2016年01月13日

正論より

小堀桂一郎先生の論説が産経新聞正論に掲載されましたのでここにご紹介いたします。

【年頭にあたり 、教育再建こそ戦後克服の王道だ】

 新年の年頭に当つての感想を問はれた場合、言論人諸氏の多くは本年邦家にとつての最大にして緊要の課題は何か、といふ様な問ひを思ふであらう。筆者の場合も同じ事であるが、只そこで『唯一最大』とまで規定できる様な緊急課題の選定には本年は輿論の一致が無いであらうとの思ひが強い。
◆安倍長期政権で憲法改正を
 その様な観測を抱くのは、一つには国家主権の回復以来数十年に亙つて確かに国民の悲願であり続けた自主憲法制定の要求が、その実現に向けての研究が精密化し、議論も十分に煮詰つて来た昨年の戦後70年の記念年に至つて、却つてそれが如何に難事業であるかといふ現実が誰の眼にも映る様になつて来たからである。それが大変な難事業であると解つて来た、その事自体が又新たにあの占領軍による急造とその採択強制が我が国にとつて如何に禍深き呪詛であつたかを痛感させられるのだが、これも亦、今更嗟嘆を繰り返しても詮のない話である。敗戦といふ国家的挫折が国民に負はせた苛酷な運命であると認識するより他ない。
 そこで少し発想を変へてみる。憲法の制定が本年の内に困難であるとすれば、兎も角もこの大事を托せる政治家は現に安倍晋三総理以外に見当らないのであるから、安倍氏の自民党総裁としての任期を大幅に延長し憲法制定が実現を見る迄の長期政権を委任する事である。この事ならば総裁の任期についての党規を改正すれば良いわけである。それは憲法の改正よりは遙かに容易な事で、唯国政上の必要からといふ大義を党員の大半が承認すればすむ事である。
 この様にして得た余裕で、では何を本年の喫緊の課題とするか。此処でも人により諸説が生じるであらうが、筆者の意見は『教育の再建』である。近年筆者の身近の環境である学界教育界を含めて、我が国の社会の幾つかの分野に於ける為された事業に対する信頼の崩壊といふ現象が著しく眼につく。

◆高度信頼社会の崩壊防げ
 建設事業に於いての手抜き工事と其処に生じる危険の狡猾な隠蔽、大企業の経理の不正、限られた或る地方での事だが鉄道の保安体制の放慢、司法界での法の道理の無視、そして学界に於いては研究成果の学問的正確への信頼が保証できなかつた等々、曽ての我が国に実現してゐた、『人と人との間の信義が第一』といふ道徳原則に遂に罅が入り始めたのではないか、との危惧を覚える昨今である。
 個々の症例についての原因の分析に言及してゐる余裕は無いし、又現に確乎不動の信頼を保持してゐる事業も多々在ることを知つてはゐるが、その具体例を挙げる紙幅もない。只、本来我が国が世界に誇るべき文明の精華として有してゐた高度信頼社会が崩壊の萌しを見せてゐることは確かであり、そしてその原因は一に懸かつて『戦後教育の完全な失敗』にある。
 この失敗は然し『全面的』なといふ訳ではない。もし教育が全面的に崩潰したと見るならば、戦後日本のこのあらゆる領域に亙つての繁栄、殆どの都市が廃墟と化してしまつたあの荒野からの逞しい再生ぶり、殊に輓近のノーベル賞学術部門での受賞者の続出といふ学問的充実の成果が説明できなくなる。この多くの成功にも拘らず、我々は邦家の将来に最早希望が持てないといふ衰頽現象を到る処に発見して暗然となる。
 この明暗二つの面の併在は、たぶん占領期以前の教育の残響と、戦後の現状破壊教育の凶悖との共存乃至競合が続いてゐたといふ状況から来るものである。教育の効果は制度的に見れば善くも悪しくも何十年といふ長い尺度で測らなければ現象として捉へる事はできないものだからである。
であるからこそ戦後教育なるものの『原理的』失敗を正すには、今後何十年を必要とするかわからない。今直ぐにも取掛らなくては手遅れの症状が悪化するばかりだ。事は急を要する。『戦後体制からの脱却』といふ目下の国民的課題への第一の着手は『教育の再建』といふ事業でなければならない。


◆国語重視と基礎学の充実を
 その具体例を二つだけ挙げておく。初等中等教育に於いては国語教育の重視である。大正、昭和期の国語教科書の調査は現に容易な作業であるが、それを実施してみれば、当時は国語読本の入念な編集を通じて、国語教育が歴史・道徳・公民の教科を兼ねる様に工夫されてゐた実体が良く判る筈である。同時に、動機付けの薄弱な、小学校児童に向けての英語教育等といふ目論見がどんなに愚かしい発想であるかも判るであらう。
 第二は大学教育に於ける基礎学の充実である。この目的を達するために、基礎学を志す若手研究者達を大切に育てる事、殊に教育研究職が将来性の点で魅力ある職種である事に制度的な保証を与へる施策が眼目となる。迂遠な基礎工事である事は已むを得ないが、50年も経てばその効果は必ず現れ、日本の国民的繁栄の動力源としての面目を発揮するであらう。

(東京大学名誉教授・小堀桂一郎)



先日、画会(昇龍會)の新年会には、
例年の様に小堀桂一郎にお出まし戴いて
歴史画についての新たな視点から
御講義を戴きましたが、
日本の文化は古代から続く
日本人のアイデンティティーに依るものであり
世界に比類無きものであるとの御高察を述べておられ
いつもながらその論点の明確さに一驚いたしました。










posted by 絵師天山 at 00:22| Comment(0) | 伊勢神宮奉納記念展

2016年01月06日

【歴史の真実】41   昭和天皇祭


正月7日は昭和天皇祭


昭和64年1月7日
昭和陛下崩御、
前年春に87歳の御誕辰日を
お迎えでした、

例年、昭和天皇祭、として
皇霊殿、武蔵野御陵墓では
厳かに祭典が行われています。





          昭和陛下8.jpg




昭和天皇は御在位62年、
大正天皇が御病弱であらせられた為
御年若くして摂政を勤められ
実質の御在位期間は
・・・・・70年近く、
それは文字通り、激動の日々・・・ながら、
神話時代を除く歴代天皇の内
後水尾天皇に次ぐご長寿を全うされたのです。

たとえ一万年の後にさえ
語り継がれるに違いない
誠の名君であらせられました。





         昭和陛下9.jpg
     
     称号を迪宮(みちのみや)、諱は裕仁(ひろひと)と命名されました
     左が三歳の陛下、右は秩父宮殿下





         昭和陛下10.jpg

       大正3年頃、海軍中尉の正装で






         昭和陛下7.jpg

      昭和11年代々木練兵場での陸軍始観兵式で御愛馬白雪号に乗られての閲兵




 
         昭和陛下6.jpg

       日華事変の勃発により開かれた御前会議、昭和13年





         昭和陛下23.jpg

       昭和20年3月10日東京大空襲直後の御視察





         昭和陛下11.jpg

       北海道千歳空港から羽田へ帰京される先帝両陛下
       9年がかりで戦後の全国を行幸されました





         昭和陛下12.jpg

       昭和27年10月16日講和条約発効後に靖国神社へ御参拝される






         昭和陛下13.jpg

       将棋の対戦をされる先帝陛下と今上陛下






         昭和陛下14.jpg

        昭和30年5月、初めての大相撲御観戦、以後大フアンになられる





         昭和陛下15.jpg

        昭和50年11月21日靖国神社御参拝






         昭和陛下16.jpg

        御在位50年を祝う式典会場で聖寿万歳






         昭和陛下17.jpg

        ダイヤモンド婚を迎えられた先帝両陛下






         昭和陛下18.jpg

        新年正月2日の一般参賀(昭和62年)






         昭和陛下19.jpg

         御田植 皇居内の農園で





         昭和陛下21.jpg

        先帝陛下の御田植えは60年にも及び
        その稔りの穂を御刈りになるのもご自身でなされ、
        収穫した新穂は伊勢神宮神嘗祭に奉呈された






         昭和陛下20.jpg

        明治天皇例祭
        明治天皇の御命日7月30日は宮中皇霊殿でご祭典が行われ
        それに先立ち明治神宮へご参拝される先帝陛下





         昭和陛下22.jpg

         昭和50年の伊勢神宮ご参拝







ご参考までに・・・・
宮中三殿で行われている年間祭典行事

宮中三殿(きゅうちゅうさんでん)は、
皇居にある、賢所(かしこどころ、けんしょ)、
皇霊殿(こうれいでん)、
神殿(しんでん)の総称。
吹上御苑の東南にあります。
      




主要祭儀一覧


1月1日
四方拝
  
早朝に天皇陛下が神嘉殿南庭で伊勢の神宮,
山陵および四方の神々をご遙拝になる年中最初の行事
     
歳旦祭  
早朝に三殿で行われる年始の祭典

1月3日  
元始祭  
年始に当たって皇位の大本と由来とを祝し,国家国民の繁栄を三殿で祈られる祭典

1月4日  
奏事始

掌典長が年始に当たって,伊勢の神宮および宮中の祭事のことを天皇陛下に申し上げる行事

1月7日

昭和天皇祭

昭和天皇の崩御相当日に皇霊殿で行われる祭典(陵所においても祭典がある。)夜は御神楽がある。

1月30日

孝明天皇例祭

孝明天皇の崩御相当日に皇霊殿で行われる祭典(陵所においても祭典がある。)

2月17日

祈年祭

三殿で行われる年穀豊穣祈願の祭典

春分の日

春季皇霊祭

春分の日に皇霊殿で行われるご先祖祭

春季神殿祭

春分の日に神殿で行われる神恩感謝の祭典

4月3日

神武天皇祭

神武天皇の崩御相当日に皇霊殿で行われる祭典(陵所においても祭典がある。)

皇霊殿御神楽

神武天皇祭の夜,特に御神楽を奉奏して神霊をなごめる祭典

6月16日

香淳皇后例祭

香淳皇后の崩御相当日に皇霊殿で行われる祭典(陵所においても祭典がある。)

6月30日

節折

天皇陛下のために行われるお祓いの行事

大祓

神嘉殿の前で,皇族をはじめ国民のために行われるお祓いの行事

7月30日

明治天皇例祭

明治天皇の崩御相当日に皇霊殿で行われる祭典(陵所においても祭典がある。)

秋分の日

秋季皇霊祭

秋分の日に皇霊殿で行われるご先祖祭

秋季神殿祭

秋分の日に神殿で行われる神恩感謝の祭典

10月17日

神嘗祭

賢所に新穀をお供えになる神恩感謝の祭典。この朝天皇陛下は神嘉殿において伊勢の神宮をご遙拝になる。

11月23日

新嘗祭

天皇陛下が,神嘉殿において新穀を皇祖はじめ神々にお供えになって,神恩を感謝された後,陛下自らもお召し上がりになる祭典。宮中恒例祭典の中の最も重要なもの。天皇陛下自らご栽培になった新穀もお供えになる。

12月中旬

賢所御神楽

夕刻から賢所に御神楽を奉奏して神霊をなごめる祭典

12月23日

天長祭

天皇陛下のお誕生日を祝して三殿で行われる祭典

12月25日

大正天皇例祭

大正天皇の崩御相当日に皇霊殿で行われる祭典(陵所においても祭典がある。)

