大相撲九州場所。
終わって見れば予想だにしなかった小結貴景勝の優勝!
弱冠22歳、芦屋生まれのボンボン?
・・・・様なのに
小さい時からスパルタの父に仕込まれて、
貴乃花部屋に入門。
貴乃花親方の薫陶を得て
此の度の驚きの結果が生まれた!
相撲界を追われる様に引退した貴乃花親方
引退直後に愛弟子が番狂わせの優勝・・・・・
これはつまり、番狂わせではなく
当然起こるべくして起きた大どんでん返し・・・
だと、私は思うのです。
由緒ある主要資産の一等地をさっさと売り払い
従業員の首を撥ねまくって赤字会社が黒字に転じる・・・
そりゃあ、当たり前のこと・・・で
詐欺師をわざわざ外国から連れてこなくても
誰でも出来る・・・・
詐欺氏のお財布になり下がった日産
・・・・と同じく
横綱も大関も休場、・・・だから小結が優勝しても当然・・・
なのか?・・・というと決してそうではなく
同じ次元で語る事は出来ないかも知れませんが
日本の国の病巣という観点からすれば
全く同じ根っ子を感じるのは
私ばかりではなさそう・・・・
以前、小さくないのに小錦というしこ名の外国人力士が
入幕早々、大横綱千代の富士を力任せに土俵外に、文字通り、ふっ飛ばして以来、
傍若無人、力任せ、体力勝負、の外人関取に
大相撲そのものが乗っ取られ、
結果だけ手段を選ばずに追い求める風潮に
拍車がかかって、相撲ファン不在の土俵が
何年も続いた・・・
そこへ、救世主のように現れ
君臨したのが貴乃花でありました。
彼は身を以って国技を国技たらしめた・・・
不世出の名横綱ではありましたけれど
現役引退後はまたぞろ
傍若無人、力任せ、体力勝負、の外人関取の天下に・・
いつの時代でも
根本の病巣に気がつかない凡人が多いので
その時にしか通用しない社会風潮に流される。
日産も外国人連れてこなくてはやってられないほど
腐りきっていた・・・のかも知れない。
が、・・・
貴乃花を追い出すことを是とする風潮が
相撲界にあったのかも知れない。
が、・・・・・了見違いも甚だしい。
結果よりも
内在する“必然的な普遍性”を大切にするのが
日本人の美徳。
実は日本人でなくてもその方が人としては幸せ・・・ですが
つい、人は誰でも、結果を優先してしまい易い
長期的な展望より目先の結果に囚われる
囚われた結果、一時はそれで良いけれど
時と共に、
幸せからは・・・遠ざかる・・・・
貴乃花親方の愛弟子、貴景勝の優勝は、
ホントに大切にしなければならないこと
こそ、が最優先であることを
体で覚えさせられた人、が幸せになった・・・・・
のであります。
NHKは大相撲解説者に貴乃花親方を加える!
という英断をしてこそ国営放送と言えるでしょう。
エヌエイチケーと書いて北京放送東京支部と読む?
のではダメ・・・・です。
2018年11月26日
貴乃花親方
posted by 絵師天山 at 17:30| Comment(0)
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2018年11月01日
靖国の精神史
読書の秋、著者謹呈をいただいて、
表題の本 【靖国の精神史】
なる新刊本(PHP新書・小堀桂一郎著)を読了。
久しぶりのブログ更新にはこの新刊本のお話から・・・・

まず、前文より
*
十九世紀中葉は、東アジアにおける国際関係の激動期だった。
この激しい嵐の風浪に翻弄されながらも、辛うじて国民国家としての自立と国際環境への適応を全うし得た明治の日本にとって、その適応に払った犠牲の記念碑のごとき東京招魂社が、国家的公共性を本質とする宗教施設となったのは、当然のことだった。
しかし、それから百年の二十世紀中葉になると、世界中で国民国家という存在自体が、その神聖不可侵を自明の前提とし得るような環境ではなくなっていた。勢い、靖国神社という宗教施設もまた、国家的公共性という基盤を自明のものとしてそこに安住することは難しい、と見る見方が生じてきた。
そのような難しい時代の到来に直面して、ここで改めて考えておきたいのは、靖国神社という聖なる施設を成立せしめている国民の精神的な根拠は、そもそも何なのか、ということである。この設問に今一度重ねて考察を施し、靖国の思想とでも呼ぶべき一系の理念体系に、日本人の精神史という深い脈絡の中での然るべき位置づけを試みる、という作業が要請される。
本書はその試みのとりあえずの一つの報告書であるが、如上の設問に本書を以ってどの程度まで答え得ているか、結果は偏に読者諸賢の御判定に俟つより他はない。
・・・・・・・・とあり、
靖国神社の御創建時の呼称、東京招魂社が、現在の九段坂上に建立された明治二年から数え、来年六月には、満百五十年、という節目。正にタイムリー。
発刊の意義は大いにありましょう。
今年の春季例大祭での小堀新宮司のご挨拶に、【戦後】という意識すら急速に無くなりつつある現代にあってこの神社を守り続けてゆく模索を真摯に始めようと・・・、との抱負?懸念?・・・も、もっともなことで、終戦後の昭和二十一年から始まった占領政策の迫害は、国家によって保護されてきた靖国神社を単立の一宗教法人として経営・保全されるより他無い存在に貶め、さらなる理不尽な外圧をも加えられて、総理大臣の靖国参拝は公人としては違憲だが私人ならば容認される、などという愚かしい屁理屈さえ生まれたのは、靖国神社への執拗な敵意を日本人の中に見出し育成するという情報宣伝工作が見事に成功したほんの一例に過ぎません。
小堀新宮司は、伊勢神宮に長くご奉仕された方で、先頃、奇禍のため退任されたのは実に惜しい事でした、
今日ご紹介する新刊【靖国の精神史】の著者は小堀桂一郎先生でありますが、小堀宮司とはたまたま、苗字が同じだけの関係だそうです。
第一章 英霊祭祀の原型理念
第二章 守護神崇敬の源流
第三章 国家意識の形成ー遡及的考察
第四章 国家意識の熟成ー内発的要因
第五章 歴史の記憶ーその蓄積と再生
靖国神社という聖なる施設を成立せしめている国民の精神的な根拠は、そもそも何なのか、・・・
靖国の思想とでも呼ぶべき一系の理念体系に、・・・・・
日本人の精神史という深い脈絡の中での然るべき位置づけを試みる・・・・
それはそれは、水も漏らさぬあらゆる方向性を完備した体系化。驚きの全五章!!
是非ご一読を!
posted by 絵師天山 at 23:37| Comment(0)
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2018年07月06日
岸 昭夫 名人
まあ、騙されたと思って、ユーチューブで
岸昭夫名人の動画をご覧ください!
東北は山形県最上地方。
母なる大河最上川の名勝“最上峡芭蕉ライン観光”
江戸の昔、かの松尾芭蕉が奥の細道紀行の折、
最上峡を船で下って、酒田へ出た、
・・・さみだれをあつめてはやし最上川・・・・
先日所要があって、山形、秋田へ出張、
以前はちょいちょい写生取材の為に、全国あちらこちらへ
出かけたのですが、60歳を超えるあたりからは、
もっぱら古典を読みふけり、
有職故実などに凝り始め・・・
富士山以外は積極的に出歩かなくなっておりましたが
仕事などで訪れた地がどこも素敵で、幾度訪ねても
折り折に面白みがあり、スケッチする程でもないが
興味はソソラレル・・・・という日々。
が、今回の東北の旅は、緑イッパイ!
そして特別に旅情を慰めてくれたのが
この岸昭夫大名人唄うところの【最上川舟唄】でありました。
ヨーイさのマカショ
えーンやこらマーカセー・・・
「岸昭夫」の画像検索結果 140×161 - blf.co.jp.URL
肖像権などありますので、岸昭夫名人の素顔はご自身で検索、動画は必ず観て下さい!!ね!!
陸奥=みちのく、またの名を『奥の細道』、
都会の初夏は、コチラではまだ春の装い・・だったり・・・

