2014年03月13日

【歴史の真実】D ヒーローほど怪しい・・

 
 あなたにとって、すぐに思い浮かぶ歴史的英雄は?

 

 はい!・・・・どうぞ、

       

        九郎義経!

        徳川家康!

        坂本竜馬!

        山本五十六!



歴史小説の主人公クラスのなかでも指折りの英雄たちですが・・・

実は、この面々、その実態は・・・実に怪しい・・・のであります。

普通に語られて来た事が真実とは違っていたり、歪曲されていたり、

誤って伝えられていること・・は、案外数多くあるもので、

特にこの方々は、・・・・・とても・・額面通りとは思えず・・


以下、眉つば・・・として聞き流して下さっても結構ですが、

コレハ・・・・案外真実を得ているのではないか?!

とお気づきの点が少しでもあれば、甚だ結構であります。

ねつ造された歴史によって、いかに誤った価値観を植え付けられてきたか、

実生活に及んだ悪影響がどこまで広がったか、

その被害の実態を知ることは未来の幸せに直結するのですから。






★まず、

96歳の長寿を得て、アメリカでぜいたくな暮らしを全うしたのが

かの・・・・・連合艦隊司令長官山本五十六であります。



戦史では、


1943年4月18日午前6時、

山本司令長官を含めた連合艦隊司令部は

第七〇五航空隊の一式陸上攻撃機2機に分乗してラバウル基地を発進した。

山本は1号機、宇垣は2号機に搭乗する。

零式艦上戦闘機6機に護衛されブイン基地へ移動中、

ブーゲンビル島上空で、アメリカ陸軍航空隊P-38ライトニング16機に

襲撃・撃墜され戦死した(海軍甲事件)。59歳没



とされ、戦死までの数々の功績を称えられています。

海軍大将となり、連合艦隊司令長官として頂点を極めるまで、

常にリーダーシップを執る立場を続け、

うなぎ登りに出世、栄転、の末、、

身も心も大東亜戦争に捧げて散った英雄である!

と、されていますが。・・・・

事実は、述べたとおり、長寿をアメリカで謳歌して生を全うした・・・

というのです。・・・・戦史はねつ造であると・・・・



まさかぁ・・・

えーーー!

出身地新潟県人のみならず、英傑としてずっと尊敬されて来た人が??



しかし、


この事実(一説?)から戦史を逆に観てゆくと、山本五十六が、

必ずしも日本の勝利のために指揮を執っていたのではない・・

という想定が十二分に成り立ちます。



上官として誤った判断も沢山重ねていて、

連合艦隊司令長官であったミッドウエー海戦での致命的ミスはその典型ですが、

アメリカからすれば・・・、アメリカにとっては敵失、であり好都合。

もし、彼がアメリカと通じ合っていれば、・・・



あり得ない話ではありません。


父親が56歳の時に生まれた五十六は、何不自由なく育ち、若い時にハーバードへ留学、

アメリカと言う新興国に心底魅了されていたことは事実。

その時から、フリーメイソンの末端に連なったのだ・・

とされるのも、後の軍歴を詳細に見渡せば、・・・然り。

思い当る節が沢山・・・・・・。


つまり、ホントは、アメリカの自由主義なる、

イデオロギーの虜になっていて、

民主主義やグローバルに踊らされる現代人みたいに・・・

実は弱肉強食世界のアメリカに過大なる妄想を抱いて

その利益代表を自ら任じていたのではないか?

という疑惑は・・・

単なる疑惑ではありません。


さらに、戦死の顛末がこれほどよく知られた軍人も例がない・・

それが何より怪しい。

その死を英雄譚にされること自体が・・

悲劇のヒーローという演出こそ・・・・

都合の悪い事実は英雄譚にすり替える。

という、歴史ねつ造の典型的パターンであることは間違いないのです。

国を捨て、名を変え、亡命し・・・

原爆投下も無差別爆撃も彼は容認していたハズ・・・


ヒーローはヒーローでも・・・実はアメリカの・・・・






★次いで、

居たことは事実居たけれども・・・

何をした訳でもないのが坂本竜馬。





津田左右吉、司馬遼太郎はじめ、戦後の自虐史観をリードしてきた向きには、

格好のヒーロー像だったのがこの人。


まるで明治維新はこの人の御蔭で、

前時代の旧態依然とした後進国日本を

開国に導き、世界へ扉を開いた、まことに稀有なる・・

壮大無辺なる英傑!!

