2014年11月15日

歴史の真実 21  日本独立!!



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          【常磐】(ときわ)





1000億円を超える賠償を求めて日本国基幹産業の中核を担う【東芝】が、
韓国企業及び社秘を漏えいして利己に走った元日本人アホ社員を訴えました。
漸く・・・というか、やっと、そういう気運が兆した・・・・

英知を集結させた長年の研究成果を理不尽に奪われた者として当然の行動であり、むしろ遅きに過ぎるくらいで、ドロボー国家及び紛れもなきチンピラ国賊を訴えたのです。

結果は、・・・
どうせ疲弊しきったドロボー韓国企業に賠償能力などはなく、
・・・会社ばかりか国までも売った!
・・・・という自覚すらない
民主的グローバリゼーションボケのバカ者も

改心する心が万が一にあったところで後の祭り・・・・

何も償うことなど出来る訳はありません。

元々人のふんどしで相撲を取るような国であり輩なのですから
・・・尻拭いなんて、およそ出来るはずもない。
懺悔する気持ちが浮かべば・・・
まだ人間の内に入れるかも知れませんが。
恐らく、
逆切れして見せて時間を稼ぐくらいが関の山・・・・
全く盗人猛々しい!
とは、正にこのことなのであります。

・・・年俸倍増!
くらいの擬似エサで簡単に騙され、
無自覚に反日活動に流されるロクデナシですから、
自分が登った木の枝の元を切り取る愚行に気付かない。

呆れるほどの幼児性・・・
全く残念・・・・いたしかたありません。

国益イコール個人の利益・・・・という、
当たり前中の当たり前
・・・なことすらわからなくなって、
国家観念は完全欠落してるのに
自分だけは世界平和!などとウソブく・・・
民主的グローバル日本人が蔓延し、
外国の圧力代表になり下がった
各種メディアに組して踊らされ、
幼児性を振り回し、
どれほど国家国民の利益を阻み、
それによって日本が貶められたか
・・・・・図りしれないのです。

APEC(アジア太平洋経済協力)に於いて、
習近平の、苦虫をかみつぶしたような表情へ、
笑顔を向けて握手を求めたわが国 
総理大臣安倍首相の外交戦略も、
現時点では一定の評価があってしかるべき・・・・
本来は米国主導のくびきからはなれ・・・
河野談話を完全否定するところから始めねばなりませんが・・・

恫喝し圧服させ服従させて置きたい相手なのに、
自ら会談を受け入れざるを得ない
対外、対内、共に苦境に立たされている習近平の
・・・・現今の仏頂面にさえ・・
日本国総理大臣として笑顔を向けねばならないのは、
核武装なく丸裸同然である日本国家防衛の現状を
誰よりも総理が熟知しているからであり、
自国日本のメディアは明らかにシナ、習近平の味方で、まかり間違えば安定政権を揺るがされ、引いては国家安全保障さえ揺さぶられかねない、という自覚と理性とが総理にあるからで、

本来は習近平と対等会談せずとも・・・・・、
いやいやマトモに話し相手になってやる必要すらないのです。

が、それでも尚、笑顔で握手を求めるのは・・・
皇居及び日本の大都市すべてに照準を合わせた核弾道ミサイルが・・

シナはじめロシアからアメリカから、
雨あられと降り注ぐ用意が現存する・・・
という、実にハッキリとした現実を踏まえている・・・・からですね。

珊瑚ドロボーのシナ漁船団も当面海上保安庁巡視船の優秀なる装備と技量とによって、その2,3隻も沈めてしまえばあとはクモの子を散らすように逃げ去ってしまうのでしょうが、その後のシナリオが用意されているので、シナの野心を熟知した上で賢明な対処をしてゆくしかありません。
まだ日本は確固たる独立国には程遠いから・・・・

周辺国のみならず自国の少数民族等を同じシナリオで傷め続けているシナ共産党独裁政権はもはや世界の癌以外の何物でもないことが誰の目にもハッキリし、
国外逃亡を人口の7割以上が切実に望んでいる韓国の実態もより広くに知れ渡るでしょう、

シナ・韓国は自ら亡国へのスパイラルを確実に降下しており、あとはただ利己が渦巻くのみ・・・

であるにも関わらず日本のメディアは相変わらず、必死の形相でシナ・韓国の味方であり続けようとしている。

習近平が韓国大統領には笑顔で挨拶し、安倍総理とはその態度に格段の差を見せた、
と何やら誇らしげに報道し、総理周辺からは解散風が吹いた!!と攻め立てる・・・

・・・・日本を取りまく数多の略奪国家の意を体し、
その手足となって暗躍する日本のメディアは、あろうことか
習近平とリンクして自国の総理大臣をやっつけている。
・・・・何というおぞましさでしょう!

外交的後退は敵国の国内問題にすり替えて反撃する・・・・
共産党の常とう手段ですね。問題のすり替えは名人芸ですから・・・
反撃のコマは、日本メディア!

解散権は総理大臣にあって、此の度日銀から80兆円を市場に放出させ、景気回復への底入れをし直し、
原発も徐々に稼働させていって、消費税増税を先延ばしにすれば・・・・総選挙。
更なる安定政権となれば・・・・やっと憲法改正に手が届く・・・
自分の都合が悪くて公表出来ないが、実質は韓国の利益代表以外の何物でもない公明党を与党から追い出せる。
し・・・・
自民党内に巣食い続ける反日民主的グローバル分子も、国益に叶った親日人材に挿げ替えられる・・・

日本独立の機運はようやく兆したのに、・・・
そうはさせじと周辺略奪国家は日本のメディアを武器に一斉に反旗を翻し、国益を最優先しようと努力している総理大臣をたたきに叩く!

国家として一人前の国であればそこで初めてグローバルという価値観を内外に示すべきでありましょう。大人として当然の世界への貢献です。
が、しかし、現実には自分が未だ幼児であるという自覚も生まれず、国家という体を成していない現在の日本で唱えているグローバルでは、およそ国益に反することにしかななりません。

食糧の自給自足も遥か・・・夢の様に遠く、エネルギー自給への確固たる信念すら持ちえない。
どころか・・・自分の国の中枢を常時原爆で狙われていることが分かっていてもそれに対して反撃準備の可能性にさえ言及出来ないのは・・・・そんな状態は、国家とは言えない。まだ日本は国という体をなしていないのです。

メディアは、安倍首相が反日国の首脳に馬鹿にされ、ぞんざいに扱われていることを遺憾とし外交的成功を正しく伝えてしかるべきところなのに、まだ有りもしない解散風を一方的に非難すると言う攻撃を一斉に展開する・・・・・・しかもそれが公平でグローバルなメディアの使命!?などと話をすり替えて平然としている・・・・

東芝の裏切りアホ社員の罪どころではない。
・・いったい・・・・どこの国の放送局だ?
安倍さんにとって代わるくらいな愛国者をじゃんじゃん育てる!のが本来だろうに・・・・

そして、米中会談は喧々諤々・・・9時間も続いたと言う・・・
温暖化問題だと・・・・・へー、嘘だね・・・
彼等はお互いに『いや日本は俺のモノで、お前のモノじゃあないゾ!!』と、ののしりあったに過ぎません。
しかも、9時間も!!!

