2015年07月01日

【歴史の真実】 31  戦後70年  WGIP


WGIP・・・・!?
WGIPって何?

ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム
つまり、GHQが日本占領政策の一環として
日本人に戦争についての罪悪感を植え付ける為の
宣伝計画のこと。
宣伝計画というと柔らかいが、
つまるところ洗脳
もっと突き詰めてゆけば
火力に依らない徹底破壊工作戦争。



これによって現在もまだまだ
日本は大変な不幸を背負わされているのですが、
大方の国民は今だに、このWGIPの存在すら知らない。


再び、藤誠志氏の文章を抜粋させていただきます。



連合軍最高司令部(GHQ)は、日本占領管理政策の一環として、日本人に戦争についての罪悪感を植え付けるための宣伝計画である「ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)を実行した。このWGIPを主導したのが民間情報教育局(CIE)だ。非道な原爆を無警告投下しながらも、アメリカが良い国であり続け、日本が再軍備をしてアメリカに対して原爆投下の復讐をする事がないよう、GHQは占領期間を通じて、原爆投下の調査、原爆被災研究、記録映画、報道などの禁止、資料の没収並びに発行停止の指示を出すとともに、先の大戦を「軍国主義者」と「国民」との戦いにすり替え、全ての責任は非道な侵略戦争を行った「軍国主義者」にあり、アメリカは日本国民を軍国主義から解放した正義の味方であるという図式を日本人に刷り込んだ。

占領直後の9月18日には、「原爆は国際法違反の戦争犯罪である」と原爆投下を批判した鳩山一郎談話を掲載した朝日新聞に対し、GHQは二日間の発行停止処分を下すと共に、翌9月19日に「プレスコード(新聞編集要綱)」を発令し、その一年三か月後の1946年11月25日には、三十項目からなる、検閲指針(一番目にSCAP連合国軍最高司令官もしくは最高司令部に対する批判。二番目に極東国際軍事裁判批判、三番目にGHQが日本国憲法を起草したことに対する批判、四番目に検閲制度への言及、・・と大事なものから順に三十項目)を出して、日本の歴史上類を見ない言論弾圧を行い始めた。日本の税金を使って雇われた5〜6千人もの日本人検閲官と三百数十人ものGHQの検閲スタッフによって、全ての出版物並びに放送の事前検閲や影響力のある人の私信を九百万通も開封し、電話盗聴まで行った。


GHQは戦争を計画、推進したとして、要職に就いていた日本の有力者二十万人を公職から追放し、日教組を創ってアメリカの都合のよい教科書を作らせ、これまでの日本の強みを奪う教育を実施し、農地解放・財閥解体などで日本の国柄を変え、東京裁判開始一周年記念日に合わせて急ごしらえの憲法を施行した。そして言論の自由を謳い、検閲を禁止する条項を設けた憲法の下でも秘密裏に検閲は続いたのだ。

そしてこのWGIPを補完するものが東京裁判であった。

東京裁判では、アメリカによる東京大空襲や原爆投下を正当化するために、日本は軍国主義者によって残虐な侵略戦争を行った「悪い国」だというストーリーが捏造され、全く根拠のない南京大虐殺説までが取り上げられた。

CIEの文書によれば、WGIPの目的として次のように記されている。
(関野通夫著、日本人を狂わせた洗脳工作ーいまなお続く占領軍の心理作戦、より参照)

1、広島と長崎への原爆投下が残虐行為であると理解する考えに対する対策を講じること

2、東條首相が果たした役割と、日本の侵略政策を正当化しようとする感情が拡大しつつあるが、その感情の背後にある誤った考え方を正しく説明すること

3、占領の終結時に、占領中に為された民主的な進歩を帳消しにするかもしれない、超国家主義的考え方の発生の可能性を未然に防ぐこと。


世代が替わり、WGIPが浸透したことで、日本人の考え方はどんどん偏ったものになっていった。またGHQに協力した検閲官は、占領統治終了後、官界や法曹界、メディア界へと流れ、偏差値教育による日本のトップエリート、東大法学部卒業者を中心にWGIPが引き継がれて行き、彼等はアメリカ留学などの恩恵を得、戦後敗戦利得者として、アメリカに阿吽の呼吸で連携し、互いに優遇し合う日本の支配層(ステルス複合体)として君臨し続け、今もプレスコードによる言論統制の流れは、自主規制として続けられ日本社会の中に脈々と受け継がれている。


日本はアメリカの情報謀略戦によって真実を知らされず、「南京大虐殺」や「従軍慰安婦強制連行」等、中国や韓国からも事実でないことで責められ続けているが、これ等の国々は真実よりも自国の国益を追求しているだけであり、世界の常識から見れば、相手の弱味をつくという当然の行為だ。

しかし問題なのは、中国や韓国の国益のための主張に迎合して日本の国益を損なおうとする多くの反日日本人の存在だ。

サンフランシスコ講和条約第十一条の
“Japan accepts the judgment” の訳は、本来なら「日本は諸判決を受諾する」 となるべきだが、外務省による訳は、「・・裁判を受諾する」 となっており、判決の内容のみならず、東京裁判に関して事実認定を含む全てを受け入れることを意味しているかのような印象を与えている。このように意図的に誤訳するのも、自虐史観を日本人に植え付けようとした反日日本人による謀略ではないかと考えられる。






終戦当時はまだ
朝日新聞も鳩山家も反日ではなかったことがわかります。
厄病神のような終戦利得者なるものが増殖し続け
どれだけ日本の不幸を生み出したか図り知れないのです。


これだけめちゃくちゃにされても
まだ欧米をありがたがってる日本人が
呆れるほど大勢いる・・・ことは
まったく世界の七不思議としか言いようがありません。

絵画の世界における洋画崇拝も根は全く同じなのです。











posted by 絵師天山 at 12:10| Comment(0) | 歴史の真実

2015年06月29日

【歴史の真実】 30  戦後70年 在庫一掃セール


日本では軍人は戦争を好むもの、・・・
とされていて、自衛隊すら違憲と詠う者さえあり
これは実におかしなことですけれど
どこの国でも最も戦争を回避しようとするのは
イザという時に最前線に立つ軍人であり、
ついで一般人、という順序。
それは、
人間としての普遍的性質だと思います。
つまりそれが当たり前・・・
たとえ正当防衛でも
相手を殺すのは嫌だし
自分が殺されるのは
もっと、嫌!!



