2015年12月26日

魅惑の百人一首 93 鎌倉右大臣


【 鎌倉右大臣】(かまくらのうだいじん)

世の中は常にもがもな渚漕ぐあまの小舟の綱手かなしも

   よのなかはつねにもがもななぎさこぐあまのこぶねのつなでかなしも





            源実朝.jpg
              (天山書画)





先回の二条院讃岐の項で
武士として歌人の誉れ高い源三位頼政を
百人一首に採り入れなかった定家の
「思いやり」について少し語りましたが、
コチラの鎌倉右大臣は正真正銘、源家棟梁。
武士の中で唯一の百人一首登場歌人なのです!


源実朝。
頼朝の次男。
鎌倉三代将軍。
かの鶴岡八幡宮境内銀杏の大樹足下で
甥の公暁によって暗殺されたその御方であります。


なぜ、宮廷に敵対する幕府のトップが
歌人として立派に百人一首に入れてもらえたのか?

この方の描いた絵が沢山残っておりまして、
それは観音像、彼は日課として
白衣観音像を毎日のように描いておりました。

それは上手い、なかなかのレベルであります・・・
勿論、和歌も上手、というよりも・・
コチラは、名人クラス! 


将軍様と言うより文化人だったのですねぇ

三代目の将軍であって且つ、
ナイーブな文化人であったことが
彼の悲劇でした。

北条氏というのは
後の足利氏の輪郭を小さめにした様な存在。
公を蔑(ないがし)ろにし
天下国家を私する事を家訓としている、かのような、
云わば、極悪反日家系集団・・・・・で、
むき出しのエゴイズムでさえ
歪曲とねつ造によって正義と塗り替え
堂々実行して行く・・・のが主なる仕事。


宮廷文化に憧れるナイーブな将軍、実朝は、
その集団の頂点に立つ、
掃き溜めに鶴・・・的、存在。

事実上、傀儡と成り下がっていました。
が、北条氏=反日集団にしてみれば、
言うことをちゃんと聞こうとしない
役立たずの邪魔者・・・・


源三位頼政は、奢り高ぶる平氏のエゴを
断罪する、という目的で平氏一門の末端に禄を得ながら
遂には、老いの身を公の為に投げ出したモノノフ!
でありましたが、
こちらの、実朝も、
将軍という立場は朝廷に戴いた公職、デアリ
無論、天皇家の御為にこそ存在する
という、本来の姿、本筋に忠実、
公に尽すことを第一義とした誠に敬愛すべき
ホンモノのモノノフ。

武家の在り方を良く弁えていた御方なのです。

北条氏はこれが面白くなかった・・・・・

結果に於いて、そそのかされた馬鹿甥に
斬り殺されることに・・・・・


それはそれは素晴らしい詠唱の多い実朝ですが
この作品は少々重く、抑圧され気味
だが、・・誠に深い深い、哀愁に満ちて・・

定家がこれを選んだのは
実朝の内面の祈りにも似た誠実な大和心を
これほど端的に見事に表わした歌は他になく
百人一首の選考基準に大いにマッチしていたからでありましょう。

家集、『金槐和歌集』(きんかいわかしゅう)
を読めば、将軍実朝は実は、大芸術家であったことを
誰しも感じない訳には行きません。


「名は体を表す」という金言に従えば
父源頼朝は、
朝=朝廷を頼る源・・・デアリ、?
実朝は朝=朝廷の実りの源・・・である?
筈の・・存在なのに、・・・

実のところ
周囲のエゴに振り回された残念な父子であった
・・・・のかも知れません。


けれども
頼朝や義経らに
およそ文化らしき香りは皆無で、
それは、北条氏も後の足利家も・・・
秀吉や家康にも無く・・・権勢欲にマミレ、
権力に執り付かれ、翻弄された人生を送った者から
当然・・・藝術は産まれない・・・・

実朝のような大芸術家が、
ソンナところに・・・・・・
産まれるはずもないのです。


「常にもがもな」は、
いつも変わらないでほしいものだ・・・
の、意味。


この和歌の本歌は万葉集の

河の上のゆつ岩むらに草むさず常にもがもな常処女にて

   かわのかみのゆついわむらにくさむさずつねにもがもはとこおとめにて

「綱手かなしも」は、
舟の引綱は趣があるなぁー

この本歌は古今和歌集東歌

みちのくはいづくはあれど塩釜の浦漕ぐ舟の綱手かなしも

   みちのくはいずくはあれどしおがまのうらこぐふねのつなでかなしも

実朝は定家から和歌の手ほどきを受けておりましたが
本歌取りを学んで試作して見せたのがこの名歌となりました。

天皇を核とした和歌文化に憧れを持ち
朝廷にとっての忠臣でありたかった実朝の
心の実が見事に表出された詠であります。




posted by 絵師天山 at 03:00| Comment(3) | 百人一首
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