2018年05月22日

画格

絵画にも格があり、
それらしき体裁を整えてあっても
風格・・・といった、内容の深さ高さが無いと
少しの間に飽きてしまったり
飽きるまでもなく興味が湧かなかったり・・
絵画に限られたことではないのですが、
絵の魅力を追いかけている者としては
【画格】ということはとても大切なことであります。


写実というポピュリズムに陥っている現代の美術家達は
悠久の日本歴史が生み出した数々の所産に目を背けているので
底の浅い西欧風に囚われたまま、未だ解放されていないからであり
残念な事ですが、もう少し時が必要らしく
写実は必須アイテムだが同時にもっと必須であるものがある・・・ことに気が付くには
人としての成熟がこれまた必須の様です。


芸術系大学の入学試験にデッサンを課すのは当たり前でしたが
此の度、東京芸術大学油絵科ではそれを廃止したようで、
画期的ではありますが、日本画科の先生方が呆れて大反対しているのは当然で
いったい何を以って選別の具とするのか?
という議論が巻き起こっているようです。


戦後70年を超え、平成の御代が終わろうとする今
もはや戦後という概念すら無くなってゆくであろう未来に
美術家は何を目指すべきなのか、難しい処に来ています。



温故知新がその道標であることはいつの時代でも同じこと。


しかし、現代の価値観で古きを尋ねていてはだめで
普遍なる価値観に立って古きを尋ね新しきを知らなければならない・・・


普遍性と言うのは、常識とも違うし通念でもない。

いかなる時代、いかなる地域、どのような世代、民族、国家・・
にせよ、必ず共感されるべきもの・・・・こそ普遍性であり、

視覚芸術に限っても普遍性が根幹に無ければそれは
泡沫・・・要らないもの、無駄、愚かな独りよがり・・・・なので、

写実よりも大切なのがこの普遍性を求める勉強・・・


明確にその事を認識している人があまりにも少ないので
このままではどうにもイカン!・・とは感じているけれど
どうしたら良いのかが分からない、
とりあえず写実の弊害を排除してみるとしましょう・・・
というのが、写実力の有る無しに拠っての入学選別を止めた今回の東京芸大油絵科の方針。


しかし反対する側も明確なる普遍性を求める心が成熟していないので
ヘ理屈に対するヘ理屈・・・・・らしい・・・・

知人のお嬢さんがメデタク東京芸大油絵科に入学・・・デッサンの経験が浅いこのお嬢さんは驚きと共に喜んだのは勿論だが、新学期が過ぎ写実力養成はどうしたら良いの?と戸惑う日々が、遂に父親を通じて私に質問・・・・・・笑えない現実が・・・




今年は季節の移ろいが早く桜もボタンもあっという間に散りました。
薫風香る初夏の気配に大相撲夏場所・・・
いつもの様に筆者も楽しんでおりますが、
中日を過ぎ、早くも勝ち越しの力士が名乗りを挙げはじめ
だんだん面白くなってきたのに
またぞろ、白鳳の馬鹿ものが呆れるような仕儀で面白さに水を差した。
相手は元大関、琴奨菊、・・勝ち星は上がらなくなったものの
元気でありまだまだ若さを十分保ち、ガブリ寄りの名人として大いに観客を魅了している、・・・勝ち越しのかかった白鳳は
突進名人に要らざる【待った!】・・・をかけた挙句
フライングとも言える出し抜いての立ち合いを見せ、
あわてて受けざるを得なくなった琴奨菊はタイミングをずらされて敢え無く敗退。
勝ち誇った白鳳は相変わらず、賞金をこれ見よがしにガバット獲ると
大威張りで勝ち名乗り!!・・・・・

ここまでの興味はこれで一気に冷え切って、ドッチラケ・・・・
40回の優勝を誇る大横綱が、相手力士の突進を敬遠して
要らざる【待った】をした挙句、格下を出し抜くが如き立会いで圧倒し、
勝ち名乗りを堂々と受けて大威張りで賞金を受け取る・・・
どっちが格下なのか・・・・いやはや・・・・

普遍なる相撲道、はここにはカケラもないのであります!!!!

聞けば、日本人に成るべく帰化することを反対していた父親が他界したのでいよいよ
日本に帰化し、親方となって部屋を持ち、それも銀座に白鳳部屋を建設して
ウインドー越しに稽古の様子がよく見えるような新しいスタイルの相撲部屋にするとか・・・・

あほか!!
そんなものイラン!
悠久の歴史のなかに築かれて来た普遍なる力士道への追求にこそ人は感動する、のであり
部屋が銀座に有るからじゃないぞ、ましてガラス越しに見たいからじゃないわい!!
ばかもの!


・・・・・・・ということで、
勝ち負けだけに価値があると実証し続けているあほ横綱!オマエこそ格下だぁ・・・・フアンの楽しみを奪うな!!!!!









画格の高さを示す内容こそ【普遍性の追求】であろうと
私は思うのであります。








posted by 絵師天山 at 12:54| Comment(0) | 日本画の真髄

2017年01月21日

年頭にあたり

先ず、産経新聞1月9日掲載【正論】から、

小堀桂一郎先生の〜「国家理性」に基づく力の発揮を〜
を、ご紹介します


★★★

 昨年の年頭述志に際しては当年の国民的課題として、初等中等教育課程に於(お)ける国語教育の重視と大学教育に於ける基礎学の充実を二本の柱として、教育の再建の必要性を説いた。本年も謂(い)はばその文脈の延長線上に浮上して来る一箇の理念的目標についての所思を述べさせて頂きたい。


≪個人としての「強さ」とは≫

 目標といふのは昨年提示した二つの課題を総合してみればそれになるとも云(い)ふべき上位の理念であつて、それは国民が個人としても全体としても先(ま)づ強い力を有つ事を美徳と見る、その認識を涵養(かんよう)したい、との提案である。

 教育の文脈から云つても義務教育段階に於ける国語能力たる読解力、言語表現力(会話と作文を併せ考へて)、語彙の豊かさ等は即ち子供の総合的知力であり、この力を十分身につけた者には自然に人生万般に亙(わた)る自信が具はつてくる。それは巷間(こうかん)に喧(かまびす)しい話題となつてゐる「いぢめ」に対する何よりも有効な防衛力である。


 それだけではない。かうして知力を身につける事の有効性を認識した子供は、もし自分に基礎的な体力や運動機能の点で弱味があると悟つた場合、自ら進んでその欠陥を補ふべく体を鍛へることの重要性に氣が付くはずである。「強い」といふ事が人間の重要な美徳の一つだとの認識に達したならばそれだけでも彼の人生は成功を保証されたも同然だと考へてよい。

 同じ理論が大学で身につけるべき基礎学についても適用できる。大学で修得する専門学は所詮は一つの技術である。全て技術なるものの有効性はそれを支へてゐる基礎的な学力の充実如何(いかん)にかかつてゐる。その基盤を広く且つ堅固に構成する要素は、「ゆとり教育」などといふ妄語が罷(まか)り通る様になつた頃からとかく軽視され始めた一般教養である。その教養なるものの実体は、敢へて簡約すれば広汎な読書経験から来る知識と理解力、活溌な想像力に他ならない。

≪荒波に抗してゆくために≫

 大学といふ教育組織を例に取れば、力とは即ちその一般教養によつて身につくものだと考へてよいのだが、此を広く一般社会の職能分野に移して考へれば、それは夫々の専門職の世界で多年に亙つて蓄積されて来た先人の経験を、次代を背負ふ若い世代が着実に継承し、保持してゆく事である。文献の読破を通じての力の継承が、実業の世界では人と人との直接的接触によつて実現し、集合的な経験となり、やがて集団全体の具有する力となつて効果を表してゆく。

 以上に述べた様な国民の諸階層諸職能に於ける力の養成とそれに基く当事者の自信は、国家といふ規模の大きな共同体の持つ力として考へることができる。
人間社会の荒波に抗して確乎(かっこ)と我身を持してゆくには身体と精神との両面で先づ力を具へてゐなくてはならないと悟つた個人が、例へば国際的な激しい競争の場である普遍的な学問世界に身を投じるめぐり合せになつた時の状況を想像してみよう。その人はおそらくこの競争の場で有効に作用するのはどの様な種類の力であるのか、といつた洞察を働かせる。そして今まで心して内部に蓄へて来た基礎的な諸力のどの部分をここで発動すればよいのか、といふ対処の方法を見出し、十分の自信を以て競争に応ずることができよう。