食料とエネルギーを自給出来ずに国家は独立し得ない。
食料とエネルギーの自給によってはじめて真の国防が成立する。
国家の独立がなければ個人の安寧はあり得ない。

この当たり前な事を真っ先に教えるのが教育・・・

アメリカの軍事基地がなぜ日本国内にあるのか?
我らの羽生 結弦(はにゅう ゆづる)君がシナ人選手によって一方的に血みどろにされたのはなぜか・・・・
この際、良く考えねば・・・・



このまま行くと、
日本の方が先に無くなっちゃって、
ホントに・・・笑えない・・・

グローバル自滅・・・

珊瑚ドロボーのシナ漁船団はアメリカの指令で行動している!!!




posted by 絵師天山 at 15:00| Comment(0) | 歴史の真実

2014年10月13日

【歴史の真実】 S 直毘霊(なおびのみたま)


本居宣長が古事記を注釈する大著古事記伝を著わすにあたって、所信表明をした文章【直毘霊】が遺されておりその一部をご紹介したいと思います、若干言語表現が分かりづらいこともありましょうが、原文でお楽しみいただきましょう。日本は日本なのであって、外国の影響こそが要らざるものと・・・大切な本質論が説かれております。


               ★

  本居宣長著 古事記伝

 一之巻 
         直毘霊(なほびのみたま)より


          


・・・・古への大御世には、
道といふ言挙(ことあ)げもさらになかりき、

故れ古語(ふること)に、
あしはらの水穂の国は、
言挙げせぬ国
といへり、

其はただ物にゆく道こそ有りけれ、
美知(みち)とは、此の記に味御路(うましみち)と書る如く
山路、野路、などの路に、御(み)てふ言を添えたるにて、
ただ物にゆく路ぞ、これをおきては、
上代に、道といふものはなかりしぞかし、

物のことわりあるべきすべ、萬(よろず)の教へごとをしも、
何の道 何くれの道といふことは、
異国(あだしくに)のさだなり、


異国(あだしくに)は、
天照大御神の御国にあらざるが故に、
定まれる主(きみ)なくして、狭蠅(さばえ)なす神 
ところを得て、あらぶるによりて、
人心あしく、ならはし みだりがはしくして、
国をし取りつれば、
賤しき奴(やっこ)も、たちまち君ともなれば、
上とある人は、下なる人に奪はれじ とかまへ、
下なるは、上のひまをうかがひて、うばはむとはかりて、
かたみに仇(あた)みつつ、
古より国治まりがたくなも有りける、


其が中に、威力(いきほい)あり智(さと)り深くて、
人をなつけ、人の国を奪い取りて、
又人にうばはるまじき事量(ことばかり)をよくして、
しばし国をよく治めて、後の法(のり)ともなしたる人を、
もろこしには聖人とぞ云うなる、

たとへば、乱れたる世には、戦ひにならふゆゑに、
おのずから名将おほくいでくるが如く、
国の風俗あしくして、治まりがたきを、
あながちに治めむとするから、
世々にそのすべをさまざま思ひめぐらし、
為(し)ならひたるゆゑに、しか
かしこき人どももいできつるなりけり、

然るをこの聖人といふものは、神のごとよにすぐれて、
おのづからに奇(くす)しき徳(いきほい)あるものと思ふは、ひがごとなり、

さて其の聖人どもの作りかまへて、定めおきつることをなも、道とはいふなる、

かかれば、からくににして道といふ物も、
其の旨(むね)をいはむれば、ただ人の国をうばはむがためと、
人に奪はるまじきかまへとの、二つにはすぎずなもある、


そもそも人の国を奪ひ取らむとはかるには、
よろづに心をくだき、身をくるしめつつ、
善きことのかぎりをして、諸人をなつけたる故に、
聖人はまことに善人めきて聞こえ、
又そのつくりおきつる道のさまも、
うるはしくよろづにたらひて、
めでたくは見ゆめれども、
まづ己(おのれ)からその道に背きて、君をほろぼし、
国をうばへるものにしあれば、
みないつはりにて、まことはよき人にあらず、
いともいとも悪しき人なりけり


もとよりしか穢悪(きたな)き心もて作りて、人をあざむく道なるけにや、

後の人も、うはべこそ
たふとみしたがひがほにもてなすめれど、
まことは一人も守りつとむる人なければ、
国のたすけとなることもなく、其の名のみひろごりて、
つひに世に行はるることもなくて、
聖人の道は、ただいたづらに、
人をそしる世々の儒者(ずさ)どもの、
さへづりぐさとぞなれりける、

  
然るに儒者(ずさ)の、ただ六経などいふ書をのみとらへて、
彼国(かのくに)をしも、道正しき国ぞ、
といひののしるは、いたくたがへることなり、
かく道といふことを作りて正すは、
もと道の正しかぬが故のわざなるを、
かへりてたけきことに思ひいふこそをこなれ

そも後の人此の道のままに行なはばこそあらめ、
さる人は、よよに一人だに有りがたきことは、
かの国の世々の史(ふみ)どもを見てもしるき物をや、

さてその道といふ物のさまは、いかなるぞといへば、
仁義礼譲孝悌忠信などいふ、
こちたき名どもを、くさぐさ作り設けて、
人をきびしく教へおもむけむとぞすなる、
さるは後の世の法律を、先王の道にそむけりとて、
儒者(ずさ)はそしれども、
先王の道も、古の法律なるものをや、
また易(やく)などいふ物をさへ作りて、
いともこころ深げにいひなして、
天地の理をきはめつくしたりと思ふよ、
これは世人をなつけ治めむための、たばかり事

そもそも天地のことわりはしも、
すべて神の御所為(みしわざ)にして、
いともいとも妙(たへ)に奇(くす)しく、
霊(あや)しき物にしあれば、
さらに人のかぎりある智(さと)りもては、
測りがたきわざなるを、
いかでかよくきはめつくして知ることのあらむ、


然るに聖人のいへる言をば、何ごともただ理の至極(きはみ)と、
信(うけ)たふとみるをこそ愚かなれ

かくてその聖人どものしわざにならひて、
後々の人どもも、よろづのことを、
己がさとりもておしはかりごとするぞ、彼国のくせなる、
大御国の物学びせむ人、是をよく心得をりて、
ゆめから人の説になまどはされそ


すべて彼の国は、事毎にあまりこまかに心を着(つけ)て、
かにかくに論(あげつら)ひさだむる故に、
なべて人の心さかしだち悪くなりて、
中々に事をししこらかしつつ、
いよよ国は治まりがたくのみゆくめり、

されば聖人の道は、国を治めむために作りて、
かへりて国を乱すたねともなる物ぞ、すべて何わざも、
大らかにして事足りぬることは、さてあるこそよけれ
 
故(か)れ皇国の古へは、
さる言痛(こちた)き教へも何もなかりしかど、
下が下までみだるることなく、
天下(あめがした)は穏やかに治まりて、
天津日嗣(あまつひつぎ)
いや遠長(とうなが)に伝はり来坐(きま)せり、

 

さればかの異国の名にならひていはば、
是れぞ上もなき優れたる大き道にして、
実は道あるが故に道てふ言なく、
道てふことなけれど、道ありしなりけり、

 
そをことごとしくいひあぐると、
然らぬとのけぢめを思へ、


言挙げせずとは、あだし国のごと、
こちたく言ひたつることなき
を云ふなり、
譬(たとへ)ば才も何も、優れたる人は、
漢国(からくに)などは、道ともしきゆゑに、
かへりて道々しきことをのみ云ひあへるなり
儒者(ずさ)はここをえしらで
皇国をしも、道なしとかろしむるよ、
儒者(ずさ)のえしらぬは、萬(よろず)に漢(から)を尊き物に思へる心は、
なほさも有りなむを、此方の物知り人さへに、是れをえさとらずて、かの道てふことある漢国をうらやみて、強ひてここにも道ありと、
あらぬことどもをいひつつ争ふは、
たとへば、
猿どもの人を見て、毛なきぞとわらふを、
人の恥じて、おのれも毛はある物をといひて、
こまかなるをしひて求出(もとめいで)て見せて、
あらそふが如し


毛は無きが貴きをえしらぬ、

痴れ者のしわざにあらずや
・・・・・




           





posted by 絵師天山 at 16:00| Comment(0) | 歴史の真実

2014年09月23日

【歴史の真実】R 猫好きにされた春草

本日、国立近代美術館における菱田春草展初日、
好天に恵まれ、朝から出かけました。
長蛇の列が形成されているか?と思いきや・・・
別に並ばせられることもなく、すんなり切符を買い、
即入場。
御挨拶のパネルが多少込み合っていたものの、
ゆっくりと、気がねなく、味わいつつ、僅かにお互いが邪魔しないように気配る感じの贅沢な会場。

さすが、春草好き。初日午前から来ているような人は、良識溢れた日本人らしい日本人??

