2012年01月15日

なぜ、伊勢神宮奉納へ? 続き 『装束オタク』



  続けます。


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  第63回春の院展 【蛍】 部分

 春の院展で急遽、泥縄式に描いた【蛍】、で火がついた私は、さらに秋の院展で大作として
【源氏物語抄 蛍】を屏風で出品。この作品は、院展全国巡回展を済ませた後、伊勢神宮、神宮美術館で、歌会始記念展にも出品されることになるのですが・・・・http://nihongaka.jp/アトリエ天山ホームページで、既にご紹介しています。


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第93回再興院展 【源氏物語抄 蛍】 四曲屏風



 続けて、次の年の春の院展に夕顔、空蝉、桐壺、帚木(ははきぎ)、と連年連作してゆきました。

 
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 【源氏物語抄 桐壺】 部分



 その間に、師匠がお亡くなりになってしまうのです。

 ご恩に報いる事もできないまま、敬愛する師、今野忠一画伯は、90歳を画業に費やし、多くの宝物を残して旅立って行かれました。

“あと、30年打ち込めばなんとかなるよ。人物をやりなさい。”との遺言から僅か、1年あまりのことでありました。

 
 
 人物に取り組むとしても、現実の社会から人物を取り出して絵にするのではどうしても、自分としては、面白くない。そこで、歴史画に夢を求め始めたことは既に申し上げました。

 歴史を学ぶ事が、取材の主役となり、当然、源氏物語の平安時代の装束、風俗等を学ばねばならないことに・・・・・

 それまでの私は、気の向くまま、師匠、先輩友人に誘われるままに、国内を始め、外国へまで取材旅行を重ね、色々と興味を持ち、様々と想が湧くことに従って、成り行きで絵を描いていました。いわば、アンテナの張り方は全方位。・・・・と言えば、カッコがいいけれど、要するに、行き当たりばったりであったわけです。絵を描く力はついたけれど、生涯をかけて何に取り組むか?腹を据えて取り組むべき仕事とは何か?まだ、そのような自覚には至っていなかったのです。

 ところが、千年の歴史を持つ源氏物語を借りて、人物像に取り組む。という焦点を合わせてみた事で、結果的に行き当たりばったりでは捕らえきれない、日本文化の根幹を学ばざるを得なくなったのです。


 とりあえず知人に紹介された装束の会へ出掛ける事から始めましたが、大げさに言えばこの≪日本を知る勉強≫、は新しい出会い、新鮮な驚き、に満ちていました。それは、日本の伝統文化を守り伝えていく本当の意義を認識する学びでもあったのです。日本画とは何か?日本文化とは何か?そして、日本とは何か? 

 師匠の遺された遺言は意外な展開を見せる事になりました。


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師、今野忠一画伯とのツーショット


 
 紹介された装束の会は、いわば装束オタクの集まりとも云うべき、同好会で、当時の私から見ると奇人変人の集合体。・・・しかし、日本を代表する衣装の熱烈なフアンであることには違いなく、ホントに十二単を代表とする装束が大好き!! それは、見事なオタクドモ・・・?でありました。

 シルク製品はお高いので、化繊の装束が多かったのは事実ですが、みなそれぞれに得意分野があるらしく、着付けの名人やら、手入れの名人、たたみ方の名人、・・・男性も多く、私も束帯を着せていただいたのは、実に愉快でした。

 なにか、こう、血が騒ぐと言うか・・・初めてなのに、不思議な床しさがこみ上げてくるのです。

 源氏オタクでもあるこの同好会のメンバーは、日本画家の登場は珍しく、源氏絵を描く為の取材という理由がはっきりすると、皆さん好意的にそれぞれの主張を実行してくれました。

 つまり、源氏物語のあの場面のあの方はこういう衣装で、こんなポーズで、こんな感じで・・・・
中には、小学生から源氏物語を読んでいた!なんていうツワモノまでいるのですから、俄か知識で絵を描こうなどというのは、それこそ・・・おこがましい!

 スケッチ、写真、それはもう、沢山の取材を存分に重ねさせていただきました。

 皆さんと、気心が知れ、院展も見に来てくださったり、交流が始まると、新しいオタクとの出会いも増えてゆきます。その中で知りあったのが、陰陽師の先生。



 この陰陽師舊事希軍先生との出会いによって、日本に於ける神宮の存在意義、また皇室と神宮、皇室と日本国民との関係などについての新たな認識を得て、絵巻物を描く動機付けとなったのは、後の事です。






posted by 絵師天山 at 10:40| Comment(0) | 古事記1300年
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