12月31日

節折

天皇陛下のために行われるお祓いの行事

大祓

神嘉殿の前で,皇族をはじめ国民のために行われるお祓いの行事






昭和神宮建立を!!













posted by 絵師天山 at 00:13| Comment(0) | 歴史の真実

2016年01月05日

玉纏御太刀(たままきのおんたち)


伊勢神宮式年遷宮では毎回
御装束神宝調進(おんしょうぞくしんぽうちょうしん)が行われます。



その神宝の代表とも言うべき宝物がこの

玉纏御太刀(たままきのおんたち)


水晶、瑠璃、琥珀、瑪瑙(めのう)など、
国産の玉石を精緻に鏤(ちりば)めた色鮮やかさ。








     2神宝.jpg




神宮の御装束神宝調進では遷宮時に合計60柄の御太刀が調達されるが、中でも最も華麗で重厚な装飾を施されているのがこの太刀である。金具では、柄に10個の小鈴を付けた金銅の輪金(わがね)と冑金(かぶとがね)をつけ、鞘には先端が足居緒(あしずえお)に連なる前後の山形金(やまがたがね)、帯取足金(おびとりあしがね)、志波利金(しばりがね)、桶尻金(おけじりがね)などを備えている。金具の上の要所には水晶、瑠璃、琥珀、瑪瑙をちりばめ、また各金具の間の鞘上には300丸の5色の吹玉を纏っていて、これらの玉を纏う姿から「玉纏(たままき)」の名がある所以とされている。この太刀は実践の太刀の形式ではなく、儀礼のための飾太刀に属していて、太刀身は長さが3尺5寸(106.5cm)と長身で、無反り切り刃造、刃文が直刃焼詰鋩子(やきづめぼうし)の仕様は神宝太刀身の全てに同様である。太刀には金銅の鮒形一雙が付属する。また、錦袋には、体繧繝文錦(だいうんげんもんにしき)の裂地に緋村濃平組(ひのむらごひらぐみ)の伏組(ふせぐみ)が施されている。



     3神宝.jpg


平緒(ひらお)は、太刀を佩く帯で、全長370センチ、幅12センチあり平安後期に現れた簡便な切平緒ではなく、古性による長いまま一条の続平緒になっている。平緒の上には孔雀、鸚鵡、草花の紋様による全部15丈の色鮮やかな刺繍が配されていて、精緻な糸使いで丹念に繍い上げられている。(神宮神宝図録図版解説より抜粋)




この作品は第59回神宮式年遷宮の折に調進されたもの。

コチラは同じく?
ぬぁんと、
鎌倉時代!!!!・・・
・・・・に、調進されたもの





        4神宝.jpg




         5神宝.jpg




勿論平緒などはすでに朽ち果てていますけれども、
御太刀は立派に遺されて・・・・


明治以前までは、撤下した神宝類の
燃えるものは燃やし、
他は土中に埋封しました。


なぜ?
神のお使いなされた御料だから
人の手に渡るのは畏れ多いとの考えから・・・


近代以降のものは
神宝収蔵庫に厳重に保管されています。



毎度、
1576点に及ぶ
御装束神宝の調進・・・・


悠久の歴史の上に
始めて成立した
神宮式年遷宮・・・・・・・こそ

文化そのものであり、

ナンであれ、
日本以外の文物文化は
文化?  
などと名付けるに値しないものばかり・・・

虚偽とねつ造で弱肉強食世界を正当化させたい・・
だけのものなのであります。


何故に、日本人はそれが解らないのでしょうか・・・・
何故のオリンピック賛仰
何故の海外旅行熱
何故の自虐・・・・


何故の・・・・



ゴッホ礼賛

フエルメール通い・・・

メリケン、バテレン追従・・・

etc.・・・・
etc.・・・・











posted by 絵師天山 at 03:00| Comment(0) | 日本ならでは

2016年01月04日

鷹狩りショー!!

正月3日の昨日は浜離宮庭園へ、
行ってきました。


正式には諏訪流放鷹術(すわりゅうほうようじゅつ)の実演


いわゆる鷹匠ショー!!

メインイベントとして、
200メートルもの高層ビル屋上より
放たれた鷹が生き餌の白バトめがけて直滑降で襲いかかる・・・


と云うもの。

飼いならされた鷹は鷹匠の意のままに操られ
精悍なまなざしと美しいその姿を惜しげもなく
一万人を超す観客の前に披露してくださる・・・
勿論庭園入場料300円、だけ。
もう20年以上も続けて下さっているのです。







          1鷹匠.jpg





          IMG_6204.JPG






          IMG_6216.JPG






もうここ数年毎年三日には浜離宮へ出かけては
一富士二鷹三茄子・・・を実行中。

電車の中で富士山を拝んで、
帰りにいっぱいヤル時に、ナスのお漬け物を・・・


鷹匠ショーのついでに
足を延ばし
日比谷公園前まで浜離宮から歩き、
例の箱根駅伝復路ゴール間際、
スバラしい快速力で走り抜ける最終走者たちを
見送る・・・・正月の恒例コースになっています。


鷹狩りは野生の鳥獣を
飼いならした鷹を放って捕える
古よりの伝統芸・・・


芸?と言ってはなんだが、
きめ細かく、愛情深く、自然と上手く折りあって
八百萬の神々たちと共に暮らしてきた日本人には、
実にスバラシイ生活の知恵でありました、
今でもマタギさえ生き残っていますけれど、
牛や豚を養殖して食にあり付く・・
という観念からすれば、
前時代的ともいえるけれど
いやいや、決して古臭いものではなく
実質自然を大切に調和しながら
人生を楽しく送ろうとする
日本人ならではの放鷹術なのですね。


世界広しといえども
現在まで続いている放鷹術は数えるほど・・
しかも、日本人みたいに芸術の域に高めて
用の目的だけではなく、
古式を大切に継承しようと努力するのは
勿論、日本人だけ。


上の写真は
第16代鷹師であり
宮内省鷹匠であった花見薫師を継いだ
第17代・・・・諏訪流鷹匠のお家元
下の写真は第18代目だそうで、
コチラは
妙麗なる女性・・・・
御時世ですねぇ




          IMG_6239.JPG





          IMG_6243.JPG




本業なのか、?
本業は、他におありになるのか?
存じ・・・ませんが、
何れにせよ鷹と寝食を共に過ごさねばならず、
とても片手間でできる技ではありません。

元は
野生の鷹を育てるところから始める訳で、
イザ放鷹術として
自在に操る所まで訓練するのは
並大抵の努力ではないはず。
エサを与えずに、餓死寸前まで追い込み、
主への従順を教える・・・
誇り高い鷹の性質を熟知しての
根競べであろうかと思われるのです。

鳥打帽(とりうちぼう)
野袢纏(のばんてん)
地下足袋(じかたび)・・・・
合理とシャレ気とがマッチした
スタイルもなかなか・・・
良いもんです!!




それにしても放鷹術メインイベントが
電通ビル屋上に特設されたステージから・・
とは、・・・・・
オリンピック利権で
軽く見積もっても
2000億円の臨時収入
・・・・・があるらしい電通様の
・・・・・
余裕のご対応かと・・・・・









罪滅ぼし・・・・?
できた?なんて思うなよ・・・・












posted by 絵師天山 at 12:17| Comment(0) | 日本ならでは

2016年01月03日

北上鬼剣舞(おにけんばい)

1月1〜3日(金〜日)、岩手県北上市二子町の二子鬼剣舞保存会による伝統の鬼剣舞が行われます。野外での演舞のためチケットなどは不要です。・・・・という案内に釣られて、正月二日、六本木のサントリーホール前へ出かけました。

ここ数年、夏になると岩手県へ取材旅行を重ねており、
かの、早池峰神楽を見るのがメイン、・・・
ですが、・・・北上市内で開催される東北芸能祭も見逃せない・・・

そこで、この鬼剣舞(おにけんばい)にも圧倒されて
深く魅せられてしまったのです。






            IMG_8493.JPG





            1016114_644890048873800_1411748353_n.jpg






知る人ぞ知るこの鬼剣舞、
日本人ならではの誇りと勇気とを
メイッパイいただけます!!!
それはそれはスバラシイ!






          IMG_8489.JPG





          IMG_8553.JPG






          IMG_8586.JPG







年末にもお台場で鬼剣舞のオンステージがあり
早池峰神楽と共に、東京のメジャーな会場での公演
それほど知られてはいないようだけれど
根強い人気があり、
始めて見る人は必ず100パーセント??
魅了されてしまう
不思議なパワーが秘められています。






          579045_674435992585872_613190307_n.jpg





          1466024_739355586093912_645417893_n.jpg





          942122_630608256968646_2103783181_n.jpg







          IMG_8614.JPG






今日サントリーホールでは、
ニューイヤーズコンサートが開催され、
有名なウイーンフィルが来日、
例によって
シュトラウスなどワルツ系のオーケストラで
お楽しみ・・・という訳で、
その会場入り口で
無料の鬼剣舞公演が友情開催された・・・・
のでありました。


聞けば北上市が、かの東北大震災で打撃を受けた時に
以前北上市でコンサートを開催したウイーンフィルが
御見舞を差し上げたとか・・・で
御互いに交流があったのが、
今回の公演に結びついた、・・・・とか。

まあ、事情はどうあれ、
ウイーンフィルも正月早々わざわざ
来日して出稼ぎに来る・・・くらいであり
日本人の柔軟な文化受容能力によって
オーストリア人はタイヘン潤っている、ので、
その公演会場入り口では
日本伝統文化の雛型ともいえる
鬼剣舞が、タダで?
その見事な舞を魅せ
芳情にお応えしていた・・・・



そもそも鬼剣舞(おにけんばい)は
へんばい【反閇】という、
大地を踏みしめて、祓い清めを行う為の舞楽・・・
足踏み、みたいなものですが、
お相撲さんが『四股を踏む』・・のも
へんばい【反閇】の一種類ですから
非常に古く太古の太古の・・・
大昔から続けられてきた
天地の浄め技・・・・なんで、
そこに武道が加わった・・・
鬼による邪気払い・・・という様なもの。


鬼神となって魑魅魍魎を払い除き
罪ケガれを吹き払う・・・

正月に獅子舞をやるのと
全く同根・・・・・



知ってか知らずか・・・・・?、
ウイーンフィルニューイヤーズコンサートの
高額チケットを手に入れて
選ばれし者風に、
誇らしげに・・・・
サントリーホール・・・サマに入場する
半ボケ日本人は、
へんばい【反閇】の威力に
感応出来たのか?どうか・・・


正月から金払ってまで異国のワルツを聴くことが
先進文化である・・・
と思い込んだ日本人が
自分のアホさ加減に気付くこともなく

鬼剣舞(おにけんばい)を横目にしつつ
通り過ぎてゆくのでありました。


私の方は大満足で
明日の鬼剣舞も行っちゃおうかなー・・・・・
と考えながら家路に急ぐ、
残りもののオセチもあるし・・・
戴いた日本酒もまだ残ってるので・・・












posted by 絵師天山 at 02:00| Comment(0) | 日本ならでは

2016年01月02日

神宮徴古館リニューアル


先の第62回伊勢神宮式年遷宮を記念して
【日本神代絵巻】を描き、奉納させていただきましたが、
20メートルを超える大作絵巻を収蔵してくださっているのが
伊勢神宮の神宮徴古館。


