安房(あわ)領主里見義実の娘。敵将の首をとった愛犬八房(やつふさ)と富山洞にこもり,八房の気をうけて懐妊する。父なくして宿ったことを証明するためみずから腹をきって死ぬ。その傷口から仁義礼智忠信孝悌の八つの玉がとびちり,やがてこの玉が化して八犬士となる。”
犬が主人公のお話、けっこう今読んでも面白いものです。
先回憂いの表情で春草の天才を感じて頂きましたが、最後の【伏姫】は、このような憂いを湛えて、水辺に逍遥しているところです。理解を得られない放心? 諦念?
衣装の幾重にも重なる灰色、その鈍い重さ・・、を強調して描く事で、憂いの深さを表現したのです。
さて、春草が美校教員を勤め始めて、これから、と言うときに大騒動が勃発します。
明治31年。美校校長、帝国博物館理事、同館美術部長、として権勢を振るってきた岡倉天心が免官、非職を命ぜられるのです。
春草の師である、橋本雅邦以下、30余名の美校教官は、天心に同情して連袂辞職することとなり、春草も勿論、一同と共に辞表を出し、4月22日依願解嘱となりました。
教員生活二年足らず。前途に暗雲が??
春草の短い生涯を辿ると、その波乱万丈に驚かされるのです。将に天才、豪傑、傑物、・・・。しかし、凡人から見れば、大そうな大波乱も、彼にとっては次なるステップでしかありません。
この時も、【禍転じて福と成す】。画家の場合の【福】は、傑作が生まれる事。現実はかなりキツイ事柄の連続ですが、それらをものともせずに邁進してしまう我等が天才、春草様、であります。
天心、クビ! に。
この大騒動のさなか、4月に開かれた日本絵画協会第4回絵画共進会に、春草は【観画】を発表。銅牌第3席を獲得。
しかし、美術ジャーナリズムも展覧会の事より、この大騒動で話題騒然。絵どころではありません。
美校教官30余名は、中から12名が辞表撤回して留任。他は、新団体組織に動き、7月7日。日本美術院が創設されました。
院展が生まれたのは、このような経緯から。だったのです。
天心の放埓な言動に端を発した、免官、非職、騒ぎがなければ、日本美術院は生まれなかったのです。
歴史の真実と言うのはそんなものかも知れません。
天心以下、天心に心から従う人達は勇躍、心機一転!
新団体設立に糾合したのでした。
創設趣意書
“本邦美術の大勢は、明治の風雲に際会して、一旦破壊的変動を受けたりといへども、其の気運漸く熟するに及んでや、尋で保守的方向に復帰し・・・・・・(中略)・・・・・請ふ、幸いに微衷の存する所を諒察し、本院の基礎をして永遠に鞏固ならしめ、其の事業の前途をして、いよよ、進歩発進せしむるに賛同あらんことを。”
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