2016年03月10日

続 神と魑魅魍魎 


神様というもの・・・
は、祈れば人の願いを聞き入れて下さったり
良いことをしていれば守って下さったり、
悪い行いに対しては罰を与えたり、
・・・・

あたかも神様には、人格?が?
ある如く思われていて・・・
人を裁いたり、導いたり、・・
陰に陽に高見から見守って下さりつつ
あらゆる局面で
人間生活に干渉してくるような存在である・・・
と、

認識する人も多いようです、
が、

おそらくそういう存在が有る、居る?
としても、それらはすべて・・・
魑魅魍魎の類でしかない。
実は、それがホント・・・
のところ・・


宗教に惑わされている人、
カルトではないと言い張るカルト集団に騙されている人、
あるいは、占いや霊能者などに嵌っている人は
悉く、あり得ないような奇跡的事象を
神と呼ばれる様な偉大なる御力・・・と考えて、
心酔。

そのあり得ない様な事象が
どのようなパワーによって表れているのか?
には、あまり疑問を持たず
神様とおぼしきモノに願い事をして、それが
想像以上に叶えられたならば、
それは素晴らしい神様・・・・と、
まるっきり短絡してしまい易い。


事実、御利益とか奇蹟とかが
存在することは確かにある。
・・・・のでありましょうが?
・・・が、

実は、
有る方が怖い。

ホントにあるとしたら、
その依ってくるエネルギーは
魑魅魍魎から・・・・


ネガティブエネルギーを餌にしている魑魅魍魎は
人間に強い関心があって、
一時的に人間を魅惑した後、
虜にし、将来に亙って延々とネガティブを産み続けさせて
そのエネルギーを吸うことで生存を確保し繁栄する、
そもそもが、
そういうモノであり、そういう存在なのです。

かの陰陽師阿倍清明公は
それら、魑魅魍魎から世界を護る不思議な能力を持っていました。
明治政府が西洋化、近代化を推し進める政策の一環として、
陰陽寮を廃止したことが、いまだに日本人の生活の根幹を揺さぶり続けている。

とも言えましょう。

小堀桂一郎先生の御著書に、
【なぜ日本人は神社にお参りするのか】
という名著があるのですが、そこに、


“ギリシャの神々、あるいはヘブライの一神教の神と違って、
神の御手による奇蹟を恃むのではないのです。
さうではなくて、人間としての努力を致しますから
神々よお守り下さい、といふ、
さういふ祈りの気持ちなのです。
事を成就させるのは結局は人間の力なのです、
そこでは人間が自分の力を誇るのではなくて、
事の成就を神々に感謝する
さういふ形に止めてゐる、
是が日本人の神信仰の原型であろうと思ひます。”


ホントの神は
人に関心を持っているとは考えにくい。



神社に参拝して小銭を投げつけ
家内安全とか、商売繁盛とか、
勝手気ままな願い事をして
立ち去る・・・・
そんな人間に関心があるのは
魑魅魍魎だけ・・・


ホントの神様は、・・・・・


・・・・・

魑魅魍魎にリンクしているのか
ホントの神様に波長共鳴するのか?
その分かれ目に立っているのが我々人間なのではないでしょうか。








posted by 絵師天山 at 23:07| Comment(0) | 古事記1300年
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