東條首相以下軍部の権力者たちが不幸にも
好戦軍人の極致であったが為に
日本国民は、嫌も応もなく
太平洋戦争へと刈り出されていったのだ、
故に戦争犯罪者は厳重に取り締まらねばならない!
と、事実は隠蔽しておきたいアメリカ、及び連合国は
“東京裁判”という特別演出によって、
東條首相以下を絞首刑に・・・し
このシナリオを正当化し
好戦国民、及び侵略者の汚名すら日本人になすり付けました。

事実は正反対なんですが、
公平な言論は封鎖したままですから
ずっと、70年もの間
ただただ、そのシナリオを習慣的に継続し
嘘に嘘を重ね続けてきたので
汚名を着せられたまま
汚名とも思わず
それどころか
日本人自身が反日化していったのです。


ホントの事が見えていない状態のまま、
自分達が間違っていた、と、
反省してしまう笑えない事実、
恐ろしい常識が今なお根強くはびこっています。


おかしいのは、とっくに、
外国人の方はそれに気付いていて・・・・
ほくそ笑みながら・・さらに付け込んでいる・・・
にもかかわらず、
大方の日本人はそれをアリガタイと
感じている・・・・滑稽さ

自覚のない反日は個人にとどまりません。

駅前の階段を
エレベーター付きエスカレーターにする運動・・・とか、
学校帰りの児童を地域で守ろう運動・・・・とか、
身近な民生運動を血眼にやり続けつつ、
一方で世界平和、戦争反対、原発廃止・・・・
グローバル・・聞こえの良い理想をぶち上げる
日本共産党、公明党、民主党・・・・など、など、
幼稚なポピュリズムをふりかざして人気を博した
あらゆる反日家集団が
どんなに理想を振りかざそうとも
どんなに身近なる善政を行おうとも
その実、天皇制を完全否定している限り
それは、
日本人とは言えず、紛れもない反日そのもの。

根底で日本文化=天皇制を否定しているのだから

同じ事柄を詠ったとしても結果は真逆になる訳で
冷徹なる誤りのない判断を踏まえて対処して行かなければ・・
判断を先送りにしアイマイに放置しておけば置くほど
いずれは亡国に繋がる


祖国を捨てて逃げ出すために
日本の土地を買いあさる韓国人やシナ人、
はじめ、日本の旨味に群がる外国人による
やりたい放題に晒される未来さえ見え始めています。

しかし、そういうユスリ、タカリ連中よりも
日本人自身の『反日という自覚』のない反日化
の方が深刻なのだから、
実にやっかいな、恐ろしく大変な時代です。


軍需産業が戦争を望むから戦争は絶えない。
という、非人間的利益優先主義も
残酷の度合いを増すばかり。

人の皮をかぶった得体の知れない魑魅魍魎によって
世界は支配されているのでしょうか?

例えば、ベトナム戦争は、アメリカには先の大戦や朝鮮戦争時に作った武器弾薬など軍事物資が在庫として沢山残っており、アメリカの軍需産業はフランス撤退後のベトナムで戦争を拡大させることで軍需物資の在庫一掃と、新型兵器の開発、実験と軍需物資の販売のチャンスにしたいと考えていた事が背景にあり、軍需産業は、ベトナムへの深入りを躊躇していたケネディ大統領を暗殺、自分達の意向に沿う副大統領のジョンソンを自動的に選挙もなく大統領に昇格させ、ベトナムへの軍事介入を広げて行ったのです。

その後も
まるで公共事業の様に次々と戦争を続けてきた事実。
湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争・・・・
軍事産業の論理は敵国のみならず自国民に被害が出ようが出まいが、
利益さえ生めば、それで良い・・訳ですね。

さらに、日本への原爆投下にはこのような真実が隠されていたことも知られるようになりました。

・・・・・利益追求最優先により肥大化してゆく軍需産業を背景として、ナチスドイツを倒すためにアメリカはソ連に多大なる軍事援助を行っていたが、そのためにソ連は軍事的なモンスターになってしまった。第二次世界大戦後には、陸続きのヨーロッパのみならず、中国、朝鮮、日本、インド、中近東、アフリカまでをも赤化(=共産主義化)される可能性が高まり、第三次世界戦争ともなれば、一千万人を越える人々が犠牲になることが予想されたことから、アメリカはこれを防ぐために、議会機密費で開発を進めていた原爆を完成させ使用し、ソ連を牽制するしかなかった。
ルーズベルトはチャーチルと1944年9月ハイドパーク協定で、完成した原爆はドイツではなく日本へ投下することで合意。すでにソ連や国府軍(=中華民国)、バチカンなどを通じて終戦工作を行っていた日本の、天皇制維持の要求に曖昧な対応で時間を稼ぎながら、アメリカはウラニウム型とプルトニウム型の二種類の原爆を完成させ、広島にはウラニウム型、長崎にはプルトニウム型と、敢えて二種類の原爆を使用しました。

原爆投下を実際に推進したのは、当時国務長官であったジェームス、F,バーンズですが、バーンズは1943年夏ごろにルーズベルトから原爆開発を知らされた南部出身の人種差別主義者で、トルーマンよりも政治経験の豊富なバーンズは無警告の原爆投下に反対する陸軍長官スティムソン、海軍長官ジェームス、フォレスタルら、全ての最高幹部の反対を押し切って、ルーズベルトが急逝し、大統領権限の移譲を受けるまで原爆開発を知らなかったトルーマンに対し、この世界赤化を押し留めるのは原爆投下しかないと強く働きかけ、実行したのです。このバーンズの冷徹な決断は、結果として第三次世界大戦を冷戦に代えたのでした。

原爆投下にあたって、アメリカは非常に周到な準備をしています。
原爆だけが悲惨な兵器ではないことをアピールしその非人道性を軽減するために、通常の焼夷弾でも十万人の犠牲者を出すことが出来る事を証明すべく、陸軍記念日の昭和20年3月10日に東京大空襲を実施、ひと晩で十万人以上の無辜の人々を殺戮しました。風向きまで緻密に計算した上で文字通り焼き殺したのです。又、天皇を処刑するというのであれば一億玉砕まで戦うと叫ぶメディアに煽られた日本国民と本土上陸作戦を行えば、百万人ものアメリカ軍将兵が戦死傷することが見込まれるとの試算を行って、本土決戦を避けるためには原爆投下は不可欠であるとアメリカ国内に向けて示す必要があり、その為に制空権も制海権もなく戦略的価値も少ない硫黄島をサイパンから日本本土空襲するときの通路にあり、日本に通報されて迎撃態勢を取られる、とか、帰路に被弾し不時着する航空機の乗員を救助するため、攻略することをが必要であると説き、占領する必要もないのに、日本軍が地下に潜って背水の陣を敷く硫黄島に無理やり海兵隊を上陸させ、日本の戦死者二万人を上回る二万八千人ものアメリカ軍人死傷者を出してみせた・・・・・・・・・
藤誠志著 誇れる祖国日本復活への提言より抜粋



これが、人間の仕業でしょうか?