ブナが主役の森もまだ木の芽どき・・・
雪解けの水が清冽・・・・・

それはそれは、見ごたえ満載

この瀧は、鳥海山からの厖大なる水から生まれています・・・
その水域には特別豊かなな植生が広がる・・・
これは桂の大木の芽吹き・・・

鳥海山は、秋田県と山形県をマタガル東北随一の名峰。
日本海側にせり出している独立峰なので、四季の変化が強烈。
特に冬は断固たる厳しさ・・・・・

山頂へは簡単に行けないが、夏スキーなど楽しむには八合目の鉾立(ほこだて)まで車で行ける。
なんと!日本海に沈む夕日と東から昇る月とを同時に眺めることができます。



日本海に沈む夕日は水面を染め尽くす・・・
忘れられない、印象・・
山形県中央に聳える名峰【月山】もすぐそこに見える・・・し

それはそれは素晴らしい景観なので、
三泊五日の香港なんかまるで問題外!!
ワイハー論外!!!個人の感想です・・・
その他、秋田では
レオナルド藤田の超大作やら
ユーゲニズムの岡田謙三とか、
・・昔懐かしい巨匠達と久しぶりの再会。、
さらに、秋田蘭画の小田野尚武や、佐竹の殿様の力作を拝見。
尺八縦物の軸で、鏑木清方の美人画は白眉でした。
尚武のパトロンだった佐竹公は、実に研究熱心で、技法書までしたためておられ、
殿様業そっちのけで絵を描いていたらしい・・・
殿様だけあって、おおらかな、欲しがらない作風は見事でした。
酒田の山居倉庫では享保雛の名品が飾られて・・・・。

秋田美人、庄内美人、の言葉が
未だ実態として全国レベルであるのは
この地域の人々の文化への憧れの強さの現れ・・・
京都宮廷文化への憧敬そのもの、
つまりは日本ならでは・・・・・
posted by 絵師天山 at 10:55| Comment(0)
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2017年07月11日
フェイクニュース
随分な暑さが続いて、梅雨もどこへやら・・・
人口密集の東京周辺はもう盛夏を待たずに、
世界一不愉快な暑さに満たされている??
・・・
こんなお話、するだに暑いけれど、
しかしホント、新聞テレビ、メディアの
呆れるばかりなフェイクニュースオンパレード、は
ケシカラン領域をとっくに超えて
もはや立派な犯罪。
歴史的に見ても度を超えた大犯罪であり、
国家的世界的に見ても、比類なき大犯罪クラス
・・・に達しています。
肝心なことは何一つ語らない
嘘ではないから・・と強弁するなどは
まあ、解りやすい類だが
解りにくいのは内在された外国の利益の為の沈黙。
そしてスリ替え。
肝心なことは言わないようにする為に
クダラン事を羅列しまくる・・・
“普遍性”さえ手前ミソなる“常識”で打ち砕く、
戦後70年、オブラートに包み込んだ平和を重ねるうちに
フェイクニュースしか垂れ流さないメディアに
常に翻弄されるだけ・・・・の日本人であふれてしまった。
にもかかわらず、洗脳はされてませんと言い張る人ばかり・・
喜んでいるのは日本を常に羨望のまなざしで凝視し
虎視淡々と、メシの種としての日本を殺さず生かさず
いつまでもオイシイとこだけは吸い続けたい外国勢。
『民事訴訟法231条』をご存じでしょうか?・・これは
日本のことではなく、中国共産党が生み出したシナの新法。
民事訴訟を抱える企業の責任者を出国禁止にする。
というトンデモナイ法律。
シナに進出した外国企業が儲からなくなったとて撤退しようとしても、
シナ人従業員から待遇面などで訴えられれば、企業トップや部門責任者は出国出来なくなる。
早い話、シナからの撤退を考える企業へ、お上自ら!が嫌がらせし、お上自ら身ぐるみを剥がそうとする・・理不尽なるパワハラそのもの・・・・ヤクザの手法ですよね。いや、ヤクザだってこんな汚い真似はできない!
この悪法に合わせ、さらに「中国での就労許可を申請する外国人を三段階にランク付けする制度」も出来ました。
それは、外国人をランク付け、
A,ノーベル賞など国際的な受賞者、大企業の幹部、
B,大学卒業以上で、二年以上の実務経験がある外国企業の管理職や専門技術者。
C,その他。
A、Bランクに当たる人材をシナに送り込んだ企業が事業不振で撤退しようとしてもこの制度により、A、Bランク人材は足止め出来る・・・ので事実上撤退できなくなる。
といって、Cランク扱いになれば、政府が受け入れ拒否出来るし、居住地から追放することも出来る。つまるところシナのご都合だけに翻弄される・・・・・
まあ、大昔から、シナには人権などありませんから、
変わらない体質と言えば体質なんだが、
国内のシナ人だけがお気の毒・・・だったのが
外国人にも、及ぶ・・・・
グローバルを大声で説き、外国へのヤミクモナル接近を推奨し続けた
日本政府、日本企業、メディア
・・・・流された(洗脳されてない?)一般人
この事についてどう、説明するのですか?
少なくともNHKはゴールデンタイムに
特集を組んで、10週間連続でシナの真実を語り尽くさせていただきます!!
国際世論に問いましょうこの非道を!!!!皆さん良く聞いて下さい!!!
・・・・とやるべきでしょう。
それが国益だから。
誰がどう考えても、・・・・おかしいから、
実際、今でも一日本企業の温泉開発技術者6名が拘束されており
シナからの要請で出向いたに拘わらず、
「国家の安全を害する行為を行った」などの理由でスパイ容疑さえかけられたまま。
これはオカシイ!!と真っ先に
言うべきなのが・・・・・メディア。
ニュース解説とか時事問題番組とか
こんな重大事を話し合わずにいったい何を語る??
それが大問題なんです。
グローバルの御蔭で世界第二位の経済大国にのし上がったシナが
トランプはじめユダヤアングロサクソンによるナショナリズムへの回帰に恐れをなし、
・・・・悪あがきを始めた訳ですが、
巨大な泥船が傾き始めているにもかかわらず
ウカウカと日本政府、経団連の面々は相も変わらずシッポを振りつつ
シナへのご機嫌伺い・・・
文字通り命を捨てて日本を守った人々が居たことを
もっと真摯に語るべき、

そして、
くたばれグローバル!
くたばれ新自由主義!!!
フェイクニュースやめろ!!!!
今年の靖国神社【みたままつり】は
7月13日〜16日
天山画のボンボリ絵は【夢・小野小町】です

posted by 絵師天山 at 15:12| Comment(0)
| 日本ならでは
2017年06月17日
言挙せず(ことあげせず)