明治42年創建のこの施設が耐震工事を伴うリニューアルを終え、新たに開館しました。






     2徴古館.jpg





『お伊勢さんの博物館』として親しまれている
神宮徴古館は外宮と内宮のほぼ中間地点、
倉田山とよばれる緑豊かな丘陵にあります。


一帯は皇學館大學はじめ市内の高校などが点在する文教地区で、
天照大神様を伊勢へ導かれた倭姫命を御まつりする
皇大神宮別宮倭姫宮のそばには、
神宮徴古館、農業館、神宮美術館が集まっているのです。


一生に一度は伊勢神宮にご参拝したい・・のは
誰でも・・・日本人の通有性。
だが、さらに足を延ばして数多ある別宮詣りとか、
徴古館、農業館などの施設を訪れる人は・・・・なかなか。

広大な伊勢神宮の全てを味わう事はとても大変ですけれど
そんな余裕が欲しいもの・・・
勿論おかげ横丁の美食も見逃せません・・・


神宮徴古館は
『歴史と文化の総合博物館』として
≪神苑会≫の企画により
明治42年9月29日に日本最初の私立博物館として創設されました。


ルネッサンス式の建物は、当時の宮廷建築の第一人者、片山東熊(かたやまとうくま)の設計。

≪神苑会≫は、神宮の神域に民家が接近し、火災等のおそれも多くなった明治19年に、神苑の清浄と美観を守るとともに、博物館などの文化施設の開設を目的に発足。明治22年には有栖川宮幟仁親王殿下(ありすがわのみやたるひとしんのう)を初代総裁にいただき、明治天皇の御手許金御下賜を始め、全国有志の協賛を得て、国家的な規模で神苑整備事業を推進。明治44年事業目的を完遂して解散しました。

明治44年4月から神宮に移管された徴古館は、お伊勢さんの博物館として親しまれてきましたが、昭和20年の戦災により建物と収蔵品の大部分を焼失。昭和28年の第59回式年遷宮を記念して、外壁はそのままに、二階建てに改装、以来、神宮式年遷宮で大御神に奉られた御装束神宝をはじめ、国の重要文化財11点を含む、歴史考古美術工芸など一万三千点を収蔵展示。
天照大御神を歴代天皇がおまつりされてこられた由緒により、皇室との深い関わりを伝える資料も収蔵されて来たのです。





        1徴古館.jpg
         (リニューアル前の外観)




徴古館の向かいにある神宮美術館の庭園や辺りの苑地も整備され『倭姫文化の森』と名付けて、遊歩道など四季折々の美しさが期待されます。初詣には最高のコース!!






          3徴古館.jpg
           オープニング式典





          5倭姫.jpg
          昨年冬、遷宮が行われたばかりの倭姫宮






posted by 絵師天山 at 02:00| Comment(0) | 伊勢神宮奉納記念展

2015年12月31日

魅惑の百人一首 98   従二位家隆 (じゅにいかりゅう)


【従二位家隆】(じゅにいかりゅう)

風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける

   かぜそよぐならのおがわのゆうぐれはみそぎぞなつのしるしなりける





           家隆.jpg
            (天山書画)






「ならの小川」は、風にそよぐ楢の葉と京都上賀茂神社近くの小川(御手洗川)とが掛けてあり、
「みそぎ」は、禊ぎ、で夏越の祓(なごしのはらえ)、の事。
茅の輪くぐりですね。
「夕暮れ」と言えば、秋が定番ですが、ここは初夏であり、
夏越の祓えの季節なのに楢の葉を揺らす風の夕べがステキ!
と、詠じたのであります。


先回の定家に比べ、何とも素直な
夏を迎える夕べのささやかな感傷が
実に良く表現されております。


家隆は定家と並び称せられ
後鳥羽院様に深く信任されて
新古今和歌集撰者の一人となりました。


上賀茂神社に於ける
夏越の祓は、無くてはならぬ行事。


半年分の罪穢(つみけがれ)を洗い浄めてもらわねば
後の半年暮らしてゆけぬ!!!・・・
くらいの重要祭典なのであり、
現代人の方こそ、それを忘れ去ってしまった!
・・・と云う訳で、夏越の祓
夏越しの大祓(おおはらえ)・・・・
という言葉から受ける古人の印象は
清々しさそのもの。

ナンです!!

いかなるケガレもふっ飛ばす!


伊勢神宮に初めて参拝された方は悉く
その、清らかさに打たれる、ので、
中にはこの参道を掃き清めるだけの生涯をも
不足には感じない!

と、思ってしまう人さえ居るくらい。


祓い浄め、は古来日本人通有の欠くべからざる心情でありまして、この詠にはそんな心持が漲っているのであります。


新緑の季節が過ぎ、
しっかりとした常緑の葉が爽風に揺れる


そのイメージだけでもう、
清新極まる気分・・・・・


秋ではないけれど、
夕暮れは殊のほか宜しい・・・と詠じたのも頷ける。


定家もこの家隆には、一目置いていたようで、
自分の作は
取ってつけたような技巧で溢れ返ってしまうのに
家隆は、常に、率直。
素直な詠嘆・・・


ちょっと羨ましかったのかも・・・
実質上の百人一首の〆にこの歌を持って来たのでした。



さて、残るは二首、
かの後鳥羽院と順徳帝のみ・・・・





posted by 絵師天山 at 03:00| Comment(0) | 百人一首

2015年12月30日

魅惑の百人一首 97  権中納言定家 (ごんちゅうなごんていか)


【権中納言定家】(ごんちゅうなごんていか)

来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ

   こぬひとをまつほのうらのゆうなぎにやくやもしおのみもこがれつつ





             定家.jpg
              (天山書画)





「まつほの浦」は、淡路島北端の浜で「待つ」に掛かる。
「焼くや藻塩の」は、海藻に海水を何度も汲みかけ、塩分を多く付着させて乾かし焼いて後水に溶かし、上澄みを煮詰めて塩を採取すること。
「こがれ」は、藻塩の火が焼け焦がれると、思いこがれるとに掛かる。


本歌は万葉集の長歌

淡路島松帆の浦に・・・・
夕なぎに藻塩焼きつつあま乙女・・・・


から。

凝らしに凝らした
選りすぐりの技巧でこねくり回した歌であり、
正岡子規などが舌打ちしかねないような、
所謂『造られた』系の典型例。
と、言えましょうか・・・?


職業歌人でしか詠めない、
テクニカルなる和歌であるとは思うけれど、
深い味わい・・?でもなければ、
感動して言葉も出ない・・・訳でもない・・・・
思わず知らず魅せられてしまう、でもなし、・・・・
後鳥羽院様などは、・・・
定家のこういう小手先の技巧的作品を
若干、バカにしていたのではなかろうか?
・・と、さえ思われるのであります。

何の先入観もない処に、
心からなる素直な詠嘆が言の葉として響き出で、
思わずウットリさせられるのが和歌の魅力!・・・
・・・であるとすれば、
なるほど明解答、百点満点・・・
かも知れないけれど、・・・
ちっとも面白くはない。
・・・という感じに止まるのです。ネ。


少々辛口に過ぎるかも知れません。
とても、こんなに上手く詠えない、・・でしょうが、

「藻塩焼く」という情景が
思い浮かばない現代人として尚のこと、
もっと素直に詠めんのかなぁ?!
・・・・と言いたくなってしまう。
百人一首の産みの親である大天才でありますけれど、
だからこそ、
少し残念な気がしてしまう。

しかし、
オマエの勉強が足りていないから・・サ

と、
定家卿はおっしゃるに違いありません。


もっと詳しく本歌を挙げれば

名寸隅(なきすみ)の 舟瀬ゆ見ゆる
淡路島 松帆の浦に
朝なぎに 玉藻刈りつつ
夕なぎに 藻塩焼きつつ
海人娘女(あまをとめ) ありとは聞けど
見に行かむ よしのなければ
ますらをの 心はなしに
手弱女(たわやめ)の 思ひたわみて
たもとほり 我れはぞ恋ふる 舟楫(ふなかぢ)をなみ

  〜笠金村(かさのかなむら)


ネ!

恋い焦がれている思い人の処へ
漕ぎ渡る手立てもなくただただウロウロ・・
オロオロ・・・、
嘆いているだけの男の慕情が、
実に良く伝わってくるじゃありませんか!


誰にも覚えがある様に
恋は憂きものである・・ことを共感させる
スバラシイこの長歌を承けて、
「来ぬ人=男」を待っている
「海人乙女=女」の立場に見立てて
・・詠った・・・・・ところに
新鮮な工夫があって、
さすがは定家卿
当時抜群の高い評価を得た自信作でありました。

この歌は、
謡曲中の白眉とされる「松風」に、
そのままの形で採用されており、
このパートを謡うのは謡い好きの醍醐味とされ、
私も洩れずに大好きですが・・・
(へたくそでも良い気分で謡えるところ・・・だし・・)

それでもこの和歌はなぜか

素直に楽しめない。






posted by 絵師天山 at 03:00| Comment(0) | 百人一首

2015年12月29日

魅惑の百人一首 96 入道前太政大臣 (にゅうどうさきのだじょうだいじん)


【入道前太政大臣】(にゅうどうさきのだじょうだいじん)


花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり

   はなさそうあらしのにわのゆきならでふりゆくものはわがみなりけり





          入道前太政大臣.jpg
           (天山書画)






初老を迎えた上司が二次会でカラオケ・・
決まって歌う『マイウエイ』・・・
そんな時代も今は昔。
年経て・・桜の花の散り際の良さに
感懐を覚えるのは、
いささかでも功成り名遂げた人の常なのでありましょう。

入道前太政大臣とは、藤原公経(きんつね)のこと。
西園寺公経とも言います。
百人一首撰者藤原定家の妻はこの御方の姉上様。
定家にとっては義理の弟君が権勢並ぶ者のない地位を得た人でありました。
従一位太政大臣にまで登りつめたについては理由がありまして、この西園寺公経の妻はかの源頼朝の妹婿である一条能保の娘、なのであり、当然西園寺公経は親幕派貴族であると見做されて後鳥羽院以下大方の貴族からは嫌われ通しでしたが、承久の乱の後は、それが却って幸いし、西園寺家が栄える基礎を導き出すことに・・・・
何しろ、この後、昭和初期に至るまで、或る意味で、西園寺家は日本の政財界のドンであり続けたのですから、功成り名遂げた人として、散りゆく桜花に老いの身を詠嘆する余裕があったことは間違いないところでありましょう。


定家もその辺のところはぬかりなく
長いものには巻かれて??
権力者としての扱いをせねば・・・と
96番目に持ってきたのであります・・・
百首に厳選したのに、まあ、これも入れておかねば・・・
で、ラスマイのちょっと手前に持ってくるより他無かった??



