2015年09月25日

魅惑の百人一首 84     藤原清輔朝臣(ふじわらきよすけあそん)


【藤原清輔朝臣】(ふじわらきよすけあそん)

永らえばまたこの頃や忍ばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき

   ながらえばまたこのころやしのばれんうしとみしよぞいまはこいしき





           kiyosuke.jpg
            天山書画(ピンぼけご容赦下さい)





崇徳院の院宣によって詩歌集を撰集した左京大夫顕輔
前出の・・・・
秋風にたなびく雲の絶間よりもれ出づる月のかげのさやけさ
の作者でしたね、・・・・・
藤原俊成、定家、親子の
≪御子左家≫に対抗する≪六条家≫歌学は、
この左京大夫顕輔と、その息子。
今回の清輔とがその中心的存在でありました。



が、コチラの親子は仲たがいしがち、
父顕輔が少々次子清輔を疎んじていたらしく、
父の撰集した勅撰和歌集である詩歌集には採用されず終い。
さらにその頃 保元平治の乱の不穏なる時代相でもあり、
清輔は、正にこの歌の様な心境であったかも・・・・?

昔、心を痛めた事柄も、今になってみれば懐かしくさえ感じる・・・もの、
だから老いの先になれば、今のこの憂欝も懐かしく思える日が来るのでしょうかねえ・・・・


内心の深い嘆き、沈みがちな心を、精一杯三十一文字に託し、晴らそうとした秀歌だと思います。これまた和歌の徳と言えそうです。

  

清輔は二条天皇の下で続詩歌集を撰定していたものの
天皇の崩御によって、この勅撰和歌集事業は頓挫。
父よりもあるいは、秀でていたかも知れないその才能は
公に認められるところまでは行かなかった訳で、
自他共にそれが残念だったのでしょうか?


でも、この歌一つ取り上げても清輔の力量は抜きん出たものであった事は明らか。

新古今集にも撰ばれ、勿論この百人一首にも採られ、
長い長い和歌歴史の中でも、
欠かすことのできない歌詠みであるとされて来たのです。


ネガティヴをポジティヴへ転換するという人生に於ける大切な、無くてはならぬ心の営みをサラリと言ってのけたところに名歌たる所以があります。
心が折れそうな時は大いに励ましてくれる歌ですね。






posted by 絵師天山 at 06:00| Comment(5) | 百人一首
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