2017年03月09日

関根祥雪師逝く


観世流能楽師の関根祥六 (せきねしょうろく)師がお亡くなりになりました。
桜の便りより少し早い、二月下旬、86歳の生涯を閉じられたのです。



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関根 祥六(せきね しょうろく、1930年(昭和5年)10月28日 - 2017年(平成29年)2月22日)は、
シテ方観世流能楽師。埼玉県越谷市(旧・南埼玉郡蒲生村)出身。

関根隆助の六男。兄関根直孝及び二十五世宗家観世左近に師事。

重要無形文化財「能楽」保持者(総合認定)。芸術祭優秀賞受賞。紫綬褒章受章。2002年日本芸術院賞受賞。2010年旭日小綬章受章。2016年観世流から、功績の顕著な能楽師にのみ許される「雪号」を授与され、祥雪を名乗っていた。

長男が関根祥人(2010年、50歳で急逝)。



大東亜戦争の最中、・・・
国を挙げての戦争であり
600年以上も続いてきた能の世界も逆風にさらされ
ひっそりと、表舞台からは遠ざかっていた訳ですが
観世流お家元や関係者も勿論各地へ疎開、
疎開先として自宅を提供したり、支援の手を差し伸べた
多くのフアンの御蔭で、命脈を繋ぎ、次なる
700年の歴史を刻むべく今日を迎え
観世流新能楽堂が銀座のビルの中に
移転新築、・・・正に本年、成されようとしている
このタイミングで祥雪師は逝かれたのでした。

観世流の大番頭と言われ
文字通り世阿弥の真髄を今日の世に投影し続けた
大名人であり能楽界の大黒柱であります。


ともかくお能は、日本の芸能の中心に位置しています。
歌舞伎役者も文楽の人も、舞踊家も・・・
邦楽関係者はすべからくお能を学ぶことが必須
基本中の基本だから。

源氏物語から想を得て、
歴史画というものに目覚め、近づこうと願っていた矢先、
お家元への真摯な支援者であった方の親族のお一人と昵懇となった私は
この方にお願いして関根祥雪先生(当時は祥六)をご紹介いただき
お能の手ほどきを戴くことができました。


お陰でどんなに役立ったことでしょう
凝縮した生身の、ホンモノの芸道をまのあたりにし
間近に感じ、学び、
真摯に歩む人にのみ与えられる
天恵を私にさえ授けて下さいました・・・
先生に近付けただけで
どんなに絵の道もすすんだことしょう・・・

限りない恩義を感じ、
何一つご恩を御返し出来ず、
このお別れを迎えてしまったのは残念無念であります。



忘れもしない初めてのお稽古は
正真正銘のマンツーマン!
正坐した先生に正対し、
その御発声を辿る・・・

全くの素人であった私は
先生の第一声の
その、あまりの美しさにボー然・・・全く
声が出ない。聞き惚れて・・・
あんたが謡うんだよ!
と・・・あきれられる始末・・・


必死の10分、・・が
・・・何倍にも感じる重圧・・・・・


プロの中のプロフェッショナルに
直々に学ぶという事が、どのくらい
凄いことなのか・・・・・・・その後も
たった15分くらいのお稽古だけで
汗だく・・・足はしびれ、ヨレヨレになって
帰り道で漸く我に返る・・・・あり様。
お稽古の或る日まで予習しまくり
15分でへとへとになり
帰ってまた復習・・・さらに予習


始めのうちは仕事に差し支えるくらいでしたが
先生の美しい声と仕舞とに魅せられて、
汗だくの楽しいこと・・・・ホントに・・・

道は違うけれども、文化に携わる御同業として
こちらの無礼は数知れずあったに違いないのに
先生は私への礼節は十二分に尽くして下さいました。


院展へも御高覧下さり
励まして戴きましたが、
雑談の中にも聞き捨ててしまうには惜しいお話が随所に・・・
午年のお生まれで、誠実一途。
直線まっしぐら・・・・の芸道、
しかもご年齢と共に円熟を極め・・・
生涯忘れる事はないであろう感動を
舞台で幾度も示して下さいました。

天鼓(てんこ)という演目がありますが
先生のそれは、もう、このままずーーーーーっと
仕舞を永遠に続けてもらいたいーーーーー!!
やめないでーーーーー!!!ください!!!!

どうか終わりませんよう!!!!

心底、そう思える程・・・・・・


御子息、祥人(よしと)氏もまた
それはそれは立派なシテ方でありましたが



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シナでの万博で、歌舞伎の玉三郎と京劇のメイランフアンと
楊貴妃を共演し・・・・帰国直後に急逝。
50歳、・・・正にこれから!!・・の、ご年齢でした
ホントにやさしい方なのに、舞台では・・・
善界(ぜがい)での天狗役、など正に強烈!
この世に天狗はホントに居るのだな!!
と心底思わせてくれる・・・・仏倒れの名手、
皇太子殿下の御学友・・・!。でもありました。


父として師匠として、
かけがえのない・・・
息子と弟子と同時に失った
祥雪先生の心情は察するに余りあるもので、
もう、・・・・お気の毒そのもの。
凡人には絶えられないようなこの逆境をも
お孫さん祥丸氏への期待へと塗り替えしつつ
新能楽堂の竣工を楽しみにしておられたと拝察するのです。


世阿弥以来700年。
彼も息子を早くに失って晩年は佐渡島に流され・・・逆境そのものであっただろうけれども
『初心忘れるべからず』・・・・・
日本文化の中核を成し・・・・以来700年



日本ならでは。
700年という年月を確かに
継承し続けた文化が歴然と存在し
その息吹を誰もが享受できる
不思議な不思議なこの国に
生かされている事を、改めて思うご葬儀でありました。

心より御冥福をお祈り申し上げます。







posted by 絵師天山 at 00:12| Comment(0) | 日本ならでは
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