続く














posted by 絵師天山 at 16:45| Comment(0) | 歴史の真実

2015年05月01日

【歴史の真実】 29   戴冠詩人



日本武尊(やまとたけるのみこと)

享年30歳。

その辞世

嬢女の床の辺に吾置きし つるぎの太刀 その太刀はや

   をとめのとこのべにわがおきしつるぎのたいそのたちはや




この和歌に対する絶賛は、かの、
保田 與重郎(やすだよじゅうろう)によって成されています。
戴冠詩人の御一人者より


“・・・・日本武尊の能煩野(のぼの)に至って病急になったときの御歌である。
『歌いおへて即ち崩(かむあが)りましぬ』と記の作者はつたへてゐる、
私は武人としてその名顕な日本武尊の辞世にむしろ耐へがたい至情を味ふのである。
かういふ美しい相聞歌を何人の英勇が歌ってその名に値したか、
わが神典期の最後の第一人者、
この薄命の武人、光栄の詩人に於いては、
完全に神典の自然な神人同一意識と、古典の血統意識とが混沌してゐた。
紀によれば尊その時齢三十歳とある。
武人の最後に、別れてきた少女を思ひ、
少女の枕辺に留めてきた太刀を思ひ、
その太刀はや と歌う、
武人でなくて可能であっても、詩人でなくては不可能である。
日本の自然と人間の心を示した最も優れた典型の詩である。
をとめの、とこのべに、わがおきし、つるぎの太刀、その太刀はや、といふこのことばの響きも調べも、まして詩情するものも、優にやさしく繊細の極である。
しかもそれは最後の歌であった。・・・・・”






数多の戴冠詩人のうち
私は明治大帝の御製が好きで
明治神宮へ参拝すれば必ずおみくじをひきます・・

明治神宮のおみくじは普通の吉や凶ではなくて
和歌が書かれており、それはすべて明治帝の御製、
女性に対してのそれは、すべて昭憲皇太后さまの御製、

どのような心境の折であっても
自己のその時の心境に合致して
なぜか不思議にも、より高次元の自己実現を
懇切に温かく示唆して下さるかの様な和歌であり
どうして解るんだろう?
と怪しむほど適切な和歌が必ず選ばれて
・・提示され・・・・・暫し打たれて、
心改まる思いを幾度味わったかしれません。


しばらくは大切に財布に入れ
そのまま何か月も入れっぱなしだったことも

明治大帝は、皇后さまとともに和歌がお好き。
生涯に詠まれた御製は、なんと!
10万首を優に超える・・・
昭憲皇太后さまだって3万以上


名歌秀歌は枚挙にいとまがないほど・・
それは素晴らしい名作ぞろいの10万首超。


あの乃木大将も和歌がお好きで
詠んでは陛下に添削していただいた・・・とか。

近代を代表するとされる歌人、斎藤茂吉
この名人が生涯に詠んだのは2万首にも満たない・・・

数は問題にはなり得ない、?
かもしれないが、
そうそう10万以上もの和歌を詠めるものではありません。
近代日本の指導者と仰がれた明治大帝は
還暦を待たずに崩御されましたので
単純に計算しても
ずいぶんお若いうちから年間2000首以上詠まれておられたことになる

毎日5首・・・・?以上・・・
御心労打ち続く日露戦争の最中ですら
スラスラと詠まれた・・・

文字通り、苦もなく
言霊を慈しむかのように・・・
やはり、
比類なき武人であり詩人であられた。



戴冠詩人が嗣出する比類なき国

・・・本来それも世界文化遺産では?!
と先回申しましたが、

万葉集を見ればそれは明らか。


万葉集に集録された
皇室の歌人を数えれば

天皇御十方。
太子御五方
皇后御三方
皇子御十五方
皇女御十一方
さらに
諸王と申すべき御方は四十八人
女王二十三人・・・・・・・・



天智天皇、聖武天皇、高市皇子、倭姫皇后、磐姫皇后、志貴皇子、長皇子、大津皇子、弓削皇子、舎人皇子、有間皇子、・・・・
・・・・・・驚くべきことですね。

額田王(ぬかだのおおきみ)の様に、
現在まで大いに喧伝されている御方もおられますが
御名前からすれば神宮の御神鏡をお守りする大役を担われた?
笠縫女王(かさぬいじょうおう)においては
僅か一首のお歌が遺されたのみ、




あしひきの山下響め鳴く鹿の言ともしかもわが心夫

   あしひきのやましたとよめなくしかのことともしかもわがこころつま
                       (万葉集・巻八 1611番)
   「言ともし」、とは言葉が慕わしい・・・




だが、この一首だけで
誰にも心懐かしい思い出を与える、
まことに慕わしい御製

それこそ、数ではありません。

勿論、万葉集に限られたことではなく
現在でもなお宮中歌会始が正月に催されるように、

戴冠詩人が嗣出する比類なき国




森鴎外晩年の名歌を思い出します






夢の国燃ゆべきものの燃えぬ国木の校倉のとはに立つ国

   ゆめのくにもゆべきもののもえぬくにきのあぜくらのとわにたつくに






大名君にお仕えした大名臣なればこその日本賛歌であります。










posted by 絵師天山 at 00:51| Comment(0) | 歴史の真実

2015年04月30日

【歴史の真実】 28 戴冠詩人の御一人者



戴冠詩人の御一人者


戴冠詩人の御一人者?

これ、何の事かわかりますでしょうか?


たいかんしじんのごいちにんしゃ・・・・と読みます。

冠ムリを戴いている・・・・
エ下レスではエリザベス女王のこと・・・

日本では、・・・そう、天皇陛下

御一人者とは、だれのことを指すのか?

詩人のナンバーワンだから・・・
天皇陛下もしくは皇族の内、第一人者としての詩人!

と、言えば


そう。勿論・・・この御方

日本武尊(やまとたけるのみこと)様のことであります。



★★★★★






もう、現代人の殆どが
【戴冠詩人の御一人者】・・・と言われても
誰のことか見当もつかず
まして、・・・・何の事かもわからず
何と読むのかすら
解らなくなりました・・・・

戦後70年の現実が
・・・・。


反日中国礼賛番組としての
犬HKによる【シルクロード】放映あたりから
着々と坦々と・・・・


NHKを代表として
BBC、ハリウッド、韓流・・・・
朝日新聞が総力を挙げて生み出した反日番組
【相棒】・・・・まで・・・

あらゆるメディアがこぞって
外圧を黒幕として、
虎視淡々・・・・
日本の弱体化を目論んできた・・・

その結果が

【戴冠詩人の御一人者】って、誰?
それ以前に
そもそも、何の事????


