2015年05月14日

魅惑の百人一首 69 能因法師(のういんほうし)


能因法師(のういんほうし)


嵐吹く三室の山の紅葉ばは龍田の川の錦なりけり

   あらしふくみむろのやまのもみじばはたつたのかわのにしきなりけり





          nouin.jpg
           天山書画






世捨て人として歌を詠みつつ
山野に暮らす・・・・
後の西行法師のような、
ある種理想追求型・・・
隠者歌人の魁、先駆者? が、この
能因法師(のういんほうし)  らしい。


名族 橘氏の出であるほか
詳しい事はわからない様ですが、
「都をば霞と共に立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」
という歌を都で作り、
みちのくを旅行したふりをして家に籠り
顔を日焼けさせて後、旅から帰ったとふれ回った、
そんなお茶目ぶりも伝わっております。


当時の都人からすると陸奥=みちのく
は文字通り 道の奥、であり、
憧れの地でもあり、一度は行ってみたいところ、
見栄張ってハワイに行きました!風な
演出も シャレのうち・・・
こんな逸話が残るほど歌好きであり、
歌名人でありました。


平凡なる日常をいかに非凡に暮らすか!?
芸術はその為にあるので、
当時の歌人たちには
芸術!ナドというクダラン自意識は、
全く無かった事でしょうが
身の周りを楽しませる心は
強いものがあったのであろうと思うのです。

紅葉が風に散らされて川面さえ彩られてしまう、・・・

という平明端的な歌であって
ヒネリも何もなく、
一直線に読み下してみせた
如何にも内裏歌合せの看板となりそうな作であり、

飾られる事を考えつくした絵画の様でもあります。

竜田川は言わずと知れた紅葉の歌枕
龍田姫と言えば紅葉を司る女神様のこと


秋の紅葉の代表者であります

ちなみに春を司る女神を佐保姫と申し上げ
いづれも奈良の都の時代に言いはやされてより
今日なお続いているのでありましょう。


名歌人最晩年、
宮中の歌合せに召され
重い腰を上げ、軽々と
持てる全力を傾けた代表作
である、と言えましょう。









posted by 絵師天山 at 10:56| Comment(2) | 百人一首
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