2012年03月02日

なぜ、伊勢神宮奉納へ? 続き 『常識』


 常識と言うものは案外いい加減なもので、時代と場所により“常識”も変化し,
決して不変ではありません。

 現代人の陥りやすい常識?の一つに、【宗教に対する価値観の誤り】、がありましょう。
 仏教やキリスト教は価値があって、新興宗教は邪道である・・・と言う常識は一般的な典型でしょうし、神道も仏教やキリスト教のように宗教であるとする常識。も相当市民権を得ています。

 新興宗教はいわゆるカルト教団であって、ケシカラン。とする人も、なぜか仏教には寛容であり、キリスト教への憧れを持っている場合もある場合があります。

見えない世界への認識は人により様々。

 しかし、実は、仏教も外来の新興宗教であり、キリスト教などの一神教が撒き散らす善と悪との二極で全てを断ずる幼稚さも、じつに取るに足らない見解であり、現代にあっては、不必要物(いらざるもの)であるに過ぎません。

 釈迦は中庸を教えた素晴らしい知恵者であり、キリストも博愛の権化であって、お二人が人類の導き親であることは間違いありませんが、仏教は釈迦が造ったのではなく、キリストがキリスト教を作ったわけでもありません。

仏教もキリスト教も、むしろこの二人の聖人が唱えた事の逆を行っており、実態は、似ても似つかぬシロ物。

 本当のところ、嫌われている新興宗教と全くの同列にあるのが、仏教でありキリスト教であり、21世紀の今日、あらゆる宗教と言う宗教全てが、害毒以外の何物でもないでしょう。

 
 そして、神道を宗教と同列視し、貶めようとするのは、日本の卓越性を否定したい意図から出ているGHQはじめ外来の策謀であって、どのような観点から見ても本来の神道は宗教ではあり得ません。

 むしろ、宗教とは全く対極の存在であると言うのが真実であり、宗教概念が出来上がるはるか以前から、地球の歴史と共に存在してきたのが神道であります。

 人は【常識】と言う価値観に引きずられて、その実態には気付かず、それを後生大事にして尊ぶ。と言う弱点(くせ)があるのですね。それは、自分で咀嚼しない内に安易に受け入れてしまう、日本人が陥りやすい通有性でもあります。

 
 人のことを言える立場ではありません。
 
 わたしも以前はこの【常識】に囚われたひとりでした。

 
 しかし、陰陽師舊事希軍先生に出会い、いろいろとご教授をを戴いたおかげで、【常識】と言うものの実態に気付かされ、本来の神道の尊さもはっきり認識できるようになったのです。

 
 日本という国の真価、神道の真義・・・・を平易に解き明かし、ズーっと続いている戦後の洗脳教育、洗脳メディアから抜け出る事が出来ず、【常識】に囚われていた私を一気に解き放ってくれたのでした。





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第94回院展出品作品 【古事記(ふることふみ)】

 岩戸開きのシーン 絵巻部分





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  アメノウズメの扇情的なダンス・・・















posted by 絵師天山 at 02:29| Comment(0) | 古事記1300年

2012年02月11日

なぜ、伊勢神宮奉納へ? 続き 『洗脳の呪縛』


八重垣神社の壁画から、 俄然好奇心をそそられた私はもっと、陰陽師の先生に近づきたくなりました。・・・・この人には、何か・・・たしかに何かある!!


つくづく思いますが、画家、絵描き、と言う人種は感情人間そのもので、われながら呆れるほど感覚人間。常に感情先行です。たいていはそれで失敗するんですが、しかし、それでないとメシが食えない・・・・・カナシイ・・・なりわいなのです。


抑えきれない興味を感じ、率先して舊事先生にお会い出来る機会を作りました。

初対面の折の軍歌の合唱・・・しかも六本木の飲み屋で・・・にはじまり、
以後、自分から望んだ陰陽師舊事希軍との出会いは、目からウロコの連続・・・

知らないうちに、自分がいかにGHQの仕掛けた洗脳教育にやられていたかを知らされ、
目覚めた日本人が・・・少数だが、ちゃんと存在し、

反日教育を当たり前の様に受け止めて、気づかない間に自分も、反日!日本人として、立派に??仕立て上げられて、これまで平然と暮らし続けてきた事・・・

リベラルという範疇に自分も入っている事すら気づかず、政治は下らないから、ほっておくべきものであって、ろくに投票にも行かず、ただただ、自分のやりたい事・・・絵の道・・・を脈絡もなく、確固たる思いも定まらずにふらふらと歩んできた・・・・等々。