 この事例考察は更に規模を拡げ適用する事もできる。即ち国家の安全保障に関はる事態である。

≪日本の運命に覚悟をもつ≫

 国家主権の尊厳と国民の安危とに責任を有する程の枢要な政治的地位に立つ人ならば、この苛烈な現代の国際社会に於ける安全保障の最大の条件は国際関係に於ける法的秩序が公正に維持されてあるといふ事であり、その秩序を維持すべき要因は端的に力以外にないとの現実を認識してゐるであらう。只、国際関係を律する力の使用に一つだけ留保をつけておくとすれば、それはこの力をそれがあるべき様に統御する機能としての「国家理性」が健全でなければならぬといふ、この一事である。「国家理性」は学術語としては第一次欧洲大戦終了後間もない時期にドイツ人F・マイネッケの学説を通じて有名になつたが、源流に遡れば高名なルネサンス期フィレンツェの哲人マキャヴェリが『君主論』で創唱した力の哲学に必須の前提条件である。

 マキャヴェリは、君主は己の国家の存続のためには必要とあらば悪を為す自由を有する、との強烈な「力」を礼賛する思想の高唱によつて謂はば悪名が高い。然し実際にはその悪をも敢へて為す「必要」性の考察を通じて、「国家理性」の哲学に到達した近代政治学の先駆者だつたとするのが公正な見方である。

 現在の日本国が直面してゐる運命に、国民は如何なる覚悟を以て臨むべきか。我々は言葉の正しい意味での「国家理性」の統御の下に、国際関係に於いて存分に力を蓄へ且つ揮(ふる)ふ事を躊躇(ちゅうちょ)せぬ氣概を持たねばならない。


(東京大学名誉教授・小堀桂一郎 こぼりけいいちろう)

★★★





さて、これを読んで私は、
私共、日本画を志すものとして、
先行きの見えない大変動の時代に
確固たる『大和絵というものへの認識』・・・を
さらに確固として持つべきであろうと、
さらに確固として求めるべきであろう・・・と
重ねて強く強く思います。

底の深いもの、・・・・・
汲めども尽きない魅力がコンコンと湧いてくる・・モノは
飽きることがなく、
自分がどのようなレベルにあってもかならずそれなりに楽しめ、
自分のレベルが上がってもさらなる魅力に出会う事が出来、
どこまで深く掘っても、掘り尽くすこともなく
常に立ちはだかる壁がある。

ホンモノの魅力、
と言うモノは簡単なものであろうはずはなく
僅かな期間で届くようなトコロではなく
すぐに飽きてしまうこともない。
普遍なるもの。
高く見えざる目標を掲げる一方で、
コツコツと
出来る事は徹底的に徹底する・・・


日本人として
日本の真の姿を見極めようと努め
常にそこから大和絵を学ぶ・・・・こと、

今年もさらなる大傑作を目指すこと!!!
それこそが力である、と。




posted by 絵師天山 at 00:29| Comment(0) | 日本画の真髄

2016年08月26日

松島取材

日本三景、仙台は松島へ取材しました。
日本の美は世界最高!!
中でも日本三景は特別、
天橋立、厳島、何れも海の美しさですね。

先ずは塩釜神社へ、
みちのく第一番の大宮であります。




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松島の取材は何度かあり、雪を待って、早朝に駆け付けたりしたこともありますが、肝心なこの塩釜神社参拝は今回が初めて、・・・順序が逆になりましたが、此の度参拝できましてありがたいことであります。




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正面参道だけでこの規模!




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拝殿への鳥居からは松島方面の遠望が・・・






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次いで、伊達政宗公の記念館へ、
蝋人形が不気味?なものの、
政宗公の御事績に感激!!
憧れる!!
信長公の後を継いだのはこの人でした

いつかは肖像画を描いてみたいと
思いますが・・・・
片目・・の理由は、果たして病だったのか
それとも・・・・・バテレン=イスパニア?
・・・の母方の血筋か??






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観光船で松島遊覧・・・・





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夕暮れに合わせて訪れた指折りの松島展望地、
大高森・・・
ここは徒歩で、
絵にも描けない美しさです・・・・









posted by 絵師天山 at 13:54| Comment(0) | 日本画の真髄

2016年08月22日

海外取材

日本人は外国に憧れる必要は微塵もありません。
ただ、たまには、外国の実情を垣間見ることで、
日本人としてどうあるべきか何をしたらよいのか、
を、探るヒントを得る事は必要でありましょう。


しかし、旅行は文字通り垣間見るだけであり
本当にその国の実態に触れることは
なかなかに難しい。


海外旅行は殆どが
その外国のオイシイトコロだけ覗く・・・
のが主目的だから、

例えば、現在オリンピックで賑わっている
リオデジャネイロは、ブラジル一番の近代都市であるけれど
イワユル貧民窟が堂々と実に立派に存在しており
国家権力さえその中では通用しない。
リオに限らず、世界中の大都市という大都市は
それぞれに恥部を抱えており、例外はない、
・・・・のだが、
わざわざ旅行でその事に触れる事はしないので、
海外のオイシイところだけちょこっと覗いて、
楽しい思いでに浸りつつ、日本での現実生活に戻るから
海外の方が良い様な気が、・・・誰でもしてしまうのです。


実際に暮らして見れば日本ほど【恵まれたところ】は
古往今来無い・・・のが、ホントのところ。
おそらく未来も、???


大金持ちの国、スイスでさえ
庶民的な
500円も出せば大満足出来る様な外食産業は存在せず、
高級レストランしかないから
選択肢が無さ過ぎで、物価高のさ中
住みにくい現実を過ごさなくてはならない、
と言う足かせがあるのです。
詰まる所、・・・弱肉強食がまかり通る。
金持ってない奴は人間扱いしてもらえない・・・


あらゆる面において
驚くほど多様に選択肢がある、と言うのは
日本だけ・・・・競争原理は当然
無くなりはしないけれど
弱肉強食とは、少し・・・・・違う・・
のです。


これは日本に住んでみないと解らない、し
先祖代々住んでいるはずの日本人も
案外そこに気付いていませんが・・・・。
自分の事は良くわからないのですね、・・・



世界から見れば、こんな羨ましい国はありません
羨望と嫉視。
不思議な事に、恵まれている日本人は
自分の恵まれ度合いが良く解らず、
外国の羨望と嫉視に根差した侵略意図に
無防備であることが普通。
【平和ボケ】、【オハナバタケ】と、揶揄される所以です。





★   


私の初めての海外取材はスペインとポルトガル。
師匠、今野忠一画伯のお声がかりで、
並みいる先輩日本画家達と共に最年少での参加。
勿論、私は金が無かったのでローンを組んで・・・
帰国して後、毎月3万円払いましたが、
先生にお誘いいただくことが
大変アリガタイことでありましたので
何とか、加えていただいたのでした。
亡くなった方もおられますが、
今でも同行して下さった諸先輩に
御厚誼をいただいており感謝しております。


今野先生としましても
スペインは一度行ってみたい所でありましたそうで
事実、イワユル【絵になる景色】に溢れており
単純な意味でのエキゾチシズムで満ちていて
初学の私には打ってつけの取材地だったことは幸いでありました。
とにかく見るもの聞くもの初めてですから
何もかも面白く感じる、・・・・
取材という目的には非常にマッチしているわけですね。




          
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第36回春の院展に入選したのがこのスペインの情景を題材とした試作品、
恥ずかしながら、その後「下手クソな絵が残っても」、・・・と考え、
自分で処分してしまいましたが、思いだけは深い作品です。





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これは37回春の院展に入選した【オビドス】、
城壁で囲まれたポルトガルの小都市を題材に・・




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【トレド】
首都マドリッド郊外の中世要塞都市から想を得まして・・



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【聖塔】
セビリアの有名なヒェラルダの塔をモデルに・・



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【マドリッド】
茜に染まる首都マドリッドの夕空を意識して・・・こちらも春の院展出品作品です





このほかスペインを題材にした大作、小品は多く、
初の海外取材は、ささやかな稔りを得て
大変幸せなことでありました。


後にスペインは何度となく訪れる事になり
今でも深い縁を感じておりますが、
押し並べて景色が単純である為に、
初学の者に丁度良い題材が揃っていて
しかも眼に新しい故に好奇心がそそられる・・・
作画のモチベーションとなる要件が
実に良く揃っているのですね。

この事はスペインに限らず外国の風物の殆どは
日本のそれに比べて大雑把で大まかな為に
絵を描く勉強には都合が良い、と言えます。
良く言えば雄大、ダイナミックですが
繊細さに欠ける。
ビックリはするけれど・・・・美しくは無い。
故に未熟な画家の学びには都合が良い訳です。


それに比べて日本の自然、あらゆる風物、は
繊細華麗、しかも、瞬々に移ろふ・・・
その美しさを画面に捉える事はなかなかに難しく
しかもある程度捉え得たとしても、
見る側には【慣れ】がありますから
それほど感心してもらえない。


外国の風物はそれ自体がエキゾチックで
興味をそそり、表現力があまり無くても
描き取るだけで、ビックリしてくれる・・・
感心してもらい易い、・・・





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コチラは、パリのモンマルトルの丘に建つサクレクール寺院、
シンメトリーの美を写真的に描いたもの・・・






