2016年07月17日

101回を迎えます

今年はいよいよ院展101回を迎えます。

100年続いたその後は・・・どのような展開が待っているのか?
果たして展開と呼べるだけの意味を持続し得るのか、
さらなる形骸化に甘んじるのか・・・・・


新たなるレジェンドが待たれます。

今回の図録表紙絵は天山が担当しています。

入場券ポスター・・・その他、
101回目と言うに相応しい作品にと、鋭意努力しました。
御高覧お願い致します。





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          画題は、源氏物語より、【紫上】





出品作品は【花供養】を予定。
目下制作中であります!!







posted by 絵師天山 at 04:00| Comment(0) | 院展

2016年07月16日

靖国神社みたままつり

第70回みたままつり開催中です




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恒例の靖国神社例祭、今回の雪洞絵は【蛍】




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梅雨明けが待たれますね





posted by 絵師天山 at 21:29| Comment(0) | アトリエ天山からのお知らせ

2016年06月12日

極意 続き


音楽や絵が好きで一生懸命没頭努力する人は
割合からすると、日本人が一番多い筈で、
それは四季折々の明確かつ微妙な変化を
極日常として受け入れてきた、
ながーーーい日本の歴史的所産。
営々と暮らしの中に息づいてきた日本人ならではの感受性故、
人を和す文化が育まれて来たからに違いありません。


絶対音階という不文律がないと
音楽とは言わない西欧に反して、
邦楽は、いついかなる時であろうとも
不文律に従う事は従であって
その日その時の気分に従って、
曲想に合わせ、
老若男女それぞれの時処位に合わせた
・・・・ところ(音)から始める。
・・・のを是としているのです。

つまり・・・
その日の気分次第で一番都合の良い音から始めてかまわない。
・・・人の幸せの為にあるのが文化というもの。
外国とはおよそ逆さま・・・
どちらが本物か、言わずもがな・・・ですね。
しかも、自己の優位について何も言上げしない・・・


音楽同様、絵画が好きな人も実に大勢いて、
器用な方も多いので、
美術を志向し、携わろうとする人も数知れず、
仕事としないまでも、年老いてまで続けられる趣味として
大いに、広まってはおりますが、
おかしな西洋崇拝観念が邪魔してその虜になって気付かない人が多いので
ホントの美味しい所を味わえる人が悲しいほど少ないのは非常に残念な事と思います。


普遍なる地球の不思議、変わらぬ自然の節理、
雪月花、花鳥風月、・・・・・
森羅万象・・・
美しさの拠って来る所以を突き止める努力を惜しまなければ
汲めども尽きない、・・・・ホンモノの創作が産まれるのであります。


が、
美しさの拠って来る所以を探すのに
西洋的手法に頼る癖がついてしまった。
見たものをあるがままに描く、という・・極、幼稚で単純な手法ですね。
写真みたいに描く力を育てる事が不文律、音楽で言うところの絶対音階・・という訳です。

が、しかし、日本では、、筆の文化だから、
写実しようにも、鉛筆で描くようなことは出来難く、
筆を用いて、現実を描写しようとすると無理があって、
自動的に抽象化されてしまうわけで、
写真みたいにはならず、・・・なろうとも思わなかった
むしろ、筆でしか描けないので
筆力を尊んで、筆による描画そのものを楽しんできたのですが、
西洋崇拝に汚染され
これを、西洋流に対しての日本の欠陥であると決めつけてしまったのですね。
写真みたいに描けないのは劣等の証拠だ・・と決めつけた。
戦後の自虐史観と全く同じ次元です。


だが、実は、
21世紀の今日、写真を始め映像世界は・・・
驚く程飛躍的に大発展し、
レンブラントやフェルメールくらいの写実力は
もう誰にでも手近なる機械力で、瞬時に、
極簡単に、しかもほぼタダ同然で出来る時代になった。
写真みたいに描く必要は全く無くなったので、
例えば、従軍画家などというポジションはとっくの昔に絶滅したし
写真家さえ生きてゆくのが難しい時代になり、

それなのに、・・・・・美術の世界では今だに
写実力が思いきり幅を利かせており、
写実的100点満点が最優先であり、最高の評価基準!
・・という愚かさに止まっているのですね。



写実力などには興味を示さなかったかつての日本人は
邦楽の様に、その日その時の気分に従った虚構を描いてある方が
・・・・魅力的だし、楽しいし、オモシロイ!と、理屈抜きに解っていたのです。


ホンモノみたいな嘘をついてくれた方が楽しい!
・・・デタラメでは丸で伝わらないからダメだけれど、
・・・現実を踏まえたファンタジーこそ、絵であり
それが、美術だったのです。

ソレこそが絵空事!!!

残念な事に、邦楽の世界でも
古くから伝来した楽譜を止めて、五線譜に書き換える運動があった、
と聞き及んでいますが、・・・人を縛ることが文化であるならば
それで、良いのでしょうが、人を和すのが本来の文化である筈であり、
本末転倒。自ら堕落してドウスル!!


写実力が全く不要かと言えば決してそうではなく
創作者としては、一つの技術として、
有る程度の写実力は必須でありましょうけれども、
それと同等に必須であるのが、日本的造形を学ぶこと。
これに気付く人があまりにも少ない。
上辺の言葉としての、『余白の美』など
御自分の都合の良い時には持って来て
モットモラシイことをおっしゃる方もおられますが、
実際に使える人はまず、少数派。
『誇張と省略』などと言えば、もう聞いたこともなく、全然わからない。

写実力に対しては、抽象力と言うモノ・・があり、
両輪の如くこの両者を鍛えねば
創作力は育まれない・・・のだが、

このことを、意識することもなく
ただただ、興味本位に写実力の養成を重ね、
あとは、個性という独りよがりを付け加えて
はい、出来ました!
と嘯いているのが自称現代美術家であろうと

実に残念ながら、そう思わざるを得ないのであります。



普遍なる地球の不思議、変わらぬ自然の節理、
雪月花、花鳥風月、・・・・・
森羅万象・・・
美しさの拠って来る所以を突き止める努力を惜しまなければ
汲めども尽きない、・・・・ホンモノの創作が産まれるのであります。




現場に赴いてのスケッチは実に楽しいものですが、

対象物の美しさが何に拠って産まれているのか?
どうして美しいと感じてしまうのか?
その追求が無ければ、いつまでたっても、何枚スケッチしても、
結局は写実にしかならない。

正確に描けば描くほど、つまらない現実説明となり
しかも現代の映像技術に比しても問題にならない貧弱さでしかない

そのことに、少しでも早く気付くことが
昨今の停滞してしまった日本美術の脱皮、回帰への極意なのですが・・・・


日本的造形法こそ、世界に冠たる美術の源泉であり、
ジャパンアニメはその極小規模なる現れ、に過ぎません。






posted by 絵師天山 at 13:00| Comment(0) | 日本画の真髄

2016年06月08日

極意

私が絵師として
日ごろ信条としている事は
手近な目標を立てると同時に
同じくらい、あるいはそれ以上に強く
トンデモナイ高い大目標を打ちたてて
そこに肉薄したい、というモチベーションを
明確に意識しつづけること。しかも強烈に!

これは、別に、絵師に限らない
道を究めようとすれば当然のことではないかと思います。


しかし、絵師も社会の一員である以上
常識とか通念とか、一般的概念に囚われてしまいやすい。

手近な目標はそれで構わないけれど
遠大な目標には、常識や通念が時として、邪魔になる。


既成概念に囚われているうちは、
遠大な目標は、見えてこないからであります。


例えば、300歳まで生きる!
それは、絵の道の為の大目標!
還暦を越えれば、もう、・・・
生物としてはとっくに死んでも一向構わないが、
絵師として理想に近づくには300歳でもまだ足りないから・・・
転生して、転生して、転生して、・・・
転生を繰り返せば何とかなるかもしれないけれど、
とりあえず、大目標は300歳まで生きて絵を描き続ける!!!

大変ダナァー!!ともちろん思うけれども、
どうせ死ぬのだから死ぬまではそう、
思って、願って、頑張って、絵師としての人生を全うしたい。


しかし、普通、300歳まで生きる!とか言うと
殆ど相手にされない。たいてい・・・
馬鹿げた話として一笑に付される。


しかし、しかし、馬鹿げた話と決めつける処に
可能性の目を摘んでしまう、というマイナスがあり、
無意識ではあろうけれど、
ネガティヴの支配下にされている訳であります。


これが実は、随分モッタイナイことをしているので・・・

人間はスベカラク・・・・・
常にポジティヴでありたいもの


ポジティヴによって、
どうかすると引きづり込まれてしまい易いネガティヴに対抗し、
支配してしまいたい・・・・・ものであり、
幸せの鍵はここにある。


今はこう言う事が常識とされているけれど、
100年後もそうであるとは限らない、
いや、モノによっては、数年も経たないうちに
見事に通念が変わってゆくこともザラ・・・


そう考えると、既成概念ほど
もう一度≪曇りなき眼≫で見直してみるべきであって、
当たり前、と疑問にも思わない価値観を自分の判断で改めて見極めてみねばならない・・・訳です。


≪曇りなき眼≫と言うのは、この場合、白紙になって、という様な、何のフィルターも通さない、極素直な、直霊の・・・

本居宣長の言われる漢意(からごころ)を捨て去って・・・という様な。



ところが、殆どの人は、日常に追われているので
絵師みたいに暇人じゃあないから、普通は既成概念だけで暮らしているので、
おまえは良いよなあ・・・・勝手気ままなことホザイテいればいいから・・・・なんて
言われるけれども、絵師として300年生きたいんだ!、と言えば、勘弁してくれる世間もあるのであります。


日常の垢を落とすのは、身体的にはお風呂だが、
精神的には文化に触れること、と私の謡の先生は教えて下さいましたが、
まことにその通り、人生を前向きにしてくれるのは、音楽であり、美術であり・・
文化ですね。


で、・・ことクリエーションと言うことになれば、
一般論だけではとても足りないので、
非常識と罵られようとも、何と言おうと、言われようと、
≪曇りなき眼≫で囚われのない、精神の発露に従うべき時には従う、
それは、
どうしても自分で消そうとしても消えないもの、
何があっても消せないもの、
を自らの内に探し求めて行くしかありません。

それを極意と言っていいのかどうか、
・・・独りよがりと紙一重・・・・か?
大いに疑問だが、創作力の源には違いないでしょう。



そして、普遍なる地球の不思議、変わらぬ自然の節理、
花鳥風月、森羅万象の美しさの拠って来る所以を突き止める努力を惜しまなければ
汲めども尽きない、
・・・・ホンモノの創作が産まれるのであります。









posted by 絵師天山 at 12:33| Comment(0) | 日本画の真髄

2016年05月31日

記念講演 続きの続き

日本画の真髄・・・
と銘打ったコーナーらしからぬ、?
小堀先生の記念講演ご紹介ですけれど
・・・・
実は、大東亜戦争前と後との伝統の断絶こそ
日本文化の致命傷であって、
それは、日本画と称した「マガイモノ」の氾濫・・
にも、直結しており、現在のわれわれは、
少なくとも、淡白で尚且つ深き品位に溢れた大和絵の魅力
を享受できない不幸に晒されているのです。

伝統的日本画らしい日本画の消滅は
単に絵画美術の世界にとどまらず、
日本人の生活全般に大いに影響があり
要するに、良きものを悪しきものによって駆逐させられ
我々日本人は大損させられている、・・・のです。

しかし、それも、自業自得・・・
自ら蒔いた種?
外圧への対応の誤り・・認識不足・・
「知らない」と言う事を知らない愚かさ・・・









小堀先生の記念講演を続けます、






   断絶した精神伝統と今日現在との往復を

ところが、大正教養主義を通過した世代が政界の多数派を成すといふ事態が到来いたしますと、この世代は、もはや「日本外史」を必読の教養として尊重するといふことはいたしません。むしろ、そのやうな書名を聞かされますと、あれは漢文で書かれてゐるから前近代の遺物だと言って軽く見る。前近代を軽蔑し、近代こそわれわれの時代であるといふのが近代主義であります。『憲法義解』を読んでも、統帥権条項の下敷きに頼山陽の思想が深く裏打ちされてゐることには気がつかない、もしくは気が付いても無視してしまひます。


軍縮条約の調印を、天皇の編制大権の干犯だと言ひ立てた鳩山一郎に致しましても、論難の矢面に立った浜口総理大臣に致しましても、一言で言へば、統帥権の思想の沿革を知らない。憲法の条項の文面からのみの解釈しかできません。この事態を説明するのには結局、国民の教養の伝統が断絶した故であると、かう判断するよりほかないわけであります。


日本の知識人といふ集団は、近い過去にかういふ経験をしてゐるのであります。かつこの経験がもたらした失敗を、失敗と認識することが非常に乏しかった。従って、苦い教訓として受け取ってはゐないのであります。統帥権干犯といった暴論が国会を騒がせてゐるときに、これを与党と野党との政治的な争ひの次元で受け止めてゐる。ここに非常に重要な精神史的な問題が潜んでゐることに気付かず、そのままやり過ごしてしまったのです。


かうした安易な姿勢が、昭和二十年秋から七年近く続いた被占領期の、あの日本の文化伝統にとっての開闢以来の最大の危機に際しましても、惰性としてそのまま続いた。或いは戦時中の緊張の期間が過ぎた後、再び頭をもたげたといふ風に見てもよろしいかと思ひます。戦時中は要するに戦時体制といふ非常事態で、政治責任者の一挙手一投足に、国家の命運が懸かってをりますから、さすがに政争に明け暮れしてゐる暇はない、とはいへ、そこに於いても、日本の政界は相変はらず私利私欲、党利党略による政争の絶間はなく、これによる国力の浪費や能率の低下が大東亜戦争の敗因の一つだったと言ってよろしいかと思ひます。これについては、米内光政、井上成美両提督の腹心であった高木惣吉少将も、陸海軍の覇権争ひが日本の戦力をどれほど弱らせてしまったかをよく分析して著書に書いてをります。戦時体制といふものは、どこの国でも輿論(オピニオン)を国政次元で統一しなければならない、それが戦争を勝ち抜くためにどうしても必要といふ要求が生じてきます。日本も同じ様に、全体主義的統制経済に傾いてゐた左翼的新官僚を、何とか操作して国力を保ちつつ終戦までもってきましたが、その左翼的傾向が停戦と同時に、再び頭をもたげてきたといふこともあるのではないなか。つまり、日本の知識人層の心理の相当深くまで浸透してをりましたのが、「普遍性信仰」と「近代主義」であります。これが戦争の終りとともに再び時を得顔に口を利き始めたのであります。


