2018年11月13日

【あはれをかしの物語】個展



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           【源氏物語小屏風】


平成30年12月5日〜10日
日本橋三越本店6階特選美術画廊にて
【あはれをかしの物語】個展

12月8日午後二時からは、ギャラリートーク。
特別ゲスト、平野啓子氏をお招きして竹取物語を語っていただく予定です。
平野さんは平成の語り部。“かたりすと”としてご活躍されています。




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日本の語り芸術を高める会 会長
大阪芸術大学芸術学部放送学科教授
武蔵野大学非常勤講師
(日本文化研究/朗読・語り・舞台演出)
警察大学講師(話し方)、
日本語大賞審査員・・・・等々、多方面のご活躍!!




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この【かぐや姫】の作品を公演で使っていただいたのがきっかけで、知遇を得まして、
つい先日も「語り」生活三十周年記念公演、を拝見したばかり・・・・・


日本の語り芸術を高める会の記念公演
起〜ki〜語りの初心にかえる
と題され、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」、
太宰治の「カチカチ山」・・・・
聞き惚れる・・・という表現が一番近い内容でした!




ギャラリートークにお越し願ったのは
竹取物語の語り公演を聞かせてもらった故。
この方なら、是非ぜひ!!と・・・・




SEIZA★no,86 2018誌の巻頭随筆で平野さんはこう語っておられます。
                    
     「語り」での出会いーかぐや姫のらぶれたぁ   
               平野啓子



「読みたい人!」と先生が教室でみんなに向って問いかける。私は勢いよく手をあげる。古文の授業の『竹取物語』。大空から天人がこの世のものと思えない清らかな装束を着てかぐや姫を迎えに来る幻想的かつ緊迫感のある場面だった。天人たちの中に王と思われる人がいる。わたしは雰囲気を一心に声に集中させた。ムードたっぷりに、はい!「その中に王とおぼしき人・・・」すると、この瞬間、教室内がざわついた。「王を『玉』と読んだ」とクラスメートたちがクスクス笑っている。そこへわたしの斜め前の男子が「確かに王は玉だよな」と声を高くして言ったのをきっかけに、大爆笑が起こりしばらく止まらなかった。恥ずかしさで全身がかーっと熱くなった。全体に美しく不思議な生死観も感じる大好きな物語だった。わたしは玉と思い込んでいたのだ。優れた立派な貴人への美称なのだと、だのにこんなに笑われて、「ぎょく」と読めばまだよかったかも知れないのに、「たま」と言ってしまったのだ。

 
 と、このような思い出を持つわたしは、今「語り」を生業とし、その『竹取物語』を上演作品の主要演目にしている。国立劇場をはじめさまざまな劇場で、浜離宮恩賜庭園の屋外で、そして海外でも!
 日本最古の物語文学である。かぐや姫がいよいよ月に帰る、感情が煮詰まった後半に和歌が登場。また、意外に知られていないが、最後に富士山が描かれている。帝は姫からもらった不老不死の薬と手紙を天に一番近い山で焼く。そして、「その山を、ふじの山とはなづけける。その煙、いまだ雲の中へ立ち昇るとぞ、言ひ伝へたる」で物語が締めくくられるのだ。

 
 もともと趣味で朗読を始め、もっと上手になりたいと思ったとき、鎌田弥惠(かまたみつえ)師と出会い、「語り」の世界に入った。名作文学を全文暗誦する「語り」は、たとえ誰が書いた文章であっても、その言葉を自分の心に刻み込み、自分の表現として声に出す。


 平成26年度に文化庁文化交流使として日本の「語り」を紹介するためにドイツ、トルコに派遣していただき、計八か所で上演した。かぐや姫が天に帰る別れのシーンでは、多くの外国人たちが心を動かされている様子だった。「語り」は国境を越えにくいジャンルと言われていたが、紀憂に終わった。

 上演後、日本語がどのように聴こえているのかを客席の外国人に聞くと、どちらの国でも、「音楽のようだ」と言われた。音節のほとんどが子音+母音でできている日本語は、ゆっくり話すと確かに音楽のように聴こえるのだろう。今でもわたしはあの『玉』の部分になると、毎回背筋がピンとして緊張する。間違えないように、祈るように丁寧に口にする。いっそう音楽的なのではないか。
 
 それにしても、かぐや姫が帝に最後に書いた手紙といったらいったいなんだ。「今はとて天の羽衣着る折りぞ君をあはれと思い出でける」・・・羽衣を着て月に帰る今こそあなたを愛しく慕わしく思う・・・なんて、最高の憧れの女人から今生の別れにこんなことを言われたら、もう帝の心に永遠に残り、かわいそうに帝はきっと他の女に恋ができなくなるのではないか。

 
 和歌や短歌は、主語や登場人物の固有名詞がぼかされていることが多くて、最近とみに心惹かれる。かぐや姫の和歌だって、もし、うっかりどこかに落としてしまい誰かに見られても「え、わたしのことじゃありません」と姫はすぐに否定できる。メールで送ろうが、流出しようが、誰が誰に向けて書いたかなんて本人同士のみが知る。便利だ。自分の想いをわずかな語数で表して相手に送ろうとする時に、必死に語彙を探る。なかなか見つからなくて、辞書を引き始める。先人の歌を紐解いたりもする。ピタリと当てはまる言い回しになった時に、送信ボタンを押して相手に想いを届ける。もし、気に入ってもらえたら、改めて手書きで書いて渡す。恋人が相手の場合は、そういう時間がすべて、いとしき恋の時間だ。

 
 今も昔も変わらない、人の心模様。それが、それぞれの時代の言葉で描かれ現代のわたしたちに届いている。母語はその国の文化の土台だと高名な先生がおっしゃっていた。歴史、宗教の違うそれぞれの国で培われた感性、習慣の中ではぐくまれた、コミュニケーションの大部分を占める言葉。「語り」に携わっている限り、言葉に触れる素敵な時間を過ごす人生である。今年は、わたしの語り生活三十周年になる。




      

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             【竹取物語絵巻】天人降下




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             【竹取物語絵巻】かぐや姫誕生





「語り」楽しみです!
          




           
posted by 絵師天山 at 09:00| Comment(1) | あはれをかしの物語展