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ドイツ、ノイシュバンシュタイン城、所謂、白鳥城







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コチラは、イタリアアッシシあたりの教会がモチーフ





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次いで、シナ。北京の天壇を描いた作品。


 

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農村地帯からの取材、田園





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大同の石窟大仏





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コチラも北魏時代の仏様





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洛陽の石造仏





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レリーフの礼仏と牡丹





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コチラはタイ、・・・スコータイの弥勒仏





          
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インド、タージマハル、白陽。





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月下のタージマハル





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インドラジャスタン地方の風の宮殿(ハワーマハル)





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水の宮殿





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ネパールの少女





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【カッパドキア】トルコ中央部の景勝地





あちらこちら、ずいぶん色々な処へ行きました、


遂には旅行とは言えない秘境、
奥地への取材でチベットやラダックへ。
ムーンランドと呼ばれている殺伐とした地の果てまでも・・・・
標高5000メートル越え!!
地平線の果てまで草木一本ない所!・・・








海外好きの先輩に導かれ、地の果てまで・・・、
小さなスケッチブック広げるのがアホらしくなるくらい雄大な地球の姿も見たけれど
日本人が大好きなハワイにはまだ一度も・・・・

歪んだ形の海外旅行?ばかりだったのが災いして、
今はもう、別に、どこにも興味は湧きません。
老いたからではなく!

もっと、ずっと、ずーーーーっと、
面白い
日本がありますから。
美しい日本と
日本の心こそ
ワクワクするような美の源ですから。



宝の山は日本にしか無い!!!!!!





















          
posted by 絵師天山 at 14:13| Comment(0) | 日本画の真髄

2016年06月12日

極意 続き


音楽や絵が好きで一生懸命没頭努力する人は
割合からすると、日本人が一番多い筈で、
それは四季折々の明確かつ微妙な変化を
極日常として受け入れてきた、
ながーーーい日本の歴史的所産。
営々と暮らしの中に息づいてきた日本人ならではの感受性故、
人を和す文化が育まれて来たからに違いありません。


絶対音階という不文律がないと
音楽とは言わない西欧に反して、
邦楽は、いついかなる時であろうとも
不文律に従う事は従であって
その日その時の気分に従って、
曲想に合わせ、
老若男女それぞれの時処位に合わせた
・・・・ところ(音)から始める。
・・・のを是としているのです。

つまり・・・
その日の気分次第で一番都合の良い音から始めてかまわない。
・・・人の幸せの為にあるのが文化というもの。
外国とはおよそ逆さま・・・
どちらが本物か、言わずもがな・・・ですね。
しかも、自己の優位について何も言上げしない・・・


音楽同様、絵画が好きな人も実に大勢いて、
器用な方も多いので、
美術を志向し、携わろうとする人も数知れず、
仕事としないまでも、年老いてまで続けられる趣味として
大いに、広まってはおりますが、
おかしな西洋崇拝観念が邪魔してその虜になって気付かない人が多いので
ホントの美味しい所を味わえる人が悲しいほど少ないのは非常に残念な事と思います。


普遍なる地球の不思議、変わらぬ自然の節理、
雪月花、花鳥風月、・・・・・
森羅万象・・・
美しさの拠って来る所以を突き止める努力を惜しまなければ
汲めども尽きない、・・・・ホンモノの創作が産まれるのであります。


が、
美しさの拠って来る所以を探すのに
西洋的手法に頼る癖がついてしまった。
見たものをあるがままに描く、という・・極、幼稚で単純な手法ですね。
写真みたいに描く力を育てる事が不文律、音楽で言うところの絶対音階・・という訳です。

が、しかし、日本では、、筆の文化だから、
写実しようにも、鉛筆で描くようなことは出来難く、
筆を用いて、現実を描写しようとすると無理があって、
自動的に抽象化されてしまうわけで、
写真みたいにはならず、・・・なろうとも思わなかった
むしろ、筆でしか描けないので
筆力を尊んで、筆による描画そのものを楽しんできたのですが、
西洋崇拝に汚染され
これを、西洋流に対しての日本の欠陥であると決めつけてしまったのですね。
写真みたいに描けないのは劣等の証拠だ・・と決めつけた。
戦後の自虐史観と全く同じ次元です。


だが、実は、
21世紀の今日、写真を始め映像世界は・・・
驚く程飛躍的に大発展し、
レンブラントやフェルメールくらいの写実力は
もう誰にでも手近なる機械力で、瞬時に、
極簡単に、しかもほぼタダ同然で出来る時代になった。
写真みたいに描く必要は全く無くなったので、
例えば、従軍画家などというポジションはとっくの昔に絶滅したし
写真家さえ生きてゆくのが難しい時代になり、

それなのに、・・・・・美術の世界では今だに
写実力が思いきり幅を利かせており、
写実的100点満点が最優先であり、最高の評価基準!
・・という愚かさに止まっているのですね。



写実力などには興味を示さなかったかつての日本人は
邦楽の様に、その日その時の気分に従った虚構を描いてある方が
・・・・魅力的だし、楽しいし、オモシロイ!と、理屈抜きに解っていたのです。


ホンモノみたいな嘘をついてくれた方が楽しい!
・・・デタラメでは丸で伝わらないからダメだけれど、
・・・現実を踏まえたファンタジーこそ、絵であり
それが、美術だったのです。

ソレこそが絵空事!!!

残念な事に、邦楽の世界でも
古くから伝来した楽譜を止めて、五線譜に書き換える運動があった、
と聞き及んでいますが、・・・人を縛ることが文化であるならば
それで、良いのでしょうが、人を和すのが本来の文化である筈であり、
本末転倒。自ら堕落してドウスル!!


写実力が全く不要かと言えば決してそうではなく
創作者としては、一つの技術として、
有る程度の写実力は必須でありましょうけれども、
それと同等に必須であるのが、日本的造形を学ぶこと。
これに気付く人があまりにも少ない。
上辺の言葉としての、『余白の美』など
御自分の都合の良い時には持って来て
モットモラシイことをおっしゃる方もおられますが、
実際に使える人はまず、少数派。
『誇張と省略』などと言えば、もう聞いたこともなく、全然わからない。

写実力に対しては、抽象力と言うモノ・・があり、
両輪の如くこの両者を鍛えねば
創作力は育まれない・・・のだが、

このことを、意識することもなく
ただただ、興味本位に写実力の養成を重ね、
あとは、個性という独りよがりを付け加えて
はい、出来ました!
と嘯いているのが自称現代美術家であろうと

実に残念ながら、そう思わざるを得ないのであります。



普遍なる地球の不思議、変わらぬ自然の節理、
雪月花、花鳥風月、・・・・・
森羅万象・・・
美しさの拠って来る所以を突き止める努力を惜しまなければ
汲めども尽きない、・・・・ホンモノの創作が産まれるのであります。




現場に赴いてのスケッチは実に楽しいものですが、

対象物の美しさが何に拠って産まれているのか?
どうして美しいと感じてしまうのか?
その追求が無ければ、いつまでたっても、何枚スケッチしても、
結局は写実にしかならない。

正確に描けば描くほど、つまらない現実説明となり
しかも現代の映像技術に比しても問題にならない貧弱さでしかない

そのことに、少しでも早く気付くことが
昨今の停滞してしまった日本美術の脱皮、回帰への極意なのですが・・・・


日本的造形法こそ、世界に冠たる美術の源泉であり、
ジャパンアニメはその極小規模なる現れ、に過ぎません。






posted by 絵師天山 at 13:00| Comment(0) | 日本画の真髄

2016年06月08日

極意

私が絵師として
日ごろ信条としている事は
手近な目標を立てると同時に
同じくらい、あるいはそれ以上に強く
トンデモナイ高い大目標を打ちたてて
そこに肉薄したい、というモチベーションを
明確に意識しつづけること。しかも強烈に!

これは、別に、絵師に限らない
道を究めようとすれば当然のことではないかと思います。


しかし、絵師も社会の一員である以上
常識とか通念とか、一般的概念に囚われてしまいやすい。

手近な目標はそれで構わないけれど
遠大な目標には、常識や通念が時として、邪魔になる。


既成概念に囚われているうちは、
遠大な目標は、見えてこないからであります。


例えば、300歳まで生きる!
それは、絵の道の為の大目標!
還暦を越えれば、もう、・・・
生物としてはとっくに死んでも一向構わないが、
絵師として理想に近づくには300歳でもまだ足りないから・・・
転生して、転生して、転生して、・・・
転生を繰り返せば何とかなるかもしれないけれど、
とりあえず、大目標は300歳まで生きて絵を描き続ける!!!

