2017年04月18日

自転車翁


以前、
滋賀県知事が
共産党系及びかつての民主党、
現在の民進党系の支援を受けた
嘉田由紀子氏となり、時を得てさらに再選され、勢いづき、
新党まで立ち上げ、国政に及ぼうとしたときに
かの悪名高き 小沢一郎氏が、現れて・・・
自らの党を解党してまでこれにくっ付き、
後に共倒れしたことは
もう忘れられた人も、知らない人も多いのでしょうけれど
実はこれが、小沢一郎氏の鮮やかなる政治手腕!
本質を見極めての“ブレなさ加減”・・・は、さすが岩手県民!
勿論、支持者も全くブレていないのにいつも驚かされますが、
それこそ東北人の粘りとド根性。
しかも一片の言上げさへ無く・・・・

そこらへんの寄せ集め?
薄っぺらな?私みたいな
都会人とはデキが違います・・・ねぇ
????

常に攻撃の的であり続けている小沢一郎氏・・・・
今だにその政治的手腕は有効に働いているのだけれど
もうスッカリ外国の御都合に支配されたメディアは
小沢氏のオの字も出さなくなった。

戦後の日本を背負って断個立ち上がったあの
田中角栄氏を葬り去ったのが他でもない
結局、日本国民自身だった!!・・・のは、
残念、惜しみてもあまりある・・・・様に・・・・・

物事の表面しか見えない?見ようとしない?
一般人はそれはそれで幸せかもしれないが
やはりそれは、幼児性が抜けていないから・・・だし
まあ、良いように騙されているだけ・・・・ですねぇ。
本当の進歩は・・・ありえません・・・・

だが、このままで済まされるハズは・・・・



ここで御紹介するのは
滋賀県知事選挙での三選を嘉田由紀子氏に阻まれた
國松善次氏。

現在は琵琶湖一周、200キロの自転車旅を毎度満喫されている爺様?であられ
英霊にこたえる会、等々、多方面のご活躍は
“国益の本質”
・・・を分かりやすく教えて下さっています。

コチラは、四月1日発行≪やすくに≫誌、掲載文
どうぞ、ご一読を。





『自転車で全國護国神社の参拝を終えて』 國松善次

日本人が護国神社を知らない

 私の趣味にサイクリングがある。湖国と呼ばれる滋賀県に住んでいることから毎年自転車でびわ湖を一周している。一周は約200キロだが、「体力と気力」のテストを兼ねて欠かさず続けてきた。

 七十五歳になった時、何か記念になることをと近隣府県の護国神社を自転車で参拝し、戦没者の慰霊と世界平和を祈願することを始めた。近畿六県が終わると欲が出て、隣の北陸三県に、また旧東海道に沿って国道一号線を箱根の峠を越えて神奈川県に入った。流石に峠は厳しく、自転車を押しての山越えとなったが、神奈川県は戦災で竣工前に神社が焼失し、全国で唯一護国神社の無い県だった。そして東京に到着、年に何度も参拝する靖国神社であったが初めて自転車で参拝した。続いて関東各県、東北各県と足を延ばし、本州最北端は弘前城公園内の青森縣護国神社に参拝。また西は中国地方を山口県まで、四国や九州は鉄道で渡り、沖縄と北海道は飛行機で空港からのサイクリングとなった。三年四か月を要したが、全道府県の護国神社五十二社を自転車で無事参拝完了した。全行程4800キロの自転車の旅となった。この時頂いた御朱印を屏風に仕立て、それも日本列島の形にして、昨年滋賀県護国神社に完成した英霊顕彰館に奉納させて頂いた。

 護国神社は多くが県庁所在地にあったが、ナビのない自転車の旅ではその都度出会った人に場所を尋ねた。ところが八〜九割の人は護国神社を知らなかった。また駅の観光案内所でも尋ねたが地図に載って無かったり、知らないと言われたり、中には英霊が祀られている神社と云えば「イギリス人の霊をお祀りする神社ですか」と聞かれ大変驚いた。これでは英霊が泣いているのではと憤りを覚えた。これは戦後七十年という時間の経過で護国神社を忘れたのではない。戦後生まれはもとより戦後に学校へ入った人達も学校では勿論、家庭や地域社会で護国神社について教えられずに育ったに過ぎなかった。



戦歿者慰霊や遺骨収集は「福祉」か

 八月十五日は「戦没者を慰霊し平和を祈念する日」とされ、毎年この日には天皇皇后両陛下のご臨席のもと政府主催による「全国戦没者追悼式」が武道館で挙行される。これを所管するのは厚生労働省で、社会援護局が担当している。総理を筆頭に閣僚と衆参両院議長、最高裁判所長官の三種の長をはじめ衆参両国会議員や知事会、市長会、町村会、経済団体、労働団体などの代表、そして戦争で肉親を亡くしたご遺族の代表などが全国から出席し、盛大な式典が行われている。

 ところで、「戦歿者の慰霊は福祉」だろうか。

 そもそも「福祉」は生存する社会的弱者を互いに助け合う社会の仕組みである。しかも慰霊の対象は、病気や交通事故、或いは地震などの自然災害による死者ではない。国家と国民の為にと戦い生命を捧げられた方々である。


 従ってこの催しは「福祉」としてではなく文字通り「国防」の一環として実施されるべき行事ではないのか。本来これは防衛省が所管し、防衛大臣が天皇皇后両陛下をご先導して、両陛下ご臨席のもとに国家と国民を挙げて英霊に対し追悼と慰霊の誠を捧げ、平和を祈願する式典でなければならない。

