2014年02月19日

【歴史の真実】@ 正しくは【海の記念日】である








私が歴史画を描くようになったのは、

源氏物語に触れたことがそのきっかけでしたが、

源氏物語は歴史ではないものの

平安時代の国風文化の魅力が骨格にあるので、

小説?であっても、歴史的な価値も素晴らしい。

さらに、

古事記を紐解いて、

日本の成り立ちにまで自分の価値観が及ぶと、

ゆがめられた歴史認識によってどれだけ、

迷惑を被ってきたかがわかった。

嘘とねつ造によってこれまで、

十分すぎるほどに、誤った価値観を植え付けられ

それによって、幸福感さえ疎外され、

本来のアイデンティティーも壊されて来たのです。

振り返れば、

誤った歴史認識がどれほどの社会悪を、不幸を、ネガティヴを

生み出しているか、さらに未来にも影響を与えてしまうか・・・

だから

私が歴史絵を描くことによって知りえた真実を述べておくことも

多少の意味があろうか・・・・と思います。

幸せな・日本の未来・のために

   ★


第一回は海の記念日について・・・まず

東大名誉教授 小堀桂一郎先生の小論を読んでいただきましょう。

平成22年の夏に書かれたものであります。






★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★



正しくは「海の記念日」である




年間に計15日ある国民の祝日のうち、「海の日」が本年は7月19日にくる。

なぜこの日が祝日なのか、児童・生徒といった年齢層のみならず、青年・学生、

いや一般の成人・市民に於いても、その由来や意味が正しく教へられ、知識と

なってゐるであらうか。

諸般の観察結果からして多分に危惧を覚えないわけにはゆかない。


さきの大戦での敗北の結果、戦勝国アメリカの軍隊が日本全土を占領して、

従来の制度文物に大がかりな破壊的変更を強制したことは、今はもうさほど

人々の関心を惹かなくなってしまった様だが、
然しこれは打ち消すことのできない

歴史的悲運である。


占領によって消されてしまった我が国固有の国民的行事の一が「海の記念日」であった。

これはどこまでも記念日であって、

国民が業務を休んで遊楽に走ればよいだけの休日といふ性格のものではない。


発祥の由来を尋ねるならば、それは明治9年のこと、

奥羽から北海道にかけての御巡幸の旅に出られた23歳の若き明治天皇は、

青森から函館に渡られるのに際して、政府が前年に英国から買い入れて

明治丸と名づけてあった蒸気船に坐乗された。

天皇が北海道に渡航されたのも、つい20年前には黒船の名で国民の畏怖の的

になってゐた蒸気船に乗られたのも、もちろん国史上初めてのことだった。


明治天皇は船の旅がお気に召したのか、

函館からの環幸(かんこう・皇居にお帰りになること)に際しては

奥羽の陸路を取られず、明治丸で三陸沖を南下され、途中時化(しけ)に遭って

随員の多くが船酔ひに苦しんだのに、ひとり泰然として御機嫌美わしく

横浜港に安着された。


その日が七月二十日だった。


徳川幕府の海禁政策故に、国民は漁民や廻船商人は別として外洋航路の船による

海の旅には殆ど経験も関心もなかったが、明治天皇の御航海が刺激となって

謂わば
海洋国家日本といふ将来を展望しての構想が胚胎したと言ってよい。


この構想が結実して、明治日本は迅速に精強な海軍力を建設し、

結果として明治三八年の日本海海戦での史上空前の大勝利があり、

大正から昭和にかけての時期、日本は英米の二大列強が大いなる脅威

を感じて軍縮条約を持ちかけざるを得なかったほどの大海軍国となり、

又敗戦による全面的武装解除の後早くも十年にして世界一の進水量を誇る

造船大国としての面目がよみがへった。


日本は海洋国家として立つ以外に国家としての生命線を維持する方途はない。

その運命的前提は安政の開国以来全く変わってゐない。

現代語に謂ふ所のシーレーンの防衛・確保は文字通りの日本の生命線である。

国運の将来を担ふ少年達には是非とも国民にとっての海洋の重要さを、

沿岸漁業と外洋海運との両面からよく教育し認識させなくてはならない。


そのためには海の記念日に何らかの記念的行事のあることが

洵にそれに相応しい教育的契機なのだが、現行の様に

七月二十日の歴史的意義を無視してそれに近い月曜日を

ただ休日にするといふのでは、丁度梅雨明け猛暑の頃でもあり、

海水浴の奨励日かとでも誤解されかねない。

法令制定者達の愚陋をただ慨嘆するばかりである。



なほ教育施設として最適の記念物たる明治丸は、

幸ひにして重要文化財として横浜に健在である。





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英邁なる明治天皇のご存在がなければ今日の日本はありません。

日露戦争で日本海軍がロシアのバルチック艦隊を殲滅し

野蛮で理不尽な侵略行為を止め得た!!、その元の元には

明治大帝の御稜威(みいつ)が・・・・・

23歳の青年天皇が明治丸という黒船?・・ 蒸汽船を初体験された、

これが遠因になっているんです。

ペリーの来航によって急速な近代化を迫られた日本でありますが

明治天皇と言う軸芯あればこそ日本は世界に対して対応し得て

苦心の末・・・・今日を迎えたのです、ね。


【海の記念日】を【海の日】と省略してしまい、海水浴奨励日みたいに扱ってしまえば、

遂に国家は滅びのスパイラル・・・・へ

正しい歴史認識と言うものは実に大切なものであります。










posted by 絵師天山 at 12:22| Comment(0) | 歴史の真実
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