大変ダナァー!!ともちろん思うけれども、
どうせ死ぬのだから死ぬまではそう、
思って、願って、頑張って、絵師としての人生を全うしたい。


しかし、普通、300歳まで生きる!とか言うと
殆ど相手にされない。たいてい・・・
馬鹿げた話として一笑に付される。


しかし、しかし、馬鹿げた話と決めつける処に
可能性の目を摘んでしまう、というマイナスがあり、
無意識ではあろうけれど、
ネガティヴの支配下にされている訳であります。


これが実は、随分モッタイナイことをしているので・・・

人間はスベカラク・・・・・
常にポジティヴでありたいもの


ポジティヴによって、
どうかすると引きづり込まれてしまい易いネガティヴに対抗し、
支配してしまいたい・・・・・ものであり、
幸せの鍵はここにある。


今はこう言う事が常識とされているけれど、
100年後もそうであるとは限らない、
いや、モノによっては、数年も経たないうちに
見事に通念が変わってゆくこともザラ・・・


そう考えると、既成概念ほど
もう一度≪曇りなき眼≫で見直してみるべきであって、
当たり前、と疑問にも思わない価値観を自分の判断で改めて見極めてみねばならない・・・訳です。


≪曇りなき眼≫と言うのは、この場合、白紙になって、という様な、何のフィルターも通さない、極素直な、直霊の・・・

本居宣長の言われる漢意(からごころ)を捨て去って・・・という様な。



ところが、殆どの人は、日常に追われているので
絵師みたいに暇人じゃあないから、普通は既成概念だけで暮らしているので、
おまえは良いよなあ・・・・勝手気ままなことホザイテいればいいから・・・・なんて
言われるけれども、絵師として300年生きたいんだ!、と言えば、勘弁してくれる世間もあるのであります。


日常の垢を落とすのは、身体的にはお風呂だが、
精神的には文化に触れること、と私の謡の先生は教えて下さいましたが、
まことにその通り、人生を前向きにしてくれるのは、音楽であり、美術であり・・
文化ですね。


で、・・ことクリエーションと言うことになれば、
一般論だけではとても足りないので、
非常識と罵られようとも、何と言おうと、言われようと、
≪曇りなき眼≫で囚われのない、精神の発露に従うべき時には従う、
それは、
どうしても自分で消そうとしても消えないもの、
何があっても消せないもの、
を自らの内に探し求めて行くしかありません。

それを極意と言っていいのかどうか、
・・・独りよがりと紙一重・・・・か?
大いに疑問だが、創作力の源には違いないでしょう。



そして、普遍なる地球の不思議、変わらぬ自然の節理、
花鳥風月、森羅万象の美しさの拠って来る所以を突き止める努力を惜しまなければ
汲めども尽きない、
・・・・ホンモノの創作が産まれるのであります。









posted by 絵師天山 at 12:33| Comment(0) | 日本画の真髄

2016年05月31日

記念講演 続きの続き

日本画の真髄・・・
と銘打ったコーナーらしからぬ、?
小堀先生の記念講演ご紹介ですけれど
・・・・
実は、大東亜戦争前と後との伝統の断絶こそ
日本文化の致命傷であって、
それは、日本画と称した「マガイモノ」の氾濫・・
にも、直結しており、現在のわれわれは、
少なくとも、淡白で尚且つ深き品位に溢れた大和絵の魅力
を享受できない不幸に晒されているのです。

伝統的日本画らしい日本画の消滅は
単に絵画美術の世界にとどまらず、
日本人の生活全般に大いに影響があり
要するに、良きものを悪しきものによって駆逐させられ
我々日本人は大損させられている、・・・のです。

しかし、それも、自業自得・・・
自ら蒔いた種?
外圧への対応の誤り・・認識不足・・
「知らない」と言う事を知らない愚かさ・・・









小堀先生の記念講演を続けます、






   断絶した精神伝統と今日現在との往復を

ところが、大正教養主義を通過した世代が政界の多数派を成すといふ事態が到来いたしますと、この世代は、もはや「日本外史」を必読の教養として尊重するといふことはいたしません。むしろ、そのやうな書名を聞かされますと、あれは漢文で書かれてゐるから前近代の遺物だと言って軽く見る。前近代を軽蔑し、近代こそわれわれの時代であるといふのが近代主義であります。『憲法義解』を読んでも、統帥権条項の下敷きに頼山陽の思想が深く裏打ちされてゐることには気がつかない、もしくは気が付いても無視してしまひます。


軍縮条約の調印を、天皇の編制大権の干犯だと言ひ立てた鳩山一郎に致しましても、論難の矢面に立った浜口総理大臣に致しましても、一言で言へば、統帥権の思想の沿革を知らない。憲法の条項の文面からのみの解釈しかできません。この事態を説明するのには結局、国民の教養の伝統が断絶した故であると、かう判断するよりほかないわけであります。


日本の知識人といふ集団は、近い過去にかういふ経験をしてゐるのであります。かつこの経験がもたらした失敗を、失敗と認識することが非常に乏しかった。従って、苦い教訓として受け取ってはゐないのであります。統帥権干犯といった暴論が国会を騒がせてゐるときに、これを与党と野党との政治的な争ひの次元で受け止めてゐる。ここに非常に重要な精神史的な問題が潜んでゐることに気付かず、そのままやり過ごしてしまったのです。


かうした安易な姿勢が、昭和二十年秋から七年近く続いた被占領期の、あの日本の文化伝統にとっての開闢以来の最大の危機に際しましても、惰性としてそのまま続いた。或いは戦時中の緊張の期間が過ぎた後、再び頭をもたげたといふ風に見てもよろしいかと思ひます。戦時中は要するに戦時体制といふ非常事態で、政治責任者の一挙手一投足に、国家の命運が懸かってをりますから、さすがに政争に明け暮れしてゐる暇はない、とはいへ、そこに於いても、日本の政界は相変はらず私利私欲、党利党略による政争の絶間はなく、これによる国力の浪費や能率の低下が大東亜戦争の敗因の一つだったと言ってよろしいかと思ひます。これについては、米内光政、井上成美両提督の腹心であった高木惣吉少将も、陸海軍の覇権争ひが日本の戦力をどれほど弱らせてしまったかをよく分析して著書に書いてをります。戦時体制といふものは、どこの国でも輿論(オピニオン)を国政次元で統一しなければならない、それが戦争を勝ち抜くためにどうしても必要といふ要求が生じてきます。日本も同じ様に、全体主義的統制経済に傾いてゐた左翼的新官僚を、何とか操作して国力を保ちつつ終戦までもってきましたが、その左翼的傾向が停戦と同時に、再び頭をもたげてきたといふこともあるのではないなか。つまり、日本の知識人層の心理の相当深くまで浸透してをりましたのが、「普遍性信仰」と「近代主義」であります。これが戦争の終りとともに再び時を得顔に口を利き始めたのであります。


国家主権の回復以来、六十年余が過ぎましたが、われわれ日本人は、今に至るも精神伝統の独立を回復し得てゐない。ではどうすればいいのか。結論は実は簡単であります。われわれの近い過去に生じた精神伝統の断絶といふ精神史の上での深い亀裂がありますが、その亀裂の上に橋を架けること、そして、伝統と今日現在との間の往復を再開することであります。それではその再開はどういふ形をもって行ったらいいのか。その範例をどこか遠くに探す必要は全くございません。身近に、といふより、この身内に、既にわれわれの内部にあります。国民文化研究会の精神運動こそが、まさにそれなのであります。それによって、その精神運動を通じて、断絶してしまった伝統との間の往復を回復しやうではないか。さやうな訴へとお願ひを申しまして、本日は終りとさせて頂きます。