 また、今年も戦没者の遺骨収集が行われる。この事業は厚生労働省が所管し、社会、援護局の仕事となっている。加えて学生や青年の有志と遺族会など民間ボランティアの協力の下に新組織で実施される。戦後70年が過ぎてなお海外はおろか、国内、それも国会や政府がある東京都の島で自衛隊が基地としてのみ利用している硫黄島が未だ完了していないという。

 これも戦没者の遺骨収集を「福祉」と捉えてきた弊害ではないのか。防衛省の所管とすれば当然防衛大臣の指揮下で災害救助と同様に訓練された自衛隊員が必要な機材をフルに駆使して効率的に作業を進められる。硫黄島であれば国内であり、堂々と自衛隊が作業を進められ、極めて短時間に完了出来ただろう。

 戦没者の慰霊や遺骨収集を「福祉」と捉えてきたのはそもそも占領軍の下や占領後の再出発時の苦肉の策だった筈。それが今日も是正されずに来たのは、国民皆がそれに慣れ、正常な感覚を麻痺させてきたからだ



今も続く「GHQ汚染

日本人は先の大戦を「太平洋戦争」と呼んでいる。しかし、日本人で太平洋戦争に参戦した人や太平洋戦争で戦死した人は一人もいない。それにも関われず、「太平洋戦争」と呼んでいるのは明らかにに占領軍が意図的に「大東亜戦争」の呼称を禁止し、アメリカ側から見た歴史の「太平洋戦争」と呼ばせたからだ。

現に私の世代は小学校で教科書の一部文言を墨で消された経験がある。
今その事実を調べると、単に歴史や社会の教科書だけではなく、国語や算数、理科、音楽などと驚くほど広範囲に墨で消されていた。日本が欧米列強の植民地支配に反抗し、アジアの解放や繁栄を目指すという「大東亜戦争」を認めたくなかったに違いない。


 彼らは敵国の歴史を消し、改造することの重要性を熟知していた。それだけに実に巧みな作戦と計画を準備していた。その最たるものに「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」や「30項目の報道制限」があり、加えて「極東国際軍事裁判」がある。

 何れにしも戦後七十年以上が経過した今も、占領軍が意図した日本改造作戦は生きているし、効果を発揮している。これは日本人が今もGHQの洗脳下にあり、マインドコントロールに罹ったままということである。
 
 また先の大戦で世界地図は大きく変わった。終戦直後の1945年10月の国連発足時、加盟国は僅かに51カ国であったが、今では193カ国という。実に4倍視覚に増えている。この新規加盟国は多くが先の大戦に欧米の植民地から独立した国々である。

歴史に「もし」は許されないが、日本が欧米列国の植民地支配に反抗し、大東亜戦争を闘わなければ、植民地から独立した国は殆ど無かったか、独立は大きく遅れたに違いない。当然世界地図も今とは大きく異なった筈。

 戦後の教育はそのことに触れていないし、触れることを監視しているのが戦勝国ではなく日本のマスコミや一部の政治家である。またそれを当然とするのが今の日本国民であもある。


 護國神社を学校で教えなかった背景に「神道指令」があるが、同時に「政教分離」がある。そもそも「政教分離」は政治と宗教を分離する原則であるが、戦後は憲法でこれを明記し、徹底して実行した。それも政治や行政の世界だけでなく、学校教育や社会教育の現場で「宗教」を教えない。宗教の意義や役割までも徹底して排除した不幸がある。これは「政教分離」の名の下に教育から宗教を排除する「教教分離」をしたのだった。
 そのお陰か慰霊が宗教的様式など無しに可能と考える日本人をそだててしまった。



靖國神社御親拝に思う

 遺族の多くは総理の靖國神社参拝を期待している。勿論総理だけの先輩を期待しているのではない。国家と国民の為にと自らの命と家庭と仕事、さらには己の人生を犠牲にした戦歿者に対し、国家としてまた国民の代表として礼儀を尽くしてほしいというのが素朴な気持ちである。これは遺族の願いであると共に英霊の率直な気持ちでもあろう。

 従ってこれは総理だけの役割でもなければ、特定の大臣の役割でもない。政治に関わる人、とりわけ国政を担う人すべてに課せられた役割であり、責務の一つの筈である。

 そこで思うことだが、国政を預かる人は参拝の日を問わずに、兎に角一年に一度は必ず靖国神社に参拝し、戦歿者を慰霊する共に世界平和を祈願する。それも各閣僚はもとより、衆参両院の議長や各国会議員は主義主張を問わず、また最高裁判所長官もその責任において参拝するべきである。これは戦死者に対する国家の礼儀であり、国政を預かる人の責務でもある筈だ。

 また各地方に於いても知事をはじめ各都道府県会議員や各市町村長、市町村議会議員が毎年護國神社の参拝を実行することである。
 
 勿論これに対しては一部の国や一部の国民、またマスコミの間に厳しい批判が起こるだろう。しかし、これは国家、国民のために命を捧げた人々に対する礼儀であり、世界の常識である。
また戦死者を靖國神社や護國神社の祭神としてお祀りすると国民に約束したのは紛れもなく我が国家である

 従って、たとえ激しい批判があっても二年三年と継続する。或いは総理か防衛大臣などが毎月の様に参拝すれば自ずと批判は収まり、必ず定着すると思われる。批判を気にし、行動を中止するから批判がまかり通ることになる。とにかく辛抱強くこれを実行し、継続することが最も近道となる筈だ。これがまた天皇陛下御親拝に繋がることは間違いないと今私は確信する。

 ともあれ色々と考えさせられる旅だった。





 






 
posted by 絵師天山 at 18:05| Comment(0) | 日本ならでは
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