国家主権の回復以来、六十年余が過ぎましたが、われわれ日本人は、今に至るも精神伝統の独立を回復し得てゐない。ではどうすればいいのか。結論は実は簡単であります。われわれの近い過去に生じた精神伝統の断絶といふ精神史の上での深い亀裂がありますが、その亀裂の上に橋を架けること、そして、伝統と今日現在との間の往復を再開することであります。それではその再開はどういふ形をもって行ったらいいのか。その範例をどこか遠くに探す必要は全くございません。身近に、といふより、この身内に、既にわれわれの内部にあります。国民文化研究会の精神運動こそが、まさにそれなのであります。それによって、その精神運動を通じて、断絶してしまった伝統との間の往復を回復しやうではないか。さやうな訴へとお願ひを申しまして、本日は終りとさせて頂きます。






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        筆者作品【火之迦具土神】(院展出品)をご覧になる小堀先生
        この作品は、先生の示唆をいただいて構想したものです。













posted by 絵師天山 at 11:05| Comment(0) | 日本画の真髄

2016年05月30日

記念講演 続き


小堀桂一郎先生の記念講演ご紹介を続けます。


「海軍兵学校校長、鈴木貫太郎の驚き」

もう一つ、わたくしの観察に入って来ました大正教養派的現象の実例は、鈴木貫太郎校長時代の海軍兵学校におけるそれであります。鈴木が昭和二十年四月から八月にかけて総理大臣として国政を担ひ、対連合国の終戦工作を見事に推進して、国体の護持に成功した功績は皆さん御承知の通りです。鈴木は大正十三年に連合艦隊司令長官に就任して、次いで海軍軍令部長といふ海軍での最高の顕職を勤め上げました後、昭和四年に退官して、昭和天皇の侍従長となった人であります。その鈴木さんは、大正七年十二月から九年十二月までの二年間、海軍兵学校校長を務めました。大正七年頃と言ひますと、いはゆる「八八艦隊」の計画が議会の承認を得て、目標達成間近といふ海軍の拡張期に当たってをりました。
当時の海軍兵学校では、日曜日になると、生徒たちが校長の官舎に遊びに来る。何かとご馳走になって校長の訓話を聞くのが慣例でして、鈴木校長も多くの若い新入の生徒たちとくつろいだ形で接する機会を持った。それは鈴木にとって大へん楽しい時間だったやうであります。当時海兵への入学は、全国の青少年の憧れの的でした。それは一つには、欧米の海軍士官養成制度と違って、生徒の選抜に際して、一切の身分上の差別をしなかったからであります。イギリスの様な身分固定制の階級社会での差別はいふまでもなく、アメリカでも有力な国会議員の推薦状がなくては士官学校の試験は受けられない、といふのが実情だったのです。日本ではどんなに貧しい家庭の子弟でも、兵学校への出願資格があり、兵学校に入学出来れば、努力次第で末は海軍大将になるといふ可能性を手にすることができたのです。入学試験は、身体検査は非常に厳重なものであったやうですが、学力試験は、それまでどのやうな学歴を辿ってゐようと不問に付し、試験一本勝負であります。試験さえ通れば、立派に海兵の生徒なのであります。当然全国の中学から、成績優秀の秀才たちが集まってきてをりました。大正中期、十分な数の秀才たちが江田島には集まってゐたのです。

ところが、校長としての鈴木さんが、親しく若者たちに接してみたときに、大変驚いたことがあった。それは彼らに歴史、殊に国史についての知識が全く欠落してゐるといふことでした。特に軍人として重要と思はれる武士道の倫理について、生徒達が普通の中学教育では何も教へられてきてゐないことを発見して、鈴木は深い憂慮に襲はれるのであります。そこで早急に、校長としていはゆる非常勤講師の人事を起し、ある文学士に国史における武士道の倫理の発達の歴史といふやうなものの調査を依頼しまして、それを早速、生徒達に講義してもらふやうに頼む。これは実現致します。さらに、哲学倫理一般の教養も極めて重要だと考へてまして、広島高等師範学校の校長をしてをられた当時有名な或る哲学専門の人に江田島まで出向を願ひ、倫理講和をしてもらった。今でも有名な江田島の教育参考館の設置も鈴木校長の発案で建設されたものであります。

ちなみに、大正九年八月入校の海兵五十一期の卒業生の中に、後の工藤俊作中佐がゐました。工藤は、新入の第三号生徒の時にわづかに三ヶ月間、鈴木校長の訓育を受けただけでありますが、恐らく鈴木自身から、日本武士道の精華といふ話を聞かされたでありませう。鈴木さんが、武士道の精華として奉じてをりましたのは、明治三十八年一月五日の旅順開城時の水師営での乃木さんとステッセル両将軍の会見のエピソードであります。このとき、乃木将軍は日本武士道の華とも言ふべきその在り方について、明治天皇の聖慮の程を、その身と言葉を以ってステッセル将軍に立派に示しました。これは世界中に伝へられた日本武士道の伝統についての象徴的逸話であります。恐らくは、この美談を先づ第一に鈴木さんは生徒たちに語り聞かせて教訓としたのであらうと思ひます。


それが、ある一つの結果を生んでをります。どういふことかと申しますと、昭和十七年三月一日のことであります。既に大東亜戦争は始まってをりましたが、ジャワ島のスラバヤ沖で、日本海軍と英米海軍との海戦があり、「足柄」「妙高」の主戦隊、「那智」「羽黒」の別戦隊といふ日本の誇る重巡洋艦隊が随伴の駆逐艦隊と共に、ジャワ近海から英・米艦隊を一掃してしまふほどの圧倒的な勝利を収めました。明けて三月二日に、別動隊の駆逐艦「雷」がその海戦の跡に差し掛かりますと、乗艦を撃沈されて、救命筏に掴まって漂流してゐたイギリス海軍の軍艦二隻の士官兵士を発見するのです。「雷」の艦長は、直ちに救助作業に取り掛かることを命令致します。敵潜水艦の攻撃が予想される非常に危ない事態にあるその海面で、実に四百二十二名の英海軍士官、兵士達の救出に成功し、そして彼らを日本海軍の客分扱ひといふ厚遇の上でオランダ軍の病院船に送り届けてやるのであります。その駆逐艦「雷」の艦長が、当時少佐であった工藤俊作さんでした。このとき救助された英海軍の駆逐艦「エンカウンター」に乗り組んでをったサミュエル・フォールといふ当時二十歳の海軍中尉が、後に外交官として出世し、フォール卿と呼ばれる身分を以って平成十五年秋に、命の恩人工藤に何としても感謝を述べたいと、八十四歳の老躯を引提げて来日しましたが、残念ながら、工藤さんは既に昭和五十四年に死去してをりまして、直接お礼を述べることは出来なかったやうであります。


  統帥権干犯問題と「日本外史」

さて、今度は、問題の教養の伝統の断絶といふ現象が、国政の次元に於いてまで発現したといふ事例を申し上げたいと思ひます。
昭和五年にロンドン海軍軍縮条約の締結があり、その際に、表に現れたことですが、浜口雄幸内閣のときの帝国議会で生じた統帥権干犯の糾問事件であります。実はこれは干犯があったのではないかといふ非難が起こったといふまでのことで、干犯事件とまで言ってしまっては正確ではないのであります。


このとき、ロンドンの海軍軍縮会議に出向きましたのは、若槻礼次郎首席全権と財部彪海軍大臣で、この二人はとにかく無事に調印して帰国します。大正十年のワシントン軍縮会議、それに続いたワシントン軍縮条約きは、アングロサクソンのイギリス、アメリカ両国に強引に押し切られ、主力艦五・五・三.つまり英米を足しての十に対して、日本はその三割といふ比率を押し付けられて痛憤に堪へなかった。しかし、主力艦で強ひられた劣勢は一等巡洋艦以下いはゆる補助艦の充実によって何とか補ふことは出来ると当時の海軍の首脳部は考へてゐました。当時の我が国の造艦技術の水準は英国と並んで、或いはおそらく英国を凌駕して世界最高に達してゐました。補助艦の充実によってワシントン体制の不条理な劣勢は克服できると考へてとにかく軍縮会議への招請には応じたのです。ところが主としてアメリカの策略により、今回の補助艦制限事項も英米対日本の比率は又してもワシントン条約と変わらぬ苛酷なものでした。

ロンドン軍縮条約も、決して納得づくではなく、専ら国際協調といふ見地の上から調印されます。この時、ワシントン条約に懲りてゐた海軍軍令部は切実な反対意見を述べるのですが、浜口内閣はその軍令部の意向を抑へて敢へて条約に調印した。これが天皇の「編制大権の干犯」に当たるといふ解釈が一部に生じたのであります。



大日本帝国憲法の「統帥権条項」、すなはち第十一条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」、第十二条「天皇ハ陸海軍ノ編成及常備兵額ヲ定ム」、第十三条「天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス」の三項でありますが、その第十二条が「編制大権」であります。あの条約比率では帝国の国防に責任が持てない、といふ軍令部の主張を押し切って、軍政部代表としての海軍大臣がロンドン軍縮条約に調印してしまったのは、編制大権の干犯であるとされまして、当時野党であった政友会の総務、鳩山一郎代議士が議会質問に取り上げたのであります。これが事件の発端になります。

浜口雄幸は、国政を担う人物として第一級でありまして、後世の評価も高い。私も実はその回想録などなかなかのものと思って、感服、感嘆しながら読んだ覚えがあります。ただ残念ながらこのとき、浜口総理は、鳩山代議士の法匪のやうな質問に、適切な法理を以って答弁することが出来なかった。それ故に、非常に程度の低い質問から、あたかも統帥権干犯といふ大問題が生じてゐるかのやうな事件になってしまった。浜口内閣の閣僚の誰しもが、この鳩山代議士の程度の低い質問に答弁できなかったところに、大正教養派世代に生じた伝統の断絶といふ現象を如実に見て取れる、といふのが私の見解なのであります。それはかういふことであります。


大日本帝国憲法第十一条は「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」といふ誠に簡潔なものです。これを特に統帥大権と呼んだ。第十二条は編制大権、第十三条は宣戦布告、講和及び諸条約締結権です。これを簡単に講和大権と呼んでもよいでせう。以上、天皇と軍隊との関係を定義した三箇条は、ご覧の通り、いづれも文言が余りに簡潔に過ぎる。これでは、天皇の統帥とは具体的にどういふ形を取るのかといふことが、この三箇条の本文からでは説明できない。そこで、人はどうしても、憲法の立法者思想といふ法理を解説してゐる「憲法義解」(伊藤博文名儀で井上毅が執筆)に当たりたくなります。ところが「憲法義解」の解説もまた頗る簡単なものです。例へば、第十一条の統帥大権について、条文制定の理由を歴史的に述べてはをりますが、「統帥」とはどういふことなのかとの問ひに対する答へが出てゐるわけてはなく、(兵馬の権はすなはち朝廷に在り)といふ簡単な結論を提示してゐるだけなのです。今上天皇、つまり当今(とうぎん)の明治天皇は、自ら陸海軍を統べたまふといふことになる。かう説明するだけであります。(統べたまふ)とはどういふ形を取るのかといふことに説明がない、これでは、編制事項も含めまして、日本の軍隊は、天皇御自らが統帥したまふものであるといふ文言だけが、読む者の記憶に強く残ってしまふわけであります。ところが、「憲法義解」の第十一条の解釈には実は下敷きとなってゐた文章があるのです。
頼山陽『日本外史』の「源氏前記」であります。



大日本帝国憲法発布当時、わが国の立法府、行政府、そして軍部の中枢を占めてゐたのは、いはゆる維新元勲と見なされてゐた人々で、この世代に於いては『日本外史』は、およそ何か志を立てる者にとって必読の教養書でありました。簡単に言へばこの世代では『日本外史』も読まないやうな不勉強者はどうせ碌な者にはならないといふことになってゐたのです。ですから、憲法発布当時に、立法者側から提示された解説書としての「憲法義解」を読んだ時に、第十一条の解説に至って十中八九の読者は、ああこれは『日本外史』の思想だなといふことが読み取れたのであります。すぐに読み解くことができた。とすれば、統帥権の思想について『義解』よりも、もう少し詳しく知らうとすれば、『日本外史』を取り出して読めば良かったのです。『義解』の直接の著者である井上毅にしてみれば、(あとは日本外史を読んで、各人がこの部分の立法者思想を知らうとしてくれればいい)と言ふか、むしろ、(読者諸君は日本外史はすでにお馴染みであらうから、この簡潔極まる憲法第十一条が、以って何を言はんとしてゐるかお分かりであらう)、と、さう言った心境だったのだらうと思ふのです。特に『日本外史』を引用といふ形で触れることはなくとも、「憲法義解」の編纂はできたわけであります。そこで青年時代に『日本外史』を読んだといふ世代の人々が、憲法の問題に携はっているうちは謂はば相互に暗黙の了解が共有されてゐるわけですから良かったのであります。この世代の人なら、天皇が軍隊を統帥するといふ命題は、要するに二度と徳川幕府のやうな武家政権を出現させてはならぬといふのが、その裏の意味であるといふことを的確に読み取ることができたのです。



話が少し横道に逸れるかもしれませんが、「五箇条の御誓文」の第四条(旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ)の解釈にも実は深く関はってくるのであります。そこに(尊王攘夷といふやうなイデオロギーだらう)などといふ解釈がまかり通ってゐる。或いは福沢諭吉さんが(封建主義は親の敵でござる)と言ってゐるから、その門閥制度の如き封建時代の陋習を指すのであらうといった解釈がまま見受けられる。けれども、何の事はない、旧来の陋習とは幕府政治のことであります。つまり、日本国の持てる武力を総括的に統帥するのものが天皇ではなくて徳川幕府になってゐたといふ、そのことが鎌倉幕府成立以来の「旧来の陋習」であります。ですから(天地ノ公道ニ基クヘシ)の天地の公道、といふのはこれにもちゃんと含意がありまして(天は覆ひ地は戴する)といふあの原理ですね。「天」が覆ふといふのは万世一系の歴代の天皇がこの国を統べたまふことであり、「地」とはそれを戴せてゐる国土である。天が上にあり、地が下にあるといふのが公道である。つまり天皇がこの国を統べたまふといふのが、天地ノ公道なのだとなるわけです。それでは、天皇が親裁したまふといふ政治形態は、具体的にどういふことかといふと、これは「憲法義解」の前文が述べてをりますが、大臣の輔弼と議会の翼賛とにより、機関おのおのその所を得て国政を執り行ふ。その万機を公論に決した結果を天皇がご裁可になるといふのが、日本の立憲君主制の形なのであります。さういふ思想です。とまあ、『日本外史』を読んだほどの人なら、その趣旨は素直に理解することができたのであります。「憲法義解」を読んだだけで、ああ、これはあのことを言ってゐるのだなと理解できた訳です。





