2011年03月20日

兄、菱田為吉氏のこと

 春草は三男坊、次兄は為吉と言って、長男が夭折していたので、事実上、菱田家の惣領が、この人でした。春草2歳のときに長男は亡くなって、7歳年上の次兄為吉に生涯世話になり、死んでから後も遺された家族の面倒をすべて見てくれたのがこの兄だったのです。
 現、東京理科大、当時の東京物理学校を卒業した為吉は、後に、皇太子(後の大正天皇)の教育係を拝命するまでに優能な教育者でしたが、生来絵が好きで、自分も美術学校に入りたかったのが、家の事情で許されず、弟春草の画才を見て、あるいは画家として成功するかも知れぬと、考え、春草を上京させ美術学校に入学させようとしたので、春草にとっては終生の強力な支持者でありました。

 為吉の献身なくして大天才春草は生まれ得なかったと言っても過言ではありません。

 春草が、16歳(数え年)で飯田から上京した当時は、飯田から高崎に出るまで道中の多くは徒歩!高崎から汽車に乗って上野へ着く、と言う優に4日間の道のりだったそうです。

 上京した春草は、為吉の下宿に同居。神田に住む、狩野派画家、美術学校助教授結城正明について日本画の初歩を学びました。

 後に誰にもまねなどできない次元で、日本画を革新してゆく大天才も始めは、既成の平均的価値観を学んだのでした。

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 永青文庫所蔵の重要文化財、六曲屏風。最高傑作“落葉”の画期的名品が生まれるのは、もう少し待たなければなりません。大天才の凝縮された強烈な20年が間もなく始まろうとしていました。
posted by 絵師天山 at 22:25| Comment(3) | 菱田春草
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