今回からは、百人一首を採り上げて、日本文化の核心に迫ってゆきたいと思います。
宮中では年頭に歌会始が催されていることはよく知られている事ですが、
天皇、御自ら和歌を詠まれて、皇族から一庶民に至るまで、唱和する・・・
そんな国は日本以外にありません。
和歌こそ日本文化の核であり、それを最も身近に引きよせて来たのが、
百人一首という伝統。
芭蕉ほど有名ではないのが不思議ですが、
藤原定家が勅撰和歌集から選出した百人一首は、正に日本の伝統文化の集大成。
源氏物語も同様、日本文化の集大成ですが、・・・コチラは・・・
少々取っ付きが悪く、百人一首のポピュラーさには遠く及ばない。
それに比べて、百人一首は・・・・
僅か百首に過ぎないものの、背後には古今集以下
数多の勅選集歌が広がっていて・・・さらに・・・
和歌に込められた悠久の日本歴史を垣間見ることさえ出来る。
花鳥風月、喜怒哀楽、恋・・・・人生の全般にわたる
【もののあわれ】をつぶさに感じる事が出来る。
・・・・・のであります。
作者の代表作とは言えないような作品も含まれているのですが
選ばれたのは作者の人生を象徴するような和歌ばかり・・・
平安王朝世界が彷彿として浮かびあがります。
どうぞ、お楽しみください。
先ずは、一番手。天智天皇。
先の個展に出品した百人一首、百枚描くのは骨でした・・・
【天智天皇】 てんちてんのう
秋の田のかりほの庵の苫を荒みわが衣手は露に濡れつつ
あきのたのかりほのいほのとまをあらみわがころもではつゆにぬれつつ
大化の改新の立役者、中大兄皇子さま。
後の天智天皇の御製です。
大方の解説書によると、実は農民の歌であって、天皇の御製ではない。
天皇が田んぼの番小屋などで露に濡れるような目に合うわけがない・・
おそらく農民の苦労に心を配る天皇のお優しさを表したかった・・
とか・・・・・・言うのですが、・・・・・
今上陛下が被災地にあれほど繰り返し行幸され、
痛みを分かち合おうとされるご態度を拝見すれば、昔の天皇も・・・
稲作は日本の原点でありますから、
民と共に親しく触れ合いながらその労苦をも御体験された、
とすれば、少しも不思議ではありません。
万葉集にこの御製の本歌であろうと思われる歌があります。
『秋田刈るかりほを作り吾がをれば衣手寒く露ぞ置きにける』
この本歌を元にさらなる創作心を発揮されたのではないか?
古来、天皇は百姓の事をひゃくしょうとは呼ばず、
おおみたからと呼ばれていたとか・・
★
福岡県に秋田という土地があり、ここは
天智天皇御自ら米作りを遊ばした処、
と、今に伝えられています。
聖王御自ら農民の心となって農民になりまして秋の取り入れを歌われた
誠に畏き大御歌と言うべきではないか、と思うのです。