2015年09月03日

理想美術館  9     後三年合戦絵詞(ごさんねんかっせんえことば)


藝術の秋。理想の美術館を追い求めてみたくなる季節です、久しぶりに理想美術館を語りましょう。
今回で9点目、戦記絵巻、【後三年合戦絵詞】の登場です。


   

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本当は【八幡太郎絵詞】(はちまんたろうえことば)
と言う名前で流布していた時代の方が長く、現在は東京国立博物館の所蔵となり、めったにはお目にかかれません。まあ、南北朝、あるいは鎌倉時代の作品ではないかとされていますので、絵の具の剥落やヤツレ、汚点なども多く、美術品としての健全な美しさはもう、失いかけて・・・、気安く公開出来ないのかも・・・・。






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その画品からいって、第一等級の傑作でありますが、
なかなか簡単に味わう事は、物理的にも難しい。
何しろ上中下三巻、別に序文も付いている絵巻物ですから
その全貌を一同に味わうにはかなりの仕掛けが必要。
さらに、制作当初は六巻本として描かれたものらしいので、
本当の全貌はもう既に見る事は・・・・。






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八幡太郎義家は、
鎌倉幕府の基礎をなしたとされる河内源氏の棟梁=大先祖様、であり
七歳の春に、京都郊外の石清水八幡宮で元服したことから八幡太郎と称し
家督を継いだのが14歳という年少にかかわらず、
胆力知力に優れ・・・その
智某と才格は抜群であった・・・そうで
鎌倉御家人にとってのスーパーヒーロー
元祖英雄!
モノノフそのもの、伝説の武将なんであります。





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         馬上の八幡太郎義家さま・・・彼こそレジェンド!




天皇家をないがしろにし、あわよくば・・・
日本の王様になろうとタクランだ鎌倉幕府。
そのアイデンティティーを担うのがこの御方・・・
ステイタスヒーロー・・・
とも言えるのですが、
九郎判官義経みたいにねつ造され・・・?
あからさまに造られたヒーローとは大いに違って、
質実剛健。
モノノフとしての非常に素朴な一面が
強くのこされているが故に
時代を超え、人々の共感を呼ぶのであります。




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そもそも 武士=モノノフ、という言葉は
物部氏から来ていて・・・
モノノベ・・・が、モノノフ・・・に、
その物部氏のご先祖は古事記にはっきりと記されており・・・
天照大御神の命を受け、
葦原の中つ国を治めるために
高天原から日向国の高千穂峰へ天降(あまくだ)った・・・・
天孫邇邇藝命降臨(てんそんこうりん)の際、
警護役として先導した武神が
天忍日命(あめのおしひのみこと)と
天津久米命(あめのくめのみこと)
天忍日命は大伴連(おほとものむらじ)らの、
天津久米命は久米直(くめのあたひ)らの、
それぞれ祖神となり、
さらにその子孫は物部氏であること相違なく、
大和盆地の東に現存する、
石上神社(いそのかみじんじゃ)は、
物部氏の本拠地であったことが分かっています。

後の大伴家持が万葉集で詠った【海ゆかば】
の精神もつまりはモノノフの心・・

海行かば 水漬く屍
山行かば 草生す屍
大君の 辺にこそ死なめ
かへりみはせじ


義家も物部氏も大伴氏も、軍神の鑑・・・・・
武士の中の武士、なんですね


  

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この絵巻物の作者は、【飛騨守惟久】(ひだのかみこれひさ)

巨勢惟久(こせのこれひさ)と、同一絵師ではなかろうか?
・・・・はっきりとはしません。
これほどの名画なのに、作者像が良くわからない・・・
平安、鎌倉から南北朝にかけて数多の名人画工が居たはずですが
作品すら残らずに、貴族の日記にのみその名が登場する画人もいますので、
解らないことが多い。
現代のアーティストのようにこれ見よがしにサインすることもない場合がありますので
作者が誰かすら伝承となっている場合もあるのですね。





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とにかく、大傑作。
全貌は飾れない・・・にしても・・・・・
私の理想美術館には、自ら労作した
復元模写を出陳したいものであります。







                

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かの西行が北面の武士であったことはよく知られており、
北面の武士、つまり宮中警護の近衛兵(このえへい)軍団・・
西行はその頭目でしたから、
ナント頭目様が出家して漂泊の旅を続けた!!
当時としては大変な話題です!

現在で言えば皇宮警察署長!・・かな?

八幡太郎義家様も元々は同じお立場。
天忍日命 天津久米命と同じお役目だったのですね。

イザとなれば真っ先に命を張る・・・
天皇家をお守りすることは
日本文化を守る事に他ならない!

故に・・・命の、平和の、平凡な日常の・・・
何よりも大切なことを、・・
誰よりも良く・・・・知っていたのです。







         
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           天忍日命 日本神代絵巻部分 天山画





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           天津久米命  日本神代絵巻部分 天山画










posted by 絵師天山 at 08:00| Comment(2) | 理想美術館
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