チャンネル桜の存在も、ネット難民という自覚も、陰陽師舊事希軍先生が教えてくれたものです。

その後、【お花畑】という、目覚めていない日本人への蔑称 (さげすみだけではなく少し同情も加わった・・・あだ名) を知り、まさに、自分がその典型であったことを思い知らされる様に・・・。



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院展出品画、【古事記(ふることふみ)】 部分、あらぶるスサノオ・・



そして、陰陽師舊事希軍氏との出会いによって、日本に於ける神宮の存在意義、また皇室と神宮、皇室と日本国民との関係などについての新たな認識を得て、絵巻物を描く意義を知らされる事となるのです。・・・・・・。



続く



posted by 絵師天山 at 06:16| Comment(0) | 古事記1300年

2012年01月20日

なぜ、伊勢神宮奉納へ? 続き 『八重垣神社の壁画』


続けます。


☆☆☆☆☆
 

 私は若い頃から、

 人は何故生きているのだろうか?

 何の為に命があるのだろうか?? どうして生きてるの俺は???
という懐疑が強く、それが解決されずにずっと引きずったままでした。

 友人を無くしてまで、ある宗教にはまった事もあります。芸術立国を標榜するその宗教では、ウチは宗教ではない、超宗教であり、芸術による大いなる救いの業である・・・と・・うたっていました。

 後に、この教団の教主様に日本画をお教えすることになりましたが、教祖の言と教団人の行とは、あまり一致せず、個人的に近しくさせて頂いた教主様も、ヤハリ同じで、その事に疑問を感じておられない・・・・と言う点でもまた、同じでした。


 源氏物語を借りて、人物画を追求する。と言う目標の為に“装束オタク”と、近しくなり、従来の交際範囲では考えられなかった人種??と接するようになったことは、前回申し上げましたが、その中で、ヒトキワ注目させられたのが、陰陽師の舊事希軍先生です。

 名刺交換の時、既に≪アヤシサ≫をあからさまに感じ、オタクとの交流もこの辺でやめておかなくては! と自重気味になったのは本気でした。・・・・・・えっ!? 陰陽師?? ・・・・正に、≪アヤシサ≫は、宗教以上・・・・。

 ところが、この先生、事実不思議な能力の持ち主で、前世の記憶を明確に持っている人、であり、それも、一つや二つではありません。私が持っていた知識は専ら、上記の宗教から得た概念であって、 何ら実証されているものではありませんでしたが、それでも生まれ変わり、と言うことは、あることであろう・・・・・、とは思っていました。

 しかし、舊事先生は、人は人にしか生まれないし、人以外には生まれ変わらない事。しかも一度や二度ではなく、幾度も生まれ変わっている事。日本に生まれて来る事が一番難しい事。牛やカエルや、その他動物となって生まれ代わるという考えは、宗教の倫理観と経営観とが結びついた偽説に過ぎないこと。そもそも宗教は、明治時代までの必要物であったこと。など、極、軽く、当然の事であるかのように、淡々と、語るのです。

 実証することは出来ないそれらの事をなぜ信じるようになったのかと、思われるでしょう。
 
 絵描きなんて世間知らずだから、鵜呑みにしてるのでは? 宗教に騙されるくらいだから。と思われるかもしれません。しかし、気負うことなく淡々と話す言葉には何の飾りも、テライも、奢りもなく事実だから事実ですヨ。という、爽やかな印象だけが残ります。

 それは、後の話。

 そのときは・・・・

 初対面でお会いしたのが10人くらい集まった装束オタクの集まりで、私以外はその陰陽師さんを既に知っている様子で。皆さんが、前世を見てもらったら? と私に勧めた事から興味を持ったのです。

 この先生は、そんな事でお金を取ったりしませんからァ。と言われて、・・・へーーーぇ。
お酒の席ですし・・・肴にされてもこの場が楽しければ・・・と言うくらいのつもりで、早速云われた通り生年月日と名前を紙に書き、見てもらうと・・・・・・

 

『はい、八重垣神社で壁画描いてました。ネ。』・・・・・と、事も無げに、云われるのです。

 
 まず、日本画を専門に職業としてやっている人なら兎も角、八重垣神社の壁画を知る人はまず、あまり居ません。
 実際に神社の関係者とか、出雲地方のツアーガイドの人か、あるいは、よほどの趣味人ならば別ですが。躊躇なく、作為を感じさせる間もなく。即座に答えられるほどポピュラーなシロモノではないのです。(事実その場にいた他の人は誰も知りませんでした。)

 コチラが、日本画家の名刺を渡してあるのだからそれをベースに、イワユル、コールドリーディング。ホットリーディング、といった誘導質問・・・の挙句ではなく、装束オタク同士の飲み会で、終戦前の軍歌の合唱を聞かされていた直ぐあとの話。でした。

 この軍歌の合唱には閉口させられましたが、当時の私からするとこの人たち・・・って、右翼?

