2012年03月02日

なぜ、伊勢神宮奉納へ? 続き 『常識』


 常識と言うものは案外いい加減なもので、時代と場所により“常識”も変化し,
決して不変ではありません。

 現代人の陥りやすい常識?の一つに、【宗教に対する価値観の誤り】、がありましょう。
 仏教やキリスト教は価値があって、新興宗教は邪道である・・・と言う常識は一般的な典型でしょうし、神道も仏教やキリスト教のように宗教であるとする常識。も相当市民権を得ています。

 新興宗教はいわゆるカルト教団であって、ケシカラン。とする人も、なぜか仏教には寛容であり、キリスト教への憧れを持っている場合もある場合があります。

見えない世界への認識は人により様々。

 しかし、実は、仏教も外来の新興宗教であり、キリスト教などの一神教が撒き散らす善と悪との二極で全てを断ずる幼稚さも、じつに取るに足らない見解であり、現代にあっては、不必要物(いらざるもの)であるに過ぎません。

 釈迦は中庸を教えた素晴らしい知恵者であり、キリストも博愛の権化であって、お二人が人類の導き親であることは間違いありませんが、仏教は釈迦が造ったのではなく、キリストがキリスト教を作ったわけでもありません。

仏教もキリスト教も、むしろこの二人の聖人が唱えた事の逆を行っており、実態は、似ても似つかぬシロ物。

 本当のところ、嫌われている新興宗教と全くの同列にあるのが、仏教でありキリスト教であり、21世紀の今日、あらゆる宗教と言う宗教全てが、害毒以外の何物でもないでしょう。

 
 そして、神道を宗教と同列視し、貶めようとするのは、日本の卓越性を否定したい意図から出ているGHQはじめ外来の策謀であって、どのような観点から見ても本来の神道は宗教ではあり得ません。

 むしろ、宗教とは全く対極の存在であると言うのが真実であり、宗教概念が出来上がるはるか以前から、地球の歴史と共に存在してきたのが神道であります。

 人は【常識】と言う価値観に引きずられて、その実態には気付かず、それを後生大事にして尊ぶ。と言う弱点(くせ)があるのですね。それは、自分で咀嚼しない内に安易に受け入れてしまう、日本人が陥りやすい通有性でもあります。

 
 人のことを言える立場ではありません。
 
 わたしも以前はこの【常識】に囚われたひとりでした。

 
 しかし、陰陽師舊事希軍先生に出会い、いろいろとご教授をを戴いたおかげで、【常識】と言うものの実態に気付かされ、本来の神道の尊さもはっきり認識できるようになったのです。

 
 日本という国の真価、神道の真義・・・・を平易に解き明かし、ズーっと続いている戦後の洗脳教育、洗脳メディアから抜け出る事が出来ず、【常識】に囚われていた私を一気に解き放ってくれたのでした。





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第94回院展出品作品 【古事記(ふることふみ)】

 岩戸開きのシーン 絵巻部分





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  アメノウズメの扇情的なダンス・・・















posted by 絵師天山 at 02:29| Comment(0) | 古事記1300年
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