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続く・・・・





posted by 絵師天山 at 00:25| Comment(0) | 日本画の真髄

2016年05月29日

記念講演

これまでにも度々当ブログに御登場いただき
拙個展図録に丁重なる評文を寄せて戴いたり
毎年、親しく院展をご覧くださったり、日頃
高所大所から、様々とご指導ご高配を賜っている
小堀桂一郎先生から、この度、
小冊子が送られてきました。





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           制作途中の日本神代絵巻を御高覧にみえた小堀先生




          IMG_4245.JPG
           重要文化財【武者(もののふ)】の作者、
           小堀鞆音先生は桂一郎先生の曽祖父様です






御便りにはまず、こう、ご挨拶が。


冠省 
平成六年三月國立大學を退官するに際し、
學内の慣例に依り學部の公報に寄稿しておきました零墨が二十二年の歳月を經て此度再度印刷に付されるといふ思ひがけぬ遭遇となりました。同封の昨秋の國民文化研究會六十周年記念の集ひにての講演筆録に添へて御笑覧に供させて頂きますので何卒お讀み捨て下さい。 不一
平成28年五月吉日  小堀桂一郎拝



小冊子全文を以下ここに(数回に分け)掲載いたします。
世界に冠たる日本文化の一翼を担う筈であるにもかかわらず
西欧崇拝に囚われ、
アングロサクソンレギュラーに翻弄され、迷走し続けている
現代日本画世界に対しても・・・
この達見は大いなる警鐘と言えるでしょう。

真の日本文化再生に向けて、は勿論のこと、
日本画の真髄を求めようとする上でも
欠かせないお話でありますので、長文ですが御一読下さい。
筆者などは、このひと月、
つくづくと考えさせられた事であります。









六十周年記念の集ひ
記念講演
公益社団法人 国民文化研究会



東京大学名誉教授 小堀桂一郎先生
「伝統の断絶についてー再考・大正教養派と近代主義ー」


「大正教養派とは」


本日のお話は「伝統の断絶について」と題しましたが、副題を付けないと何を言ってるのか一寸お分かりになりにくいのではないかと思ひます。つまり、「伝統の断絶」といふ主題だけを御覧になりますと、多くの方が昭和二十年から昭和二十七年にかけての米軍による占領期に、我が国が受けました文化破壊の悲劇を思ひ起こされるだらうと思ふのです。確かに、米軍の占領政策によって我が国の精神・文化伝統は大きな打撃を受けました。そのときの傷跡が未だ固疾となって疼き、折に触れては傷口が崩れて新たに血が噴き出すといふやうな現象を目にすることがあります。

本年は戦後七十年であるといふ標語が、あちこちで目に付き、耳にも聞こえてきましたが、米軍の占領から解放されて、我が国が国家主権を回復し、表向き「言論表現の自由」を我が手に取り戻した講和条約の発効(昭和二十七年四月)からの歳月も既に六十余年になります。それなのに、今以ってなほ、我々が占領時代に受けた思想や感性への外からの束縛を脱却することができないでいるといふ現実があるのです。そこで一つ考へられることは、米軍占領期の日本文化破壊工作に対して、我々の先の世代はどうしてあのやうに、抵抗の意識が稀薄だったのか。唯々諾々として、占領軍の強引な要求に盲従してしまったのか。あの抵抗精神の欠如の裏に、何があるのか、何か訳があるのではないか、といふことを考へるのであります。

戦争に負けたことからくる挫折感とか、既に武装解除の措置を受けてしまったことによる無力感といふことは当然あったかと思ひます、国の歴史初めて、国土に敵軍が乗り込んできて、恣に権力を振ひ始めた訳ですから。軍の解体によって、我々は対抗すべき武力を既に奪はれてしまってゐる。力による抵抗は不可能といふ状況になってゐることも確かにありました。しかし、政府は降伏したけれども軍はまだ敗北してはゐないといふ意識も、軍の一部には確かにあったはずであります。つまり、降伏といふ形での停戦協定にお応じたのだから敗北を肯ずるのは致し方ない。ただ立派な負けっぷりを示すといふ考へ方もありましたし、現に昭和天皇の終戦の御詔勅には、「確ク神洲ノ不滅ヲ信し」「道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ」といった国民に対する激励のお諭しの言葉も入ってゐたのであります。それなのに、占領が始まってから後の対応は、「志操を鞏(かた)く守って國體の精華を發揚する」といふのとはほど遠いもので、勝利者への迎合と敗者の卑屈に満ちた洵に恥づかしいものでした。「面従腹背」といふ言葉もございまして、それならばまだ良かったのですが、占領初期の日本人は自分の内から進んで、傲慢な勝利者が持ち掛けてくる要求を本心から受け入れてしまった。さう見える社会現象が頻りに目に付いたのであります。


この現象の象徴的な一例を挙げますと、日本国憲法の前文にあります(ここに主権が国民に存することを宣言し)とか、(そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し)云々とかは、アメリカ独立革命の宣言そのものの政治思想です。しかも、その後に(これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基ずくものである)と恥づかしげもなく宣言してゐる。このやうな、日本の国体に対する侮辱と見なすべき、全く異質な価値観の宣言に対しては、本来なら、国民が一斉に立ち上がって「それは違ふ」と叫ばなければならない。ところが、日本国民はこのとき、占領憲法を、大勢としては素直な賛同を以って受け入れてしまったと見えるのであります。かうした時勢迎合の心理の奥に何かがある。それは何だらうか、といふのが、今日のご報告の着眼点であり、そこには「大正教養派と近代主義」とでも呼ぶべき心性が介在してゐる、この事態をもう一度考へてみる必要があるのではないか、といふのが私の提案です。


今でこそ私どもは、日本の国の形がいがいかになるべきかといふこと、つまり、日本国の国体に相応しい自主憲法を構想するに当たっての思想的な地盤、或は視点といふものを把握してゐまして、さういふ自覚、自信がある。その地盤とは、国家民族共同体としての二千年に亙る国の歴史そのものであります。これが憲法制定の地盤でなくてはならない。ところが米国占領軍の民政局の連中が、その素人たちが、六日六晩のやっつけ仕事、いはゆる糊と鋏の作業で作り上げた「占領行政基本方針」といった悪文を、時の我が国人は、自国の憲法として、恬然として受け入れてしまった。当時の為政者たちには、極く一部の具眼の士を除いて国体の根幹をなす歴史認識が完全に欠落してゐた。さう断ずるより他ないのであります。さうであるが故に、占領軍の日本破壊工作がもたらすであらう大変な禍に対しての危機感が稀薄だったのではないか。


被占領期に米国占領軍に対処した為政者たちの世代について考へてみませう。
昭和天皇は明治三十四年のお生まれで、昭和二十年には宝算四十五歳であられたことを目安として考へてみますと、当時の国政を担ってゐたのは概して明治二十年代から三十年代に生まれて、大正期に青年としての修業時代を過ごした、いはゆる「大正教養派」の人々ではなかったか。さうだとすれば、あの不甲斐ない無抵抗と強者・勝利者への迎合の心理には、或る意味で案外、自然な因果関係があるのではないか。さう思はれてくるのであります。

すぐに思ひ浮かぶいのは、終戦直後の、あの国語の受難期の只中における、作家志賀直哉による(国語としてのフランス語を採用するのが良い)といふ暴論であります。さすがに、その、軽佻浮薄ぶりは誰が見ても目に余るものであり、志賀直哉を深く尊敬し師事した作家の阿川弘之さんも、志賀についての論があの件に及ぶときには、何としても弁護しかねて、苦笑して話をそらすより他なかったのです。
志賀の軽薄さが念頭に浮かぶと、直ちに、大正元年九月十三日の乃木将軍夫妻の明治天皇への殉死事件に際して、彼が日記に書き付けた乃木将軍への軽蔑の表現をも思ひ出します。彼は乃木殉死の報道に接して、乃木さんが亡くなった翌九月十四日の日記に、(乃木さんが自殺したといふのを英子からきいた時、「馬鹿な奴だ」といふ気が、丁度下女かなにかが無考へに何かした時感ずる心持と同じような感じ方で感じられた)と書き付けました。当時、志賀直哉は三十歳。既に新進作家として立派に認められてゐた。それなのに、これは変に不器用に曲がりくねった文章でをかしいと思ふのでありますが、乃木将軍の殉死を無考へな下女の過失並に扱って軽蔑してゐる。これは、決して若気の至りで筆が滑ったといふわけではない、本気で書いたものだと思ひます。

その無慚な軽蔑的言葉で評せられてゐる乃木さん自身が、まさにその年の四月、上原勇作陸軍大臣からの招待宴で、森鴎外と同席した際、これは鴎外の日記に出てくるのでありますが、鴎外に向って(学衆院の卒業生たちが作ってゐる「白樺」といふ同人雑誌がある、あの同人雑誌の言動に何か怪しげなものがあるので注意して見てゐてくれ)と語ったといふ、その予感がまさに的中したといふ感じだったのであります。


御承知のやうに、森鴎外、夏目漱石は、乃木さんの殉死の報に接して強い衝撃を受け、その感動には啻(ただ)ならぬものがあった。鴎外の名作「興津弥五右衛門の遺書」、漱石の「こころ」は、乃木さんの殉死から受けた衝撃を結晶させたやうな記念碑的な作品だと見なされてをります。

この二人の明治人とは全く違った型の人間が、同じ文藝に携はる人々の間にさへ生じてきてゐる。これはまさに「大正教養派」といふ型の発生を、文学史上にはっきりと記録した象徴的事件だったと思ひます。志賀直哉の日記に限らず、ここに生じた伝統の断絶を証拠として示すやうな現象は、まさにこの乃木殉死事件をめぐって、枚挙に暇がないほど多く記録されていゐます。その中の一つに芥川龍之介の短編小説「将軍」(大正九年発表)があります。作者は白樺同人ほど極端ではないが、概して乃木否定派に属してをります。かつ、そこで芥川は、乃木さんの明治天皇への誠忠についての懐疑を登場人物の親子間の世代の断絶といふ形を借りて書いてゐる。乃木さんを賛美する元参謀将校だった父親と、乃木さんの心事に疑ひを抱く息子との対話といふ形で、作者の芥川は「時代の違ひだね」といふ作中人物の台詞を以って何とか説明を試みた。もしくは説明し難い難問から逃げてゐる。さういふ例もあるのであります。




「和辻哲郎、若き日の誤り


ここに生じた「時代の違ひ」といふ世代間の精神や感性の亀裂といふ現象にどういふ意味があるのか。それが後世に、例へば、現に私どもがここに生きてをります今日現代にどのやうに関はってくるのか。それを分析し、表示する材料として、もう少し別の事例を挙げて、この世代間亀裂の現象を考察してみます。


第一の実例でありますが、鴎外の史伝「渋江抽斎」を取り上げてみます。「渋江抽斎」は、東京日々新聞と大阪毎日新聞に、大正五年一月から六月まで半年間連載されたものですが、完結致しますと、翌七月の「新小説」といふ雑誌に早速書評が出ました。評者は当時二十七歳の新進気鋭の哲学青年和辻哲郎であります。和辻さんの生涯、殊に戦後の老熟期の哲学・文藝学士の業績は私が深く敬重して已まないところですが、このときの書評に表れた限りでの若き日の和辻の学問観は、一言で言へば未熟であり、かつ誤ってゐる。和辻さんは、「渋江抽斎」を鴎外による文化史の試みと捉へた。これも文学的な把握として誤りですが、大きな失策ではない。問題は、史伝を文化史であると捉へて論を立てた時の文化概念の誤りです。和辻さんは(文化とは人類がある一つの目的に向かって進んで行く道程である。一つの文化もまた、一人の人間のやうに成長し進化しなければならない)といふ尺度を立てます。この尺度で測ってみると、江戸末期の儒学者である渋江抽斎の生涯を淡々と描いた鴎外の作品は、人類の目的といふ普遍性がない、或いは成長進化の相が全く書かれてゐない、骨董の世界でいふ「掘り出し物」に過ぎない、と説くのであります。ここで和辻さんは「文化は進歩するもの」といふ理解、「人類文化の普遍性」なるものがあるといふ二つの誤りに囚はれてゐる、そして私どもは、これが大正教養派の特質であり、彼等が囚はれてしまった共通の誤れる固定観念なのだといふ認識を得ることになるのです。先ほど触れた日本国憲法前文が「人類普遍の原理」と言ひ、或いは「政治道徳の法則は、普遍的な」といふ普遍主義と並べて、前文の終はりの方で(専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる)と社会進化の原理をいい気な調子でうたってゐますが、その誤りがここにも表れてゐるのです。


若き日の和辻さんについてさらに悪い事がある。和辻さんは、普遍性を原理とする「真の文化」といふ表現を用ゐます。その「真の文化」はフランスにもドイツにもロシアにも底深く流れてゐるけれども、日本人は少数の識者を除けば「真の文化」の存在を問題にしていないといふ叱責と慨嘆を書き付けるのであります。西欧文化は普遍性と進化の原理に拠って立つ故に「真の文化」である。日本の文化は普遍性がないので、或いは地方性や辺境性に囚はれてゐる故に「真の文化」とは言へないといふ判断ですね。老熟期の和辻さんとは、似ても似つかない西欧崇拝に囚はれて」しまってゐる。この西欧崇拝は、西欧が先進文明であり、日本は後進国であるとの認識に基づくわけでありますから、この立論は事の当然として進歩主義、近代主義に囚はれることにもなるのです。


近代主義の定義を一言で言ひますと、近代こそ古代中世に比べて遙かに優れた時代であるといふ、近代賛美論なのですね。和辻さんは、やがてこの普遍主義や近代主義を脱却して見せたからまあいいのですが、当時の知識人層の多数は、かうした大正教養派に通有の近代主義から脱却できなかった。さう私は見ております。さういふ世代の人々によって日本の精神伝統の断絶といふ現象が生じ、その断絶は、やがて国政を誤る次元にまで拡大し増殖してゆく。そして、つひには、占領期に生じた文化闘争に於いて完全な敗北を蒙るといふ事態になるのです。






次回に続く・・・・・・
posted by 絵師天山 at 01:02| Comment(0) | 日本画の真髄

2016年04月13日

【歴史の真実】43   カラヴァッジオ発見!!!!

