【順徳院】
百敷や古き軒端のしのぶにも猶あまりある昔なりけり
ももしきやふるきのきばのしのぶにもなおあまりあるむかしなりけり

天山書画
さて、
百人一首を語るのもコチラで最後・・・
人様に語るほどの勉強をしたわけでもないのですけれど
日本文化のエッセンスが込められいるのは確かだし
下手の横好き!?・・だけで近寄ってみても、
それはそれは素晴らしい世界が
滔滔と・・・広がっていた・・・ので・・・
さらに、数ある解説書などに目を通し
深く百人一首世界に親しむうち
ナルホドそうなのか!とも思い、
えっ??おかしくない?それは・・・・
とも感じ、
自分なりの考え方なり、価値観なり、
に依って・・・・絵と共に、
言葉としてササヤカに綴ってみたくなりまして
ここまでやって来ました。
ひと時代前の解説書は
西欧礼賛、クダラン
唯物史観が影を落としていて
和歌の真実から遠ざかっている事があり、
現代の解説書はまあ、分かりやすいけれど
長たらしく、饒舌に過ぎ、
却って興味を削がれることがあり・・・
一長一短・・・・
歌人の心奥まで感じさせながら
和歌の魅力を豊かに讃えてくれるような
ブッチギリのステキな文章に逢いたい・・と、
今は願います。
源氏物語を円地文子訳で初めて読んだ時、
楽しくて
あの十巻に及ぶ長文がとても短く感じた
のを良く記憶しています。そして・・
与謝野晶子訳、田辺聖子訳、上野栄子訳、・・等々
・・・・・
全く読み進める気にならなかったのが
有名人、S氏のツマらん訳文でした、
説明が過ぎて、まるで渡る世***、を見せられている様
某氏と同レベル・・・
が、結局、原文を辿るのが最高!
遅遅として進まないけれど、
進まないモドカシサさえ楽しくなるような
そんな、心躍る思い・・・・。
わかっても、解らなくても・・・ゆっくり
静かに音読するのが・・・最もよろしい!!!
和歌も同じ。
殊に、
百人一首は全部ソランジル人も大勢いるくらいで・・・
音読するのは楽しいものです・・・
だから、解説書など、
ホントは要らないのでありましょう。
百敷や古き軒端のしのぶにも猶あまりある昔なりけり
百敷とは、皇居、宮中を指すのですね・・・
しのぶ、は吊り忍草・・・・
後鳥羽天皇第三皇子であらせられる順徳院の御心は
憂欝、哀惜、詠嘆・・も勿論あらせられましたでしょうが、
それでもなお、和歌の心を・・・それはそれは深く
尊んでおられたのだと拝察申し上げるのであります。
日本を愛する心根こそ大切に継承し
共有して行きたいもの・・・・。
百人一首第100番目を飾る
順徳院サマのこの名歌は、正に
そのことを謳っておられる訳です。