 と思わせるところが・・・・それと言うもの、装束を現実に今の世界で珍重して使用しているのは皇室のみ。であり、当時芸能人が、十二単での婚礼をしたことで、ささやかな装束ブームが興りかけていましたが、庶民の暮らしとは、何ら関係もないのに・・・・

 職業も、年齢も性別もテンデばらばら。なこの人達、装束だけで一緒になれるなんて!!??
勿論、利害で集まっているわけではないのです。私のモデルになってくれていた人たちも好意から、率先してやってくださっていました。

 近衛隊の儀礼服とか、高官の大礼服とかの話題等もこの人達の間では、ゴク普通に交わされており、私のいる世界とは・・・・・・大分様子が違います。

 
 その中で、躊躇なく、『八重垣神社の壁画』と、言われた!!!!



 実は、私は八重垣神社の壁画については一方ならぬ興味があって、随分以前に出雲へ取材に訪れて初見以来、その壁画は、忘れる事の出来ない存在でありました。

 この壁画は、巨勢金岡(こせかなおか)という絵師が描いたとされていて、事実、この絵師の作品で残されているものはこの壁画のみ。古文書に記録があり、巨勢金岡と言う絵師は、宮廷の絵所預=今で言う文化庁長官のような高い位を授けられた名人であっって、確かに実在していたけれども、作品は残っていない名人。とされているのです。

 日本画は、物質としての耐久性があまり、ありません。有名な雪舟の絵はおよそ、500年から、600年前。一番古いとされている日本画は、かの正倉院に遺されている、鳥毛立女屏風。とされ、これは奈良時代。およそ、1200年前・・・・あとは、800年位前の、春日権現記絵巻20巻も古く、そして、非常に立派なものです。・・・が、ともかく、痛みやすく、残りにくいもの。

 そして、八重垣神社の壁画。おそらく平安初期であろうけれど、ヤツレ、汚損して、修復を繰り返しており、およそ原形を留めてはおりません。
 現代の科学的検証によっても、物質としては、室町期まで、あるいは、それよりも下るのではなかろうか? と言う結論が出ている。

 しかし、信頼される古文書資料には、巨勢金岡の作品であると確かに書かれている。

 なかなか、むつかしい話になっていますが、壁画として残っている最古の部類に入る作品として、完成当時はさぞ立派なものであったろうと・・・・現存する姿は、古びていて、ヤツレ果てているのに・・・・なぜか・・・私は深く興味を持っていたのでした。

 
 即座に私が、

“それは(壁画は)巨勢金岡の作品ですが、私の前世はその人ですか?”と応えると、

“いや、そこまでは解りませんが、絵師は複数いて、共同というか、合作の様ですね。”と明快な答え。

 
 専門職でもないのに、間髪を入れずに、壁画が共同作業であった可能性を示唆するなど、・・・・とても、普通は考えられない事です。初対面ですよ!
 
 
 軍歌のオンパレードも強烈な印象でしたが、壁画と前世の話は、さらに深く心に残りました。
予期せぬ出会いは、以後、俄然面白い事に・・・・・・。




続く




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 【古事記(ふることふみ)】第94回再興院展出品作品 部分



























 
 

posted by 絵師天山 at 23:00| Comment(0) | 古事記1300年

2012年01月15日

なぜ、伊勢神宮奉納へ? 続き 『装束オタク』



  続けます。


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  第63回春の院展 【蛍】 部分

 春の院展で急遽、泥縄式に描いた【蛍】、で火がついた私は、さらに秋の院展で大作として
【源氏物語抄 蛍】を屏風で出品。この作品は、院展全国巡回展を済ませた後、伊勢神宮、神宮美術館で、歌会始記念展にも出品されることになるのですが・・・・http://nihongaka.jp/アトリエ天山ホームページで、既にご紹介しています。