現在 http://caravaggio.jp/ 
・・・コチラの情報の通り
カラヴァッジオ展が上野の国立西洋美術館で開催されています。


カラヴァッジオとは・・・
写真がまだ普及していない時代
写実絵画は今とは違って写真や動画の代用でありまして
写実絵画の名人は即、大名人とされ・・・
レオナルドダヴィンチとかミケランジェロとか
ラファエル・・・等々、少々時代は下りますが、
ルネッサンス前後に突如として現れた大天才の一人として
このカラヴァッジオもカウントされております、

そしてこの春から初夏にかけて
上野で大々的に展覧会が開かれ
なぜか開催前半のこの時期に
未発見の新作品が発見されたとのニュースが
今日付で配信されたのでした。



配信されたカラヴァッジオ作品の
新たな出現ニュースは・・・
偶然!・・・などと、とても真実とは思えないので
その事について語りましょう。




ニュースの内容は以下の通りです

 フランス南部トゥールーズ郊外の民家で屋根裏から見つかった古い絵画を専門家が鑑定したところ、17世紀初頭にイタリアの画家カラバッジョが描いた傑作とみられることが分かった。価格は推定1億2千万ユーロ(約150億円)。フランスのメディアが12日、報じた。
 作品はカラバッジョの代表作ともいわれる「ホロフェルネスの首を斬るユディット」と同じ題材。複数の鑑定家に意見を求め、エックス線検査なども駆使して年代を特定した。
 フランス文化省も真作の可能性が高いとみており、政府買い取りの可否を決めるため、絵画の国外持ち出しを30カ月間、禁止する措置を取った。
 民家の持ち主は2014年4月、天井の水漏れを直そうと屋根裏を点検中、薄汚れた絵画を見つけ、知り合いの画商らに連絡した。絵は少なくとも150年にわたり、誰の目にも触れていなかったという。(共同)



日本で開催されているカラヴァッジオ展の成功が
このニュース配信によってほぼ、確約されたのであります。


この手のニュース、
例えば、パリ郊外の公立美術館に
泥棒が侵入し、ピカソ作品他総額500億円相当の絵画が盗まれました・・・
等と言えば、いかにもセンセーショナルな話題ですが

現実生活には別に、何の支障も来さず、
少なくとも日本国民は誰も困らない話を
さも大事件として
共同通信が世界に流す・・・・

その意味は、・・・
世界支配の側にとって
この類のニュースは大変価値のある話題だからです、


日本と違って欧米人が動産に対する価値観が非常に高いのは周知の通りで
過去に、
住み慣れた家を捨て、さらには、国を捨てて
流浪したことのある民族、国民であった・・・経験値を持てば
・・当然。



国を捨ててまで逃げ出さなければならない時に
人はどうするか?

紙幣や有価証券の類は屑同然になりかねないし
金は重くて沢山運べない、
宝石や美術品こそ・・・命の次に大事なもの・・・


国を捨てて逃げ出した経験が先祖代々なかった日本人は
動産に対する価値については鈍感、意味不明。
あんまり、理解できない。
つまり、
イザという時に持って逃げても
逃げた先で換金できる宝石や美術品は
日本人が考えるより遥かに大事なシナモノ・・・なんです。

相互侵略と相互略奪の歴史しか持ち合わせが無い欧米人は、
先祖代々動産にたいする価値観が非常に貪欲。


で、ピカソ以下500億円相当の絵画が
盗まれる、というニュースには
日本人が感じるより遥かに敏感に反応するし
絵画というものは換金できる価値以外の何物でもないし
換金可能であることの担保を
この類のニュース配信の都度に確認し合っている・・・訳で
意識するしないにかかわらず、時々
こんなニュースが必要ですらある・・・・
ドロボーが居ようが居まいが、構わない、・・・
いや、それどころか、・・・
ドロボーも雇われているのかも知れません・・・

盗まれた絵画が500億円する!!
という刷り込みを・・・常時、しておかないと
換金価値が下がり続けてしまうのです。


ピカソは高いのが当たり前!!
という刷り込みは欧米社会には不可欠な要素なんですね。
これを、錬金術と言います。

それと同じ手法で、
上野で開催している
カラヴァッジオ展の開催まもないこのタイミングに、
あたかも、本当に、未発見の名品が現れた!!
と世界の大ニュースとして配信したのでした。


ほー・・・!?
好奇心旺盛な日本人は興味をそそられる・・・
勿論、美術愛好家は必ず観に行くでしょう・・・
空前の入場者数になるかもしれない・・・・


わざわざこのタイミングで
フランスの片田舎から新発見されるはずもない
新発見作品がでましたぁ・・・・!!!
と、やるんですね。


大茶番劇なのに・・・
平然と、このようなアホらしい・・・
ばればれ・・・・の
マトモな人間をたぶらかすようなお話を
公然、厚顔無恥・・・
恥知らずにも、出してくるのであります。

世界支配を続けようとする連中の
メディアを駆使しての
詐欺行為が繰り返されているのであります。


6月の開催終了まで
またまた、
善良な、騙されやすい、・・・・ナイーブな
日本人美術愛好者様方の御蔭で、
長蛇の行列が出来
並ばされている苦労も苦労と感じないまま
行列を続ける日本人で溢れ返り、思うつぼ・・・

NHK、及び各メディア、電通様・・・・
は目標値を叩き出し、
・・・・回り回って・・金は・・
世界支配のユダヤ財閥さまに落ち着く・・・
・・・という筋書きであります。


21世紀の今日、
カラヴァッジオ程の大名人ならずとも
写実する技術は全員が持っている・・・時代
ミンナが持っているスマホに内蔵されている映像力、
・・・写真や動画を映し出す力は=写実力は
もうとっくに、カラヴァッジオの描写力さえ超越しているのに、
名器?を使わされている現代日本人の観念の方が
追いついていないわけですね。


やっぱり凡人なんだろうね・・・
われわれは・・・・



錬金術と美術の区別もわからない・・・



















posted by 絵師天山 at 14:02| Comment(0) | 歴史の真実

2016年04月11日

【歴史の真実】42   日本独立


2014年11月15日付の当ブログ
【歴史の真実】21  日本独立! で
述べたのは以下の通りです。


“1000億円を超える賠償を求めて日本国基幹産業の中核を担う【東芝】が、
韓国企業及び社秘を漏えいして利己に走った元日本人社員を訴えました。
漸く・・・というか、やっと、そういう気運が兆した・・・・

英知を集結させた長年の研究成果を理不尽に奪われた者として当然の行動であり、むしろ遅きに過ぎるくらいで、ドロボー国家及び紛れもなきチンピラ国賊を訴えたのです。

結果は、・・・
どうせ疲弊しきったドロボー韓国企業に賠償能力などはなく、
・・・会社ばかりか国までも売った!
・・・・という自覚すらない
民主的グローバリゼーションボケのバカ者も

改心する心が万が一にあったところで後の祭り・・・・

何も償うことなど出来る訳はありません。

元々人のふんどしで相撲を取るような国であり輩なのですから
・・・尻拭いなんて、およそ出来るはずもない。
懺悔する気持ちが浮かべば・・・
まだ人間の内に入れるかも知れませんが。
恐らく、
逆切れして見せて時間を稼ぐくらいが関の山・・・・
全く盗人猛々しい!
とは、正にこのことなのであります。

・・・年俸倍増!
くらいの擬似エサで簡単に騙され、
無自覚に反日活動に流されるロクデナシですから、
自分が登った木の枝の元を切り取る愚行に気付かない。

呆れるほどの幼児性・・・
全く残念・・・・いたしかたありません。

国益イコール個人の利益・・・・という、
当たり前中の当たり前
・・・なことすらわからなくなって、
国家観念は完全欠落してるのに
自分だけは世界平和!などとウソブく・・・
民主的グローバル日本人が蔓延し、
外国の圧力代表になり下がった
各種メディアに組して踊らされ、
幼児性を振り回し、
どれほど国家国民の利益を阻み、
それによって日本が貶められたか
・・・・・図りしれないのです。

APEC(アジア太平洋経済協力)に於いて、
習近平の、苦虫をかみつぶしたような表情へ、
笑顔を向けて握手を求めたわが国 
総理大臣安倍首相の外交戦略も、
現時点では一定の評価があってしかるべき・・・・
本来は米国主導のくびきからはなれ・・・
河野談話を完全否定するところから始めねばなりませんが・・・

恫喝し圧服させ服従させて置きたい相手なのに、
自ら会談を受け入れざるを得ない
対外、対内、共に苦境に立たされている習近平の
・・・・現今の仏頂面にさえ・・
日本国総理大臣として笑顔を向けねばならないのは、
核武装なく丸裸同然である日本国家防衛の現状を
誰よりも総理が熟知しているからであり、
自国日本のメディアは明らかにシナ、習近平の味方で、まかり間違えば安定政権を揺るがされ、引いては国家安全保障さえ揺さぶられかねない、という自覚と理性とが総理にあるからで、

本来は習近平と対等会談せずとも・・・・・、
いやいやマトモに話し相手になってやる必要すらないのです。

が、それでも尚、笑顔で握手を求めるのは・・・
皇居及び日本の大都市すべてに照準を合わせた核弾道ミサイルが・・

シナはじめロシアからアメリカから、
雨あられと降り注ぐ用意が現存する・・・
という、実にハッキリとした現実を踏まえている・・・・からですね。

珊瑚ドロボーのシナ漁船団も当面海上保安庁巡視船の優秀なる装備と技量とによって、その2,3隻も沈めてしまえばあとはクモの子を散らすように逃げ去ってしまうのでしょうが、その後のシナリオが用意されているので、シナの野心を熟知した上で賢明な対処をしてゆくしかありません。
まだ日本は確固たる独立国には程遠いから・・・・

周辺国のみならず自国の少数民族等を同じシナリオで傷め続けているシナ共産党独裁政権はもはや世界の癌以外の何物でもないことが誰の目にもハッキリし、
国外逃亡を人口の7割以上が切実に望んでいる韓国の実態もより広くに知れ渡るでしょう、

シナ・韓国は自ら亡国へのスパイラルを確実に降下しており、あとはただ利己が渦巻くのみ・・・

であるにも関わらず日本のメディアは相変わらず、必死の形相でシナ・韓国の味方であり続けようとしている。

習近平が韓国大統領には笑顔で挨拶し、安倍総理とはその態度に格段の差を見せた、
と何やら誇らしげに報道し、総理周辺からは解散風が吹いた!!と攻め立てる・・・

・・・・日本を取りまく数多の略奪国家の意を体し、
その手足となって暗躍する日本のメディアは、あろうことか
習近平とリンクして自国の総理大臣をやっつけている。
・・・・何というおぞましさでしょう!

外交的後退は敵国の国内問題にすり替えて反撃する・・・・
共産党の常とう手段ですね。問題のすり替えは名人芸ですから・・・
反撃のコマは、日本メディア!

解散権は総理大臣にあって、此の度日銀から80兆円を市場に放出させ、景気回復への底入れをし直し、
原発も徐々に稼働させていって、消費税増税を先延ばしにすれば・・・・総選挙。
更なる安定政権となれば・・・・やっと憲法改正に手が届く・・・
自分の都合が悪くて公表出来ないが、実質は韓国の利益代表以外の何物でもない公明党を与党から追い出せる。
し・・・・
自民党内に巣食い続ける反日民主的グローバル分子も、国益に叶った親日人材に挿げ替えられる・・・

日本独立の機運はようやく兆したのに、・・・
そうはさせじと周辺略奪国家は日本のメディアを武器に一斉に反旗を翻し、国益を最優先しようと努力している総理大臣をたたきに叩く!

国家として一人前の国であればそこで初めてグローバルという価値観を内外に示すべきでありましょう。大人として当然の世界への貢献です。
が、しかし、現実には自分が未だ幼児であるという自覚も生まれず、国家という体を成していない現在の日本で唱えているグローバルでは、およそ国益に反することにしかななりません。

食糧の自給自足も遥か・・・夢の様に遠く、エネルギー自給への確固たる信念すら持ちえない。
どころか・・・自分の国の中枢を常時原爆で狙われていることが分かっていてもそれに対して反撃準備の可能性にさえ言及出来ないのは・・・・そんな状態は、国家とは言えない。まだ日本は国という体をなしていないのです。

メディアは、安倍首相が反日国の首脳に馬鹿にされ、ぞんざいに扱われていることを遺憾とし外交的成功を正しく伝えてしかるべきところなのに、まだ有りもしない解散風を一方的に非難すると言う攻撃を一斉に展開する・・・・・・しかもそれが公平でグローバルなメディアの使命!?などと話をすり替えて平然としている・・・・

東芝の裏切りアホ社員の罪どころではない。
・・いったい・・・・どこの国の放送局だ?
安倍さんにとって代わるくらいな愛国者をじゃんじゃん育てる!のが本来だろうに・・・・

そして、米中会談は喧々諤々・・・9時間も続いたと言う・・・
温暖化問題だと・・・・・へー、嘘だね・・・
彼等はお互いに『いや日本は俺のモノで、お前のモノじゃあないゾ!!』と、ののしりあったに過ぎません。
しかも、9時間も!!!

食料とエネルギーを自給出来ずに国家は独立し得ない。
食料とエネルギーの自給によってはじめて真の国防が成立する。
国家の独立がなければ個人の安寧はあり得ない。

この当たり前な事を真っ先に教えるのが教育・・・

アメリカの軍事基地がなぜ日本国内にあるのか?
我らの羽生 結弦(はにゅう ゆづる)君がシナ人選手によって一方的に血みどろにされたのはなぜか・・・・
この際、良く考えねば・・・・



このまま行くと、
日本の方が先に無くなっちゃって、
ホントに・・・笑えない・・・

グローバル自滅・・・

珊瑚ドロボーのシナ漁船団はアメリカの指令で行動している!!!”








同じ表題、日本独立 で今日語りますのは以下、
意外なる展開になって来た現実についてであり、
筆者は驚きを隠せません。
むしろ、こういう大きな流れは当然なければならない
・・・・とは思いますが、
まさか、アメリカの内側からこの様な波乱が生じるとは
天網恢恢疎にして漏らさずとは、正にこのこと
・・・・かも。


ただし!
この場合の【アメリカ】はアメリカ国家ではなく
アメリカという国を利用して世界を支配しているユダヤ財閥複合体のこと。










今年11月に予定されている
第45代アメリカ合衆国大統領選挙の予備選で
共和党から出馬するドナルド・トランプ候補の発言によって
アメリカ=ユダヤ財閥の内側が揺れている・・
・・事が明白になりました。


世界の富の大半は人数的に言えば、
わずか100人くらいの
支配層に握られている・・・・ことはもう、
ある程度の視野を持ち得る人々の中では常識なのですが、
実は、その100人にも内輪もめがあって、
それがはじめて?
・・・実に分かりやすい形で明るみに出た!
のであります。


日本のメディアはもちろん
・・・・大多数のメディアは
支配層にとって世界支配の為の最大の武器であり、
個人で抗うことはまず、不可能・・・・だった?!


