見せばやな 雄島のあまの 袖だにも ぬれにぞぬれし 色は変らず
みせばやなおじまのおまのそでだにもぬれにぞぬれしいろはかわらず

天山書画
ちょっと耳慣れない、殷富門院さま・・・・は、
後白河院第一皇女であり、
源頼政が驕る平家に立ち向かった時、
錦の御旗として奉じた以仁王(もちひとおう)
の姉宮さまであり、
式子内親王(しょくしないしんのう)様の、
一番上の姉宮さまでもある・・・
亮子(りょうし)内親王、さま・・・のこと、つまり、
殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)とは、
亮子内親王に仕えた女房の一人。
大輔は役職ですね。
病没してしまう式子内親王を気遣い
逆賊として戦死された以仁王の遺児を預かり・・
なかなかに気苦労の絶えなかった殷富門院さまの
御日常を豊かにすべく、
定家の姉上である京極局(きょうごくのつぼね)とか
健御前(けんごぜん)やらと共に和歌の名手として
長くお仕えしお慰め申し上げておりました。
超ベテラン女房・・・・
色変わりしてしまう程涙に濡れた私の袖を見て下さいませ!
と、解釈すればいかにも優雅な感じになりましょうか・・・
千載集恋の部に「歌合し侍りけるとき、恋の歌として詠める」
とあり、本歌は源重之による
松島や雄島の磯にあさりせしあまの袖こそかくは濡れしか
の・・・歌に応える形をとって詠われたものです。
海人の袖は当然濡れているけれど、
私の袖は(それを通り越して)色あせてしまう程なんだから!
見せばやな・・・と言う初句がとても印象的。
こんな風に女性に甘えられたら悪い気はしませんねー・・
気の毒なくらい可哀そうな式子内親王の歌(前回)と対比させて、恋愛の種々相を取り合わせようと、定家は狙ったのかも知れません。つまりは、式子内親王の御製と肩を並べるほど高い評価を得ていたのですね。