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第93回再興院展 【源氏物語抄 蛍】 四曲屏風



 続けて、次の年の春の院展に夕顔、空蝉、桐壺、帚木(ははきぎ)、と連年連作してゆきました。

 
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 【源氏物語抄 桐壺】 部分



 その間に、師匠がお亡くなりになってしまうのです。

 ご恩に報いる事もできないまま、敬愛する師、今野忠一画伯は、90歳を画業に費やし、多くの宝物を残して旅立って行かれました。

“あと、30年打ち込めばなんとかなるよ。人物をやりなさい。”との遺言から僅か、1年あまりのことでありました。

 
 
 人物に取り組むとしても、現実の社会から人物を取り出して絵にするのではどうしても、自分としては、面白くない。そこで、歴史画に夢を求め始めたことは既に申し上げました。

 歴史を学ぶ事が、取材の主役となり、当然、源氏物語の平安時代の装束、風俗等を学ばねばならないことに・・・・・

 それまでの私は、気の向くまま、師匠、先輩友人に誘われるままに、国内を始め、外国へまで取材旅行を重ね、色々と興味を持ち、様々と想が湧くことに従って、成り行きで絵を描いていました。いわば、アンテナの張り方は全方位。・・・・と言えば、カッコがいいけれど、要するに、行き当たりばったりであったわけです。絵を描く力はついたけれど、生涯をかけて何に取り組むか?腹を据えて取り組むべき仕事とは何か?まだ、そのような自覚には至っていなかったのです。

 ところが、千年の歴史を持つ源氏物語を借りて、人物像に取り組む。という焦点を合わせてみた事で、結果的に行き当たりばったりでは捕らえきれない、日本文化の根幹を学ばざるを得なくなったのです。


 とりあえず知人に紹介された装束の会へ出掛ける事から始めましたが、大げさに言えばこの≪日本を知る勉強≫、は新しい出会い、新鮮な驚き、に満ちていました。それは、日本の伝統文化を守り伝えていく本当の意義を認識する学びでもあったのです。日本画とは何か?日本文化とは何か?そして、日本とは何か? 

 師匠の遺された遺言は意外な展開を見せる事になりました。


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師、今野忠一画伯とのツーショット


 
 紹介された装束の会は、いわば装束オタクの集まりとも云うべき、同好会で、当時の私から見ると奇人変人の集合体。・・・しかし、日本を代表する衣装の熱烈なフアンであることには違いなく、ホントに十二単を代表とする装束が大好き!! それは、見事なオタクドモ・・・?でありました。

 シルク製品はお高いので、化繊の装束が多かったのは事実ですが、みなそれぞれに得意分野があるらしく、着付けの名人やら、手入れの名人、たたみ方の名人、・・・男性も多く、私も束帯を着せていただいたのは、実に愉快でした。

 なにか、こう、血が騒ぐと言うか・・・初めてなのに、不思議な床しさがこみ上げてくるのです。

 源氏オタクでもあるこの同好会のメンバーは、日本画家の登場は珍しく、源氏絵を描く為の取材という理由がはっきりすると、皆さん好意的にそれぞれの主張を実行してくれました。

 つまり、源氏物語のあの場面のあの方はこういう衣装で、こんなポーズで、こんな感じで・・・・
中には、小学生から源氏物語を読んでいた!なんていうツワモノまでいるのですから、俄か知識で絵を描こうなどというのは、それこそ・・・おこがましい!

 スケッチ、写真、それはもう、沢山の取材を存分に重ねさせていただきました。

 皆さんと、気心が知れ、院展も見に来てくださったり、交流が始まると、新しいオタクとの出会いも増えてゆきます。その中で知りあったのが、陰陽師の先生。



 この陰陽師舊事希軍先生との出会いによって、日本に於ける神宮の存在意義、また皇室と神宮、皇室と日本国民との関係などについての新たな認識を得て、絵巻物を描く動機付けとなったのは、後の事です。






posted by 絵師天山 at 10:40| Comment(4) | 古事記1300年

2012年01月12日

なぜ、伊勢神宮奉納へ? 続き  『遺言』

 
 遺言のような師匠の示唆に添うべく、

 “人物画を描き、追求してゆく事”に抵抗はないものの、男性を描くのはイヤ!!

 『男』は、面白くありません。

 日本人に人気のフィギュアスケート競技。
 私は、悪いけど、男子の演技なんか見たくもありませんし、男性向きのスポーツ女性向きのスポーツが、あると、思うし、いくら素晴らしい活躍でも、男子が氷の上でくるくる回ったところで、一体どう なる???

