2015年06月07日

魅惑の百人一首 74   源俊頼朝臣 (みなもとのとしよりあそん)


【源俊頼朝臣】(みなもとのとしよりあそん)

憂かりける人をはつせの山おろし烈しかれとは祈らぬものを

   うかりけるひとをはつせのやまおろしはげしかれとはいのらぬものを





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             天山書画





「憂かりける人」 は、私に対して辛く当った人。
つまり、自分になびいてはくれなかった女性、
片想いがまるで実らなかったのですね。


「はつせ」 は、初瀬 で、長谷寺の事。
大和国初瀬(現在の奈良県櫻井市)
京都の清水寺(きよみずでら)などと並び称される霊験あらたかな名刹
現代でも、長谷観音として十一面観音様と牡丹とで良く知られておりますが、
当時とて同じ、願掛けのメッカであり、指折りの衆生済度スポットでありました。


祈れども・・・山おろしの・・
烈風の様に撥ねつけられ・・・
あはざる恋・・と、相成り・・・。
振られ方も半端じゃあなかったのです。


恋の御利益祈願は完全に裏目・・・・

当時都から初瀬までは遠路、
古刹として有名であり誰でも一度は詣でてみたい処だったのでしょう。
山間部に有りますから「山おろし」も良く知られていて、初冬ともなれば、それは淋しく侘しい山里。
冬に向って耐える感じが余計に破れた恋を連想させるのです。


恋の成就には失敗したけれど、歌としては御見事!
と、お慰めしましょう・・・・か、・・・

「憂かりける」と意外な言葉で始まって
「はつせ」 「山おろし」 「烈しかれ」・・と、
緊迫感があふれ・・強く、実に高い調べ・・・
繰り返し口ずさめば・・・ホント・・に、
良い詠歌デス。


才気が光る!・・
のも・・・当然? 
この歌は「千載集」の詞書によると、
藤原定家の祖父、藤原俊忠(としただ)の屋敷で、
「祈れども逢わざる恋」という題で詠んだ題詠の一首。
つまり、空想の恋を名作に代えた!!

凄いですねーー、
才能というのはこういう事を言う。
当然和歌の道を極め、人に教える立場にあったし
歌論書『俊頼髄脳』は現代でさえ超一級品と言われ、
ちょこっと覗いてみただけでも求道の深さが感じられ、
昔の人の方が、・・・
考え方が何倍も深い・・ことに驚かされるのです。

現代人は、何事も“コンビニ生活”
便利この上ない?・・かも知れない日常だが
実は、その手近かさ、簡便さそのものが
物事を深く考えない因になっていて、詰まる所
創作力が育たない様、飼いならされている?
のではないかと・・・・思うのです。


飛躍しすぎかも知れませんが・・・
心の底から感動させる創作が生まれない時代になってしまった・・
考え方が深ければ深いほど魅力が溢れて来る
解釈の深さ、と言うか・・・
思わず魅せられ・・立ち尽くす・・・そして、
いつまでも心に残る・・
この歌の様な・・
ホンモノのクリエーションに心底憧れます。


≪もみもみと人はえ詠みおほせぬ様なる姿≫・・・・

と、この源俊頼を絶賛したのは、後鳥羽院。

反日北条氏(=鎌倉幕府)によって犯罪者と認定され
隠岐の島へ流され、・・・・・て、19年。
還御することなく薨去された悲劇の天皇は、
ご自身が希代の名歌人であられ、
さらに当代の名歌人達を指導されつつ
勅撰和歌集編纂に尽くされました。
島生活のご日常であっても
頂点に立つ戴冠詩人ならでは、・・・
和歌の道を御自ら深めておられたのです。


遺された【後鳥羽院口伝】を読んでみると
実に公平な、ごもっともな、
名歌人達への個人評が書かれており
“もみもみと”と、いう形容詞は院独特の表現であり、
いかにも宜しい・・・・
といった意味の、それは、最大級の賛辞であります。









posted by 絵師天山 at 16:11| Comment(5) | 百人一首
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