真の日本文化については
深く考えさせないよう・・・・全てを
仕向けてゆく・・・・


いきなり最終目標(=天皇抹殺=日本文化消滅)を示せば大いに怪しまれるが、
目標は隠しておいて、身近な嘘を細かく計画的に練り上げ

くだらない
枝葉の、末節だけをクローズアップして
捻じ曲げた立ち位置から
そこが・・・オカシイ
とチクチク・・・・批判し
外国はもっと進んでる
日本だけが・・・・オカシくて・・・
グローバルスタンダードを理解しないし
根本的にズレている
と、
あの手この手で日本の真実から
日本国民を遠ざける


一般人はそんなに暇じゃあないから
深いことばかり考えてるわけには行かないので
つい、上辺の情報だけを採り入れて
そこから物事を始める・・・
それだって・・・それすら、
日常の忙しさに取りまぐれない様に努力しなければ
出来ない・・・ので

たいていの善良なる日本国民は、
クダラナイ民放のお笑い番組や
出演者だけがお互いに面白がってるだけの番組なんかに
付き合ってる場合じゃあなく
NHKにチャンネルを変える、という現実が生まれ・・・・


そこでは・・・・練りに練られた
反日システムでこねくり回された番組が
念の入った仕掛けによって、次々繰り出されており
・・・・、面倒くさいながらも暇つぶし
それなりに楽しんで
眠くなって
寝る・・・
【反日というほどじゃあないけれど、グローバルって必要なのかも?!】
・・・・そんな意識に囚われた
いわゆるリベラル人間が溢れる・・・



そんな、当たり前?
の日々を70年
夢の如くに過ごすうち・・・・・
日本人は
【戴冠詩人の御一人者】・・・が
解らなくなった。



解らなくさせられた・・・



単一民族を滅ぼすのはそう難しいことではなく
その言語や歴史を奪って
30年くらいかけて
過去を消してしまえば良い。



大量秘密兵器を温存していたとの濡れ衣で滅ぼされたイラクと同じ。

30年もしない内に
メソポタミア文明はイラクから完全消滅しました。




今やジャパンアニメの代表!にのし上がった
【進撃の巨人】が
あれほどの人気を博しているのは
過去の記憶を抹殺された人類が
理不尽そのものの敵と
意味不明の争いを
命がけで来る日も来る日も展開させられて
訳わからんけど
ナンで? だ?


という、
抱えきれないほどの悩みを強いられている
・・・その設定が

現在の日本の状況にピッタリ
当てはまっているからなのであります。

若モノ達は、朝日新聞NHK以下
既存メディアは見ないけれど
現在の日本社会の閉塞感が
得たいの知れない悪だくみの所産であることを
それがオトナ達の都合で
放置されていることを
どこかしらで・・・・いや、明らかに
感知している
・・・からこそ
【進撃の巨人】人気が爆発している、
母親が目の前で巨人に食い殺されるという体験をさせられた主人公が未知に挑むけれども
全力の自己犠牲すらあざ笑うかのような過酷な現実が・・・・次々と襲う

このアニメ、世界的超人気にさえなるかもしれませんヨ。
日本以上に
抱えきれないほどの悩みを強いられているのが
世界だから・・・

おぢさんおばさんも老人でも・・・
【進撃の巨人】を読んでみれば
ナントナク・・・・共感があるはず・・・

普通に面白いですよ・・・

いや、無理?・・・
柔軟な心を無くして久しい方は・・・もう
・・・・理解不能?

生まれ変わるしかありません、か??


【進撃の巨人】では
主人公達が本来の自分を取り戻そうと・・・
【人間のあるべき普通】を探す
あがいて・・・あがいて・・・・
消された過去、消された記憶、に向かって
ヤミクモに突進!正面突破!!
そしてしっぺ返し・・・・

そこに共鳴させられる・・・・だから、面白い。


人間って・・・・
ホントは・・・本来は、
こういうモノじゃあなかったっけ???
人間を取り戻す戦い!!


マンガをばかにする人は
絶滅しつつあるけれど・・・しかし、
マンガなのに、
人間が人類としてのアイデンティティーを取り戻そうとするアガキ・・・
を、主題としている・・・・
なんとスバラシイ創意ではありませんか。





日本人って・・・
ホントは
【戴冠詩人の御一人者】と言えば、
ヤマトタケル様のことでしょ・・・・
って、
ごく当たり前に・・・
誰もが、解った。

桃太郎やかぐや姫はわかるけれど
ヤマトタケルは知らない・・・
なんて人は日本には一人も居なかった
ついこの50年で
外圧によって
全部取り上げられたんですョ
日本人としての記憶を奪われたんだ
故意に
悪意によって

本来の意味での
世界文化遺産に登録すべき
第一項目は何か

それは、

【古事記】


じゃあないのか???



そうですね・・・・

世界文化遺産
と、言うからには・・


日本人がそれを忘れてどうする!



・・・・







戴冠詩人の御一人者?
そんな回りくどい言い方しなくたって
普通に、日本武尊と言えば良いのに・・・

ってなもんで・・・


ヤマトタケル・・・さま、は、
全員が知ってるごく当たり前の
英勇の中の英勇にして
天下無双の詩人・・・・
だったのであります。





倭は国のまほろばたたなづく青垣山隠れる倭し美し

   やまとはくにのまほろばたたなずくあおがきやまごもれるやまとしうるわし






              17 一つ松.jpg
               天山書画 【一つ松】




日本に於いてのみ戴冠の詩人が嗣出する。
外国の文学史にはその類を見ない、
ありえない空前絶後のこの事実!


この事も世界文化遺産ですよね、当然。











 


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2015年04月20日

【歴史の真実】 27 天変地異は為政者の責任


今年も
ほんの、数えるほどの春らしい日和・・・
心地よい春の息吹きを感ずる間もなく・・・

ぶりかえす厳しい寒さ、
・・・そして初夏を思わせるむし暑さ
・・・・

なぜこうなんでしょう?

ここ何年も春と秋の麗しさは殆ど長続きせず
暑いか寒いか風か雨、
はては暴風雪、ゲリラ豪雨、超特大台風、・・・・
・・・・

天変地異と為政者による政治とのリンクは、
昔の方が周知の事実でありましたようで、
富士山爆発とか、大地震とか・・・
歴史的天変地異があると為政者の責任!
という、暗黙の了解が成されておりまして、
しかし当の権力者はそれに気付かず
いや、わかっていても降りるのは嫌なので
ダンマリを決め込む
で、
時の天皇陛下が元号を変える、
という「禊祓」ミソギハライ・・をおこなって
人心刷新を御はかりになる・・・

それが日本歴史の通例だった。

何につけても天皇がおられることこそが
外国とは違うお国柄そのもの・・・・・。

現総理大臣安倍氏も
民主党の反日政治から脱却するには大変良かったけれど
どうやら、日本を取り戻すと称して
結局はアメリカの言いなり、
欧米の僕になり下がってしまいました
あきらかに国益を損じていることに
もう本人は分らなくなった・・・。

これでTPPから抜け出せず
日本の米作りを根本的には守らない、となれば、
日本国の崩壊に直結してしまう・・・
恐ろしい事実が待ち構えている

それ故の天候不順に違いない。

第二次安倍内閣発足時には、4月28日の主権回復記念日を
天皇皇后両陛下のご臨席の下、政府主催で行われたことで
主権回復記念日を祝日にと云う機運が盛り上がったと思っていた処・・・・
翌年(昨年)は結局、政府主催にはならず
今年は主権回復記念日のその日に
何と安倍首相はオバマ大統領と日米首脳会談を行うと云う事に。


一体、これは・・・・・!