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        筆者作品【火之迦具土神】(院展出品)をご覧になる小堀先生
        この作品は、先生の示唆をいただいて構想したものです。













posted by 絵師天山 at 11:05| Comment(0) | 日本画の真髄

2016年05月30日

記念講演 続き


小堀桂一郎先生の記念講演ご紹介を続けます。


「海軍兵学校校長、鈴木貫太郎の驚き」

もう一つ、わたくしの観察に入って来ました大正教養派的現象の実例は、鈴木貫太郎校長時代の海軍兵学校におけるそれであります。鈴木が昭和二十年四月から八月にかけて総理大臣として国政を担ひ、対連合国の終戦工作を見事に推進して、国体の護持に成功した功績は皆さん御承知の通りです。鈴木は大正十三年に連合艦隊司令長官に就任して、次いで海軍軍令部長といふ海軍での最高の顕職を勤め上げました後、昭和四年に退官して、昭和天皇の侍従長となった人であります。その鈴木さんは、大正七年十二月から九年十二月までの二年間、海軍兵学校校長を務めました。大正七年頃と言ひますと、いはゆる「八八艦隊」の計画が議会の承認を得て、目標達成間近といふ海軍の拡張期に当たってをりました。
当時の海軍兵学校では、日曜日になると、生徒たちが校長の官舎に遊びに来る。何かとご馳走になって校長の訓話を聞くのが慣例でして、鈴木校長も多くの若い新入の生徒たちとくつろいだ形で接する機会を持った。それは鈴木にとって大へん楽しい時間だったやうであります。当時海兵への入学は、全国の青少年の憧れの的でした。それは一つには、欧米の海軍士官養成制度と違って、生徒の選抜に際して、一切の身分上の差別をしなかったからであります。イギリスの様な身分固定制の階級社会での差別はいふまでもなく、アメリカでも有力な国会議員の推薦状がなくては士官学校の試験は受けられない、といふのが実情だったのです。日本ではどんなに貧しい家庭の子弟でも、兵学校への出願資格があり、兵学校に入学出来れば、努力次第で末は海軍大将になるといふ可能性を手にすることができたのです。入学試験は、身体検査は非常に厳重なものであったやうですが、学力試験は、それまでどのやうな学歴を辿ってゐようと不問に付し、試験一本勝負であります。試験さえ通れば、立派に海兵の生徒なのであります。当然全国の中学から、成績優秀の秀才たちが集まってきてをりました。大正中期、十分な数の秀才たちが江田島には集まってゐたのです。

ところが、校長としての鈴木さんが、親しく若者たちに接してみたときに、大変驚いたことがあった。それは彼らに歴史、殊に国史についての知識が全く欠落してゐるといふことでした。特に軍人として重要と思はれる武士道の倫理について、生徒達が普通の中学教育では何も教へられてきてゐないことを発見して、鈴木は深い憂慮に襲はれるのであります。そこで早急に、校長としていはゆる非常勤講師の人事を起し、ある文学士に国史における武士道の倫理の発達の歴史といふやうなものの調査を依頼しまして、それを早速、生徒達に講義してもらふやうに頼む。これは実現致します。さらに、哲学倫理一般の教養も極めて重要だと考へてまして、広島高等師範学校の校長をしてをられた当時有名な或る哲学専門の人に江田島まで出向を願ひ、倫理講和をしてもらった。今でも有名な江田島の教育参考館の設置も鈴木校長の発案で建設されたものであります。

ちなみに、大正九年八月入校の海兵五十一期の卒業生の中に、後の工藤俊作中佐がゐました。工藤は、新入の第三号生徒の時にわづかに三ヶ月間、鈴木校長の訓育を受けただけでありますが、恐らく鈴木自身から、日本武士道の精華といふ話を聞かされたでありませう。鈴木さんが、武士道の精華として奉じてをりましたのは、明治三十八年一月五日の旅順開城時の水師営での乃木さんとステッセル両将軍の会見のエピソードであります。このとき、乃木将軍は日本武士道の華とも言ふべきその在り方について、明治天皇の聖慮の程を、その身と言葉を以ってステッセル将軍に立派に示しました。これは世界中に伝へられた日本武士道の伝統についての象徴的逸話であります。恐らくは、この美談を先づ第一に鈴木さんは生徒たちに語り聞かせて教訓としたのであらうと思ひます。


それが、ある一つの結果を生んでをります。どういふことかと申しますと、昭和十七年三月一日のことであります。既に大東亜戦争は始まってをりましたが、ジャワ島のスラバヤ沖で、日本海軍と英米海軍との海戦があり、「足柄」「妙高」の主戦隊、「那智」「羽黒」の別戦隊といふ日本の誇る重巡洋艦隊が随伴の駆逐艦隊と共に、ジャワ近海から英・米艦隊を一掃してしまふほどの圧倒的な勝利を収めました。明けて三月二日に、別動隊の駆逐艦「雷」がその海戦の跡に差し掛かりますと、乗艦を撃沈されて、救命筏に掴まって漂流してゐたイギリス海軍の軍艦二隻の士官兵士を発見するのです。「雷」の艦長は、直ちに救助作業に取り掛かることを命令致します。敵潜水艦の攻撃が予想される非常に危ない事態にあるその海面で、実に四百二十二名の英海軍士官、兵士達の救出に成功し、そして彼らを日本海軍の客分扱ひといふ厚遇の上でオランダ軍の病院船に送り届けてやるのであります。その駆逐艦「雷」の艦長が、当時少佐であった工藤俊作さんでした。このとき救助された英海軍の駆逐艦「エンカウンター」に乗り組んでをったサミュエル・フォールといふ当時二十歳の海軍中尉が、後に外交官として出世し、フォール卿と呼ばれる身分を以って平成十五年秋に、命の恩人工藤に何としても感謝を述べたいと、八十四歳の老躯を引提げて来日しましたが、残念ながら、工藤さんは既に昭和五十四年に死去してをりまして、直接お礼を述べることは出来なかったやうであります。


  統帥権干犯問題と「日本外史」

さて、今度は、問題の教養の伝統の断絶といふ現象が、国政の次元に於いてまで発現したといふ事例を申し上げたいと思ひます。
昭和五年にロンドン海軍軍縮条約の締結があり、その際に、表に現れたことですが、浜口雄幸内閣のときの帝国議会で生じた統帥権干犯の糾問事件であります。実はこれは干犯があったのではないかといふ非難が起こったといふまでのことで、干犯事件とまで言ってしまっては正確ではないのであります。


このとき、ロンドンの海軍軍縮会議に出向きましたのは、若槻礼次郎首席全権と財部彪海軍大臣で、この二人はとにかく無事に調印して帰国します。大正十年のワシントン軍縮会議、それに続いたワシントン軍縮条約きは、アングロサクソンのイギリス、アメリカ両国に強引に押し切られ、主力艦五・五・三.つまり英米を足しての十に対して、日本はその三割といふ比率を押し付けられて痛憤に堪へなかった。しかし、主力艦で強ひられた劣勢は一等巡洋艦以下いはゆる補助艦の充実によって何とか補ふことは出来ると当時の海軍の首脳部は考へてゐました。当時の我が国の造艦技術の水準は英国と並んで、或いはおそらく英国を凌駕して世界最高に達してゐました。補助艦の充実によってワシントン体制の不条理な劣勢は克服できると考へてとにかく軍縮会議への招請には応じたのです。ところが主としてアメリカの策略により、今回の補助艦制限事項も英米対日本の比率は又してもワシントン条約と変わらぬ苛酷なものでした。

ロンドン軍縮条約も、決して納得づくではなく、専ら国際協調といふ見地の上から調印されます。この時、ワシントン条約に懲りてゐた海軍軍令部は切実な反対意見を述べるのですが、浜口内閣はその軍令部の意向を抑へて敢へて条約に調印した。これが天皇の「編制大権の干犯」に当たるといふ解釈が一部に生じたのであります。



大日本帝国憲法の「統帥権条項」、すなはち第十一条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」、第十二条「天皇ハ陸海軍ノ編成及常備兵額ヲ定ム」、第十三条「天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス」の三項でありますが、その第十二条が「編制大権」であります。あの条約比率では帝国の国防に責任が持てない、といふ軍令部の主張を押し切って、軍政部代表としての海軍大臣がロンドン軍縮条約に調印してしまったのは、編制大権の干犯であるとされまして、当時野党であった政友会の総務、鳩山一郎代議士が議会質問に取り上げたのであります。これが事件の発端になります。

浜口雄幸は、国政を担う人物として第一級でありまして、後世の評価も高い。私も実はその回想録などなかなかのものと思って、感服、感嘆しながら読んだ覚えがあります。ただ残念ながらこのとき、浜口総理は、鳩山代議士の法匪のやうな質問に、適切な法理を以って答弁することが出来なかった。それ故に、非常に程度の低い質問から、あたかも統帥権干犯といふ大問題が生じてゐるかのやうな事件になってしまった。浜口内閣の閣僚の誰しもが、この鳩山代議士の程度の低い質問に答弁できなかったところに、大正教養派世代に生じた伝統の断絶といふ現象を如実に見て取れる、といふのが私の見解なのであります。それはかういふことであります。


大日本帝国憲法第十一条は「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」といふ誠に簡潔なものです。これを特に統帥大権と呼んだ。第十二条は編制大権、第十三条は宣戦布告、講和及び諸条約締結権です。これを簡単に講和大権と呼んでもよいでせう。以上、天皇と軍隊との関係を定義した三箇条は、ご覧の通り、いづれも文言が余りに簡潔に過ぎる。これでは、天皇の統帥とは具体的にどういふ形を取るのかといふことが、この三箇条の本文からでは説明できない。そこで、人はどうしても、憲法の立法者思想といふ法理を解説してゐる「憲法義解」(伊藤博文名儀で井上毅が執筆)に当たりたくなります。ところが「憲法義解」の解説もまた頗る簡単なものです。例へば、第十一条の統帥大権について、条文制定の理由を歴史的に述べてはをりますが、「統帥」とはどういふことなのかとの問ひに対する答へが出てゐるわけてはなく、(兵馬の権はすなはち朝廷に在り)といふ簡単な結論を提示してゐるだけなのです。今上天皇、つまり当今(とうぎん)の明治天皇は、自ら陸海軍を統べたまふといふことになる。かう説明するだけであります。(統べたまふ)とはどういふ形を取るのかといふことに説明がない、これでは、編制事項も含めまして、日本の軍隊は、天皇御自らが統帥したまふものであるといふ文言だけが、読む者の記憶に強く残ってしまふわけであります。ところが、「憲法義解」の第十一条の解釈には実は下敷きとなってゐた文章があるのです。
頼山陽『日本外史』の「源氏前記」であります。