 もっと云うと、バレーダンサー。
 高く何度も、素晴らしい跳躍を見せられても、少しも嬉しくありません。男はいらぬ。

*********************************

 そんな訳で、人物画を極める。・・・・・残りの人生を掛けて、頂点を目指そう!!と言う意識にはなったものの、現実にいる人を肖像画的に描くのではつまらないし、現代生活のワンシーンを取り出したところで、写真や映像にかなうとも思われないし、第一男は描きたくなし、女も好みがあるし・・・・。

 人物像を駆使して、人生のあらゆる喜怒哀楽なり、人情ナリ、人間の本質、この世界の不思議・・等々を描くのでなければ、つまらない。

 

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【古事記(ふることふみ)】第94回再興院展出品作品 部分




 そんなこんなで、歴史人物にファンタジーを求めれば、良いのでは?と考え、ちょうど、その頃友人に勧められた講演会の録音テープ、・・・当時はカセットテープですから・・・が、小林秀雄。

 『本居宣長』、という著書を出版した直後の講演会と言う事で、だいぶ以前のもののようでした。
が、本居宣長が、日本を代表する碩学であることには、昔から関心があり、興味深々。

 その小林秀雄の著書は蔵書にあり、難しくて、途中でつまらなくなり放ってありましたが、著者の肉声は面白く、中でも、本居宣長が、“源氏物語は、【もののあわれ】を描いた”、ものだ。そして・・・・生涯賭けて源氏物語の講釈を門人に語り続けていた、・・・・・。と。


 この時には、まだ有名な【古事記伝】には、関心が向かず、あの立派であるとされる、本居宣長が、終生、源氏物語を楽しんだ、という新鮮な事実の方に驚いたのです、そして・・・・。

 【あわれ】、というのは、≪あっ!あれ!≫・・・が約まって、【あわれ】、となった。
というのです。 これは、絵心もまた同じ。あっ!あれ!あれ!・・・です。

 なーるほど!! これは、・・・・・・・ちょっと心に残りました。

 若い頃から、源氏物語は一度読んでみたいと思ってましたので、これをきっかけに、手近にあった円地源氏を通読。なるほど、これは、・・・・面白い。

 円地文子の訳文でも、全十巻の大作ですからボリューム充分。
が、ちっとも苦痛でないばかりか、愉快に、一気に読了しました。

 勿論、印象に残る、シーンを絵画化するつもりで。・・・・

 読んだのが冬。年が明ければ春の院展制作の準備を始めるのですが、予定しておいた構想を後回しにして、急遽、一番描きたいシーンを、・・・源氏物語絵を描いてみよう!!
と、決意するほど、楽しい体験だったのです。

 院展の作家は、春の院展で一年が始まり、試作して、秋の本展で高みをめざし、それが終わったら、次の年の春に向かって・・・・と、継続的な心の準備を習慣としており、二三年先のヴィジョンさえあるので、テーマごと急遽変更するというのは結構冒険なんですね。

 しかし、魅せられた私は、源氏オタクに・・・・与謝野晶子や、芥川、岩波の原文・・・・次々読み漁って、中でも気に入ったのは田辺聖子と、円地文子。 瀬戸内某・・似非ボウズのは、ハナカラ読もうとも思いませんでしたが・・・・。


 私には、人よりも誇大なる妄想癖があるのでしょう、描きたいシーンが次々想像され、フクらみ、テーマが続々・・・・・。そして、選びに選んだのが、【蛍】。

 ちょうど、源氏物語1000年という節目が二三年後です。と、たまに話題となる頃でした。

 昔から描き綴られてきた源氏絵にも、当然関心が湧いて参ります。持てる資料をかき集め、妄想を構想に換えて、泥縄式に作り出したのがこの作品でした。



  http://takahashi-hidetoshi.com/  ホームページ冒頭に使っている、上下二段の作品
                      絵と、詞書とをミックスした変わった作品です。
                      (現れるタイトルの背景画)
                






以下続く














 
 
 
posted by 絵師天山 at 21:28| Comment(0) | 古事記1300年

2012年01月11日

第94回院展出品 古事記(ふることふみ)


【古事記】(ふることふみ)

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 平成21年、第94回再興院展に出陳された作品がこの額仕立ての絵巻物作品でした。

 もう、十年も前の事ですが、かねて実験的に絵巻を額装して、観せるには??と額屋さんに相談。

そのとき良いアイデアと技術を駆使して、出来上がったのが、【みちのく絵巻】でした。
  http://takahashi-hidetoshi.com/gallery-emaki.html こちらへ・・・どうぞ。