まがりなりにも日本の主権が回復したという記念のその日に
わざわざ日米首脳会談の為、
アメリカに赴く日本の総理大臣。

これは、「我が国は永遠にアメリカの属国也」と
アメリカ大統領に跪く為に計画された事なのでしょうか。



日本を取り戻す!
公約は?


安倍さんはご自分の権威と健康を取り戻しただけ・・・・
じゃあないの・・・・・




主権回復の日 ・・・






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2015年02月10日

【歴史の真実】26 建国記念の日に寄せて

平成23年二月に書かれた小堀桂一郎先生の文章をご覧いただきます。
   竹駒神社社務所発行の【すいとく】に掲載されたものです。



建国記念の日に寄せて    小堀桂一郎


大晦日の午夜に旧年を送り、明けて正月の元旦を迎へる事を、新しい春を迎へる、と把握する感覚は古くから、又広く及んでゐるけれども、実際には一月の下旬こそが一年で最も寒い、大寒の最中である。

暦の上といふのではなく現実の推移の感覚で言へば、二月こそが新しい春を含んでやってくる月といふことになる。

二十四節気の第一番目である立春が新暦の二月四日に当たることはまづ動かないと見てよいし、その前夜の節分に、人々は夜に追儺(ついな)の豆撒きをして、寒が明けるとの安心を実感する。

本年はこの節分が旧暦の正月元旦で、その翌日二日が節気の立春に当たり、旧正月と共に現実に春がやってくるといふ、何となくめぐり合わせのよい年になってゐる。


暦日の正月元旦と立春 とのずれといふ現象に思ひを致す時、多くの人が『古今集』巻一の冒頭に置かれてゐる在原元方の「年内立春」を詠じた歌 (年の内に春はきにけりひととせをこぞとやいはんことしとやいはん)を想起することであらう。

これは正岡子規によって、(呆れ返った無趣味の歌に有之候)と酷評罵倒されたことで却って有名になった、面白い運命の作品なのだが、筆者などは、暦日と季節の歩みの不一致への違和感を巧みに表現した、或る意味で記念的な佳作であるとの評価を昔から抱いてゐる。捨てたものではない。


立春から一週間後に、国民の祝日としての「建国記念の日」がやってくる。元来明治5年に三大節として「紀元節」の名の下に国家的祝日に制定された古い由緒を有つ旗日だったのに、戦後の米軍による占領中、昭和23年の後半に米軍当局かた祝日全般の改廃を勧告され、紀元節を祝日とすることは事実上禁止されてしまった、さうした苦い記憶のつきまとふ日である。

幸ひ紀元節復活運動は国民的な盛り上がりを見せ、昭和41年6月の祝日法の改正によって翌年に20年ぶりの祝典挙行が可能になったのだが、此の時現行通りの「建国記念の日」と呼名が改められた。


この命名は厳しく言へば正しくない。

二十世紀の後半に入って次々と政治的独立を達成した新興の小民族国家群とは違って、日本の様な古い歴史を有する国は建国の事情を記録した文献が遺ってゐるわけではない。

紀元節と言ふのはキリスト暦での紀元前660年、辛酉の年の正月元旦に、この佳き日を卜して神日本磐余彦尊(かむやまといはれひこのみこと)が大和の橿原宮(かしはらみや)で日本国第一代の天皇としての即位式を挙げられたと歴史上「考へられてきた」日である。


つまり神武天皇即位記念日であり、この日を以って日本国の紀元元年一月一日(もちろん旧暦)とする、といふ歴史観に基づいて制定されたのだとみてよい。

此の日を明治6年以降の現行の新暦に換算すると二月十一日になる、この計算の正確な事は学術上折紙つきである。


かうしてみると、現に二月十一日が立春の一週間後なのだから、今から二千六百七十一年前の辛酉の年も、『古今集』巻頭の歌が詠じてゐる様な「年内立春」の年だったのだといふこのに気が付く。

なるほど、さう言へばこの祝日には、気節の上での本当の新春到来と呼びたい様な明るさと華やぎがある。

その喜びを広く共有する形で、国民一同が挙ってこの日をお祝ひしたひものである。







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2015年02月01日

【歴史の真実】25  ふざけるな!!!白鳳翔


これまでにも再三申し上げてまいりましたが、
実に、不思議な事に・・・・・現在の日本国には、
日本の国益と称し、
実は朝鮮の為に必死に活動し
これこそ国益ナンである!
・・と標榜している組織体、が、
堂々と存在していて
S学会と称し、
政教分離という法律があるにもかかわらず、
政権与党にまでへばり付いて、
日本国の利益は全く度外視して
自国の利益の正当性のみを力説し、
合法化させ、
のさばり続けている事・・・
は、
みな様良くご存じであろうかと思われます。

・・・彼らがしきりにグローバルを標榜するのも、
ホントは、
日本に住みながら、
日本人としての利益はチャッカリ享受しながら
日本人としての義務には一切関わらず
日本人ではないことがばれない様にするための手段・・・

その為には、
あらゆる努力を惜しまない。

心ある日本国民は、皆、こぞってオカシイ!
と、思っているにかかわらず日本人の奥床しさ、

黙って静観するだけの人ばかり・・・・

良くも悪くもお人よし・・・
日本人は
私自身も含めて、馬鹿みたいに・・・人が良いから・・・
日本人の共有性・・・・それを良い事に・・・

現在問題化されているイスラム国の人質事件にしても、
当の日本人人質、・・・・
実は韓国人が通名を名乗っているだけの
えせ日本人?であって、
個人情報保護法によって
確かな事は分らないとされてますが、
帰化している・・・
と強弁しているものの・・・・
確かな事は、・・・言えない
・・・・秘密の事情だらけ・・・・

というのが実態。

まことしやかに通名を名乗った
嘘の日本人が、
無数に存在して、
犯罪率だけ見ても大変な高率なのに
そんな事実は、隠蔽されたまま
個人情報保護法案とか、
ストーカー防止法案などは
この、通名を名乗っている朝鮮人を
保護するために公明党主導で立法化されたもの

というマギレもない事実は殆ど、

・・・・闇の中。

帰化するつもりもない朝鮮人が、
日本人名を名乗ってエゴを押し通す・・・・
・大嘘がまかり通る

キムタクこと・・・ジャニーズ事務所の大御所は
芸能界を席巻する韓国禍を代表する存在であること
・・・・さえ、公には知らされない。

芸能界のドンとされる和田あきこは、その実
朝鮮人であることはあまり知られていない

だって
朝鮮人世界の繁栄のために
日本国で頑張っているキムタクの立場を擁護する
・・・・のがメディアの仕事。
だから・・・・

勿論、和田あきこだって・・・・

しかし

さすがにもう、キムタクや和田あきこだけでは
儲けにならなくなり始めたので・・・
表向きは言わないが第二第三のキムタク和田あきこを育てる
ひそかに・・・・・

しだいに・・おおっぴらに・・・・

まずい情報をリークする奴は、
叩く!
社会的に抹殺!