「ふりゆく」には、降り行くと古り行く=老いぼれる・・
が掛けられています、年寄りの要らざる一言・・・?
みたいなな詠ですけれど、
義理の兄として弟様からは
色々と、優遇?があったのでしょうから、

・・・無碍にも出来ず、外す? わけにもゆかず

おそらくは、定家自身の指導のもとに詠った歌だし

このあとにはご自分の詠が続くわけで・・・

思いあがっているほどではないが・・・・

ちょっと、道長の和歌に似てますね・・・・・




posted by 絵師天山 at 03:00| Comment(0) | 百人一首

2015年12月28日

魅惑の百人一首 95    前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)


【前大僧正慈円】 (さきのだいそうじょうじえん)

おほけなくうき世の民におほふかな我がたつ杣に墨染の袖

   おおけなくうきよのたみにおおうかなわがたつそまにすみぞめのそで






          慈円.jpg
           (天山書画)





「おほけなく」は、身分不相応に、モッタイナクモ・・差し出がましくも・・・
「おほふ」は、蔽う、で、仏法によって天下の人々の幸を祈る、という様な意味。
以下墨染の袖で蔽う、に繋げたのです。


「我が立つ杣」は、伝教大師(最澄)が、比叡山根本中堂を建立するときに詠んだ和歌

阿耨多羅三藐三菩提の仏たちわが立つ杣(そま)に冥加あらせたまへ

あのくだらさんみゃくさんぼだいのほとけたちわがたつそまにみょうがあらせたまえ

により、杣山=木材を伐り出す山、であり、比叡山の別名。

「墨染めの袖」は、墨染めに住み初めが掛けてあり、僧衣のこと。

僧慈円は、関白忠通の子。
であり、九条兼実の弟、良経の叔父に当たる。
政界に於ける九条家(=藤原一派)、の地位変動にリンクして天台座主という地位に四回も立たされたのですが、この詠は若い頃の入山修行の折のモノ。誠に初々しい・・・・

おおそれながら、
仏法に依って経世済民を図る立場になってしまいました・・
という、感懐を述べたものでありましょう。


比叡山を権力下に置いておくことは
当時の政界を牛耳るに必須。
藤原一族から天台座主に登った方は多いのです。


慈円は、六男でしたから、
既に11歳になった時出家しておりました。
藤原氏の権勢を一方から支える役割を仰せつかっていました。


鎌倉時代初期の歴史書である『愚管抄』はこの御方の著作。

和歌の名人であった事は勿論で
おびただしい数の作品が遺されています

権力の頂点に長居したにも関わらず長命を得ましたから、
仏法に依って民の幸せを祈ると同時に
ご自身も幸せだったのかも知れません。








posted by 絵師天山 at 03:00| Comment(0) | 百人一首

2015年12月27日

魅惑の百人一首 94    参議雅経(さんぎまさつね)


【参議雅経】(さんぎまさつね)

み吉野の山の秋風小夜更けてふるさと寒く衣打つなり

   みよしののやまのあきかぜさよふけてふるさとさむくころもうつなり  






          参議雅経.jpg
           (天山書画)






「衣打つ」と言うのは、砧(きぬた)のこと、
絹地を木槌でたたいて柔らかくする作業のことで
たたくから、音が出る、
秋とこの砧(きぬた)の音とは古来
相性の良い付きもの・・・とされます。


先回の実朝の歌につづいてこの和歌、
ですから、哀愁漂う海辺から山野の哀しさへと遷る仕掛け。
さすがは定家卿、見事なる構成になっている訳ですね。


「ふるさと」は故郷ではなく旧都の事。古来・・・
吉野には応神天皇以下、多く朝廷の離宮がありました。


作者雅経は、俊成門下、後鳥羽院に信任され
新古今和歌集の撰者の一人・・・
若い頃には関東に下り、わがまま将軍頼家の蹴鞠の師匠を任じたこともありました。


本歌は古今集から

み吉野の山の白雪つもるらしふるさと寒くなりまさるなり

これじゃあ、パクリ?・・・になりませんか?
いやいや、本歌の言葉をそのまま使いすぎてはいますけれど、風の音、砧(きぬた)の音、・・音を配した所が秀逸!


そもそも本歌取りは何十年も何百年もずーっと以前に詠われた本歌をももじって、趣意を少し変化させ、本歌と共に一緒に重ねて味わう・・・その方がグッと楽しく、さらに、それがまた本歌になり、永く深くひっくるめて工夫されてゆくことをも将来の楽しみと致しましょう・・・・というもの。
普遍なる人の情を、時を超越して共感してしまおうとする訳で・・・・
それを指してパクリ・・・・とか言う方が野暮。


著作権違反とか何とか云いだしたのは
契約社会云々、という愚にもつかぬ縛りつけであり、白人の拵えたクダランルール。
本歌取りという素晴らしい文化は
そんな次元をはるかに超えており、それを
極々普通に楽しんできた我が日本こそ素晴らしい!!!!


声にして読んでみてください
本歌もコチラも、共に
気分よく詠えるでしょう・・・。
和歌の真髄が込められているから・・・・


加えて、吉野山に対する日本人の心情の深さが強く作用しています。
日本人は不思議なほど、吉野が好き。


私もいつの日か、【吉野山】という画題で大作を描かねば、と強く思う処がございます。
日本人の吉野に対する深い想いを画像化してみようと・・・計画中。


かの持統天皇は女帝という立場に成られた後にも、
公務の合間をぬって、30回以上も行幸を吉野に重ねておられるのですが、旧都と云われる吉野の何がそこまで惹かれるのでしょうか?大いなる謎・・・・当時は交通機関もろくに無いのに・・・


丹生(にゅう)と言う天然の水銀が産出する地が近くにあり
その水銀を不老長寿の妙薬に加工する技が吉野にあった、
・・・・・???
毒をもって毒を制す。微量の水銀毒素を体内に・・・入れ、
毒を排出しようと言う自然治癒能力を最大限に発揮させることで
却って不老長寿の力が湧いた・・・・
現代医学でも解明出来ない様な秘薬があるいは、ひそかに伝えられていたのかも知れません。


日本人の英知は医学方面でも勿論その才能を驚くほど発揮するものでありまして、岡山に林原美術館という立派な美術館がありますが、その母体は林原製薬。この会社は元来旧帝国陸軍の医療全般を担っており、当時世界に冠たる医療技術を誇っていたという事実があり、アメリカ始め連合国はこの医療技術欲しさに日本を戦争に追い込んだのである、という説さえあって、現代にも続いているので、この会社が生産しているルミンAという薬はその不思議なデトックス効果で根強い人気がある様です。

不老不死、不老長寿、・・・夢のまた夢であろうかと思われますが、アンチエイジング、とか、健康長寿とかに群がるのは洋の東西を問わないのでありましょう。

話が少々、逸れてしまいました・・・・










posted by 絵師天山 at 03:00| Comment(0) | 百人一首

2015年12月26日

魅惑の百人一首 93 鎌倉右大臣


【 鎌倉右大臣】(かまくらのうだいじん)

世の中は常にもがもな渚漕ぐあまの小舟の綱手かなしも

   よのなかはつねにもがもななぎさこぐあまのこぶねのつなでかなしも





            源実朝.jpg
              (天山書画)





先回の二条院讃岐の項で
武士として歌人の誉れ高い源三位頼政を
百人一首に採り入れなかった定家の
「思いやり」について少し語りましたが、
コチラの鎌倉右大臣は正真正銘、源家棟梁。
武士の中で唯一の百人一首登場歌人なのです!


源実朝。
頼朝の次男。
鎌倉三代将軍。
かの鶴岡八幡宮境内銀杏の大樹足下で
甥の公暁によって暗殺されたその御方であります。


なぜ、宮廷に敵対する幕府のトップが
歌人として立派に百人一首に入れてもらえたのか?

この方の描いた絵が沢山残っておりまして、
それは観音像、彼は日課として
白衣観音像を毎日のように描いておりました。

それは上手い、なかなかのレベルであります・・・
勿論、和歌も上手、というよりも・・
コチラは、名人クラス! 


将軍様と言うより文化人だったのですねぇ

三代目の将軍であって且つ、
ナイーブな文化人であったことが
彼の悲劇でした。

北条氏というのは
後の足利氏の輪郭を小さめにした様な存在。
公を蔑(ないがし)ろにし
天下国家を私する事を家訓としている、かのような、
云わば、極悪反日家系集団・・・・・で、
むき出しのエゴイズムでさえ
歪曲とねつ造によって正義と塗り替え
堂々実行して行く・・・のが主なる仕事。


宮廷文化に憧れるナイーブな将軍、実朝は、
その集団の頂点に立つ、
掃き溜めに鶴・・・的、存在。

事実上、傀儡と成り下がっていました。
が、北条氏=反日集団にしてみれば、
言うことをちゃんと聞こうとしない
役立たずの邪魔者・・・・


源三位頼政は、奢り高ぶる平氏のエゴを
断罪する、という目的で平氏一門の末端に禄を得ながら
遂には、老いの身を公の為に投げ出したモノノフ!
でありましたが、
こちらの、実朝も、
将軍という立場は朝廷に戴いた公職、デアリ
無論、天皇家の御為にこそ存在する
という、本来の姿、本筋に忠実、
公に尽すことを第一義とした誠に敬愛すべき
ホンモノのモノノフ。

武家の在り方を良く弁えていた御方なのです。

北条氏はこれが面白くなかった・・・・・

結果に於いて、そそのかされた馬鹿甥に
斬り殺されることに・・・・・


それはそれは素晴らしい詠唱の多い実朝ですが
この作品は少々重く、抑圧され気味
だが、・・誠に深い深い、哀愁に満ちて・・

定家がこれを選んだのは
実朝の内面の祈りにも似た誠実な大和心を
これほど端的に見事に表わした歌は他になく
百人一首の選考基準に大いにマッチしていたからでありましょう。

家集、『金槐和歌集』(きんかいわかしゅう)
を読めば、将軍実朝は実は、大芸術家であったことを
誰しも感じない訳には行きません。


「名は体を表す」という金言に従えば
父源頼朝は、
朝=朝廷を頼る源・・・デアリ、?
実朝は朝=朝廷の実りの源・・・である?
筈の・・存在なのに、・・・

実のところ
周囲のエゴに振り回された残念な父子であった
・・・・のかも知れません。


けれども
頼朝や義経らに
およそ文化らしき香りは皆無で、
それは、北条氏も後の足利家も・・・
秀吉や家康にも無く・・・権勢欲にマミレ、
権力に執り付かれ、翻弄された人生を送った者から
当然・・・藝術は産まれない・・・・

実朝のような大芸術家が、
ソンナところに・・・・・・
産まれるはずもないのです。


「常にもがもな」は、
いつも変わらないでほしいものだ・・・
の、意味。


この和歌の本歌は万葉集の

河の上のゆつ岩むらに草むさず常にもがもな常処女にて

   かわのかみのゆついわむらにくさむさずつねにもがもはとこおとめにて

「綱手かなしも」は、
舟の引綱は趣があるなぁー

この本歌は古今和歌集東歌

みちのくはいづくはあれど塩釜の浦漕ぐ舟の綱手かなしも

   みちのくはいずくはあれどしおがまのうらこぐふねのつなでかなしも

実朝は定家から和歌の手ほどきを受けておりましたが
本歌取りを学んで試作して見せたのがこの名歌となりました。

天皇を核とした和歌文化に憧れを持ち
朝廷にとっての忠臣でありたかった実朝の
心の実が見事に表出された詠であります。




posted by 絵師天山 at 03:00| Comment(0) | 百人一首

2015年12月25日

魅惑の百人一首 92 二条院讃岐


【二条院讃岐】(にじょういんのさぬき)