メディアが攻撃するモノは
要するに、支配層にとって都合が悪いモノ・・であり
メディアが攻撃する人は、これまた支配層にとっての都合が悪い奴



田中角栄氏も嵌められて失脚したし、
大平首相も
中川親子も・・・麻生総理も・・・
政治家にとどまらず


日本の為に活躍し、あるいは大いに活躍しそうな人材は
これまで・・・・無数といえるほど沢山の逸材が
支配者の使用人であるメディアによって、色々な意味で排除抹殺されていった
のが・・・・近現代史の真実なんです。



この伝で行くと・・・
今回のアメリカ大統領選挙の共和党トップ候補者トランプ氏は
よほど支配層に嫌われているらしい!!!
尋常ではないネガティヴキャンペーンに晒されていて、
勿論日本国民の大敵である日本メディアも
トランプバッシングの連続技を繰り出す真っ最中!!




これまでは、
共和党であろうが民主党であろうが
大統領選挙の候補者はすべて
支配層の側でしかなかったので
どちらが勝利しようと
支配層にとってはドッチも自分の子分なんだから・・・
当然・・・別に、適当に操っていれば良かった
・・・のに

トランプ氏は・・・どうやら
現状の力関係を
根底から揺るがしかねない
ポジションを形成している
・・・・ことがハッキリしたのです。

支配層同士の軋轢を隠せなくなった!!訳で・・
従来の支配層からすれば戦々恐々・・・

別にトランプ氏の味方をスルのではなく
世界の仕組みが大変動し始めているこの気配を
見過ごさず、真の日本独立の機縁にしたいものである、
と大いに言いたいのであります。


トランプ候補が挙げている施策の主なものは
保護貿易推進、TPP反対、移民反対、シリアから撤退、日米安保条約は不平等、・・・
等々であり、これまでのグローバル路線から保守主義へ大きく転換したい、という主張。
彼の背後にはコーク兄弟という新興財閥大富豪が居り、国防以上の対外戦略は税金の無駄遣い等、として、旧来の軍産複合体であるユダヤ系財閥を打倒しようとしている。
それで、極東から米軍を撤退する、という発言に繋がって、米国民の支持は大きく広がっています。


戦後70年、自分の国を自分で守る意思を持つ事が出来ず、最優先課題である食料の自給、エネルギーの自給、にもほぼ、何の関心も抱かなかった日本人が、本当の国家として独立すると言う意思を表明し、さらには実現してゆくに
これほど良いチャンスはないのではないでしょうか。

実態もない湯水?にドップリと浸かったままの大多数の日本人が、否応なく覚醒する時が来たのかも知れないのです。

靖国神社に参拝するのは、なにか悪いことのような風潮??
・・・・を、オカシイ!と感じない旧来型日本人の
・・・目が覚めてしまうような事象が、
今まさに始まろうとしています。



戦後レジームからの脱却を標榜する現阿倍政権さえも
その支持母体は結局のところ旧来の世界支配層以外ではなく、
終戦後のGHQ占領支配は、形こそ変えたものの
その実質は
植民地そのもの・・・ただ隷属させられてきただけ
・・・である日本の現実に
一人でも多くの
心ある日本人が気付いて欲しいと
願うものです。

それが、アメリカ国家を利用したユダヤ財閥の世界支配状態を根底から覆し
これまでのユダヤ財閥に奉仕することで利を得るしか生きる道がない・・・
といった誤った隷属的価値観をも
消滅させることに繋がる筈であります。

人生はもっと豊かで楽しいはず・・・・

まずは、自主憲法制定
そして
自衛隊を国軍に・・・
・・・・・















posted by 絵師天山 at 12:43| Comment(0) | 歴史の真実

2016年04月10日

魅惑の百人一首 100 順徳院

 
【順徳院】

百敷や古き軒端のしのぶにも猶あまりある昔なりけり

    ももしきやふるきのきばのしのぶにもなおあまりあるむかしなりけり





            順徳院.jpg 
             天山書画






さて、
百人一首を語るのもコチラで最後・・・


人様に語るほどの勉強をしたわけでもないのですけれど
日本文化のエッセンスが込められいるのは確かだし
下手の横好き!?・・だけで近寄ってみても、
それはそれは素晴らしい世界が
滔滔と・・・広がっていた・・・ので・・・


さらに、数ある解説書などに目を通し
深く百人一首世界に親しむうち
ナルホドそうなのか!とも思い、
えっ??おかしくない?それは・・・・
とも感じ、

自分なりの考え方なり、価値観なり、
に依って・・・・絵と共に、
言葉としてササヤカに綴ってみたくなりまして
ここまでやって来ました。

ひと時代前の解説書は
西欧礼賛、クダラン
唯物史観が影を落としていて
和歌の真実から遠ざかっている事があり、


現代の解説書はまあ、分かりやすいけれど
長たらしく、饒舌に過ぎ、
却って興味を削がれることがあり・・・

一長一短・・・・

歌人の心奥まで感じさせながら
和歌の魅力を豊かに讃えてくれるような
ブッチギリのステキな文章に逢いたい・・と、
今は願います。

源氏物語を円地文子訳で初めて読んだ時、
楽しくて
あの十巻に及ぶ長文がとても短く感じた
のを良く記憶しています。そして・・
与謝野晶子訳、田辺聖子訳、上野栄子訳、・・等々
・・・・・
全く読み進める気にならなかったのが
有名人、S氏のツマらん訳文でした、
説明が過ぎて、まるで渡る世***、を見せられている様
某氏と同レベル・・・


が、結局、原文を辿るのが最高!
遅遅として進まないけれど、
進まないモドカシサさえ楽しくなるような
そんな、心躍る思い・・・・。
わかっても、解らなくても・・・ゆっくり
静かに音読するのが・・・最もよろしい!!!


和歌も同じ。
殊に、
百人一首は全部ソランジル人も大勢いるくらいで・・・
音読するのは楽しいものです・・・
だから、解説書など、
ホントは要らない
のでありましょう。



百敷や古き軒端のしのぶにも猶あまりある昔なりけり



百敷とは、皇居、宮中を指すのですね・・・
しのぶ、は吊り忍草・・・・


後鳥羽天皇第三皇子であらせられる順徳院の御心は
憂欝、哀惜、詠嘆・・も勿論あらせられましたでしょうが、
それでもなお、和歌の心を・・・それはそれは深く
尊んでおられたのだと拝察申し上げるのであります。

日本を愛する心根こそ大切に継承し
共有して行きたいもの・・・・。

百人一首第100番目を飾る
順徳院サマのこの名歌は、正に
そのことを謳っておられる訳です。

















posted by 絵師天山 at 03:00| Comment(0) | 百人一首

2016年04月09日

第71回春の院展


第71回春の院展開催中です
日本橋三越本店7階特設会場
4月11日まで

天山作品は【月明紫式部】(げつみょうむらさきしきぶ)です





          紫式部2.jpg






          IMG_2608.JPG




自らの作品解説はコチラ・・・・

紫式部とは顔馴染み。
私が道長卿の御前で伶人として楽奏し、
テラ銭を頂戴して居た前世の折、
彼女は情深さ故に、恋で失敗するタイプであり、
かの陰陽師阿倍清明公にぞっこん惚れ、
都はずれのボロ屋敷に住む清明様の元に通い
当時は通い婚であり、普通は女性は待つ側でありましたが、
逆ナンの彼女は清明公の摩訶不思議なる超能力に
心底魅了され通い詰めていたのです。
清明様に近づきたいというエネルギーと受けた感化によって
源氏物語が生まれた事は確かです。
そして平成のこの御代にかつての友人であった私が、
彼女をこうして顕彰して差し上げることが出来たのは、
誠に幸いと言うべきでありましょう。



世界でもダントツトップ!!
有史以来人物像でこれほど題材として
沢山の人に描き続けられ、
モチーフとして数多く取り上げられた女性は
他には居ません。

特別に白緑色の額縁に納まっていただきました。




続いて巡回展が開催されます
詳しくは日本美術院ホームページへどうぞ。





posted by 絵師天山 at 14:05| Comment(0) | アトリエ天山からのお知らせ

2016年03月28日

魅惑の百人一首 99 後鳥羽院


 【後鳥羽院】

人もをし人も恨めしあぢきなく世を思ふゆえに物思ふ身は

   ひともおしひともうらめしあじきなくよをおもうゆえにものおもうみは






           後鳥羽院.jpg
             天山書画





98番従二位家隆(じゅにいかりゅう)から
さぼって?しまい、・・・・
ずいぶん日にちを費やしてしまいました。
・・・・いよいよ最終、99番は
後鳥羽院さまの御登場であります。
 

百人一首は、
つまるところ・・・・
後鳥羽院さまの御為に編纂された!

と、言い得るので、
定家の意図ももちろん
各時代を担う100人の歌人を採り上げることで
その人となりは勿論、
生きた歴史の真実を和歌によって語らせる
のが、真の目的であり、・・・
その最後、
99番を 後鳥羽院に
100番を皇子、順徳院とする為に
一番から98番までの、名歌、秀歌を綴ったのであり、

それは 後鳥羽院さまが遺された偉大なる鴻業を
最もさりげない形で、普遍なるものとせんが為でありました。


【言上げせず】が日本古来の風習であり
物事の本質から枝葉までカマビスシク、
言説を弄して“とやかく”言い放つことを良しとしなかった訳で、
その代わりに和歌によって表現した
とも言えるのであります。


言いたい放題、は単なる幼児性の表れ、
和歌というフィルターを通して、
さりげなく、しかも、
物事の本質をズバリと
言上げ・・・て・・・・
後の世に共感を伝える・・・

和歌の心が、わか?らん奴は、
野暮も野暮、大野暮!

ナンであります!!!!


この後鳥羽院様は、
後の後醍醐天皇様、明治大帝さま・・・
に良く似てらっしゃる。
この御三方は同じ魂の生まれ変わりかも知れない、と
感じるほどに、近似した人格・・を感じさせます。
和歌の大名人であったという共通点もあるし
御三方の到達された和歌世界の高さ広さ深さは
実に、そっくり・・・・であると
筆者は驚きをもって感得しています。


御承知の様に、後鳥羽院さまは、
鎌倉幕府=北条氏を討って大権を天皇に帰服させ
あるべき日の本の国体を取り戻さんと、
挙兵された・・・のが承久の乱と呼ばれる政変。
天皇を島流しの刑に処す!
理不尽ここに極まる
とんでもないこの結果さえ見事に受け入れられつつ
一方で日本文化の根幹を洗い清め、
さらに掘り下げられた19年にわたる離島でのご生活・・・・



保田 與重郎の名文を借りるならば、

“院の御親征の事情は記録によって察せられるが、それなくともかくもあらせられたと思はれる節が元より多かった。まことにつひに乱戦となった京師に、ただ御一人で雲霞賊中に留まらせられたことは、思ふも畏れ多いことである。古実の学を修められ、一切の文化の復古を指導せられた院が、皇道の御軍を進められるとき、方法様式に於いて、古典の精神を行はれることは、聞かずともかくあることと拝察せられたのである。のみならず隠岐の離れ小島に、なほ十九年の日を御暮らし遊ばされた英邁の御天性を思ふとき、世に類ない豪宕の御気象が心にしみて拝せられるのである。”
(後鳥羽院より抜粋)



後鳥羽院口伝には百人一首撰者藤原定家について
こう、記されています。

“歌見知りたるけしきゆゆしげなりき。
ただし、引汲の心になりぬれば
鹿をもて馬とせしがことし、
傍若無人ことわりも過ぎたりき。
他人の詞を聞くに及ばず。
惣じて彼の卿が歌の姿殊勝のものなれども、
人のまねぶべきものにはあらず。
心あるやうなるをば庶幾せず、
ただ詞姿の艶にやさしさを本体とする間
その骨すぐれざらん
初心の者まねばば正体なきことになりぬべし。
定家は生得の上手にてこそ、
心何となけれども、
うつくしくいひつづけたれば殊勝の者にてあれ”


わからん屁理屈ばかり並べて、あんまり好きじゃあないけど・・・歌は上手いよね、しかしもっと素直に美しく詠えば・・・良いのにねぇ・・と・・・

正に定家の本質そのものを喝破して居られる事に驚きを禁じ得ません。
さりげなく綴られた遺文、後鳥羽院口伝・・・・は、
歌論書、などというジャンルに留めておけるようなアリキタリな、ご文章ではないのです。


西行も良経も、・・・家隆も、
並みいる女性歌人たちも・・・
皆、後鳥羽院と共に時代を担った名歌人達は・・・・悉く、
後鳥羽院様の為にこの世に生まれてきたと言っても過言ではありません。


それはちょうど、後醍醐天皇様の為に全身全霊で尽くした楠木正成が現れたように、
明治天皇様の為に乃木大将が産まれたように・・・・


定家も院の御為に・・・・

しかしそんな至らない?定家の工夫のおかげで、
今日の、やはり至らないわれわれ?にも
百人一首という日本文化のコアがこうして立派に遺されたのでありました。


凄いことです!







posted by 絵師天山 at 17:30| Comment(0) | 百人一首

2016年03月23日

続々 神と魑魅魍魎

死生観、

これは、非常に大切。

これ無くして人生は語れない・・・・
これが定まらねければ、良い仕事は出来ません。
仕事のみならず、
人事百般、微に入り細にわたって、
その人の抱く死生観は
その人の人生そのものに影響を与えずにはおかない・・・


勿論、絵にも・・・



死と共に無に還る、
とされる一方、
あの世、とか、彼岸とか、来世・・・がある、
とも言われます。


死すれば無に還り、肉体は勿論のこと
自己意識もすべて無くなるし、
魂など存在するはずはない。
つまりは全くの無。
もしも霊界などというものがあるのなら、
人類の歴史を通して死んでいった人でもう超満員!
・・・・なハズではないか・・・!と。


また、生まれ変わって、今生で叶わなかった事を
次に実現したい・・・などという泣き言を吐く前に
今という今、全力を尽くすべきでアル!
とのご意見もあり、
至らぬ自分の情けなさから逃避する方便として、
あの世と言うものが・・・設定されたのだ・・・・

・・・ごもっとも、


だがしかし、
別に、今という今、も
努力を惜しむつもりは毛頭ないが
命が尽き果てれば
全くの無になってしまう・・と言うのでは
ちょっと淋しい気もする・・・


それに・・ポジティブでさえあれば
来世へのさらなるアップグレードな人生設計は
楽しくもあり・・・

生まれ変る先を考える故に
今が充実することも・・無きにしも非ず・・・




結局・・
死んでみないと解らないことに
夢中になっても・・・
仕方がない・・まあ
適当にしておけ・・・・
という事になり・・・・
深く考えずに済ます。




冤枉罹禍(えんおうりか)
という言葉をご存じでしょうか?

