2016年06月12日

極意 続き


音楽や絵が好きで一生懸命没頭努力する人は
割合からすると、日本人が一番多い筈で、
それは四季折々の明確かつ微妙な変化を
極日常として受け入れてきた、
ながーーーい日本の歴史的所産。
営々と暮らしの中に息づいてきた日本人ならではの感受性故、
人を和す文化が育まれて来たからに違いありません。


絶対音階という不文律がないと
音楽とは言わない西欧に反して、
邦楽は、いついかなる時であろうとも
不文律に従う事は従であって
その日その時の気分に従って、
曲想に合わせ、
老若男女それぞれの時処位に合わせた
・・・・ところ(音)から始める。
・・・のを是としているのです。

つまり・・・
その日の気分次第で一番都合の良い音から始めてかまわない。
・・・人の幸せの為にあるのが文化というもの。
外国とはおよそ逆さま・・・
どちらが本物か、言わずもがな・・・ですね。
しかも、自己の優位について何も言上げしない・・・


音楽同様、絵画が好きな人も実に大勢いて、
器用な方も多いので、
美術を志向し、携わろうとする人も数知れず、
仕事としないまでも、年老いてまで続けられる趣味として
大いに、広まってはおりますが、
おかしな西洋崇拝観念が邪魔してその虜になって気付かない人が多いので
ホントの美味しい所を味わえる人が悲しいほど少ないのは非常に残念な事と思います。


普遍なる地球の不思議、変わらぬ自然の節理、
雪月花、花鳥風月、・・・・・
森羅万象・・・
美しさの拠って来る所以を突き止める努力を惜しまなければ
汲めども尽きない、・・・・ホンモノの創作が産まれるのであります。


が、
美しさの拠って来る所以を探すのに
西洋的手法に頼る癖がついてしまった。
見たものをあるがままに描く、という・・極、幼稚で単純な手法ですね。
写真みたいに描く力を育てる事が不文律、音楽で言うところの絶対音階・・という訳です。

が、しかし、日本では、、筆の文化だから、
写実しようにも、鉛筆で描くようなことは出来難く、
筆を用いて、現実を描写しようとすると無理があって、
自動的に抽象化されてしまうわけで、
写真みたいにはならず、・・・なろうとも思わなかった
むしろ、筆でしか描けないので
筆力を尊んで、筆による描画そのものを楽しんできたのですが、
西洋崇拝に汚染され
これを、西洋流に対しての日本の欠陥であると決めつけてしまったのですね。
写真みたいに描けないのは劣等の証拠だ・・と決めつけた。
戦後の自虐史観と全く同じ次元です。


だが、実は、
21世紀の今日、写真を始め映像世界は・・・
驚く程飛躍的に大発展し、
レンブラントやフェルメールくらいの写実力は
もう誰にでも手近なる機械力で、瞬時に、
極簡単に、しかもほぼタダ同然で出来る時代になった。
写真みたいに描く必要は全く無くなったので、
例えば、従軍画家などというポジションはとっくの昔に絶滅したし
写真家さえ生きてゆくのが難しい時代になり、

それなのに、・・・・・美術の世界では今だに
写実力が思いきり幅を利かせており、
写実的100点満点が最優先であり、最高の評価基準!
・・という愚かさに止まっているのですね。



写実力などには興味を示さなかったかつての日本人は
邦楽の様に、その日その時の気分に従った虚構を描いてある方が
・・・・魅力的だし、楽しいし、オモシロイ!と、理屈抜きに解っていたのです。


ホンモノみたいな嘘をついてくれた方が楽しい!
・・・デタラメでは丸で伝わらないからダメだけれど、
・・・現実を踏まえたファンタジーこそ、絵であり
それが、美術だったのです。

ソレこそが絵空事!!!

残念な事に、邦楽の世界でも
古くから伝来した楽譜を止めて、五線譜に書き換える運動があった、
と聞き及んでいますが、・・・人を縛ることが文化であるならば
それで、良いのでしょうが、人を和すのが本来の文化である筈であり、
本末転倒。自ら堕落してドウスル!!


写実力が全く不要かと言えば決してそうではなく
創作者としては、一つの技術として、
有る程度の写実力は必須でありましょうけれども、
それと同等に必須であるのが、日本的造形を学ぶこと。
これに気付く人があまりにも少ない。
上辺の言葉としての、『余白の美』など
御自分の都合の良い時には持って来て
モットモラシイことをおっしゃる方もおられますが、
実際に使える人はまず、少数派。
『誇張と省略』などと言えば、もう聞いたこともなく、全然わからない。

写実力に対しては、抽象力と言うモノ・・があり、
両輪の如くこの両者を鍛えねば
創作力は育まれない・・・のだが、

このことを、意識することもなく
ただただ、興味本位に写実力の養成を重ね、
あとは、個性という独りよがりを付け加えて
はい、出来ました!
と嘯いているのが自称現代美術家であろうと

実に残念ながら、そう思わざるを得ないのであります。



普遍なる地球の不思議、変わらぬ自然の節理、
雪月花、花鳥風月、・・・・・
森羅万象・・・
美しさの拠って来る所以を突き止める努力を惜しまなければ
汲めども尽きない、・・・・ホンモノの創作が産まれるのであります。




現場に赴いてのスケッチは実に楽しいものですが、

対象物の美しさが何に拠って産まれているのか?
どうして美しいと感じてしまうのか?
その追求が無ければ、いつまでたっても、何枚スケッチしても、
結局は写実にしかならない。

正確に描けば描くほど、つまらない現実説明となり
しかも現代の映像技術に比しても問題にならない貧弱さでしかない

そのことに、少しでも早く気付くことが
昨今の停滞してしまった日本美術の脱皮、回帰への極意なのですが・・・・


日本的造形法こそ、世界に冠たる美術の源泉であり、
ジャパンアニメはその極小規模なる現れ、に過ぎません。






【日本画の真髄の最新記事】
posted by 絵師天山 at 13:00| Comment(0) | 日本画の真髄
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