本居宣長著
古事記伝一之巻
直毘霊(なほびのみたま)より
古への大御世には、道といふ言挙(ことあ)げもさらになかりき、
故れ古語(ふること)に、あしはらの水穂の国は、言挙げせぬ国といへり、
其はただ物にゆく道こそ有りけれ、
美知(みち)とは、此の記に味御路(うましみち)と書る如く山路、野路、などの路に、御(み)てふ言を添えたるにて、ただ物にゆく路ぞ、これをおきては、上代に、道といふものはなかりしぞかし、
物のことわりあるべきすべ、萬(よろず)の教へごとをしも、何の道くれの道といふことは、異国(あだしくに)のさだなり、
異国(あだしくに)は、天照大御神の御国にあらざるが故に、
定まれる主(きみ)なくして、狭蠅(さばえ)なす神 ところを得て、
あらぶるによりて、人心あしく、ならはし みだりがはしくして、
国をし取りつれば、賤しき奴(やっこ)も、たちまち君ともなれば、
上とある人は、下なる人に奪はれじ とかまへ、下なるは、
上のひまをうかがひて、うばはむとはかりて、かたみに仇(あた)みつつ、
古より国治まりがたくなも有りける、
其が中に、威力(いきほい)あり智(さと)り深くて、人をなつけ、
人の国を奪い取りて、又人にうばはるまじき事量(ことばかり)をよくして、
しばし国をよく治めて、後の法(のり)ともなしたる人を、
もろこしには聖人とぞ云うなる、
たとへば、乱れたる世には、戦ひにならふゆゑに、
おのずから名将おほくいでくるが如く、
国の風俗あしくして、治まりがたきを、あながちに治めむとするから、
世々にそのすべをさまざま思ひめぐらし、為(し)ならひたるゆゑに、
しかかしこき人どももいできつるなりけり、
然るをこの聖人といふものは、神のごとよにすぐれて、おのづからに奇(くす)しき徳(いきほい)あるものと思ふは、ひがごとなり、
さて其の聖人どもの作りかまへて、定めおきつることをなも、道とはいふなる、
かかれば、からくににして道といふ物も、其の旨(むね)をいはむれば、ただ人の国をうばはむがためと、人に奪はるまじきかまへとの、二つにはすぎずなもある、
そもそも人の国を奪ひ取らむとはかるには、よろづに心をくだき、身をくるしめつつ、善きことのかぎりをして、諸人をなつけたる故に、聖人はまことに善人めきて聞こえ、又そのつくりおきつる道のさまも、うるはしくよろづにたらひて、めでたくは見ゆめれども、まづ己(おのれ)からその道に背きて、君をほろぼし、国をうばへるものにしあれば、みないつはりにて、まことはよき人にあらず、いともいとも悪しき人なりけり
もとよりしか穢悪(きたな)き心もて作りて、人をあざむく道なるけにや、
後の人も、うはべこそたふとみしたがひがほにもてなすめれど、まことは一人も守りつとむる人なければ、国のたすけとなることもなく、其の名のみひろごりて、つひに世に行はるることもなくて、聖人の道は、ただいたづらに、人をそしる世々の儒者(ずさ)どもの、さへづりぐさとぞなれりける、
然るに儒者(ずさ)の、ただ六経などいふ書をのみとらへて彼国(かのくに)をしも、道正しき国ぞ、といひののしるは、いたくたがへることなり、かく道といふことを作りて正すは、もと道の正しかぬが故のわざなるを、かへりてたけきことに思ひいふこそをこなれ、
そも後の人此の道のままに行なはばこそあらめ、さる人は、よよに一人だに有りがたきことは、かの国の世々の史(ふみ)どもを見てもしるき物をや、
さてその道といふ物のさまは、いかなるぞといへば、仁義礼譲孝悌忠信などいふ、こちたき名どもを、くさぐさ作り設けて、人をきびし教へおもむけむとぞすなるさるは後の世の法律を、先王の道にそむけりとて、儒者(ずさ)はそしれども、先王の道も、古の法律なるものをや、また易(やく)などいふ物をさへ作りて、いともこころ深げにいひなして、天地の理をきはめつくしたりと思ふよ、これは世人をなつけ治めむための、たばかり事ぞ
そもそも天地のことわりはしも、すべて神の御所為(みしわざ)にして、いともいとも妙(たへ)に奇(くす)しく、霊(あや)しき物にしあれば、さらに人のかぎりある智(さと)りもては、測りがたきわざなるを、いかでかよくきはめつくして知ることのあらむ、然るに聖人のいへる言をば、何ごともただ理の至極(きはみ)と、信(うけ)たふとみるをこそ愚かなれ
かくてその聖人どものしわざにならひて、後々の人どもも、よろづのことを、己がさとりもておしはかりごとするぞ、彼国のくせなる、大御国の物学びせむ人、是をよく心得をりて、ゆめから人の説になまどはされそ、
すべて彼の国は、事毎にあまりこまかに心を着(つけ)て、かにかくに論(あげつら)ひさだむる故に、なべて人の心さかしだち悪くなりて、中々に事をししこらかしつつ、いよよ国は治まりがたくのみゆくめり、
されば聖人の道は、国を治めむために作りて、かへりて国を乱すたねともなる物ぞ、すべて何わざも、大らかにして事足りぬることは、さてあるこそよけれ
故(か)れ皇国の古へは、さる言痛(こちた)き教へも何もなかりしかど、下が下までみだるることなく、天下(あめがした)は穏やかに治まりて、天津日嗣(あまつひつぎ)いや遠長(とうなが)に伝はり来坐(きま)せり、
さればかの異国の名にならひていはば、是れぞ上もなき優れたる大き道にして、実は道あるが故に道てふ言なく、道てふことなけれど、道ありしなりけり、
そをことごとしくいひあぐると、然らぬとのけぢめを思へ、
言挙げせずとは、あだし国のごと、こちたく言ひたつることなきを云ふなり、
譬(たとへ)ば才も何も、優れたる人は、
漢国(からくに)などは、道ともしきゆゑに、かへりて道々しきことをのみ云ひあへるなり
儒者(ずさ)はここをえしらで、皇国をしも、道なしとかろしむるよ、儒者(ずさ)のえしらぬは、萬に漢を尊き物に思へる心は、なほさも有りなむを、此方の物知り人さへに、是れをえさとらずて、かの道てふことある漢国をうらやみて、強ひてここにも道ありと、あらぬことどもをいひつつ争ふは、たとへば、猿どもの人を見て、毛なきぞとわらふを、人の恥じて、おのれも毛はある物をといひて、こまかなるをしひて求出(もとめいで)て見せて、あらそふが如し、
毛は無きが貴きをえしらぬ、痴れ者のしわざにあらずや・・・・・
posted by 絵師天山 at 10:39| Comment(1)
| 日本ならでは
2017年04月18日
自転車翁
以前、
滋賀県知事が
共産党系及びかつての民主党、
現在の民進党系の支援を受けた
嘉田由紀子氏となり、時を得てさらに再選され、勢いづき、
新党まで立ち上げ、国政に及ぼうとしたときに
かの悪名高き 小沢一郎氏が、現れて・・・
自らの党を解党してまでこれにくっ付き、
後に共倒れしたことは
もう忘れられた人も、知らない人も多いのでしょうけれど
実はこれが、小沢一郎氏の鮮やかなる政治手腕!
本質を見極めての“ブレなさ加減”・・・は、さすが岩手県民!
勿論、支持者も全くブレていないのにいつも驚かされますが、
それこそ東北人の粘りとド根性。
しかも一片の言上げさへ無く・・・・
そこらへんの寄せ集め?
薄っぺらな?私みたいな
都会人とはデキが違います・・・ねぇ
????
常に攻撃の的であり続けている小沢一郎氏・・・・
今だにその政治的手腕は有効に働いているのだけれど
もうスッカリ外国の御都合に支配されたメディアは
小沢氏のオの字も出さなくなった。
戦後の日本を背負って断個立ち上がったあの
田中角栄氏を葬り去ったのが他でもない
結局、日本国民自身だった!!・・・のは、
残念、惜しみてもあまりある・・・・様に・・・・・
物事の表面しか見えない?見ようとしない?
一般人はそれはそれで幸せかもしれないが
やはりそれは、幼児性が抜けていないから・・・だし
まあ、良いように騙されているだけ・・・・ですねぇ。
本当の進歩は・・・ありえません・・・・
だが、このままで済まされるハズは・・・・
ここで御紹介するのは
滋賀県知事選挙での三選を嘉田由紀子氏に阻まれた
國松善次氏。
現在は琵琶湖一周、200キロの自転車旅を毎度満喫されている爺様?であられ
英霊にこたえる会、等々、多方面のご活躍は
“国益の本質”
・・・を分かりやすく教えて下さっています。
コチラは、四月1日発行≪やすくに≫誌、掲載文
どうぞ、ご一読を。
★
『自転車で全國護国神社の参拝を終えて』 國松善次
日本人が護国神社を知らない
私の趣味にサイクリングがある。湖国と呼ばれる滋賀県に住んでいることから毎年自転車でびわ湖を一周している。一周は約200キロだが、「体力と気力」のテストを兼ねて欠かさず続けてきた。
七十五歳になった時、何か記念になることをと近隣府県の護国神社を自転車で参拝し、戦没者の慰霊と世界平和を祈願することを始めた。近畿六県が終わると欲が出て、隣の北陸三県に、また旧東海道に沿って国道一号線を箱根の峠を越えて神奈川県に入った。流石に峠は厳しく、自転車を押しての山越えとなったが、神奈川県は戦災で竣工前に神社が焼失し、全国で唯一護国神社の無い県だった。そして東京に到着、年に何度も参拝する靖国神社であったが初めて自転車で参拝した。続いて関東各県、東北各県と足を延ばし、本州最北端は弘前城公園内の青森縣護国神社に参拝。また西は中国地方を山口県まで、四国や九州は鉄道で渡り、沖縄と北海道は飛行機で空港からのサイクリングとなった。三年四か月を要したが、全道府県の護国神社五十二社を自転車で無事参拝完了した。全行程4800キロの自転車の旅となった。この時頂いた御朱印を屏風に仕立て、それも日本列島の形にして、昨年滋賀県護国神社に完成した英霊顕彰館に奉納させて頂いた。
護国神社は多くが県庁所在地にあったが、ナビのない自転車の旅ではその都度出会った人に場所を尋ねた。ところが八〜九割の人は護国神社を知らなかった。また駅の観光案内所でも尋ねたが地図に載って無かったり、知らないと言われたり、中には英霊が祀られている神社と云えば「イギリス人の霊をお祀りする神社ですか」と聞かれ大変驚いた。これでは英霊が泣いているのではと憤りを覚えた。これは戦後七十年という時間の経過で護国神社を忘れたのではない。戦後生まれはもとより戦後に学校へ入った人達も学校では勿論、家庭や地域社会で護国神社について教えられずに育ったに過ぎなかった。
戦歿者慰霊や遺骨収集は「福祉」か
八月十五日は「戦没者を慰霊し平和を祈念する日」とされ、毎年この日には天皇皇后両陛下のご臨席のもと政府主催による「全国戦没者追悼式」が武道館で挙行される。これを所管するのは厚生労働省で、社会援護局が担当している。総理を筆頭に閣僚と衆参両院議長、最高裁判所長官の三種の長をはじめ衆参両国会議員や知事会、市長会、町村会、経済団体、労働団体などの代表、そして戦争で肉親を亡くしたご遺族の代表などが全国から出席し、盛大な式典が行われている。
ところで、「戦歿者の慰霊は福祉」だろうか。
そもそも「福祉」は生存する社会的弱者を互いに助け合う社会の仕組みである。しかも慰霊の対象は、病気や交通事故、或いは地震などの自然災害による死者ではない。国家と国民の為にと戦い生命を捧げられた方々である。
従ってこの催しは「福祉」としてではなく文字通り「国防」の一環として実施されるべき行事ではないのか。本来これは防衛省が所管し、防衛大臣が天皇皇后両陛下をご先導して、両陛下ご臨席のもとに国家と国民を挙げて英霊に対し追悼と慰霊の誠を捧げ、平和を祈願する式典でなければならない。
また、今年も戦没者の遺骨収集が行われる。この事業は厚生労働省が所管し、社会、援護局の仕事となっている。加えて学生や青年の有志と遺族会など民間ボランティアの協力の下に新組織で実施される。戦後70年が過ぎてなお海外はおろか、国内、それも国会や政府がある東京都の島で自衛隊が基地としてのみ利用している硫黄島が未だ完了していないという。
これも戦没者の遺骨収集を「福祉」と捉えてきた弊害ではないのか。防衛省の所管とすれば当然防衛大臣の指揮下で災害救助と同様に訓練された自衛隊員が必要な機材をフルに駆使して効率的に作業を進められる。硫黄島であれば国内であり、堂々と自衛隊が作業を進められ、極めて短時間に完了出来ただろう。
戦没者の慰霊や遺骨収集を「福祉」と捉えてきたのはそもそも占領軍の下や占領後の再出発時の苦肉の策だった筈。それが今日も是正されずに来たのは、国民皆がそれに慣れ、正常な感覚を麻痺させてきたからだ。
今も続く「GHQ汚染
日本人は先の大戦を「太平洋戦争」と呼んでいる。しかし、日本人で太平洋戦争に参戦した人や太平洋戦争で戦死した人は一人もいない。それにも関われず、「太平洋戦争」と呼んでいるのは明らかにに占領軍が意図的に「大東亜戦争」の呼称を禁止し、アメリカ側から見た歴史の「太平洋戦争」と呼ばせたからだ。
現に私の世代は小学校で教科書の一部文言を墨で消された経験がある。
今その事実を調べると、単に歴史や社会の教科書だけではなく、国語や算数、理科、音楽などと驚くほど広範囲に墨で消されていた。日本が欧米列強の植民地支配に反抗し、アジアの解放や繁栄を目指すという「大東亜戦争」を認めたくなかったに違いない。
彼らは敵国の歴史を消し、改造することの重要性を熟知していた。それだけに実に巧みな作戦と計画を準備していた。その最たるものに「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」や「30項目の報道制限」があり、加えて「極東国際軍事裁判」がある。
何れにしも戦後七十年以上が経過した今も、占領軍が意図した日本改造作戦は生きているし、効果を発揮している。これは日本人が今もGHQの洗脳下にあり、マインドコントロールに罹ったままということである。
また先の大戦で世界地図は大きく変わった。終戦直後の1945年10月の国連発足時、加盟国は僅かに51カ国であったが、今では193カ国という。実に4倍視覚に増えている。この新規加盟国は多くが先の大戦に欧米の植民地から独立した国々である。
歴史に「もし」は許されないが、日本が欧米列国の植民地支配に反抗し、大東亜戦争を闘わなければ、植民地から独立した国は殆ど無かったか、独立は大きく遅れたに違いない。当然世界地図も今とは大きく異なった筈。
戦後の教育はそのことに触れていないし、触れることを監視しているのが戦勝国ではなく日本のマスコミや一部の政治家である。またそれを当然とするのが今の日本国民であもある。
護國神社を学校で教えなかった背景に「神道指令」があるが、同時に「政教分離」がある。そもそも「政教分離」は政治と宗教を分離する原則であるが、戦後は憲法でこれを明記し、徹底して実行した。それも政治や行政の世界だけでなく、学校教育や社会教育の現場で「宗教」を教えない。宗教の意義や役割までも徹底して排除した不幸がある。これは「政教分離」の名の下に教育から宗教を排除する「教教分離」をしたのだった。
そのお陰か慰霊が宗教的様式など無しに可能と考える日本人をそだててしまった。
靖國神社御親拝に思う
遺族の多くは総理の靖國神社参拝を期待している。勿論総理だけの先輩を期待しているのではない。国家と国民の為にと自らの命と家庭と仕事、さらには己の人生を犠牲にした戦歿者に対し、国家としてまた国民の代表として礼儀を尽くしてほしいというのが素朴な気持ちである。これは遺族の願いであると共に英霊の率直な気持ちでもあろう。
従ってこれは総理だけの役割でもなければ、特定の大臣の役割でもない。政治に関わる人、とりわけ国政を担う人すべてに課せられた役割であり、責務の一つの筈である。
そこで思うことだが、国政を預かる人は参拝の日を問わずに、兎に角一年に一度は必ず靖国神社に参拝し、戦歿者を慰霊する共に世界平和を祈願する。それも各閣僚はもとより、衆参両院の議長や各国会議員は主義主張を問わず、また最高裁判所長官もその責任において参拝するべきである。これは戦死者に対する国家の礼儀であり、国政を預かる人の責務でもある筈だ。
また各地方に於いても知事をはじめ各都道府県会議員や各市町村長、市町村議会議員が毎年護國神社の参拝を実行することである。
勿論これに対しては一部の国や一部の国民、またマスコミの間に厳しい批判が起こるだろう。しかし、これは国家、国民のために命を捧げた人々に対する礼儀であり、世界の常識である。
また戦死者を靖國神社や護國神社の祭神としてお祀りすると国民に約束したのは紛れもなく我が国家である。
従って、たとえ激しい批判があっても二年三年と継続する。或いは総理か防衛大臣などが毎月の様に参拝すれば自ずと批判は収まり、必ず定着すると思われる。批判を気にし、行動を中止するから批判がまかり通ることになる。とにかく辛抱強くこれを実行し、継続することが最も近道となる筈だ。これがまた天皇陛下御親拝に繋がることは間違いないと今私は確信する。
ともあれ色々と考えさせられる旅だった。
★
posted by 絵師天山 at 18:05| Comment(0)
| 日本ならでは
2017年03月09日
関根祥雪師逝く
観世流能楽師の関根祥六 (せきねしょうろく)師がお亡くなりになりました。
桜の便りより少し早い、二月下旬、86歳の生涯を閉じられたのです。

