2015年12月31日

魅惑の百人一首 98   従二位家隆 (じゅにいかりゅう)


【従二位家隆】(じゅにいかりゅう)

風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける

   かぜそよぐならのおがわのゆうぐれはみそぎぞなつのしるしなりける





           家隆.jpg
            (天山書画)






「ならの小川」は、風にそよぐ楢の葉と京都上賀茂神社近くの小川(御手洗川)とが掛けてあり、
「みそぎ」は、禊ぎ、で夏越の祓(なごしのはらえ)、の事。
茅の輪くぐりですね。
「夕暮れ」と言えば、秋が定番ですが、ここは初夏であり、
夏越の祓えの季節なのに楢の葉を揺らす風の夕べがステキ!
と、詠じたのであります。


先回の定家に比べ、何とも素直な
夏を迎える夕べのささやかな感傷が
実に良く表現されております。


家隆は定家と並び称せられ
後鳥羽院様に深く信任されて
新古今和歌集撰者の一人となりました。


上賀茂神社に於ける
夏越の祓は、無くてはならぬ行事。


半年分の罪穢(つみけがれ)を洗い浄めてもらわねば
後の半年暮らしてゆけぬ!!!・・・
くらいの重要祭典なのであり、
現代人の方こそ、それを忘れ去ってしまった!
・・・と云う訳で、夏越の祓
夏越しの大祓(おおはらえ)・・・・
という言葉から受ける古人の印象は
清々しさそのもの。

ナンです!!

いかなるケガレもふっ飛ばす!


伊勢神宮に初めて参拝された方は悉く
その、清らかさに打たれる、ので、
中にはこの参道を掃き清めるだけの生涯をも
不足には感じない!

と、思ってしまう人さえ居るくらい。


祓い浄め、は古来日本人通有の欠くべからざる心情でありまして、この詠にはそんな心持が漲っているのであります。


新緑の季節が過ぎ、
しっかりとした常緑の葉が爽風に揺れる


そのイメージだけでもう、
清新極まる気分・・・・・


秋ではないけれど、
夕暮れは殊のほか宜しい・・・と詠じたのも頷ける。


定家もこの家隆には、一目置いていたようで、
自分の作は
取ってつけたような技巧で溢れ返ってしまうのに
家隆は、常に、率直。
素直な詠嘆・・・


ちょっと羨ましかったのかも・・・
実質上の百人一首の〆にこの歌を持って来たのでした。



さて、残るは二首、
かの後鳥羽院と順徳帝のみ・・・・





posted by 絵師天山 at 03:00| Comment(4) | 百人一首
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