2011年11月01日

大和絵の奔流

 練馬区美術館で、11月23日まで、近代大和絵の父とも言うべき松岡映丘展が開催されています。

菱田春草の没後100年。

 小堀鞆音の没後80年。

 松岡映丘の生誕130年。   

期せずして、日本画の骨格を真摯に、黙々と、追い求め続けたホンモノの大天才たちが、脚光を浴び、勢ぞろいした記念すべき年、となりました。

日本らしさを日本人が自ら脱ぎ捨て、自分の国を誹謗し、卑下し、真価には目を向けず、挙句あらゆる方面で行き詰まっているにもかかわらず、その真因には気付こうともしないという、おそらく、肇国以来、未だかつてない様相を呈している現代にあって、日本文化の根幹を形造ってきた僅かな慧眼の志士達に、光が注がれたのは、もしかすると、まだ、日本民族は捨てたものではないのかもしれないとの淡い期待を抱くに足る出来事でありました。

小倉百人一首にこんな歌があります。

有馬山 ゐなの笹原 風吹けば
     いでそよ人を 忘れやはする

(歌の概意: 有馬山のあたりの猪名(いな)の笹原に風が吹き渡ると、そよそよと音をたてるわ。それですよ。私はあなたのことをどうして忘れなどしましょうか。私はあなたのことを忘れなどしません。)


 この和歌を詠じた大弐三位は、紫式部の娘。猪名の笹原、と言うのは万葉の昔から風にそよぐ笹原の風情がかもしだすことで知られた、代表的歌枕の地、現在の兵庫県猪名川流域を指す。

この歌を絵画化した映丘の遺作がこれ。


IMG_4611.JPG


  【猪名の笹原】 (部分)

  爽秋の風が感じられますね。







 また・・・・・小堀鞆音にこんな作品があります。

IMG_4662(1).JPG

  【勿来関図】 (部分)

吹く風を なこそのせきと 思へども

          道も瀬に散る 山桜花

八幡太郎(はちまんたろう)の通称でも知られる源氏の棟梁,義家。

頼朝、尊氏、・・などの祖先に当たることから後世に英雄視され、様々な逸話が生み出され、この図はその一つ。

常陸陸奥の国境、勿来の関を八幡太郎義家が朝命を奉じて陸奥の国乱鎮圧に向かった途中、この地を過ぎ、はらはらと花びらが散り行くさまを見て、この和歌を詠じました。

勇猛果敢な武将といえども、雅の心は忘れなかったという、モノノフの真実を言い伝える名シーンです。

花びらのちりゆく音なき音が、聞こえるではようですね。



そして、我等がヒーロー、菱田春草には、こんな作品も・・・・

IMG_3569.JPG

【仏御前】

平清盛に自ら近づいて、白拍子としての名声を一挙に手に入れたものの、清盛に捨てられて、栄華を失い、無常を悟って、嵯峨野の妓王、妓女の元に出家する。と言う、平家物語にある有名な一シーン。

嵯峨野の寂とした秋の風情と仏御前の哀愁がひしひしと伝わってきます.


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このように、我々日本人は、昔から、【桃太郎】のように、爺さんもそのまた爺さんも、そのまた爺さんも、・・・先祖代々楽しんできた文化が、時を越えて息づいてきたのです。

ところが、先の終戦を境にして、長年月楽しんで培ってきた日本固有の文化をいとも簡単に捨てるようになってしまいました。

アメリカに憧れるように仕向けられ、ヨーロッパ文化に心酔し、シナ朝鮮の文物をも日本のそれよりも上等のものであるという、自虐、自縛教育に洗脳され、先祖代々当たり前の様に大切にしてきたものを、大した吟味もせずにかなぐり捨ててきたのです。

遺されたものも今や風前の灯。

私は、単なる懐古趣味で申し上げているのではありません。現代に牛車を持ち込め、と考えているわけでもありません。

日本にしかないものが山ほどあるのに、それへ目を向けずにどこにでもころがっているようなものに執着して、世界を相手に小競り合いする様な愚かさを、もうそろそろ、日本人も気付かねばならないと強く思うのです。

大和絵は日本文化の根幹の一つ、であり、ここを目指して歩む日本人が一人でも増えてゆく事が、日本を取り戻すヨスガとなればと、願っています。


映丘。鞆音。春草。・・・・・・日本画=大和絵の奔流に殉じた天才達を学びながら。














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posted by 絵師天山 at 00:33| Comment(0) | 日本画の真髄
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