【本居宣長】
果たして、この碩学を上回る人がこの世に存在するでしょうか?
★★★★★
山鹿素行(やまがそこう)、も、確かに凄い人でした。
≪ひとたび打ち立てられた皇統は、かぎりない世代にわたって、
変わることなく継承されるのである。
……天地創造の時代から最初の人皇登場までにおよそ二〇〇万年が経ち、
最初の人皇から今日までに二三〇〇年が経ったにもかかわらず……
皇統は一度も変わらなかった。≫
と、その著書『中朝事実』で、【歴史の真実】を語っています。
『中朝事実』(ちゅうちょうじじつ) とは・・・
≪当時(江戸時代初期)の日本では儒学が流行し、
中国の物は何でも優れ日本の物は劣る、という中国かぶれの風潮があった。
(つい、この間まで、中国様が儲けさせてくれる・・・と
日本人が寄ってタカっていた様に・・・・・)
また、儒教的世界観では、中国の帝国が周辺の野蛮人の国よりも勢力も強く、
倫理的にも優れるという中華思想が根底にあり
素行はこの書で、この中華思想に反論した。
当時中国は漢民族の明朝が滅んで、
万里の長城の北の野蛮人の満州族が皇帝の清朝となっており、
歴史を見れば、中国では王朝が何度も替わって
家臣が君主を弑することが、平然と繰り返し行われている。
しかし、中国は強くもなく、君臣の義は全く・・・守られてもいない。
これに対し日本は、外国に支配されたことがなく、
万世一系の天皇が支配して君臣の義が守られている。
中国は中華ではなく、
日本こそが中朝(中華)である≫
というのが、この書の主張です。
ちなみに、かの乃木大将は、明治天皇に殉ずるその直前、
学習院院長として、御幼少の昭和天皇にこの『中朝事実』を奉呈しています。
そして、・・・賀茂真淵(かものまぶち)
は、・・・宣長の師匠とされる・・・
荷田春満を師とし、
『万葉集』などの古典研究を通じて古代日本人の精神を研究し、
和歌における古風の尊重、
万葉主義を主張して和歌の革新に貢献した。
また、人為的な君臣の関係を重視する朱子学の道徳を否定し、
日本の古典にみられ、古代日本人の精神性の純粋な表れとされる、
作為のない自然の心情・態度こそ人間本来のあるべき姿であるとして、
古道説を確立した
宝暦13年(1763年)、本居宣長が、
伊勢神宮の旅の途中伊勢松阪の旅籠に宿泊していた真淵を訪れ、
生涯一度限りの教えを受けた(「松阪の一夜」)。
宣長はのちに入門し、以後文通(『万葉集問目』)が続いた。
★
山鹿素行や賀茂真淵ほどでなくとも、
真実の日本の姿を、深く認識して、
物事をすべてそこから始め、努力した人は、
悉く、それなりに・・・
何事においても、良い仕事を遺し得る・・・
昔も今も・・・・絶対これは変わらない・・・
が、その深さにはレベルがあって、・・・それこそ、
それなり・・・・人それぞれであって、
どんな偉人でも、足りないところが必ずある。
だが、本居宣長には、全く不足を感じない。
不足どころか、後からあとから学ぶべき事が溢れだしてくる・・・
行くところ可ならざるは無し!!
この人はとにかく凄い!! 素晴らしい先人であります。
富士山・・みたいな存在・・・
★★★★★
宣長の膨大な著書のごく一部をとりあげて、
あれこれ語るのもどうかと、思いますが・・・・
その普遍性を糧とすれば・・・つまみ食いも一興?・・・・
日本の古代には、倫理とか道徳とか、
法則による強制を意味する単語はなかった。
いかにも【美知】(みち)という単語はあるが、
それは地上の道を意味したに過ぎない。
しかし、今は神の意思として人間はあり、万物はあるという原理、
それを【道】と呼ぶならば、人間はその原理
即ち、【道】の中に居り、
またそれによって生きている事を、自覚しなければならない。
“そもそも人としては、いかなる者も、ひとの道をしらでは有るべからず”
“殊に何のすぢにもせよ、学問もして、書をもよむほどの者の
道に心をよすることなく、神のめぐみの尊きわけなどをも知らず
なおざりに思いて過ごすべきことはあらず。”
『うひ山ぶみ』より・・・
“然らば何事もただ、神の御はからいにうちまかせて、
良くも悪しくもなりゆくままに打ち捨ておきて、
人はすこしもこれをいろふまじきにや、
と思う人もあらんか、これ又大なるひがことなり。”
・・・・すべて神に任すのは誤謬である。
“人も、ひとのおこなうべきかぎりをば、おこなうが人の道”
・・・・である。
ただし、それが上手く行くか上手く行かないかは、
善神の意思と悪神の意思とが交錯する故に、
人間の力の及ぶところではない。
無理押しは避けるべきである、けれども、
“ただなりゆくままに打ち捨ておくは、人の道にそむけり”
『玉くしげ』より・・・・
【道】を自覚し、実践するためにの教科書は、
古事記、日本書紀、である。
中でも漢文で記された書紀よりも、言語(モノイヒ)のさまが
神々の事跡を忠実に伝える古事記である。
しかしながら、ここに重要なことがある。
『道』を知ろうとして不用意にこの二典に取りつくならば
必ず失敗する。
なぜならば、二典は【事跡】すなわち事実を記すのみであり、
その中に【道】は示唆されているけれども、
外国の哲学書である儒教や仏教の書の様に、人間の法則らしきもの、
・・・・それは不完全と虚偽に満ちているものだが・・・
この二典は、それらを提示するような形ではない。
“道は此の二典にしるされたる、神代のもろもろの事跡の上に
備わりたれども、儒仏などの書のように、その道の様を、こうこうと
指して教えたることなければ”、
『うひ山ぶみ』より・・・
儒学的仏教的な方法、
つまり法則らしきものを示す書物を読むことで人間を知る事・・・に
染め込まれ、慣らされた人は、・・・
必ずこの二典も同じ方法で読もうとする・・・・
故に必ず誤謬に陥る。
誤謬に陥らない為には、
“物のあはれを知る”に限る。
感情の感動によってモノの本質に接触せよ・・
それが【道】への必須前提である。
さらに、
“雅の趣を知る”・・・・・
“すべて世の中にいきとしいける物はみな情(こころ)あり”・・・
『石上私淑言』より・・・・
“情(こころ)あれば、物にふれて必ずおもふ事あり・・・”
“たとえば、うれしかるべき事にあいて、うれしく思うは、
そのうれしかるべき事の心をわきまえしる故にうれしき也。
又かなしかるべき事にあいて、かなしく思うは、
そのかなしかるべき事の心をわきまえしる故にかなしき也
されば、事にふれてそのうれしくかなしき事の心を
わきまえしるを、物のあはれをしると言う也。”
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