手段は問わない。

さて、

国技たる大相撲に於いても、
横綱として、かの大横綱、
我らが大鵬様の記録を破ったとされる
モンゴル人、白鵬翔。

上辺の勝ち負けだけを最優先する外国人力士たち
・・・の代表格。
として君臨している人。

日本相撲協会の存立さえ危ぶまれた時代に
間に合わせ、
数字合わせの為に連れてこられた外国人力士候補たち・・・

自分の国すらろくに知らない若い時分に
バブル後の日本に連れてこられたからでもあろうが・・・
(しかし、
別に強制されて連れてこられたわけではなく、
欲にかられて・・・目標を持って
自分から来日した若者たち・・・だけど)

日本文化の神髄など到底解るはずもない外国人子供達が、
ただただ・・・・
欲に釣られて、『勝負の世界』になだれ込んだ
しかし、大相撲は『単なる勝負の世界』じゃあない・・・

先輩力士に対しても張り手をかます
立会いの変化だって当たり前
勝ちさえすれば!
手段は選ばず!

とにかく現金にありつける!!
・・・までは頑張る!

で、相撲は国技であってスポーツではない、
という教育を受けたにもかかわらず、
上辺の理解に止まって・・・

“言上げせず”・・・を良いことに・・・
腹の中では、勝ったモン勝ち!

弱肉強食を絵に描いてきた、
・・・モンゴル人、白鵬翔。
単なる
白鵬翔と通名を名乗っている似非日本人、
・・なだけで。
なのに・・・・

神事たる相撲の審判を批判する!!

一体何様!!!

ふざけるな白鵬翔!

いやモンゴル人!!!

帰化してから言え!
親方になって立派な横綱を育ててから言え!
ホントに大横綱なら、日本文化を背負ってから言え! 
バカもの!!!


処分すべきですよ、日本相撲協会!!
北の湖理事長、大変ですが・・・・
御英断を!!

悠久の日本文化にひれ伏せ、白鵬翔!

お前の財布に入ってきた金は
日本文化の余徳なんだよ、
日本人の優しさです。

血へどを吐いて学んだのは何だ?
オモイアガリか??

ヨーーーーッく考えよ!!!
ワカゾウ!!



中身は日本人より日本人らしい・・・・
という外国人力士も大勢いて、
日本人はその若者たちには心底
応援しています!




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2014年12月22日

【歴史の真実】24   保田 與重郎の慧眼


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          写真はすべて早池峰神楽です




  
昭和16年春、
大東亜戦争開戦直前のこの時期に、
保田 與重郎(やすだ よじゅうろう)は日本人の歴史観についてこの様に述べています。


民族的優越感 
日本歴史学の建設 国史確認の問題 

より抜粋

・・・・・我々は日本人であった欣びと、
日本人の使命の激しさを、
子孫に伝へるようにけふの日を送らねばならぬ。



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さうして歴史は常にそのやうに
書き傳えねばならぬのである。




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かくて我々の生きた歴史も、
書くべき歴史も、
共に死んで了った我を土臺として始められるべきである。




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我々は不断に死の覚悟を教へ、
死の礼法さえ誨(をし)へた、
久しい間我々の教育を今こそ回想すべきである。



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天智天皇天武天皇の朝を中心とした
白鳳の詩人たちのあの慟哭の悲歌には
最も古い形で日本人の子孫につたへるといふことにわたる心がまへがうつされてゐたのである。



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語りつぎ云ひつぎゆかんと歌はれた悲歌の根底には
あの変動期の詩人たちが詩人の鋭さで眺めた、
神ながらの大文化の精神があったから、
とよりは他に想像が成り立たぬのである。・・・・・






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民族的優越感 
新時代の歴史観

より抜粋


・・・・歴史として日本国の示す思想は、
比較によって他にすぐれてゐるなどといふことを
第二義のこととする。



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我々は、東海に儼乎として立つ我が国が、
歴史学として思想として、今や世界を称するものに対し、
自身の裁可によって独自に世界を称し得る国であることを知らねばならない。



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我々は我国の歴史に於いて知る、
我々が独立の誇りをもつ日に、
他に世界を称する考へに従ってはならない、



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我々は今この国の立つ状態を思ふとき、
その困難と危険に心のときめきを禁じ難い。



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その心は遠御祖の磐余彦天皇(いはれひこてんのう=神武天皇)の聖慮にも通ふだろう。



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後鳥羽院や後醍醐天皇の御自信にも通ふものであろう。



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我々の久しい歴史には一貫した悲願があったのである。



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しかもその精神に於いて我々の運命と使命を描き、
明日と今日を示すものが我々のもつべき歴史書である。



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我々の當面する事態を、古きあとに遡って、
あるひは遠き日ののちを慮って、
そこで描かれるものが、我らの歴史の思想である。



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我々の歴史の帰決としての状態が
今や世界といふものに対して、別なる歴史の世界を以って対立するとき、
我々の国家的国民的民族的なもののみが、最も廣く深い意味をもつのである。



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我々の史学が、西洋史的時代分類に対して、
なんらの疑問をもたなかったといふことは、
今日歴史を最も深い思想で考へる者らの思はねばならぬところである。



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中世以後近世史を別つ思想の根拠は、
商圏をもった民族の移動を根拠にして、
一方白人の侵略史を段階づけたものである。




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しかるに我が国の文部省の修史官の思想は、
この白人の歴史観を日本歴史にあてはめることによって、
我が国史を描かんとしたのである。



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今日日本のもつ国史観は、
その時代分類によってみても、
如何にして白人の描いた時代分類を自国に当てはめるかの努力にあったし、
この考へ方はそのまま歴史観の上にもあらはれてゐるのである。



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唯物史観的日本歴史観にしても、
最近の世界史論者の立場にしても、
一歩国史観に於いては、
この修史官の文明開花的思想を脱してゐないのである。

・・・・・・・


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・・・・この文部省の修史官の歴史思想がその自身の無思想を暴露したのは、
明治の最末期の南北朝正閏論といはれる問題に於いてであった。



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これは簡単に云へば、南北朝の正閏は未だ判明になし得ないといふことを国定教科書に記載したことである。



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この問題は議会で起り、
一代の学界、文壇を騒然たらしめ、
最後に桂首相がことの来由を奏上したと傳へられてゐる。



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この時に際して、仄かに聞く處によれば、
明治天皇は首相の言未だ了らざるに、
“両朝正閏の事は、維新の當時既に確定し、
亦紛更を試みる余地なし”と、宣はせ給うたといふ。




