプルトニウム型と、敢えて二種類の原爆を使用しました。

原爆投下を実際に推進したのは、当時国務長官であったジェームス、F,バーンズですが、バーンズは1943年夏ごろにルーズベルトから原爆開発を知らされた南部出身の人種差別主義者で、トルーマンよりも政治経験の豊富なバーンズは無警告の原爆投下に反対する陸軍長官スティムソン、海軍長官ジェームス、フォレスタルら、全ての最高幹部の反対を押し切って、ルーズベルトが急逝し、大統領権限の移譲を受けるまで原爆開発を知らなかったトルーマンに対し、この世界赤化を押し留めるのは原爆投下しかないと強く働きかけ、実行したのです。このバーンズの冷徹な決断は、結果として第三次世界大戦を冷戦に代えたのでした。

原爆投下にあたって、アメリカは非常に周到な準備をしています。
原爆だけが悲惨な兵器ではないことをアピールしその非人道性を軽減するために、通常の焼夷弾でも十万人の犠牲者を出すことが出来る事を証明すべく、陸軍記念日の昭和20年3月10日に東京大空襲を実施、ひと晩で十万人以上の無辜の人々を殺戮しました。風向きまで緻密に計算した上で文字通り焼き殺したのです。又、天皇を処刑するというのであれば一億玉砕まで戦うと叫ぶメディアに煽られた日本国民と本土上陸作戦を行えば、百万人ものアメリカ軍将兵が戦死傷することが見込まれるとの試算を行って、本土決戦を避けるためには原爆投下は不可欠であるとアメリカ国内に向けて示す必要があり、その為に制空権も制海権もなく戦略的価値も少ない硫黄島をサイパンから日本本土空襲するときの通路にあり、日本に通報されて迎撃態勢を取られる、とか、帰路に被弾し不時着する航空機の乗員を救助するため、攻略することをが必要であると説き、占領する必要もないのに、日本軍が地下に潜って背水の陣を敷く硫黄島に無理やり海兵隊を上陸させ、日本の戦死者二万人を上回る二万八千人ものアメリカ軍人死傷者を出してみせた・・・・・・・・・
藤誠志著 誇れる祖国日本復活への提言より抜粋



これが、人間の仕業でしょうか?






続く














posted by 絵師天山 at 16:45| Comment(0) | 歴史の真実

2015年06月27日

続々 “かさねの色目”


かぐや姫様は、
実は・・・・・・・
奈良時代に実在されていた御方。で・・・
つまり十二単を
身に付けられたことはなかった・・・のです。
十二単が生まれたのは平安時代だから
・・・有り得ない・・

従って、十二単を着たかぐや姫を描くと
嘘!・・・・になる。
史実に反した創作は歴史画とは言えない・・
ならば、残念ながら拙作などは
真実の創作とは言えないのかも知れません。


しかし
奈良時代はどんな服飾であったのか、は
実はハッキリしていません。

古墳の壁画などに描かれている衣装がそれで・・・
と学問的にはなっていて、高松塚こそ!と
言い張る学者様も居られるけれど
・・・・誰にも確証はなく、あれは、
おそらくは外来人、渡来人の衣装を描いたものに違いなく
それを奈良時代の衣装と決めつけているだけでありましょう。

奈良時代の遺物そのものが僅かにしか残っておらず
平安時代の厖大な資料からすれば不思議なくらいに
奈良時代の資料は少ない。
時代が時代だから、かもしれないけれど
もっと他に重大な原因があるに違いありません。

特に文字による資料がなさすぎる

これが、日本には古来文字がなかったとされる定説の原因になっているのですが、
中国様から頂いた漢字をもって日本の文化がようやく花開いた、と決めつけている
現代の皮相なる歴史観はあまりにも幼稚・・・


と深読みすると、奈良時代特有の衣装美だってあった?
のかも知れませんが、
残念、遺された視覚的資料は高松塚しかないので学者方がそう言うのも仕方がありません。

私が高松塚の壁画が渡来人のものと断定するのには
明確な理由があります。
つまり後の十二単が生まれる素地を成していないから・・・

今日でも尚、世界に冠たる十二単

その要素の一つも感じられない、・・・
十二単へと発展的変容するような要素は全くない!・・・
のが高松塚古墳壁画にあるところの衣装だから・・・デス





          takamatu.jpg





これが元になって後に十二単が生まれた・・・
なんて逆立ちしても思えない。
有り得ない・・・・でしょ、素人にも分かります

こんな事は少しの想像力と「人としての普遍性」から類推すれば直ちに誰でも解るはずだが、現実に残っている遺物に囚われ切ってしまっているので、想像の余地がなくなる・・・
つまり西洋式学問だから・・・