春草フアンは、マナーも宜しいし、なかなか絵の前から去ってくれないことを除けば理想的フアンだらけ。

ちょっと自分が絵の前に立って邪魔になってるかも?
と気付くまでが少々長いのは、うっとり悦に入っているから・・・・



入口のパンフレットをいただいて、・・・・・コチラ


             haru1.jpg

死後100年以上経ているので著作権は消滅していますけれど・・・
こんな加工、お上がやっていいことでしょうか???ねー!!!!




            
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オリジナルは、コチラ・・・・


いかに入場者アップの為とはいえ、重要文化財指定の・・・超がつくクラスの名作を
国立美術館が勝手にアレンジ、オリジナルを損ねる加工を施して人集めにしてしまうのは・・・・
猫好きの入場者をアテニしている?? 
猫好きをアテにしなくちゃノルマが果たせない??
いやだねーーーー・・・・・
姑息そのものじゃあないでしょうか。



宣伝文は・・・見つめあえたらきっと運命。・・・
とあり、


ごきげんよう。
突然目が合ってしまいましたね。
さてはあなた、猫好きですね?

私の名前は、黒き猫。
明治時代を代表する日本画家、菱田春草の筆から生まれ、
こう見えて肩書は重要文化財です。

百年前にモデルをつとめたときは、
まさかこんなに有名になるとは思っていませんでした。

ここで出会えたのも、何かのご縁。
さあ、私と一緒に、麗しき日本画の秋を楽しみましょう。




とあり、・・・ますが・・・・



独立行政法人となった国立美術館、博物館などは、独立採算でゆけ!
という法律の下に、展覧会開催に
結果・・・・入場者および売上、というノルマ・・
を果たさなくては立ち行かない事になりました。
そうなってもうずいぶん経つんですが、知らない人はそんな事に関心がないでしょうが、

実は、展覧会企画はその全てをを丸投げ、外注しているのが実態です。

つまり、NHKプロモーションとか、電通とか、メディア関連の請負業者にすべてを企画してもらって数字を確保するのが独立行政法人の仕事になったのです・・・経営が優先されるから・・・・


つまり、
金の為に・・・・

その一環で、
明治を代表する異才、
菱田春草をも・・・・・単なる【猫好き】に貶める。



うるさいおぢさんが・・・・また文句言ってる・・・?と勘違いしないでください

この国立の美術館が数字の為、
企画は外注するのが当然・・・であるのは、
非常に大きな危険性を孕んでいます。
外注ですから、文字通り、外国資本の企業がスポンサーでも構わない・・・
と言うこと。・・・金集めさえ成功させてくれれば中身は問わない・・・
となれば・・・最悪・・・・国益に反することもOK!
ということ・・・ですね。

つまり、

日本国民のマインドをコントロールする手段がまた増えた・・・事になる。

春草が活躍していた明治時代後半は、日露戦争で日本国は存亡の危機にさらされていました。
文字通りの危機であって、生半可な心持ではだれもが生きて居られなかった。

明かに理不尽なロシアの侵略行為に対して、国を挙げ文字通り必死に抵抗しようと頑張っていたのです。


時代が下って・・・・先の大戦に於いて、
実はアメリカ他、連合国による理不尽な侵略はロシア以上の野蛮なる侵略そのものであったにもかかわらず、歴史のねつ造、嘘のプロパガンダ、大衆へのマインドコントロール、等々によって、日露戦争時代のような単純な図式で国民が一致団結出来たようには行かせない!・・・日本国民を嘘で固めて、団結させない!という外圧が思いきり懸った。

日本こそ戦争犯罪人であり侵略者であるという真逆なる大ウソ!!!に日本人自身が洗脳されてしまった。

そして、今では更なる嘘で固めて、日本を食い物にする外国がヒシメイテいるにもかかわらず・・・
日本の為と称して、中国様の利益の為だったり、韓国の為だったり、アメリカの、ロシアの、
オーストラリア、ニュージーランド・・・・・・・・

国益を唱える阿倍総理大臣さえも国益を損なう河野談話を撤回しない。

シナの言うがままだった民主党よりはマシだが、結局アメリカの利益代表になり下がった。
今なお、連合国側に屈しているんです。

東京都民も、現都知事が韓国の利益を誘導する請負人であることに気付かないのは、
深くて巧妙なマインドコントロールに取り込まれているからですね。

自国が疲弊して、日本の存在に頼らなくては生きてゆけない内実を抱えた韓国は必至なんです、
将来の為には嘘でも何でも言う、し、・・する、・・・・のであります。

アメリカだって金がない。あっても、大軍備で世界中をどやし続けなければ国が持たないことを良くしっていますから、いくらあっても足りないのです・・・・侵略国の宿命です。


そのアメリカを支えているのが石油資本、

つまり原発反対運動はここから来ている。

優秀な日本人技術者の手に原発を委ねないように、巧妙に日本国民を誘導し、広告塔を各所に配置し反対する。

池上彰だってそのひとり・・・・氷山の一角ですが・・・陰に陽に・・・

今、即時原発を稼働させればあっという間に景気は良くなる!!
分かっているんです、安倍総理始め政権担当者たるもの・・
しかし、外圧にはいとも簡単に屈する。

独立行政法人法なんかなくとも、国立美術館は全部国民の為の文化催事を掛け値なく、訳なく出来る世になるのです。

国益に反するかどうか・・・・それすらも判断できなくなった国民が溢れてしまった。
枝葉をイジクルホドニ大局を見失う・・・外圧は巧妙に日本人の弱点を突いてくる。


菱田春草の作品には外圧がこれっぽっちもない。

外国の影響で薄められ歪められた芸術しかなくなった?・・・
・・・かに見える現代に素晴らしい燈明をかざしているのであります。

掛け値のない日本文化そのものです!












posted by 絵師天山 at 18:00| Comment(0) | 歴史の真実

2014年08月14日

【歴史の真実】Q 終戦記念日は誤り??

明日の終戦記念日を前にして、靖国神社様より、
御丁寧な礼状と、記念品が送られてきました。



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         ブックカバーとしおりです

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7月のみたま祭に際して、雪洞(ぼんぼり)のきごう【揮毫】をさせていただいた、その記念だそうです。
誠に申し訳ない限りですが、公から私に還れば、誠に有り難き極みです。

此の度の伊勢神宮式年遷宮遷御の儀特別奉拝をさせていただいた

その御報告を英霊の皆様に捧げ、お楽しみいただきたく描いたのです。


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                    雪洞(ぼんぼり)の揮毫絵



残念ながら阿倍総理大臣の参拝は見送られました。
誠に遺憾、英霊のみな様はさぞかし痛嘆されているに違いありません。


ここに、小堀桂一郎先生のご文章を掲載させていただきます。
竹駒神社社報「すいとく」に連載されたコラム“時評「正眼・心眼」”からの抜粋です。





    【八月の感慨】

暦を繰って、今日から八月、
と意識する度に決まって込上げてくるのが、
昭和二十年の八月、
殊にその十五日正午の先帝陛下によるいはゆる
玉音放送の記憶である。

それは本年で満六十五年を経た昔の話なのであるから、
本誌の読者の方々も、あの日についての直接の記憶を
お持ちにならない方が大半であり、
又戦中派の老人の繰言を聞かされるのか、
との不快を感じる方も多いかもしれない。

