【安倍仲麿】(あべのなかまろ)
天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも
あまのはらふりさけみればかすがなるみかさのやまにいでしつきかも

口ずさみ易さは抜群!
天の原ふりさけみれば・・・・も
春日なる三笠の山・・・・・も、常套句。慣用語の連発ですから。
さらに、
古今集には“唐土(もろこし)にて月を見て詠みける” ・・・
との前書があって、後には注釈さえ付いていて・・・それには、
“阿倍仲麿 (あべのなかまろ)が遣唐使として留学、帰朝するに当たって
お別れの宴を催してくれた、その折に月が上って来たのを見て詠んだ・・・”
とあります。
が、帰朝するつもりの船は難破漂流。
再び日本に戻ることなく17歳で入唐し、70歳で唐土に没した、と言われています。
抑えきれない望郷の念を伝えて余りある・・・・ので、
これを詠んだ人は仲麿の不遇に泣かない者はなく
いわばこの詠歌は、誰知らぬ人もない伝説となったのでした。
以来今日まで格調高く、余情かぎりない望郷歌として愛唱され続けたのです。
天の原は大海とか青海原と言った広い広い大空で・・・
ふりさけみれば、遠くを振り仰いでみれば・・
満月が・・・・。
現実には唐土で見る月であるのだけれども、
三笠山にかかる春日の月を・・思いきり回想している・・・
その現実と回想との対比が一段と、望郷の念を掻き立てるのですね。
後に馬鹿げている・・・として廃止される遣唐使も、
はじめの頃にはその有用性が指摘され、
ずいぶん大勢の人が抜擢されて、様々な悲喜劇を生んだのです。