2017年12月10日

聖徳記念絵画館 その4

 
 即位礼(ご即位の儀式)



      IMG_4567.JPG  




時   明治元年8月27日(1868年」10月12日)

所   紫宸殿(ししんでん)(京都御所内)

奉納者  京都市

画家   猪飼嘯谷(いかいしょうこく)



即位の儀式は、昔から唐の制度にならって行われてきましたが、天皇の政治が新しい方針の下に行われる時なので、衣服は我が国古来の服装を用いられ、式場も全く新しい様式に改められました。

天皇は、黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)を着用され高御座(たかみくら)にお登りになり、即位のことを天地の神々にお告げになりました。

絵は、即位礼の光景です。 



この作者については、以下、

猪飼嘯谷 いかい-しょうこく
1881−1939 明治-昭和時代前期の日本画家。
明治14年4月12日生まれ。谷口香嶠(こうきょう)に四条派をまなぶ。はじめ母校京都市美術工芸学校で,明治43年から大正14年までは京都絵画専門学校(現京都市立芸大)でおしえた。歴史画を中心に明治41年以降文展で活躍,帝展に出品せず,昭和12年新文展に無鑑査出品した。昭和14年6月16日死去。59歳。京都出身。本名は卯吉(うきち)。作品に「大正天皇大礼絵巻」。



・・・とあります様に、長命は得られなかったが、四条派ですから、伝統的アカデミックなる出自。
京都派の日本画家として、王道を歩んだことは間違いありません。「大正天皇大礼絵巻」の作者でもあり、御皇室への尊崇は人並はずれたものがあったことも確かです。


拡大してご覧になると良く分かりますが、伝統的大和絵の手法。
精細、緻密、堅実、・・・・
テーマは即位礼ですから、明治天皇の御事績の中でもエポックなる出来事、
それに相応しいとされたのがこの作者、猪飼嘯谷先生だったのでしょう。


当然テーマに相応しいとされた作者が、御事績それぞれの担当と認定されて、制作に励む訳ですから、最重要なる儀式のシーンを描く人!としてこの人以外には居なかった?のかも知れません。

何れにせよ、手がたい熟練の手腕は、大したもので、
若干・・・遠近法に囚われてしまった!
という惜しいところもあるにせよ、この温厚さは十二分に頷ける。



遠近法は、所謂、送り・・・
コチラが近い方で、あちらは遠い方・・・
と、視点の遠近を描き分けることによって
より写真的真実に近づくので、解り易い。
が、解りやすいのと、美しさとは別物ですから、
絵画の魅力を発揮させるにはこの遠近法に囚われない
ということが重要なファクターになる。


けれども、先回も申し上げましたが時代は
西洋化の大波が押し寄せ、大和絵の大家も
時の要請は看過し得ない、・・・・
こう言うテーマは、
遠近法から超越して、所謂【吹き抜け屋台】式に描くと
超面白くなるんだが・・・・残念、
御時世という波には抗えなかったのでありましょう。



それでも基本は伝統的大和絵の手法ですから、
明暗とか立体感とか、写真的写実からは解き放たれている分だけマシ。

衣装美、・・・装束の華麗さは、
立体も平面で捕らえる・・・・という
大和絵の手法ならでは

陛下のお姿を隠して殆ど描かない・・というのも
古法に従っており、理に適っています。


後出の他作品には、陛下の御影を露出させて描いた場面もありますが、
即位礼という性質上、玉体は見えない様に描くのは当然の事。


平成の御代になった折の、今上陛下の即位礼では、
ナント!総理大臣が燕尾服で高御座の前に立ち、
有象無象の政治家を従えて、万歳ナド・・・していましたが、
燕尾服も間違っていますし、
そもそも総理大臣風情が高御座の前に立つこと自体驚きの不作法。
・・・・・なのであり、
いかに現代とはいえ、古式を知らないのにも程がある・・・
と言う事は、知っておかなければならないでしょう。
明治帝は鎌倉幕府以来手放されていた実権を取り戻し
あらゆる点に於いて、日本の日本たる所以を取り戻そうと聖慮を尽くされたのであります。



この図は、その正当なる古式を十分に伝え、
紫宸殿に設えた高御座の布置、・・・居並ぶ、皇族、公卿、命婦女王
しかも正面からは描かない、・・・という当然しかるべき謙虚なる視点。
悠久の日本歴史そのものが儀式として表現されたかのような荘厳華麗・・・

畏れを知らぬ傍若無人とは、明らかに一線を画す
考え抜かれた構図であることは確かです。






posted by 絵師天山 at 11:39| Comment(0) | 聖徳記念絵画館
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