2015年05月08日

魅惑の百人一首 65    相模(さがみ)


【相模】(さがみ)

恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそをしけれ

   うらみわびほさぬそでだにあるものをこいにくちなんなこそおしけれ






            sagami.jpg
             天山書画






涙で濡れた袖を乾かす気にもなれないし
口さがない人の噂にのぼったまま
朽ち果てるのでしょうか?!
あーーー嘆かわしい!・・・・チクショウ
・・・・・と言った意味でしょうか、



内裏歌合(だいりうたあわせ)に詠まれ
厳しく激しい悔しさをアッパレに出した?
ので“勝”と認定されました。

永承六年のこと・・・
だいたい西暦1000年くらいです。

対戦相手は右近少将源経俊朝臣

“下燃ゆるなげきをだにも知らせばや焚く火の神のしるしばかりに”

と、番いにされての“勝”でした。


作者相模は、ちょうど西暦千年に生まれ
11世紀中ごろに活躍した女流歌人。


武勇で名をはせた源頼光(みなもとらいこう)の養女であり
相模守大江公資の妻となり故に 『相模』、と呼ばれておりましたそうで、祐子内親王の女房となり後に公資と別れ、中納言定頼らと恋を重ねています。

この歌を詠んだのはもう50歳を過ぎてから、
熟女のボヤキとも受け取れますが
長年女房として
数多の事例や、自らの体験を重ねた作者が
平安女性の恋の有り様を流麗に示した
オトナの表現、といったところで
哀れを催すと言うより
むしろ妖艶ささえ漂うような気配
・・・が感じられます。


現実の恋云々・・・ではなくて、
歌合に出されてこそ光を放つ作品・・・
さすが、プロフェッショナル!
と申せましょう。


チクショウ・・・?
などと申し上げましたが・・・
品格はしっかりと保たれています。


此の時の歌合の様子は
栄華物語に詳しく
端午の節句に開催
永承六年(1051)五月五日に京極院内裏で披講された歌合出詠歌。
主催は後冷泉天皇、判者は藤原頼宗。掲出歌は題「恋」五番左。

菖蒲、郭公、早苗、祝、そして恋・・・
五番のお題それぞれに対となる名歌が詠われております。









posted by 絵師天山 at 09:00| Comment(4) | 百人一首
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