明治神宮外苑、青山から続く銀杏並木のその先、
視点の定まる所に聖徳記念絵画館はあります。
秋たけなわ、銀杏が黄金色に染まる頃、この有名な並木道を歩いたことがある方は多いはず、
ですが、遠近法の消失点にある中央奥の建物が絵画館であることを知る人は少なく、
神宮球場や国立競技場、ラグビー場、等々、外苑周辺の施設を利用する大勢の人々も、通りがかる沢山の人々も、その殆どは明治神宮外苑のシンボルこそ、この
聖徳記念絵画館だ!・・という事は知らない。
勿論、入ったこともなければ、関心を持ったこともなく、
そう言われれば、・・・そんな建物があったか??
まして聖徳記念絵画館の存在意味など知る由もないのが現代人一般の傾向でありましょう。
しかしながら、この聖徳記念絵画館には日本という特別な国のその特別である本当の意味が、込められているのです。

案内のパンフレットには・・・・
明治神宮外苑の中心的な建造物、聖徳記念絵画館は、明治天皇・昭憲皇太后お二方の御事績を永く後世に伝えることを目的として建設され、建物の着工から全壁画の完成まで、約20年の歳月を費やしました。
館内には、延べ250メートルの壁面に、明治天皇・昭憲皇太后お二方bの御一代の御事績を描いた縦3メートル、横2,7メートルの絵画80枚が、年代順に展示されております。絵画はすべて、当代一流の画家が、史実に基づき、心血を注いで描きあげたものであり、いづれも、芸術的価値の高い歴史的史料であり、また世界に誇る文化財であります。これを巡覧すれば、御治世46年の間、国運発展の原動力となられた明治天皇・昭憲皇太后の御聖徳と、偉大な御事績を目のあたりに仰ぎ見ることができ、また驚くべき速さで近代国家へと発展しつつある明治期の躍進の姿を偲ぶことができます。
驚くべき速さ、・・早さばかりではなく驚異的な“質の高さ”・・で
日本という国家がユダヤ・アングロサクソン(=白人社会)の流儀を取り入れ、所謂
“近代国家”へと変貌したその本質は、明治天皇というリーダーを戴いた故であり、
今尚この絵画館はその事を雄弁に語り続けています。
明治時代という極めて困難な時代に明治天皇という稀有なる一大英傑を得たことが日本にとって、
引いては世界にとって、どれくらい重要であったか、・・・
現代人の多くは知る由もなく、
多くの国民がその事実に気付かない、・・・否、
気づこうともしないことこそが、今日のあらゆる混迷を生み出す元凶である、・・と言っても過言ではないでしょう。
歴史とは常に勝者が塗り替えるものであり、明治天皇のご事績を無視するところから始められた戦後が、混迷の坂道を転がり続けるのも当然かも知れません。
偶然に・・・タマタマ、困難な時代に英傑が現れたのか?
いえ、決してそうではなく、
難局を越えるべき時には、越えるべき必要を痛感し実行できる存在が相応に産まれ出る!!!
・・・のが日本という不思議な国家であります。
それはともかく、
11月3日を“文化の日”と制定し、
“明治節”とは言わなくなった。いや、言ってはいけなかった。
救国の英雄の誕生日を曖昧に塗りつぶし、
日本の日本たる所以から目を背ける様、
国家ぐるみで反国家を唱える摩訶不思議な時代相に不審すら感じない。
・・・どころか、“明治節”を唱えたがる方が誤っているという、
オカシナ国民性?が幅を利かせた。
しかし、
この聖徳記念絵画館は静かに、
黙しつつ、
昨今の世相に反駁することもなく・・・
真実のみを伝えているのです。
平成の絵師として、聖徳記念絵画館に掲げられている数々の作品を語り遺すことも無意味ではないでしょう。
新シリーズ・・・・どうぞお付き合いください。
日本画40点、油絵40点の構成。
一点が3メートル×2、7メートル、という大作。全80点!!!
見ごたえは充分!
絵画ならではの魅力に溢れています。
報道写真とか、動画とか、映像媒体では得られない味わいがあるのですね。
当代一流の画家達を動員。
・・・・・・なのに
横山大観の作品は??
・・・なぜ無いの?
・・・・・・・
語り始めはこのあたりから。
★
御存じの方も居られましょうが、
横山大観は水戸の生まれ、先祖代々勤皇の心篤く、
先の大戦では、自身の作品の売上金で
陸軍、海軍に戦闘機を献納するくらい愛国心の強い人だった!
終戦後戦犯に問われかねなかったところ、
色々と蔭から助けてくれる方があって、何とか免れた・・・が、
帝国技芸員などの公職は自ら降りた・・・
そういう画家です。
私の属する院展が今日まで続いているのは勿論創立者の代表とも言うべき
大観先生の御蔭。
日本画が滅びゆくかに見える世相であっても大観先生の偉大なる画業は
若い人にも共感され、今なお盲を啓く砦となっております。
つまり、
明治天皇の偉大なる御事績を絵画化する・・・という
聖徳記念絵画館の企画は、大観先生にとっても
願ってもない“させていただきたい仕事”であり
是非ぜひ参加したかった。
が、
つづく
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