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聖鑑日月の如し、とはかかることをいひ、

聖断に維新の當時とあるを特に思ふべきであらう。・・・・・・



★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


保田 與重郎(やすだ よじゅうろう)
1910年(明治43年)4月15日 - 1981年(昭和56年)10月4日)、日本の文芸評論家
奈良県桜井町(現桜井市)生まれ。旧制奈良県立畝傍中学校、大阪市阿倍野区にあった旧制大阪高校から東京帝国大学美学科美術史学科卒業。
在学中より、『コギト』、亀井勝一郎らとともに『日本浪曼派』創刊同人として活躍。高校時代のマルクス主義から後に、ヘルダーリンやシュレーゲルを軸としたドイツロマン派に傾倒して、近代文明批判と日本古典主義を展開。1936年(昭和11年)に、処女作である「日本の橋」で第一回池谷信三郎賞を受賞、批評家としての地位を確立する。以後、日本浪曼派の中心人物として、太平洋戦争(大東亜戦争)終了まで、時代を代表する評論家となる。

大東亜戦争を「正当化」したとされ、戦線の拡大を扇動する論陣を張る(論者によって捉え方が異なる)。1948年(昭和23年)、公職追放。戦後、言論および存在は黙殺された時期があったが、1960年代後半から復権した。その間も「祖国」を創刊し、匿名で時評文を書く(「絶対平和論」「日本に祈る」など)。その姿勢は、戦前から一貫していた。







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2014年12月13日

【歴史の真実】23 赤穂浪士討ち入り


12月14日は赤穂浪士討ち入り記念日

記念日というのもおかしいが、・・・
我が日本国では、年末は
第九!ではなくて・・・・
とにかく忠臣蔵・・・なんデス!!!!。


赤穂浪士(あこうろうし)とは、言わずと知れた・・
元禄15年12月14日(1703年1月30日)深夜
旧主浅野長矩の仇である高家吉良義央の屋敷に討ち入り、
吉良義央および家人を殺害した、
元赤穂藩士大石内蔵助良雄
以下47人の武士であり・・・・

浅野 長矩(あさの ながのり)は、
播磨赤穂藩の第3代藩主。
官位は従五位下 内匠頭=たくみのかみ。
官名から浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)と呼称されることが多い。
元禄赤穂事件を演劇化した作品群『忠臣蔵』を通じて有名。

吉良 義央(きら よしひさ/よしなか)とは、
江戸時代前期の高家(こうけ)旗本(はたもと)。
高家肝煎(きもいり)・・・。
元禄赤穂事件の一方の当事者であり、
同事件に題材をとった創作作品『忠臣蔵』では敵役として描かれる。
幼名は三郎、通称は左近。従四位上・左近衛権少将、上野介(こうずけのすけ)。
吉良上野介と呼ばれることが多く・・・・
本姓は源氏(清和源氏)。
家紋は丸に二つ引・五三桐(ごさんのきり)・・・・。

『忠臣蔵』とは、・・・・
人形浄瑠璃(文楽)および歌舞伎の演目のひとつである
『仮名手本忠臣蔵』の通称。
また歌舞伎や演劇・映画の分野で、
赤穂浪士の復仇事件元禄赤穂事件に題材をとった創作作品のこと。
・・・・・・

御存じ忠臣蔵・・・・・

この話・・・
実は、
隠された歴史の真実が集約されているのであります。

★★★★★★★★★★★★


日本歴史を天皇から切り離して語りたがるのは戦後の左翼思想

司馬遼太郎に代表されますが・・・・
詰まる所・・反日
天皇は象徴【おかざり】
国家の一機関・・・と決めつけ・・・無視する!

その実態は・・・・
単なる嫌戦思想、
何が何でも平和だけが後生大事・・・
国が滅んでも
自分の息子だけは絶対戦争に行かせない!!!

国家がなくなっても・・・個人の平和が最高!!!
現実にはあり得ない馬鹿げたワガママが蔓延した・・・

国家の利益と個人の利益とをごちゃまぜにして
識別すら出来なくなった・・

幼児性日本人が蔓延した時からの悪癖。

例えば・・・沖縄の辺野古基地問題にしても、
虎視淡々と狙っている、
シナ、朝鮮、ロシア・・
・・などの侵略意図
をマトモに受ければ、
一番困るのは自分達、・・
沖縄県人なのに・・
米軍基地のみならず
自衛隊の駐屯さえ反対すると言う愚かさ・・・
自分を守ってくれる軍隊を不要!・・とする
馬鹿さ加減・・

侵略の意思は未来永劫絶えない・・・という現実認識
子供じみた上辺の平和思想・・で塗り替えさせられた・・・
いわゆる平和主義沖縄県民の良識??
左翼思想の被害者?

シナから間接的に金もらって反対しとるんだろうが・・・・
・・・・・

しかし、

天皇を日本文化の核、であると、認識した時には
今日、通例とされてきた歴史概念は
180度一変するのが常であり・・・・。

この場合も、

赤穂浪士の討ち入りは単なる仕返し、仇討・・・
とされておりますが、

天皇はお飾りではなく
国家の事実上の中枢であるという認識に立てば・・

忠臣蔵も、全く次元を変えて、
世界的、国家的プロジェクトであった事が見えてまいります。
フランス革命なんぞの比ではない!!



★★★

時の御門は・・・
第113代東山天皇。
御在位:貞享4年3月25日(1687年5月6日) - 宝永6年6月21日(1709年7月27日)

延宝三年9月3日霊元天皇の第四皇子として御誕辰。
天和3年(1682年)3月に儲君となり、12月に親王宣下があった。
天和3年(1683年)2月に直仁親王(崇光天皇皇太子、南朝により廃される)以来300年ぶりの立太子礼を経て皇太子となる。
貞享4年(1687年)1月に元服し、
同年3月21日に霊元天皇の譲位にともない践祚(せんそ)した。
同年4月に即位式をあげ・・・
さらに11月16日には長く廃絶していた大嘗祭『だいじょうさい』の儀式を復活させた。
この背景には朝儀復活や王政復古運動に尽力していた父・霊元天皇の意向が強く働いていた。

諱(いみな)は、朝仁(あさひと)。

立太子の儀、並びに大嘗会(だいじょうえ)
共に、久しき中絶の儀を再興したもの。
儲君の制はこの天皇をはじめとする。

霊元天皇は修学院離宮をお造りになった後水尾天皇の第19皇子。

つまり、後醍醐天皇親政にのっとり、
幕府統治の根本的誤りを正し
日本古来の天皇親政を図られた後水尾天皇の御意思を
この東山天皇がある程度、結実なされた・・・

そんな時代相・・・



次なる天皇は、中御門天皇(なかみかどてんのう)。
第114代天皇、
御在位:宝永6年6月21日(1709年7月27日) 〜享保20年3月21日(1735年4月13日)

