2015年09月28日

魅惑の百人一首 87  寂蓮法師(じゃくれんほうし)


 【寂蓮法師】 (じゃくれんほうし)

村雨の露も未だ干ぬまきの葉に霧立ちのぼる秋の夕暮れ

   むらさめのつゆもまだひぬまきのはにきりたちのぼるあきのゆうぐれ





           jyakuren.jpg
            天山書画





「村雨」は、時々思い出したように烈しくふり、
止んではまた降る様な雨、のこと。

「まき」は、真木、で、
特定の樹木ではなく、立派な木、の意味。

秋の長雨なのでしょうか?
ウエットな雰囲気に溢れています。


寂蓮法師は、俊成の兄弟、俊海の子で
俊成の養子となって、中務少輔に至った後に出家。
本名藤原定長、修行行脚の生活をしながら
御子左家の歌人として活躍。
国宝源氏物語絵巻の詞書筆者の一人としても知られています。書も上手かった!
私は、この人の書が大好き!!


この歌の臨場感はその場に立って始めて得られるモノ、
題詠とは思われず、
深い山中を行くことに慣れた旅の歌人であった事を思わせ、
後に有名となる三夕の歌の

淋しさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮れ

よりも、若干明るい印象があります。
同じ真木が使われてますネ。
物言わぬ森の風情が好きだったのかも知れません。


建仁元年二月に催された≪老若五十首歌合≫
老、には、忠良、慈円、定家、家隆、そして寂蓮。
対する若、には、後鳥羽院、良経、宮内卿、越前、雅経。
各五名、いずれも当代一流の豪華メンバーが揃って、
春夏秋冬、雑、の五題を
一人10首ずつ、計50首、50番として行われた折に
寂蓮のこの歌が生まれたのです。


この年は続いて千五百番歌合の百首詠進があり
和歌所が設けられ、新古今和歌集撰集の院宣が下る、等
新風への機運盛り上がる年でした。
次の年、寂蓮はこの世の人ではなくなりましたので
最晩年の円熟作品と言えるでしょう。


和歌文化最盛期に合わせるように円熟の境地に達したのは
大変幸せなことだったのではないでしょうか。









posted by 絵師天山 at 06:00| Comment(4) | 百人一首
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