我が袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし

   わがそではしおひにみえぬおきのいしのひとこそしらねかわくまもなし






            讃岐二条院.jpg
              (天山書画)






「潮が干いた後でも海面には出てこない石は
有るのか無いのか?
有るとしても、常に海中なのだから、
いつも海水で濡れている・・・・
その、いつも濡れている石の様に・・・
人知れず、貴方様をお慕い申し上げております・・」

と言うところでしょうか。

一見、けな気な女性の
熱い思いが表現されているかに見えます。


作者二条院讃岐は二条天皇にお仕えした女房であり
かの源三位頼政の娘。

平家全盛下に汚名を耐えしのび続けた頼政は、
時至って遂に以仁王を奉じて挙兵・・・
結局、潰えたとはいえ
奢る平氏に一矢報いたことに
世間は喝采を挙げた・・

しかし平家の世の中では単なる反逆者。
・・・・・この父、頼政を
「潮干に見えぬ沖の石」と、捉えて、娘は詠じた・・・
と考えれば、俄然、趣が深くなって参ります。

歌詠みとしてかなりの実力者であった
源三位頼政を定家は
大いに認めて居たけれど
百人一首には入れなかった、反逆者だから・・・
その代わりに、この二条院讃岐の詠を採り入れることで
頼政へ最高の敬意を表したのではないか?
と思われるのであります。


反逆者に対する世間の圧力に対して
蔭ながらの篤き応援を感じる訳ですね。


二条天皇崩御の後には後鳥羽院の中宮任子
宜秋門院=ぎしゅうもんいん)
にもお仕えし、長年にわたって宮廷歌人として活躍
父の反逆によっての危うい立場も切り抜けつつ
長命であったそうです。

正に、沖の石の様に、
命がけで正義を貫こうとした父を持った娘として
複雑な心境が見え隠れしているので・・・・。

父を慕う床しい心ばえを想えばあはれはヒトシオに・・・・・。





posted by 絵師天山 at 16:19| Comment(0) | 百人一首

2015年12月16日

かつてはルノワールだった・・・・


JR上野駅公園口正面には、かの文化会館があり
すぐ右手お向かいには、国立西洋美術館があります。


いずれも主に西洋の音楽、美術を紹介する為の施設。
昭和39年東京オリンピックの年には
既にあったことは確かで
もうズイブン見慣れたし、
時折り改修され、現役続行中だが、
少々古臭くなりました。
文化に携わる我々は勿論
ごくたまに上野駅公園口を使う人々にとっても
ごく当たり前の馴染んだ存在・・・


この度の再びのオリンピック招致は
不透明だが、景気回復のテコ入れが期待され
世界に対する日本の在り様を
認知してもらうのに大変良い、のでは?
漠然と・・・そう、思われています。


直接スポーツに関係する諸氏はもちろん
恩恵にあずかれそうな人々は悉く大賛成
その他大多数は、積極的、消極的、
無関心・・・も含めて
大かたは別に反対する理由は無い・・
上手く利用しさえすればヨロシイ
・・・的な、気配・・・

私の様に正面切って大反対!!
と、思ってる人はあまりいないのでしょう。
・・・・・
か???



文化会館も西洋美術館もブッコワシ!!て、
邦楽会館と日本美術館に建て替えるべし!!

と常々考えている私としましては・・・

一部の人々だけが唱えていることを
世界の常識だと思い込まされての
似非文明論に踊り易いこの現実世界にあって


結果的には、合法的にゴッソリと
物質的精神的共に大きな犠牲を払わされる
オリンピック開催は大反対!
反対するのは
日本文明回帰への・・シアワセへの・・・
大切な大前提デアル!!
と思うのですが、

なかなか、多勢に無勢でしょうなぁーー・・・



スポーツというものは
結果が明快なので
引きずり込まれるような魅力に溢れています。

それに比べれば絵画などは
何が良いのかスグに解る人はそんなには、居らず、
ハッキリしない、・・・・特に現代日本画は・・・?


勝てば官軍!
負け犬の遠吠え
勝利こそ!!

敗者になってはいかん!
敗者には成りたくない・・・
しかし・・・・
100人が100人とも、
勝者を目指している世界は・・・
実は・・・・窮屈
幸せじゃあありません。
ね・・
たとえその内の一人でも応援に回ってくれる人がいれば、もうそれだけで住みやすくなるもの。


以前、相撲について語った時に
横綱白鳳はケシカラン!!
と申しましたが、
相撲を始め、日本文化は大変多面的であって
一筋縄では行かないモノだらけ・・・
だからこそ
面白い!!!!
相撲はスポーツという小さな枠に
はめる事が出来ないからこそ面白いのに
白鳳以下大方の外国人力士は
そのあたりを理解し難いらしい・・

勝ってナンボじゃ!!
・・・が、まかり通る、


実は、民主主義もこれと同じ様なもので・・・
49対51が堂々とまかり通る。

つまり49人は不幸せでも
51人が良しとすることが正義!デアル!
と、決めてしまう・・・・
実は・・・・オカシイ・・・・・
残りの半数は我慢しているのだから


何時の頃からかこういう単純な理屈が正しい!
とされる世の中になってしまいました、・・・
善玉と悪玉しか出てこないハリウッド映画から?

日本文明の本質とはかけ離れて行くばかり・・・

本当は多面的な日本文化こそ
人類の真の幸せのカギを握っているのに
日本人自身がその事に思いが及ばない
漠然と日本は好きだが、
何が大切なのか、その神髄に迫ることなく
西欧の規範に盲従する癖を付けられてきたまんま。
長いものには巻かれろ?
西欧に対する劣等意識がその根底にあり
それはぬぐい切れないほど強靭、根深いもの・・・

だから、文化の町上野の入口には
文化会館と西洋美術館が未だに堂々と鎮座しているんです

だからこそ、ぶっ壊せ!!
と私は言ってるんです。
おかしいと思わないオカシサに気付きましょう
・・・!!!と。

同じ理由でオリンピック開催も絶対反対!!
勝ち負けだけの安っぽい価値観を謳歌する祭典
内実はとっくの昔に悪魔化してしまった
世界的集金システム繁栄の為の茶番




かく言う私も・・・・

物心ついて人様より絵が好きである自分に気付き
漠然と画家になりたいなどと思い始めたころ
私の身の回りに目についたものは
欧米の文化でした。
油絵具を買ってもらった時の嬉しさを
いまだにハッキリと覚えています。
早速自転車に括りつけ
石神井公園三宝寺池へ、
イーゼルを地面に立てて
カンバスに向かって水辺の風景を描く!!
印象派の巨匠達が皆揃ってしている事が
即、
自称絵好きの少年が当然やるべき事
・・・・だったのです。


迷うことなく西欧の芸術を楽しく学ぼうとした、

ルノワールが好きで
ムーランドラギャレットという作品を
60号のキャンバスに模写したのは、
まだ高校一年生の夏休み。


お祭りの様な華やかな野外の景で
木漏れ日の中で人々が楽しげに歓談したりダンスしたり・・・
有名な作品ですね、甘美な色彩世界に魅せられたからです。


セザンヌ、ロートレック、モネ、
ルオー、シャガール・・・・
ルノワールがすべてではなかった
けれども、自分の関心事はすべてに渡って
西欧優先・・・油絵こそ絵画でした。

当時45倍という難関だった東京芸大油絵科の受験に失敗。
度重なる浪人生活を過ごした上で
私学の東京造形大学へ・・・
思い通りにならなかった受験戦争は
その後もコンプレックスとして後を引きましたが

大学で出会った日本画には
生理的に即、気に入った!
臭くないし、すぐ乾く・・・
へー、こんな世界があったのか!!・・・面白い!と。


父の書棚にあった東山魁夷の作品集を観たり、
教科書で見た古典的日本画を博物館に行って観たり・・・
急速に日本画世界に心が向いて・・・
当時は茅場町にあった山種美術館にも良く通いました。
岡倉天心の著書を貪るように読み始めたのもそのころ・・・

まさか、自分が院展のメンバーになるなどと
考えても見なかった頃ですが、
内心の奥底に潜んでいた日本文化の核心に触れたいと言う
本能的なるものが疼きだしていたのだと思います。


しかし、その欲求はまだ曖昧
それほどしっかりしたものではありません・・・、

初めて師匠に連れられての海外旅行
プラド美術館で
フラアンジェリコ描く天使の陰影の美しさに言葉を失ったり、
先輩が食い入るように半日も眺めていたブラックゴヤに私もつられるように魅せられたり・・・・
石造りの都市美、見たこともない風景
・・・あらゆる文物に対する憧景が駆り立てられ
好奇心の虜となって、圧倒されたのでした。



まだ幼かった、とはいえ
物事の真実を見極める力がまるで育って無かった
・・・のです。
凡人だね・・・ぇ


宗教に呪縛されている絵画に感動したり、
目を見張るような写実力にオノノいたり、
質量の巨大さに圧倒されたり・・・・
恥ずかしながら
さんざん無駄な事を重ねてきました


日本人の殆どが未だ錯覚している様に
西欧文化に呪縛されたうえでの日本回帰であり、
神髄に触れる努力をまだ真剣には取り組んでいない状態・・・が長く・・・。




しかしぃーーこれからは本領発揮!
遠回りをしてきましたが・・・
今からでも決して遅くはありません、
これからはさらなる本気で
日本画らしい日本画を!

普遍なる美の核心を求めなければ・・・

文化とは日本文化のことを言うのであって
それ以外は文化とは言えないレベル

もう、目移りしたり騙されてばかりいないで
日本人としてのハートに
命をかけて・・・・忠実に・・・・




もっと、ずっと簡単に言えば
もうこれ以上日本の美味いものを

教えてやることはないのさ・・・



モッタイナイ!!





posted by 絵師天山 at 16:59| Comment(0) | 日本画の真髄

2015年11月30日

【歴史の真実】40   安倍総理は、12月8日に靖国神社参拝せよ!

今年は戦後70年の記念すべき節目の年でありました。
もう本当のことも、嘘で塗りつぶしたことも
みな、風化しつつあります。
けれども、
【歴史の真実】
風化させてはなりません。


実は、
東條首相は熱烈無比なる
余人なき愛国者そのものであり
軍閥と名付けられ
戦争責任を問われ続けてきた
・・・・モノ?・・・コト?・・には
何ら、実態はない・・・
むしろ憂国の士の所産であります。


戦後の、・・・・
検閲による日本人の洗脳、
徹底的なる思想の統制
アメリカにとって都合の悪い本の「焚書」
三十項目からなるプレスコード・・・・


それらによってこの70年・・・
いまだに日本のメディアは
呪縛から解き放たれてはいません。

勿論、日本人自身!!も・・・・


トルーマン
チャーチル、
スターリン・・・・etc・・・・
ABCD包囲網によって
日本に開戦を強い、
アングロサクソンの世界侵略を完成させようとした・・
意図・・・・・こそが、本当の戦犯です。


先頃の100人以上も抹殺されたパリのテロにしても、
背後で指図しているのはCIAかもしれないし
それを援護しているのは未だに露骨な侵略を国是としているロシアかも知れず、
・・・・もう、一筋縄では何事も立ち行かなくなった・・・・。
言葉には出来ないまでも、・・・・・
誰もが、この閉塞感を嫌々共有せざるをえない時代。


【歴史の真実】を閉ざしたままだから・・・です。

余剰軍備の消化試合を目論んでか?
当然の仕事の様に、
軍需産業が暗躍し戦争を起こす・・・・、

どんな時代にも必ず

爆弾消費戦略最優先課題でした。

だからこそ、
ノーベル賞は世界最高峰の権威でいられる・・・


十字軍の時代から現在、今の今まで、
世界制覇をもくろみ続けているのは、
いったい誰?