関根 祥六(せきね しょうろく、1930年(昭和5年)10月28日 - 2017年(平成29年)2月22日)は、
シテ方観世流能楽師。埼玉県越谷市(旧・南埼玉郡蒲生村)出身。
関根隆助の六男。兄関根直孝及び二十五世宗家観世左近に師事。
重要無形文化財「能楽」保持者(総合認定)。芸術祭優秀賞受賞。紫綬褒章受章。2002年日本芸術院賞受賞。2010年旭日小綬章受章。2016年観世流から、功績の顕著な能楽師にのみ許される「雪号」を授与され、祥雪を名乗っていた。
長男が関根祥人(2010年、50歳で急逝)。
大東亜戦争の最中、・・・
国を挙げての戦争であり
600年以上も続いてきた能の世界も逆風にさらされ
ひっそりと、表舞台からは遠ざかっていた訳ですが
観世流お家元や関係者も勿論各地へ疎開、
疎開先として自宅を提供したり、支援の手を差し伸べた
多くのフアンの御蔭で、命脈を繋ぎ、次なる
700年の歴史を刻むべく今日を迎え
観世流新能楽堂が銀座のビルの中に
移転新築、・・・正に本年、成されようとしている
このタイミングで祥雪師は逝かれたのでした。
観世流の大番頭と言われ
文字通り世阿弥の真髄を今日の世に投影し続けた
大名人であり能楽界の大黒柱であります。
ともかくお能は、日本の芸能の中心に位置しています。
歌舞伎役者も文楽の人も、舞踊家も・・・
邦楽関係者はすべからくお能を学ぶことが必須
基本中の基本だから。
源氏物語から想を得て、
歴史画というものに目覚め、近づこうと願っていた矢先、
お家元への真摯な支援者であった方の親族のお一人と昵懇となった私は
この方にお願いして関根祥雪先生(当時は祥六)をご紹介いただき
お能の手ほどきを戴くことができました。
お陰でどんなに役立ったことでしょう、
凝縮した生身の、ホンモノの芸道をまのあたりにし
間近に感じ、学び、
真摯に歩む人にのみ与えられる
天恵を私にさえ授けて下さいました・・・
先生に近付けただけで
どんなに絵の道もすすんだことしょう・・・
限りない恩義を感じ、
何一つご恩を御返し出来ず、
このお別れを迎えてしまったのは残念無念であります。
忘れもしない初めてのお稽古は
正真正銘のマンツーマン!
正坐した先生に正対し、
その御発声を辿る・・・
全くの素人であった私は
先生の第一声の
その、あまりの美しさにボー然・・・全く
声が出ない。聞き惚れて・・・
あんたが謡うんだよ!
と・・・あきれられる始末・・・
必死の10分、・・が
・・・何倍にも感じる重圧・・・・・
プロの中のプロフェッショナルに
直々に学ぶという事が、どのくらい
凄いことなのか・・・・・・・その後も
たった15分くらいのお稽古だけで
汗だく・・・足はしびれ、ヨレヨレになって
帰り道で漸く我に返る・・・・あり様。
お稽古の或る日まで予習しまくり
15分でへとへとになり
帰ってまた復習・・・さらに予習
始めのうちは仕事に差し支えるくらいでしたが
先生の美しい声と仕舞とに魅せられて、
汗だくの楽しいこと・・・・ホントに・・・
道は違うけれども、文化に携わる御同業として
こちらの無礼は数知れずあったに違いないのに
先生は私への礼節は十二分に尽くして下さいました。
院展へも御高覧下さり
励まして戴きましたが、
雑談の中にも聞き捨ててしまうには惜しいお話が随所に・・・
午年のお生まれで、誠実一途。
直線まっしぐら・・・・の芸道、
しかもご年齢と共に円熟を極め・・・
生涯忘れる事はないであろう感動を
舞台で幾度も示して下さいました。
天鼓(てんこ)という演目がありますが
先生のそれは、もう、このままずーーーーーっと
仕舞を永遠に続けてもらいたいーーーーー!!
やめないでーーーーー!!!ください!!!!
どうか終わりませんよう!!!!
心底、そう思える程・・・・・・
御子息、祥人(よしと)氏もまた
それはそれは立派なシテ方でありましたが

