【藤原基俊】(ふじわらのもととし)
契りおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋も往ぬめり
ちぎりおきしさせもがつゆをいのちにてあわれことしのあきもいぬめり

天山書画
「させもが露」・・・? って、何・・
千載集に・・・
「僧都光覚 維摩経の講師の請を申しけるを、
たびたび漏れにければ、
法性寺入道前太政大臣に恨み申しけるを
しめじが原と侍りけれど、
又その年も漏れにければ遣わしける」と、前書。
僧都光覚(そうずこうかく)は、基俊の息子。
例年十月興福寺で行われる維摩経講法会の講師に
この息子を抜擢してもらえるように、父 基俊が
時の関白忠通に運動していた。
が、忠通は、・・・「しめじが原」と言って
請け合ったにも拘わらず、又も採用されなかった・・・
何が何でも子供の立身出世を願う・・・
親心の歌なのですね。
「しめじが原」は、・・清水観音様のありがたい御歌
なほ頼めしめじが原のさせも草われ世にあらむ限りは
なおたのめしめじがはらのさせもぐさわれよにあらんかぎりは
私を頼みとしなさい、どれほど辛くとも私がこの世にあって衆生を救おうとする限りは!
と、観音様自らおおせられた詠で、
良く知られたこの歌の様に請け合うよ!
・・・、と忠通は約束してくれたのに
又また、ダメでした!・・・との恨み節。
「させもが露を命にて」・・・とは、
清水観音のお歌を頼みとせよ、と言って下さった
あれほどの甘露を命綱として・・・
という意味を表として、その裏には
頼み甲斐のないような草の露をも
頼みとして居りましたのに・・
という、二重の意味を持たせた“トホホ・・・”な歌なのであり・・
トホホ・・ではあるけれど、なかなどうしてテクニカルなんですね!
「あはれ」また今年の秋も「往ぬ」めり・・
過ぎてしまいましたぞーー!って、
この歌を贈られた忠通はさぞかし嫌だったことでありましょう。
頂点に立つ人は
部下全員の希望を叶えてやるわけにも往きませんから、
テキトーに?慰めたんでしょうが、
それを逆手に取った処に子を思う親の気持ちが表れていて
それで共感を呼ぶのかも知れません。
伝統派歌人 基俊は右大臣家の名門生まれ、
微官に終わりましたが定家の父俊成の師として
活躍していました。