縦、60センチ、横90cmの画面を横に6点、上下に重ねて合計12点、全長10メートルを越える絵巻物を、コンパクト??に二段掛けにして額縁にはめ込んだ・・・のでした。

ちょっと、会場でも目だって、自己顕示欲を満足させたものです。しかし、横6メートルにもなるし、絵巻物などまだ生意気!! と言うわけで、理事長にやんわり非難されたのは、心外!! まあ、怖いもの知らずだったのですね。

 その後、いくつか同じような仕掛けで、絵巻物を額装して、お披露目することに・・・・

で、古事記も絵巻物として、日本神代絵巻とするわけですから、試作して、院展で発表したのです。



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全図より、右上の拡大図。・・・・・冒頭の高天原




☆☆☆☆☆


そもそも、なぜ、古事記=日本神話を絵巻物にして伊勢神宮に奉納する事になったのでしょう?


本居宣長の古事記伝から、太安万侶の序文についての解説を取り出し、ややこしい??事を語り始める前に、もう少し、これまでの経緯をお話したいと思います。



☆☆☆☆☆


 私の師匠は、もう亡くなられましたが、雄大な山岳風景を得意とする、今野忠一画伯でした。

ちょうど、私より40歳年上であられ、四人のお子様を持たれる先生の末息子さんとほぼ同年代。25歳で入門しましたので、先生はそのとき65歳。画家としては壮年期の円熟し始めた頃。バリバリの大活躍中であったのです。

その後、先生が亡くなるまでの二十数年間、本当に、ただただ、お世話になりました。
今でも、ご尊顔を思い浮かべるだけで胸が熱くなって参ります。

この世界は、師と弟子との関係が親子以上の場合があり、先生と私の関係はその典型例でした。

中には、師匠との相性が悪かったり、弟子同志が険悪だったり・・・人間関係で不遇をかこつ人も出てくるのですが、幸い私は文字通り親以上の親密な関係を保つ事が出来、先生は奥様共々、常にあれこれと可愛がってくれ、私も心から心酔しておりました。

不肖の弟子で、再三困らせた事がありましたが、いつも大きな包容力で見守って下さいました。


亡くなる前年。谷中の美術院での同人会議の帰り、先生の車で、いつものように私が運転しながらの車中。色々な話題を重ねた後、

ところで、高橋君は幾つになった??

  もう、50を過ぎました!

そうか、じゃあ、あと30年くらいはやれるな。あんたは、人物をやったら良い。風景は下手だから。
人物をやりなさい。30年突き詰めれば、何とか形になるんじゃあないか?

  えっ・・・・・・・?!


“そうかあ、先生よりは確かに下手だよな・・・風景は。しかし、とことん人物やるのかあ・・?
先生がおっしゃるのだから・・・。兎に角、やってみるか!!!! ”

 漠然とした想いが・・・考えとしてまとまるまで、そう時間はかかりませんでした。常にそうであったように、先生の示唆は勿論この時も、正しかったからです。

人は、自分のことを良くわかっていない面が必ずあるもので、己を知れ!という格言もこのあたりから出ているのでありましょう。

人に指摘されて始めて気づく。いや、指摘されても気づかない場合もありますね。
それまでに、私は色々な対象を描いてきました、勉強の為でもあり、仕事上からでもあり、人物を描いた事もありますが、風景もあり、花鳥もあり・・・しかし、人物は割りと直ぐまとめる事が出来るな、とは感じていたのです。

同人=審査員、に推挙されて間もない頃であり、これからは、先生のご指導を仰いでいるばかりではならんだろう・・・独り立ちしなければ・・・と思っていた矢先。

先生の一言で、“よしっ!勉強し直す!”という謙虚な気持ちも育って、改めて人物画に傾注してみようと決意したのです。




しかし・・・・問題がありました。男は描きたくない! 好みの美人を描きたい! と言う我です。








以下続く





 
posted by 絵師天山 at 23:54| Comment(3) | 古事記1300年

2012年01月09日

古事記 序 その一

太安万侶による古事記序文が、稀に見る名文である事を重
ねて申し上げておきましょう。
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臣安万侶言(しんおうのやすまろまおす)・・・・・・。