シナでの万博で、歌舞伎の玉三郎と京劇のメイランフアンと
楊貴妃を共演し・・・・帰国直後に急逝。
50歳、・・・正にこれから!!・・の、ご年齢でした
ホントにやさしい方なのに、舞台では・・・
善界(ぜがい)での天狗役、など正に強烈!
この世に天狗はホントに居るのだな!!
と心底思わせてくれる・・・・仏倒れの名手、
皇太子殿下の御学友・・・!。でもありました。
父として師匠として、
かけがえのない・・・
息子と弟子と同時に失った
祥雪先生の心情は察するに余りあるもので、
もう、・・・・お気の毒そのもの。
凡人には絶えられないようなこの逆境をも
お孫さん祥丸氏への期待へと塗り替えしつつ
新能楽堂の竣工を楽しみにしておられたと拝察するのです。
世阿弥以来700年。
彼も息子を早くに失って晩年は佐渡島に流され・・・逆境そのものであっただろうけれども
『初心忘れるべからず』・・・・・
日本文化の中核を成し・・・・以来700年
日本ならでは。
700年という年月を確かに
継承し続けた文化が歴然と存在し
その息吹を誰もが享受できる
不思議な不思議なこの国に
生かされている事を、改めて思うご葬儀でありました。
心より御冥福をお祈り申し上げます。
posted by 絵師天山 at 00:12| Comment(3)
| 日本ならでは
2017年02月25日
特別展 【千年の至宝・春日大社】
現在上野の東京国立博物館平成館では
特別展【千年の至宝・春日大社】を開催中です。
奈良公園の最奥・・・春日大社として親しまれて来た
春日神宮の宝物を一同に開陳!!