広島長崎への原爆投下・・・・
一夜にして10万人以上を焼き殺した東京大空襲





          5昭和陛下.jpg

           昭和20年3月東京大空襲直後東京市内を御視察される昭和天皇





・・・・無抵抗な民間人を原爆や焼夷弾で虐殺した以上、

投下された側の日本が悪の国でなければならない。

民主主義を日本に与えた正義の国アメリカ!
である為には、
東京裁判によって戦犯を産み出し
≪晒らし首≫にしなくてはならない、

そのためにはどんな嘘でも嘘で上塗る・・


国府軍が主張する虚偽の南京三十万人大虐殺を持ち出し、
松井石根大将をB級戦犯として処刑したのを手始めに
・・・・今も尚、
日本軍が朝鮮女性を二十万人強制連行して性奴隷にした
などと主張する韓国を支持している。
・・・のが、

初の黒人大統領を得た
立派な国、最先進の国・・・・・

アメリカ・・・の実態です。


ベトナムもイラクも正義の戦いと称して
ぶっ潰してきました!!!
ロシアも、イギリスも、フランスも・・・・
国益と称して、堂々と加担する。
ニューヨークのツインタワー倒すなんて屁でもない。


その結果は?

ナチ野郎!!・・・と、
悪魔の烙印を押してやった、
憎っくきドイツに・・・
溢れ出した難民を、
片っぱしから
放り込んどけばいいかぁ???
はははh・・・・・



かつて、橋本龍太郎総理は、アメリカ訪問の後
アメリカの国債を売りたいと言う衝動に駆られる・・・
とつぶやいたが為に、
以後日本のメディアに叩かれまくって
あっという間に失脚しました。


アメリカのご機嫌を損ねた・・から

アメリカからの理不尽なる年次要望書によって
日本は、この70年キッチリ!
苦杯を飲まされ続けており
膨大な、天文学的数字のアメリカ国債を
買わされ続けている・・・
それを、
日本国民の為に少し、売りたい、
財源にしたい、と・・・・・・思う。

言っただけで、
日本のメディアが日本の総理大臣を叩く!


そういう仕掛けになっている。
ユダヤアングロサクソン支配。




こんなことは氷山の一角。

直接アメリカから小金をもらって
新政権を打ち立て、総理大臣にまで登りつめ・・・
た、後・・・余世を茶碗焼いて過ごしている細川某・・・
などは、・・まだ小物だが、


自称、他称、の大物たちが、
勢ぞろいし、アメリカ神社にご参拝し続けて来たのが
日本の政治ごっこだった。

・・・シナ寄りの珍奇なる政権すら、あとで
アメリカに依り戻す為のカンフル剤でしかなく、

現、安倍政権も当然
その安定には、アメリカのお墨付きが欠かせない。
と思い込んでいる節が見える。

国内向けの経済政策すらアメリカを困らせるような事は出来ない


日本の通貨は、実は、日本人の思うようにはさせてもらえないように仕組まれている。

安倍総理大臣様
この12月8日、
大東亜戦争開戦の記念すべきこの70周年に、
せめて靖国神社へ詣でて下さい。

アメリカ神社にばかり参拝してる場合ではありません、

どうか、・・・

・・・・

命まで投げ出した
日本人二百数十万人の御霊に礼を尽くし
心の底から我々の代表として謝罪し、感謝し、
アメリカによる植民地支配からは抜け出します
、と
内外に貴方の御存在を存分に示して下さい。
日本を取り戻す!
スローガンに偽りなし、
自分を取り戻しただけでは・・・決して終わりません

英霊に誓ってください。



そして、内外に向け・・・
今後、日本は
核融合の実現と活用を
最優先国家プロジェクトとし
その財源には
限度無しに日銀からの新円を充て
それでも足りなければ
アメリカの国債を売り払ってでも
断固推進します!!! と、

ニイタカヤマをノボッテクダサイ・・・・・


貴方の骨を拾う人は大勢居りますから
・・・・どうぞ頑張って!




そしてさらには

今上陛下の靖国神社参拝をお導き下さい。







            天皇靖国.jpg

              昭和27年秋 昭和天皇靖国神社御参拝













posted by 絵師天山 at 01:00| Comment(0) | 歴史の真実

2015年11月28日

根津美術館 物語をえがく展


根津美術館では自前のコレクションから
物語をえがくー王朝文学からお伽草子までー
展、を開催しています。


新装成った根津美術館も見もの・・・

11月14日から12月23日まで
表参道駅近く、徒歩圏 根津美術館へどうぞ。






           1根津.jpg






殊にお伽草紙はあまり見慣れない・・・?
かと、思われますが、
大和絵の素朴なる一面が顕れていて
日本画の本質が飾り気なく覗いており
好感を持てるはず。


お伽草子は、室町時代より
婦人や、子供向けの物語草子として
民間に流布されたもの。
簡単な内容で素朴な説話を
これまた簡単な挿絵とともに楽しむ、・・・






        monogatari_4.jpg




絵巻物形式や冊子形式の奈良絵本
あるいは木版の刊本、と
形式も変遷して行きましたが





          御伽1.jpg




          御伽2.jpg




          御伽3.jpg




          御伽4.jpg 




江戸時代には庶民の娯楽として
相当栄えたのです。
複雑な構成や詳細な描写には乏しいので
余計に入りやすい。
現代人ののゲーム?
みたいな感じでしょうか??違うかな?


面白さの裏にある寓意に当時の世相が垣間見られたり、
中世の民間信仰を理解する手がかりともなっています。
いわば、庶民の為の大和絵


普通の大和絵に比べてその筆法描法は
少々拙いところがありますが、
拙いが故の力強さ、
土俗的ともいえるおおらかさ、と共に
独特の清らかさ、
無邪気なる心ばえ・・・
飾らない情感、
八百万の神々と共に遊ぶ・・・
というような、楽しさに溢れているのです。




現代人が忘れてしまいそうな心を・・・
ノゾけます…よ








美術館からのメッセージ

物語は、古くから絵に描かれ、楽しまれました。たとえば、伊勢物語の存在がはじめて文献上に知られるのは源氏物語のなかですが、そこにおいて伊勢物語はすでに絵巻として登場します。もちろん源氏物語も、成立後まもなく絵に描かれ始めたと考えられています。また、中世まではもっぱら絵巻や冊子、色紙といった小画面に描かれた物語絵は、近世になると大画面の屏風にも描かれるようになり、物語が室内を彩りました。
 このたびの展覧会では、伊勢や源氏の王朝文学から平家物語、曾我物語、西行物語、そして酒吞童子をはじめとするお伽草子まで、さまざまな物語を描いた多彩な形式の絵画作品を集めます。晩秋のひとときを、物語と絵とともにお過ごしください。





posted by 絵師天山 at 01:00| Comment(0) | アトリエ天山からのお知らせ

2015年11月27日

続 久隅守景展

圧巻でした!!

久隅守景展!!!


後期展示は前期よりもさらにグレードアップ!!





          守1.jpg






昨年は菱田春草展で大いに楽しませていただきましたが、
概ね、昨今は、心底楽しめる美術展は・・・・皆無
僅かに、一点、二点、まあまあの品物が見れれば儲けもの・・・
ぐらいの、まったく残念極まる展示会だけは・・・

目白押し・・


写実しかできないおぢさん、・・・フェルメール展とか
塗りたくるだけのおぢさん、・・・モネ展とか
・・・・・

枕絵なんか、展覧会までして見るもの??
ではないし、・・・・
いくらかマシではあるけれど
もう、琳派で全てをククルのは、
かなり、時代オクレではないかと・・・思いますけれど・・・

空間恐怖症の若冲にも辟易・・・だし


西欧への劣等意識で成り立ってしまっている砂上の楼閣が
音を立てて崩れさる時が、・・・
ホントに・・・・待たれます・・・・・


審美眼の深い人には、全くさびしい限りの現代美術界ですが

この久隅守景展は、極上!!

ヨダレもの・・・・まさに圧巻でした!!!


私自身、無知であったことを反省・・・・
これほどまでの・・・・・
知らなかった・・・??


師匠の探幽よりもハイグレードであることは
先ず間違いなく、応挙などでも・・・
太刀打ちできないかもしれないクラス・・・
雪舟がちょうど好敵手であるのかも知れません・・・
春草もビックリ・・・・!!

あっと驚く超ハイクラスの絵師であることが今日これだけハッキリと明示されたのですから、
この・・・平成の御代も捨てたものではありません・・・・まさに、日本文化の精髄ここにあり!
掃き溜めに鶴とは正しくこの事・・・・・





          2守.jpg
           鷹狩図屏風部分






こんな、素晴らしい絵師が、
日本に居た!
のでした・・・・・









          守3.jpg







          守6.jpg






          守7.jpg






          守8.jpg






          守9.jpg




写真などでは、万分の一の良さも伝わらず、
誠に残念。

和紙も、大版のものは、
桶が作れないので出来なかった時代なのに、
屏風という、小さな和紙を張り継いで成り立つ、
日本の知恵によって工夫された大画面に
非常に心温まる世界を描出・・・・


先日、北の湖親方の訃報で申し上げた事ですけれど
大相撲が神事であって、スポーツという範疇には
納まりきれないのと同じく、

日本文化の全ては、いわば、神事であるとも言え、
それは絵画も同じ、
豊かな精神美という分母は
欠かす事が出来ないものであり、
八百万の神々と共に、生を楽しむ、

そこに、何らの、痛々しさもなければ、
卑怯未練もないし、だいいち、我欲や、争いの心は、
そもそも・・・美しいはずは、ない!

神の御前では、人間の競争心もむしろ微笑ましく、
愛でる事さえ出来るけれども・・・・
私闘で、感激する人は、
世界広しといえども、誰ひとり居らん!!!

のであります。

その事を、この作品群は、無言で語っている訳ですね。








          守10.jpg






          守11.jpg






          守12.jpg






          守13.jpg






          守14.jpg







いや、まいった!まいった!
上には上がいますねぇ、
日本には。
凄いねー日本人は・・・








          守15.jpg






          守16.jpg






          守17.jpg






             守18.jpg






          守19.jpg






          守20.jpg







誠に素晴らしい!!

