2015年12月29日

魅惑の百人一首 96 入道前太政大臣 (にゅうどうさきのだじょうだいじん)


【入道前太政大臣】(にゅうどうさきのだじょうだいじん)


花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり

   はなさそうあらしのにわのゆきならでふりゆくものはわがみなりけり





          入道前太政大臣.jpg
           (天山書画)






初老を迎えた上司が二次会でカラオケ・・
決まって歌う『マイウエイ』・・・
そんな時代も今は昔。
年経て・・桜の花の散り際の良さに
感懐を覚えるのは、
いささかでも功成り名遂げた人の常なのでありましょう。

入道前太政大臣とは、藤原公経(きんつね)のこと。
西園寺公経とも言います。
百人一首撰者藤原定家の妻はこの御方の姉上様。
定家にとっては義理の弟君が権勢並ぶ者のない地位を得た人でありました。
従一位太政大臣にまで登りつめたについては理由がありまして、この西園寺公経の妻はかの源頼朝の妹婿である一条能保の娘、なのであり、当然西園寺公経は親幕派貴族であると見做されて後鳥羽院以下大方の貴族からは嫌われ通しでしたが、承久の乱の後は、それが却って幸いし、西園寺家が栄える基礎を導き出すことに・・・・
何しろ、この後、昭和初期に至るまで、或る意味で、西園寺家は日本の政財界のドンであり続けたのですから、功成り名遂げた人として、散りゆく桜花に老いの身を詠嘆する余裕があったことは間違いないところでありましょう。


定家もその辺のところはぬかりなく
長いものには巻かれて??
権力者としての扱いをせねば・・・と
96番目に持ってきたのであります・・・
百首に厳選したのに、まあ、これも入れておかねば・・・
で、ラスマイのちょっと手前に持ってくるより他無かった??



「ふりゆく」には、降り行くと古り行く=老いぼれる・・
が掛けられています、年寄りの要らざる一言・・・?
みたいなな詠ですけれど、
義理の兄として弟様からは
色々と、優遇?があったのでしょうから、

・・・無碍にも出来ず、外す? わけにもゆかず

おそらくは、定家自身の指導のもとに詠った歌だし

このあとにはご自分の詠が続くわけで・・・

思いあがっているほどではないが・・・・

ちょっと、道長の和歌に似てますね・・・・・




posted by 絵師天山 at 03:00| Comment(1) | 百人一首