文字通り千年を経た宝物群ですから
他の追随を許さない質であり数・・・。
なにしろ国宝、重文だけで千点を超える規模。
如何に横山大観でも春草でも
北斎でも円山応挙でも、
酒井抱一でも、等伯でも
探幽でも、・・・・
一人の天才が成し得る事は・・・
これに比べれば・・・
大したことはありません。
千年の日本民族の集大成ですからねぇ
春日神社への尊崇がこれら宝物を産み出し
粛々と伝来し続けたのであります。
勿論その奥には厳然たる皇室への尊崇がある。
美術品として最高峰に達しているというのは
こう言うモノの事を云うのであり、
錬金術とか売名とか
お話にならないようなクダラン
【カタリの美術もどき】・・・とは訳が違う。
さすがに年月を経ているので
汚れたりヤツレたりしているのは
致し方ありませんが、
それでもメインの【春日権現霊現記絵巻】などは
今上天皇のご即位を記念して十数年間をかけて
一巻づつ丁寧に修復され面目を一新。
まさに白眉!!!
これぞヨダレもの・・・・
是を観ずに絵を志すべからず!!
これこそ規範、大和絵の基準作品
つまりは絵の本の元の基・・・
と、言う訳で
筆者はゾッコン惚れこんで何度も観に行きました
もう一度会期中に・・・・!!!



















特別展【千年の至宝・春日大社】を開催中です。
奈良公園の最奥・・・春日大社として親しまれて来た
春日神宮の宝物を一同に開陳!!








文字通り千年を経た宝物群ですから
他の追随を許さない質であり数・・・。
なにしろ国宝、重文だけで千点を超える規模。
如何に横山大観でも春草でも
北斎でも円山応挙でも、
酒井抱一でも、等伯でも
探幽でも、・・・・
一人の天才が成し得る事は・・・
これに比べれば・・・
大したことはありません。
千年の日本民族の集大成ですからねぇ
春日神社への尊崇がこれら宝物を産み出し
粛々と伝来し続けたのであります。
勿論その奥には厳然たる皇室への尊崇がある。
美術品として最高峰に達しているというのは
こう言うモノの事を云うのであり、
錬金術とか売名とか
お話にならないようなクダラン
【カタリの美術もどき】・・・とは訳が違う。
さすがに年月を経ているので
汚れたりヤツレたりしているのは
致し方ありませんが、
それでもメインの【春日権現霊現記絵巻】などは
今上天皇のご即位を記念して十数年間をかけて
一巻づつ丁寧に修復され面目を一新。
まさに白眉!!!
これぞヨダレもの・・・・
是を観ずに絵を志すべからず!!
これこそ規範、大和絵の基準作品
つまりは絵の本の元の基・・・
と、言う訳で
筆者はゾッコン惚れこんで何度も観に行きました
もう一度会期中に・・・・!!!



