それこそ竜馬!!!


と、・・・・

面白おかしく読者を魅了するドラマを創作し

それがあたかも事実であった如くにテレビに映画に・・

つまり、明治維新という

日本の歴史上指折りの快挙をも、

民衆の代表者がその主人公であって、


決して明治天皇のご存在ではない!!

ということを念入りに主張するための

ヒーローが、坂本竜馬。



民主主義の先駆け・・・

おらがヒーロー・・・

という、戦後世論に迎合するにはうってつけの人でありました。



三菱の基礎を作ったと言われるのも、

三菱のアイデンティティにとっては・・・・企業イメージには・・・

好都合であろう英雄譚では、あり・・・ますが、・・・




実は、取りたてて、別に、何も・・・・・してゐません。


正真正銘の・・・造り上げ、祭り上げ・・

ねつ造された、ヒーローですね。






★次いで、

関ヶ原の合戦の頃にはとっくに死んでいたのが、徳川家康。

実態はただの田舎オヤジ・・・ろくでなし・・

とまでは言えないでしょうが、お飾りの凡人でありました。


三河武士という特別な名称がある如く、

三河侍はなかなか骨があったようで、

凡庸なる徳川家康を代表者に祭り上げて

その実、強固な家臣団が支配する、というのが徳川家の実態でありました。



酒井忠次や本多忠勝・・と聞けば、ご存じの方も多いことでしょう。

家臣団の代表的存在が酒井家、本多家等々です。


外面的には家康に忠誠心を尽くす家臣団という形態【かたち】を取りつつ、

実はお互いに強烈なるライバル意識を持ち、

織田信長公の描いた日本の未来像建設の意図を受け

天下への野心と苦心とを重ねに重ねた結果が・・徳川幕府・・・

に結実したのであります。


徳川幕府は、300年の長きに亘って政権を握ったのですが

実は、とても安定政権とは言えず、いつ崩壊するかわからない

誠に危うい権力だったのです。

徳川幕府が生まれる前後の頃、

日本国の本当の実権は

時の上皇として英邁なる後水尾天皇が掌握されていました。

それは、現在にも立派に遺されている

桂離宮、修学院離宮の素晴らしさを見れば、誰でも解る実態です。

権力の実質を握らなければああ言う桁違いの芸術品は産まれませんから・・


そして、


後水尾天皇を戴して、幕府政権運営を図ったのが、かの本田正純であります。

勿論家康さまが長命で健在である・・・・と言うことの威を借りて、

あるいは・・・家康様亡き後も東照権現様と言う神威まで創設して

二代将軍秀忠と確執を重ねたのでした。


秀忠は頼朝と同じ、天皇という存在をなきものにしたい派。

先の民主党反日政権みたいな存在ですね。

三代家光は正純と春日の局の子ですから・・・

つまり、徳川家康という傀儡を創り上げることで

反日勢力を淘汰していったのが本多家を中心に展開した徳川時代。

でありました。

その意思は伊達政宗に託されてゆく・・・




★ここまで語れば、源・・・九郎判官義経の実態は・・・

自ずから明らかですね。

彼は、勿論頼朝と密接に繋がっており、

兄弟の確執を強調しながら

天皇という存在を民衆から遠ざけ、消してゆく・・

という反日陰謀の中心人物でしかありません・



何がヒーローだか・・・・!!!!

とんでもないクワセモノ・・・・










posted by 絵師天山 at 00:00| Comment(0) | 歴史の真実
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