どこまでいっても、
結局は弱肉強食でしかない西欧文明は
一日も早く・・・・滅びねば・・・・・・


普遍なる人間性を謳歌しようとする
日本文化こそ
世界の頂点へ舞登らねばなりません。





posted by 絵師天山 at 01:00| Comment(0) | 日本画の真髄

2015年11月26日

魅惑の百人一首 91   後京極摂政太政大臣


【後京極摂政太政大臣】(ごきょうごくのせっしょうだじょうだいじん)

きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む

   きりぎりすなくやしもよのさむしろにころもかたしきひとりかもねん





              良経.jpg
               天山書画






「衣かたしき」=衣片敷き・・・で
男女が共寝する場合お互いに袖を敷き交わすが、
独り寝の場合は片袖を敷くだけ・・・という訳ですね。


「さむしろ」はムシロ=フトンの役目と
寒し・・・にも掛かる様で、
とにかく独り寝は淋しく切なく、侘しいものだなあああ・・・


本歌は、

さむしろに衣かたしきこよひもや我を待つらむ宇治の橋姫

あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む


の、両歌。・・・
恋を秋に移してさらに余情をたたえています。


後京極摂政太政大臣・・・という、長たらしい肩書は、
位人臣を極めた御方なのに、
不幸にも不慮の死を遂げてしまい
38年の齢を惜しまれたから・・・でありましょうか・・・

のちのきょうごくのせっしょう、だじょうだいじん、・・
藤原良経のこと・・・・。


関白忠通の孫であり、九条兼実の息子、
幼少より英明、詩歌を好み、俊成に師事。
定家を庇護して新風和歌教育に尽力した・・・
後鳥羽院に強く信任され和歌所寄人としても大活躍


新古今集巻頭をかざる名歌


み吉野は山も霞みて白雪のふりにし里に春は来にけり

は、殊に有名・・・・・
しみじみとした春彩を想起させます・・・・



私事ですが、
行く末は空もひとつの武蔵野に草の原より出づる月かげ

九条良経(=藤原良経)のこの和歌の上の句が我母校の校歌に採り入れられておりまして、
・・千歳の昔ぃ行く末はぁぁ・・空も一つぅぅの武蔵野にぃぃ・・・・・・ぃーー
なかなか荘重なる響き、であり、校歌とは思えぬような格調の高い調べなんですが、
在学当時は勿論そんな名歌人の歌が校歌に使われているなどという事は露知らず、
ただ、武蔵野の面影がまだ残っていた地域なので、それとは知らずに唱わされて居りましたが、
今になって見れば、大好きな九条良経サマの和歌に若いうちに親しんでいたことを知り、さらなる愛着を感じずには居られません。



西行こそ最高の歌人デアル!!
と、・・・西行の項で申しましたが、
・・・・日本画界に於ける最高の画人は?と言えば勿論
春草!
と言いきっているのですけれど、
しかし、まあ、大観も居れば、等伯も居るし、
探幽もいれば応挙だっている、・・・様に・・・
西行に優るとも劣らない名歌人がこの人!
九条良経サマ!!!!ナンであります!!

新古今和歌集仮名序の作者でもあり、79首の撰入は俊成をも凌ぐ・・・


この歌を贈られた女性は・・・
心の深いところでドキリとし、
どんなにかあはれを催した事でありましょう・・・
ただ単に秋の寂寥感を詠ったものではないのですね。



承久の変の後、隠岐の島に流された後鳥羽院さまは
新古今をさらに厳選、1978首中、約1600首を残し、いわゆる隠岐本を抄したのですけれど、良経の詠は79首中、わずか7首を除くだけだった、ということからも、如何に重んじられてゐたかを知ることができます。


清新で明るく、大きいだけでなくおっとりとして鷹揚。
いかにも貴人に相応しい詠みぶり。
家集≪秋篠月清集≫巻頭の歌がそのあたりを良く伝えています。

むかしたれかかる桜のはなをうゑて吉野を春の山となしけん

勅歌に対して、至尊調(しそんちょう)という表現を用いたのはかの保田與重郎(やすだ よじゅうろう)氏ですが、この良経の詠みぶりを評せば貴人調、という事が出来るかも知れません。
職業歌人などには及びもつかない格調の高さであります。

38歳で盗賊に襲われ頓死した・・・と
伝えられられていることは、当時としてもあり得ない様な稀有なることでもあり、様々と憶測が飛び、事実・・・なにか、闇の働きによって惨殺されたのかも知れず、この御方の地位と当時のお立場を考えれば、恐らく、鎌倉方の権謀術策に違いなく、嫌な想像は当たらずとも遠からずではないかと・・・・





posted by 絵師天山 at 02:00| Comment(1) | 百人一首

2015年11月25日

魅惑の百人一首 90   殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)

 【殷富門院大輔】(いんぷもんいんのたいふ)

見せばやな 雄島のあまの 袖だにも ぬれにぞぬれし 色は変らず

   みせばやなおじまのおまのそでだにもぬれにぞぬれしいろはかわらず 





          殷富門院大輔.jpg
            天山書画





ちょっと耳慣れない、殷富門院さま・・・・は、
後白河院第一皇女であり、
源頼政が驕る平家に立ち向かった時、
錦の御旗として奉じた以仁王(もちひとおう)
の姉宮さまであり、
式子内親王(しょくしないしんのう)様の、
一番上の姉宮さまでもある・・・
亮子(りょうし)内親王、さま・・・のこと、つまり、
殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)とは、
亮子内親王に仕えた女房の一人。
大輔は役職ですね。


病没してしまう式子内親王を気遣い
逆賊として戦死された以仁王の遺児を預かり・・
なかなかに気苦労の絶えなかった殷富門院さまの
御日常を豊かにすべく、
定家の姉上である京極局(きょうごくのつぼね)とか
健御前(けんごぜん)やらと共に和歌の名手として
長くお仕えしお慰め申し上げておりました。


超ベテラン女房・・・・

色変わりしてしまう程涙に濡れた私の袖を見て下さいませ!
と、解釈すればいかにも優雅な感じになりましょうか・・・

千載集恋の部に「歌合し侍りけるとき、恋の歌として詠める」
とあり、本歌は源重之による

松島や雄島の磯にあさりせしあまの袖こそかくは濡れしか

の・・・歌に応える形をとって詠われたものです。


海人の袖は当然濡れているけれど、
私の袖は(それを通り越して)色あせてしまう程なんだから!

見せばやな・・・と言う初句がとても印象的。
こんな風に女性に甘えられたら悪い気はしませんねー・・


気の毒なくらい可哀そうな式子内親王の歌(前回)と対比させて、恋愛の種々相を取り合わせようと、定家は狙ったのかも知れません。つまりは、式子内親王の御製と肩を並べるほど高い評価を得ていたのですね。









posted by 絵師天山 at 00:32| Comment(0) | 百人一首

2015年11月22日

【歴史の真実】39   日本相撲協会理事長逝く

公益財団法人日本相撲協会理事長
北の湖親方が亡くなられました。
享年62歳
北海道出身
花のニッパチ(昭和28年生まれ)の主人公であり
勿論、周知の大横綱、

輪島との熱戦やら、
勝って当たり前、のカワイゲのなさやら・・
土俵を割った相手をダメ押しした挙句
ふんぞり返って勝ち名乗り、・・・
まあ、あまりの強さに不人気な面もあったくらい。





           684e05c687fb8510f50a89f56b254e37.jpg






だが、
彼ほど横綱らしい力士もおりません、
後の千代の富士が大横綱に成長したのも
北の湖親方の大いなる存在の寄らしめるところ・・・


昨今のモンゴル人横綱などには
真似も出来ない人格者であり、
引退以後その人望によって、周囲の柱となり、盾ともなり、
八百長問題などで協会が揺れたときも
苦虫をかみつぶしたような?実直なる各方面への対応など、
それはそれは、実に感心させられたものでした。


なかなか、ああはなれません。

彼ほど、公、(おおやけ)という事を良く知っていた力士は他にいない。

つまり、相撲は国技でありスポーツという範疇だけでは捕えられない“神事そのものなのである”という、当前な事を貫き通した人だったと思うのです。

白鳳などはこのあたりが全然分かって居りません。
成績は北の湖理事長を凌いだかもしれないが、
根本が間違っているから、
並みいる相撲好きを唸らせることが出来ない・・・。

最近は最後の4、5番は面白くないので
私なんか中継を見ないことが多い
なぜか?
横綱大関、上位の出番は見逃せないところな筈だが、
横綱大関のやるべきことじゃあない技が
毎日のように繰り出されて・・・

ファンとしては白けるだけ。

先日など、なんと【ねこだまし】をやったらしい。
最高の記録保持者である白鳳サマが、・・・だよ。


【ねこだまし】という技は、
立会の時に相手の目と鼻の先でパチンと手をたたいて
相手を翻弄させ出鼻をくじこうとする・・・言わば、
文字通り、窮鼠猫を噛む・・・式の・・・
とても敵わない相手に、もう万策尽き、仕方なしに
下位力士が最後のあだ花として・・・
まあ、取りあえずやってみる、
技とも言えんような姑息な・・・・・
(他に効き目のありそうなのがないから・・・)
・・・・


少なくとも
横綱のやることじゃあない!!
まして大横綱北の湖理事長の実績を凌駕する様な横綱が
こんなこと、やるかぁ!!  ホントに??
あほか! 白鳳・・・・・・誠に残念。

卑怯未練も勝負の内、と考えるのは
それはスポーツ。
そこに【公】はない。
自分さえよければ良い。自分が勝つことが正義!
他には何もない。

・・・・・・相撲は、
卑怯未練は一切しないのが当たり前なんです。
なぜなら、神事。だから。
神様に見ていただくんだから・・・
猫だましなんて、横綱の眼中にあるべき技ではない!


白鳳が猫だましを下位力士に平気でやっちゃうのは
つまり、【公】、を知らないからなんであります。

これを簡単に考えてはなりません。
日本文化の破壊に直結しているのだから。

勝負事だから誰でも勝ちたい、
当然、手段を選ばず
勝てば官軍、負け犬の遠吠え・・・
まあ、相撲を【私】と勘違いしていても許される
下位レベルならともかく・・・
横綱に昇格した力士が問答無用・・
勝ち負けだけに執着しているのが・・・
美しいか??
そこに精神の美しさがあるのか??
神事というのは、結果を追いかけることも必要だが
そこに美がなくてはならない。
そこにホンモノを見る事が出来るから無限の魅力が生まれる。
神と共にそれをこそ楽しむ・・・




美しくなければ神事とは言わない、んであります。

白鳳は明らかに日本文化を貶めています。

伊勢神宮式年遷宮にみられる美、

相撲の世界にもそれと同質の美を見るが故に
何百年も何千年も続いてきたのであり、
ただの勝ち負け・・結果追求だけで、人は感動しない

心底の魅力は感じられない。
少なくとも大人は・・・
私闘の明け暮れなど、見たいとも思わない!!
幼児性が抜けていない野蛮人の勝ち名乗りなど

いりまへん・・・


つまり
大相撲の本質は
北の湖理事長の死とともに・・・・
滅んでしまったのかも知れないのであります。

日本にしかない文化がまた一つ崩れ去ろうとしています。

北の湖理事長は白鳳の幼児性さえ
自身の不徳、と責任を感じていたのかも知れません。

惜しまれることです。









posted by 絵師天山 at 02:30| Comment(0) | 歴史の真実

2015年11月18日

秋のブログギャラリー


天山という新雅号を用いる前の作品も少し混じっていますが
久しぶりに、天山作品群・・、
秋の景に絞って御披露いたします。


   



          mitinoku6.jpg




          


          IMG_0840.JPG




          


          IMG_0837.JPG




          


          IMG_1952.JPG




          


          IMG_0834.JPG




          


          IMG_1956.JPG




          


          IMG_0856.JPG







          IMG_1557.JPG







          IMG_1710.JPG







          IMG_4440.JPG







          IMG_4437.JPG







          IMG_4449.JPG







          IMG_4472.JPG







          IMG_2121.JPG







          IMG_4481.JPG







          IMG_4474.JPG







          IMG_4475.JPG







          ten5.jpg







          ten20.jpg







          ten19.jpg







          名月山湖.jpg 







          ten51.jpg




 


         ten52.jpg







          ten49.jpg







          ten43.jpg







          ten18.jpg







          ten61.jpg




  


        ten45.jpg




 


         ten53.jpg







紅葉をテーマにして、
深山の秋景色や・・・
山湖に映る紅葉、
色々な設定の秋を描いてきました。

何といっても秋が一番!!