然し如何に世人から疎まれようとも、
此だけは何度でも反復して口に、筆にして
なるべく多くの人の認識に訴へておきたいと思ふ
重大な情報が以下に述べる一事なので、
どうか御諒解を頂きたい。

あの歴史的記念日に放送された昭和天皇の詔勅は普通
「終戦の詔書」と呼ばれてゐる事、周知の通りであるが、
それは、連合側四箇国共同のポツダム宣言を受諾し、
戦争終結の手続に入れ、との御命令を
聖慮を以て政府に下し給うた旨を国民に宣べられたものである。
決してこの日を以て戦争が終わった
との安堵の感を告げられたりしたものではない。

だから、詔書の呼名は、慣例通りでよいとしても、
この日を以て終戦記念日と考へるのは大きな誤りである。
日清戦争と日露戦争では
戦火の終息=休戦と
講和条約の締結=終戦
とが同じ年のうちの事であり、
第一次世界戦争の時でさへも、
ドイツの降伏による休戦の翌年に既にヴェルサイユでの平和条約が成立しているのだが、
大東亜戦争の場合、
休戦から昭和二十七年四月二十八日の平和条約発効までに六年八箇月を費やしてゐる。
そしてその歳月の間、
主敵国であったアメリカと日本との間には依然として戦争は継続してゐた。
火力による戦闘は日本軍の全面的武装解除により最早生じ得なかったが、
軍事占領といふ形での米国軍による追撃戦は、
抵抗力を全く失ってゐた日本国に対して実に苛酷な形で続けられてゐたのである。


昭和二十年九月から二十七年四月までの我が国の歴史を理解するに当たって、
それは占領といふ形での戦争下であった、
と、この大前提を忘れてかかると是亦大きな誤りを犯すことになる。

そして現にこの誤謬によって歪められた現代史の考察はあげて数え切れない。

占領期間は戦争中であった、その事の見落としと同じくらゐに広く流布している誤認が、
日本の敗北が無条件降伏であったとの思ひこみである。
ポツダム宣言の受諾による休戦とは、この宣言の提示した条件に同意した上での戦闘停止だったのであって、
その結果があの年の九月二日、休戦協定調印といふ国際法上の条約として結実した。
此は少しも恥づることのない立派な外交的決着だった。

現代史、殊に戦後史について、何らかの判断を述べる人の言葉が基本的に正しいかどうか、
この事を見定めるのに至って便利な、リトマス試験紙の様に簡便な判定基準が右に挙げた二つ項目である。

真の終戦は占領の終了を以て成就した事への知識が有るか否か、無条件降伏といふ占領軍の宣伝を盲信してゐる面がないかどうか、戦後史を語る言説の真贋はこの試薬で簡単に識別できる。
読者諸氏も心当たりの論説を何か一つ取り上げて試してみては如何だろう。
                (平成二十二年八月)








posted by 絵師天山 at 05:00| Comment(0) | 歴史の真実

2014年06月14日

【歴史の真実】O 政権担当者としての責務



【国民の生命財産を守る・・・・】

と、先月15日、沖縄復帰記念日に安倍首相は集団的自衛権に関しての

憲法解釈変更に関する記者会見で再三、述べておられました。


しかし、本来、“国民の生命財産を守る”のは警察の職責であり、

政権担当者は【国体 国柄を守る】のが本当の責務であります。


尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視船に体当たりして来た中国共産党工作員を

処分する!・・どころか・・国費を使ってチャーター機で本国に送り届けて差し上げ・・、

体当たりしてきた一部始終の顛末を記録した映像を隠蔽、いっさい・・・

国民に公開せず・・・・


愛国心によってそれをネットで国民に向けてリークした

海上保安庁職員を処罰した・・・・呆れるばかりの反日民主党政権もまた同じく

“国民の生命財産を守る為”・・・・・と、言ってました。


ちなみに

今度はベトナムの漁船が沈められてましたね・・・・

ベトナムは立派でした、非力であっても、映像は世界に向けて公表しました!


「集団的自衛権」は本来、

独立国であるならば国際法上・・・当然認められているにもかかわらず

我が国は「憲法9条」の“縛り”によって、原則行使出来ない・・・

という憲法解釈が成されてきました。



実に・・・語るも愚かな・・・・馬鹿馬鹿しいことです。


『あなたのお家にピストルを持った問答無用の強盗団がやって来ました。

あなたのお家には、ピストルが一丁だけあります。が、

憲法によって使ってはいけないことになっていて、

もし使った場合は即、あなたは犯罪者となります、・・・

ですから、武装して襲ってくる強盗たちにけっして逆らってはいけません、

愛する家族が例え・・・・・なぶり殺しにされても、

ピストルやその他の武器を使って逆らってはいけないし、守ってもいけない。


・・・・・話せばきっと分かってくれます。

我が家には憲法9条がある!と、強盗団に言ってやりなさい』・・・



先の安倍首相の会見は

「集団的自衛権の限定的な行使容認を視野に与野党協議を進めてゆく」

というもので、


海外で活躍する日本人の安全を確保する意味に於いても、

また昨今のシナ漁船による尖閣問題等も考慮して

現状の憲法解釈では自衛隊の活動に制限がありすぎて身動きが取れない

・・・状態を改善しよう。と・・・・僅かではあるが、

自衛隊の縛りを解くために前進しようとした事は評価に値します。


しかし・・・・・



終戦以来、国民の生命財産を守る! と、時の政権担当者は声高に叫び続けてきました。



国体、国柄を護る・・・・という事に言及した政権担当者が一人でも居たでしょうか?


世界の現実は野蛮そのもの・・・・


集団的自衛権行使に向けては・・・

【国体、国柄を護る】と言及することなくして実効性はあり得ません。






「日本を取り戻す」と、提唱してきた安倍総理大臣は、

移民、外国人材活用、TPP、等々、次々に新自由主義に基づく政策によって、

国体を変質させることには積極的であり、

政権担当者として当然の義務である【国体、国柄を護る】ことに関しては

全く消極的、・・・・事実は・・・・

「日本を取り壊している」ようにしか見えなくなってきました。



アメリカは根本的枯渇による財政難で、

世界から自国の軍隊を次々撤退させる中・・・・

同盟関係にある日本に対して応分の軍事力を負担させたい。

しかしながら、決して日本の独立を促しているわけではなく

軍事力だけアメリカの先兵としての働きをさせる・・・

あくまでアメリカの属国としての位置づけのままで

自衛隊を使いたいのです。

いつまでも、植民地日本を温存したい。




もしも集団的自衛権の行使を本格化させるのであれば、

当然、自衛隊は軍隊として認識されなければなりません。

即ち、

統帥権の問題・天皇大権の復活・軍人勅諭・軍法会議復活・・・等々

触れるべき諸点、議論すべき事項は数多あり、

そのことなしに憲法解釈の変更を以って事足れり

とするのは、小手先の概念に過ぎず、単なる言葉遊びであり

有事が起こらないという前提の稚戯に過ぎません。


現状では、自衛隊員は一公務員に過ぎず、

国家国体への致命的反逆行為であっても一般の裁判所で裁かれる・・・だけ

スパイ防止法もありません。

逆に自衛隊員が相手国の捕虜となった場合、

軍人としての捕虜待遇を受けることすら出来ない・・・・


集団的自衛権行使を一部容認しても

国内では軍隊にすらなっていない・・・・

単なる憲法解釈の変更だけでは自衛隊員は軍人としての名誉も与えられず

命令だけが与えられ、万一の時は犬死せよ!・・・に、なりかねない。

国家機密漏えい・・など、国家に対する桁違いの重罪も・・・

まともに裁くところすら・・・ないのです・・・


“軍隊たるは如何なるものか?!”


政権担当者はこの当然議案となるべきテーマを国民に提示しなければなりません。

勿論、韓国の利益代表として足を引っ張り続ける公明党の

ご機嫌など・・・覗っている場合でもありません!




