伊勢神宮式年遷宮奉納記念 日本神代絵巻公開
イン松山
高橋天山日本画展
ー和歌が奏でる日本の物語ー
会期 2014年2月11日(火祝日)〜16日(日)
会場 松山三越6階美術ギャラリー <最終日は午後5時閉場>
ギャラリートーク 2月11日(建国記念日) 午後2時より
紀元節のこの日、まだ寒さ厳しい中お越しくださった方々へ、
日本文化の真実についてホンの少し、語らせていただきました。
紀元節・紀元祭 (きげんせつ・きげんさい)
橿原神宮は、近鉄吉野線と大阪線とが交差する橿原神宮前駅から徒歩数分、
畝傍山を背景に鎮座ましまし、言うまでもなく、
神武天皇を主祭神とした官幣大社であります。
明治大帝の勅により明治22年橿原宮址地に創建されました。
毎年2月11日は例祭に当たり、勅使をお迎へしての紀元祭が斎行されます。
今から2674年前、初代の天皇陛下である神武天皇が日本の国を平定され、
天皇の御位に即かれた日です。
神武天皇の建てられた日本国が、天皇のご子孫の一系の天子を仰いで、
2674年の歴史を続けているということは、世界の歴史の不思議でありますが、
実にこれが日本の真実の姿です。
自然の恩恵と共に、そのきびしい試練を受け、一つの民族として、
一億を超える人口が共通した一つの国語で語り合い、
数千年の先祖の無数の文物を、風光明媚の国土至る所に保存してきたことは、
まことに比類ない世界史の脅威であります。
そして、その淵源は実に、神武天皇の建国にあるのです。
この度、第62回伊勢神宮式年遷宮に際しまして、古事記絵巻を描き【日本神代絵巻】
として奉納させていただくこととなり、この松山の地で建国の記念日にこうして
お話させていただけることは誠にありがたいことでございます・・・・。
★
他国に比を見ない歴史をもつ日本ですが、【歴史】、と一口に申しましても、
その大半は勝者の歴史なのです。
勝ち組となって自分の都合の良いように文書として遺した・・・・モノが、歴史。
とされてきました。悪く言えばねつ造の連続です。
同じ事実でも立場や考え方が違えば、まったく異質な事柄に変貌してしまいます。
例えば、こちら松山には【坂の上の雲ミュージアム】があり、かの司馬遼太郎さんで有名ですが、
秋山好古、真之兄弟と正岡子規など、松山の人々にスポットライトを当てて、
明治という時代を大きく語った、それ故にこちらにミュージアムまで造られ記念館としています。
が、必ずしも歴史の真実は語られてはいません。
日清日露両戦役を越えて、日本を近代国家たらしめたのは、明治大帝であります。
明治大帝のご存在・・・・・・
明治天皇の偉大さがなければ、・・・たとえ国民一丸となっても、
日本国家は、今日を迎えることはできませんでした。
司馬遼太郎氏は、そのことについては一言も語ってはいないのです。
一世を風靡した小説【坂の上の雲】も、立派な歴史小説とみなされてはいますが、
決して正真正銘の史実ではなく、脚色、創作で成り立っています。
つまりは、ご自分の都合の良い様に歴史を語った。・・・と言っても良い。
厳密に言えば歴史のねつ造であります。
明治神宮で参拝しおみくじを引くと、普通の神社のような大吉、小吉・・
ではなくて、明治大帝の御製、と昭憲皇太后 の御製がつづられています。
心にしみる、格調高き、素晴らしい和歌の数々・・・
明治天皇の偉大さはこの御製だけ取り上げてもすぐに、誰にでも、わかります。
60年のご生涯のうち詠まれた和歌の数、ナント・・10万首・・・
明治の歌人として有名な斎藤茂吉でも、生涯の作品数は2万に及ばない。
昭憲皇太后さまも3万首以上御製があると聞きます。
つまり、創作力だけに絞っても、明治大帝の英傑ぶりは司馬遼太郎の比ではありません。
NHKの大河ドラマの黒田 官兵衛にしても、事実、実際に戦国時代に生きた人だが、
