絵画にも格があり、
それらしき体裁を整えてあっても
風格・・・といった、内容の深さ高さが無いと
少しの間に飽きてしまったり
飽きるまでもなく興味が湧かなかったり・・
絵画に限られたことではないのですが、
絵の魅力を追いかけている者としては
【画格】ということはとても大切なことであります。
写実というポピュリズムに陥っている現代の美術家達は
悠久の日本歴史が生み出した数々の所産に目を背けているので
底の浅い西欧風に囚われたまま、未だ解放されていないからであり
残念な事ですが、もう少し時が必要らしく
写実は必須アイテムだが同時にもっと必須であるものがある・・・ことに気が付くには
人としての成熟がこれまた必須の様です。
芸術系大学の入学試験にデッサンを課すのは当たり前でしたが
此の度、東京芸術大学油絵科ではそれを廃止したようで、
画期的ではありますが、日本画科の先生方が呆れて大反対しているのは当然で
いったい何を以って選別の具とするのか?
という議論が巻き起こっているようです。
戦後70年を超え、平成の御代が終わろうとする今
もはや戦後という概念すら無くなってゆくであろう未来に
美術家は何を目指すべきなのか、難しい処に来ています。
温故知新がその道標であることはいつの時代でも同じこと。
しかし、現代の価値観で古きを尋ねていてはだめで
普遍なる価値観に立って古きを尋ね新しきを知らなければならない・・・
普遍性と言うのは、常識とも違うし通念でもない。
いかなる時代、いかなる地域、どのような世代、民族、国家・・
にせよ、必ず共感されるべきもの・・・・こそ普遍性であり、
視覚芸術に限っても普遍性が根幹に無ければそれは
泡沫・・・要らないもの、無駄、愚かな独りよがり・・・・なので、
写実よりも大切なのがこの普遍性を求める勉強・・・
明確にその事を認識している人があまりにも少ないので
このままではどうにもイカン!・・とは感じているけれど
どうしたら良いのかが分からない、
とりあえず写実の弊害を排除してみるとしましょう・・・
というのが、写実力の有る無しに拠っての入学選別を止めた今回の東京芸大油絵科の方針。
しかし反対する側も明確なる普遍性を求める心が成熟していないので
ヘ理屈に対するヘ理屈・・・・・らしい・・・・
知人のお嬢さんがメデタク東京芸大油絵科に入学・・・デッサンの経験が浅いこのお嬢さんは驚きと共に喜んだのは勿論だが、新学期が過ぎ写実力養成はどうしたら良いの?と戸惑う日々が、遂に父親を通じて私に質問・・・・・・笑えない現実が・・・
★
今年は季節の移ろいが早く桜もボタンもあっという間に散りました。
薫風香る初夏の気配に大相撲夏場所・・・
いつもの様に筆者も楽しんでおりますが、
中日を過ぎ、早くも勝ち越しの力士が名乗りを挙げはじめ
だんだん面白くなってきたのに
またぞろ、白鳳の馬鹿ものが呆れるような仕儀で面白さに水を差した。
相手は元大関、琴奨菊、・・勝ち星は上がらなくなったものの
元気でありまだまだ若さを十分保ち、ガブリ寄りの名人として大いに観客を魅了している、・・・勝ち越しのかかった白鳳は
突進名人に要らざる【待った!】・・・をかけた挙句
フライングとも言える出し抜いての立ち合いを見せ、
あわてて受けざるを得なくなった琴奨菊はタイミングをずらされて敢え無く敗退。
勝ち誇った白鳳は相変わらず、賞金をこれ見よがしにガバット獲ると
大威張りで勝ち名乗り!!・・・・・
ここまでの興味はこれで一気に冷え切って、ドッチラケ・・・・
40回の優勝を誇る大横綱が、相手力士の突進を敬遠して
要らざる【待った】をした挙句、格下を出し抜くが如き立会いで圧倒し、
勝ち名乗りを堂々と受けて大威張りで賞金を受け取る・・・
どっちが格下なのか・・・・いやはや・・・・
普遍なる相撲道、はここにはカケラもないのであります!!!!
聞けば、日本人に成るべく帰化することを反対していた父親が他界したのでいよいよ
日本に帰化し、親方となって部屋を持ち、それも銀座に白鳳部屋を建設して
ウインドー越しに稽古の様子がよく見えるような新しいスタイルの相撲部屋にするとか・・・・
あほか!!
そんなものイラン!
悠久の歴史のなかに築かれて来た普遍なる力士道への追求にこそ人は感動する、のであり
部屋が銀座に有るからじゃないぞ、ましてガラス越しに見たいからじゃないわい!!
ばかもの!
・・・・・・・ということで、
勝ち負けだけに価値があると実証し続けているあほ横綱!オマエこそ格下だぁ・・・・フアンの楽しみを奪うな!!!!!
★
画格の高さを示す内容こそ【普遍性の追求】であろうと
私は思うのであります。
2018年05月22日
画格
posted by 絵師天山 at 12:54| Comment(0)
| 日本画の真髄
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