日本人はこの点でも大損しているのですが、
話が横道に入り過ぎるので・・・・




★★★★★★★★★★★★★★★★★★



十二単という装束は
肌に近い方から
・・単(ひとえ)
・・五ツ衣(いつつぎぬ)
・・打衣(うちぎぬ)
・・表着(うわぎ)
・・唐衣(からぎぬ)
と、重ね着する。





          syouzoku1.jpg





下半身には
・・・袴(はかま)、を着け、腰に
・・・裳(も)、を付けて
長い髪の毛が床に直に触れないようにする・・・





          syouzoku2.jpg





で、≪かさねの色目≫、というのは主に五ツ衣の色をどう重ねるかにある訳です。

五ツ衣はつまり五枚重ね、のことですが、
藤原時代全盛期には五枚が十五枚、二十枚にも膨れ上がった!
けれど、結局は五枚を標準とする様に定まりました。
つまり、十二単は十二枚重ねではなく、
正確には?
九枚・・・くらい

≪かさねの色目≫

同じ色の濃淡で下から上へ順次濃くかさねてゆくものを、
匂(におい)

匂(におい)式の一種で下部二枚を白とするものを、
薄様(うすよう)

以下
・・・同じ色を五枚かさねるもの、
・・・二種類の色を濃淡でかさねるもの、
・・・全部ばらばらの色
等々幾通りか大別され、
平安時代に定まったものが多いけれど
呼び名やかさね方は厳密には統一されていない場合も・・・、
典型的な松重(まつがさね)などは、
四季を通じて着ても良いことになっているけれど、
類型もあって、
決定版はないんだが、
大きく外れている事もなく、
統一されてはいないけれど共通項は必ずある。
まして季節にあった装いとしてのかさねの色目という
厳密な決まりの上にヴァリエーションを楽しむ、
というスタイルだったのです。


一番上に着る唐衣、オミゴロモ、とも言いますが、
これが一番露出面積が広く、
次いで表着と一番肌に近い単、
その下の袴が広く
かさねの色目としての五ツ衣が一番狭い


露出面積は一番狭いけれども
“全体の感じ”にとっては
五ツ衣こそ
最も強い影響力がある訳で、
こんな奥ゆかしい美意識に基づいた
衣装美はまずあり得ない。
つまるところ
自他共に認める

世界最高峰の十二単

その衣装美の核心は

≪かさねの色目≫
そのものである、

と言えるのであります。








posted by 絵師天山 at 22:34| Comment(0) | 装束 

2015年06月17日

続“かさねの色目”


現代の和服だってそれは立派な
世界に冠たる衣装美。


振袖も紋付き袴も、人目を引く
圧倒的存在感があるし、


燕尾服で固めても・・・・実は、
和服の正装の方が似合うのは
日本人として当然のことでありましょう。

和服文化も残念、
日常から切り離してしまって
ネクタイに背広・・・
似合いもしないのに、
ミリタリールックに惚れるのは
洋の東西を問わない・・とばかり、
スーツ姿が和服を凌駕してしまったのですが、
日本人としては実に惜しい、
コチラの欧米化も根が深く、日本人は
ずいぶんと損している訳ですね。


和服の原点である装束に至っては
神社の神官、雅楽、相撲などにその一部が使われ
そして本格的には御皇室にのみ遺され
日常どころか、殆ど着用した一般人はいない?
くらいに、滅んでしまいそう・・・・だけれど、
その存在感は和服をはるかに凌駕するものであり
この衣装に驚愕しない人は
世界中探しても一人もいない!!・・・くらいの
それはそれは高いレベルの衣装美なのであります。









コチラがいわゆる【梅襲】(うめがさね)


          IMG_2637.JPG



実に美しいものです・・・・



       
      IMG_2652.JPG





          IMG_2653.JPG




『襲』の色目(かさねのいろめ)の典型ですね
一枚一枚の衣も美しいがそれを着重ねして
その配色を思いきり楽しむ。

楽しむ為には
配色を考え、整え、創意工夫を凝らしに凝らす・・・



   koubai.jpg




   murasaki.jpg




   usuyou.jpg




如何ですか?
時間をかけて普遍性を求めた素晴らしい配色

『襲』の色目(かさねのいろめ)そのものが
最高の芸術品なんです。





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       高円宮憲仁親王殿下




      IMG_2650.JPG 

       高円宮妃





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      秋篠宮文仁親王殿下




     IMG_2700.JPG
      秋篠宮妃






          IMG_2692.JPG

             今上陛下、皇后陛下











紅の薄様
くれないのうすよう・・・

紫の薄様
むらさきのうすよう・・・・

紅梅の匂
こうばいのにおい・・・・



なんと雅なことでしょう、
日本の風土、季節を楽しむのに
これ以上の方法がありましょうか・・・








            syouten.jpg 

              かぐや姫











 
posted by 絵師天山 at 12:50| Comment(0) | 装束