【山部赤人】やまべのあかひと
田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ
たごのうらにうちいでてみればしろたえのふじのたかねにゆきはふりつつ
歌聖、柿本人麿とほぼ同時代に歌人としてもてはやされていたのがこの御方。
山柿(さんし)の道、といえば、和歌の世界を精進することを意味するのですが、
(さんし)の 山は、この御方のこと。し(柿)は当然、柿本人麿の柿を指します。
柿本人麿と山部赤人とを双壁とされたのは、いずれ劣らぬ気宇壮大さ故でしょうか。
同時代を過ごした万葉の歌名人です。
百人一首を選定したのは藤原定家で、小倉山の時雨亭という山荘に飾る目的で
選んだ百首を美しい料紙に書き綴り、インテイリアとして楽しんだものですが、
料紙=色紙に染筆するに当たって、二首一組、・・・ペアを50組としたのです。
歌合せという麗しい習慣が大昔からありまして、
二首を競い合わせたり、掛け合いにしたり、様々な楽しみ方があったので・・・
天智天皇と持統天皇、も、柿本人麿と山部赤人も、格好のペア。
というわけですね。
百首を選ぶに際して、必ず富士山を謳った和歌を入れなければ・・・
と言う思いは、当然定家の心にあった、と思われ、・・・選ぶならこれしかない。
まず、誰が選んでも、どのみちこの歌になる・・・・
それくらい有名であり、事実 名歌中の名歌 と言えましょう。
非常に印象が強く、真っ白な雪を戴いた富士山を思い起こすのは万人共通。
おそらく、百人が百人とも、それぞれの美しい富士山を想起してしまう。
これぞ見事な秀歌そのもの・・・であります。
新幹線の車窓から、あるいは、搭乗機の窓から・・・
雄々しい富士の高嶺を垣間見るごとに、この和歌をつい口ずさんでしまいます。
田子の浦はパルプ工場の廃液で一時大変な環境汚染で騒がれましたが
それも昔の話、工場群の煙突からの煙など、意に介さず、
優美にして清澄なる真白き富士・・・・・・変わらぬ日本の象徴・・・
いつ見ても素晴らしい!
万葉集では、・・・・
『天地の分かれし時ゆ神さびて
高く貴き駿河なる布士の高嶺を天の原
振り放け見れば渡る日の
影も隠らひ照る月の光も見えず白雲も
い行きはばかり時じくぞ雪は降りける
語り継ぎ言い継ぎ行かむ不尽の高嶺は』
と長歌があり、その返し、・・・反歌として
田子の浦ゆうち出でて見れば真白にそ不尽の高嶺に雪は降りける
とあります。