【光孝天皇】(こうこうてんのう)
君がため春の野に出でて若菜摘む我が衣手に雪は降りつつ
きみがためはるののにいでてわかなつむわがころもでにゆきはふりつつ

陽成天皇が17歳になられた直後に廃位され、・・・・・後
この和歌の作者、光孝天皇は藤原基経に推されて第58代天皇となられました。
時に光孝天皇55歳!
なんで?!
そして、3年後、58歳で崩御されるのです。
この和歌を詠まれたのはまだ親王時代。
親王であられた期間が長いのですが、おそらく、お若い時の御製でありましょう。
早春の若菜は、何よりの貴重品。・・・皆が楽しみにして・・・・
真心をこめて摘みましたよ・・・春雪もいとわずに・・・・
一幅の王朝絵巻が想起されるような優艶なる御製です。
萌え出る早春の野。白き淡雪。貴公子の美々しく若々しい姿・・・・
ナントも伸びやかで雅。 絵になります!
このお歌を贈られた女性は天にも昇る心地であったかも知れません。
が、あるいは、単なる恋唄ではなくて、大切な人への贈り物に添えた・・・
聡明で温厚、御誠実な光孝天皇の深い御心の表出・・・であったのかも・・・・。
いずれにせよ、藤原基経のような権勢家が、
この御門をあえて帝位に迎え、引き替えに国政を掌握したであろう事を思えば
本当に心優しき、御門であられたのではないでしょうか。
御在位が短いのは、御苦労が重なった為であったのかも知れません、
お若いころの不遇時代の方が却ってお幸せであられたのでしょうか??。