安倍総理もまた、従来の政権担当者と同じく・・・・

永久にアメリカの庇護を受けその属国としての日本から抜け出るつもりはない訳です。



アメリカから小銭もらって総理大臣になって、意気揚揚。

日本新党として一世を風靡した細川元首相。・・・・


アメリカの手回しによって

アメリカからの脱却を狙う自民党をぶっ壊した小泉元首相。・・・・


対選挙協力だけが共通目的だった

中国様の利益代表・・・民主党どアホ政権。・・・・


未来から見れば

国家として独立する心を失った日本人には

実に実に・・・相応しい歴代の政権担当者たちであった・・・・

と。













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2014年04月16日

【歴史の真実】N 本居宣長


【本居宣長】

果たして、この碩学を上回る人がこの世に存在するでしょうか?


★★★★★





山鹿素行(やまがそこう)
、も、確かに凄い人でした。


≪ひとたび打ち立てられた皇統は、かぎりない世代にわたって、

変わることなく継承されるのである。

……天地創造の時代から最初の人皇登場までにおよそ二〇〇万年が経ち、

最初の人皇から今日までに二三〇〇年が経ったにもかかわらず……

皇統は一度も変わらなかった。≫




と、その著書『中朝事実』で、【歴史の真実】を語っています。


『中朝事実』(ちゅうちょうじじつ) とは・・・


≪当時(江戸時代初期)の日本では儒学が流行し、

中国の物は何でも優れ日本の物は劣る、という中国かぶれの風潮があった。

(つい、この間まで、中国様が儲けさせてくれる・・・と

日本人が寄ってタカっていた様に・・・・・)


また、儒教的世界観では、中国の帝国が周辺の野蛮人の国よりも勢力も強く、

倫理的にも優れるという中華思想が根底にあり

素行はこの書で、この中華思想に反論した。


当時中国は漢民族の明朝が滅んで、

万里の長城の北の野蛮人の満州族が皇帝の清朝となっており、

歴史を見れば、中国では王朝が何度も替わって

家臣が君主を弑することが、平然と繰り返し行われている。

しかし、中国は強くもなく、君臣の義は全く・・・守られてもいない。


これに対し日本は、外国に支配されたことがなく、

万世一系の天皇が支配して君臣の義が守られている。



中国は中華ではなく、

日本こそが中朝(中華)である≫


というのが、この書の主張です。



ちなみに、かの乃木大将は、明治天皇に殉ずるその直前、

学習院院長として、御幼少の昭和天皇にこの『中朝事実』を奉呈しています。




そして、・・・賀茂真淵(かものまぶち)



は、・・・宣長の師匠とされる・・・




荷田春満を師とし、

『万葉集』などの古典研究を通じて古代日本人の精神を研究し、

和歌における古風の尊重、

万葉主義を主張して和歌の革新に貢献した。



また、人為的な君臣の関係を重視する朱子学の道徳を否定し、

日本の古典にみられ、古代日本人の精神性の純粋な表れとされる、

作為のない自然の心情・態度こそ人間本来のあるべき姿であるとして、

古道説を確立した


宝暦13年(1763年)、本居宣長が、

伊勢神宮の旅の途中伊勢松阪の旅籠に宿泊していた真淵を訪れ、

生涯一度限りの教えを受けた(「松阪の一夜」)。


宣長はのちに入門し、以後文通(『万葉集問目』)が続いた。






山鹿素行や賀茂真淵ほどでなくとも、

真実の日本の姿を、深く認識して、

物事をすべてそこから始め、努力した人は、

悉く、それなりに・・・

何事においても、良い仕事を遺し得る・・・

昔も今も・・・・絶対これは変わらない・・・


が、その深さにはレベルがあって、・・・それこそ、

それなり・・・・人それぞれであって、

どんな偉人でも、足りないところが必ずある。


だが、本居宣長には、全く不足を感じない。

不足どころか、後からあとから学ぶべき事が溢れだしてくる・・・

行くところ可ならざるは無し!!

この人はとにかく凄い!! 素晴らしい先人であります。

富士山・・みたいな存在・・・





★★★★★


宣長の膨大な著書のごく一部をとりあげて、

あれこれ語るのもどうかと、思いますが・・・・

その普遍性を糧とすれば・・・つまみ食いも一興?・・・・





日本の古代には、倫理とか道徳とか、

法則による強制を意味する単語はなかった。

いかにも【美知】(みち)という単語はあるが、

それは地上の道を意味したに過ぎない。

しかし、今は神の意思として人間はあり、万物はあるという原理、

それを【道】と呼ぶならば、人間はその原理

即ち、【道】の中に居り、

またそれによって生きている事を、自覚しなければならない。


“そもそも人としては、いかなる者も、ひとの道をしらでは有るべからず”


“殊に何のすぢにもせよ、学問もして、書をもよむほどの者の

道に心をよすることなく、神のめぐみの尊きわけなどをも知らず

なおざりに思いて過ごすべきことはあらず。”


『うひ山ぶみ』より・・・




“然らば何事もただ、神の御はからいにうちまかせて、

良くも悪しくもなりゆくままに打ち捨ておきて、

人はすこしもこれをいろふまじきにや、

と思う人もあらんか、これ又大なるひがことなり。”


・・・・すべて神に任すのは誤謬である。


“人も、ひとのおこなうべきかぎりをば、おこなうが人の道”

・・・・である。



ただし、それが上手く行くか上手く行かないかは、

善神の意思と悪神の意思とが交錯する故に、

人間の力の及ぶところではない。

無理押しは避けるべきである、けれども、


“ただなりゆくままに打ち捨ておくは、人の道にそむけり”

『玉くしげ』より・・・・


【道】を自覚し、実践するためにの教科書は、

古事記、日本書紀、である。

中でも漢文で記された書紀よりも、言語(モノイヒ)のさまが

神々の事跡を忠実に伝える古事記である。



しかしながら、ここに重要なことがある。

『道』を知ろうとして不用意にこの二典に取りつくならば

必ず失敗する。

なぜならば、二典は【事跡】すなわち事実を記すのみであり、

その中に【道】は示唆されているけれども、

外国の哲学書である儒教や仏教の書の様に、人間の法則らしきもの、

・・・・それは不完全と虚偽に満ちているものだが・・・

この二典は、それらを提示するような形ではない。

“道は此の二典にしるされたる、神代のもろもろの事跡の上に

備わりたれども、儒仏などの書のように、その道の様を、こうこうと

指して教えたることなければ”


『うひ山ぶみ』より・・・



儒学的仏教的な方法、

つまり法則らしきものを示す書物を読むことで人間を知る事・・・に

染め込まれ、慣らされた人は、・・・

必ずこの二典も同じ方法で読もうとする・・・・

故に必ず誤謬に陥る。



誤謬に陥らない為には、

“物のあはれを知る”に限る。

感情の感動によってモノの本質に接触せよ・・

それが【道】への必須前提である。


さらに、


“雅の趣を知る”・・・・・


“すべて世の中にいきとしいける物はみな情(こころ)あり”・・・


『石上私淑言』より・・・・




“情(こころ)あれば、物にふれて必ずおもふ事あり・・・”




“たとえば、うれしかるべき事にあいて、うれしく思うは、

そのうれしかるべき事の心をわきまえしる故にうれしき也。

又かなしかるべき事にあいて、かなしく思うは、

そのかなしかるべき事の心をわきまえしる故にかなしき也

されば、事にふれてそのうれしくかなしき事の心を

わきまえしるを、物のあはれをしると言う也。”









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2014年04月14日

【歴史の真実】M 史実が仄めく謡曲“能”




日本文化の根幹とも言えるお能が、

成立して、そろそろ700年を経ようとしている事をご存じでしょうか?



