2015年05月13日

魅惑の百人一首 68 三条院 (さんじょうのいん)


【三条院】(さんじょうのいん)

心にもあらで憂き世に永らへば恋しかるべき夜半の月かな

   こころにもあらでうきよにながらえばこいしかるべきよわのつきかな






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              天山書画





例ならずおはしまして
位なぐさむと覚しめしける頃
月のあかかりけるを御覧じて
三条院御製・・・・・・


ありますのは、後拾遺集。


そもそも天皇に大権がおわしますこそ本来でありまして、
院=上皇、が天皇を差し置いて頂点におわす、と
言う事そのものが常態ではありません。
院政というのは、相当イビツなる政体・・・


例ならず、は
御病気で、
院という御位も降りてしまおう
とお考えになっておられる時に

月を拝して詠まれたのがこの御製です。


御製とはいえ、
少々うらぶれた感に満ち満ちており
それもそのはず、
第六十七代天皇となられましたが
御病弱。
特に御目が悪く、・・さらに、
御在位中二度までも皇居が炎上!
左大臣であった頃の道長が
自身の孫でもある後一条天皇を早く即位させようと画策
この三条天皇にあの手この手の圧迫を加え
・・・・やむなく御退位。
翌年にはナント
崩御されてしまわれたのですから、
全く・・・悲運の陛下と言わざるを得ません。 


肉体的精神的政治的苦悩・・・
三重苦にさらされた失意は
美しい夜半の月に向けられたのであります。

その月さえも失明の危機に曇りがち・・・・でしたが


御在位僅か五年、
道長に強いられて退いた天皇の
哀れ深い、
しかし、
これ以上ないほどに
澄み切った御製であります。


道長は娘彰子を一条天皇に入内させ
その中宮彰子に皇子誕生するや
この孫を天皇とする為
三条天皇を一刻も早く退位させたかったのです。


中関白家の栄華を中宮定子の後宮が代表し、道長の栄華を中宮彰子の後宮が代表し、両者の相克、活躍がかの紫文を頂点とする王朝女房文学を生みだしたのですが、その陰にはこのような理不尽が山積みされていたこともまた事実であったのかもしれません。




posted by 絵師天山 at 09:00| Comment(5) | 百人一首
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