大日本帝国憲法発布当時、わが国の立法府、行政府、そして軍部の中枢を占めてゐたのは、いはゆる維新元勲と見なされてゐた人々で、この世代に於いては『日本外史』は、およそ何か志を立てる者にとって必読の教養書でありました。簡単に言へばこの世代では『日本外史』も読まないやうな不勉強者はどうせ碌な者にはならないといふことになってゐたのです。ですから、憲法発布当時に、立法者側から提示された解説書としての「憲法義解」を読んだ時に、第十一条の解説に至って十中八九の読者は、ああこれは『日本外史』の思想だなといふことが読み取れたのであります。すぐに読み解くことができた。とすれば、統帥権の思想について『義解』よりも、もう少し詳しく知らうとすれば、『日本外史』を取り出して読めば良かったのです。『義解』の直接の著者である井上毅にしてみれば、(あとは日本外史を読んで、各人がこの部分の立法者思想を知らうとしてくれればいい)と言ふか、むしろ、(読者諸君は日本外史はすでにお馴染みであらうから、この簡潔極まる憲法第十一条が、以って何を言はんとしてゐるかお分かりであらう)、と、さう言った心境だったのだらうと思ふのです。特に『日本外史』を引用といふ形で触れることはなくとも、「憲法義解」の編纂はできたわけであります。そこで青年時代に『日本外史』を読んだといふ世代の人々が、憲法の問題に携はっているうちは謂はば相互に暗黙の了解が共有されてゐるわけですから良かったのであります。この世代の人なら、天皇が軍隊を統帥するといふ命題は、要するに二度と徳川幕府のやうな武家政権を出現させてはならぬといふのが、その裏の意味であるといふことを的確に読み取ることができたのです。



話が少し横道に逸れるかもしれませんが、「五箇条の御誓文」の第四条(旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ)の解釈にも実は深く関はってくるのであります。そこに(尊王攘夷といふやうなイデオロギーだらう)などといふ解釈がまかり通ってゐる。或いは福沢諭吉さんが(封建主義は親の敵でござる)と言ってゐるから、その門閥制度の如き封建時代の陋習を指すのであらうといった解釈がまま見受けられる。けれども、何の事はない、旧来の陋習とは幕府政治のことであります。つまり、日本国の持てる武力を総括的に統帥するのものが天皇ではなくて徳川幕府になってゐたといふ、そのことが鎌倉幕府成立以来の「旧来の陋習」であります。ですから(天地ノ公道ニ基クヘシ)の天地の公道、といふのはこれにもちゃんと含意がありまして(天は覆ひ地は戴する)といふあの原理ですね。「天」が覆ふといふのは万世一系の歴代の天皇がこの国を統べたまふことであり、「地」とはそれを戴せてゐる国土である。天が上にあり、地が下にあるといふのが公道である。つまり天皇がこの国を統べたまふといふのが、天地ノ公道なのだとなるわけです。それでは、天皇が親裁したまふといふ政治形態は、具体的にどういふことかといふと、これは「憲法義解」の前文が述べてをりますが、大臣の輔弼と議会の翼賛とにより、機関おのおのその所を得て国政を執り行ふ。その万機を公論に決した結果を天皇がご裁可になるといふのが、日本の立憲君主制の形なのであります。さういふ思想です。とまあ、『日本外史』を読んだほどの人なら、その趣旨は素直に理解することができたのであります。「憲法義解」を読んだだけで、ああ、これはあのことを言ってゐるのだなと理解できた訳です。





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続く・・・・





posted by 絵師天山 at 00:25| Comment(0) | 日本画の真髄

2016年05月29日

記念講演

これまでにも度々当ブログに御登場いただき
拙個展図録に丁重なる評文を寄せて戴いたり
毎年、親しく院展をご覧くださったり、日頃
高所大所から、様々とご指導ご高配を賜っている
小堀桂一郎先生から、この度、
小冊子が送られてきました。





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           制作途中の日本神代絵巻を御高覧にみえた小堀先生




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           重要文化財【武者(もののふ)】の作者、
           小堀鞆音先生は桂一郎先生の曽祖父様です






御便りにはまず、こう、ご挨拶が。


冠省 
平成六年三月國立大學を退官するに際し、
學内の慣例に依り學部の公報に寄稿しておきました零墨が二十二年の歳月を經て此度再度印刷に付されるといふ思ひがけぬ遭遇となりました。同封の昨秋の國民文化研究會六十周年記念の集ひにての講演筆録に添へて御笑覧に供させて頂きますので何卒お讀み捨て下さい。 不一
平成28年五月吉日  小堀桂一郎拝



小冊子全文を以下ここに(数回に分け)掲載いたします。
世界に冠たる日本文化の一翼を担う筈であるにもかかわらず
西欧崇拝に囚われ、
アングロサクソンレギュラーに翻弄され、迷走し続けている
現代日本画世界に対しても・・・
この達見は大いなる警鐘と言えるでしょう。

真の日本文化再生に向けて、は勿論のこと、
日本画の真髄を求めようとする上でも
欠かせないお話でありますので、長文ですが御一読下さい。
筆者などは、このひと月、
つくづくと考えさせられた事であります。









六十周年記念の集ひ
記念講演
公益社団法人 国民文化研究会



東京大学名誉教授 小堀桂一郎先生
「伝統の断絶についてー再考・大正教養派と近代主義ー」


「大正教養派とは」


本日のお話は「伝統の断絶について」と題しましたが、副題を付けないと何を言ってるのか一寸お分かりになりにくいのではないかと思ひます。つまり、「伝統の断絶」といふ主題だけを御覧になりますと、多くの方が昭和二十年から昭和二十七年にかけての米軍による占領期に、我が国が受けました文化破壊の悲劇を思ひ起こされるだらうと思ふのです。確かに、米軍の占領政策によって我が国の精神・文化伝統は大きな打撃を受けました。そのときの傷跡が未だ固疾となって疼き、折に触れては傷口が崩れて新たに血が噴き出すといふやうな現象を目にすることがあります。

本年は戦後七十年であるといふ標語が、あちこちで目に付き、耳にも聞こえてきましたが、米軍の占領から解放されて、我が国が国家主権を回復し、表向き「言論表現の自由」を我が手に取り戻した講和条約の発効(昭和二十七年四月)からの歳月も既に六十余年になります。それなのに、今以ってなほ、我々が占領時代に受けた思想や感性への外からの束縛を脱却することができないでいるといふ現実があるのです。そこで一つ考へられることは、米軍占領期の日本文化破壊工作に対して、我々の先の世代はどうしてあのやうに、抵抗の意識が稀薄だったのか。唯々諾々として、占領軍の強引な要求に盲従してしまったのか。あの抵抗精神の欠如の裏に、何があるのか、何か訳があるのではないか、といふことを考へるのであります。

戦争に負けたことからくる挫折感とか、既に武装解除の措置を受けてしまったことによる無力感といふことは当然あったかと思ひます、国の歴史初めて、国土に敵軍が乗り込んできて、恣に権力を振ひ始めた訳ですから。軍の解体によって、我々は対抗すべき武力を既に奪はれてしまってゐる。力による抵抗は不可能といふ状況になってゐることも確かにありました。しかし、政府は降伏したけれども軍はまだ敗北してはゐないといふ意識も、軍の一部には確かにあったはずであります。つまり、降伏といふ形での停戦協定にお応じたのだから敗北を肯ずるのは致し方ない。ただ立派な負けっぷりを示すといふ考へ方もありましたし、現に昭和天皇の終戦の御詔勅には、「確ク神洲ノ不滅ヲ信し」「道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ」といった国民に対する激励のお諭しの言葉も入ってゐたのであります。それなのに、占領が始まってから後の対応は、「志操を鞏(かた)く守って國體の精華を發揚する」といふのとはほど遠いもので、勝利者への迎合と敗者の卑屈に満ちた洵に恥づかしいものでした。「面従腹背」といふ言葉もございまして、それならばまだ良かったのですが、占領初期の日本人は自分の内から進んで、傲慢な勝利者が持ち掛けてくる要求を本心から受け入れてしまった。さう見える社会現象が頻りに目に付いたのであります。