【初心忘るるべからず】


誰でも一度は聞いたことのある有名なこの金言は、・・・かの、・・

お能の創始者とされている世阿弥の遺した言葉です。


万事に欠くことのできないこの金言を遺したことだけでも凄い!!

のですが・・・・


お能は、古臭い、・・・なにか特殊な、古典的世界と思われ、

時代おくれ・・・とまでは言わないものの、実生活には何ら

関係のない、今まで一度も見たこともないと言う人が多い? のでは?

知ってはいるけど、実際見たことありません・・・

が、まあ、普通でしょうね・・・・




世阿弥(ぜあみ、正平18年/貞治2年(1363年)?

- 嘉吉3年8月8日(1443年9月1日)?)は・・・

日本の室町時代初期の大和猿楽、結崎座の猿楽師。

父の観阿弥とともに猿楽(申楽とも。現在の能)を大成し、

多くの書を残す。観阿弥、世阿弥の能は観世流として現代に受け継がれている。

幼名は鬼夜叉、

そして二条良基から藤若の名を賜る。通称は三郎。

実名は元清。

父の死後、観世大夫を継ぐ。

40代以降に時宗の法名(時宗の男の法名(戒名)は阿弥陀仏(阿彌陀佛)号。

ちなみに世は観世に由来)

である世阿弥陀仏が略されて世阿弥と称されるようになった。

世の字の発音が濁るのは、足利義満の指示によるもの。

正しくは、「世阿彌」。・・・・以上ウィキペディアより抜粋。




世阿弥の父観阿弥は、楠木正成(大楠公)の妹を妻としていて、

楠木正成と世阿弥は伯父と甥の関係?

である・・とされる資料も・・・ありますようで・・・



楠木正成(大楠公)は、いわずと知れた大忠臣。

天皇を亡きものにしようと、・・・天皇という存在をこの世から消し去ろうとした、

足利尊氏に対侍して、

自分はいかなる弱小なる軍勢であっても正義は正義であると、貫き通し、

断じて不義を許さず、断個対決して止まなかった・・大偉人・・・・



現在でも皇居には騎馬像の大楠公が・・・・



確証はないのですが、・・・世阿弥と大楠公とが、血縁だった

と言われるのには深い理由がありまして、・・・

民意という、一見隠れた本質から・・・

の、期待値に由るところが大きいからでありましょう・・・



後醍醐天皇による天皇親政、所謂・・・建武の中興を

阻んだ足利尊氏及び足利家に対する反発心は、

くすぶってはいるものの

大楠公の戦死によって・・・もう、

形にならないくらい押しつぶされていまい

力でひっくり返すことが難しい状況となってしまった・・


しかし、・・このままではあまりにもひどい、

理不尽という言葉は今の為にある・・・・とさえ、

多くの人々は感じていたのです。

それが偽らざる民意、だった・・・

ならば、

武力ではなく、非力ではあっても・・・搦め手から・・・

文化の力によってたとえ僅かでも、日本の国体を正し

天皇と皇室をないがしろにしてしまう者達を

寄せ付けない強靭なる意思・・・・だけでも示したい



その意力を、世阿弥の作品から感じ取って

共感を覚えた人が多かった・・・

民意を代弁してくれたんですね、世阿弥が・・・お能の中で・・


さらにさらに・・・数多の後世の人々も・・

その作品に触れて・・・・

さもあらん・・・これは、天皇を敬う日本人としての正直な気持ちを・・・

多くの民意を反映している・・・

おそらく天下の大忠臣、楠木正成に繋がる人である故にこそ

と・・・・・

世阿弥は、反足利勢力の声なき代弁者であるとの

位置づけを与えられ続けたのです。

民意は彼をそういう位置づけにしたかった・・・

実際、世阿弥の作品は日本精神に溢れていますから、

素晴らしい日本の心です




そして、

足利将軍家に・・おもねているはずの

北朝の太政大臣ほか要職を歴任し続けた二条良基こそ、

実質、世阿弥のパトロンであり、

彼の、表の顔は、足利の傀儡・・・の様な有様であったが

その実、・・・正統なる南朝を裏から援護していた。

世阿弥の保護もその大切なる一環だった。

お能だけではなく、連歌も、あらゆる国風文化の援護者だった・・・


そして、

決して足利家のやりたい放題にはさせない

上辺は、将軍家の言いなりになっていながら・・・・

天皇制維持の為の、極、極、肝心なところは

絶対に譲らない。

南北朝に分裂させられようとも・・

天皇制そのものの破壊は断じて回避させる!!

幕府寄り反日貴族の跋扈など許さない!!!!・・・




誰かに似てませんか??

現代にも居るんですよ・・・こう言う・・・

ホンモノの忠臣は・・ごく、少数派だが、必ず居るのです。


勿論、

メディアの攻撃にさらされており・・・

殆どの人からはその実質が分からないので・・

誰も、忠臣とは思っていない・・権力ボケとか言われて

・・・・・・・大勢から嫌われてますが



彼は、反日勢力に抱きついて、その味方と見せながら・・・

共倒れするように画策する、というホンモノの政治力を発揮してきました。




反日勢力も油断してそのビックネームを利用しようとする・・・


敵を欺くには、まず、味方から・・・・

民意を敵に回した方が、ホントの仕事が出来る!!



反日左翼勢力ににじり寄って、表向き、同志と見せかけながら、

抜き差しならないほどくっついた挙句、世論に迎合したと見せかけて

大失態をやらかし・・・

その反日勢力から民意が離れてしまう様に仕向けて・・共倒れする。


而も自分は倒れながらも、次の反日勢力にターゲットを絞って

そっちへくっつく・・・・くっついていた相手は二度と立ち上がれないけれど

自分は、からくも・・・ぎりぎり脱出して、

自分の支持層は決して失わない

もうアベノミックスで今は地味な存在になってしまい、

目立った動きはなくなったように見えますが・・・

どうしてどうして・・・・


この、政治家某は、最後のご奉公を考えているはずです。

肉を切らせて骨を断つ・・・・

天皇、皇室及び、日本国安寧の為に、

死に場所を探している最中ですね

がんばれ 某!!!

アベノミックスも、外圧に屈して、骨抜きになりかけている今・・・


次なる最善策を着々考えているはずです・・・




世阿弥も同じ。



才能にあふれた優秀な息子、元雅(もとまさ)も、

将軍家の怒りに触れて、死罪となり、泣く泣く・・・

自分も佐渡島に流されて、晩年は島民とお能で暮らした・・・

島流しの憂き目にあっても、それを逆手にとって

勉強し直し、

じっくり日本文化再生の為に研究し、数多の傑作を残した。

それで、お能は700年後の今も続いているのです。


その普遍性故に。



歌舞伎から文楽から、あらゆる芸能はすべてここから出ている。

現代でも古典芸能の本職となるには、まずはお能を学ぶのです。

日本そのものが息づいているから、それが当たり前なんですね。


どうぞ、機会を得て、じっくり鑑賞してみて下さい。

歴史書には語られていない真実の日本歴史を垣間見ることができます

史書には書けないことが物語として沢山・・・描かれている・・・



得るものは大きい!!!






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2014年04月13日

【歴史の真実】L 古事記 日本書紀

古事記と 日本書紀とを合わせて「記紀」と呼び慣はしています。

さて、この二書はどう違うのか?