無実の罪・・・・と言いますか、

明治維新前夜の政治運動の途上で
非命に斃れた勤皇の志士たち、
特に刑死の憂き目を見た人たち・・・
について、
彼等は無実の罪で思わぬ禍を蒙った不運な死者であった、
と見なす。
彼等に死を与えた側も、
これは裁判上の手続きに於いて過誤を犯した、
と言う様なものであり、
攻撃的な殺意があった訳ではなかった。と見る。

無念の最期を遂げた志士達の霊にも
幕府権力への恨みを永く抱いてもらうのは望ましいことではなく、
・・・・つまりは、
弾圧事件の加害者と被害者との間に
幽冥、境を異にしての和解を図ろうとする着想が生じる・・・
のです。

なかなか難しいところ・・・

人殺しとか、非道なる犯罪ではなく
つまりは、個を捨てて公に尽くそうとするあまり、
解釈の違い、とか、価値観の相違とかで、罪人とされ、死を与えられる・・・

吉田松陰が、その分かりやすい例であります。


吉田松陰先生は犯罪者と認定され、なぶり殺された!
・・・にも関わらず
その遺徳によって神様と祀られ・・・
いまなお尊崇の対象であり、
私を超越し、公にのみ生きた稀有なるご存在である、
とされ、恐らく、
未来永劫、ズーッと仰がれることでありましょう。



死後は全くの無である、
・・・のかも知れないが、
そうウソブク方をあざ笑う如くに
吉田松陰先生は、
確かに・・・死を超越してしまった!



正反対に、例えば
平将門。


事実無根とする説もありますが、
私憤を抱き
受け入れられないと見るや朝廷に反逆、
憤懣をぶつけまくって戦塵に散った後
21世紀の今日にまで祟り続けている!という存在。

コチラは、千年の時を越えてもいまだ納まらず

死を受け入れることが出来ていない。


これをどう説明するのか?

・・・・・、
同じく神と祀られている両者の違いは・・・・何?



オノレの抱く死生観の背後に・・・
ホントのところ・・・
何が影響しているのか、

神なのか魑魅魍魎なのか、

それこそが、大切なのであります。





生死に離れざれば何事も役に立たず。








posted by 絵師天山 at 18:24| Comment(0) | 古事記1300年

2016年03月10日

続 神と魑魅魍魎 


神様というもの・・・
は、祈れば人の願いを聞き入れて下さったり
良いことをしていれば守って下さったり、
悪い行いに対しては罰を与えたり、
・・・・

あたかも神様には、人格?が?
ある如く思われていて・・・
人を裁いたり、導いたり、・・
陰に陽に高見から見守って下さりつつ
あらゆる局面で
人間生活に干渉してくるような存在である・・・
と、

認識する人も多いようです、
が、

おそらくそういう存在が有る、居る?
としても、それらはすべて・・・
魑魅魍魎の類でしかない。
実は、それがホント・・・
のところ・・


宗教に惑わされている人、
カルトではないと言い張るカルト集団に騙されている人、
あるいは、占いや霊能者などに嵌っている人は
悉く、あり得ないような奇跡的事象を
神と呼ばれる様な偉大なる御力・・・と考えて、
心酔。

そのあり得ない様な事象が
どのようなパワーによって表れているのか?
には、あまり疑問を持たず
神様とおぼしきモノに願い事をして、それが
想像以上に叶えられたならば、
それは素晴らしい神様・・・・と、
まるっきり短絡してしまい易い。


事実、御利益とか奇蹟とかが
存在することは確かにある。
・・・・のでありましょうが?
・・・が、

実は、
有る方が怖い。

ホントにあるとしたら、
その依ってくるエネルギーは
魑魅魍魎から・・・・


ネガティブエネルギーを餌にしている魑魅魍魎は
人間に強い関心があって、
一時的に人間を魅惑した後、
虜にし、将来に亙って延々とネガティブを産み続けさせて
そのエネルギーを吸うことで生存を確保し繁栄する、
そもそもが、
そういうモノであり、そういう存在なのです。

かの陰陽師阿倍清明公は
それら、魑魅魍魎から世界を護る不思議な能力を持っていました。
明治政府が西洋化、近代化を推し進める政策の一環として、
陰陽寮を廃止したことが、いまだに日本人の生活の根幹を揺さぶり続けている。

とも言えましょう。

小堀桂一郎先生の御著書に、
【なぜ日本人は神社にお参りするのか】
という名著があるのですが、そこに、


“ギリシャの神々、あるいはヘブライの一神教の神と違って、
神の御手による奇蹟を恃むのではないのです。
さうではなくて、人間としての努力を致しますから
神々よお守り下さい、といふ、
さういふ祈りの気持ちなのです。
事を成就させるのは結局は人間の力なのです、
そこでは人間が自分の力を誇るのではなくて、
事の成就を神々に感謝する
さういふ形に止めてゐる、
是が日本人の神信仰の原型であろうと思ひます。”


ホントの神は
人に関心を持っているとは考えにくい。



神社に参拝して小銭を投げつけ
家内安全とか、商売繁盛とか、
勝手気ままな願い事をして
立ち去る・・・・
そんな人間に関心があるのは
魑魅魍魎だけ・・・


ホントの神様は、・・・・・


・・・・・

魑魅魍魎にリンクしているのか
ホントの神様に波長共鳴するのか?
その分かれ目に立っているのが我々人間なのではないでしょうか。








posted by 絵師天山 at 23:07| Comment(0) | 古事記1300年

2016年03月04日

神と魑魅魍魎


この世界の、
もっと巨視的に見ればこの宇宙の、
構成原理を考えてみると、

極単純な“例え”ではありますが、
太陽を中心とした星々
水星、金星、地球、
火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星・・・
この太陽系の天体は
太陽に近いほど神の世界であり
太陽から遠ざかるほどに魑魅魍魎の世界になっている、
と考える事は出来ないでしょうか、


勿論、一笑に付されてしまうかも知れませんが、

太陽がなければこの宇宙は成り立たないのは自明で
この世で何が大事かと言えばそれは
おひさま
それ以外はすべて副次的。


太陽の存在はかの天照大御神さまとリンクしていたり、
あらゆる地球文明の素神として崇められてきた事は
紛れもない事実であります。


従って、太陽、水星、金星、
までは、
地球より高次元の存在であって
火星以下は当然地球より以下の次元であり存在であるとも
言えると思うのです。


つまり、分かりやすく

地球以下は魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界である、
と、
云っても宜しい。


問題はその魑魅魍魎たちは
火星以下に留まっているばかりでは無く
チョクチョク地球に出現してしまうこと、・・・


それが、天狗であったり、カッパ、であったり、
ドラゴンであり、妖怪変化であり、・・・・
つまるところの魑魅魍魎。


人間以外であり
地球外生命体・・
としか考えられない得体のしれないモノは
歴史上でも大昔から語り継がれており、しかも、
そんなものは人間の想像の産物である!
と言いきれるほど曖昧ではなく、

悪魔とかサタンとか、天使とかエンジェルとか・・・
愚かな人間の想像力をもはるかに凌駕する程の
得体のしれないモノ=魑魅魍魎は
確かに、立派に居続けてきた!
と考えざるをえないのです。

だとするならば、
時代の様相に応じて
その魑魅魍魎も色々に変化し
人間生活の深い部分から強い影響を与え続けており
人間世界はそれへの対応を常に迫られている
のではないか?と
人間の姿形をしていても
中身は魑魅魍魎そのもの
であることも
決して珍しくない・・・・・と
むしろ、人間には識別できないレベルで
そこらじゅうに魑魅魍魎は存在し
神の如くに見えることすらある・・・と
考えざるを得ないのです。


正に地球は神と魑魅魍魎の間に立たされている存在であるとも言えるでしょう。

人間性から言えば信じ難い様な現実に晒されるのは
それは深いところでは魑魅魍魎の願望の現われに抗しきれない状態であり、
その半面では
人間性の豊かな幸福を味わえることがあるのは
それは
神の世界からの高次元の援助が何かしら作用している
とも言えます。


魑魅魍魎の絶えざる願望とは何か?

地球以上の高次存在を否定し侵略し
ネガティブで蔽うこと・・・

なぜならネガティブエネルギーを吸収してしか
魑魅魍魎は生きられないから、


神の世界はポジテゥブ満載!
というか、ポジティブしかない!

そこでは魑魅魍魎は絶滅
存在出来ない・・・

だから、地球を舞台に・・
人間を食い物にして・・・
人間世界にネガティブを造り出して・・・
それを食って繁栄したい・・
ネガティブが強烈であればある程
魑魅魍魎としては愉快に過ごせる・・


人間はポジティブであれば幸せに向かうけれども
ネガティブに向かえば不幸になるようになっている。
・・・・のではないか??


人間の役割はこの地球に在って、
ネガティブをポジティブに変換させる為に居る。
・・・
のではないのか??


では、ポジティブに向かう秘訣は??

勿論、それは創作する心、
クリエーションに他ならない。


実は魑魅魍魎が支配しているのに
神とあがめたり、
スバラシイ事、として敬愛したり、
尊敬したり、特別視したり、
執着したり、縛られたり・・・・

ありとあらゆる手段方法を駆使して
人間のネガティブエネルギーを食い尽くそうとする
魑魅魍魎の成すがままでは
幸せには・・・・決して・・・なれません。







実際火星に移住したいアホが居るとは・・・・ねぇ・・・







posted by 絵師天山 at 13:22| Comment(0) | 古事記1300年

2016年02月16日

冬の景


二月も半ば、冴え帰る頃です。
雪景をはじめ、冬の景を主題にした天山作品をご覧ください。



  

         IMG_2413.JPG
           【冬の華】






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           【竹雪】






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           【ヤブコウジ】






         IMG_2421.JPG
           【金閣】






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           【天心】






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           【冨士】






         IMG_2493.JPG
           【水面の冬】






         IMG_2495.JPG
           【凍河】






         春雪暮色.jpg
           【春雪暮色】






         IMG_2137.JPG
           【羽衣】







一番大きい作品は【金閣】で、150号ほど、
一番小さなのは【ヤブコウジ】で4号作品です、
ずいぶん若い時のモノも・・・近作も混ざっています。





posted by 絵師天山 at 23:56| Comment(0) | 天山作品紹介

2016年01月13日

正論より

小堀桂一郎先生の論説が産経新聞正論に掲載されましたのでここにご紹介いたします。

【年頭にあたり 、教育再建こそ戦後克服の王道だ】

 新年の年頭に当つての感想を問はれた場合、言論人諸氏の多くは本年邦家にとつての最大にして緊要の課題は何か、といふ様な問ひを思ふであらう。筆者の場合も同じ事であるが、只そこで『唯一最大』とまで規定できる様な緊急課題の選定には本年は輿論の一致が無いであらうとの思ひが強い。
◆安倍長期政権で憲法改正を
 その様な観測を抱くのは、一つには国家主権の回復以来数十年に亙つて確かに国民の悲願であり続けた自主憲法制定の要求が、その実現に向けての研究が精密化し、議論も十分に煮詰つて来た昨年の戦後70年の記念年に至つて、却つてそれが如何に難事業であるかといふ現実が誰の眼にも映る様になつて来たからである。それが大変な難事業であると解つて来た、その事自体が又新たにあの占領軍による急造とその採択強制が我が国にとつて如何に禍深き呪詛であつたかを痛感させられるのだが、これも亦、今更嗟嘆を繰り返しても詮のない話である。敗戦といふ国家的挫折が国民に負はせた苛酷な運命であると認識するより他ない。
 そこで少し発想を変へてみる。憲法の制定が本年の内に困難であるとすれば、兎も角もこの大事を托せる政治家は現に安倍晋三総理以外に見当らないのであるから、安倍氏の自民党総裁としての任期を大幅に延長し憲法制定が実現を見る迄の長期政権を委任する事である。この事ならば総裁の任期についての党規を改正すれば良いわけである。それは憲法の改正よりは遙かに容易な事で、唯国政上の必要からといふ大義を党員の大半が承認すればすむ事である。
 この様にして得た余裕で、では何を本年の喫緊の課題とするか。此処でも人により諸説が生じるであらうが、筆者の意見は『教育の再建』である。近年筆者の身近の環境である学界教育界を含めて、我が国の社会の幾つかの分野に於ける為された事業に対する信頼の崩壊といふ現象が著しく眼につく。

◆高度信頼社会の崩壊防げ
 建設事業に於いての手抜き工事と其処に生じる危険の狡猾な隠蔽、大企業の経理の不正、限られた或る地方での事だが鉄道の保安体制の放慢、司法界での法の道理の無視、そして学界に於いては研究成果の学問的正確への信頼が保証できなかつた等々、曽ての我が国に実現してゐた、『人と人との間の信義が第一』といふ道徳原則に遂に罅が入り始めたのではないか、との危惧を覚える昨今である。
 個々の症例についての原因の分析に言及してゐる余裕は無いし、又現に確乎不動の信頼を保持してゐる事業も多々在ることを知つてはゐるが、その具体例を挙げる紙幅もない。只、本来我が国が世界に誇るべき文明の精華として有してゐた高度信頼社会が崩壊の萌しを見せてゐることは確かであり、そしてその原因は一に懸かつて『戦後教育の完全な失敗』にある。
 この失敗は然し『全面的』なといふ訳ではない。もし教育が全面的に崩潰したと見るならば、戦後日本のこのあらゆる領域に亙つての繁栄、殆どの都市が廃墟と化してしまつたあの荒野からの逞しい再生ぶり、殊に輓近のノーベル賞学術部門での受賞者の続出といふ学問的充実の成果が説明できなくなる。この多くの成功にも拘らず、我々は邦家の将来に最早希望が持てないといふ衰頽現象を到る処に発見して暗然となる。
 この明暗二つの面の併在は、たぶん占領期以前の教育の残響と、戦後の現状破壊教育の凶悖との共存乃至競合が続いてゐたといふ状況から来るものである。教育の効果は制度的に見れば善くも悪しくも何十年といふ長い尺度で測らなければ現象として捉へる事はできないものだからである。
であるからこそ戦後教育なるものの『原理的』失敗を正すには、今後何十年を必要とするかわからない。今直ぐにも取掛らなくては手遅れの症状が悪化するばかりだ。事は急を要する。『戦後体制からの脱却』といふ目下の国民的課題への第一の着手は『教育の再建』といふ事業でなければならない。


