2015年09月27日

魅惑の百人一首 86     西行法師


【西行法師】 (さいぎょうほうし)

なげけとて月やは物を思はするかこち顔なるわが涙かな

   なげけとてつきやはものをおもはするかこちがおなるわがなみだかな






          saigyou.jpg
           天山書画





いよいよ、真打
重鎮の中の重鎮、西行の登場です!

およそ今日まで、この人の右に出る歌人はいったい幾人いるでしょうか?
あるいはこの方が最高峰ではないか?
とさえ思われるのですが、
日本画界に於ける春草みたいな・・・
江戸時代に突出したかの松尾芭蕉の名声に隠れがちなのは、
現代にありがちなねつ造歴史教育の賜物と言えましょうか、
芭蕉は和歌から転じてさらに突き詰めた俳句を切り拓いた
と、仰がれておりますけれども、実は
西行への思慕が高ずる余り、みちのくへの旅に出かけ
西行の足跡を辿ることで和歌では到底及ばないが故に
俳句という形を変えた自己表現をせざるを得なかった
とも言えましょう。
西行にとって和歌は命そのもの。
作歌の為に行脚した芭蕉とは根本が違うのであります。


後鳥羽院の御口伝には西行の歌の姿を
“おもしろくしかも心もことに深く、ありがたくいできがたきかたも共にあひかねて見ゆ生得の歌人と覚ゆ。おぼろげの人まねびなどすべき歌にあらず不可説言の上手也”
と、絶賛。新古今集にはダントツ最高の九十四首撰集!!
心ある人は誰でもその中の一首くらいはソランジル事が出来るまでに深く心に刻まれている歌ばかりであります。


「かこち顔」は、託(たく)す。
に、託(かこ)つけがましい、と云う意味を含ませた、
カコツケテ・・
口実にして ・ 利用して ・・・。
つまり、月は無心にただ照らしているだけなのに、
物思ひにふける私は月にカコツケテ未練な涙を流しております・・・
と言った意味なのでありましょう。


前書きには「恋といへる心をよめる」とあり、
題詠であるようですが、
単なる恋愛の歌とばかりも受け取れず
恋人を慕うというより
人間そのものへの愛着を詠んだ様に思われ・・
例え題詠としても物凄く深いあはれを感じさせられるのです。



世の中よ道こそなけれ思ひ入る山のおくにも鹿ぞ鳴くなる

定家は父俊成のこの歌(前出)と、この西行の歌

なげけとて月やは物を思はするかこち顔なるわが涙かな

とを対にして百人秀歌を編んだのですが、
その心、本当の意味は、
崇徳院の悲劇を真剣に受け止め共有し合った者同志!
と言う思いが底流に隠されていたと見るべきでありましょう。

何不足ない選ばれた出自であり、
エリートであった西行は23歳で出家、
幼い子供も家庭も捨て
隠者となってしまう訳ですから、
そこには余程の事情があるに違いありません。

当時旺盛な活動を繰り広げていた歌壇との交わりも浅く
独り自然を愛でながら、世を捨てても、人としての情を捨てきれぬ処に生ずる複雑なる感情を自由で大胆に詠みあげた数多の絶唱は、今なお私たちを心から楽しませてくれる訳です。孤高の魂とでも言えましょうか、頂点に立つ人にしか分からない境地であったことは確かです。








posted by 絵師天山 at 06:00| Comment(0) | 百人一首
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