   IMG_1130.JPG

  日本神代絵巻冒頭部分



『古事記』 は、

本居宣長が、これを訓で読むとすれば『フルコトフミ』と呼ぶべし 

と述べています様に、端的に民族としての日本人の先祖の事跡物語です。

それに対して、『日本書紀』は・・・

この題号の由来は、漢土のいわゆる二十四史が、『漢書』『宋書』『唐書』

と言った名付け方を有しているのになぞらえた上での『日本書』であり、

その中での「帝紀」に相当するものである故に『日本書紀』で、

物語とは区別された歴史書、

しかも当時のアジアの国際社会に向けて、

独立主権国家日本国の存在を自ら主張する典拠としての官撰の史書です。



『日本書紀』の最大の特徴は年代記としての体裁を整えている事で

例えば、神武天皇の橿原の宮での御即位の年は、

推古天皇の御代、第九年の辛酉(かのととり)の年から遡って

数えて干支が二十一巡する二十一元の昔、

即ち、一千二百六十年前の同じ辛酉(かのととり)の年

正月元旦を御即位の日と考える・・・と決められ、

(これは、キリスト歴に換算すれば、紀元前660年になる)

その年から数え始めて皇室年代記としての『日本書紀』全ての記事は・・・

皇紀第何年の出来事と言う事が判然と算定できるように書かれてるのです。





それに対して『古事記』の方は

年代に配慮した形跡は全くありません。

(編述の完成当時から極近い過去である敏達天皇紀より

最終記事推古天皇までの四代に限り崩御の年の記載があるだけ・・・・)

神武天皇の御即位すらその年代に関心を払った形跡はなく

記事は専ら人と人との間、・・・及び、如何にも古代らしく

神々と人間との関係に於いて生じた事件や逸話の叙述に重点が置かれています。

日本民族の叙事詩と言えましょうか・・・




共通しているのは採録されている歌謡です。

三十一文字の和歌、と不定型な長短の歌謡との区別をつけずに挙げてみれば、

古事記には112篇

日本書紀には128篇・・・・・

記紀は≪叙事詩的な物語≫と≪正格の歴史書≫という性格の違いはあっても

歌謡が共通の軸となっていて、双方に採録されている同じ歌謡も多いのです。




先回で述べた様に、歴史を海に例えるならば・・・・・、

表層の海流と深層の潜流とを繋いでくれるのが記紀であると言えましょうか、

【歴史の真実】すべてを語ってはいないけれども、

明らかに、偽書とは違う。

殊に共通する歌謡によって深層の潜流をも感じさせてくれる二書・・

である・・・・と思います。




和歌などの歌謡からは、

日本人の心の歴史を垣間見る事が出来る・・・

散文的な、記録的な文章からはなかなか伝え難い・・・

人間の心の奥深くに潜んだ本音が、さらりと出てしまっている・・・


それは、同時代の人にとっては所詮、作者の詠嘆であり、

又抒情であって、深く穿鑿する必要を感じない・・・としても

それゆえに、そこに潜む真実が見過ごされていることがある。

作者の方でも、

世人の軽視、黙過を前提にしての、本音の吐露、・・・

一種の安心感を以って秘かに真情を漏らしてしまう・・・・

それが、後世の人を驚かし、

【歴史の真実】にたどり着くヒントになる・・・・






古事記と日本書紀に重出し、・・・歴史上最古の和歌とされるのが

皇祖天照大神の弟神である、須佐之男命の新婚の喜びの歌



【八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を】





    

      IMG_0850.JPG





日本人初の和歌が新婚家庭の幸せを自ら言祝ぐ心を謳ったもの・・・

この歌を以って、和歌の嚆矢とされているのは、

何を意味しているのでしょうか・・・・




天津神である須佐之男命が、八俣之遠呂智(やまたのをろち)を退治

国津神の娘、櫛稲田姫と結ばれる・・


      IMG_0832.JPG


      稲田姫





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2014年04月11日

【歴史の真実】K 続 古史、古伝


古史、古伝とは、【古事記】以前の書と伝えられる古文献の総称です。

現存するだけでも古史、古伝は、十種類以上に及ぶと言われていて、

先ず、


宇宙創成から神武天皇の皇統系譜を詳述した

【竹内文書】(たけのうちもんじょ)

出雲王朝の存在と正当性を主張する 

【九鬼文書】(くかみもんじょ)

富士高天原王朝の存在を徐福が記録したとされる 

【宮下文書】(みやしたもんじょ)

神代文化を詳述し神代の百科全書と称される 

【上記】(うえつふみ)

平田篤胤が追い求め戦後になってやと世に出た、韻文体で書かれた大物主系の文献

【秀真伝】(ほつまつたえ)

神武天皇との戦いに敗れ東北に流れた長髄彦(ながすねひこ)の子孫が古代東北史を書き遺した

【東日流外三郡誌】(つがるそとさんぐんし)

古代の政権争いに敗れ東北地方に亡命した物部那加世(もののべなかよ)の子孫が神職を務める神社から発見された、物部氏のルーツを記した

【物部文書】(もののべもんじょ)

江戸時代の黄檗宗の高僧・潮音海道禅師がまとめた『旧事記』の異本、

【先代旧事本紀大成経】(せんだいくじほんぎたいせいきょう)


・・・・・・・・



先代旧事本紀大成経の様に、成立年代が明らかに古事記以後のものも含まれていますが、

その内容の元となった史料が古事記以前ものであるため、古史、古伝として扱われています。




先回、その序文をご紹介した酒井勝軍著の【神代秘史百話】は、竹内文書を元にして書かれた著述であります。


古史、古伝の多くは現在、偽書とされ、正当に扱われてはいません。

日本の正史は文部科学省によって、日本書紀、古事記のみ、

と言うことになっているからです。

しかし、【歴史の真実】は、想像も出来ない長大なる年月を経ても尚、

色々な歴史遺跡や、遺物、さらにこれら古史、古伝によって、

我々に、真実を語りかけているのです。


歴史とは、一体なんでしょうか?

それは私たち人間の営みのすべてにわたる膨大な

集合意識と集合無意識とが入り混じった海です。

この海(歴史)には、二つの流れがあります。

一つは、この海の表層を流れる海流に当たるもので、

私たちにとって義務教育の社会科以来お馴染みの歴史です。

もう一つは、その海流の下層を流れる潜流・・・とも言うべき流れで、

こちらは、学校では決して教えてくれません。

けれども、海の表層の流れを知るだけでは海の生態を知る事が出来ないのと同じく、

歴史の海でもこの表層の流れだけを幾ら研究しても、

その海、・・歴史の真実の姿や動きを捉えることは絶対にできません。

つまり、もう一つの流れ、歴史の海の『潜流』を知らなければ

日本の【真実の歴史】を知ることは出来ないからです。

なぜ日本の真実の歴史を知る必要があるのでしょうか?

それは今後私たち日本人が果たすべき役割、

日本が目指すべき方向性を正しく理解するためです。

何のために日本人として生まれたのか、又、

自分が何を成すべきかを正しく知るために・・・・。






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2014年04月08日

【歴史の真実】J 古史、古伝



『先代旧事本紀』

『九鬼文書』

『ウエツフミ』

『ホツマツタヱ』


他・・・・・・・・

現在の学会では全く認められてはいない古史、古伝は、

古い古い、日本語で書かれていた・・・らしい。

古い日本語とは何か?



学術的には・・・・・

日本語における文字の使用は、5世紀から6世紀頃の漢字の輸入とともに始まり、

漢字を日本語の音を表記するために利用した万葉仮名が作られた。

やがて、漢字の草体を元に平安時代初期に平仮名が、

漢字の一部を元に片仮名が作られた
・・・・とされる。



本当に漢字が輸入されるまで、日本には文字がなかったのでしょうか?


まさか、そんな・・・・・・。

木を見て森を見ない学者たちは想像力なさすぎ、・・・

・・・・であるとともに、

そもそも実証されなければあったことにならない、

あったとは言えない、と決めつける方が、・・・

普通にオカシイ。

・・・・のでは??


権力行使の為に、意図的に抹殺された・・

その可能性の方が高い。




・・・・と思うのは

・・・・私ばかりではありますまい。

万葉仮名は、古き日本語を漢字表現しなければならなくなって、

便宜上,音に漢字をあてはめただけであって、・・・・・本末転倒。

遥か昔から立派に文字があったことを逆に証明している?