春になればなったでそれは、春が一番!

・・・・雪も、初夏の花々も・・・みんな素晴らしいが、


やっぱり秋が好き、・・・

源氏物語に登場する御姫君たちの中で・・・
六条御息所の姫君、
秋好中宮様が特に大切に描かれているのも
もちろん、

秋こそ芸術だからですね・・・








          ten48.jpg









          IMG_4482.JPG







          ten39.jpg







          tatuta.jpg







秋を司るのは、龍田姫様です。






          006.JPG









posted by 絵師天山 at 15:54| Comment(0) | 天山作品紹介

2015年11月09日

【歴史の真実】38   明治神宮 秋の大祭

明治神宮は、明治天皇、
昭憲皇太后御二柱をお祀りする神社で、
大正9年(1920)11月1日にご鎮座になりました。
もう、間もなく記念すべき100周年を迎えようとしています。


良く知られていることですが、明治天皇はご在世中、日本の近代化を推し進められ、
憲法、教育、文化、国防などすべてにわたって飛躍的な発展を成し遂げられました。
振り返って見れば、明治時代は日本にとって
実に特別な時代であったと言えましょう。

明治45年(1912)7月30日、明治天皇が崩御されると、天皇のご神霊をお祀りする神宮を創建して、ご遺徳を永遠に景仰申し上げたいと熱望する声が国民の間から沸きおこり、大正3年(1914)4月11日、昭憲皇太后が崩御されると、そのご神霊も共にお祀りすることとなりました。




        DSCN5765.JPG





文化の日は、本当は【明治節】と言います。
言うまでもなく明治天皇御誕辰の祝日。
戦後の誤った史観によって文化の日という名称に慣れさせられてしまいましたが、11月3日は
明治神宮で最も重要な祭儀。
当日は、明治天皇の御生誕日にあたるので、宮中より勅使の差遣がある大祭です。


私も、毎年11月3日、余程の事情がない限り例年参拝を欠かさないよう心掛けております、



        DSCN5767.JPG



菊の季節でもあり、秋たけなわ・・・
例年菊の展示会が参道で行われています。



        DSCN5772.JPG



          DSCN5773.JPG



          DSCN5775.JPG



          DSCN5777.JPG



          DSCN5786.JPG



          DSCN5789.JPG



          DSCN5802.JPG



          DSCN5804.JPG



          DSCN5808.JPG



          DSCN5822.JPG








明治神宮が出来る前はこの辺り一帯は
南豊島御料地(皇室の所有地)といって、
現在の御苑一帯を除いては畑がほとんどで、
荒れ地のような景観が続いていたそうです。




          DSCN5824.JPG





「永遠の森」を目指した壮大な計画のもと、
大正4年から造営工事が始まりましたが、
全国から植樹する木を奉納したいと献木が集まり、
北は樺太(サハリン)から南は台湾まで、
日本だけではなく満州(中国東北部)朝鮮からも届き、
全部で約10万本の木が奉献され
延べ11万人に及ぶ青年団の勤労奉仕により植林することによって、代々木の杜が誕生しました。



          DSCN5825.JPG



          DSCN5826.JPG





当時、樹木の種類は在来種等を含め365種でしたが、
東京の気候にそぐわない種類もあり、
現在では234種類になりました。
今や、東京ドーム15個分の杜は、
まるで自然林のように大きく豊かに成長し、
平成25年の「鎮座百年記念 明治神宮境内総合調査」では、
日本新発見の昆虫(ジングウウスマルヒメバチと命名)
が報告されたほか、数多くの絶滅危惧種や、
都会には珍しい生物がいることが報告されました。


人口の森なのに、常緑広葉樹が中心になった
太古の杜、のような景観を成しているのです、



          DSCN5839.JPG



          DSCN5841.JPG




湧水も、池も・・・・
大都会のオアシス・・




コチラは宝物殿


           DSCN5847.JPG



近くの西参道では流鏑馬の勇壮なる行事が・・・・



           DSCN5890.JPG



           DSCN5891.JPG



           DSCN5892.JPG



11月3日は快晴、と決まっているとか・・・

必ず小春日和!
スバラシイ一日を過ごすことができます。

これも一重に、明治大帝の御かげ・・・
誠に、有り難き極みであります。





          

            




posted by 絵師天山 at 02:21| Comment(0) | 歴史の真実

2015年11月08日

魅惑の百人一首 89   式子内親王

【式子内親王】 (しょくしないしんのう)

玉の緒よ絶えなば絶えね永らへば忍ぶることの弱りもぞする

  たまのおよたえねばたえねながらえばしのぶることのよわりもぞする






           式子内親王.jpg
             天山書画




心の奥底に、深く深く残る詠。

西行の深さに通じるものを感じるのは
私ばかりではないでしょう。

以前、和歌を題材としての個展を開催した折
細長い短冊色紙という小画面に
式子内親王の和歌から想を得た作品を描いたのは
この歌・・・・


山深み春とも知らぬ松の戸に絶え絶えかかる雪の玉水

激しい言葉は一つも使っていないのに
押しとどめる事の出来ない春律、息吹き、
春の胎動、が、音もなく寄せてくるその気分を
余すところなく詠いきった
清々しくも素晴らしい名歌と心打たれたからです。



名人、信実描くところの御物
【三十六歌仙絵巻】
の中でも・・特別に傑出した画像の御方は
この式子内親王サマ・・・・それはトビきりの美しさ・・・
名画人の天才的力量が、この御方の心根の高さを余す処なく示してくれております。




               IMG_6062.JPG






この百人一首に採られた歌は、
実らない忍ぶ恋を詠ったものなのかも知れず
つまるところ、本当のことは解らずじまい
であり・・恋心のお相手は撰者の定家であった
などという様な俗説が産まれてしまう程、
多くの世間の憶測を呼んだご存在でありましたが
人品卑しからず・・・
品位と言う言葉こそこの御方に相応しく、それはそれは
御立派な内親王殿下であらせられたのでありましょう。

後白河院第三皇女として御誕辰
幼くして伊勢の斎宮となられ
十余年の若き命を捧げ
斎院退下の後、次々と肉親の死に遭遇され
さらに、ご自身も重い病を得
溢れんばかりの詩心を抱きながら
針の先で僅かにでも触れれば
砕け散り、裂けてしまいそうな
張りつめた日々を過ごされた・・・・


遺された数多くの御作の殆どが
仄かな・・・有るや無しやの・・・
風の音、一滴の露、夢の如き幻・・・

露わな表現など一つもないのに
この歌に限っては

玉の緒よ絶えねば絶えね・・
と、半ば絶望的・・・
死ぬことなんかナンでもない・・・・
口に出来るような恋など・・・
・・・決して許されぬ・・・
固く思い定めていなければ
こんな歌が産まれるはずはありません。


忍ぶ恋、とされているけれども
この忍ぶ恋が仮に顕れてしまっても
口にすることすら憚られる・・・・
相当特殊なる事情が隠されているに違いないのです。


出口のない心情がホトバシリ出た故の詠歌であって
これほど激しく詠いあげた恋唄は他に類を見ません


恐らく、内々にはその「特殊なる事情」は知られており
それはどうすることも出来ないことであることも
良く知られていたが故に
この絶唱を・・・
ゴモットモなること・・・として敬愛したのであり
誰となく・・・御相手は定家だった・・・などと言い出したのは
むしろ冗談に紛らわし
厳しい現実を回避するための方便だったのでしょう。


後世の世阿弥はさらに定家蔓(ていかかずら)として
どうしようもないタイトな現実を美化し
上塗りして差し上げたのであろうと思われるのです。







posted by 絵師天山 at 01:18| Comment(0) | 百人一首

2015年11月07日

久隅守景展

10月10日から11月29日まで
サントリー美術館で
久隅守景展が開催されています。


あまり聞かない名前の絵師ですが、
知る人ぞ知る貴重な存在!
それはそれは素晴らしい絵画世界に浸れます!
ぜひ、お勧め!
滅多にない企画であり・・・、
ホンモノの大和絵の神髄に触れる事が出来るでしょう。





         1守景.jpg





         2守景.jpg 





         3守景.jpg





         4守景.jpg



近頃、美術館と称しながら、
美術品らしいモノが
殆どなく、ただ、
驚かせるだけ・・・とか
珍しいだけ・・・・とか
高そうなだけ・・・

コケオドシの決して美術とは言えないような
全然美しくないものが並んでいる
そんな風潮に一石を投じています。

これは、美しい!!!

久隅守景は大したものです。

久しぶりに心からうっとりし、
思いきり楽しめた展覧会でした。
展示替えしていますから
もう一度伺おうと思っています。




posted by 絵師天山 at 12:47| Comment(0) | アトリエ天山からのお知らせ

2015年09月29日

魅惑の百人一首 88 皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう)


 【皇嘉門院別当】 (こうかもんいんのべっとう)

難波江の蘆のかりねのひとよゆゑみをつくしてや恋わたるべき

   なにわえのあしのかりねのひとよゆえみおつくしてやこいわたるべき





           koukamonin.jpg
            天山書画





「かりね」は、刈り根と仮寝、
「ひとよ」は、一夜と、一節、(節と節との間)
「みをつくし」は、身を尽くしと、澪標(船の航路を示す杭)
に・・・それぞれ掛けられています。


前書に“摂政右大臣の時の家の歌合に≪旅宿逢恋≫といへる恋をよめる”として、この和歌があり、作者は崇徳天皇皇后聖子の女房。太皇太后宮亮源俊隆の娘。皇嘉門院は摂政兼実の姉に当たり、その女房等も兼実邸の歌合に加わっていたのでしょう。

なかなか技巧を凝らした見事な詠ではありませんか!
プロフェッショナルな気配を濃厚に感じます。
江口あたりの遊女の契りに見立てて・・・
仮初の契りが、生涯の傷になるのであろうか?
と仄めかし、艶っぽい心象を醸し出す。


悩み多きご日常を過ごしたであろう崇徳院
・・・さま。そして・・・
その支えとなった皇后聖子サマの暮らしに華やぎを与え
お役目とは言いながら、蔭にあってどれほど御慰め申し上げたことか・・・
一流歌人と言う程の活躍をされては居ないのに
この和歌が百人一首に収められていることからしても、
別当の果たした役割の大きさが想像される処であります。


皇嘉門院サマは保元の乱に於いて、夫である天皇と
実の父が対立すると言う悲運に立たれたのです・・・・。






posted by 絵師天山 at 06:00| Comment(0) | 百人一首