元明天皇に奏上致しますという体裁で、神代の・夢の様な・
膨大なる時の流れ・を、いともあっさり言い尽くした名言に
、うっとりする方も多いと思います。

簡潔にして、要を得ている。人間業とも思えません。

なかなか、どうして、少なくとも凡人には、このような文章
は書けないものであります。悠久の時の流れを、深い深い内
容の詰まった歴史を、たった一言で表してしまう妙技にただ
ビックリ。

襟を正される思いがするのは私ばかりではないはずです。
何故これを現在の国語教育の現場に持ち込んで活かさないの
か? 若き日本人には、国家の範とも言うべきこの序文をま
ずもって、諳んじさせるべきでありましょう。

諳んじるだけで、日本人としての骨格が出来てしまうと断言
しても良いくらいの名文であります。
全く天の声と言っても良い。
まるで、【高天原】を見せてくれている様です。

 
夫混元既凝、気象未效。無名無為。
ソレコンゲンスデニコリテ、キショウイマダアラワレズ 
ナモナクワザモナシ

この時点でもう、何をかイワンヤ・・・・・・。
本居宣長の古事記伝に於ける解説こそ最も深い理解をわれ
われに提供してくれています。

実に沢山の人が訳したり、解説を試みていますが、どれも
的外れ。どこか外れているだけです。

ひどいのになるとこの【序】が後世の捏造であると言って
る奴がいるらしい。こういうばか者につける薬はありませ
ん。捏造しようとして書ける文章かどうか、子供でもわか
る理屈ですね。


誰知其形。然乾坤初分、參神作造化之首、陰陽斯開、
二霊為群品之祖、
タレカソノカタチヲシラム。シカシテケンコンハジメテワカ
レテ、サンシンゾウカノハジメヲナシ、インヨウココニヒラケ
テ、ニレイグンポンノソトナリ、・・・・・・・







posted by 絵師天山 at 00:38| Comment(5) | 古事記1300年

2012年01月07日

『とこわか』 趣意書

 国民記念事業 『とこわか』 趣意書

 ☆ 日本神代絵巻・伊勢神宮式年遷宮絵巻 ☆





此の度、日本神代絵巻(やまとしんだいえまき)並びに伊勢神宮
式年遷宮絵巻を謹製するに当たり、謹んで天照坐皇大御神並
びに天神地祇の大前に先ず以ってご報告申し上げます。
  
本年は奇しくも今上陛下御在位二十周年の佳き歳であります。

この佳き歳を記念して、二幅の絵巻を描き始める事と致しま
した。

我が國は大東亜戦争終結後、欧米の強要により、多種多様な
欧米の文物・制度・学術を輸入されてきました。しかしなが
らこれらの急激な輸入は、厳正な批判を欠き、徹底した醇化
を為し得なかった事から現今、我が國の伝統的な思想上・社
会上に於いて甚大な弊害をもたらしています。また、國體そ
のものの存亡の危機に瀕しているとも言えます。
  

今日の我が國民の思想の相克・生活の動揺・文化の混乱を打
開する為には、我ら國民ひとりひとりが西洋思想の本質を見
極めると共に、真に我が國體の在り方を体得する事の外あり
ません。

  

凡そ、我が肇國(はつくに)は天照坐皇大御神が神勅を天孫瓊
瓊杵尊(ににぎのみこと)に授け給うて、豊葦原の瑞穂の國に
天降り給える時に存します。 

天照坐皇大御神はこの神勅によって君臣の大義を定められ、
我が國の祭祀と政治と教育の根本をお示しになられました。

我が國はこのような悠久深遠な肇國の事実に始まった神話に
基づく國であります。


  
伊勢の神宮は神話の時代よりご創建あらせられ、御神体とし
て石凝姥命(いしこりどめのみこと)の鋳された八咫の鏡を御
奉斎せられる日本の本宗であります。

神鏡奉斎の神勅によると、八咫の鏡は天照坐皇大御神の御
霊代(みつえしろ)として皇孫に授けられ、歴代天皇はこれを
受け継ぎ、斎き奉ることで、常に天照坐皇大御神と共にあら
せられるという大御心であります。これは即ち天照坐皇大御
神は御鏡と共に今におわします、つまり過去も未来も今に於
いて一つになると言うことです。

これは将に、神宮の式年遷宮に見られる【常若(とこわか)】
の生命と言えるでしょう。

我が日本の歴史は永遠の今の展開であり、日本の歴史の根
底にはいつも永遠の時が流れているのです。


私は日本画家として日本神代絵巻と伊勢神宮式年遷宮絵巻を
対巻として描く事で、御皇室の彌榮を請祈(こいの)み奉ると
共に、我が日本國民は天孫降臨によって神々と固く結びつい
た神裔であると言う事を、些かでも日本國民に呼び覚ますこ
とが出来ることを切に願うものであります。