posted by 絵師天山 at 14:37| Comment(0)
| 日本ならでは
2017年01月23日
横綱稀勢の里
稀勢の里が初優勝しました!!
場所前、大方の声は、
またぞろ、肝心なところで負ける・・
稀勢の里の優勝なんて永遠にあり得ない・・
などと、皮肉交じり予想・・でしたが
酉年になっての初場所
風が吹いた!!
結果は十四勝一敗の堂々たるもの。
二人の横綱と実力ある大関が休場だったけれど
それは稀勢の里の責任ではなく
先場所は三横綱さえ総なめにしての準優勝
しかも対白鳳戦三連勝中だった!
・・・し
年間最多勝利も得ていた、のであって
当然横綱昇格へとつながる成績
誰はばかることのない昇進!!
親でもないのにもらい泣きした相撲フアンは
数え切れないくらいでしょう。
確かに、今場所は初手から落ち着いていました。
磐石の勝利への意志を感じさせる立ち居振る舞いであり
筆者は秘かに、心地よく不安なく見ていられたのです。
その稀勢の里の実父が新聞社にたいしてコメントを出したのをみて
ここに掲載させていただきます。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
稀勢の里の父、萩原貞彦さん(71)は優勝を決めた瞬間を茨城県牛久市の実家で迎えた。野球少年だった長男が角界入りした後もアドバイスを送り続けた相撲好きの父は、大きな壁を乗り越えた自慢の息子へさらなる精進を期して、スポニチ本紙への手記に思いを込めた。
【写真】落ち着いた表情で仕切る稀勢の里
★
まずは先代鳴戸親方に感謝しなければなりません。草葉の陰でさぞかし喜んでくれているのが目に浮かびます。厳しい教えと薫陶を受け、そのことをしっかり受けとめ精進してきました。本当にありがとうございました。
今までの相撲人生を振り返ると順調過ぎるほど順調に来ていたと思います。周りからは幕内に入ってから伸びは鈍化し、足踏みが多かったのではないかという声が聞かれますが、関取以上は幕下以下に比べれば密度は濃く、また、三役以上はさらに密度が濃く大関ならばなおさらです。
密度の度合いを幕下以下に置き換えれば幕内に入ってからの伸長率は決して鈍ったのではなく、一歩ずつではありますが順調に来たのではないかと思っています。
よく引き合いに出ますが「上に上がるときは一気に上り詰めるもの」。歴代横綱の多くはそうであったという声が多いが「とんとん拍子の出世」はまれな例であると思います。
また、現在本人を取り巻く環境は過去の環境とは比べようもないぐらい大変な時代ではないでしょうか。戦後復興のハングリーな日本と同じ環境のモンゴル勢と、相撲史上最強と思われる白鵬が君臨し、大いに盾になっています。そういう中で日本勢対外国勢という構図が出来上がり、日本代表として日本人ファンまた関係者の期待を一身に受け、中学を卒業して相撲しか知らない純粋培養の本人にすれば病気になるぐらいの重圧を感じていました。こういった環境の中で非常によくやったと思っています。私としては大関のままでケガなく病気にならない体づくりを第一に考え、好きな相撲を長くやってもらうのが念願でした。しかしそれではお世話になった人、世間が許してはくれません。
現在の閉塞(へいそく)した時代、日本人としての気概に乏しくなった時代に伝統文化、様式美を具現化した相撲は、相撲を通じて礼儀、作法、道徳等の日本の良さを見直し、知らしめるという義務使命があるのではないでしょうか。
また、上に上り詰めたときは自分もしくは家族のためということから手を離れて、国家のため日本の伝統文化に気概を持って伝承しなければなりません。
さて、これからが大変です。今まで以上に稽古をこなし、自分を律し、より勉強して名実ともに誰からも模範になるような立派な人間になるよう努力しなければなりません。
そういった意味で「おめでとう」と言うよりはこれからはなお一層頑張らなきゃいけないと思うと気の毒になったというのが本音です。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
相撲を知らない人の為に、・・・・
ちょこっと、解説しますと・・・・
師匠の鳴門親方は元、隆の里という横綱で
遅咲きで有名であり持病に苦しんで
60場所を費やして漸く横綱に成れた力士。
言わば苦労人の成功者ですね。
弟子には非常に厳しかった。
もう一人琴桜という、これ又
・・超遅咲きの横綱が居たが
この力士は皆が忘れかけたころ急激に強くなって
あれよあれよと言う間に昇進した為に
狂い咲き!などと揶揄されました。
が、稀勢の里は、師匠よりも
狂い咲き琴桜よりもずっとずっと
長く関取を続けて、七十場所以上を費やしての
横綱昇進なのであります。
年間六場所ですから、10年以上。
勝利への貪欲さ、だけではなく
力士としての品格を磨いてきた・・・ための
遅咲きであるが故に、親ならずともフアンは涙したのです。
白鳳を代表とする外国人力士は
国を離れ、見知らぬ外国で生計を立てねばならず
石にかじりついても!という
ハングリーさは並大抵ではありませんが
その分、相撲はスポーツではなく神事である
という本分をないがしろにする。
・・・というより、生理的に解らない、
と言ったほうがよろしい。
とにかく勝てば官軍。勝利にどん欲と言うより
手段を選ばない。
普通
上位者に対して、立会の張り手は、
禁じ手ではないものの、
力士の品格を知る人は決してやらない
いきなり問答無用の平手打ちにするんですから、
当然稀勢の里も、・・・・
下位力士に対して立会から変化する、
なんてバカものはまだ、
幼児性が取れない
力士の名に値しないヤツでしかない訳で、・・受けてやらねば!
まして横綱たるもの、私を引きづって自分の勝利だけに終始していてはイカンのですが、
白鳳にはそれが生理的に解らない。
ルールにないことは何しても良い・・・・!?
ところが、稀勢の里は、
実に日本人らしい、
相撲は当然、神事である・・・と言うことを
十二分に心と体で分かっている代表的力士なんですね。
神様に観ていただく!
彼ばかりでなく、多くの日本人力士はそうなんです。
外国人力士であってもそれを知る人も居りましょう。
中学校卒業してすぐに角界入りしての
純粋培養である、というのはこのあたりの事を言ってます。
常に仕切りも堂々としているし
変化するとか、
姑息な手を使う、
騙まし討ちも駆け引きのうち・・・
なんてことはもう
微塵も考えたこともない。
本来あるべき
相撲らしい相撲をめざして、稽古して、
それで実力を付けてゆけば、
おのずと結果は付いてくる。
という考え方に徹している人。
だから、目先の結果に囚われる世間は厳しく断じる。
事実、結果だけ見ると、
情けないことも多々あったのですけれど、
15年間本場所を休んだことがない、
大ケガのない名力士であり
いつも寡黙で、言い訳などせず、
モクモクと、精進し続ける事を決して止めない力士。
実に尊敬すべき力士なのだが、
浮薄な世間の波に追いやられそうだった・・・・のが
ここへきて、その真価が遺憾なく発揮されたのです。
すべからく日本人はこうあるべき。
・・・と思います。
御人よし、と揶揄され、
ばかにされ、小突かれ、ないがしろにされ
やりたい放題の仕打ちをされっ放しでも
なお
人としての品性を育てようと努める。
世界は残酷で、弱肉強食そのものでしかない!・・としても
なお、日本人は人としての品格を保ちたいものであります。
守り抜くために工夫をする、努力を惜しまない、
そして、創意を深めてゆく、知恵を絞る・・・
なぜかって?
結局世界は日本人なくしては立ち行かないから・・・
稀勢の里の父上が言っていることを敷衍すれば、
日本文化だけが、世界を導く力を持っているので、・・・・
稀勢の里は、とにかく後退しない。
ホータイもしてない。
じりじりと、正直に実力を養いつつ、
苦労を苦労とも思わずに力を着け前進し続けている。
笑われるような結果でしかないこともあったけれど
今やあの白鳳に4連勝している・・・・!!
必死に全力で食らいついてきた白鳳を土俵際でたたき落した。
ワタクシにまみれて傍若無人にふるまう者をも
結局
ねじ伏せなくちゃイカン・・・・、
のであります・・・・
そこを目指さねば・・・・。
日本人ならではの実力を!
posted by 絵師天山 at 01:14| Comment(0)
| 日本ならでは
2016年11月28日
本年最高のエポック!!
今年十月、
スバラシイ体験を得ました。
それは、宮内庁式部職楽部による雅楽の初鑑賞です。

腹の底からの感動、といいますか、
実に実に、ホントに、ホントに、
良いものだなあ!!と、魂が揺さぶられ、
文字通り言葉を失ったのであります。
伊勢神宮で御神楽を拝観した時など、
浦安の舞、とか、蘭陵王(らんりょうおう)とか・・
・・・良いなあ・・・くらいは感じ、
雅楽なるものを
知らないわけではありませんでしたが、
本格的に鑑賞させていただくのはこれが初めてだったのです。
若いころならば、
これほどの感触は得られなかったかも知れませんが、
こちらも、日々、世に問う、大和絵傑作作品を志向し
創り続けてベテランの域に届きそうな絵師ですから
大抵なものにはもう驚かない。
というか、素裸の感動はしづらい?
はず、だが、この宮内庁式部職に依る
本格的雅楽フルコースは
正に絶品。
驚きのハイレベル。
この事実をまだ知らなかった浅はかさに
学ぶべき事は無くなると言う事はないのだと
痛感させられたのです。
御案内して下さった方は、
もう何度も拝観しているようで、
御好意に感謝したのは無論ですが、
ちゃんとしたルートで申し込めば抽選の上
誰でも見る事が出来るし
春秋二回、わざわざ、
一般公開のチャンスが設定されていると言うのにも
二度びっくり。・・・・
少々、日々の暮らしからは遠いモノとはいえ、
さらに、
「天皇こそ文化の源」
の感深く、とにかく有り難き極みでありました。
私の、知らず知らず、口走る“スバラシイ!”の連発で、
御隣に座られた方は迷惑だった様ですが、
たまたま、その方も雅楽界の方らしく
合間に、控え目でありながら、的確な解説をして下さり、
私の素朴な質問にもお答え下さって
程良く知識欲を満たしてくれました。