◆国語重視と基礎学の充実を
 その具体例を二つだけ挙げておく。初等中等教育に於いては国語教育の重視である。大正、昭和期の国語教科書の調査は現に容易な作業であるが、それを実施してみれば、当時は国語読本の入念な編集を通じて、国語教育が歴史・道徳・公民の教科を兼ねる様に工夫されてゐた実体が良く判る筈である。同時に、動機付けの薄弱な、小学校児童に向けての英語教育等といふ目論見がどんなに愚かしい発想であるかも判るであらう。
 第二は大学教育に於ける基礎学の充実である。この目的を達するために、基礎学を志す若手研究者達を大切に育てる事、殊に教育研究職が将来性の点で魅力ある職種である事に制度的な保証を与へる施策が眼目となる。迂遠な基礎工事である事は已むを得ないが、50年も経てばその効果は必ず現れ、日本の国民的繁栄の動力源としての面目を発揮するであらう。

(東京大学名誉教授・小堀桂一郎)



先日、画会(昇龍會)の新年会には、
例年の様に小堀桂一郎にお出まし戴いて
歴史画についての新たな視点から
御講義を戴きましたが、
日本の文化は古代から続く
日本人のアイデンティティーに依るものであり
世界に比類無きものであるとの御高察を述べておられ
いつもながらその論点の明確さに一驚いたしました。










posted by 絵師天山 at 00:22| Comment(0) | 伊勢神宮奉納記念展

2016年01月06日

【歴史の真実】41   昭和天皇祭


正月7日は昭和天皇祭


昭和64年1月7日
昭和陛下崩御、
前年春に87歳の御誕辰日を
お迎えでした、

例年、昭和天皇祭、として
皇霊殿、武蔵野御陵墓では
厳かに祭典が行われています。





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昭和天皇は御在位62年、
大正天皇が御病弱であらせられた為
御年若くして摂政を勤められ
実質の御在位期間は
・・・・・70年近く、
それは文字通り、激動の日々・・・ながら、
神話時代を除く歴代天皇の内
後水尾天皇に次ぐご長寿を全うされたのです。

たとえ一万年の後にさえ
語り継がれるに違いない
誠の名君であらせられました。





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     称号を迪宮(みちのみや)、諱は裕仁(ひろひと)と命名されました
     左が三歳の陛下、右は秩父宮殿下





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       大正3年頃、海軍中尉の正装で






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      昭和11年代々木練兵場での陸軍始観兵式で御愛馬白雪号に乗られての閲兵




 
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       日華事変の勃発により開かれた御前会議、昭和13年





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       昭和20年3月10日東京大空襲直後の御視察





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       北海道千歳空港から羽田へ帰京される先帝両陛下
       9年がかりで戦後の全国を行幸されました





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       昭和27年10月16日講和条約発効後に靖国神社へ御参拝される






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       将棋の対戦をされる先帝陛下と今上陛下






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        昭和30年5月、初めての大相撲御観戦、以後大フアンになられる





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        昭和50年11月21日靖国神社御参拝






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        御在位50年を祝う式典会場で聖寿万歳






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        ダイヤモンド婚を迎えられた先帝両陛下






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        新年正月2日の一般参賀(昭和62年)






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         御田植 皇居内の農園で





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        先帝陛下の御田植えは60年にも及び
        その稔りの穂を御刈りになるのもご自身でなされ、
        収穫した新穂は伊勢神宮神嘗祭に奉呈された






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        明治天皇例祭
        明治天皇の御命日7月30日は宮中皇霊殿でご祭典が行われ
        それに先立ち明治神宮へご参拝される先帝陛下





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         昭和50年の伊勢神宮ご参拝







ご参考までに・・・・
宮中三殿で行われている年間祭典行事

宮中三殿(きゅうちゅうさんでん)は、
皇居にある、賢所(かしこどころ、けんしょ)、
皇霊殿(こうれいでん)、
神殿(しんでん)の総称。
吹上御苑の東南にあります。
      




主要祭儀一覧


1月1日
四方拝
  
早朝に天皇陛下が神嘉殿南庭で伊勢の神宮,
山陵および四方の神々をご遙拝になる年中最初の行事
     
歳旦祭  
早朝に三殿で行われる年始の祭典

1月3日  
元始祭  
年始に当たって皇位の大本と由来とを祝し,国家国民の繁栄を三殿で祈られる祭典

1月4日  
奏事始

掌典長が年始に当たって,伊勢の神宮および宮中の祭事のことを天皇陛下に申し上げる行事

1月7日

昭和天皇祭

昭和天皇の崩御相当日に皇霊殿で行われる祭典(陵所においても祭典がある。)夜は御神楽がある。

1月30日

孝明天皇例祭

孝明天皇の崩御相当日に皇霊殿で行われる祭典(陵所においても祭典がある。)

2月17日

祈年祭

三殿で行われる年穀豊穣祈願の祭典

春分の日

春季皇霊祭

春分の日に皇霊殿で行われるご先祖祭

春季神殿祭

春分の日に神殿で行われる神恩感謝の祭典

4月3日

神武天皇祭

神武天皇の崩御相当日に皇霊殿で行われる祭典(陵所においても祭典がある。)

皇霊殿御神楽

神武天皇祭の夜,特に御神楽を奉奏して神霊をなごめる祭典

6月16日

香淳皇后例祭

香淳皇后の崩御相当日に皇霊殿で行われる祭典(陵所においても祭典がある。)

6月30日

節折

天皇陛下のために行われるお祓いの行事

大祓

神嘉殿の前で,皇族をはじめ国民のために行われるお祓いの行事

7月30日

明治天皇例祭

明治天皇の崩御相当日に皇霊殿で行われる祭典(陵所においても祭典がある。)

秋分の日

秋季皇霊祭

秋分の日に皇霊殿で行われるご先祖祭

秋季神殿祭

秋分の日に神殿で行われる神恩感謝の祭典

10月17日

神嘗祭

賢所に新穀をお供えになる神恩感謝の祭典。この朝天皇陛下は神嘉殿において伊勢の神宮をご遙拝になる。

11月23日

新嘗祭

天皇陛下が,神嘉殿において新穀を皇祖はじめ神々にお供えになって,神恩を感謝された後,陛下自らもお召し上がりになる祭典。宮中恒例祭典の中の最も重要なもの。天皇陛下自らご栽培になった新穀もお供えになる。

12月中旬

賢所御神楽

夕刻から賢所に御神楽を奉奏して神霊をなごめる祭典

12月23日

天長祭

天皇陛下のお誕生日を祝して三殿で行われる祭典

12月25日

大正天皇例祭

大正天皇の崩御相当日に皇霊殿で行われる祭典(陵所においても祭典がある。)

12月31日

節折

天皇陛下のために行われるお祓いの行事

大祓

神嘉殿の前で,皇族をはじめ国民のために行われるお祓いの行事






昭和神宮建立を!!













posted by 絵師天山 at 00:13| Comment(0) | 歴史の真実

2016年01月05日

玉纏御太刀(たままきのおんたち)


伊勢神宮式年遷宮では毎回
御装束神宝調進(おんしょうぞくしんぽうちょうしん)が行われます。



その神宝の代表とも言うべき宝物がこの

玉纏御太刀(たままきのおんたち)


水晶、瑠璃、琥珀、瑪瑙(めのう)など、
国産の玉石を精緻に鏤(ちりば)めた色鮮やかさ。








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神宮の御装束神宝調進では遷宮時に合計60柄の御太刀が調達されるが、中でも最も華麗で重厚な装飾を施されているのがこの太刀である。金具では、柄に10個の小鈴を付けた金銅の輪金(わがね)と冑金(かぶとがね)をつけ、鞘には先端が足居緒(あしずえお)に連なる前後の山形金(やまがたがね)、帯取足金(おびとりあしがね)、志波利金(しばりがね)、桶尻金(おけじりがね)などを備えている。金具の上の要所には水晶、瑠璃、琥珀、瑪瑙をちりばめ、また各金具の間の鞘上には300丸の5色の吹玉を纏っていて、これらの玉を纏う姿から「玉纏(たままき)」の名がある所以とされている。この太刀は実践の太刀の形式ではなく、儀礼のための飾太刀に属していて、太刀身は長さが3尺5寸(106.5cm)と長身で、無反り切り刃造、刃文が直刃焼詰鋩子(やきづめぼうし)の仕様は神宝太刀身の全てに同様である。太刀には金銅の鮒形一雙が付属する。また、錦袋には、体繧繝文錦(だいうんげんもんにしき)の裂地に緋村濃平組(ひのむらごひらぐみ)の伏組(ふせぐみ)が施されている。



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平緒(ひらお)は、太刀を佩く帯で、全長370センチ、幅12センチあり平安後期に現れた簡便な切平緒ではなく、古性による長いまま一条の続平緒になっている。平緒の上には孔雀、鸚鵡、草花の紋様による全部15丈の色鮮やかな刺繍が配されていて、精緻な糸使いで丹念に繍い上げられている。(神宮神宝図録図版解説より抜粋)




この作品は第59回神宮式年遷宮の折に調進されたもの。

コチラは同じく?
ぬぁんと、
鎌倉時代!!!!・・・
・・・・に、調進されたもの





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勿論平緒などはすでに朽ち果てていますけれども、
御太刀は立派に遺されて・・・・


明治以前までは、撤下した神宝類の
燃えるものは燃やし、
他は土中に埋封しました。


なぜ?
神のお使いなされた御料だから
人の手に渡るのは畏れ多いとの考えから・・・


近代以降のものは
神宝収蔵庫に厳重に保管されています。



毎度、
1576点に及ぶ
御装束神宝の調進・・・・


悠久の歴史の上に
始めて成立した
神宮式年遷宮・・・・・・・こそ

文化そのものであり、

ナンであれ、
日本以外の文物文化は
文化?  
などと名付けるに値しないものばかり・・・

虚偽とねつ造で弱肉強食世界を正当化させたい・・
だけのものなのであります。


何故に、日本人はそれが解らないのでしょうか・・・・
何故のオリンピック賛仰
何故の海外旅行熱
何故の自虐・・・・


何故の・・・・



ゴッホ礼賛

フエルメール通い・・・

メリケン、バテレン追従・・・

etc.・・・・
etc.・・・・











posted by 絵師天山 at 03:00| Comment(0) | 日本ならでは

2016年01月04日

鷹狩りショー!!

正月3日の昨日は浜離宮庭園へ、
行ってきました。


正式には諏訪流放鷹術(すわりゅうほうようじゅつ)の実演


いわゆる鷹匠ショー!!

メインイベントとして、
200メートルもの高層ビル屋上より
放たれた鷹が生き餌の白バトめがけて直滑降で襲いかかる・・・


と云うもの。

飼いならされた鷹は鷹匠の意のままに操られ
精悍なまなざしと美しいその姿を惜しげもなく
一万人を超す観客の前に披露してくださる・・・
勿論庭園入場料300円、だけ。
もう20年以上も続けて下さっているのです。







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もうここ数年毎年三日には浜離宮へ出かけては
一富士二鷹三茄子・・・を実行中。

電車の中で富士山を拝んで、
帰りにいっぱいヤル時に、ナスのお漬け物を・・・


鷹匠ショーのついでに
足を延ばし
日比谷公園前まで浜離宮から歩き、
例の箱根駅伝復路ゴール間際、
スバラしい快速力で走り抜ける最終走者たちを
見送る・・・・正月の恒例コースになっています。


鷹狩りは野生の鳥獣を
飼いならした鷹を放って捕える
古よりの伝統芸・・・


芸?と言ってはなんだが、
きめ細かく、愛情深く、自然と上手く折りあって
八百萬の神々たちと共に暮らしてきた日本人には、
実にスバラシイ生活の知恵でありました、
今でもマタギさえ生き残っていますけれど、
牛や豚を養殖して食にあり付く・・
という観念からすれば、
前時代的ともいえるけれど
いやいや、決して古臭いものではなく
実質自然を大切に調和しながら
人生を楽しく送ろうとする
日本人ならではの放鷹術なのですね。


世界広しといえども
現在まで続いている放鷹術は数えるほど・・
しかも、日本人みたいに芸術の域に高めて
用の目的だけではなく、
古式を大切に継承しようと努力するのは
勿論、日本人だけ。


上の写真は
第16代鷹師であり
宮内省鷹匠であった花見薫師を継いだ
第17代・・・・諏訪流鷹匠のお家元
下の写真は第18代目だそうで、
コチラは
妙麗なる女性・・・・
御時世ですねぇ




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本業なのか、?
本業は、他におありになるのか?
存じ・・・ませんが、
何れにせよ鷹と寝食を共に過ごさねばならず、
とても片手間でできる技ではありません。

元は
野生の鷹を育てるところから始める訳で、
イザ放鷹術として
自在に操る所まで訓練するのは
並大抵の努力ではないはず。
エサを与えずに、餓死寸前まで追い込み、
主への従順を教える・・・
誇り高い鷹の性質を熟知しての
根競べであろうかと思われるのです。

鳥打帽(とりうちぼう)
野袢纏(のばんてん)
地下足袋(じかたび)・・・・
合理とシャレ気とがマッチした
スタイルもなかなか・・・
良いもんです!!




それにしても放鷹術メインイベントが
電通ビル屋上に特設されたステージから・・
とは、・・・・・
オリンピック利権で
軽く見積もっても
2000億円の臨時収入
・・・・・があるらしい電通様の
・・・・・
余裕のご対応かと・・・・・









罪滅ぼし・・・・?
できた?なんて思うなよ・・・・












posted by 絵師天山 at 12:17| Comment(0) | 日本ならでは

2016年01月03日

北上鬼剣舞(おにけんばい)

1月1〜3日(金〜日)、岩手県北上市二子町の二子鬼剣舞保存会による伝統の鬼剣舞が行われます。野外での演舞のためチケットなどは不要です。・・・・という案内に釣られて、正月二日、六本木のサントリーホール前へ出かけました。

ここ数年、夏になると岩手県へ取材旅行を重ねており、
かの、早池峰神楽を見るのがメイン、・・・
ですが、・・・北上市内で開催される東北芸能祭も見逃せない・・・

そこで、この鬼剣舞(おにけんばい)にも圧倒されて
深く魅せられてしまったのです。






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知る人ぞ知るこの鬼剣舞、
日本人ならではの誇りと勇気とを
メイッパイいただけます!!!
それはそれはスバラシイ!