総合監修を東京大学名誉教授文学博士、小堀桂一郎先生にお
願い申し上げ、各考証は陰陽道陰陽会、陰陽頭、舊事希軍先
生にお尋ね致します。



           紀元2669年 己丑 如月





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習作の箱書き、及び外装




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2012年01月04日

新春対談 小堀桂一郎東大名誉教授に聞く


 是非、この動画をご覧下さい。チャンネル桜、ユーチューブ動画です。

http://www.youtube.com/user/SakuraSoTV#p/u/1/QO5GocjeEHI

 古事記1300年を期して、新年に当たっての寿ぎを語っておられます。

 院展創立同人のお一人で、武者絵の第一人者であった、小堀鞆音画伯の嫡孫であられる、東京大学名誉教授 小堀桂一郎先生の談話です。




 “和銅五年、西暦712年、正月28日、太安万侶により撰録が完了し、元明天皇に奉られてから、丁度1300年。
 記念すべきこの年に、神代の昔から、日本民族がいかに豊かな歴史を紡いできたか、改めて見直す必要がありましょう。我々日本民族の過去の履歴がどれほど豊穣であったかを知ることが大切です。” ・・・・と先生は語っておられます。

今、私が取り組んでいる、日本神代絵巻の監修をお願いした時、小堀先生は快く御請け下さったのも、日本歴史に対する強固な自負を国民の大きな財産としようとされる先生の御意思にかなったからであると思われます。

来年の秋、日本橋三越本店でのお披露目も予定されています。


 完成に向けて習作を描いていますが、試作の第一巻冒頭はこれ。


IMG_1592.JPG


 全長8メートル、小葵紋白地の錦で表装。簡素、シンプル、神道の本旨であります。









posted by 絵師天山 at 14:07| Comment(0) | 古事記1300年

2012年01月02日

年頭に当たって


第62回伊勢神宮式年遷宮が、平成25年に予定されています。
二十年に一度のこの国民的行事は、世界に類例がないばかりか、日本文化の象徴、であり、世界に冠たる祭祀文化、ともいうべきものです。

常に新しい・・・・、【常若(とこわか)】、という日本固有の精神美の具現でもあります。

これを期して、私は二巻の絵巻を描かせていただき、伊勢神宮に奉納させて頂けることとなり、合わせてこのブログを使って、制作状況を逐次、お伝えしてゆこうと思います。

日本神代絵巻(やまとしんだいえまき)

伊勢神宮式年遷宮絵巻(いせじんぐうしきねんせんぐうえまき)


と題した、二巻を対として、平成25年をはさんで、
伊勢神宮の神宮徴古館にお納めさせて頂くお許しを既に得ております。




殊に本年は古事記1300年。
奇しくも太安万侶が勅語によって編纂を終えた年から数えて丁度1300年の時が流れました。

今年は皇紀2672年。

神武天皇即位紀元、元年から今年まで2672年経ちます。

それ以前、どのくらい古くから日本の歴史が続いてきたのかは解らない。
イザナギ、イザナミ、二神の御出現から・・・神武天皇御即位まで、いや、二神以前も加えたら・・・??・・・???

神話のサキハエル、美味し国振りを描き出したいと思います。
どうぞ、お付き合い下さい。

制作のいろいろをご紹介しながら、ご報告させていただきます。


先ずは・・・・・古事記序


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どうぞ、拡大してご覧下さい。



名文の中の名文!!と名高い太安万侶による古事記序文。です。

これは、人の手になるものとは思えないくらい、段然ブッチギリの格調の高さを誇っています。
これを読む人は自然に頭が下がってしまう事でしょう。悠久の日本歴史を僅か数十行で表現しつくしているからです。日本の歴史に頭を垂れる。そんな気持ちにさせてしまうのです。


字を書くことも学ばねばなりませんでした。現在も訓練は続けています。が・・・・
絵絹と言うシルクに描く事になっているので、普段の和紙とは違う感触。これも新鮮。
とにかく、本居宣長の【古事記伝】を読むところからです。

この映像は、奉納する本作の習作。サンプルというべきものですが、試作とは言えないくらいの完成度を狙っています。

とりあえず、字・・・・から。


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以下続きます・・・・・






posted by 絵師天山 at 21:44| Comment(0) | 古事記1300年