さて、この二書はどう違うのか?
日本神代絵巻冒頭部分
『古事記』 は、
本居宣長が、これを訓で読むとすれば『フルコトフミ』と呼ぶべし
と述べています様に、端的に民族としての日本人の先祖の事跡物語です。
それに対して、『日本書紀』は・・・
この題号の由来は、漢土のいわゆる二十四史が、『漢書』『宋書』『唐書』
と言った名付け方を有しているのになぞらえた上での『日本書』であり、
その中での「帝紀」に相当するものである故に『日本書紀』で、
物語とは区別された歴史書、
しかも当時のアジアの国際社会に向けて、
独立主権国家日本国の存在を自ら主張する典拠としての官撰の史書です。
『日本書紀』の最大の特徴は年代記としての体裁を整えている事で
例えば、神武天皇の橿原の宮での御即位の年は、
推古天皇の御代、第九年の辛酉(かのととり)の年から遡って
数えて干支が二十一巡する二十一元の昔、
即ち、一千二百六十年前の同じ辛酉(かのととり)の年
正月元旦を御即位の日と考える・・・と決められ、
(これは、キリスト歴に換算すれば、紀元前660年になる)
その年から数え始めて皇室年代記としての『日本書紀』全ての記事は・・・
皇紀第何年の出来事と言う事が判然と算定できるように書かれてるのです。
それに対して『古事記』の方は
年代に配慮した形跡は全くありません。
(編述の完成当時から極近い過去である敏達天皇紀より
最終記事推古天皇までの四代に限り崩御の年の記載があるだけ・・・・)
神武天皇の御即位すらその年代に関心を払った形跡はなく
記事は専ら人と人との間、・・・及び、如何にも古代らしく
神々と人間との関係に於いて生じた事件や逸話の叙述に重点が置かれています。
日本民族の叙事詩と言えましょうか・・・
共通しているのは採録されている歌謡です。
三十一文字の和歌、と不定型な長短の歌謡との区別をつけずに挙げてみれば、
古事記には112篇
日本書紀には128篇・・・・・
記紀は≪叙事詩的な物語≫と≪正格の歴史書≫という性格の違いはあっても
歌謡が共通の軸となっていて、双方に採録されている同じ歌謡も多いのです。
先回で述べた様に、歴史を海に例えるならば・・・・・、
表層の海流と深層の潜流とを繋いでくれるのが記紀であると言えましょうか、
【歴史の真実】すべてを語ってはいないけれども、
明らかに、偽書とは違う。
殊に共通する歌謡によって深層の潜流をも感じさせてくれる二書・・
である・・・・と思います。
和歌などの歌謡からは、
日本人の心の歴史を垣間見る事が出来る・・・
散文的な、記録的な文章からはなかなか伝え難い・・・
人間の心の奥深くに潜んだ本音が、さらりと出てしまっている・・・
それは、同時代の人にとっては所詮、作者の詠嘆であり、
又抒情であって、深く穿鑿する必要を感じない・・・としても
それゆえに、そこに潜む真実が見過ごされていることがある。
作者の方でも、
世人の軽視、黙過を前提にしての、本音の吐露、・・・
一種の安心感を以って秘かに真情を漏らしてしまう・・・・
それが、後世の人を驚かし、
【歴史の真実】にたどり着くヒントになる・・・・
古事記と日本書紀に重出し、・・・歴史上最古の和歌とされるのが
皇祖天照大神の弟神である、須佐之男命の新婚の喜びの歌
【八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を】
日本人初の和歌が新婚家庭の幸せを自ら言祝ぐ心を謳ったもの・・・
この歌を以って、和歌の嚆矢とされているのは、
何を意味しているのでしょうか・・・・
天津神である須佐之男命が、八俣之遠呂智(やまたのをろち)を退治
国津神の娘、櫛稲田姫と結ばれる・・
稲田姫
【歴史の真実の最新記事】