【僧正遍昭 】(そうじょうへんじょう)
天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ
あまつかぜくものかよいじふきとじよおとめのすがたしばしとどめん
元は古今集に集録されており、
「五節の舞姫を見て詠める」と前置きされています。
日本国の基盤を成す稲作の豊穣を感謝する
“新嘗祭”(にいなめさい)・・・
秋の最重要祭祀での奉納舞がこの五節の舞(ごせちのまい)。
その天女にも模した舞姫達をもう少し見ていたいから・・・
天の風よ雲間の通り道を閉じておくれ・・・・・
・・舞姫達が行ってしまわぬように
エモイワレヌ雅やかなる舞・・・・
退下する舞姫たちの後姿を見送りながら・・・
アンコール!!!! 行かないで!・・ああ!もうちょっと!!
・・・・的な気持ちを表現したのでありましょう。
現代にも雅楽が奏されての立派な五節の舞は伝承されており
それはそれは、奥ゆかしき・・・天女と見まがうような有難さであります。
先の第62回伊勢神宮式年遷宮直後、奉納された数多の舞の中でも
殊に素晴らしき、白眉でありました。
僧正遍昭は、桓武天皇の皇孫。
俗名を良岑宗貞(よしみねのむねさだ)と言います。
良岑安世を父とし、安世は在原業平の母を姉とする。
素性法師は実子で、六歌仙の一人に数えられており、
この歌が生まれたのは、僧正遍昭として出家する前。
若き日の良岑宗貞は、
美しき乙女の舞の艶やかさに心ときめかせたのでありましょう。
よほど名残惜しい気持ちが強くて即興的に詠じた・・・
若々しく弾むように素直な秀歌であります。