この現象の象徴的な一例を挙げますと、日本国憲法の前文にあります(ここに主権が国民に存することを宣言し)とか、(そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し)云々とかは、アメリカ独立革命の宣言そのものの政治思想です。しかも、その後に(これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基ずくものである)と恥づかしげもなく宣言してゐる。このやうな、日本の国体に対する侮辱と見なすべき、全く異質な価値観の宣言に対しては、本来なら、国民が一斉に立ち上がって「それは違ふ」と叫ばなければならない。ところが、日本国民はこのとき、占領憲法を、大勢としては素直な賛同を以って受け入れてしまったと見えるのであります。かうした時勢迎合の心理の奥に何かがある。それは何だらうか、といふのが、今日のご報告の着眼点であり、そこには「大正教養派と近代主義」とでも呼ぶべき心性が介在してゐる、この事態をもう一度考へてみる必要があるのではないか、といふのが私の提案です。


今でこそ私どもは、日本の国の形がいがいかになるべきかといふこと、つまり、日本国の国体に相応しい自主憲法を構想するに当たっての思想的な地盤、或は視点といふものを把握してゐまして、さういふ自覚、自信がある。その地盤とは、国家民族共同体としての二千年に亙る国の歴史そのものであります。これが憲法制定の地盤でなくてはならない。ところが米国占領軍の民政局の連中が、その素人たちが、六日六晩のやっつけ仕事、いはゆる糊と鋏の作業で作り上げた「占領行政基本方針」といった悪文を、時の我が国人は、自国の憲法として、恬然として受け入れてしまった。当時の為政者たちには、極く一部の具眼の士を除いて国体の根幹をなす歴史認識が完全に欠落してゐた。さう断ずるより他ないのであります。さうであるが故に、占領軍の日本破壊工作がもたらすであらう大変な禍に対しての危機感が稀薄だったのではないか。


被占領期に米国占領軍に対処した為政者たちの世代について考へてみませう。
昭和天皇は明治三十四年のお生まれで、昭和二十年には宝算四十五歳であられたことを目安として考へてみますと、当時の国政を担ってゐたのは概して明治二十年代から三十年代に生まれて、大正期に青年としての修業時代を過ごした、いはゆる「大正教養派」の人々ではなかったか。さうだとすれば、あの不甲斐ない無抵抗と強者・勝利者への迎合の心理には、或る意味で案外、自然な因果関係があるのではないか。さう思はれてくるのであります。

すぐに思ひ浮かぶいのは、終戦直後の、あの国語の受難期の只中における、作家志賀直哉による(国語としてのフランス語を採用するのが良い)といふ暴論であります。さすがに、その、軽佻浮薄ぶりは誰が見ても目に余るものであり、志賀直哉を深く尊敬し師事した作家の阿川弘之さんも、志賀についての論があの件に及ぶときには、何としても弁護しかねて、苦笑して話をそらすより他なかったのです。
志賀の軽薄さが念頭に浮かぶと、直ちに、大正元年九月十三日の乃木将軍夫妻の明治天皇への殉死事件に際して、彼が日記に書き付けた乃木将軍への軽蔑の表現をも思ひ出します。彼は乃木殉死の報道に接して、乃木さんが亡くなった翌九月十四日の日記に、(乃木さんが自殺したといふのを英子からきいた時、「馬鹿な奴だ」といふ気が、丁度下女かなにかが無考へに何かした時感ずる心持と同じような感じ方で感じられた)と書き付けました。当時、志賀直哉は三十歳。既に新進作家として立派に認められてゐた。それなのに、これは変に不器用に曲がりくねった文章でをかしいと思ふのでありますが、乃木将軍の殉死を無考へな下女の過失並に扱って軽蔑してゐる。これは、決して若気の至りで筆が滑ったといふわけではない、本気で書いたものだと思ひます。

その無慚な軽蔑的言葉で評せられてゐる乃木さん自身が、まさにその年の四月、上原勇作陸軍大臣からの招待宴で、森鴎外と同席した際、これは鴎外の日記に出てくるのでありますが、鴎外に向って(学衆院の卒業生たちが作ってゐる「白樺」といふ同人雑誌がある、あの同人雑誌の言動に何か怪しげなものがあるので注意して見てゐてくれ)と語ったといふ、その予感がまさに的中したといふ感じだったのであります。


御承知のやうに、森鴎外、夏目漱石は、乃木さんの殉死の報に接して強い衝撃を受け、その感動には啻(ただ)ならぬものがあった。鴎外の名作「興津弥五右衛門の遺書」、漱石の「こころ」は、乃木さんの殉死から受けた衝撃を結晶させたやうな記念碑的な作品だと見なされてをります。

この二人の明治人とは全く違った型の人間が、同じ文藝に携はる人々の間にさへ生じてきてゐる。これはまさに「大正教養派」といふ型の発生を、文学史上にはっきりと記録した象徴的事件だったと思ひます。志賀直哉の日記に限らず、ここに生じた伝統の断絶を証拠として示すやうな現象は、まさにこの乃木殉死事件をめぐって、枚挙に暇がないほど多く記録されていゐます。その中の一つに芥川龍之介の短編小説「将軍」(大正九年発表)があります。作者は白樺同人ほど極端ではないが、概して乃木否定派に属してをります。かつ、そこで芥川は、乃木さんの明治天皇への誠忠についての懐疑を登場人物の親子間の世代の断絶といふ形を借りて書いてゐる。乃木さんを賛美する元参謀将校だった父親と、乃木さんの心事に疑ひを抱く息子との対話といふ形で、作者の芥川は「時代の違ひだね」といふ作中人物の台詞を以って何とか説明を試みた。もしくは説明し難い難問から逃げてゐる。さういふ例もあるのであります。




「和辻哲郎、若き日の誤り


ここに生じた「時代の違ひ」といふ世代間の精神や感性の亀裂といふ現象にどういふ意味があるのか。それが後世に、例へば、現に私どもがここに生きてをります今日現代にどのやうに関はってくるのか。それを分析し、表示する材料として、もう少し別の事例を挙げて、この世代間亀裂の現象を考察してみます。


第一の実例でありますが、鴎外の史伝「渋江抽斎」を取り上げてみます。「渋江抽斎」は、東京日々新聞と大阪毎日新聞に、大正五年一月から六月まで半年間連載されたものですが、完結致しますと、翌七月の「新小説」といふ雑誌に早速書評が出ました。評者は当時二十七歳の新進気鋭の哲学青年和辻哲郎であります。和辻さんの生涯、殊に戦後の老熟期の哲学・文藝学士の業績は私が深く敬重して已まないところですが、このときの書評に表れた限りでの若き日の和辻の学問観は、一言で言へば未熟であり、かつ誤ってゐる。和辻さんは、「渋江抽斎」を鴎外による文化史の試みと捉へた。これも文学的な把握として誤りですが、大きな失策ではない。問題は、史伝を文化史であると捉へて論を立てた時の文化概念の誤りです。和辻さんは(文化とは人類がある一つの目的に向かって進んで行く道程である。一つの文化もまた、一人の人間のやうに成長し進化しなければならない)といふ尺度を立てます。この尺度で測ってみると、江戸末期の儒学者である渋江抽斎の生涯を淡々と描いた鴎外の作品は、人類の目的といふ普遍性がない、或いは成長進化の相が全く書かれてゐない、骨董の世界でいふ「掘り出し物」に過ぎない、と説くのであります。ここで和辻さんは「文化は進歩するもの」といふ理解、「人類文化の普遍性」なるものがあるといふ二つの誤りに囚はれてゐる、そして私どもは、これが大正教養派の特質であり、彼等が囚はれてしまった共通の誤れる固定観念なのだといふ認識を得ることになるのです。先ほど触れた日本国憲法前文が「人類普遍の原理」と言ひ、或いは「政治道徳の法則は、普遍的な」といふ普遍主義と並べて、前文の終はりの方で(専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる)と社会進化の原理をいい気な調子でうたってゐますが、その誤りがここにも表れてゐるのです。


若き日の和辻さんについてさらに悪い事がある。和辻さんは、普遍性を原理とする「真の文化」といふ表現を用ゐます。その「真の文化」はフランスにもドイツにもロシアにも底深く流れてゐるけれども、日本人は少数の識者を除けば「真の文化」の存在を問題にしていないといふ叱責と慨嘆を書き付けるのであります。西欧文化は普遍性と進化の原理に拠って立つ故に「真の文化」である。日本の文化は普遍性がないので、或いは地方性や辺境性に囚はれてゐる故に「真の文化」とは言へないといふ判断ですね。老熟期の和辻さんとは、似ても似つかない西欧崇拝に囚はれて」しまってゐる。この西欧崇拝は、西欧が先進文明であり、日本は後進国であるとの認識に基づくわけでありますから、この立論は事の当然として進歩主義、近代主義に囚はれることにもなるのです。