その描き方でどのような人柄にも描ける・・・・ので、その脚色を楽しむのは
別に問題とはなりませんが、それを真実として扱うと・・・
これは、大問題になりかねない。
戦国時代を扱った時代小説は数限りなくありまして、信長、秀吉、家康・・
大変人気がありますね。
沢山の小説家がその時代の文書などを研究して
その知識の上から戦国時代小説が数多生まれてきたのですが、
その知識の元になったのは【信長公記(しんちょうこうき)】と言う書物です。
言うまでもなく織田信長公のご事績をつづった文書。
この書物が実は、・・・・
信長公の亡きあと、天下人となって大いに奢った豊臣秀吉の命によって書かれたのであります。
信長公の偉大さをご自分の都合のよいように・・・描いた。
秀吉の肖像画がかなり多数各地に残っておりまして、そのいずれもが華美なまでの表現。
ずいぶん立派に、・・・必要以上に美々しく描かれておりまして、
それに反して、信長公の肖像画は数も少ないし、何れも質素。
謹厳実直な感じに描かれておりまして、華美華麗なる秀吉像とは大違いなんですね。
つまり、ありがちな・・・功成り名遂げた人がそれを自慢げにヒケラカス風の・・・
私は絵師ですから、描かされた側の気持ちがよくわかり、
秀吉像を描かされた絵師たちは随分苦労したことでしょう。
下手すると首が飛ぶ・・・・
信長公が何を目指していたのか、・・・・
それは、遺された謹厳実直な肖像画が正直に語っております。
伊勢神宮の式年遷宮は62回を迎え20年に一度ですから単純計算してもざっと、1200年
・・・・・実は、諸事情で式年遷宮が行われない時代もあり、それは室町幕府の時代。
応仁の乱 以後、日本がめちゃくちゃになった悲惨な時代でした。
その途絶えていた式年遷宮を再興したのは信長公なんですね。
漁夫の利を得た秀吉は増長・・・自分を偉く見せることで頭がいっぱいでした。
信長公のご事績を上辺だけ踏襲しながら、良いことは俺様がやったのだ・・
信長の欠点を補ったのは俺様・・・・・と、実は
ご自分の都合のよいように周囲を巻き込み、日本を食い物にした、・・・・・・
やりたい放題で死んだから、子孫は絶滅したんです。
ずいぶん恨まれてたんでしょうね、・・・・・本当は。
・・・・信長公記は偽書であります。
正確なる真実を必ずしも語ってはいないから・・・。
それを基にして、近現代の小説家が描いた戦国時代小説を我々は楽しんで来ました、
面白く読んで好き勝手に感想を述べて来た・・・・んですが・・・・
つまりはねつ造された歴史を元にして・・・・語っても・・・・・・・ねー。
・・・・古事記はもう【ねつ造】しようがないほど、古い。世界最古の書であります。
正確には≪書≫になったのは今から1302年前、太安万侶によって編纂されてからですが
それまでは口伝だった。
書物は紙、物質ですからかならずいつかは消滅する。
そこへゆくと口伝と言うのは超アナログですがこれほど確かな伝承方法はありません。
生きた人から人へ伝えるのですから、これほど確実なる手段も他にはない。
当時、稗田阿礼という賢者が古事記全文を暗唱していた。
そのヤマト言葉の暗唱・・・にたいして太安万侶は漢字を充てて行ったのが、
今日に伝わる・・・・いわゆる・・・古事記・・・であります。
どのくらい前から存在していたのかさえ分からない、
古い古−−−−−−い・・・・もの。
以下続く・・・・・・
タグ:明治神宮 坂の上の雲 三越 松山 司馬遼太郎 和歌 豊臣秀吉 明治天皇 昭憲皇太后 式年遷宮 信長公記 古事記 神武天皇 太安万侶 紀元節 橿原神宮 建国記念日 秋山真之 正岡子規 稗田阿礼 黒田 官兵衛 斎藤茂吉 秋山好古 坂の上の雲ミュージアム
【伊勢神宮奉納記念展の最新記事】