2016年06月08日

極意

私が絵師として
日ごろ信条としている事は
手近な目標を立てると同時に
同じくらい、あるいはそれ以上に強く
トンデモナイ高い大目標を打ちたてて
そこに肉薄したい、というモチベーションを
明確に意識しつづけること。しかも強烈に!

これは、別に、絵師に限らない
道を究めようとすれば当然のことではないかと思います。


しかし、絵師も社会の一員である以上
常識とか通念とか、一般的概念に囚われてしまいやすい。

手近な目標はそれで構わないけれど
遠大な目標には、常識や通念が時として、邪魔になる。


既成概念に囚われているうちは、
遠大な目標は、見えてこないからであります。


例えば、300歳まで生きる!
それは、絵の道の為の大目標!
還暦を越えれば、もう、・・・
生物としてはとっくに死んでも一向構わないが、
絵師として理想に近づくには300歳でもまだ足りないから・・・
転生して、転生して、転生して、・・・
転生を繰り返せば何とかなるかもしれないけれど、
とりあえず、大目標は300歳まで生きて絵を描き続ける!!!

大変ダナァー!!ともちろん思うけれども、
どうせ死ぬのだから死ぬまではそう、
思って、願って、頑張って、絵師としての人生を全うしたい。


しかし、普通、300歳まで生きる!とか言うと
殆ど相手にされない。たいてい・・・
馬鹿げた話として一笑に付される。


しかし、しかし、馬鹿げた話と決めつける処に
可能性の目を摘んでしまう、というマイナスがあり、
無意識ではあろうけれど、
ネガティヴの支配下にされている訳であります。


これが実は、随分モッタイナイことをしているので・・・

人間はスベカラク・・・・・
常にポジティヴでありたいもの


ポジティヴによって、
どうかすると引きづり込まれてしまい易いネガティヴに対抗し、
支配してしまいたい・・・・・ものであり、
幸せの鍵はここにある。


今はこう言う事が常識とされているけれど、
100年後もそうであるとは限らない、
いや、モノによっては、数年も経たないうちに
見事に通念が変わってゆくこともザラ・・・


そう考えると、既成概念ほど
もう一度≪曇りなき眼≫で見直してみるべきであって、
当たり前、と疑問にも思わない価値観を自分の判断で改めて見極めてみねばならない・・・訳です。


≪曇りなき眼≫と言うのは、この場合、白紙になって、という様な、何のフィルターも通さない、極素直な、直霊の・・・

本居宣長の言われる漢意(からごころ)を捨て去って・・・という様な。



ところが、殆どの人は、日常に追われているので
絵師みたいに暇人じゃあないから、普通は既成概念だけで暮らしているので、
おまえは良いよなあ・・・・勝手気ままなことホザイテいればいいから・・・・なんて
言われるけれども、絵師として300年生きたいんだ!、と言えば、勘弁してくれる世間もあるのであります。


日常の垢を落とすのは、身体的にはお風呂だが、
精神的には文化に触れること、と私の謡の先生は教えて下さいましたが、
まことにその通り、人生を前向きにしてくれるのは、音楽であり、美術であり・・
文化ですね。


で、・・ことクリエーションと言うことになれば、
一般論だけではとても足りないので、
非常識と罵られようとも、何と言おうと、言われようと、
≪曇りなき眼≫で囚われのない、精神の発露に従うべき時には従う、
それは、
どうしても自分で消そうとしても消えないもの、
何があっても消せないもの、
を自らの内に探し求めて行くしかありません。

それを極意と言っていいのかどうか、
・・・独りよがりと紙一重・・・・か?
大いに疑問だが、創作力の源には違いないでしょう。



そして、普遍なる地球の不思議、変わらぬ自然の節理、
花鳥風月、森羅万象の美しさの拠って来る所以を突き止める努力を惜しまなければ
汲めども尽きない、
・・・・ホンモノの創作が産まれるのであります。









【日本画の真髄の最新記事】
posted by 絵師天山 at 12:33| Comment(0) | 日本画の真髄
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