近代主義の定義を一言で言ひますと、近代こそ古代中世に比べて遙かに優れた時代であるといふ、近代賛美論なのですね。和辻さんは、やがてこの普遍主義や近代主義を脱却して見せたからまあいいのですが、当時の知識人層の多数は、かうした大正教養派に通有の近代主義から脱却できなかった。さう私は見ております。さういふ世代の人々によって日本の精神伝統の断絶といふ現象が生じ、その断絶は、やがて国政を誤る次元にまで拡大し増殖してゆく。そして、つひには、占領期に生じた文化闘争に於いて完全な敗北を蒙るといふ事態になるのです。






次回に続く・・・・・・
posted by 絵師天山 at 01:02| Comment(0) | 日本画の真髄

2015年12月16日

かつてはルノワールだった・・・・


JR上野駅公園口正面には、かの文化会館があり
すぐ右手お向かいには、国立西洋美術館があります。


いずれも主に西洋の音楽、美術を紹介する為の施設。
昭和39年東京オリンピックの年には
既にあったことは確かで
もうズイブン見慣れたし、
時折り改修され、現役続行中だが、
少々古臭くなりました。
文化に携わる我々は勿論
ごくたまに上野駅公園口を使う人々にとっても
ごく当たり前の馴染んだ存在・・・


この度の再びのオリンピック招致は
不透明だが、景気回復のテコ入れが期待され
世界に対する日本の在り様を
認知してもらうのに大変良い、のでは?
漠然と・・・そう、思われています。


直接スポーツに関係する諸氏はもちろん
恩恵にあずかれそうな人々は悉く大賛成
その他大多数は、積極的、消極的、
無関心・・・も含めて
大かたは別に反対する理由は無い・・
上手く利用しさえすればヨロシイ
・・・的な、気配・・・

私の様に正面切って大反対!!
と、思ってる人はあまりいないのでしょう。
・・・・・
か???



文化会館も西洋美術館もブッコワシ!!て、
邦楽会館と日本美術館に建て替えるべし!!

と常々考えている私としましては・・・

一部の人々だけが唱えていることを
世界の常識だと思い込まされての
似非文明論に踊り易いこの現実世界にあって


結果的には、合法的にゴッソリと
物質的精神的共に大きな犠牲を払わされる
オリンピック開催は大反対!
反対するのは
日本文明回帰への・・シアワセへの・・・
大切な大前提デアル!!
と思うのですが、

なかなか、多勢に無勢でしょうなぁーー・・・



スポーツというものは
結果が明快なので
引きずり込まれるような魅力に溢れています。

それに比べれば絵画などは
何が良いのかスグに解る人はそんなには、居らず、
ハッキリしない、・・・・特に現代日本画は・・・?


勝てば官軍!
負け犬の遠吠え
勝利こそ!!

敗者になってはいかん!
敗者には成りたくない・・・
しかし・・・・
100人が100人とも、
勝者を目指している世界は・・・
実は・・・・窮屈
幸せじゃあありません。
ね・・
たとえその内の一人でも応援に回ってくれる人がいれば、もうそれだけで住みやすくなるもの。


以前、相撲について語った時に
横綱白鳳はケシカラン!!
と申しましたが、
相撲を始め、日本文化は大変多面的であって
一筋縄では行かないモノだらけ・・・
だからこそ
面白い!!!!
相撲はスポーツという小さな枠に
はめる事が出来ないからこそ面白いのに
白鳳以下大方の外国人力士は
そのあたりを理解し難いらしい・・

勝ってナンボじゃ!!
・・・が、まかり通る、


実は、民主主義もこれと同じ様なもので・・・
49対51が堂々とまかり通る。

つまり49人は不幸せでも
51人が良しとすることが正義!デアル!
と、決めてしまう・・・・
実は・・・・オカシイ・・・・・
残りの半数は我慢しているのだから


何時の頃からかこういう単純な理屈が正しい!
とされる世の中になってしまいました、・・・
善玉と悪玉しか出てこないハリウッド映画から?

日本文明の本質とはかけ離れて行くばかり・・・

本当は多面的な日本文化こそ
人類の真の幸せのカギを握っているのに
日本人自身がその事に思いが及ばない
漠然と日本は好きだが、
何が大切なのか、その神髄に迫ることなく
西欧の規範に盲従する癖を付けられてきたまんま。
長いものには巻かれろ?
西欧に対する劣等意識がその根底にあり
それはぬぐい切れないほど強靭、根深いもの・・・

だから、文化の町上野の入口には
文化会館と西洋美術館が未だに堂々と鎮座しているんです

だからこそ、ぶっ壊せ!!
と私は言ってるんです。
おかしいと思わないオカシサに気付きましょう
・・・!!!と。

同じ理由でオリンピック開催も絶対反対!!
勝ち負けだけの安っぽい価値観を謳歌する祭典
内実はとっくの昔に悪魔化してしまった
世界的集金システム繁栄の為の茶番




かく言う私も・・・・

物心ついて人様より絵が好きである自分に気付き
漠然と画家になりたいなどと思い始めたころ
私の身の回りに目についたものは
欧米の文化でした。
油絵具を買ってもらった時の嬉しさを
いまだにハッキリと覚えています。
早速自転車に括りつけ
石神井公園三宝寺池へ、
イーゼルを地面に立てて
カンバスに向かって水辺の風景を描く!!
印象派の巨匠達が皆揃ってしている事が
即、
自称絵好きの少年が当然やるべき事
・・・・だったのです。


迷うことなく西欧の芸術を楽しく学ぼうとした、

ルノワールが好きで
ムーランドラギャレットという作品を
60号のキャンバスに模写したのは、
まだ高校一年生の夏休み。


お祭りの様な華やかな野外の景で
木漏れ日の中で人々が楽しげに歓談したりダンスしたり・・・
有名な作品ですね、甘美な色彩世界に魅せられたからです。


セザンヌ、ロートレック、モネ、
ルオー、シャガール・・・・
ルノワールがすべてではなかった
けれども、自分の関心事はすべてに渡って
西欧優先・・・油絵こそ絵画でした。

当時45倍という難関だった東京芸大油絵科の受験に失敗。
度重なる浪人生活を過ごした上で
私学の東京造形大学へ・・・
思い通りにならなかった受験戦争は
その後もコンプレックスとして後を引きましたが

大学で出会った日本画には
生理的に即、気に入った!
臭くないし、すぐ乾く・・・
へー、こんな世界があったのか!!・・・面白い!と。


父の書棚にあった東山魁夷の作品集を観たり、
教科書で見た古典的日本画を博物館に行って観たり・・・
急速に日本画世界に心が向いて・・・
当時は茅場町にあった山種美術館にも良く通いました。
岡倉天心の著書を貪るように読み始めたのもそのころ・・・

まさか、自分が院展のメンバーになるなどと
考えても見なかった頃ですが、
内心の奥底に潜んでいた日本文化の核心に触れたいと言う
本能的なるものが疼きだしていたのだと思います。


しかし、その欲求はまだ曖昧
それほどしっかりしたものではありません・・・、

初めて師匠に連れられての海外旅行
プラド美術館で
フラアンジェリコ描く天使の陰影の美しさに言葉を失ったり、
先輩が食い入るように半日も眺めていたブラックゴヤに私もつられるように魅せられたり・・・・
石造りの都市美、見たこともない風景
・・・あらゆる文物に対する憧景が駆り立てられ
好奇心の虜となって、圧倒されたのでした。



まだ幼かった、とはいえ
物事の真実を見極める力がまるで育って無かった
・・・のです。
凡人だね・・・ぇ


宗教に呪縛されている絵画に感動したり、
目を見張るような写実力にオノノいたり、
質量の巨大さに圧倒されたり・・・・
恥ずかしながら
さんざん無駄な事を重ねてきました


日本人の殆どが未だ錯覚している様に
西欧文化に呪縛されたうえでの日本回帰であり、
神髄に触れる努力をまだ真剣には取り組んでいない状態・・・が長く・・・。




しかしぃーーこれからは本領発揮!
遠回りをしてきましたが・・・
今からでも決して遅くはありません、
これからはさらなる本気で
日本画らしい日本画を!

普遍なる美の核心を求めなければ・・・

文化とは日本文化のことを言うのであって
それ以外は文化とは言えないレベル

もう、目移りしたり騙されてばかりいないで
日本人としてのハートに
命をかけて・・・・忠実に・・・・




もっと、ずっと簡単に言えば
もうこれ以上日本の美味いものを

教えてやることはないのさ・・・



モッタイナイ!!





posted by 絵師天山 at 16:59| Comment(0) | 日本画の真髄