この年、有名な天心の【日本美術史】が、開講されるのです。天心の八面六臂の大活躍が始まろうとしていました。
この講義をご存知ですか?日本画を志すものは必見。是非ご一読下さい。
大観も春草もこの講義を熱心に聴講したことでしょう。
この講義は、当時、世界から見た日本の美術の歴史という観点がまだ無い時代に、それはそれは革新的な視点に立っての、日本美術の概括を網羅的、総括的に高所大所から述べたものであり、日本美術の真価を見事に謳いあげたものであって、現在でも美術界では語り草となっている名講義であります。
時に、岡倉校長30歳。
皆さんは30歳の時何をしましたか? まだ30歳にならないあなたは、これから何をしますか?
明治時代は、明治天皇による天皇親政によって、日本人がその日本人らしさを最大限に表現できた時代。当然、はっきりした日本人としての自覚の下に、自分と言う個が、公に対して何が出来るか!を、研ぎ澄ませるのが青春そのもの。 ・・・・と言うわけで、どんな人も、明らかに現代人より目覚めた日本人でした。
勿論不世出の大天才、岡倉天心先生は、その精鋭中の精鋭。
日本美術史の冒頭を少しご紹介しましょう。
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日本美術史
岡倉天心 明治24年
序論
世人は歴史を目して過去の事跡を編集したる記録、即ち死物となす。
是れ大なる誤謬なり。歴史なるものは、吾人の体中に存し、活動しつつあるものなり。畢竟(ひっきょう)古人の泣きたるところ、古人の笑いたるところは、即ち今人の泣き或いは笑うの源をなす。
往昔吾人の先祖は、三韓を征服し蒙古の大軍を撃破せり。
吾人は当時に生存せざりしと雖も、三韓征伐・蒙古襲来の事蹟は歴然として吾人思想の一部をなし、吉備公及び弘法大師が唐に入りて斎し来たりたる文学、技芸、家康、綱吉が奨励せし近世の文学も亦吾人知識の一部となし、金岡、雪舟の画は吾人が画を作る原素となり、薬師寺の薬師、法隆寺の壁画等に至りては、如何にして之を作りしや、其の方法すらも知る能はざるも、所謂天平式なるものは吾人の脳裡に存在す。
藤原氏盛時の美術は吾人又之を知らず。然れども尚藤原式として吾人を益するあり。若し雪舟、相阿彌(そうあみ) なかりせば、我が邦今日の美術は決して現在の如き有様ならざるべし。推古、天平、藤原、東山、皆吾人思想の一部をなし、始めて吾人あるなり、小学校生徒をして、紋様を描き、唐草を作らしむるも、おのずから外邦に超絶するの趣を有す。是れ即ち古来幾多の変遷を経たる日本美術なる思想は、我が大和民族の頭脳中に存在して然らしむるにあらずや。
美術史を研究するの要、豊富に過去を記するに止まらんや。又、須く未来の美術を作るの素地をなさざるべからず。吾人は即ち未来の美術を作りつつあるなり。顧みれば、迷濛として半ば其の形状を没するの過去あり、前にはショウボウとして際涯を知らざる将来あり。此の両者の間に処して其の任を全うせんとする、亦難き哉。殊に、明治の今日に於ける吾人の責任重且つ大なるや言を俟たず。
諸氏知らずや、学芸、技術、宗教、風俗等、皆其の標準において大変動を生ぜるを。此の時に方りて、美術独り超然として影響を蒙らざるの理あらんや。
現在美術の、過去将来の中間となりて、之を結合するの任重きこと、わが邦のみ独り然るにあらず。
十九世紀は、是れ世界大変動の時期にして、其の原因をなすところのものものす種種なるべきも、主なるものは、唯物論の勢力を得たること是なり。彼の高遠無辺なる空想をもって主とせる宗教にして、尚且つ将に実物的たらんとす。
美術の如きに至りても。亦実物的ならざれば世に容れられず。一に実物に接近して霊妙に遠ざかれる伊太利亜文学の再興以来、此の方向を取りて滔滔として底止する処を知らず、器械的学術の進歩は器械的の思想を進め、その思想は宗教、道徳、にすらも影響して、之が標準をして機械的たらしめ、人の罪を犯すものを罰するに方りても、恰も権衡を以って之を量るがごとく、何々の罪を犯せるが故に罰幾何云々とす。
亦精密なりといふべし。............
![tenshin[1].jpg](http://nihongaka.sakura.ne.jp/sblo_files/tenzan/image/tenshin5B15D-thumbnail2.jpg)
天心先生像
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明治25年、11月には、美校規則が改正され、普通科を予備課程と改称して年限を1年とし、専修科を廃して絵画、彫刻、美術工芸、の本科を置き、年限を4年としたので、春草は絵画科の本科2年に編入されました。
次いで、明治26年春草は、絵画科本科3年に進級。秋江(しゅうこう)と言う雅号を用いています。此の頃が、狩野派の末裔、橋本雅邦の影響が最も強く出ている頃。直接の担任の先生ですから当然で、年齢も離れていて、春草にとって安心して学べる師匠であったのだろうと思われます。
とにかく筆技を学ぶ日々でありました。