健全なる想像力からすれば、それが当然ではないでしょうか。




★★★★★




酒井勝軍(さかいかつとき)師は【神代秘史百話】の序説で、こう、語っています。



『神武以前は漠として稽(かんが)うべからず』

(稽うと考えるとは別、引き比べる、のと考え正す、・・・)


と、専門家さえ匙(さじ)を投げている我が日本の神代当時は

はたして雲で暈(ぼか)さねばならないほど曖昧(あいまい)であったろうか?

という疑問は誰にでもおこることであるが

僅(わず)かに三千年前の歴史が何故(なにゆえ)に斯(か)くの如く不明瞭であるかと言うに、

専門家は異口同音にそれは国家がマダ無かった為に他ならない

と、言うのである。

然(しか)らば、わが建国者は文字をも有(も)たなかった蛮族であったかと言うに

如何に考えても然りとは言い得ないばかりでなく、

甚(はなは)だ優秀なる文化民族であった様に窺(うかが)われるのである。

とはいえ神武当時の国史すら極めて不十分であって、

之(こ)れがために崇神天皇の頃までの歴史は

日本内地の事実では無いと断定する学者も現れ、

また神武紀元には720年の違算がある、と公言する学者も起こったので、

考えれば考えるほど日本の上古史は、大きな謎と言はねばならぬ。



而(しか)も此の日本は今日世界無二の長寿国であるばかりでなく、

亦(また)最も若々しい元気に溢れている国で、天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅が

其のとおりに実現されつつあるのは如何にも奇妙である。



殊に六十年前の王政復古の如きは奇蹟中の奇蹟で、彼のユダヤ人が

二千六百年後に祖国を復興したのと相比すべき神秘事実である。

而して此の不完全極まる国史を冷ややかに読み去ると何もかも疑わしくなって来て

自然に大和民族の自信を喪(うしな)うようになるが、若(も)し神洲天子国の臣民という

国家信仰の眼を披(ひら)いて国史を達観すると、神智霊覚が自ずから湧き出て

朝日直刺す(なおさす)国、夕日照る国の面影が彷彿(ほうふつ)として浮かび、

思わず襟(えり)を正して『君が代』を高唱するであろう。


ところで外国人は日本の風光に憧れて居るように、又日本国の国体に対して

不可解の敬意を表しているのは事実であるから、観光局も必要であろうが、

それよりも急に神祇局(じんぎきょく)を復興して

神洲天子国の所以(ゆえん)を内外に宣明(せんみょう)すべきである。

然(しか)るに茲(ここ)に驚くべき事が突発した。

それは神武当時は愚か、幾十万年前の神代史が手に取る様に明らかに窺わるる

偉大なる文書及び器物が殆ど完全に発見された事である。



而して此の発見は万国史上未曽有の大発見であって、僅かに七千年前の

スメルアカド時代の断片的石碑の発掘すら驚喜して居る欧米の考古学者

に見せたなら、正に頓死するほどの偉大且つ貴重なるものである。



そこで一日も早く之を世界的に発表せねばならぬが、其の整理に

少なくとも二年を要し、目下極力準備を進めて居る。

而(しか)も差し支えなき部分は公表する必要があるので、過般『モーゼの裏十戒』

を発行し更に此の度本書を上梓(じょうし)することにしたのである。


ところで、読者第一の疑問は、斯(か)かる秘史が何故に今日まで何人も知られずに

隠匿(いんとく)されてあったかであるが。


元来国史は国の系譜であるから、神代当時は皇太神宮の神宝として

奉安(ほうあん)されたもので、天皇及び神主の外は絶対に之を披(ひら)くことは

禁じられてあった。


然るにシナ文化渡来及び仏教伝来の結果として

シナ文化中毒者仏教心酔の徒等が、不逞(ふてい)にも国史湮滅運動(いんめつ)を起こした為に

畏れ多くも皇太神宮の神宝保護に非常なる危険を感ずるようになったのである。



そこで棟梁の臣、武内宿禰(たけうちのすくね)の正孫

平群真鳥(へぐりのまとり)は予(あらかじ)め此の大国難を未発に防がんと志し、

仁賢天皇に代わって皇祚(こうそ)を継がるべき皇太子擁立(ようりつ)に当たり、

彼は斯(か)かる大業は須(すべか)らく武勇剛邁(ごうまい)の天皇に

待たざるべからずとなし、小泊瀬稚鷦鷯尊(おはつせわかささぎのみこと)

=武烈天皇

を擁立せんとしたところが、大衆は日本のシナ化及び仏教化の魂胆からして

猛烈に反対したのであった。



而も彼は三度も自説を主張し遂にこれを遂行せしめた。


後四年、皇太子即位せられ、真鳥を召して立太子(りったいし)事件の真相を語れ、と仰せられ

彼、有りのままを言上するや、何故にや天皇の逆鱗(げきりん)に触れ、

即座にお手討ちということになった。

歴史に曰(いわ)く、平群真鳥(へぐりのまとり)、反し、誅に伏す。


然るに事実はソンナものではなかった。

彼はお手討ちということで内苑に廻されたが、

天皇は、神宝を擁護するもの汝の外になし、

速やかに退(たちの)いて太神宮を死守せよとの有り難き勅命を戴き、

夜半墓場より去って越中に落ち延びたのである。


然るにシナ化し、仏教化した不逞史家らは、此の神明果断の天皇を

暴虐の君と称えた。


而し武烈天皇は史上伝えられたような暴君ではなく、実に右の如き

名君であらせられたのである。



而して皇太神宮に奉安された神代の神宝は全部竹内家の忠良(ちゅうりょう)が代々之(これ)を守護し

三十余の犠牲を捧げて一千四百年間遂に之を死守し得たという事は

全く天佑と謂わねばならぬ。


本書は右神宝中より摘録したもので、極めて断片的のものではあるが、

内には紊乱(びんらん)せる国民思想に帰一の燈明たらしめたく、

外には混沌たる国際観念を統一する太陽たらしめたく、

茲に竹内巨麿氏の允許(いんきょ)を得て上梓した次第である。

原文は凡て神代文字で認められて居るが、平群真鳥の訳文が添付されてあるので、

余は便宜上訳文に拠った。

併し原文との照合を完成した上で更に詳細なる発表をなす考えである。


然るに茲に奇怪極まる事がある。

それは国体擁護上国史を死守せねばならぬ筈の官禄学者(かんろくがくしゃ)が、

不思議にも国史湮滅運動(いんめつ)に耽溺(たんでき)して居る事で、

名を研究に借りて巧妙なる国体破壊を敢(あ)えてし居るので、

斯(か)くも驚くべき神代秘史が発見されたならば、

其の真偽を疑うよりも、何事を措いても先ず自ら拝観を乞うべきであるのに、

彼ら未だ一人も拝観せしものなきのみならず、神代文字は後世の偽作なり

故に神代文字の文書は一顧の値なし、との理由を以て公然此の神代秘史を

否認して居るのである。


建国者を南洋の蛮族と同様に心得て居る化石学者や、神武以前に国字が無かった

などと考えるほど国家信仰の消失した不逞学者等は何を囈語(げいご=たわごと)

しようと彼等の勝手ではあるが、僅かに一千年内外の骨董品保存などには

馬鹿馬鹿しいほど熱狂して居りながら、

神代時代の神宝であった神代秘史に対しては、之を一度も拝見せずして、

偽物(ぎぶつ)見るに足らず直ちに焼却すべしとさえ放言した博士が居るが、

余は斯かる非国民を相手に神代秘史を論ずる者ではない。


唯、我が国にモ少し徹底した国史が欲しい、

モ少し祖先の身元を鮮明にしたいと熱望する国士国女の赤誠に向って

謹んで本書を提供するのである。


復興紀元二千五百九十年冬十二月






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posted by 絵師天山 at 17:05| Comment(0) | 歴史の真実