2015年09月06日

院展100年


今年再興100年を迎えた院展
会場はなかなかの活気です。が・・
記念図録冒頭には東京芸大美術館准教授
古田亮先生による【再興第100回院展によせて】
が採録されており、ここに引用させていただきます。


           




・・・・明治31年に岡倉天心が創設した日本美術院は、当初は全国規模で活発な展覧会活動をおこなっていた。しかし明治36年以降は展覧会を開催して居らず、岡倉が没する大正2年には事実上休止状態にあった。
横山大観は岡倉の葬儀に際して日本美術院の再興を期し、下村観山は「親のないときは兄弟です」と言って文展審査員を辞し大観に従った。実はその時すでに、大観は洋画家の未醒と意気投合し「絵画自由研究所」設立の計画が進んでいた。二人の計画が、そのまま日本美術院の再興というかたちに方向転換したのである。
 岡倉の一周忌にあたる大正3年9月2日、大観たちは谷中に再建した研究所で開院式を行った。再興時の経営同人(画家)は、大観、観山のほか、木村武山、安田靫彦、今村紫紅、そして未醒のわずか6名だった。
この時大観は日本美術院の三則を発表した。この三則が、現在の日本美術院網領となる。


一、日本美術院ハ新日本ノ藝術樹立二益スル所
  アランガ為二、再ビソノ研究所ヲ起コス

一、日本美術院ハ藝術ノ自由研究ヲ主トス、
  故二教師ナシ先輩アリ、教習ナシ研究アリ

一、日本美術院ハ邦画ト洋画トヲ従来ノ区別ノ如ク
  分割セズ、日本彫刻ト西洋塑像トモ亦然リ



このうち最も重要なのが、
日本美術院ハ藝術ノ自由研究ヲ主トス、  
故二教師ナシ先輩アリ、教習ナシ研究アリ 
という二番目の項である。

自由研究という言葉は、大正時代に特有の時代思潮である自由主義に由来しており、当時は自由劇場、自由教育、自由恋愛、といった言葉が盛んに使われていた。一方、日本美術院が研究機関であり、より専門的で高度な研究をするインスティチュートでなければならないという、岡倉が明治三一年に日本美術院を創設した時の研究重視の理念に基づいている。

自由と研究、どちらも芸術の創造にはなくてはならないものだ、また、どちらも作家一人ひとりの創意と努力にゆえあねられるものであって、誰かから規範や型を与えられるものではない。夏休みの課題と本質的には変わらないのだ。

しかし、何を研究すべきかを自分で見つけ出すことほど、難しいことはない

同時に、再興院展100回という節目の時期にあたって今日の出品作家各自に求められていることは、院にとって、そして未来の院展にとって、初志である自由研究とは何かを考えてゆくことではないだろうか。自分達はこれからどこに向かっていくのか、新しい時代をどう生きていくのかという課題は、今、眼の前にある課題といってよい。その答えを見出すための手がかりを探ってみることにしよう。・・・・・・

 

              



・・・・・
と、書き起こし、再興第一回展の大観作品、下村観山作品、今村紫紅作品・・等々を取り出し、伝統と革新との相克が院展の歴史の骨子となって来た事に触れ、さらに、巨匠たる画人の続出がその支えとなって来たことを述べた上、はたして現在は? と思いを致す時、大観、観山、・・等々、数多の巨匠は不在であり・・異端者さえ不在で、みな様及ばぬ力量であるが故に革新よりも伝統が優先されている、・・・・・ので、しかも、その伝統なるものは・・・・甚だ頼りのない浮薄な・・・・内容でしかない、と断じています。


さらに・・・・


                ★




・・・・・では、その伝統とは何かと考えてみると、自らが生み出した院展様式、それもここ4,50年のうちに浸透した表現形式のひとつにすぎないのではないだろうか。克明な写実描写による風景、人物、動物、絵画的な強さは失われ、映像的なイメージが拡散する世界。そうした<型>は、一世代あるいは二世代前の先達たちによって創り出された新しい伝統であって、紫紅に言わせればまっさきに壊すべき伝統という事になるだろう。・・・・・・

・・・・現在、院展には巨匠も異端もいなくなった。作家、作品は平均化し、すべてが、≪院展の日本画≫で括られるようになってすでに久しい。・・・・・


・・・・グローバル化というより強大な「外」が立ちはだかるのが、今日私達が置かれている状況であろう。そのなかでアジア、日本、日本画を捉えなければならないとすれば、より強固な「道」を見出してゆくことが必要となってくることは明らかである。困難なことと言わざるを得ないが、日本美術院の画家たちが個々に「独創的な役割を演ずる」ことでしか、前途の光を見出す事はできないであろう。



              




と、結ばれており、・・・穿ち得て余暈ナシ!
誠にその通り! 
つまるところ、院展スタイルから一歩も抜け出せなくなって久しい・・・・という現状を憂いて居られるのであります。
内部でしか通用しない価値観を翳したところで・・・
社会全般に良く見られる飽和しきったつまらない組織に過ぎず・・・
しかもそのスタイルさえ
極限られたクダラン流行が元になっているだけ。

100年続いたということは、
それだけでも素晴らしいことではありますが、しかし、
その実態に気付かない者がいくら集まっても・・・
本当の価値はありません。

警鐘を鳴らして下さる先生が記念図録の冒頭を飾って
意義を正して下さったことだけは・・・・唯一の
救いであろうと思った訳です。



岡倉天心著「東洋の理想」には、こう書かれています。

・・・この派(日本美術院派)の信条によれば、
自由こそ芸術家の最大の特権である。
ただし、たえず進化し自己発展を続けて止まないと言う意味での自由である。
藝術は理想でもなければ、現実そのものでもない。
一体に模倣は、相手が自然であれ昔の巨匠であれ、
いや何よりも自分自身の模倣は、
個性の実現にとって自殺行為である。
個性とはつねに生命と人間と自然との壮大なドラマの中で、
悲劇と喜劇とを問わず、独創的な役割を演ずることをこそ喜びとするのだ。
・・・・・・・・










posted by 絵師天山 at 06:00| Comment(0) | 院展
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