ガルーダインドネシア航空という航空会社、
聞いたことはありませんか、
このガルーダというのは、現地の神象らしく、
インドネシアの象徴的存在・・・
このガルーダの形態が、何度か観たことのある蘭陵王の面にそっくりなのはなぜだろう?とかねてから疑問に思っていたのですが、
この謎を解いて下さったのは、
陰陽師の先生でした、
その昔、スメラミコト(=天皇)のオワします
日本に世界中から朝貢使節が集まり、
それぞれの国、地方の、素晴らしきものを
スメラミコトに献上させていただいていた時代があり、
今のインドネシアから到来したガルーダの舞が大層評判になり
それが現在の雅楽のルーツの代表となった・・・・
という謎解きでした。
事実、平安中期に完成されたとされる雅楽は、
日本古来の歌と舞と
アジア大陸から伝来した器楽と舞が融合され
日本化したものの総体、・・と、されています。
つまるところ、
天皇に観ていただく、
その為に世界中から心血を注いだ生え抜きの歌舞チームが
争う様にして、技と雅とを磨きに磨いた・・・
その集大成が、現在の雅楽、・・・
という訳ですから、まあ、当然と言えば当然。
魂を揺さぶるほどの雅やかなる、楽しさ・・・
それは、正しく当然、当たり前と言えるのでしょう。
あの洋楽フルオーケストラの・・品のない、
楽しくもなければ、美しくもない、
ただただうるさいだけの、押し寄せる粗雑なる波動・・
騒音発生装置・・・とはまるで雲泥の差・・・
(これはあくまでも個人の感想です・・・)
なんで日本人はユダヤ、アングロサクソンの音楽にコロっと騙されちゃうんでしょうかねえ・・・
管絃(かんげん)と舞楽(ぶがく)と歌謡(かよう)の三つの演奏形態があるようですが、
管絃(かんげん)は、世界最古のオーケストラと断言出来るでしょうし
舞楽(ぶがく)は、世界最古の神楽=へんばい、から
歌謡(かよう)は、世界最古の和歌から、
それぞれの形態が定まっていったのは自明です。
それにしても、畏れ多い事に
皇居の一隅で、時と場所を提供してくださり
しかも・・・タダで、
これほどの超ハイグレード文化に直に触れられるのは、
もちろん、・・・・・
世界に類するものさえ有る筈は・・・・・
有る筈もなく・・・



スバラシイ体験を得ました。
それは、宮内庁式部職楽部による雅楽の初鑑賞です。

腹の底からの感動、といいますか、
実に実に、ホントに、ホントに、
良いものだなあ!!と、魂が揺さぶられ、
文字通り言葉を失ったのであります。
伊勢神宮で御神楽を拝観した時など、
浦安の舞、とか、蘭陵王(らんりょうおう)とか・・
・・・良いなあ・・・くらいは感じ、
雅楽なるものを
知らないわけではありませんでしたが、
本格的に鑑賞させていただくのはこれが初めてだったのです。
若いころならば、
これほどの感触は得られなかったかも知れませんが、
こちらも、日々、世に問う、大和絵傑作作品を志向し
創り続けてベテランの域に届きそうな絵師ですから
大抵なものにはもう驚かない。
というか、素裸の感動はしづらい?
はず、だが、この宮内庁式部職に依る
本格的雅楽フルコースは
正に絶品。
驚きのハイレベル。
この事実をまだ知らなかった浅はかさに
学ぶべき事は無くなると言う事はないのだと
痛感させられたのです。
御案内して下さった方は、
もう何度も拝観しているようで、
御好意に感謝したのは無論ですが、
ちゃんとしたルートで申し込めば抽選の上
誰でも見る事が出来るし
春秋二回、わざわざ、
一般公開のチャンスが設定されていると言うのにも
二度びっくり。・・・・
少々、日々の暮らしからは遠いモノとはいえ、
さらに、
「天皇こそ文化の源」
の感深く、とにかく有り難き極みでありました。
私の、知らず知らず、口走る“スバラシイ!”の連発で、
御隣に座られた方は迷惑だった様ですが、
たまたま、その方も雅楽界の方らしく
合間に、控え目でありながら、的確な解説をして下さり、
私の素朴な質問にもお答え下さって
程良く知識欲を満たしてくれました。





ガルーダインドネシア航空という航空会社、
聞いたことはありませんか、
このガルーダというのは、現地の神象らしく、
インドネシアの象徴的存在・・・
このガルーダの形態が、何度か観たことのある蘭陵王の面にそっくりなのはなぜだろう?とかねてから疑問に思っていたのですが、
この謎を解いて下さったのは、
陰陽師の先生でした、
その昔、スメラミコト(=天皇)のオワします
日本に世界中から朝貢使節が集まり、
それぞれの国、地方の、素晴らしきものを
スメラミコトに献上させていただいていた時代があり、
今のインドネシアから到来したガルーダの舞が大層評判になり
それが現在の雅楽のルーツの代表となった・・・・
という謎解きでした。
事実、平安中期に完成されたとされる雅楽は、
日本古来の歌と舞と
アジア大陸から伝来した器楽と舞が融合され
日本化したものの総体、・・と、されています。
つまるところ、
天皇に観ていただく、
その為に世界中から心血を注いだ生え抜きの歌舞チームが
争う様にして、技と雅とを磨きに磨いた・・・
その集大成が、現在の雅楽、・・・
という訳ですから、まあ、当然と言えば当然。
魂を揺さぶるほどの雅やかなる、楽しさ・・・
それは、正しく当然、当たり前と言えるのでしょう。
あの洋楽フルオーケストラの・・品のない、
楽しくもなければ、美しくもない、
ただただうるさいだけの、押し寄せる粗雑なる波動・・
騒音発生装置・・・とはまるで雲泥の差・・・
(これはあくまでも個人の感想です・・・)
なんで日本人はユダヤ、アングロサクソンの音楽にコロっと騙されちゃうんでしょうかねえ・・・
管絃(かんげん)と舞楽(ぶがく)と歌謡(かよう)の三つの演奏形態があるようですが、
管絃(かんげん)は、世界最古のオーケストラと断言出来るでしょうし
舞楽(ぶがく)は、世界最古の神楽=へんばい、から
歌謡(かよう)は、世界最古の和歌から、
それぞれの形態が定まっていったのは自明です。
それにしても、畏れ多い事に
皇居の一隅で、時と場所を提供してくださり
しかも・・・タダで、
これほどの超ハイグレード文化に直に触れられるのは、
もちろん、・・・・・
世界に類するものさえ有る筈は・・・・・
有る筈もなく・・・
posted by 絵師天山 at 22:51| Comment(6)
| 日本ならでは