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年末にもお台場で鬼剣舞のオンステージがあり
早池峰神楽と共に、東京のメジャーな会場での公演
それほど知られてはいないようだけれど
根強い人気があり、
始めて見る人は必ず100パーセント??
魅了されてしまう
不思議なパワーが秘められています。






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今日サントリーホールでは、
ニューイヤーズコンサートが開催され、
有名なウイーンフィルが来日、
例によって
シュトラウスなどワルツ系のオーケストラで
お楽しみ・・・という訳で、
その会場入り口で
無料の鬼剣舞公演が友情開催された・・・・
のでありました。


聞けば北上市が、かの東北大震災で打撃を受けた時に
以前北上市でコンサートを開催したウイーンフィルが
御見舞を差し上げたとか・・・で
御互いに交流があったのが、
今回の公演に結びついた、・・・・とか。

まあ、事情はどうあれ、
ウイーンフィルも正月早々わざわざ
来日して出稼ぎに来る・・・くらいであり
日本人の柔軟な文化受容能力によって
オーストリア人はタイヘン潤っている、ので、
その公演会場入り口では
日本伝統文化の雛型ともいえる
鬼剣舞が、タダで?
その見事な舞を魅せ
芳情にお応えしていた・・・・



そもそも鬼剣舞(おにけんばい)は
へんばい【反閇】という、
大地を踏みしめて、祓い清めを行う為の舞楽・・・
足踏み、みたいなものですが、
お相撲さんが『四股を踏む』・・のも
へんばい【反閇】の一種類ですから
非常に古く太古の太古の・・・
大昔から続けられてきた
天地の浄め技・・・・なんで、
そこに武道が加わった・・・
鬼による邪気払い・・・という様なもの。


鬼神となって魑魅魍魎を払い除き
罪ケガれを吹き払う・・・

正月に獅子舞をやるのと
全く同根・・・・・



知ってか知らずか・・・・・?、
ウイーンフィルニューイヤーズコンサートの
高額チケットを手に入れて
選ばれし者風に、
誇らしげに・・・・
サントリーホール・・・サマに入場する
半ボケ日本人は、
へんばい【反閇】の威力に
感応出来たのか?どうか・・・


正月から金払ってまで異国のワルツを聴くことが
先進文化である・・・
と思い込んだ日本人が
自分のアホさ加減に気付くこともなく

鬼剣舞(おにけんばい)を横目にしつつ
通り過ぎてゆくのでありました。


私の方は大満足で
明日の鬼剣舞も行っちゃおうかなー・・・・・
と考えながら家路に急ぐ、
残りもののオセチもあるし・・・
戴いた日本酒もまだ残ってるので・・・












posted by 絵師天山 at 02:00| Comment(0) | 日本ならでは

2016年01月02日

神宮徴古館リニューアル


先の第62回伊勢神宮式年遷宮を記念して
【日本神代絵巻】を描き、奉納させていただきましたが、
20メートルを超える大作絵巻を収蔵してくださっているのが
伊勢神宮の神宮徴古館。


明治42年創建のこの施設が耐震工事を伴うリニューアルを終え、新たに開館しました。






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『お伊勢さんの博物館』として親しまれている
神宮徴古館は外宮と内宮のほぼ中間地点、
倉田山とよばれる緑豊かな丘陵にあります。


一帯は皇學館大學はじめ市内の高校などが点在する文教地区で、
天照大神様を伊勢へ導かれた倭姫命を御まつりする
皇大神宮別宮倭姫宮のそばには、
神宮徴古館、農業館、神宮美術館が集まっているのです。


一生に一度は伊勢神宮にご参拝したい・・のは
誰でも・・・日本人の通有性。
だが、さらに足を延ばして数多ある別宮詣りとか、
徴古館、農業館などの施設を訪れる人は・・・・なかなか。

広大な伊勢神宮の全てを味わう事はとても大変ですけれど
そんな余裕が欲しいもの・・・
勿論おかげ横丁の美食も見逃せません・・・


神宮徴古館は
『歴史と文化の総合博物館』として
≪神苑会≫の企画により
明治42年9月29日に日本最初の私立博物館として創設されました。


ルネッサンス式の建物は、当時の宮廷建築の第一人者、片山東熊(かたやまとうくま)の設計。

≪神苑会≫は、神宮の神域に民家が接近し、火災等のおそれも多くなった明治19年に、神苑の清浄と美観を守るとともに、博物館などの文化施設の開設を目的に発足。明治22年には有栖川宮幟仁親王殿下(ありすがわのみやたるひとしんのう)を初代総裁にいただき、明治天皇の御手許金御下賜を始め、全国有志の協賛を得て、国家的な規模で神苑整備事業を推進。明治44年事業目的を完遂して解散しました。

明治44年4月から神宮に移管された徴古館は、お伊勢さんの博物館として親しまれてきましたが、昭和20年の戦災により建物と収蔵品の大部分を焼失。昭和28年の第59回式年遷宮を記念して、外壁はそのままに、二階建てに改装、以来、神宮式年遷宮で大御神に奉られた御装束神宝をはじめ、国の重要文化財11点を含む、歴史考古美術工芸など一万三千点を収蔵展示。
天照大御神を歴代天皇がおまつりされてこられた由緒により、皇室との深い関わりを伝える資料も収蔵されて来たのです。





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         (リニューアル前の外観)




徴古館の向かいにある神宮美術館の庭園や辺りの苑地も整備され『倭姫文化の森』と名付けて、遊歩道など四季折々の美しさが期待されます。初詣には最高のコース!!






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           オープニング式典





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          昨年冬、遷宮が行われたばかりの倭姫宮






posted by 絵師天山 at 02:00| Comment(0) | 伊勢神宮奉納記念展

2015年12月31日

魅惑の百人一首 98   従二位家隆 (じゅにいかりゅう)


【従二位家隆】(じゅにいかりゅう)

風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける

   かぜそよぐならのおがわのゆうぐれはみそぎぞなつのしるしなりける





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            (天山書画)






「ならの小川」は、風にそよぐ楢の葉と京都上賀茂神社近くの小川(御手洗川)とが掛けてあり、
「みそぎ」は、禊ぎ、で夏越の祓(なごしのはらえ)、の事。
茅の輪くぐりですね。
「夕暮れ」と言えば、秋が定番ですが、ここは初夏であり、
夏越の祓えの季節なのに楢の葉を揺らす風の夕べがステキ!
と、詠じたのであります。


先回の定家に比べ、何とも素直な
夏を迎える夕べのささやかな感傷が
実に良く表現されております。


家隆は定家と並び称せられ
後鳥羽院様に深く信任されて
新古今和歌集撰者の一人となりました。


上賀茂神社に於ける
夏越の祓は、無くてはならぬ行事。


半年分の罪穢(つみけがれ)を洗い浄めてもらわねば
後の半年暮らしてゆけぬ!!!・・・
くらいの重要祭典なのであり、
現代人の方こそ、それを忘れ去ってしまった!
・・・と云う訳で、夏越の祓
夏越しの大祓(おおはらえ)・・・・
という言葉から受ける古人の印象は
清々しさそのもの。

ナンです!!

いかなるケガレもふっ飛ばす!


伊勢神宮に初めて参拝された方は悉く
その、清らかさに打たれる、ので、
中にはこの参道を掃き清めるだけの生涯をも
不足には感じない!

と、思ってしまう人さえ居るくらい。


祓い浄め、は古来日本人通有の欠くべからざる心情でありまして、この詠にはそんな心持が漲っているのであります。


新緑の季節が過ぎ、
しっかりとした常緑の葉が爽風に揺れる


そのイメージだけでもう、
清新極まる気分・・・・・


秋ではないけれど、
夕暮れは殊のほか宜しい・・・と詠じたのも頷ける。


定家もこの家隆には、一目置いていたようで、
自分の作は
取ってつけたような技巧で溢れ返ってしまうのに
家隆は、常に、率直。
素直な詠嘆・・・


ちょっと羨ましかったのかも・・・
実質上の百人一首の〆にこの歌を持って来たのでした。



さて、残るは二首、
かの後鳥羽院と順徳帝のみ・・・・





posted by 絵師天山 at 03:00| Comment(0) | 百人一首

2015年12月30日

魅惑の百人一首 97  権中納言定家 (ごんちゅうなごんていか)


【権中納言定家】(ごんちゅうなごんていか)

来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ

   こぬひとをまつほのうらのゆうなぎにやくやもしおのみもこがれつつ





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              (天山書画)





「まつほの浦」は、淡路島北端の浜で「待つ」に掛かる。
「焼くや藻塩の」は、海藻に海水を何度も汲みかけ、塩分を多く付着させて乾かし焼いて後水に溶かし、上澄みを煮詰めて塩を採取すること。
「こがれ」は、藻塩の火が焼け焦がれると、思いこがれるとに掛かる。


本歌は万葉集の長歌

淡路島松帆の浦に・・・・
夕なぎに藻塩焼きつつあま乙女・・・・


から。

凝らしに凝らした
選りすぐりの技巧でこねくり回した歌であり、
正岡子規などが舌打ちしかねないような、
所謂『造られた』系の典型例。
と、言えましょうか・・・?


職業歌人でしか詠めない、
テクニカルなる和歌であるとは思うけれど、
深い味わい・・?でもなければ、
感動して言葉も出ない・・・訳でもない・・・・
思わず知らず魅せられてしまう、でもなし、・・・・
後鳥羽院様などは、・・・
定家のこういう小手先の技巧的作品を
若干、バカにしていたのではなかろうか?
・・と、さえ思われるのであります。

何の先入観もない処に、
心からなる素直な詠嘆が言の葉として響き出で、
思わずウットリさせられるのが和歌の魅力!・・・
・・・であるとすれば、
なるほど明解答、百点満点・・・
かも知れないけれど、・・・
ちっとも面白くはない。
・・・という感じに止まるのです。ネ。


少々辛口に過ぎるかも知れません。
とても、こんなに上手く詠えない、・・でしょうが、

「藻塩焼く」という情景が
思い浮かばない現代人として尚のこと、
もっと素直に詠めんのかなぁ?!
・・・・と言いたくなってしまう。
百人一首の産みの親である大天才でありますけれど、
だからこそ、
少し残念な気がしてしまう。

しかし、
オマエの勉強が足りていないから・・サ

と、
定家卿はおっしゃるに違いありません。


もっと詳しく本歌を挙げれば

名寸隅(なきすみ)の 舟瀬ゆ見ゆる
淡路島 松帆の浦に
朝なぎに 玉藻刈りつつ
夕なぎに 藻塩焼きつつ
海人娘女(あまをとめ) ありとは聞けど
見に行かむ よしのなければ
ますらをの 心はなしに
手弱女(たわやめ)の 思ひたわみて
たもとほり 我れはぞ恋ふる 舟楫(ふなかぢ)をなみ

  〜笠金村(かさのかなむら)


ネ!

恋い焦がれている思い人の処へ
漕ぎ渡る手立てもなくただただウロウロ・・
オロオロ・・・、
嘆いているだけの男の慕情が、
実に良く伝わってくるじゃありませんか!


誰にも覚えがある様に
恋は憂きものである・・ことを共感させる
スバラシイこの長歌を承けて、
「来ぬ人=男」を待っている
「海人乙女=女」の立場に見立てて
・・詠った・・・・・ところに
新鮮な工夫があって、
さすがは定家卿
当時抜群の高い評価を得た自信作でありました。

この歌は、
謡曲中の白眉とされる「松風」に、
そのままの形で採用されており、
このパートを謡うのは謡い好きの醍醐味とされ、
私も洩れずに大好きですが・・・
(へたくそでも良い気分で謡えるところ・・・だし・・)

それでもこの和歌はなぜか

素直に楽しめない。






posted by 絵師天山 at 03:00| Comment(0) | 百人一首

2015年12月29日

魅惑の百人一首 96 入道前太政大臣 (にゅうどうさきのだじょうだいじん)


【入道前太政大臣】(にゅうどうさきのだじょうだいじん)


花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり

   はなさそうあらしのにわのゆきならでふりゆくものはわがみなりけり





          入道前太政大臣.jpg
           (天山書画)






初老を迎えた上司が二次会でカラオケ・・
決まって歌う『マイウエイ』・・・
そんな時代も今は昔。
年経て・・桜の花の散り際の良さに
感懐を覚えるのは、
いささかでも功成り名遂げた人の常なのでありましょう。

入道前太政大臣とは、藤原公経(きんつね)のこと。
西園寺公経とも言います。
百人一首撰者藤原定家の妻はこの御方の姉上様。
定家にとっては義理の弟君が権勢並ぶ者のない地位を得た人でありました。
従一位太政大臣にまで登りつめたについては理由がありまして、この西園寺公経の妻はかの源頼朝の妹婿である一条能保の娘、なのであり、当然西園寺公経は親幕派貴族であると見做されて後鳥羽院以下大方の貴族からは嫌われ通しでしたが、承久の乱の後は、それが却って幸いし、西園寺家が栄える基礎を導き出すことに・・・・
何しろ、この後、昭和初期に至るまで、或る意味で、西園寺家は日本の政財界のドンであり続けたのですから、功成り名遂げた人として、散りゆく桜花に老いの身を詠嘆する余裕があったことは間違いないところでありましょう。


定家もその辺のところはぬかりなく
長いものには巻かれて??
権力者としての扱いをせねば・・・と
96番目に持ってきたのであります・・・
百首に厳選したのに、まあ、これも入れておかねば・・・
で、ラスマイのちょっと手前に持ってくるより他無かった??



「ふりゆく」には、降り行くと古り行く=老いぼれる・・
が掛けられています、年寄りの要らざる一言・・・?
みたいなな詠ですけれど、
義理の兄として弟様からは
色々と、優遇?があったのでしょうから、

・・・無碍にも出来ず、外す? わけにもゆかず

おそらくは、定家自身の指導のもとに詠った歌だし

このあとにはご自分の詠が続くわけで・・・

思いあがっているほどではないが・・・・

ちょっと、道長の和歌に似てますね・・・・・




posted by 絵師天山 at 03:00| Comment(0) | 百人一首