中御門陛下は元禄14年、
東山天皇(第113代天皇)の第五皇子として
御誕辰されておられますので、
赤穂浪士討ち入り当時はまだ御幼少・・・ですが

親王宣下、立太子の儀、践祚(せんそ)
即位式を挙行。さらに
元服の儀を・・・・

当時既に
天皇元服は古式に習った
実に稀なことであり・・・

次々に幕府政治の破たんを示す事柄が続き

遂に幕府転覆を画策したのが
他ならぬ赤穂浪士の討ち入りの顛末でありました。

歴史の真実を、そう言う捉え方で収めるのを忌み嫌う時代風潮から
忠臣蔵は単なる興行として、
お話
として祭り上げられてきましたが

実は2・26事件に優るとも劣らないクーデターであった!
というのが紛れもない事実。


被害者(・・とされる)、吉良上野介(きらこうずけのすけ)は、
高家、つまり高師直の子孫。

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(歴史上では足利尊氏とされてきた肖像画はじつは高師直)

師直(もろなお)と言うのは、
あの足利家の番頭であった高家の棟梁。

御醍醐天皇の親政をとん挫させた張本人足利家・・・
サタンの生まれ変わりの様な足利家の腰ぎんちゃくであり・・・
吉良上野介(きらこうずけのすけ)はその腰ぎんちゃくの末裔・・・


大石内蔵助率いる赤穂浪士は・・・勿論・・・・
楠木正成以下忠臣義士の末裔の選りすぐり・・・であり
三島由紀夫と同様・・・オモイキリ憂国の士・・・
・・・・・・

足利直義も仕組まれて
あるいはみずから仕組んで
ナント!
源頼朝像に化けてますが・・・・


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(こちらは有名。源頼朝像とされているのは実は足利直義像=足利尊氏の弟、ねつ造してまで天皇の権威を貶めたかった・・)


反日=反天皇は、オゾマシク
時代を越えて、脈々と続けられてきているのです・・・
(シナ共産党の目標が天皇の絞死刑であるように・・・)

詰まる所・・・
日本文化とは天皇の事

天皇制こそ日本文化であり
世界にその比を見ない価値そのもの

他に価値など何もない・・・ので・・・
日本にとどまらず世界は天皇に始まり天皇に終わる・・
この地球はそれ以外の星ではあり得ない。


宝永四年。
(江戸時代中期の1707年)・・・
討ち入りは1703年・・・・

現在までにおける歴史上最後の富士山の噴火となっている宝永大噴火(ほうえいだいふんか)が・・・。

クーデターとしての赤穂浪士討ち入りの結果・・・
憂国の四十七士を単なる犯罪人に仕立てて自害させ・・・
クーデターを怨恨事件に貶めた故に・・・

大政奉還し日本文化の拠って来る所以を尊重し得なかった
江戸幕府及び日本国民に対する天譴災異(てんけんさいい)
こそが・・・結果・・・

富士山大噴火として表れたのであります。

従って、東山天皇は中御門天皇に譲位された・・・
当然天譴災異(てんけんさいい)の責任を取られた・・・・

改元することが最大の禊祓いだから・・・・・


討ち入りの時、内蔵助が使用した山鹿流の陣太鼓こそ
日本固有文化そのもの・・・・・・

忠臣蔵=クーデター


眉つばだと思うならば良く御調べ下さい・・
お仕着せられたクダラン概念をヨクヨク取り払って・・・・
曇りなき眼で・・・・

安倍首相率いる自民党がグローバルを翳した途端に
襲いかかる天譴災異(てんけんさいい)・・・
第三の矢は外国頼みだから・・・
詰まる所・・・日本独立を後回しにしたから・・・・


利益と勘違いして外国に日本を売り渡す、
・・・・ことなかれ・・・・
登った木の幹を・・・
自ら切り落とすべからず・・・

愛国の士は何処に・・・・
もし居なければ・・・

再びの富士山大噴火は必至!















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2014年11月18日

【歴史の真実】22 憲法作り直しの必然


平成二十四年に書かれた東京大学名誉教授小堀桂一郎先生の“時評「正眼・心眼」”
【憲法作り直しの必然性】から一部抜粋させていただきました。



・・・・五月三日は国民の祝日の一つとしての憲法記念日である。現行の日本国憲法が制定・公布されたのは昭和二十一年の十一月三日で、翌二十二年の五月の此の日に新憲法として施行された。
その事を記念し、国民の祝日として二十三年に制定されたのがこの記念日である。

施行以来65年を経過したこの憲法を、今や言葉通りに祝う気持でこの日を迎える人は、ほんの一握りの共和制思想の持主でしかないだろう。あとの大多数の人々は、少しでも早く廃棄か改正か、方式はともかく、現在のものに替へて新たに主権国家の現実にふさはしい真の憲法を自主的に作り直さなければ、国民の明日の安全を保障できないという焦燥感に駆られてゐる。

そして有力な政党が揃って四月の末に独自の新憲法草案を公表すると言う所にまで事態は迫ってきた。

どうしてその様な事態になったのか、その問いを、現行憲法の公布と施行とを日常生活の中に生じた身近の事件として経験してゐる世代の一人として受け止めて考へてみると、答えは実は簡単である。

この憲法の公布は筆者の中学初年級の時の事であるが、中学生の子供にとってさへも、この憲法の成立事情のいかがはしさは、誰に教えられなくとも直観的に認識出来た。
それは米国占領軍の要求を受け、その監視の下に、大日本帝国憲法を排除する形で採択を強制されたものだといふ実情が隠し様もなく見えてゐたからである。


この憲法は日本占領の連合国軍総司令部が立案し、日本国政府に押し付けた占領基本方針の法制化以外のものではなかったから、占領継続中は法文と国政の現実との間に辻褄が合ってゐた。
然し、昭和27年4月28日に日本と連合国との間の講和条約が法的効力を発生し、我が国が独立国としての国家主権を回復した途端に、憲法と我が国のあるべき姿との間に実に多くの矛盾が生じてくることが忽ちのうちに明らかになった。

日本の国柄を示す詞として国体という語が用ゐられてきた事はよく知られてゐると思うが、この語に相当する単語を英語の語彙の中に探してみると、それは「憲法」と言う単語と同じものになる。
これは面白い暗合であるが、さうなると、元来同じ概念であるべき憲法と国体とが、日本国憲法の場合には同義どころか全く矛盾そのもので、
憲法は日本国の国体とは全く相容れないアメリカ合衆国の国是を日米戦争の敗戦国としての日本に押しかぶせたものだといふ構造が、事あるごとに露呈されて来た。


この不協和を何とか調整するために、やむを得ず採られた便法が建前と本音の使い分けという姑息な手口である。この態度は社会の各局面に生ずる憲法への抵触や撞着の事例を、あれは建前なのだかえらまあ仕方がないとして目を瞑って見逃しておくといふごまかしを日常化させてしまう事態を招いた。

かうした対処を、法解釈の柔軟性として評価する向もあるけれども、それはやはり国民の倫理に悪影響を与える偽善である。建前と本音の使い分けという世間通用の悪習を奨励している元凶が現憲法であるとは、深刻な皮肉である

(平成二十四年五月)





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